2018/2/21, Wed.

 一度覚めると、三時頃だった。服薬して寝付き、何度か目覚めながらも、八時半まで眠った。すぐに起き上がることができず、呼吸に集中しつつ、また一方では思考が湧いて回るのも感じながらしばらく寝床で過ごし、九時近くになって布団を抜け出した。
 上階に行って、母親に挨拶する。今日はどこかに出かけるのかと訊くと、その予定はないとのことだった。便所に行って用を足し、洗面所で顔を洗う。食事は、前夜のおじやの残りに、これも前日の料理だが、ジャガイモに魚とキノコをトマトソースで和えたもの、あとはポテトサラダである。前日にやっていた『マツコの知らない世界』を録画してあるという話だったので、それを見ようと母親に誘ったところ、あとで、昼食後にしようとの返答だった。ものを食べ終えてから新聞を少々めくり、食器を片付ける。
 風呂の洗剤が切れていたので、詰め替え用パックから容器に移しておき、浴槽を洗う。そうして居間に出てくると、母親がちょうど掃除機を掛けはじめたところだったので、自分がやると手を差し出し、受け取って床を掃除した。一通り終えて良かろうとスイッチを切ったあたりで、トイレのなかは、と訊かれ、そこはやっていなかったのだが、トイレは今度と緩く落として終いとした。そうして白湯を持って下階に行く。
 いつも通りコンピューターを点けて、記録の記入である。日記を書き出す前に、また自生思考についてちょっと検索してしまった。統合失調症には「思考化声」という症状があり、これは考えていることがそのまま声になって聞こえるというもので、それだけ聞くと自分にも当て嵌まるようだが、どうもこれは基本的には、「外部から」聞こえるものとして表れるようで、そこは自分の症状とは違う点である。自分は大体常に頭のなかに独り言や音楽が流れているような感じではあるが、それはあくまで自分の脳内に留まっているもので、自分の外側から声として聞こえたり、逆に自分の外側に洩れたりしているとは感じられない。この点、自分は少なくとも今のところは統合失調症とは診断されないと思うが、この先そうならない保証はどこにもない。
 また、自生思考に関連して、以前にも閲覧したことのある、「頭がさわがしい,次々と考えや映像が浮かぶ「思考促迫」とは何かー夏目漱石も経験した創造性の暴走」(https://susumu-akashi.com/2015/11/gedankendrangen/)というページもふたたび少々読んだ。さらにそこから、「ハイパーグラフィアの私は「書きたがる脳 言語と創造性の科学」について書かずにはいられない」(https://susumu-akashi.com/2013/03/hypergraphia/)という記事にも飛んで、「ハイパーグラフィア」というものの存在を初めて知った。ここで紹介されている本の特徴によると、以下のようなことらしい。

1.同時代の人に比べて、大量の文章を書く

2.外部の影響ではなく、内的衝動(特に喜び)に促されて書く。つまり報酬が生じなくても楽しいから、あるいは書きたいから、書かなくてはやっていられないから書く

3.書かれたものが当人にとって、非常に高い哲学的、宗教的、自伝的意味を持っている。つまり意味のない支離滅裂な文章や無味乾燥なニュースではなく、深い意味があると考えていることについて書く

4.少なくとも当人にとって意味があるのであって、文章が優れている必要はない。つまり感傷的な日記をかきまくる人であってもいい。文章が下手でもいい

 これを見る限り、自分は結構な程度、この「ハイパーグラフィア」に当て嵌まると思われる。もっとも二番に関しては、以前はこのような記述が完全に当て嵌まっていたが、最近では留保が挟まるもので、今、自分は一応このように日々の生活を記していても、喜びなどの内的衝動は特段にないし、楽しいという気持ちや書きたいという欲望も、書かなければならないという義務感や使命感も感じない。何かのきっかけがあれば、別に書くことをやめてしまっても良いのではないかという気もしないでもない、そのような状態なのだが、それでも何故か、毎日書き続けている自分がいるというのが実状である。以前は本当に、死ぬまでのすべての一日を記述するのだという妄想的野望を抱き、それが自分がこの生で成すべきことだと強く思っていたのだが、もはやそのような野心も自分の内には感じられない。ほかにやることもないからなあ、というような気分がもしかしたら最も近いのかもしれない。ともかくも、自分の頭あるいは心がやめたくなれば勝手にやめるはずなので、自らの向かう先に任せようと思う。
 時間が前後すると思うが、巡回先のブログを回っている際に、「R.S.N」というブログの二月一五日の記事に目を惹かれた。このブログおよびその書き手である(……)という方については、(……)経由でその存在を知ったのだが、この一五日の記事は、大体全篇良いと思うが、電車から女子高生が降りて行ったのを見ての物思いの段落、褥瘡治療の段落、そして最後の段落が特に良い。(……)の書き方というのは、(……)が昔、「白い」エクリチュールというものがもし実際にあるとしたら、彼のそれが真っ先に思いつくという風に評していたと思うのだが、何か独特の良くわからない質感があって、何と言うか、常にある種の柔らかさを失わないというようなところがあるような気がする。例えばこの日の記事のなかでは、先にも挙げた電車内の段落の内に、「他人には他人の時間があって、彼ら彼女らはその中に生きているのだろうが、そこでまた別の目的や希望や絶望や倦怠をかかえているのだろうが、それはわかるが、しかしその理解は理屈に過ぎず、かの高校生の実際の生、そのたった今の時間と、これまでの僕の時間と、これはほとんど並立していながらまったく混じり合うことはない、…そんなことを、こういった見知らぬ場所の、突拍子もない時間の、その刹那の瞬間には、思い浮かべやすいというものだ。ほんらい別々にあるはずの世界がたまたま今ここに隣接したとか、そういうことではなく、この私の今までとこれから、その膨大さと同じだけの大きさが、あの停車駅で降りていった誰かの内にも存在していた、というか今もそう」という記述があるが、「というか今もそう」というこの一文の締め方にこちらは注目させられたもので、それまで少々、緩くうねるような感触を見せながらやや思弁的な事柄を述べてきたところに、口語的なこの一言が差し挟まることによって、記述の流れがふっとほぐされるというか、そんな風に感じられる。褥瘡治療の際の、人々やそこにある動きへの観察も良いのだが、こちらが一番心を惹かれたのは最後の一段落だったので、この部分をここに引用させていただきたい。

生きていて、生活していて、色々見たり聞いたりして、面白いこと、書かれたら良いと感じること、残されるべきだと思うことなど、いくつもあるが、しかし、書かれたものの面白さというのは、それらすべての再現というより、それらの代替になるように作用しなければいけないんだろうとも思う。書かれたものは書かれたものとして、現実と呼ばれる何かとはリンクしない書かれた限りでの事実それ自体でしかなく、その裏側から、過去とか、記憶とか、あるいは作者とか、背景というか、テーマというか、モチーフにされたもののイメージが、その香りが、状況によっては後付けで香ってくることも、あるかもしれないが、それはそれで、書かれたものは原則として何の裏付けもなく、それ自体としての事実性をもって存在する、そんなことでなければいけないはずだ。僕は反動的なところもあるかもしれないが、まったくありえないはずのことがありえたという喜びのうちに留まることは、それほど悪いことではないはずと思いたく、でもこの香りが良いから、それを別の媒体にこすり付けて、それをその香りとして楽しもうとしてはダメなのだ。別の物体の別の現れが、結果的にその香りと結びつくことはあるかもしれないし、人と人も、行為と行為もそのように響きあうことがあるかもしれない、というか、そうでなければいけないはず。収容所体験を語っても死者はよみがえってこないが、かつてその場所があり生があったことの(再現ではない)手触りを、語りは再生させるはずだ。そのときに物理的な時間や空間の飛躍が、ある意味奇跡のように目の前に実現されていると言って良いはず。

 早々にゼーバルトを読むはずが、そんな風に時間を過ごしてしまい、また一一時前からここまで一時間弱、日記を綴って、もう正午が近くなっている。
 W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を読む。どこがどうとはわからないが、なかなかに面白く、読み応えがある。この日の天気は曇りで、太陽の影が白い空のうちにうっすらとあったが、陽射しというほどのものはなかった。その後、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』の書抜きをして、ちょうど一時になると上階へ行った。
 母親は既に食事を済ませていた。赤飯が炊いてあり、ほか、茄子の炒め物や、納豆にワカメとハマグリの汁物があった。食べながら、録画してあった『マツコの知らない世界』を見る。前日に途中まで見たものの続きで、口笛特集である。見ながら笑いを立てるのだが、しかし同時に、くだらないのではとか、どうでも良いのではというような思念が湧くのも感じていた。くだらないと思いながらも笑ってしまうということは人間あるものだと思うが、そういうことでもなく、自分の感情が分裂しており、どちらなのか確定的にわからない、というような感じなのだ。
 皿を洗ったあと、炬燵に入った。熱に温められて心地良く、自ずと目を閉じてしまう。少々休んで下階へ行き、ギターを弄ったあと、自室でコンピューターに向かい合い、娯楽的な動画を眺めた。見ながらよく笑っている自分がおり、仮に本心から笑っているのかどうかわからないにせよ、ともかくも笑えるということは良いことなのだと思った。
 そうして日記を綴る。一時間を費やし、前日、二〇日の記事まで仕上げる。その後、Oasis "Wonderwall"を流して腕振り体操をちょっとやったあと、上階へ行った。ゆで卵を食べたのちにシャツを一枚アイロン掛けし、下階に戻って歯を磨いた。そのあいだ、言語というものやその無根拠さについて、ひいてはこの世界そのものの、あるいはその分節のありようの無根拠さについて思考が巡ったのだが、まったくまとまらず、その内容は覚えていない。しかし、他者こそがやはり自らの正気を保証してくれるのではないか、自分の言語的=意味論的体系を、自分のものと似通ってはいながらも微妙に違う他者のそれと交わし合い、調整することによって、世界像というものが保たれるのではないかというようなことを考えた瞬間はあった。
 服を着替えて、出発である。坂の途中で、犬を連れた(……)と会った。こんにちはと挨拶をすると、今日はまた寒いね、と返ってくるので、はい、と笑みで答える。行ってらっしゃいと言うのに、ありがとうございますと返して、通り過ぎた。
 道中、やはり思念が巡るのだが、一つにはこのように、思念ばかりが蠢くようになって、印象として引っかかってくるものがあまりなくなってしまったなと考えた。ずっと以前は「具体性の震え」と呼んで、この世界の事物の様相が鮮やかに現れてくる瞬間を折々に感じており、自分の書き物というのは、初期のうちはそれを記したくてやっていたようなものだったと思うが、最近ではそうした特権的な瞬間があまりなくなってしまったようだ。また、思考や記憶が断片化の一途を辿っているというか、今まで保たれていたその体系が解体されつつあるような風にも思われた。
 勤務を終えると、電車の時間が迫っていたので、駅の通路、降車した人々が前から流れてくるなかを、小走りに進んだ。電車の最後部、扉際に就き、目を閉じて走行の音を聞いた。最寄り駅のホームに降りて見上げると、月のない夜空で、そう言えば今日は曇りだったなと思い出し、同時に、前夜には弧を下に向けた細い月を見たという記憶も蘇った。
 帰宅すると何か良い匂いがしたので、ストーブの前に座って、炬燵テーブルに就いた父親に訊くと、天麩羅だということだった。母親は下階に下りたところだと言う。着替えてきて、食事は赤飯に天麩羅、野菜の汁物、小松菜に人参、キャベツといったメニューである。天麩羅がうまく、食事の最初にバランス悪くそれと米ばかり食べてしまった。テレビはカーリングを映しており、食べるかたわらに見つめたが、スイスとの試合で、日本は最終的に負けてしまっていた。
 その後、スピードスケートの映像が映る。日本が金メダルを獲ったと言う。父親はテレビに向かってつぶやきを色々洩らし、実況も熱が入って世紀の試合と言っていたが、こちらには凄さがよくわからないまま、ともかくも映像を見つめた。皿を洗ったあとストーブの前に座ると、金メダルを獲った日本女子チームにインタビューがなされ、三人目の人が、勝てた要因はとか訊かれてちょっと困惑しながら、応援が自分たちの力に変わったし、四人で一体になって力を合わせることもできたと、ありきたりなことを答えていた。インタビュアーは、四人目にはチームへの思いをと向け、選手は本当に最高ですと答えて、そのあとに対話者から視線を外して横を向き、皆、ありがとうと呼びかけたのに、四人が笑い合って、それに誘われてこちらも父親も自然と笑いを浮かべた。
 その後入浴したのだが、湯に浸かり、温冷浴を行い、束子で身体を擦るその二、三〇分ほどのあいだに、実に頭がよく回った。一体、原稿用紙何枚分の言葉がこちらの頭のなかを駆け抜けて行ったのか。しかし、湯船に戻って我が身を振り返って驚いたのだが、今しがた考えていたはずのそうした思念のうち、ほとんど覚えていることがなかったのだ。しかし一つには、自ずと笑えるとか、飯が美味いとか感じられるというのは、普通のことであっても、無数の偶然的な要素がうまく噛み合い重なってそうした瞬間が生まれているわけだから、やはり幸運な、ありがたいことなのだと思っていた。もう一つには、またもや言語や分節の無根拠性というようなことについて頭が巡ってしまったのだが、こうしたことを考えていると世界が解体してしまうのではないかと思いながらも、一向にそうした気配はなかった。年始のあの騒ぎがやはりそうだったのかもしれない、常に頭に言語が渦巻いて止まず、目の前に見ているものが霞んでくるようなあの状態は、もう体験したくはない。あのまま行っていたら、自分は正気を失っていたのではないかという思いはやはりある。だから、この世界の無根拠性とかいうことについても、自ずと考えが巡ってしまう時があるのだが、そんなことを考えていると狂うかもしれないとの懸念も、それに明確な不安は感じなくなったものの、拭い去れずにいまだある。認識論とか存在論とか形而上学を考える哲学者という連中は、一体どうしてそのようなことを考えながらも、不安を感じず、明晰で強固な自我を保ったままでいられるのだろうか?
 思念を巡らせてばかりいたので、自分が髪を洗ったのかどうだったのか、その点がどうしても思い出せなかった(こうしたことは以前にもあった)。多分洗ったのだろうと思ったのだが、髪に触れてその感触を探ってみてもよくわからなかった。風呂から上がり、身体を拭いて髪を乾かしながら、いっそ自分はいつか狂うということを、確定的に信じてしまったほうが気は楽なのかもしれないなと思いついた。いつか自分が死ぬというのは確実である。それを一応今は受け入れられているように(本当にそうかという疑念、また、この先受け入れられなくなるのではないかという疑念も勿論あるが)、自分は狂うということを、先取りされた事実として確定してしまう[﹅18]ということだ。
 洗面所を出ると、父親は歯磨きをしながら落語を眺めていた。こちらは自室に帰って手帳にメモを取る。その振舞いが、熱を帯びている。行動だけを見れば、自分は書く意欲を全然なくしていないように見える。しかし内面の感じとしては、強い欲望に駆られているという感覚はない。見る自分と見られる自分の分離が進みすぎてしまい、観察者の感覚と被観察者の感覚が一致しないようになってしまったのだろうか? ともかくも、不思議なことである。
 歯磨きをしながらゼーバルトを読み、その後、零時四〇分まで読書を続けてから就寝した。




エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』河出書房新社、二〇一七年

 ある夜、パリが暴風雨に見舞われて、突然目が覚めた。屋根裏部屋の小さな窓を閉め、肩からショールをかけ、いくぶん楽しみながら雷鳴を聞き、稲妻が光ると面白半分に怖がってみた。その時、数日前にバルセローナで耳にしたフアン・ベネットの言葉が突然思い浮かんだが、あの日もやはり暴風雨が吹き荒れていた。そのとたんに、『教養ある女暗殺者』の結びの箇所を後回しにして、べつの小説を書きはじめたいという気持ちになった。机の前に座ると、結局のところ自分は地中海人なので、海水浴客でにぎわう夏は俗悪な感じがして嫌だが、太陽と海には魅せられる。暴風雨の中、机の前に座り、新しい小説の最初の一節を気分よく書きはじめた。《私は太陽と砂、それに塩辛い水を愛している》。そのあと一ページを使って自分が地中海にどれほど魅せられているか、その思いを書き綴った。ところが、どうしても二ページ目に進めなかった。《今日、小説の最初の一ページを書き上げたけれども、どういう展開になるのか見当もつかないんだ。ただ、この一年はそれが固執観念のようになってぼくに付きまとってくるだろうな》とベネットが言うのを聞いた。私もすでに一ページ目を書き上げていたものの、小説がどういう展開になるか分からなかった。ここまでは完璧というほかはないほどまったく同じだった。しかし、そこからが違った。私は何時間も、一年間自分に取りつくはずの固執観念の訪れを待ち続けたが、徒労に終わった。話は変わるが、一年(end230)間取りつかれる固執観念とはどのようなものだろう? 最初に考えたほどことは単純ではなかった。それに、固執観念は正確に言うとどのようなものなのだろう? 翌日、嵐は収まっていた。私はうなだれ、屈辱感に打ちのめされて『教養ある女暗殺者』に戻った。午前中、何時間か執筆に充て、そのあとスペインのスポーツ紙を買うために外出し、バック通りにある安価な中華料理店で昼食をとることにした。その店へ行く途中でマルティーヌ・シモネとすれ違った。彼女と食事ができるならすべてをなげうってもいいと思った。ところが、彼女は急ぎ足で反対側の歩道に移ると、昨晩はひどい嵐だったわねというようなことをジェスチャーで伝えてきた。そして、角を曲がって姿を消した。太陽と砂、それに塩辛い水を愛していると伝えることさえできなかった。その方がよかったのだろう。というのも、もしそうなれば調子に乗ってたとえば、《一年前から君はぼくの固執観念になっているんだ》と言わずもがなのことを口にしかねなかったからだ。
 (230~231)

     *

 (……)しかし、数秒後、今もってなぜだか分からないのだが、私たちはばかばかしい口論をはじめた。彼は私に向かって、いつになく執拗に、この地区の若い芸術家たちは鼻持ちならないと言った。《若い連中の人生には計画性もなければ意味もない》と言った。《パイプをくゆらせ、カフェを渡り歩き、四六時中アブサンを飲まなければと思い、家主に家賃を払わないことが立派なことであるかのように思い込んでいる、そうすればより芸術家に近づけると思い込んでいるんだ》。そう言われて私は本当に落ち込んでしまった。私の人生には計画性も意味も欠けていた。あそこまで手厳しく真実を突かれたことはそれまでに一度もなかった。
 数分後、屋根裏部屋に戻ると、いつものようにそっとドアを閉めた。その音を聞いて、永遠の眠りについた死者の上に冷たい墓石がのせられる日も、きっとこんな風なんだろうなと考えた。自分はどこで死ぬのだろう? たとえば、今夜死ねば、姿が見えないというので探し回り、死体になった私を見つけるまでに長い時間がかかるだろう。数日のうちに、この屋根裏部屋で死体が腐敗し、異臭が漂いはじめ、ドアが叩き壊されるだろう。
 そんなことを考えているうちに、私は無意識のうちに両手で顔を覆っていた。孤独、不安に満ちた探求、日々出会う不条理な出来事、そうしたものが私の世界の一部を作り上げていたが、ものを書く上では何の役にも立たず、むしろ苦しみを増すだけだった。ほかの作家たちが自分の不安を大いに活用して小説を書いていることは知っていた、というかそういう話を聞かされていた。ところが、私は自分の不安を生かして作品を書くためにどうすればいいのか見当もつかなかったのだ。私は両手で顔を覆ったまま、床に敷いてあるぞっとするようなマットレスの上に倒れ込み、これ以上(end234)何も考えないでおこう、意識を消し去り、理解も分析もしないようにしようと心に決めた。知恵というのはおそらくそういうことなのだと考えた。しかし、何も考えまいとすること自体何かを考えることなのだと思い当たったとたんに、苦々しい思い、不安といった苦悩がふたたびよみがえってきた。あの頃の私はそうしたものを自分の文学に移し替えるすべをまだ知らなかった。
 そうして悩み苦しみいろいろ考えたおかげで、自分の抱えている問題を作品に移し替え、すでに出来上がっている[﹅11]世界観を持っている作家というのは実のところ滑稽だと考えるようになった。というのも世界がまだ出来上がって[﹅6]いないからこそ文学が可能だからである。それとも、私の世界がまだ出来上がっていないだけなのだろうか? もう一度外に出て、アルフォンソを思い切り殴りつけてやろうと思った。しかし、幸いにもそれが自殺行為だということにすぐに気が付いた。というのも、彼は何といってもプロボクサーだったのだ。それに、本当のことを言ってくれた彼に対して腹を立てるべきではなかった。それはともかく、私は大急ぎで自分の墓のように思えはじめた屋根裏部屋をあとにして外に出ると、何も考えずにジャコブ通りに向かった。何も考えず、何も分析せず、無になろうとして(もっとも、私は何者でもなかった)、落ち込んだ気分でチーズ・ケーキを、無意味なケーキを買いに走った。
 (234~235)