2018/7/28, Sat.

  • 久しぶりに読書をする。キャサリンマンスフィールド/芹澤恵訳『キャサリンマンスフィールド傑作短編集 不機嫌な女たち』を後半から始めて読了。しかし、やはり読みながら何を感じるということもない。書抜きをしたいと思うほどに印象に残る部分もない。以前のような感受性で文を読めていないのは明らかである。
  • マンスフィールドを読み終えた次は、石原吉郎『望郷と海』を選んで読み進めた。強制収容所体験から導き出された思考を語る石原の文からは、書抜きをしようかと思う箇所がいくつか見つかったのだが、これも前と比べて自分の頭をどれほど刺激しているかと言うと疑わしい。
  • これらの読書は音読で行った。今次の変調以前と比べて、感受性はもちろん、記憶力や思考力が下がっていることは明らかなのだが(例えば、以前だったら一日の目覚めの瞬間から床に就くまでのあいだのことを順番に思い出すことができ、それを日記として綴っていたわけだが、それができなくなった。感受性が死んでしまったために、何かを記憶する力や考える能力も衰退してしまったのではないのだろうか? 感受性とはそれらの精神機能の基礎となるものではないのか)、音読は脳を鍛える力があるとのことで、少しでもそれが回復してくれないかと願う次第である。
  • 「何も感じられない」と感じられる現在の状況は、医師によると鬱状態及び離人症・現実感喪失症候群が重なった様態として診断されている。こちらがインターネットを見回って得た情報では、これはまたアンヘドニア(失快楽症)と呼ばれる状態にも当て嵌まると思う。問題は、鬱はともかく、離人症にせよアンヘドニアにせよ、薬剤は効かないことが多く、有効な治療法がないらしいことである。実際、今もらって飲んでいる薬はどれも効いている感じはない。現在、朝晩の食後に、クエチアピンを二錠及びロラザパムとスルピリドを一錠ずつ、就床前にオランザピンとブロチゾラムを一錠ずつという処方になっている。このうち、ロラゼパムスルピリドパニック障害時代から飲み続けているものである。オランザピンとブロチゾラムは睡眠補助だろう。こちらの主たる病状に対してはクエチアピンの効果があるか試しているというところだが、これらの薬のどれも、飲んでも自分のうちに何の変化も感じられないというのが実情である。
  • そもそもどんなものであれ、感受性を取り戻す薬など存在するはずがないのではないか。薬を飲んだところで感性や頭の働きが戻ってくることなどあり得ないのではないか。何をしたところで、ものを感じられるようになる気がしない。自分の病状は、薬とか運動とか自律神経とか、そのような次元のものではないように思われる。何か頭の働き、そのシステムが、なぜかわからないが不可逆的に、鈍く変わってしまったような感じ、と言えば良いだろうか。
  • 欲望、そのなかでも書く欲望と、何かを知り、考えていきたいという欲望(これらは勿論、ある程度相関している)がなくなってしまったのが最も辛いところである。




石原吉郎『望郷と海』筑摩書房、一九七二年

 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死[﹅8]がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。
 (5; 「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」)

     *

 栄養が失調して行く過程は、フランクルが指摘するとおり、栄養の絶対的な欠乏のもとで、文字どおり生命が自己の蛋白質を、さいげんもなく食いつぶして行く過程である。それが食いつくされたとき、彼は生きることをやめる。それは、単純に生きることをやめるのであって、死ぬというようなものではない。ある朝、私の傍で食事をしていた男が、ふいに食器を手放して居眠りをはじめた。食事は、強制収容所においては、苦痛に近いまでの幸福感にあふれた時間である。いかなる力も、そのときの囚人の手から食器をひきはなすことはできない。したがって、食事をはじめた男が、食器を手放して眠り出すということは、私には到底考えられないことであったので、驚いてゆさぶってみると彼はすでに死んでいた。そのときの手ごたえのなさは、すでに死に対する人間的な反応をうしなっているはずの私にとって、思いがけない衝撃であった。すでに中身が流れ去って、皮だけになった林檎をつかんだような触感は、その後ながく私の記憶にのこった。はかないというようなものではなかった。
 (8; 「確認されない死のなかで」)

     *

 私たちの間の共生は、こうしてさまざまな混乱や困惑をくり返しながら、徐々に制度化されて行った。それは、人間を憎みながら、なおこれと強引にかかわって行こうとする意志の定着化の過程である。(このような共生はほぼ三年にわたって継続した。三年後に、私は裁判を受けて、さらに悪い環境へ移された。) これらの過程を通じて、私たちは、もっとも近い者に最初の敵を発見するという発想を身につけた。たとえば、例の食事の分配を通じて、私たちをさいごまで支配したのは、(end18)人間に対する(自分自身を含めて)つよい不信感であって、ここでは、人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯である[﹅23]ことを、私たちはじつに長い期間を経てまなびとったのである。
 強制収容所内での人間的憎悪のほとんどは、抑留者をこのような非人間的な状態へ拘禁しつづける収容所管理者へ直接向けられることなく(それはある期間、完全に潜伏し、潜在化する)、おなじ抑留者、それも身近にいる者に対しあらわに向けられるのが特徴である。それは、いわば一種の近親憎悪であり、無限に進行してとどまることを知らない自己嫌悪の裏がえしであり、さらには当然向けられるべき相手への、潜在化した憎悪の代償行為だといってよいであろう。
 こうした認識を前提として成立する結束は、お互いがお互いの生命の直接の侵犯者であることを確認しあったうえでの連帯であり、ゆるすべからざるものを許したという、苦い悔恨の上に成立する連帯である。ここには、人間のあいだの安直な、直接の理解はない。なにもかもお互いにわかってしまっているそのうえで、かたい沈黙のうちに成立する連帯である。この連帯のなかでは、けっして相手に言ってはならぬ言葉がある。言わなくても相手は、こちら側の非難をはっきり知っている。それは同時に、相手の側からの非難であり、しかも互いに相殺されることなく持続する憎悪なのだ。そして、その憎悪すらも承認しあったうえでの連帯なのだ。この連帯は、考えられないほどの強固なかたちで、継続しうるかぎり継続する。
 これがいわば、孤独というものの真のすがたである。孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独は、のがれがたく連帯のなかにはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇(end19)気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。
 (18~20; 「ある<共生>の経験から」)