2018/2/27, Tue.

 入眠が難しそうだったので薬を飲んだのだが、そのおかげで寝付くことができた。何度か覚めただろうが、その都度のことは覚えていない。最終的に、九時頃に覚醒した。上階に行くと、母親は(……)へと出かけるところだった。食事のメインとなったのは、おじやである。そのほか、蒟蒻と鱈の料理や南瓜を温めて、朝食を取った。
 風呂を洗ってから下階に戻ると、コンピューターを点けた。前日の記録を付けたり、インターネットを回ったり、前日に買ったティク・ナット・ハンの著書を拾い読みしたりしているあいだに時間が経ち、読書に取り掛かるのは一一時四〇分になった。ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』である。第二部を越えて、第三部、一〇年を挟んでラムジー夫人も亡くなったあと、一同が別荘へ戻ってきたあとまで読み進めた。憂鬱なラムジー氏が女性の同情を求めてリリー・ブリスコウに近づくのだが、リリーはそうした時に相応しい言葉を氏に掛けることができない、ところがそこでラムジー氏の靴が目に入り、素敵な靴だと思わず口走ってしまうとともに、思いがけなくもラムジー氏の様子が穏やかになる、という展開の作り方がうまいように思われた。そのあたりまで読んだところで天井が鳴ったので、読書を切りとして上階に行った。一旦帰ってきた母親が台所にいた。父親が何か呼んでいると言う。それで玄関のほうに出てみると、ちょっと手伝ってくれと言われた。便所で用を足してからサンダル履きで外に出ていくと、テーブルの土台を運びたいということだった。それで二人で向かい合って大きな四角形のそれを持ち上げた。なかなか重いもので、足もとがうまく見えずに何度か躓きそうになるのを何とか避けて、家の南側のほう、空いたスペースまで運んだ。それで屋内に戻る途中、坂を上ったところで、風が吹いて林の竹の葉がさわさわと揺れているのをちょっと見上げた。
 母親はまたまもなく、今度は(……)で何か健康関連の講演があるとかで出かけるということだった。こちらは食事を取ることにして、おじやの残りとカレーパンの半分を温め、サラダもともに食べる。母親はもう洗濯物を入れてしまい、ストーブの前でタオルを畳む。こちらは林檎と小さなチョコレートも二枚食べて、母親が出かけるのを見送り、しばらくしてから皿を洗った。それから、ストーブの石油を入れておいてとのことだったので、タンクを持って勝手口のほうに出た。父親は、ドリル様の工具を使って、椅子にネジを差し込んでおり、奇矯な鳥の鳴き声のようでもある音が時折り立っていた。石油が補充されるのを待つあいだ、風が吹く。思わず寒いなと洩らしながら屋内に戻り、手を洗うと自室に帰った。
 またティク・ナット・ハンの著作をところどころ読んで、それから日記を書き出した。ここまで記すと二時四五分である。
 前日の日記を綴って四時直前を迎えると、身支度を整えて、家を出た。もう薬が尽きかけていたので、医者に行くのだった。家の南側へ下りて、作業を行っている父親に、医者に行くと伝えておいた。そうしてから道へ出る。坂に入ると、右方の遠くに覗く川の響きが立ち昇ってくる。坂を出て平らな道へ入るところでは、近所の家の戸口から、何やら中年女性が訪問して喋っているのが聞こえ、ちょっと進むと樹上から鵯が鳴きながら飛び立った。街道に出る前、ガードレールの向こうの斜面の際に生えている梅を立ち止まって眺めた。紅梅である。先のほうにまだ赤い粒がいくらか残っていて満開とは言えないが、結構花がひらいて、ピンク色を灯していた。
 街道に入って歩きながら、やはりこの一瞬一瞬をよく感じ、味わうような生き方が自分はしたいのではないかと、そんなようなことを考えていた。この世界が途方もなく豊かであるということ、その豊かさの一片であっても、それをこそ書いていきたいというのが、元々の欲望だったはずなのだ。裏通りへ入ると、ジャージ姿の高校生二人が自転車に乗って、後ろからこちらを抜かして過ぎて行った。進んで行くと、先のほうで男女の高校生が何か燥ぐようにして走って行ったり、小学生らが道端で遊んだりしている。歩きながら呼吸を意識するようにしていたのだが、じきに鼻がむずむずとしはじめて、くしゃみも頻発するようになった。擦っているうちに切れたのか、左の鼻の穴の入り口あたりにちょっと痛みがあった。目も痒く、自ずと涙を帯びてくるようで細めてしまう。
 駅に入ってホームに出て、先の方へ歩いていくと、空を二機、飛行機が、そう遠くない高度で機体の形も明瞭に横切って飛んでいき、見上げた先には既に月が出ている。駅の向かいの駐車場で人が乗り降りしたり、車が発進して出ていったりするのを見ながら電車を待った。西の彼方では青い雲が空に大きく盛り上がっており、駅舎のあいだに覗く果てでは、雲と山との隙間に淡く曖昧な陽の色が付されていた。
 電車内では瞑目して到着を待ち、(……)で降りると便所に寄ってから駅舎を出た。居酒屋の店舗から全盛期のモダンジャズが流れ出てくる。ロータリーに沿って離れて行っても、サックスの音が響くのが聞こえた。
 クリニックは人が少なく、こちらの前にはちょうど診察室に入っていた人と、高年の女性が一人いたのみだった。『灯台へ』を読みながら待っていたが、わりあいにすぐに呼ばれて診察室のなかに入った。こんにちはと挨拶し、革張りの椅子に就くと、どうですかと訊かれたのに、だいぶ落着きはしたと答える。しかし、常に頭のなかで独り言を言っているような感じだと続けると、先生は、聞こえているのか言っているのかとか、声として聞こえないかとか(声としてというのは、外からということですねとこちらは確認した)訊いてきた。統合失調症の可能性を考えていたわけだが、こちらもあとになって、自分で調べてしまい、自分の意思を離れた思考というのが統合失調症の初期症状にあるなどとあるので怖くなって、と話した。そのほか、殺人イメージのことや、何かを思った時に疑いの言葉が自動的にそれに続く(例えば、ものを食べて「美味い」と思った時に、「本当に美味いのか?」などと疑問が自動的に湧く)などということを話して、それで今、自分が自分でよくわからないような状態になっていますねと話した。妄想というのともちょっと違うのかもしれないが、そのような奇妙な症状がありつつも、しかしそれに巻き込まれてはいないようなのでと、薬はそのままで様子を見るということになった。現実との区別が付かなくなったり、振舞いがおかしくなったりと、酷くなるようだったら薬で抑える必要があると言うのに、抑えられるものですかと訊けば、できますと端的な返答があった。それが知りたかったとこちらも笑って応じ、あとになって、これで心置きなく狂えるななどと、悪い冗談が頭に浮かんだ。
 会計を済ませて、薬局に行く。ここでもすぐに呼ばれた。丁重なような局員とやり取りをして会計をし、外に出ると六時過ぎであたりはもう暗く、月の白さが濃くなっていた。駅へ戻って電車に乗る。やはり瞑目して呼吸を意識し、降りて乗り換えると、接続の電車が遅れていて発車がいささかあとになるというので、読書をしながら出発を待った。
 最寄りからの帰路の印象は特にない。帰ると着替えて食事を取る。おにぎり、野菜の汁物、モヤシやカニカマのサラダ、菜っ葉とエノキダケの和え物である。こちらが食べる卓の向かいで、母親が何やら作業をしていたのだが、それは姪の初節句で義姉のほうに送る包みを準備していたのだ。こちらが食事を取ったらと言っても、やることが多くて食べられないと愚痴が返ってきた。父親は、我関せずの平気な顔で、酒を飲みながらテレビを見、食事を取っている。番組は、日本の百円グッズを海外の人に使ってもらうというやつである。こちらが食べ終えても母親がまだ食事に掛かれないのが気になって、父親も手伝ってやれば良いのになどと思ったのだが、それで仏間にいた母親のところに行って、包みを紐で縛っているのを手伝った。それから食器を洗い、洗濯物も干すようだと言うので、洗濯機のなかから衣服を籠に取って、居間の隅に干していった。
 そうして、入浴に行った。湯に浸かっているあいだ、瞑目して呼吸に集中する時間を作った。上がって自室へ戻ると、(……)からメールが来ている。翌日に会う約束だったのだが、明日は一二時とあったので了承した。そうしてこの日の支出を計算・記録しておいてから、石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』を書抜く。目が疲れたので一箇所のみとして、その後メモを取って一〇時五〇分になった。
 何だかもう既に眠くなっていた。それなので早々と寝ようと思ったが、その前にちょっとだけ読書をすることにして、ヴァージニア・ウルフ御輿哲也訳『灯台へ』を二〇分ほど音読し、歯を磨いてから就床した。




石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』みすず書房、二〇〇四年

 ここ数世紀の西欧演劇を考えてほしい。その機能とは何よりも、秘密であるとされているもの(「感情」、「立場」、「葛藤」など)を明らかにすることであった。だが、明らかにするための技法そのもの(舞台装置、書き割り、舞台化粧、照明源など)は隠されている。イタリア式舞台とは、そのような虚構の空間なのである。すべては室内で進行してゆくが、その室内はひそかに開かれており、闇のなかにうずくまる観客によって秘密を見やぶられ、見張られ、観賞されている。この空間は、神学的な意味をもつ「罪」の空間なのだった。片方には、光に照らされながらも、そのことに気づかないふりをしている俳優が、すなわち身ぶりと言葉の人がいる。もう片方には、暗闇のなかに観客が、すなわち意識の人がいる。
 文楽[﹅2]は、あからさまに観客席と舞台との関係をくつがえすようなことはしない(とはいえ、日本の観客席は西欧にくらべて、閉塞感や窒息感や重苦しさがはるかに少ないのであ(end95)るが)。文楽が、より根本的な意味で変質させているのは、登場人物から俳優へと伝わってゆく、劇を推進するちからとしての絆である。フランスでは、それが内面性を表現する方法だとつねに考えられている。だが文楽[﹅2]においては、舞台の動作主たちは観客から見えるけれども無表情だ、ということを思い出さねばならない。黒衣の男たちが人形のまわりで忙しく動きまわっているが、巧妙さも慎み深さもひけらかすことはまったくない。いわば、これ見よがしの人気取り的なところが皆無なのである。彼らの動きは、静かで、すばやく、優雅で、きわめて他動的かつ操作的であり、力づよさと繊細さとの融合に彩られている。それは日本的な身ぶりを特徴づけるものであり、効率を美しく包みこんだもののようである。主遣いはといえば、顔を覆っていない。その顔は、つるつるとして、むき出しで、舞台化粧もしておらず、それゆえ一般人の(舞台上の人ではない)しるしをあたえられて、観客が読みとるがままにゆだねられている。しかし、読みとるべきものとして注意ぶかく念入りにあたえられているのは、読みとるべきものは何もないということなのだった。ここで、あの意味の免除が見出されるが、それはわたしたち西欧人にはほとんど理解することができない。なぜなら西欧においては、意味を攻撃することとは、意味を隠すことか逆転することであって、けっして意味を不在化することではないからである。文楽[﹅2]によって、演劇の根源はその空虚な状態でさらされる。舞台から追放されているのは、ヒステリーすなわち演劇そのものであり、そのかわりに見せられているのは、演劇を生みだす(end96)のに必要な行為である。つまり、作業が内面性にとってかわっているのだった。
 したがって、何人かのヨーロッパ人のように、観客は人形遣いの存在を忘れられるかどうか、などといぶかるのは無意味なことである。文楽[﹅2]は、その原動力を隠蔽もしないし、誇示もしない。そうして、生き生きとした演技から、いっさいの神聖な痕跡を取りのぞいて、形而上的な絆を消滅させてしまう。西欧ならば、魂と身体、原因と結果、動力と機械、演出する人と演じる人、「運命」と人間、神と被造物などのあいだに打ち立てずにはいられない形而上的な絆を。人形遣いは隠れていないのだから、なぜ、いかにして、人形遣いを神に仕立てあげようなどと思うだろうか。文楽[﹅2]においては、あやつり人形はいかなる糸によっても留められていない。糸は存在せず、それゆえ隠蔽もなく、「運命」もない。人形はもはや、人間のものまねをするのではない。人間はもはや、神の手中のあやつり人形なのではない。内部[﹅2]はもはや、外部[﹅2]に指図するのではない。
 (95~97)