2018/1/6, Sat.

 この朝のことはもはや覚えていない。全然記憶が蘇ってこないので諸々と省略するとして、八時頃に出勤路に就いた。晴れの日だが、朝の空気はやはり冷たい。日なたのあまりない街道を行く。道を歩くあいだ、やはり脳内に言語が自動的に湧き上がってくるのを警戒する心があって、もっと身体的直接性に目を向けようというわけで、地を踏む脚の感触や呼吸の感覚に主に意識を向けるようにしていたと思う。
 勤務中、周囲の情報に応じて自動的に脳内に言語が発生するのがやはり少々怖いようなところはあり、また、初めのうちは話していてもうまく言葉が出てこなかったりしたが、時間が経つにつれて落着いた気分になった覚えがある。動作もゆっくりとするように心がけた。
 退勤したのは二時前である。職場を出ると、(……)駅のほうへ行き、郵便ポストに葉書を投函した(何なのか良く見ていないが、母親から前日に頼まれたのをすっかり忘れていたので、この日に済ませたのだ)。駅舎にちょっと踏み入って、電車の来る時刻を見てみると、まだまだ間があったので歩いて帰ることにした。日蔭に入っているとやはり寒かった覚えがある。もう少し陽を浴びたいなと、裏通りの途中の辻から表に折れて、日なたのなかを行く。
 自宅の前まで来ると、(……)玄関をくぐる。室内に入ったあとの様子や食事のことなど、まったく思い出せないあたり、やはりまだ精神状態が不安定で思考が拡散していたのではないだろうか。ただ、この日のある時点から、気分はわりあいに平常のものに近くなった覚えがある。
 四時前から書き物をしている。前日、一月五日の分である。この時もやはり、自分の頭のなかの言語に目を向けることに不安があり、またモニターを目にしていると後頭部や肩のあたりなどに神経症状らしきぞわぞわとするような感触が生じ続けたのだが、自分は不安を感じながらもやるべきことをやることができると自らの姿勢を定め、一時間半を綴って記事を完成させた。時刻は五時半頃、そこからインターネットに繰り出した。(……)途中、また自分の感情が定かに作動しているのかどうか不安に思う、というようなことがちょっとあったかもしれない。
 七時半前まで過ごしたところで、食事に行ったと思う。この時や、入浴中のこともやはり記憶が自然に湧いてこないので、割愛する。九時過ぎから、(……)にアクセスして、二日分を読んだのだが、確か途中で自分のブログの読み返しを挟んでしまい、一時間半もの時間を無闇に掛けてしまった。その後、久しぶりにという気力が湧いたので運動をして、一一時である。歯磨きをしながら古井由吉『白髪の唄』を読み出したのだが、抗不安薬のためだろう、頭が重く、読み続けていられないようだったので、零時になる前に床に就いた。