2018/3/1, Thu.

 四時台だかに一度覚めて、しばらくしてから起き上がり、新しい薬の袋を取って、明かりも点けないまま、ベッドの上で服薬した。多分六時くらいからうまく眠れず、夢をちょっと見てはすぐに覚めるということを繰り返していたのだが、そのなかに暴力的な、あるいは少なくとも雰囲気の良くないものが含まれていた気がする。それを引きずっていたのかわからないが、最後に覚醒したあたりでは、また殺人についての思考が勝手に展開していて、「殺す」とか「殺したい」とかいう言葉が抑えようもなく脳裏に湧き、しかもその対象として漠然と想定されているのが両親であるものだから、恐ろしくなった。あるいは既に不安が身に生じていたので思考が勝手にそちらのほうに向いたのかもしれないが、ともかく不安があると自分の正気に自信が持てず、自分は本当に両親を殺したいと思っているのではないか、このままだといつか本当に殺してしまうのではないかという方向に頭が向いた。呼吸に意識を逸らしてみようとしてもうまく行かず、思考が繰り返しそちらの方向に戻って行くのだが、こうして不安を感じているということは自分はまだ大丈夫なのだなと思い、不安を受け入れるようにしているうちに心が落着いて行って、先ほどのものは脳の誤作動による妄想であると払うことができた。こうしたことを考えても不安を感じなくなったらいよいよ自分は危ないのではとも思ったが、むしろ不安が生じなければ、正気を保って妄想だとして簡単に払いのけられるような気もする。
 あまり解釈をするのも良くないのかもしれないし、精神分析など最終的な答えはないに違いないのだが、こうした症状というのは、他者を尊重したい、他者と協調したいという自分の気持ちから来ているような気がする。それは裏返せば他者を傷つけたくない、他者に危害を加えたくないということなのだが、不安神経症的性向によって、その気持ちが、そうしてしまったらどうしよう、というようなものに変質しており、その最も極端な例として妄想されるのが親しい家族の殺害ということではないのだろうか。
 また、テレビを見たり他人と接したり、ともかく何かの情報を受け取るなかで、それに対して意地の悪いような見方や言葉、批判的な捉え方が自動的に、即座に頭に浮かんでくるのも気に掛かる。以前もある程度はそうだったのかもしれないが、これもやはり、他者に対してあまり悪いような見方をしたくない、良く捉えたいというような気持ちの裏返しなのかもしれない。両価性というものとはちょっと違うのかもしれないが、自分の思考が二極のあいだで次々と移り変わっていくような感じがある。ただ、悪いほうの見方が浮かんでも、そこに感情や不快感が伴っていないことは確かである。とは言え、頭がそんな状態だから、自分の感情というものもよくわからなくなってきている感じがする。もっとも、こちらのレベルの症状に関してはもうわりと慣れた。
 あの頃は自分の頭がおかしかったけれど、今から考えると単なる馬鹿げた妄想だったな、と言える日が来ることを切に願う。
 上のようなことがあったので、起きていって母親と顔を合わせるのもちょっと怖いようだったのだが、ともかくも寝床を抜けて上階に行った。母親に挨拶をして、ストーブの前に座って温まり、洗面所で嗽をすると、アスパラガスとベーコンを炒めて米の上に載せた。それに加えて、前夜に作った味噌汁の残りで食事である。母親は、料理教室の仲間と美術館に行くとのことで、そろそろ出かける頃合いだった。食後、風呂を洗ってからストーブの前に座っていると、真っ赤なコートを着て服装を調えている。前夜から夜通し降っていた雨は既に止んでおり、床に腰を下ろしているあいだ、雲はまだ多いがその薄くなった隙間を縫って陽が射してきて、母親は洗濯物のタオルをベランダの軒下に出した。
 白湯を持って下階に下りる際、階段で行き合わせた母親が、行ってくるねと言うので、気をつけてと返して自室に戻った。九時前から日記を書き出し、ここまで記して九時二三分である。

読書に入る。初め、お天気雨。じきに陽が出て、頬にじりじりと熱いくらいになる。近所の屋根が眩しく発光。濡れた屋根から蒸発。流れる。梅の樹の枝、白く光沢を帯びる。引っ掛かった粒が震えて、色が赤や黄に変わる。
時たま陰りながらも、いつか雲は晴れて、陽射しのある晴天が続いた。正午過ぎまで読み続ける。ウルフはまもなく読み終えて、若竹。
外に出たいような気持ち。しかしその前に、ギター弾いてしまう。音読のあとか、指がよく動くような感じ。それから、外に。出るとちょうど、道の先から、ハイキング的な格好の集団が歩いてくる。家の南側へ。植木の並びとアサガオのネットのあいだに立つ。暖かな陽気。雨のあとの沢の音。女子中学生が帰って行く。陽射しは身体の右方から当たってくる。じきにしゃがむ。驚くほどに滑らかな空気。鼻で吸っても。何の抵抗もなく軽い。見れば、小さな虫。オレンジ色の羽虫。翅を広げて飛び、アーチ状のやつに乗る。目を離した間にいなくなっていた。見下ろせば、蟻や蜘蛛が湿り気の残った土の上。
屋内に戻る。鼻がむずむずしはじめていた。昼食取ることに。洗濯物も出しておく。タオル類を。昼食は、ベーコンとハムにエリンギ炒めることに。米がなくなる。すべて丼に。その上に炒めたものを乗せる。あとは即席の味噌汁とゆで卵。
食後、自室へ。また読書することに。二時過ぎまで読み、一旦上へ。米を新しく研ぎ、洗濯物を入れて畳む。アイロンも。この時、先ほど出せばよかったのだが、バスタオルの一枚や肌着類などを出していなかったので、出しておく。
室へ戻ると、日記読み返し。また、音読の効用も検索。三時半頃になって先ほど出したものを入れに。戻ってくると、(……)のブログを読む。音読のおかげなのか、この時気分が明るいようになっていた。それでさらに読もうと、四時からまた読書へ。五〇分ほど読み、一日で一気に読み終えてしまう。
『おらおらでひとりいぐも』。語り手の脳内に複数の「おら」の声が溢れるという設定は、設定だが、自生思考に悩まされるこちらとしては他人事と思えない。こちらのそれは複数の自分がいるのではなく、あくまで自分が独り言を言っているという感じだが。話しかけてくるという感じもしない。読書中、なぜだか頻繁に涙を催し、声が詰まって読めなくなる時があった。最後のほうは特に。理屈はわからないが。感情移入というか、言葉の内容が現在の自分の身に迫って、というような感じだろうか。涙が出るたびに呼吸を意識し、感情を抑え、ふたたび読み出すことを繰り返す。それでも時に抑えが聞かず、零すこともあったが。
五時から日記。まずこの日をメモ。
日記。六時過ぎで中断。上階へ。電灯点ける。カーテン閉める。満月見える。風呂もつける。食事。ゆで卵と即席の味噌汁。味噌汁を味わうように。ゆっくりと啜り、飲む。
下階へ。歯磨き。ティク・ナット・ハン読みながら。母親帰ってくる。口ゆすいで上へ。荷物あるが、姿ない。靴下履いて室へ。着替えていると、母親来る。慈悲の心を持ちたいと思う。風が吹いたね、と母親。そうねと受ける。それで葉が落ちたのをいま掃いていたと。

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