2018/4/14, Sat.

●八時過ぎに起床。曇天。朝食、おじやの僅かな残り、小松菜、キャベツのサラダ、豆腐に大根おろし。食後、デザートとしてエクレアの半分(もう半分は母親が食べた)にバナナ、ヨーグルトも食べる。胃の具合は、やはり張っている感じがするが、痛みはほとんど生じていない。今日はこれから母親とともに医者に行く。
●昨夜は、夕食の席で母親に対して、何も感じられないということについての不満をぶちまけるようにしてしまった。きっかけは忘れたが、食事を取っても美味く感じられないというところから派生したものだったと思う。母親が何だかんだと励ましの言葉を掛けてくれるのは良いのだが、正直なところ、こちらはそのような気持ちになれない、その言葉を素直に受け止めることができない精神状態にある。もうずっとこのままではないかと、何をしても自分のこの無感情が治ることはないのではないかと、そういう風に思われてならないのだ。
●二〇一七年一二月の日記を冒頭から二日分、ちょっと見返してみたが、今から振り返るとやはり自分の頭が段々と自生的な思考に侵されて行っているのがわかる。一二月頭の時点ではまだしもそれが安定していたのだが、年末年始で完全に箍が外れてしまったのだろう。
●母親と医者に行く。一〇時前に出発。家から西にある十字路に行くのではなく、家の目の前の林のなかを上って駅まで行った。電車内では、(……)の母親に遭遇する。この人は、結婚相談所をやっていて、今日もその関係で三田まで行くと言っていた(三田というと、千葉県ではないのか? 慶応大学に三田キャンパスというのがあったような気がする)。随分と久しぶりに会ったこちらに驚いて、格好良くなっていると言ってくれ、モデルか何か、人前に出る仕事でもやりなよと繰り返し勧めてくれた(こちらとしては勿論、人前に出るなど大の苦手だから、今の状態から回復できたとしてもそんな気にはならないだろう)。旅行にでも出るようなキャリーケースを引いていたので、(……)駅に着くと、乗り換えるまでのほんの少しのあいだだが、それをこちらが運んであげた。
●(……)駅で降りて、便所に寄ってから医者へ。待ち時間は大体三〇分ほどだったと思う。もう一週間、薬の種類と量は変えずに様子を見るということになった。こちらとしてはパニック障害の症状がふたたび出てきていて、立川まで一人で行けるか不安があったり、嘔吐恐怖があったりするので、ロラザパムとスルピリドの服用を増やすか、別の安定剤があればそれを追加したいという風に漠然と考えていたが、医師の考えではその必要はないとのことだった。また、何をしていても感情の働きを感じられないという無感情・無感動に対しては、特に何らかの対策が講じられたわけではない。(……)先生が言うには、今はともかく休む時だということで、もう少し経って落ち着いてくれば気分を上向きに持ち上げにかかる、ただそれと言っても、薬によって持ち上げるというよりは、自然に持ち上がるのを期待するという口ぶりだった。思うに、(……)先生は多分、統合失調症の治療方針に添っていて、例えば、先般こちらが発作的に、もう自分は駄目だ、気が狂うという恐怖を覚えて錯乱のようになったことなどを(また偏在している自生思考を)、一種の陽性症状と見て、それで今は症状を抑えるべき時だと判断しているのではないか。無感情についても、統合失調症陰性症状に感情の平板化があるらしいので、それと見ているのかもしれない。こちらとしては、自分は統合失調症モデルには当て嵌まらないのではないかと思う。感情の平板化についても、薬でどうすることもできず、自然と解消されるものでもなく、この先ずっとこのままになってしまうのではないかという気がしてならない。
●年末年始頃のこちらは、感じたことを言語化して書くというよりは、ほとんど書いたことを感じるというような逆転のなかにあったのではないだろうか。何らかの体験をしたその場で脳内で独り言のようにして書きつけるその言葉が、そのまま自分が感じたことになる。書くことと感じることとがそのように密着しながら、前者の書くことのほうが優勢だったところ、その書く能力、言語化の能力が暴走しはじめて、自生的なものとなり、コントロールを失った。その結果として、自分がどう感じているかもわからなくなったというのが、現在の無感情の状態なのではないだろうか。
●医者のあとは、クレープ屋がすぐ近くにあるということで、そこに寄った。「(……)」という店である。医者からは、線路を北側に渡ってすぐの角のところに位置している。店内にはほかに客は一人もなかった。チョコバナナカスタードと、いちごチョコカスタードを注文。
●(……)駅で(……)乗り換えまでに時間があったので、歩いて帰ることに。母親は先にすたすたと行ってしまい、歩みの遅いこちらはだいぶ離れたところを、クレープの袋を右手に提げながら、とぼとぼと行く。歩いているあいだは気分がいくらか抑うつっぽくなって、また無感情なままで過ごさなければならないのかと、そのことを考えると、苛立ちというか、投げやりな思いになるようだった。
●帰宅後は、母親がうどんを煮込んでくれた。こちらはそれに加えて、米に納豆を食べ、ほかサラダの残りや先ほど買ったクレープ、バナナにヨーグルトも食べる。
●現在、二時一一分である。先ほど、名古屋に出張していた父親が帰ってきた。
●これは薬のせいもあるのかもしれないが、物事の理解や記憶もしにくくなっているような感じがする。以前は、一日のことを朝から晩まで順番に思い出すことができ、それを日記として記していたのだが、今はもうそのように秩序だった想起ができなくなっている。
●食事も、味がわからないのではないが、あまり美味いと感じなくなってきている。そもそも、一応食べられてはいるものの、食欲が湧かないのだ。食事から時間が経つと、段々と腹が空になってきているというのはわかるのだが、そこに空腹感、ものを食べたいという欲求がついてこない。
●ついでに言うと性欲も全然湧かず、眠気というものも明確になく、睡眠薬を使って何とか寝付いているような状態であり、人間の本能的な三大欲求がどれも希薄化している感じで、こうなるとまったくもって何のために生きているのかわからない。
●夕刊の一面に、米国がシリアを攻撃したとの報が大きく出ている。これが大変な事態だということは理解でき、以前だったらとても無関心ではいられず、いくらかの情報を日記に書抜きしていたはずなのだが、今は記事を読んでみても、その内容が全然頭に入ってこないような状態である。自生思考よりも、無感情、世界に対する興味関心を失ってしまったという状態のほうが辛い。
●『石原吉郎詩集』を読んでいる。読書も、以前の自分の習慣から続く惰性のようにして読んでおり、面白さや興味深さを感じないのだが、「オズワルドの葬儀」という詩のなかに、「遠雷と蜜蜂のおとずれへ向けて」という一節があるのが気になった。恩田陸の著作、『蜜蜂と遠雷』との類似のためである。恩田陸の本の元ネタなのか、それとも何か共通の由来があるのか?
●夕食。天麩羅(筍と鶏肉)に米と納豆、エリンギなどの入った汁物、菜っ葉の和え物にサラダ。やはり食欲や空腹感はなかったのだが、一応、食べることはでき、味も、わりあいに美味いと感じることができたと思う。しかし、嘔吐恐怖がまったくなかったわけではない。食後すぐのあいだは腹が張って、痛みも少々あった。それが、風呂に入ったあたりでは張りが収まっていた。入浴中には、自分の年末年始以来の変調について(その能力が残っているうちに)病歴をまとめておいたほうが良いだろうと思いついた。どこか今とは別の病院に行くにせよ、今までの症状の推移の説明が面倒だし、物事をうまく要約して説明する能力も失われつつあるような気がするのだが、時系列順でわかりやすくまとめておけば、新しい病院に行った時も、それを印刷して渡せば事が済む。また、日記に関しても、自分の体調や症状のついて気づいたことを記すという役割を持たせて、毎日の変化を記録するものにするのが良いかもしれない。

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