2018/2/13, Tue.

 やはり深夜に一度目覚める。尿意があるのが、心身が緊張している証拠と感じられる。薬を飲んで寝付き、この日はその後、七時になる前に覚めたが、もう少し眠っておきたかったので、目を閉ざし、八時五分まで寝床に留まった。
 ここ数日とは違って、なかなかに寒い。上階に上がってストーブの前に座ると、炬燵テーブルの表面に落ちる光の白さが眩しい。身体を温めていると、Maroon 5 "Sunday Morning"を自ずと口ずさんでしまったのだが、その時、何か自足感のようなものがあった。
 朝食のおかずは、前日にこちらが作った炒め物に里芋をあとから混ぜたものである。食べていると父親も起きてきて、また、じきに母親は(……)出かけるので、二人で行ってらっしゃいと見送った。デザートには、両親が前日に買ってきてくれたシュークリームをいただいた。
 皿と風呂を洗い、この日はその後、前日に忘れていたアイロン掛けをもこなし、それから自室に帰った。インターネットを覗いたのち、一〇時前から読書に入る。南直哉『日常生活のなかの禅』である。音読をしている最中、概ね落着いた心持ちでいられ、眠気が湧いて瞼が下りてしまうような時間もあった。そんな時は、目を瞑っている一分か二分のあいだにも、夢のような脈絡のないイメージが眼裏に展開されるが、それに不安を覚えることはなかった。空は晴れ晴れと青く、途中までは陽射しが顔に当たっていたが、そのうちに広い雲が湧いていて、太陽はそれに隠されてしまった。
 一一時半まで本を読むと、一旦上階に行って、掃除機を掛けた。台所や玄関のほうまで広く床のごみを吸いこんでおき、それから、母親が帰ってくるまでに(また、父親もこの日は休みで家にいたので)何か一品作っておこうと冷蔵庫を探り、変わり映えしないが、前日の肉の残りを玉ねぎと葱と炒めることにした。それぞれ切り分けてフライパンで炒め、砂糖と麺つゆを少々加えて味付けするとちょうど正午頃、飯を食べる前に運動をすることにして、自室に帰る。
 tofubeatsの音楽を流して身体を動かす。腕立て伏せや腹筋、背筋、スクワットもやると、身体が温まって少々汗が滲んだ。運動を終えると一二時半だったが、この日はここまで、落着いた心持ちで過ごせていた。思念の流れは相変わらずあって、それはもうなくならないものだろうが、呼吸に意識を向けることもそれとの共存を助けてくれているのだろうか、気になることはあまりなかった。
 再度居間に行くと、母親が一旦帰ってきており(午後からは、体操教室に出かけるとのことだった)、こちらが料理を拵えておいたことについて礼を言ってくれた。また、母親自身も、汁物に素麺を入れて煮込んでおいてくれた。食事を用意して卓に就き、テレビを点けて、適当なワイドショーを流しながらものを食べる。デザートに、前日に買ってきたアイスのなかの、バターサンド風のものを食べた。母親は一時を回ったあたりでふたたび外出した。こちらは皿を洗い、この日に干したシャツのアイロン掛けを済ませると、下階に戻った。日記をここまで綴って、一時四〇分である。
 その後、一一日を完成させ、一二日の分も綴ったが、どうも心身が固くなってくるのを感じたので、三時前までで中断した。それから、「【対談】ソーヤー海✕藤田一照①|呼吸につながって到着する。マインドフルネスの体現者であるソーヤー海氏が影響を受けた人物と、彼の人生とは?」(https://masenji.com/contents/95)というページを歯磨きしながら読む。ティク・ナット・ハン関連で検索していた時に見つけたものなのだが、瞬間瞬間に「到着」するという捉え方・言い方はこちらの頭のなかにはなかった。その後、身支度を調えて、背中にカイロを貼って出勤する。道に出て少々行ってから見返ると、家の脇に出ている父親(この日は休みだった)のほうに母親が寄って何とか言葉を掛けているのが、陽射しの向こうに見えて、そうした姿を見た瞬間に、突発的に涙を催した。また無常感にとらわれていたのだ。自分の死よりも、他人の死を考えることのほうが悲しみを覚えるようだ。呼吸に意識を向けて心を落着け、坂を上って行く。まだ陽射しのある時間帯なので、表通りを歩いていくそのあいだ、太陽の感触が背に温かい。辻でよく会う八百屋の傍を通りかかると、烏が、水道管理局だったか、褐色の建物のその上から鳴きを降らしていた。進んで行きながらやはり頭は勝手に巡るが、神経症的にそれが気になるということはなかったようだ。考えていたのは例によって辛気臭いようなことだが、苦しみというものは決してなくなることはないのだと思っていた。それを抱え、うまく付き合いながら、苦しみや不安があるけれどもそれでも生きていくのだ、そして生はそこまで悪いものではないのだと、そんな方向で生きていくことにしたい。勿論不安はないほうが良いが、自分の性向からして、と言うか不安神経症でなくとも、それを完全になくすということは不可能であり、不安があることによってその反面として物事に感謝できるのだとしたら、不安はむしろ必要なものなのだと思った。
 そうして歩いているあいだに、何だかんだで自分はこのようにして歩けている、ふらつきなども感じずに、二本の脚で立ってしっかりと歩けていると身体の調子を自覚した瞬間があり、力強く感じた。その後の労働も自動感が多少あったが、前日のように気になるというほどではなく、問題なくこなすことができた。また、普段はあまりしない雑談などもして、よく笑うこともできたようである。そうした雑談の際にも、物事を説明する際にも、以前の自分よりも言葉がよく出てきて、見通しを立てずに始めた言葉が自ずとうまく繋がっていくというようなところがあり、それを見る限り、頭の回転は確かにはやくなっているのではないか。音読の効果かもしれない。自生思考と自動感、不安性向を除けば、自分はおそらく健康である。頭のなかがちょっと変だというだけの話だ。
 退勤するといつも通り電車に乗り、扉際で到着を待った。最寄り駅の雪は、ほとんどなくなっていた。既に人々も先に去ってしまったあとの階段を一人で上っていると、静寂の感が強く覚えられ、上りきって今度は下りながら、道を車の、こちらに向かってくる白いライトのものと、あちらへ去っていく赤い後部ライトのものとがすれ違って流れていくのを見ると、無常感の芽があった。
 帰宅して夕食は、昼の炒め物の残りや、素麺、ほうれん草、生ワカメなどだった。テレビはオリンピックの様子を映し、父親がそれを眺めていた。母親が、先日こちらが買ってきたアイスを食べると言い出したので、こちらにも分けてくれるよう言い、父親と三人で分かち合って食べた。こちらは同じ時に買ったグミも食べた。父親は休日なので酒を飲んでいたようで、テレビに向かって色々と独り言を洩らしていたが、以前のように鬱陶しさを感じなかった。
 そうして入浴である。この日は全体に、呼吸をよく意識し、折々にそこに立ち戻ることができたようだ。しかし、そうして呼吸にばかり焦点を向けていると、今度は呼吸そのものが神経症の対象になるのでは、という考えがやはり思い浮かんでくる(ほとんどあらゆる事柄に対して懸念を考えてしまうのが、不安神経症というものである)。しかし、そうなったらそうなったでもはや仕方がない。自分の意思でどうにかできることではないのだ。
 風呂を上がると、自室で読書をした。小さな声で音読しているうちに眠くなってきたので、零時半に就床した。