2018/1/3, Wed.

 何時に起床したのか覚えていないのだが、多分一一時くらいまで眠ったのではないか。一日の初めのほうの食事やその他のことも覚えていないので省略する。前日には概ね気分は落着いており、往路に車に乗っているあいだなども、どうやら自分は大丈夫そうだな、と思った瞬間があった(同時に、しかしわかったものではない、またいずれ症状に苛まれる時が来るのだろうとも思ったが、その警戒のなかに不安が伴わないのがまた自分の気の確かであることの保証となった)。しかしこの日は、まだ心身の調子がおかしくなっていた。この日の夜には、中学校の同級生らとの会合が予定されていたが、それにはキャンセルの連絡を入れることにした。むしろ一人で籠っておらず、他人と交流をしたほうが良いのではないかとも思われたのだが、やはりこのような状態で他人と会うのは厳しいだろうと判断されたので、当日になって申し訳ないのだが、と(……)にメールをしておいた。
 それで前日の記事を書こうと思ってコンピューターに向かい合ったのだが、頭のなかに言語が浮かんでくることそのものが恐ろしく、二、三文書いたところで、どうもこれ以上は続けられないなと判断されたので、一旦書き物を離れ、何か言語的でないものに触れようということで、隣室に入ってギターを弄った。自分の指が動き、それに応じて音が流れるさまが、非常に明晰に感知された。そうしながらもしかし、頭のなかでは考え事が続くのだが、それによって思考が整理されて、多少落ち着きを得るところがあった。この日は非常にたくさんのことを考えたので(非常にたくさんの言語がこちらの頭のなかを通過して行ったので)、どこまでがこの時考えたことなのかもはやわからないのだが、多分この時はまず、自分にとっての恐怖の対象を見極めることになったのだと思う(と言うか、それ以降の思考もすべてそうなのだが)。自分が何を恐れているのかと考えると、まず何よりも、自分の頭が狂うことだった。頭に言語が自動的に浮かんでくるということが怖いというのもそのためで、止せば良いのに(とわかっていながら調べてしまうのが精神疾患の患者というものなのだが)インターネットを検索して、統合失調症の症状として思考が止まらず溢れ出してくる、というものがあるということを知り、自分は統合失調症になりかけているのではないか、このままだと頭のなかの言語がコントロールを失って、そのうちに幻聴のようになってくるのではないかという恐れがあったのだ。話がちょっと脇道に逸れてしまうのだが、統合失調症について調べた時、同時に、「スキゾイドパーソナリティ障害」というものの存在も知った。ウィキペディアに載っている診断基準を読む限り、自分はこれにかなり当て嵌まるのではないかと思う。以下に引用する。

DSM-IV-TRでは次の診断基準のうちの少なくとも4つ以上を満たすことで診断される。

1. 家族を含めて、親密な関係をもちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない
2. 一貫して孤立した行動を好む
3. 他人と性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても少ししかない
4. 喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない
5. 第一度親族以外には、親しい友人、信頼できる友人がいない
6. 賞賛にも批判に対しても無関心にみえる
7. 情緒的な冷たさ、超然とした態度あるいは平板な感情

 まず一番はそこそこ当て嵌まるし、二番はこちらの性分そのものである。三番もわりあいに当て嵌まる。四番はあまり良くわからない(自分にとって「喜びを感じられるような活動」の中核は、おそらく読んで書くことなのだが、この「読み書き」は言語のみならず世界そのものを対象とするものなので、極端な話、どのような活動であれ「読み書き」を通して喜びになり得るからである)。五番は一見当て嵌まらないようだが、読み書きという共有事項がある人々のことを、比喩的にちかしい「親族」と考えるならば、当て嵌まるのかもしれない。六番もわりあいにそうだし、七番の超然性というのはある種こちらが目指してきた心の平静そのものだろう。
 しかしウィキペディアの記事にはまた、「本人は、本障害によって、生活する上で困ることが何一つないため、カウンセリングなどを受けに行くことはなく、また行ったとしてもすぐ診療を受けることをやめてしまう。しかし、それによって他人に迷惑をかけることはないので、本人が困っていなければ診療をする必要はない」とあるわけで、別に精神医学的に何らかの「障害」という概念で分類されたとしても、他人にそう致命的な迷惑を掛けず、自分の内面としても不安を感じずに生きていければ、特段の問題はないわけである(しかし、この記事を見た時には、自分が「障害」という語で名指しされてしまうことそのものが怖い、というような感じがあった)。ここで先ほどの話と繋がってくるのだが、気が狂うことが怖いと言って、それでは気が狂うことの何が怖いのかと考えた時に、解答として浮かんできたのが「他者」の存在である。要は、他人から、例えば彼は統合失調症なのだという風に明確なレッテルを貼られて、完全に共同体の「外」の存在として疎外されることが怖いのだと判明した(統合失調症と呼ばれる病理を現実に生きている方々を愚弄するつもりはまったくない)。もう一つのイメージとしては、自分の主体が解体し、それによってこの世界そのものも解体した時に、完全に何も見えない、何も聞こえないような、あるいはそのような「無」ではなく「混沌」の様相なのかもしれないが、ほかの人々とまったく共有できない世界像のなかに放り込まれ、その「ほかの人々」の存在すら認識できなくなり、まさしく極限的な、純粋な孤独[﹅5]に陥るのが怖い、というようなものがあった。
 これはそこそこ、意外な話ではある。と言うのも、自分は、「他者」の存在に配慮をせねばならないという多少の倫理観は持ち合わせているものの、実際のところ、わりあいに他人のことなどどうでも良く、社会の「本流」からずれていようが何だろうが、あまり致命的な迷惑を掛けない範囲でこちらのやりたいようにやらせてもらおう、というつもりでいたからだ。しかしここに至って、自分は「他者」の存在を無視できない、ということがわかった。このことから考えるに、こちらは物心ついて以来、どうも自分はほかの人々とちょっとずれているのではないかということを折に触れて感じてきたし、この社会共同体に流通している最大公約数的な「物語」に安住してやまない人々を、多少は軽蔑もしてきたと思うのだけれど、自分はことによると本当は、彼らと世界観を共有したかったのかもしれない、彼らの仲間になりたかったのかもしれない、と思われた。
 ここで話がのちの時間、風呂に浸かっていた時間のことに飛ぶのだが、主題がちかしいので、「他者」に対する恐怖についても触れておこう。風呂のなかでは、今までのパニック障害の体験からして、自分が何に不安を覚えてきたのか、ということを整理した。そのなかの一つに、「他者」の存在がある。これは「恥」の観念に結びついたものなのだが、正確には、「他者」とのあいだに齟齬を起こすこと、として帰結するものである。つまり、パニック障害の前期には、症状は主に電車のなかで発生していたわけだが、そこにおける不安の主な現れ方は、このまま呼吸が止まって倒れるのではないか、あるいは胃のなかにあるものを嘔吐してしまうのではないか、というようなものだった(したがって、大学時代には、空腹が頂点に達しても昼食を取らず、帰ってくるまで何も口に入れないという生活を続けていた時期が長くあった)。それは結局、そのようなことを招いてしまうのは恥ずかしい[﹅5]、周囲の人たちに迷惑を掛けてしまう、という危惧である。
 こうしたことを鑑みるに、自分はいわゆる「承認欲求」、他者と仲良く協調し、他者に認めてもらいたいという気持ちが結構強かったのかもしれない。そうした気持ちを持ちながらも、現実に多数の人々とのずれを感じるなかで、一方では承認欲求が強化される方向に向かい、他方ではそれを抑圧して彼らの外に出ようとするという二方向に自己が分裂し、そのあいだの葛藤がパニック障害として顕在化したと見ることもできるだろう。今、この文章を書くと同時に頭のなかで思考を巡らせながら、自分の不安の根源について更なる認識の更新があったのだが、それはここでは記さず、のちに書く余裕があったら書こうと思う。
 このように、自分の不安の対象を言語的に明晰に分節し、相対化することで、やはり気分がわりあいに落着くところはあった。言語を操り続けることで狂うかもしれないという恐怖はまだあったと思うのだが、しかし同時に、自分はやはりこの方向しかないだろう、脳内に言語が湧き出てくるならそれをそのままにしておくしかなく、それでもし自分が狂ったとしても、それは言ってみれば死と似たようなもので、自分にはどうにもできないことなのだから仕方がない、という風に開き直る心があったと思う。
 それで自室に戻り、ふたたび書き物に取り組んでみることにしたのだが、そうは言っても不安は抜けきることはなく、他人に話を聞いてもらって考えを整理したり、自分の分析の確かさを確認したりしたかったので、(……)に話を聞いてもらって良いかとメールを送っておいた。返信を待つあいだに前日の日記に掛かったのだが、この時は概ね覚悟が決まっていたので、文を作るという営みを前にしながら恐怖を感じることもなく、わりあいにすらすらと書くことができたと思う。三時近くになって返信があったので、電話をしたいのだがと願い、返信を待っていると、あちらからコールが掛かったので通話ボタンを押した。
 こちらの話したことは概ね上記した通りなので、ここでは繰り返さない。印象に残っていることを順序にこだわらずに書くと、まず、(……)の日記の書き方が転換した契機として、細かい部分は忘れてしまったのだが(と言うか、やはり通話のあいだにも不安に苛まれていたようで、あまり話をうまく聞くことができなかったようである。何しろ、携帯電話から漏れてくる声を聞きながら、自分は今耳に入っているこの言語を果たして「正しく」理解できているのだろうか、という疑いがあったからだ。これはそのまま、ここ数日に折に触れて抱いた不安と通じるもので、要は、両親と言語を交わしていても、自分は今本当に、他人とのあいだにコミュニケーションを成立させることができているのだろうかという危惧があったのだが、それはさらに先に引き伸ばせば、現前しているこの世界の様相は確かなものなのか、という不安に直結する)、日記を書くというのが親しい身内(この場合、具体的には、(……)という(……)の長年の友人)に向けて体験したことを喋っている時のトーンとまったく同じだと実感した時があったらしく、そこから日記というものが、「身内への報告」のようなものに変質したという話だった。この「駄弁り」の感覚は自分も先日実感したものではあるのだが、それで、あまり自分一人で自己再帰的に書くのではなく、誰か具体的な友人などに向けて喋っているようなつもりで書いたほうが良いかもしれないという助言があり、これは確かにこちらとしても頷かれるところだった。図式的に考えると、観察・言語化する主体と観察・言語化される主体とに自己が分裂しているに違いない自分において、最近の事態は、観察主体のほうが優勢になりすぎたこと、言い換えれば、分裂の度が増して両主体のあいだに距離がひらきすぎてしまったことによる症状だとこちらは解釈していたのだが、その閉じた関係のなかに外部への志向性を導入することによって、閉塞的な構図を意味論的に打破し、ことによると両主体をふたたび統合することができるかもしれないという気がしたのだ。
 「順序にこだわらずに」、こちらの最近の症状について話し合ったことをいくつか記すつもりだったのだが、改めて思い返してみると、記憶が全然蘇ってこないことに驚かされる。その他の話、いわゆる「悟り」の話だとか、こちらが最近考えていた「実践的芸術家/芸術的実践者」のこと(これを別の比喩で表現すると、この世界そのものをテクストとしてそこに意味を書き加えていく「作家」ということなのだが)は、あとでその類のことを記すことになる気がするので、ここには書かない。ほか、文学や小説界隈の話もしたのだが、(……)が今書いている『(……)』が「絵画のような小説」を目指されているという話題があった。それは大まかに言い換えれば、極論すれば読むたびにその様相が変化するようなテクストということになるのではないかと(その点、多分バルトが一時期夢想していたようなものと言えるのかもしれない)訊き、そこからいくらかの流れがあって、フローベール文学史的位置づけに話が移ったのだったと思う。こちらはフローベールの作品自体も関連文献も、いわゆる文学史関連の本も読んだことがないので、これはあくまで当てずっぽうの思いつきに過ぎないのだが、まず、小説作品に「描写」的な細部がはっきりと取り入れられるようになったのが、概ねフローベールあたりからだという正統派文学史的な整理があると思う(これが確かなものなのか、それすらこちらは知らないのだが、ここではひとまずそういうことにしておいてほしい)。そうした理解では、「描写」とは現実世界の様相を緻密に、克明に写し取るための技術として認識されており、多分その後のゾラなどは実際にそういうつもりでやっていたと推測され、フローベールもゾラの先行者的な位置に置かれている気がするのだが(つまり、「リアリズム」の作家として位置づけられていると思うのだが)、しかし同時に、「描写」とはまた、物語的構造に対して過剰な細部として働くものでもあり、大きな構造に対する抵抗点として機能させることができるものでもある(絵画を遠くから一度見たあとに、近寄って様々な細部に目を凝らし、諸要素の配置を把握してのちふたたび距離を置いて眺めると、まったく違う様相として映る、そのようなイメージである)。ここで思い出されるのが、フローベールが書簡に記した(のだったと思うが)有名な言葉(と言いながら、引用を正確なものにできないのだが)、自分は何一つ言わない小説、何一つ書いていない小説を書きたいという宣言で(確か、「言語そのものの力によってのみ支えられている(だったか、「浮遊している」だったか)」というようなことも言っていたはずだ)、ここから推測するに、フローベールは現実世界のある側面を「そのまま」克明に写し取ろうなどとは考えていなかったのではないか? つまり、彼は「リアリズム」の作家などではなかったのではないか。こうした路線でフローベールを読み、正統派文学史の神話を解体しようとしているのが、蓮實重彦の試みなのではないかと思ったのだが、例の『「ボヴァリー夫人」論』も読んでいないので、確かなことは良くわからない。
 そのほか、(……)が気になっていた作家として、牧野信一の名が挙がり、青空文庫に彼の書いたものが多数取り揃えられているので、いずれ読んでみようかと思っていると言うので、牧野信一と言えば、古井由吉大江健三郎が、「群像」だったか「新潮」だったか忘れたけれど、この一〇〇年の短編小説を読むという企画で諸作を読んで対談した時に、二人ともが一番良かった作家だとして口を合わせていたものだ、と情報を提供しておいた。
 覚えているのは概ねそんなところである。(……)が、そろそろ充電が切れると口にしたので、それでは終いにしようというわけで、長々とありがとうございました、と礼を言い、別れの挨拶を交わしながら、失礼しますと電話を切った。そうすると五時になったあたりで、電話は二時間ほどしていたようだ(部屋が薄暗くなっていた)。そのまま七時半前まで二時間強、二日の記事を書き進めた。
 夕食時のことは良く覚えていない。その後、風呂に入って、色々と思い巡らすなかで、思考のブレイクスルーが訪れた。まず、どこかの時点で、自分の最近の症状と言うのは、不安障害の症候そのものだったのだと気づく瞬間があった。それまでは、自分は本当に、統合失調症か何かになりかけているのではないかと危惧していたのだが、このままだと気が狂うかもしれないという不安というのは、パニック障害の特徴の代表的な例として良く紹介されているのだ。それでは、自分は根本的には一体何を恐れているのかと問うてみた時に、確かな解答はわりと速やかに出てくる。それは、不安という心的状態そのものである[﹅16]。おそらく不安障害も一番初めは具体的な何かに対する不安から始まるのだろう。しかし、症状が進むなかで不安は転移していき、次々と新たな不安の対象を発見していき(あるいは作り出していき)、最終的には不安そのものを怖がる不安不安症、恐怖恐怖症に至ってしまう。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がこのようなことを言っていたらしいのだが、これは自分には非常に納得される考えである。自分は明らかに、こうした地点にまで至っている。
 こちらが今まで不安や恐怖を感じてきた対象を大まかに区分すると、一つには上にも挙げた「他者」がある。もう一つは、「死」である。三つ目が、不安そのものである。これらに共通することは、「受け入れるしかないもの」だということである。「他者」はこちらから独立自存して存在しているものだから、その存在は受け入れるほかなく、また彼らは自分と異なった存在なので、彼らとのあいだに齟齬が生じることも仕方がない。「死」は言うまでもなく、どうやら誰の身にも訪れるものらしく、またそれがいつ来るかはわからないのだから、どうにもならない。そして不安という心的現象は、不安障害者である自分にあっては、コントロールできるものではない。
 このように、自分は「受け入れるしかないもの」を受け入れることができていなかった、それが不安の根源ではなかったかとまず考えた。これらのうち、最も根源的なものだと思われるのは、不安そのものに対する不安である。おそらく初めは、「他者」やそこから生じる齟齬そのものが怖かったはずだが、その後、病状が不安不安症と言うべき様相に至った時点で、不安そのものを軸として関係が逆転し、「他者」や「死」とは、不安を引き起こすから怖い[﹅12]という同義反復的な論理の認知が生まれたのだ。そして、ここから先が重要なポイントだと思われるのだが、不安の発生そのものを怖がる不安障害患者にとって、この世のすべてのものは潜在的に不安に繋がる可能性を持っている[﹅30]のだ。言い換えれば、彼にとっては、すべての物事の最終的な帰着先、究極的なシニフィエが不安だということである。したがって、彼にあっては、生きていることそのもの、目の前に世界が現前していることそのもの、自己が存在していることそのものが不安となる。生の一瞬一瞬が不安の色を帯び、ほとんど常に不安がそこにある状態を体験することになるのだ。
 自分がこのような状態に至っていることをまず認識した。そして、ここから逃れる方法は一つしかない。それを受け入れることである。すなわち、不安からは絶対に逃れられない、ということを心の底から確信して受け入れられた時、初めて自分は不安から逃れることができる。まるで禅問答のようだが、これがこちらの根底的な存在様式なのだ。こうしたことは、パニック障害を体験する過程で考えたことがあるし、自分はそれをわかっていたはずだったのだが、薬剤に馴染んで症状が収まるにつれて忘れていたのだろう。今回、自分は改めてこのことを定かに認識した。自分は自分が思っていた以上に不安障害患者だったのだ。ここ数日、頭が狂うのではないかなどという恐れを抱いていたが、何のことはない、上のような意味で、自分の頭ははるか昔に既に狂っていたのだ。
 現在一月五日だが(上記は昨日に綴った)、この日のことをこれ以上記す気にはならない。