2018/2/24, Sat.

 五時頃だったかに一度覚めた時に服薬をしたが、それからあまりスムーズに寝付けなかった。目を閉じていると、何故か自ずと、瞑想時のように瞑目の視界に靄の流れが湧いており、意識が沈んでいかない感じがしたのだが、これはもしかすると、前日に音読をしすぎたためなのかもしれない(前日は合わせて五時間強、文を読んでいる)。しかし夜が明けるまでには入眠し、最終的に九時一五分に覚醒した。しばらく寝床に留まってしまうが、このあいだ、思念の流れが以前よりも小さく遠くなったように感じられて、あまり気にならなかった。
 上階に行く。ストーブの前に座っていると、父親が洗面所から出てきたので、挨拶をした。こちらも洗面所に入って顔を洗い、嗽もする。食事は炒飯である。それをよそって電子レンジで熱し、冷蔵庫にワカメや玉ねぎのサラダの残りがあったので、一緒に卓に並べて食べた。父親は今日休みで、クリーニング店に行くらしく、灰色の布袋を持って出かけて行ったので、行ってらっしゃいと声を掛けた。母親は卓の向かいに就いて、どうしようかと迷ってみせるのは、ここで(……)(姪)が初節句で、前日に(……)から贈り物が届いたのだが、三月三日までに(……)(義姉)のほうまで送らないと、ということだった。昨日(……)から荷物が届いたということを(……)に知らせておくか、それとも我が家の贈り物と同じタイミングで、一緒にまとめて送ってしまうかと言うので、後者のようにして、その時に(……)の贈り物についても触れて連絡しておけば良いのではないかと答えた。母親は今日は認知症サポーター養成講座というようなものに出かける予定があって、それがイオンモールで開催されるものなので、早めに行って贈り物を見繕ってくるつもりらしかった。
 食後、温かい汁物も飲みたいなという気になり、即席の味噌汁を飲もうかと思ったところで、ガスコンロの上の鍋を覗けば、前日の汁物がちょっと残っている。それでそれを温めてよそり、ヨーグルトとともに卓に運んで、追加で食べた。そうして皿を洗い、風呂場の束子をベランダに干しておき、風呂桶を擦って洗う。母親はそのあたりのタイミングで出かけて行き、こちらは白湯を持って下階に帰った。
 コンピューターを点け、前日の記録を付けたり、インターネットを少々覗いたあと、一一時から読書に入った。ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』である。読むのはもう四回目か五回目くらいではないかと思うが、音読しているとやはり、書抜きたいなと思う箇所が見つかるものである。下に一箇所だけ引いておくが、これは、後段のうち「だめだ、僕にはうまく言えない、ちゃんと気持ちがこもらない。でもどうしてなの、と夫人は考えた」という部分、内面の発話=台詞が直接に接しながら記述の焦点がタンズリーから夫人に移っている、その転換の素早さ、鮮やかさにはっとするような感覚を抱いた点である。

 (……)道端で一人の男がポスターを貼っているところだった。大きなひらひらした紙が平らに広げられ、ブラシの一刷けごとに、多くの足、曲芸用の輪や馬、きらきら光る赤や青が鮮やかに姿を現わし、やがて壁の半分ほどがサーカスの広告でおおわれた。百人の騎手たち、二十頭の芸をするアザラシ、ライオン、トラたちが……夫人は近視だったので首を伸ばして読みあげた……「もうすぐこの町にやって来る」 でも片腕の人があんな梯子の上で働くなんて危ないわ、と思わず彼女は大声になった――二年前、あの人は刈取機に巻き込まれて左手をなくしたんです。
 「皆で行ってみましょうよ!」 また歩きだしながら、まるでたくさんの騎手や馬が子どものような興奮を与え、あわれみなど忘れさせたかのように、夫人は叫んだ。
 「行ってみましょう」とタンズリーは彼女の言葉を繰り返したが、自意識過剰でぎこちない言い方になってしまい、夫人をたじろがせた。「サーカスに行きましょう」――だめだ、僕にはうまく言えない、ちゃんと気持ちがこもらない。でもどうしてなの、と夫人は考えた。彼のどこがいけないのかしら。彼女は急にこの青年をいとおしく感じた。子どもの頃サーカスに連れてってもらったことはないんですか、と彼女は尋ねてみた。ええ一度もありません。それが一番言いたかったかのように、サーカスなど行ったことがないとずっと前から打ち明けたかったんです、と言わんばかりにタンズリーは答えた。何しろ大家族で、九人の兄弟姉妹がいて、父は労働者階級ですから。
 (ヴァージニア・ウルフ御輿哲也訳『灯台へ岩波文庫、二〇〇四年、21~22)

 一二時二五分まで、一時間二〇分のあいだ読んだが、過ぎてみると時間が経つのがあっという間だなという思いが湧いた。その頃には父親が帰ってきており、階上に人が動く気配があった。こちらは読書後、目を閉じてしまって、しばらく微睡みのなかに入った。微睡みとは言っても、意識は保たれており、無数の思念や言葉が素早く、細く勢いの良い水流のように流れて行くのが見えていたが、そのどれも記憶には引っかからず、ただ流れすぎていくのみで気になることもなかった。一度目を開けると二五分が経っていたが、今度はもっと横たわった姿勢になってふたたび目を閉ざしてしまい、そうすると安穏とした心地良さが訪れる。一〇分後、父親の足音が階上に聞こえたのを機に起き上がった。
 何をするかと迷う心があってインターネットを覗いたのだが、結局、やはり日記を書くかという気になって打鍵を始め、ここまで記して一時四五分になっている。
 さらに前日の記事を続けて書き、仕上げると二時二〇分、上階へ行った。洗濯物を取りこんでから、食事を取ることにした。炒飯の残りがあったのでそれと、冷凍食品のたこ焼きを六個、袋から皿に出して温めた。卓に移動すると、テレビは点けずに静かにものを食べた。父親は外で何か作業をしていたのだが、これはどうも最近、テーブルと椅子を手製で拵えているらしい。それを家の南側のスペースに置いて、隣の(……)や近所の人など呼んで、お茶でもしたら良いじゃないかという話のようだ。
 こちらはその後、タオルを畳み、アイロン掛けをして、下着や靴下も畳んで炬燵テーブルの上に並べておいた。時刻は三時過ぎだった。下階に戻ると兄の部屋に入ってギターを弄った。三時半過ぎまで弾くと自室に戻り、日記の読み返しを行った。昨年の二月二四日は川に散歩に行っているのだが、川面を眺めての記述が我ながらなかなか緻密に書けているものだと思われたので、下に引く。

 自分の立っているあたりを境にして、背後、西側の水面は底が透けて、錆びついたような鈍い色に沈み、その上に無数の引っ掻き傷めいた筋が柔らかく寄って渡るだけだが、境のあたりから流れの合間に薄青さが生じ、混ざりはじめて、前方の東側ではそれが全面に展開されていた――空の色が映りこんでいるのだが、雲の掛かり、時間も下って灰の感触が強くなった空そのものよりも遙かに明度の高く透き通った、まさしく空色である。水面は鏡と化しながらも、液体の性質を保って絶え間なくうねり、反映された淡水色の合間に蔭を織り交ぜながら、青と黒の二種類の要素群を絶えず連結、交錯させて止むことがない。視線をどこか一部分に固定すると、焦点のなかに、無数の水の襞が皆同じ方向から次々とやってきては盛りあがり、列を乱すことなく反対側へと去って行くのが繰り返されるのだが、見つめているうちに地上に聳える山脈の縮図であるかに映ってくるその隆起は、すべて等しい形のように見えながらも、まさしく現実の山脈と同じく、一つ一つの稜線や突出の調子にも違いがあり、言語化など不可能なほどに微妙な差異を忍びこませながら、それを定かに認識して意識に留める間も十分に与えないうちに素早く横切ってしまう――その反復のさまは、催眠的と言うに相応しかった。

 さらに二〇一六年一〇月一三日も読んだのだが、なかに、「高速で移り変わって行く思念を追いかけ」とか、「横になってからも脳内を言葉や声が駆け巡り」などとあるので、自分の頭は概ね、以前から今と同じような感じだったのだ。言語に習熟して思考が多少速くなったということはあるかもしれないが、道を歩きながら、自分は本当に、頭のなかで常に独り言を言っているなと思ったり、それに意識を向けすぎて知らぬうちに声に出してはいなかったかなどと思った記憶もある。以前はそれが大丈夫だったのだが、それが年末年始の騒ぎで、思念の存在そのものが神経症の対象になったというのがこのところのこちらの苦しみの実情だろう。分類としては、やや特殊かもしれないが、雑念恐怖というものにあたるのだろうか。今はもうだいぶ慣れてきたので、このまま慣れていければそれで良いと思う。
 インターネットを回ってから他人のブログを読むと五時半前である。運動を行った。気分ではなかったので、音楽は流さずに身体を動かし、筋肉トレーニングも行った。それから上階へ行くと、母親は既に帰ってきており、台所で料理を行っていた。こちらは職場での会議のために七時過ぎには家を発たなくてはならなかったので、ゆで卵と豆腐を用意した。認知症サポーター講座は良かった、寸劇などもやって泣けたと母親は話した。それから父親について、夜遅くまで酒を飲んでオリンピックを見ながら騒いでいる、あれが嫌だという風に愚痴を洩らすのだが、こうした愚痴には以前は苛立っていたところ、最近はほとんど気にならず流せるようになり、苛立ちというほどのものも湧かなくなった。これが、精神安定剤を服用しているために心が落着いているからなのか、ヴィパッサナー瞑想的な自分の感情に巻き込まれないという姿勢がより身についたということなのか、確かなところはわからないが、多分両方あるのだろう。食後、こちらは勝手口に出てストーブの石油を補充したり、翌日が廃品回収だったので新聞を縛ったりしたのだが、母親はそこで、身体の痛みを訴えた。右半身が頭から脚まで痛いと言う。そう聞くと、脳の病気を疑ってしまい、もし本当にそうだったらどうしようという不安な思いが湧くのを留め得ない。台所で作業をしていると寒くて、立っていると辛くなって座りたくなると言うのに、とにかく精密検査を受けたほうが良いと応じた。こちらとしてはとにかく、頭に何かあるのではないかとその点が気に掛かって仕方がない。一年前だかに詳しい検査を受けた際には、腰のあたりだか、背骨がすり減っているということを言われたらしく、それで神経に来ているということも考えられる。ソファに座りながら話を聞き、とにかく精密検査を受けることと、自分に合った運動やストレッチを見つけることだろうと話を締めくくった(こちらとしては、身体をほぐすという点でやはりヨガが良いのではないかと思い、ヨガの催しなんかがあれば行ってみたらどうかと提案した)。
 歯磨きと着替えをし、糞も垂れて七時過ぎに出発である。夜道のなかを出かけて行くというのはやはり何だか物寂しいというか、不安を微かに惹起させられるような感じがした。どうせ歩くのだったらやはり陽光の下が良いものだ。裏通りの静けさのなかに入るのも躊躇われて、車の音や光に耳目を向けながら、また呼吸と足音を意識しながら表通りを行った。
 会議中は、後半、ちょっと退屈さを覚えることもあったが、たくさん笑うことができたのがありがたかった。帰路も歩きになったのだが、街道を行きとは逆向きに進みながら、考えとは自由ではないのではないか、ということを思いついた。人が何を感じ、何を考えるのかは、自分で決定することはできず、感情や思念とは向こうから勝手に湧き上がってくるものであり、言わばそれは我々に「課せられた/押し付けられた」ものであり、我々はそれに対して第一の地点においては受動的であらざるを得ない(だからこそ最近の自分は、自分の考えが恐ろしかったのだ。望んでもいないような考えが自動的に去来し、それによって言わば「洗脳」され、自分が今の自分から変化していき、いつか恐ろしい考えを持った存在へと変貌してしまうのではないかという不安があったのだ)。自由というものがもしあるとしたら、何かを考えるという点にではなく、常に既に何かを考えてしまったそれに対してどう応じるか、無数の思念や感情のなかからどれを拾い上げて自分のものにし、行動に反映していくのか、そうした現実化の水準にこそあるのではないか(あるいはそこにしかないのではないか)。ここのところの自分は、殺人妄想によって少々苦しめられ、自分はまさか本当に人を殺したいと思っているのではないだろうなと怖れた数日があった。しかし今はそうではないと断言できる(この点、自分の精神は安定して、正気を取り戻してきている)。誰かを殺害するイメージが湧くこともなくなったし、もしそれがまたやって来たとしても、自分はそれが一瞬の単なる(感情や欲望を伴わない)妄想、言わば脳の誤作動のようなものだとして真に受けないし、「殺す」という言葉が浮かんできたとしても、それは単なる思念に過ぎず、自分は自分が人を殺したりはしないことを知っている。これが自由ということではないのだろうか? そんな風に思考を巡らせながら、こうしたことについて誰かと話してみたいなと思った。
 歩みの最中はまた、自分の自動感についても考えが向いたのだが、これについては今はあるようなないような、あまりはっきりしない。少なくとも、それが気になって仕方がないということはなくなったので、あるとしても適応してきているようだ。この自動感というものが何なのだろうと考えた時に、それは、死を終末とした生/時間の流れのなかの、その都度その都度の瞬間(それはほかのどの瞬間とも異なっており、そのどの瞬間も本質的にまったく一回性のものであって、純粋に繰り返されることは決してない)に不可避的に「嵌め込まれている」という感覚ではないのかと、そんな言い方を思いついたのだが、これが妥当な言語表現なのか、どういうことなのかは自分でも理解できていない。
 歩いているうちに、近くに街灯がなくて、周囲より一段と暗くなっている一角に差し掛かり、その暗さに気づいて歩調を緩めた時があった。暗闇や、向かいの家の正面に僅かに灯る明かりに目をやりながら、この瞬間、こうした瞬間があるな、と思った。それからちょっと進んで、中学校のほうに入っていく横道の前を越えたあたりでは、本当に夢のように時間が過ぎ去っていくなとの感慨が兆した。
 帰宅して(一〇時半を過ぎていた)、食事は父親が買ってきてくれたフライドチキンに、レタスなどのサラダである。テレビはカーリングのハイライトや選手へのインタビューを映して、父親は笑みを浮かべながらそれを見ていた(少々感動しているような、もしかしたら涙を催しているのだろうかというような調子の声を洩らしてもいた)。
 入浴、時間も遅かったので、束子は足の裏を念入りに擦って、全身隈なくというわけには行かなかった。会議の途中からだっただろうか、頭痛があった(最近は頭の違和感や弱い頭痛が多いのだが、このあたり、まだ神経が整いきっていないということなのではないか)。歯磨きをしたあと、『灯台へ』を少しだけ音読したが、この時、頭痛がちょっとほぐれたような、和らいだような感じがしたように思う(音読で頭を使うはずなので、むしろ助長されるのが道理ではないかという気がするのだが)。零時三五分に就寝した。