2018/2/26, Mon.

 四時半頃に一度覚めて、薬を飲んでから再度入眠した。一体いつになったら、深夜に寝覚めせず、朝までぐっすりと眠れるようになるのか? とは言え、もはやさほどの支障も感じてはいない。起床は八時頃になった。
 上階に行くと、母親は既に(……)の仕事で出かけていた(日曜日に加えて、最近は月曜日の午前も、身体を悪くして休んでいるという人の代理として出ているのだ)。ストーブを点けてその前に座ると、昇りはじめた太陽が南の窓の上枠との境あたりに掛かっている。フローリングの床には陽射しが宿って、ストーブが熱風を吐き出しはじめると、色の変わったその区域のなかに、空中を漂う視認できないほど細かな塵の影なのか、空気の動きが揺らめいて映り、右方に向かってはこちらの影が浮かび上がる。しばらく温まると立ち上がり、台所に入ってハムエッグを拵えて、即席の味噌汁(あさり)とともに食べた。新聞は少々めくりはしたものの、記事を読んではいない。最近は社会的な事柄からとんと離れてしまっており、あまりそちらに気が向かなくなっている。できれば関心を取り戻したいものだ。
 皿を洗ってから風呂を洗おうと浴室に行ってみると、残り湯が結構あったので、これなら湯を抜いて洗わずとも今日は追い焚きで済ませれば良いのではないかと判断した。そうして、白湯を持って自室に戻る。インターネットを少々覗いてから、コンピューターをスリープにして、読書を始めた。ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』である。時刻は九時二〇分だった。例によって急がずに音読をしていくのだが、皆が食堂に集まっての食事と会話の場面など、やはり隅々まで実に隙のない作り方をしているなという印象を持った(訳者の仕事も相当な力添えをしているのではないか)。一文一文の接続、流れにおいて、瑕疵と見える部分がまず見当たらないように思う。様々な人物の思念、そこから生まれる発話、それがほかの人物に与える心理的影響、それらが繰り広げられる場の描写、そこに付される装飾的イメージ、そういった無数の要素を優れた滑らかさで結び合わせ、織り上げて行くその手腕は、やはり稀に見るものだろう。この本のなかにこそ、「小説」があるのだと、そう言ってしまいたくなるような作品である。
 一時間半ほど読んでいるうち、読書の終盤になって母親が帰ってきて、上階でベランダの戸を開ける音がした。また一方で、窓外にも何やら音が立っていたので見てみると、隣の(……)が庭に出て、柚子の樹の傍で何やらやっていた。それからまもなく、水音が聞こえだし、母親が外に出て植木に水をやっているのだなとわかった。こちらはちょうど、第一部を読み終える間近だったので最後まで読んでしまい、一〇時四五分で読書を切りとすると、窓を開けて母親に、風呂は湯が多かったから洗っていないと伝えた。母親は、(……)に話しかけた(耳が少々遠いので、(……)は何度目かでようやくこちらに気づいた)。柚子を取ってジャムにしようかと思ったのだが、棘が痛くてとても取れないと言うのに、母親がこちらに対して、取ってあげたらと言う。こちらも(……)の姿を見かけた時から手伝ってあげようかなと思っていて、異存なかったので、部屋を出て上階に行き、玄関から外に出た。家の南側に回れば陽が落ちていて、空気は暖かである。それで母親とともに、(……)と立ち話をした。明日のこともわからない身だと(……)は言う。本質的には我々の誰もがそうなのだろうが、しかし九七歳にもなるといよいよそうなってくるだろうなと思う。話をしている最中に、自治会の関係で男性が姿を現して、母親はその応対で去って行った。残ったこちらは(……)と少々言葉を交わしていたが、彼女が細長い棒(園芸の支柱に使うような緑色のもの)を持っているのに(それで柚子の実を突いて取ろうとしたのだろう)、おばさん、それ貸してみ、と掛けたのだが、声が届かなかったようで、(……)は去っていく素振りを見せたので、まあいいかと落として、一人残って小さな段の上に乗り、風を浴びたり、あたりに向けて感覚をひらくようにしてじっとした。じきに(……)は、高枝鋏を持って戻ってきたので、改めて手を差し出して受け取り、樹冠のなかに道具を差し込んでいき、二粒を落とすことに成功した。ちょうど二つ目を落としたあたりで母親が、ヨーグルトを持って戻ってきた。彼女の持ったトレイにはまた、キウイフルーツのジャムが入った瓶が載せられており、それをヨーグルトに混ぜて(……)に食べてもらおうと言うのだった(「キウイ」のジャムだと説明を受けた(……)は一度、「胡瓜」のジャムだと聞き違えて、物珍しそうな反応をしていた)。美味い美味いと言いながら(……)はジャムを混ぜたヨーグルトを食べ、そうしながらまたちょっと立ち話をする。そうして別れると、一一時をそこそこ過ぎた頃合いだったと思う。こちらと母親はなかに向かうが、途中、家の東側の、以前は(……)とは反対側の隣家が立っていた敷地に父親の作りかけた椅子とテーブルがあるので、そこに座ってみた。椅子は長いベンチ用のもので、まっすぐな木材を組み合わせて作り、角張ったような形である。母親はこれじゃあ高いと文句を言い、こちらも、背もたれがもう少し高いほうが良かったのにとか、座りの部分がもう少し広ければなどと勝手なことを言ってから、屋内に入った。
 それから居間で、母親の話を聞いた。前日に(……)の仕事に行って、三月いっぱいまででと断りを入れ、また今日は社長の奥さんとも話してその旨を伝えるとともに、月曜日に行っている臨時の配達も、三月は色々とあってできないと断ってきたのだが、しかし午前中の僅か二時間なので、やっぱりやってあげたほうが良いかと迷いはじめたということだった。以前だったら、そんなことはこちらの知ったことではない、自分の気持ちのままに決めろと突き放していたであろうこちらだが、最近は精神性の転換があったので話をしっかり聞き、と言ってやはり、自分でそういう気持ちがあるならばという答えがひとまずは出てくる。そうして話している途中にインターフォンが鳴って話は中断されたのだが、来客は(……)で、先ほどのお礼に蟹缶を持ってきたのだった。母親はそれで、これを早速使おうと言ってサラダを作りはじめるので、こちらも手を洗って、卵を道具で輪切りにし、野菜と蟹の身を混ぜる。そのあいだに先ほどの話題が回帰してきたのだが、ここでは、自分の身体を労ったほうが良いのではないか、もう済みませんがと断ってしまったことでもあるのだし、という風に言った。その後母親は、来週の日曜日に仕事に行った時に、明日も頼めませんかと訊かれたら受けても良いかなという心に至ったようだったが、しかしそうするとやはり来週も、となし崩しに引き受けることになりはしないかとこちらは指摘した。しかし母親としては多分、ひとまず先のような心で落着いているのだと思う。
 母親が買ってきたパンのなかからピザパンを貰い、「どん兵衛」を半分ずつ分け、厚揚げの残りと作ったばかりのサラダで食事を取った。「どん兵衛」はカップ蕎麦と言ってもなかなか美味く、麺の舌触りも滑らかだし、汁も味が良い(カップ蕎麦ごときで満足できる、庶民的なこと極まりない味覚である)。そんなことを言いながらものを食べて、皿を洗うと、気をつけてねと残して下階に下りた。母親は午後からは、今度は「(……)」の仕事である。こちらがギターを弄っているあいだに、洗濯物を入れてねと言いに来たので、目を閉じ、楽器を操りながら返事をした。
 それから自室に戻り、ネットをちょっと覗いてから日記を書き出した。一時前からここまで書いて、一時間が経過している。
 洗濯物を入れに行った。ベランダの空気は穏やかだった。タオルを畳んでアイロン掛けも行ったのち、部屋に戻ってきてふたたび日記を記した。前日の記事を綴って、途中までは集中して行っていたのだが、終盤になって自分のこの行いに疑問が兆してきて、手が止まる時間があった。そのように疑問を持ちながらもともかくも終わらせて、記事をブログに投稿した。
 思考が巡っていた。自分はいまこれをやりたいのかとか、自分が思ったことに対して本当にそうだろうかなどと、自動的に疑問を差し挟む疑いの思考が生じて、頭がまとまらないようになっていた。日記を書いたあとは疲労感があったので、ひとまずベッドに寝転がって休むことにした。じきに布団も被って瞑目したが、そのあいだも頭が勝手に回っているのを感じていた。しばらくすると、幻聴めいた声が聞こえてはっと目を覚ますようになった。強いて言えば「は」の音に近かったが、一瞬の、曖昧なものだった。それでまたちょっと、頭のまとまらなさも含めて、統合失調症になりかけているのではと不安なほうに頭が流れたのだが、しかし以前、昼寝の際にも幻聴めいたものとか金縛りとかは体験したことがあったと思う。
 (……)それで四時半になったので、そろそろ支度をしなければと歯磨きをした。立川で職場の同僚と飲み会の予定があったのだ。服も着替えたあと、五時から少しだけ『灯台へ』を音読して、そうして出発した。
 坂を上って辻まで行くと、時間は五時半で、いつも出勤の際に会うよりも遅かったが、八百屋の旦那や(……)がいて、挨拶をした。いつもと服装が違うのに、今日はどうしたのと言うので、今日は休みで、飲み会があるんですよと答える(自分は酒は飲まないのだが、とも付言した)。(……)が、そういうのには出ないのかと思っていたと言うのには、以前はそうだったのだけれど、最近はそういうのも良いかなと思うようになりましたと返した。そんな風にちょっと立ち話をしてから過ぎて、街道へ出た。道中の際立った印象は特にない。
 駅に入ると電車の一番先の車両に乗り、本を読もうとしたのだが、音読に慣れてしまって電車内で黙読しても意味が頭に入ってくる感じがしなかったので、途中で止めて、その後は瞑目して到着を待った。立川に着くと降り、便所に寄ってから改札を抜ける。ATMで金を下ろし、人波のあいだを抜けて駅を出て、本屋に向かった。オリオン書房のほうでなく、高島屋に入っているジュンク堂書店である。通路を通って行き、道路の上を渡る際には右方を向いて、交差点に停まっている車の灯に目を向けながら過ぎる。ビルに入るとエスカレーターを上って行き、書店に入ると、まず精神医学の区画を見た。その書架の端に表紙を見せて置かれてあった、『マインドフルネスで不安と向き合う』というようなタイトルの本をしばらく読み、すると七時くらいになったと思う。棚を辿って通路を移動し、仏教の区画に行って、ティク・ナット・ハンの著作を発見した。付近のほかのものもちょっと見ながら、『ブッダの<気づき>の瞑想』と、『リトリート ブッダの瞑想の実践』の二つの本を買うことにした。それでレジに持っていって会計をして、退店した。
 駅へと戻る。待ち合わせ場所である小店の付近に行くと、(……)と(……)の姿があった。挨拶をして、残りの一人である(……)を待つ。しばらくすると彼も合流して、居酒屋へと向かった。「(……)」という、辛い鍋の店である。入店すると、地下に続く階段上に並んで待っている人々の姿があり、訊けば三〇分ほど待つと言う。どうするかと言いながら、待つことに決まって、列の後ろに就いた。適当に雑談をしながら((……)はスマートフォンのゲームをやっていた)待ち、階段の下まで来て椅子に座ると、(……)が持っていた何かの参考書を取り出して、皆で語彙の問題を解いたりする。そうしているうちに呼ばれて、卓に入った。
 店には八時頃から閉店の一一時過ぎまで居座ったわけだが、交わした会話のなかで特別に記しておきたいこともない。食事は、鍋は一一段階の辛さが選べるようなシステムだったのだが、こちらは唐辛子の辛さが苦手なので、鍋を二つ用意してもらい、一つは零番、もう一つは辛いもの好きな(……)と(……)用とした。飲み物は、こちらは勿論ジンジャーエールである。ほかの三人は、ビールなり、サワーなり色々と飲んでいた。ほかに、後半塩キャベツとたこわさを頼んで、結構早々に腹が満足したこちらは、終盤はたこわさをつまんでばかりいた。
 後半、酔った(……)の様子がだんだんとおかしいようになり、(……)の水を奪ったりしていたのだが、一一時でもう店は閉店、そろそろ会計をして帰ろうという段になっても、鍋がまだ少し残っているのを全部食べなくてはとこだわり(食品ロスがどうのこうのと言っていた)、辛くて苦しいだろうに無理矢理のように詰め込むという有様だった(そのあいだ、ほかの三人は無言になり、妙な空気が漂っていた)。そうしてようやく退店し(こちらはレジのところにあった飴玉を一個もらって、外に出ると口に入れた)、駅に戻る。そのあいだも(……)はテンションがおかしく、女性である(……)にじゃれつくようにするのを、(……)にガードしてもらうような形だった。それはセクハラになるぞ、などとこちらも制しながら改札内に入り、ホームに降りると一番端まで行ったのだが、(……)はやはり落着かず、酔いに任せてふざけていた(だからと言って険悪な雰囲気ではなくて、少々困ったような空気ではあったが、こちらは結構笑ってしまった)。電車に乗ると、(……)の隣に(……)、そしてこちらに(……)という並びで、(……)を防波堤として(……)を(……)から遠ざけて、車両の端の四人掛けの席を取った。(……)がやや被害を受けていたのだが、次第に(……)も落着いて、少々眠るようになり、後半はこちら以外の三人で、LINE上でふざけたやりとりをして時間を過ごしていた。
 そうして(……)に着くと挨拶をして、こちら以外の三人は電車を降り、こちらはそのまま引き続き乗って、最寄り駅に着くともう日付が変わっている。さすがにそこそこ疲れた感じがあった。帰路を辿り、帰り着くと父親が居間に起きていたのでただいまと言う。そうして室に下り、着替えてから入浴をした。するともう一時、自室に帰って歯磨きをすると、本を読む気力もなく床に就いたのだが、しかし入眠がうまくやって来なかった。それで一度起きて時間を確認してみると一時間が経って、二時二〇分になっていた。眠りの助けにと服薬をして、その後何とか寝付けたようである。