2018/3/3, Sat.

●まず最初に、今日考えたことから書いておきたいのだが、思考の起点としては、夕食前、自室のベッドにシーツを敷きに行った際に思いついたことがあった。それは、非常に要約して言うならば、無常というのは救いではないのか、ということである。我々の存在は絶えず移り変わって止まず、そしてその先には、最終的には滅びが待っている、この事実こそがそのまま、それそのもので救いなのではないのかという考えが生じてきた。理屈はわからない。ただ、何故かそのように思えたのだ。
●その後、生活を送るなかで、また特に、今しがた(今は午後九時四五分である)風呂に入っていたあいだに頭がよく回ったのだが、この世の実相とは不確定性にある。すなわち、自分が明日には(本質的にはおそらく、次の瞬間には)どうなっているかわからない、狂っているかもしれないし、死が訪れているかもしれないということである。また、自分という存在、あるいはこの世界という場所も一体どのようなものなのか、一向にその答えがわからず、確定されないでいる。自分はおそらく、この不確定性が怖かった。しかし、こうした不確定性、自分が次の瞬間には消滅しているかもしれないという可能性に絶えず直面させられ続けているのが人間の生というものなのだ。そして、重要なことだが、その消滅は、次の瞬間ではないにしても、いつか必ずやってくる。しかしだからと言って、それで絶望することはないのではないか?
●我々の存在は、と言うかすべての物事は瞬間ごとに、不可避的に、そして不可逆的に変化し、移り変わって行かざるを得ない。そして永続するものは何もなく、すべての最終地点には滅びがあるわけだが、しかし、例えば我々の身体/生命の一片を構成する細胞群は一瞬ごとに死に、そして新たに再生/蘇生/誕生し続けているはずだ。もしかしたらこの世界のすべての事柄がそうなのかもしれない、我々には見えない一瞬において、すべての事物は死んでは新たに生まれているのかもしれない。それが無常ということなのかもしれない。
●不確定であるということは、「本当の答え」が見えないということである(疑おうと思えば、すべてを疑うことができる)。この世界の本当の姿(「物自体」としての世界の有り様)は我々には決して知ることができず(最近流行りの(?)「思弁的実在論」という立場は、その点に異議を唱えるらしいが、これについてはよく知らない)、自分とは何なのかと思っても、「本当の自分」などというものは決してわからない(と言うか、そんなものは存在しない、と言いたくなる)。確かに存在していると思われるのは、今この瞬間の自分であり、今この瞬間の世界である。そしてそれらは常に、必ず、移り変わって行かざるを得ないというのは既に述べたことである。
●「無常」ということはまったく本当だと思わざるを得ず、それは物質的なレベルだけでなく精神的なレベル、我々の気分や考え、観念さえもが常に移り変わって止まないのだが、ここにおいて、「無常」という性質が世界の有り様として確定されてしまったら、移り変わらない「真理」が生まれてしまうではないかというパラドックスが生じてくるだろう。これをどのように解決すれば良いのかはわからないが、逆説というのは所詮は言語上の事柄、概念操作の上でのことではある。ただ思うに、ある時には「無常」が真実だと思え、ある時にはほかに真実があるように思え、またある時には「無常」が答えとして戻ってくるというこの永遠の往還こそが、考えの「無常」を証すというややこしい事態となるのではないか。
●あとは、「一切皆苦」ということ、すべてが苦しみである、あるいはすべての物事が潜在的に苦しみとなる可能性を秘めているというのはその通りだと思えるのだが、幸福/喜びさえもが苦しみの種を含んでおり、苦へと変わり得るのだったら、まったく同様に、苦しみさえもが喜びとなる可能性、苦しみさえもを喜びとして受け取ることのできる可能性があったって良いではないかと思った。そうした思考を実感として身に備えて行った先に、喜び/苦しみの二元論を越えた生というものが存在するのかもしれない。
●今日考えたことは、概ねそのような感じである。起床は八時頃となった。確か四時台に例によって目覚め、薬を飲んだものの、それから先はあまり眠れた感じがしなかった。
●朝食はフランスパンを焼いた。母親がイオンモールに出かけようかと考えているということだったので、迷いつつも、天気が良くてどこか出かけたいなという気持ちだったこともあり、こちらもそれについていくことにした。
●一〇時半頃だったか、出発。助手席に乗る。(……)橋にかかると、川、見下ろす。深い緑色の水の上に、車が進むにつれ、糸のような光の反映。道中は母親の仕事の話を聞く。また、(……)の峠道を越えて、この道をよく通ったねなどと話す。祖母が病院にいた頃のこと。
イオンモール。中に入り、二階に上がって、母親と別れる。服屋を見て回る。三階も。最初に見たのは、WEGOだった。その後、Purple&Yellow。結構高いが、セール品の区画がある。見て、薄い青のデニム調のシャツ、気になる。女性店員、話しかけてくる。サイズが3Lだったが、上から羽織る感じで、と。羽織らせてもらい、サイズの感じ見ると、悪くない。また戻ってくるかもしれませんと言って、他の店へ。
●記憶に残ったのは、WEGOにあったチェック柄のグレーのシャツと、名前は忘れた店の、一万二〇〇〇円の青いジャケットと、先のデニム調シャツ。一階まで回ったあと、通路の途中の椅子に腰掛けて、どうするか、と考える。デニムのシャツを買うとして、中に着るものが何か欲しい。シャツも、今着るのは二つしかない。そのあたりを安く見繕うかと、WEGOへ。買おうかなと思ったものはあり、チェック柄も気になったが、決めきれず。もう一二時頃だった。Purple&Yellowへ。今度は男性店員に話しかけられる。先のシャツと、その隣にあった淡いピンクのシャツ、それに、ストライプの入った深い藍のワークパンツを試着することに。
●母親から連絡来ている。試着室内で電話。今、試着中と。それで三つとも着てみる。悪くないようだったので、迷いながらも、三つともいただきますと。会計。店員と花粉症トーク。アレグラFXというのを飲んできた、そうしたら今日は大丈夫ですね、と。会計中、母親来る。店の入り口まで見送ってもらって退店。
●昼飯、食っていくことに。長崎ちゃんぽんを食べようと。フードコートへ。混み合っている。何とか席見つける。ちゃんぽんとギョウザのセット。うまい。食いながら、今日は来て良かったな、こういうのも全然悪い時間じゃないな、自分は大丈夫だなと思う。
●食後、買い物。「食の駅」というところに寄る。以前母親が買ってきてくれて美味かった薩摩揚げを買おうかと。(……)にも何か買っていってあげたらと提案。それで、団子と煎餅と薩摩揚げ(しかし薩摩揚げは結局、あげなかった)。
●母親、肉を買うとスーパーへ。こちらは椅子に座ってメモを取りながら待つ。母親戻ってくると、ちょっとだけと周りの店を見分。
●帰路へ。車に戻ると、車内、陽の熱が溜まって暑い。ふたたび母親の仕事の話聞く。暑いので窓を開けると、涼しい風が流れ込んだが、途端に鼻がむずむずする。梅が咲いてるね、と道中、見やる。
●母親が本を返すために、図書館に寄ってから帰宅。父親、外でテーブルと椅子作っている。母親、飲み物用意して運んで行く。こちらもちょっと休んでから外に出て、掃き掃除。腰を曲げて、散らばった葉や木屑を塵取りに。腰、痛くなる。途中、頭上から葉のさやぎ。終えると、家の南側へ。父親、元(……)宅の敷地で、テーブルに色塗っている。梅の樹、幹から緑色の枝が伸び、花がちらほら。
●室内へ。八百屋さん来て、母親、出て行く。その後、団子食う。テレビを見ながら炬燵で休む。『マツコの知らない世界』。「間借りカレー」と、鉛筆。
●五時頃、夕食の支度へ。米を研ぐ。鶏釜飯に。そして、天麩羅することに。牛蒡、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、フキノトウ。材料切る。
●一旦室へ。ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』、音読。最中、母親来る。外国から手紙が来ていると。(……)である。その場で読む。自分の日記を読んでくれていると。ありがたい。しかしそんな自分は、書く意欲をなくしかけている。
●天麩羅揚げる。ラジカセからディスコ音楽(母親のCD)。それに合わせて、身体を無闇に動かしながら揚げる。父親はなかに入ってきて風呂へ。天麩羅終えると、(……)に届けに行く、母親と一緒に。天麩羅だけでなく、買ってきた団子などと、鶏釜飯も。隣家の勝手口へ。呼びかけても、聞こえないよう。しかし何度か言っていると、気づいて、出て来る。喜んでくれる。たくさん食べてくださいと言い、笑い合いながらやり取りし、自宅へ戻る。
●食事。母親、向かいで、宝石を買おうかどうしようかと迷う。イオンモールの店に以前行った時に、(……)のものが欲しくなったのだが、その時は決めきれなかった。まだあるかどうか、店に電話を掛けようかと。実物を見て決めたほうが良いのではないかとこちら。前に見た時に決められなかったのが、巡り合わせでなかったということなのだと。また見に行って、ほかにも良いものが見つかるかもしれないと。
●食事中は、出川哲朗の旅番組、『充電させてもらえませんか』を見る。面白い。場所は沖縄。唐沢寿明アンガールズの田中がゲスト。出川の人気ぶり。どこに行っても人が集まってきて、囲まれる。
●また一方、父親について母親と話す。思いやりや感謝のある関係を作ってほしいとこちら。
●散歩に行こうかと言っていたが、母親が電話をしていたりで遅くなったので、行かず。出川の番組を最後まで見て、九時頃入浴。思考が巡る。内容は上に記した。
●自室へ。先ほどの思考をまず、日記に記す。それからノート書きに移る。しばらくして、それもやめて手帳にメモ。どうも、書くことが負担らしいと思われた。胃のあたりにストレスらしきものがあるのを感じた。書くことをやめたほうが良いのかもしれないと思う。あるいは、もっと短い書き方、別の書き方を開発するか。また、生活でなくて、思考や感想に限るとか。迷いがある。どうすれば良いのかわからない。
●その後、ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』を少々読む。眠気。歯磨きして、零時頃就床。

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