2018/2/15, Thu.

 一度覚めた時に時計を見ると、五時だった。前日は薬を追加したこともあって、そこそこ眠れたらしい。それからまた寝付き、最終的に覚めたのは八時五分だった。呼吸を意識しつつ少々布団に留まり、身体を起こして上階に行った。
 母親に挨拶し、洗面所で髪を梳かす。食事には、生野菜をレンジで熱したものがあった。ほか、米と、前夜の納豆の味噌汁である。テレビは朝の情報番組で、狭心症心筋梗塞について扱っていて、それを目にした途端、また自分は例の不安神経症で、ここで言われていることを自分の身に当て嵌めて考えてしまい、自分も狭心症ではないかなどと不安を自ら作り出すぞということを直感した。実際、ものを食べつつ番組を目にしながら、自分の身体の諸症状を思い返して頭がそうした方向に向かうのを感じたのだが、もう自分のそういう性向はわかりきっているので、気にしないように努めた。なかでは、家族性高コレステロール症とかといって、悪玉コレステロールが血管中に溜まりやすい病気というものが紹介されていたのだが、母親が健康診断の結果を記した紙を取り出して見てみると、そこで紹介されていた値と同じくらいに悪玉コレステロールの値が高くなっていたようだ。それでやはり塩分を減らさなくてはとか運動をしなくてはと言うので、とにかく歩かないと、という風に言い、のちにも散歩をしてくるように勧めた(ただ今日は、宅配便の再配達があるのでそれを受けなければならないとのことである)。
 食後、風呂を洗って、一度室に下りてから白湯を注ぐために居間に戻ったのだが、そこで、掃除機を掛けようという気になった。それで祖父母の暮らしていた部屋から掃除機を持ってきて、居間や台所や玄関の床を掃除し、そうしてから白湯を持って自室に帰った。インターネットをちょっと覗いてから、早速この日の日記を記しはじめたのだが、その最中、母親が、針に糸を通してほしいと部屋にやって来た。ベッドの縁に腰掛けたまま迎え入れて、道具を受け取り、三本分セットを作った。その後、記述を続けて、現在は九時四六分である。
 一三日の記事も続けて書いてしまったあと、日記の読み返しを行った。最近はブログに、「雨のよく降るこの星で」を始めた以前の過去記事の投稿も進めているため、二〇一六年一〇月一六日のものを読み返したのだが、そこにさらに過去の日記の引用がなされており、磯崎憲一郎の小説についての分析がされていた。それが二〇一四年の自分にしては随分とよく書けているように思われ、いま読んでみても特別反論もなかったので、ここに改めて引いておく。

2014/10/15, Wed.より。

 磯﨑憲一郎の小説には「未知」あるいは「謎」が充満している(それをあらわす記号が「どうしてか」「どういうわけか」「まったく不思議なことなのだが」などのいわば枕詞である)。そのことについて考えていたら、蓮實重彦のこの文章について腑に落ちるようなところがあった。「語ること」と「語られているもの」との無理のない調和による「レアリスム」とは、より具体的なかたちに言い換えると、ひとつには、小説のなかで起こる事象や人物の行動の理由や原因に想像がつく、ということだろう。何か事件が起こったとき、あるいは登場人物が何か行動=アクションを起こしたとき、そこに合理的な理由や原因や動機が設定されている、あるいは明確に書かれなくても読者にその想像がつく。磯﨑憲一郎の小説はまさにこれと逆をいっている。妻がなぜ不機嫌なのか、その理由は読者には明かされないし、想像もつかない、いや、読者どころではなくて主人公たる「彼」にとっても未知のままにとどまる。妻が十一年ものあいだ「彼」と口を利かなかった理由についても同様である。磯﨑の小説には、現実に起こりうることも(物理的な法則などに反していて)起こりえないことも含めて、「理由のわからないこと」=「未知」あるいは「謎」があふれんばかりに詰まっている。それによって、磯﨑の小説は(もしかしたら不安を誘うかもしれないような)奇妙さ、あるいは不気味さ、通常の現実と似ていながらそれとずれている(いわば「偽物の世界」のような)感覚を与える。
 通常の小説においては、人物の行動や事件の展開のあいだに合理的な因果の連関が設定されているか、少なくとも想像がつくため、そこにおいては要約が可能になり、そのような小説を要約してみると簡潔で受け入れやすいかたちにおさまる。磯﨑の小説は合理的な因果のつながりをとらない。我々の世界の論理=合理的な連関とはちがったつながりを事象のあいだに生みだす。本来道のないところに道すじをつけてしまうその手つきはもしかしたら豪腕と形容してもいいのかもしれないし、舗装された道をそれてわざわざ獣道を進むかのごとくでもある。
 蓮實も引用している満月の挿話を例にとって考えてみると、まずここで書かれていることは我々の世界の物理法則には反している、通常起こりえないことである。通常起こりえないことが起こってしまっているわけだが、そこに合理的な理由づけがなされることはない、なぜそれが起こっているのか読者に(そして主人公にも)明かされることはないし、想像することもできない。つまり端的にいって満月の膨張という現象は、原因不明=謎として提示されている(一般的に言われる「謎」というものは解き明かされることを前提としているのかもしれないが、ここにおける謎とはその解明が不可能な、まったくの謎そのものである)。この満月の挿話が前後の文脈とどういったつながりをなしているのか、それもほとんど明らかではなく、というよりはむしろほとんどつながり=物語の展開に寄与する合理的な連関はなく、挿話は挿話そのものとして単体で、独立して提示されている。実際この月の挿話はその後の物語の展開において何の役割も果たさない。当然、月が何を象徴しているのかといった意味の解釈もそこでは成り立たず(なぜならそういった「象徴」は物語の(合理的な)展開や人物の(一貫性のある)心情などとの関連で機能を果たすものだからだ)、むしろ蓮實重彦が言っているように、この挿話はそれ以外のものとの置き換え、別の意味として読まれることを禁じている(そしてそれこそが磯﨑憲一郎の言う「具体性」の内実であると蓮實は論じている)。
 合理=通常の論理からのずれというのが磯﨑の小説における「奇妙さ」の正体なのか?
 ひとはどういうときに「奇妙さ」を感じるのかということだ。通常考えられないこと、めずらしいことが起こったとき、ひとは「なぜか」とその理由や原因を考える(たとえば、通常ひとを殺すということは考えにくい子供が殺人を起こしたとき、その動機に合理的な説明づけをしようとする)。つまり起こりにくいこととその理由づけとは基本的には一体のものだ(つまりひとは謎を感じると解明したくなる)。通常の小説では、なにか起こりえないことやめずらしいことが起こった場合、そこに合理的な理由づけがなされる。磯﨑の小説にはそれがない。つまり謎は謎のまま放置される。

 その後、読書に入り、ゴーゴリの『鼻』を最後まで読み終えた。正午に至り、次に何の本を読むか迷って決められず、インターネットを回ったり、ギターを弾いたりして時間を使ったあと、上階へ行った。母親は、自転車屋へ出かけてきたと言う。自転車の空気を入れてもらい、その後、「(……)」という、少々割高の豆腐屋まで自転車に乗って行き、おからのコロッケとハンバーグを買ってきたらしかった。それから食事に入って、そのコロッケとハンバーグを食べたが、これが美味しいもので、美味い美味いと何度も言いながらいただいた。食後、食器を片付けると米を研ぐ。
 下階に戻ると日記の記述である。コンピューターに向かい合って書き物をしていると、頭を働かせるからなのか、モニターを見つめるためなのか、心身がやはり固くなってくるようだった。それで一時間で中断し、上階に行き、洗濯物を取りこんだ。ベランダに出て、明るみのなかで寒さを感じさせない緩い風を浴びながら、ああ、この瞬間だけでもう良いのだ、などと思った時があった。タオルを畳んで洗面所に運んだところで、インターフォンが鳴った。出ると、近所に住んでいる老婦人、(……)である。母親と二人で玄関に出て彼女を迎え入れ、こちらもそこに留まって話をした。以前よりも会話に加わって、口が自然とよく動き、相槌もよく打っていたようである。話をしている最中に電話が鳴ったのでこちらが取りに行くと、新聞屋で、いまちょっと手が離せないのだと断って戻り、ふたたび話を続けた。
 (……)は、二月七日が祖母の命日だからということもあって、話をしに来たのだろうが、線香を上げるとは言い出さなかった。饅頭か何かの贈り物を持ってきてくれたのに、母親もお返しに漬け物なり洋菓子なりを袋に入れる。(……)が帰る際には、それをこちらが持って、三人で一緒に、杖をつく(……)に合わせてゆっくりと歩いて、彼女の家の戸口まで送って行った。そのまま細道を下の通りに下りて、母親と一緒にあたりを一周する形で家まで戻る。良い天気だった。坂を上って行き、自家の敷地の前まで来ると、福寿草が咲いたのだと母親が言って、林の近くにあるのを示すので、そこまで進んで黄色い花を見下ろし眺める。そうして見ていると車がやって来て停まったのは、(……)で、我が家の向かいの家でちょっとした商売をしている人である。この人は先日我が家を訪れた(……)の娘なので、降りてきたところに、先日はいただきものをしてと礼を言っておいた。そうして、屋内に入る。
 アイロン掛けをしながら考えたことに、ここ最近は感謝の念が自分のなかに訪れることが多い。それはありがたいことだが、それだけではなく、物事に対して意地悪な見方や、自分は口にするつもりのない言葉が、心中に自動的に浮かんでくるような頭の状態になっている。これが何らかの症状なのか(「両価性」と呼ばれるものではないかとも思うのだが)、それとも自分のなかに本当にそのように思う部分があるのか(しかし、本当に感情を伴っているという感じはしない)、それはわからない。どちらにせよ、そのように頭がごちゃごちゃとした状態であるので、はっきりとした感謝の念が浮かぶとそれ自体がありがたいのだが、しかし今はそれが特別なもののように思われていても、これにも次第に慣れていくはずである。その時に自分は、おそらくまた、感謝という感情が自分のなかから薄くなってしまい、感じられなくなるのではないかということに、また悩むのではないか。と言うか、そのようなことを考えるからには、今現在、既にそういう不安があるということだろう。しかし結局、なるように任せるほかはない。少なくとも現在は自分のなかにそれが訪れる瞬間があるということ、いまはそれをただ生きるしかない。
 自室に帰ると、(……)から来ていたメールに返信をして、美容院に電話し、土曜日の二時に予約を入れた。それからちょっと運動をして、出勤前にものを腹に入れるために上階に行った。食べたのはゆで卵に豆腐である。豆腐には刻み葱を乗せて、鰹節も加えて麺つゆを垂らした。卓に就いてものを食べるあいだ、不安はなかったものの、やはり頭がよく回り、自分は統合失調症になるのが怖かったが、我々の存在は、そもそも本当は安定的な統合などしていないのだ、などと考えていた。自我や思念の動きは本当に動的で、常に動き回って止まず、断片的に散乱させられたもので、自己などとというものはその都度の瞬間に仮に立ち上げられる構成概念だということが、ますます腑に落ちつつあると思った。それでは何によって構成されるのかというと、それは他者との、あるいは自分の外にある世界との関わりによってだろう。
 その後、着替えを済ませて、上階に行き、出るまでにちょっとのあいだと炬燵に入った。向かいでは母親がレシートを並べて出して家計を計算している。携帯電話を渡されて、彼女が読み上げていく値段を電卓アプリで打ち込んで行った。それから出発、この日はさほど寒くなかったようである。三ツ辻まで行くと八百屋が来ており、久しぶりに顔を合わせたが、(……)もいる。挨拶をして、今日は暖かいと言っていると、今日は帰りも歩きかと八百屋の旦那が豪快に笑うので、こちらも笑いで受けた。最近は寒いから帰りは電車に乗っちゃうんですよと(……)に話し、風邪を引かないようにねと言ってくれるのに、ありがとうございます、失礼しますと言って場を離れた。以前は、このように他人とやりとりするのにも緊張と気後れがあったのだが、最近はこうした何でもない会話が好きになってきたかもしれないなと思った。
 街道に出る前、ガードレールの向こうでは紅梅が咲きはじめている。葉鳴りが流れるが、その音のなかで身に冷たさがついてこないのに、春が近いなとの感を得て、「春めく」という語から連想して、キリンジ "車と女"が頭に流れた(歌詞の冒頭が、「春めく フェアレディ うわの空に 思い出の雲をつかむよ」というものなのだ)。道中は、前日と違って殺害のイメージに悩まされることがなく、特段神経症的な思考もなかったようだ。
 労働も落着いて、余計な思考もなく集中していたと言って良いだろうが、ただやはりどこかに苦しさのようなものがあった。落着いてはいるがその裏で、何か早く終わってほしいというような心があって、時計もよく見たようだった。帰り際に、(……)について(……)に話しかけられたのだが、電車の時間が近かったので、今日は失礼しますと帰ろうとすると、最近は電車なんですねというようなことを振られた。最近はもう寒いので乗ってしまう、もう少し暖かくならないと、と返すと、お爺ちゃん、と(……)が笑って洩らし、こちらもそれを受けて笑ってしまった。
 電車で扉際に立ちながら、今の自分は、おそらくほとんど常に自分の意識の志向性が見えているために、何かある意味で、気の休まる暇がないのではないかというような気がした。「永井均先生のヴィパッサナー瞑想についてのつぶやきのまとめ~「不放逸は不死の境地、放逸は死の境涯」」(https://togetter.com/li/652043)で「放逸」と「不放逸」について述べられているが、自分のなかからはもしかすると、「放逸」的な時間が段々なくなりつつあるのではないか。そうすると本当に、瞬間が次々と移り変わって行くというか、留まることを知らない時間の流れに押し流されているような、まるで時間というものに操られているかのような感じを覚えることもあるようだ。そしてそうして流れて行った先には、最終的に死が待っている。
 最寄り駅で下りて、通りを渡る際、近くにいた男性が煙草に火をつけた。坂へ入っていくその後ろをこちらも歩くと、煙草の香りが漂ってきて、それが不快でなく思われて、こうしたささやかさをやはり自分は書きたいのではないかと思った。出口が近くなったところで見上げながら下って行くと、木々の影の合間に星が映っている。
 帰宅すると、職場からもらってきたラスクをポケットから出して母親に示し、着替えに行った。食事は、天麩羅である。ほか、米に、薄いジャガイモなどが入った野菜の汁物、ブロッコリーと人参に、ワカメの和え物だった。テレビはオリンピックのカーリングの、日本対韓国の試合を映しており、カーリングというのはルールもきちんと把握していないほど馴染みがなかったが、父親とちょっと話しながら見てみると、なかなか面白いものだった。
 入浴したのち、室に帰って歯を磨きながら、ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』を読んだ。その後メモを取り、零時からまた三〇分ほど読書をしたのち就床したが、本のなかに不安について、こちらの身にはリアルだと、その通りだと感じられる記述があったので、引いておく。

 (……)今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先、襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。(……)
 (ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』光文社古典新訳文庫、二〇一二年、13~14)