2018/1/11, Thu.

 やはり六時台に覚醒する。空気は寒く、額が冷たく、ボディスキャンを試みても身体がほぐれていかない。例によって薬に頼って入眠し、一一時に至って再度覚めると、ここで改めてボディスキャンを行っておいた。寝床を抜け出そうともたついているあいだ、何故かMr. Childrenの"Heavenly Kiss"が頭のなかに流れていた。起床は一一時二五分になる。ベッドから降りると背伸びをし、上体を左右にひねってほぐしておいてから、上階へ行った。
 食事はおじやに温野菜。スチームケースに入った野菜を電子レンジで温めているその合間に洗面所に入り、顔を洗ったり、乱れた髪を押さえたり、嗽を行ったりとした。食事をしながら新聞からは、永世中立・自主防衛国家スイスのシェルター事情についての記事を追った。冷戦も終わった今や供給過剰で老朽化が進んでいるという話だった。また、イスラエルがダマスカス付近に攻撃、との記事も読んだ。
 テレビに映る天気予報を見ていると、日本海側は雪模様らしい。東京は穏やかそのものの晴れ日だったが、週間予報を見るに鹿児島までもが雪の予測になっており、東京も今夜が今冬一番の寒気になるとの話だった。食器と風呂を洗うと、自室から湯呑みを持ってくる。ポットから白湯を注ぐ前に、ストレッチをしながらふたたびテレビを見やると、昼のニュースに、まずは商工中金がどうのこうのとこちらには良くもわからない事柄が報じられ、その後に、カナダが米国をWTOに提訴するとの話が伝えられた。
 自室に下りると、コンピューターを点けて、一月七日の日記をノートから写してブログに投稿した。その後、ここ数日の日記記事をEvernoteに作成するのだが、モニターを見つめているとやはり、頭の周りがこごってくるような違和感が生じる。それで運動をして、身体をほぐしてから、メモを取った。
 それで三時前である。上階に行って豆腐などでエネルギーを補給したのち、アイロン掛けをすると下階に戻り、外出の支度に入った。歯を磨きながら、手近にあった『蟲師』の五巻を取ってめくり、生まれ変わりの島の話と「眼福」の話をなおざりに読む。そうして口をゆすいで着替えたあとに、久しぶりに瞑想を行った。能動性を排除することを心がけつつ座り、意識の志向性の多方向への蠢きをしばらく感じると、出発である。
 四時を過ぎたあたりである。最寄り駅へ向かう。家を出てすぐの林の縁、塀のようになった石段の前に男子中学生が数人溜まっている。その前を通り過ぎると、それまで賑やかにしていたのが妙に静まり、背後から何やらひそひそとしたような調子の声が聞こえてくるので、何かこちらのことでも噂しているのではないかと自意識過剰を大いに発揮したが、烏の鳴き声が二、三、落ちてきて、すぐに忘れた。今冬一番の寒気が来ると言われるだけあって、さすがに空気は冷たい。寂れた小公園に立った桜の、冬枯れの枝の宙に静まっているそこから鵯の鳴きが立って、道を渡って向かいの一軒((……)の宅)の庭木にも仲間がいるようで頻りに鳴き交わしていた。坂に入るとふたたび寒気が寄ってくるが、見上げれば頭上に被さる梢の上方のみが陽を当てられて黄色に染まり、塗り直されたようになっている。
 駅に着き、ホームから東の丘を眺めれば、老いて弱いような、かすかなような色の山にもまだ陽の色が全体に掛かっている。見つめていると、ふらりと来そうになってそれで前方に向き直った。線路の向こうは沿道を挟んで段の上に梅の樹が立ち、さらにその先は人家の敷地になっているが、そのどこかから、虫の羽音のような鳥の声が繰り返し散って立ち、なかにピアノ線の一瞬の煌めきを思わせるような澄んだ声も差し挟まるのは、どうも同じ鳥の違う鳴き方らしい。
 電車に乗って(……)へ行く。駅舎の外に出ると、東の空の際にピンクと紫の色味が仄かにくゆっており、反対側、西南を向けば残光が見えて、図書館のビルにもその様子が映りこんでいる(おそらくそのような映像効果を狙って設計されたものなのだろう)。西の山の色がいつになく締まって、深く鮮やかな青に見えた。
 図書館に入ると、雑誌の区画から『現代思想』をちょっと覗く。現代思想の総展望というような特集で、柄谷行人中沢新一大澤真幸といったようないかにも日本の「現代思想」感あふれる名前が見られる。『思想』や『現代思想』誌は、いつも確認するだけはするのだが、借りて読んだことは一度もない。文芸誌にしてもそうなのだが、自分はなぜか、雑誌というものをあまり好んで読まないのだ(一応買って手もとに置いてはある『子午線』、『早稲田文学』、『ゲンロン』などの雑誌も、一向に読みはじめる気配がない)。それからCDの棚を見に行ったが、Suchmosはまだ借りられているようで見当たらないので、それでは今日はCDは借りなくとも良かろうと判断し、場を離れてトイレに行った。用を足してから上階に上がると、新着図書をちょっと眺める。それからフロアを端のほうまで渡り、文庫の区画から目当ての、本村凌二『興亡の世界史 地中海世界ローマ帝国』を取ってくると(相沢くんらとの会合で今度はこれを読むことになっている)貸出を済ませて、ふたたび新着図書の棚の前に立った。ドリンダ・ウートラム『啓蒙』(法政大学出版局・叢書ウニベルシタス)、谷崎昭男保田與重郎』(ミネルヴァ書房)、『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』(岩波文庫)、マルク・オジェ『非 - 場所』(水声社、「人類学の転回」シリーズ)、ウィリアム・マガイアー『ボーリンゲン』(白水社高山宏編纂の「異貌の人文学」シリーズ)、『イスラームのロシア』、ユージン・ローガン『オスマン帝国の崩壊』が手帳にメモされた書名である。法政大学出版局・叢書ウニベルシタスの本は最近結構入荷されており、これはありがたい傾向である。また、「異貌の人文学」シリーズは、今回この著書が新刊ということで入荷されたのだろうが、シリーズ内の過去の作品では、エルネスト・グラッシ『形象の力』とアンガス・フレッチャー『アレゴリー』あたりをとりわけ読んでみたいと思っているので、これを機に過去作のほうも揃えられないかと期待しているのだが、多分そうはならないだろう。
 その後、哲学の棚、仏教の棚と移行して、『現代坐禅講義』というような題の本をちょっと覗いた。坐禅だとか瞑想関連について、並んでいるなかではこの本が一番まともそうで、いずれ読んでみたいと思っている。そうして、借りるものを借りたので退館すると、東の空から先ほどの紫色は消え失せ、青さが空の端まで追いついており、西の山影は黒味を増して襞がなくなっている。暮れた空のなかで残光はかえって明るく澄んだようだった。
 駅に入り、ホームに立ちながら瞑目して電車を待つ。向かいにある居酒屋の室外機のごうごうという音が耳を占領する。電車に乗っても席で目を閉ざしたまま休み、着いてもすぐには降りずにちょっと休んでから、職場に向かった。
 労働を終えて職場を出た途端に、身を包む空気の質が一瞬で、しかし一挙にぱっと切り替わるのではなく高速の推移(グラデーション)の形で冷えて行くのがわかり、確かに空気の冷たさが違うな、と思われた。電車に乗る。やはり瞑目して到着を待つ。最寄り駅から坂に入ると、昨日と同じ場所で空を見上げる。暗さが増しているように思われ、星は相変わらずあるものの、樹々や家の屋根と空の境もほとんど明らかでない。バッグを脇に挟んで、両手をポケットに突っ込みながら帰った。
 帰宅して、ストーブに当たっていると、マルグリット・ユルスナール『黒の過程』のなかに、このような、火に当たって何か物思いを巡らすような場面があったなと記憶が想起された。重厚というほかないあの物語のなかで、しかし読んだ当時、一番印象に残ったのがなぜかそのようなささやかな一部分だったのだが、この時、具体的な言葉としては思い出せなかった。引いてみると、次のようなものである。

 (……)寒さがあまりにも厳しくなると、生徒と哲学者は、暖炉の煙突口の下に閉じ込められた大きな火のそばによるのだったが、そのたびにゼノンは、これほどの安楽をもたらす火、灰のなかのビール壺をおとなしく暖める飼い馴らされた火が、同時に天空を駆けめぐり炎と燃える神でもあることに驚異の念を覚えるのであった。(……)
 (マルグリット・ユルスナール岩崎力訳『黒の過程』白水社ユルスナール・セレクション2)、二〇〇一年(Marguerite Yourcenar, L'Œuvre au noir, Editions Gallimard, 1968)、161)

 改めてここだけ抜いて読んでみると、さしたる印象も与えないような部分に思われるのだが、やはり物語の流れのなかで読んだ時には何かが違ったのだろう。
 食事のあいだは両親とのやりとりが少々あったのだが、面倒臭いので書くのは省略する。その後も大した出来事はなく、入浴し、出ると瞑想をして、職場から貰ってきた菓子を食いながら読書をしたのちに、一時に就床した。

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