2018/8/16, Thu.

 精神疾患で休職中の身ではあるが、なるべく朝きちんと起きる生活をしたいと思い、七時に目覚ましアラームを設定してあった。時計のそれではなく携帯のもので、ベッドから離れた白いテーブルの上に置いておいたのだが、この朝、アラームが鳴ると、ベッドから抜け出したのは良いもののはっきりしない頭で音を止めるとふたたびすぐに寝床に倒れ込んでしまい、結局起床は一〇時を過ぎることになったというわけだ。起き上がって室を抜け、廊下を行くと脚が固かった。階段を上り、母親に挨拶をして顔を洗ってから炒飯を温めた。また、冷蔵庫のなかに袋に入れられてあった生野菜を皿に盛って卓に就く。母親と言葉を交わしながらものを食べる。蒸し暑いねと母親は言った。こちらはさほどの暑さは感じていなかった。雲がちな外の空気も白っぽくて、気温計は三三度ほど、猛暑の合間のそこそこ過ごしやすい気候だった。食事を終えると、薬を服用して食器を洗う。そうして母親の求めにしたがって、家計の計算をするのを手伝った。と言って、母親がレシートの束から支出を読み上げて行くのを受けて、携帯電話の電卓で数字を打ちこんで行くだけの簡単な仕事である。それから風呂を洗ったあと、母親がまだあったと言うのでもう一度計算をしてから下階に戻った。
 Twitterを覗いてから日記を書きはじめた。一五日の分を仕上げて投稿すると、一六日の記事も綴りながら、年末一二月三一日の日記をちょっと覗いた。ミシェル・フーコー中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』の書抜きに際して、日記を書くということについての考察が展開されているのだが、この時期にあったような頭の回転、思考の明晰さをもう一度得たいものだと思う。
 書き物に区切りを付けると一二時半を迎えていた。Suchmos "YMM"をリピート再生にして運動を始めた。屈伸を何度も繰り返して前準備をし、それからベッドに乗って前屈を行う。毎朝目覚めると必ず身体は固くなっており、この時も伸ばした脚の先にようやく手が届くくらいの柔軟性のなさだった。そのあと腰を持ち上げる運動、腹筋運動、腕立て伏せとこなして行く。力を籠める時に息を長く吐き出しながらゆっくりと動作を行うと、鈍りきった筋肉がすぐに限界を迎えて、いくらも回数をこなせないのだった。
 運動の次に、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』から書抜きをすることにした。かたわら流したのは、Jose James『No Beginning No End』である。散文の果てしなさを嘆き、『ボヴァリー夫人』の試みの難しさを訴えるフローベールの言葉を写しているうちに、気づくと四〇分が経って一時半を迎えていたのでそこまでとして、「(……)」を読んだ。それから洗濯物に始末を付けようと考えて上階に行ったが、行ってみるとベランダは空、ソファの端にはタオルが畳まれてあって、既に母親がやるべきことをやってしまったのだった。何となく図書館に出かけようかというような気持ちが兆していた。借りた本はまだまだ読み終えていないのだが、CDは聞いてしまったことだし、何かまた新しい音源を借りてきて、そのついでに出先で書き物も行いたいというような心だった。それで外出を決意して、前日に読み終えた金子薫『アルタッドに捧ぐ』を返却できるようにその書抜きを済ませてしまうことにした。自室に戻り、一五分ほどで文を写し終えると廊下に出た。外出にあたって肌着を黒のものに取り替えたかったのだ。階段下の室にいた母親に図書館に行ってくると告げて階段を上り、仏間から服を取って取り替えると、室に帰ってシャツを纏った。元々薄いピンク色だったものだが、今ではさらに色が褪せてほとんど白と言って良い希薄な色合いと化していた。それから下は、久しぶりに空色のジーンズではなく、ベージュに模様の散ったものを履いたのだが、脚を通して持ち上げてみると腹回りがぴったりと収まった。以前はベルトをつけないとたるみが生まれてずり落ちていたのだが、ここ数か月の生活で太ったのだった。歩いたり運動をしていなかったこともそうだが、メジャー・トランキライザーであるクエチアピンやオランザピンには代謝に影響を与える副作用があって糖尿病患者には禁忌とされているのだが、その薬効のために体重が増えたのだった。実際、腹には以前よりも脂肪がついてちょっと突き出すようになっていた。それで不要なのだが何となくベルトも巻き、クラッチバッグに荷物を整えて部屋を出た。上階に行くと赤い靴下を履き、思いついて体重計に乗ってみた。驚くべきことに六三キロまで増えており、以前は五五キロほどだったので、今のほうがむしろ適正なのかもしれないが、しかし突然太り過ぎではあるかもしれない。体重を調べていると下階から母親の呼ぶ声がした。コンピューターが動かなくなったと言うのだが、こちらが行って見てみると、ブラウザ上にリンクにカーソルを合わせるとその形が変わったり、左下に接続先のURLが表示されたりするのだが、クリックをしてみても何の反応もないという状態だった。画面を上下にスクロールすることもできない。しばらく調べてみてもこちらには原因がわからなかったので、解決できないままに外出に向かった。
 玄関を抜けると前夜と同じように、風が身体に寄せてきた。時刻は二時四〇分だった。坂に接する林には蟬の声が満ち、そのなかでもミンミンゼミの鳴きが、押しつけがましいように耳に向かってくる。坂の出口付近では白い曇り空を背景にして、蜻蛉が何匹も飛び交っていた。空の雰囲気に、ことによるとあとで夕立がざっとあるかもしれないなと思いながら進んでいると、脇の一軒から声が聞こえて、見れば人が出てくるところだった。女性と外国人の男性で、子どももおり、女性は何か英語を発してみせたのだが、思い当たるところがあった。僅かに一瞥したのみで顔を確認しなかったが、女性はおそらく(……)(もはや漢字を忘れてしまった)という同級生で、ニューヨークだかどこかに留学しているという情報を聞いた覚えがかすかにあったが、外国人と結婚して戻って来たのだろう。過ぎて歩みを進めながら、外国で見聞を広め結婚して子を成した同級生と、未だに親元を出ず精神疾患にもやられ、やっていることはと言えばどうでも良いような日記を書くことばかりという自分の身を照らし合わせて、やはり何だかなあという不甲斐ないような思いが滲まないでもなかった。変調以前は毎日死ぬまで日記を書き続けるということが文学的野心として自分のアイデンティティを支えており、それに加えていつか小説を作りたいという欲望もあったのだが、精神の変調によってそれらの野望は半ば去勢され、日記を書くことも自分のなかで以前持っていたような価値を失った。実際、ここには明確な価値を持った事柄など何一つ書かれてはいない。素晴らしく美しい強度を持った描写があるわけでなく、何か非日常的で物語のような出来事が起こっているわけでなく、世界についての哲学的で深い思索が展開されているわけでもない。あるのはこちらが毎日何をしているかということの瑣末でこまごまとした、どうでも良いような細部ばかりであり、それは書いていても読んでいても大して面白いとは言えないものだ。自分としても、何故またこうした文章を書きはじめ、それを続けているのかその理由はわからない。自民党杉田水脈議員が、結婚をして子を作ることのないLGBTの人々には「生産性」がないと雑誌に書いて非難轟々だが、結婚をすることもなく労働という経済活動にも現状参加していない自分も、「生産性」のなさではなかなかのものだと思う。自分が何かやっていると言えるのはただこの日記のみであり、それだって先に述べたように何か有益な「生産性」があるとはとても言えないものである。それでも自分は結局、これを書いていくほか道はないのだろう。死ぬまで日記を綴るという以前の夢はいまやかつての彩りと魅力を失い、もはや文を綴ることの喜びも明確に感じないが、この営みが最低限の活動として自分の実存を支えているのだろうか? 実際、読み書きができなかったあいだはただ死にたくて仕方がなかったし、ふたたび文を書きはじめたいま、少なくともそうした希死念慮はなくなったのだ。
 街道に出た頃には、服の下の肌が濡れているのがわかり、シャツの二の腕のあたりにはぽつぽつと汗の染みが生まれていた。蟬時雨を撒き散らす公園の前を通り、裏路地に入る。角の家には百日紅が立って花をつけており、かつては出勤時にこれを毎日見かけて日々の差異を緻密に書き分け描写していたのだが、いまは眺めてみてもその描写が頭のなかに浮かんでこないのだった。労働を離れて以来久しぶりに通る道に、感慨もない。森のほうからは蟬の鳴き声が渡ってくるなかに、山鳩の声がほー、ほー、と響く。何か新しいものを建設中の市民会館跡地の脇、丁字路で交通整理をしている人員の、そのヘルメットの下の顔が随分灼けて遠くから見ると褐色というより赤いほどで、鬼を思わせた。駅が近づく頃には僅かばかりの明るみが地に広がり、こちらの影がうっすらと地面に宿る。
 駅前に出るとコンビニに入って、ATMで金を下ろした。そうして駅に入り、券売機でSUICAにチャージをしようとすると、このカードは扱えないとの注意が出る。それで窓口に行き、出てきた職員に、このあいだ(……)で残高不足のまま出てしまってと事情を告げた。カードを機械に入れた職員は、(……)からで間違いないですかと訊き、こちらが肯定すると値段を述べる。千円札と一万円札を迷いながら、チャージしていただけますかと訊くと、ここではチャージはできないとのことだったので、了承し、千円を払った。礼を言って離れ、ふたたび券売機の前に立って五〇〇〇円をカードに入金してから改札を通った。何となく喉が乾いていた。ホームに上がると、何か飲むかというわけで自販機に寄り、ココアを買ってその場で立ったまま喉を潤した。そうしてやって来た電車に乗り、短い時間のあいだだが、中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読む。ページに目を落としていると、正面の席には浴衣姿の女性がやって来た。紫色の大輪の花が描かれ、その合間に水色のストライプの走る柄だった。電車に揺られながら三ページを読むと到着した駅で降り、エスカレーターを上がって改札を抜けた。歩廊の上には風にかき乱されながらもぬるい空気が漂っていた。
 図書館に入り、カウンターでCDと本を返却する。それからCDのコーナーに行き、ジャズの棚からすぐにBecca Stevens『Regina』を取った。それから周囲の作品も見分していくのだが、借りたいと思うほどのものが特段見当たらない。それでロックやポップスのほうに移り、端まで行って、Robert Plant『Lullaby And... The Ceaseless Roar』に目をつけた。この作品は以前借りた時にインポートできなかった記憶があったのだが、もう一度借りてみることにして、それからKendrick Lamarでもないかと探してみたところ、LamarはなかったがCommonのライブ盤、『Live at the Jazz Room』があったので、ヒップホップは得手でないけれどこれを借りてみることにした。三枚を手に持って階段を上がり、新着図書の棚の前に立つ。岩波文庫大江健三郎作品があり、日本人の朝鮮観を跡付けた著作があり、山本貴光『文学問題』があり、また大江健三郎賞の軌跡として受賞者と大江の対談などを収めた本があった。それらを確認すると哲学の区画に行き、熊野純彦のカントについての著作が目に入りもするのだが、まだ読んでいないものがあるので何も借りるまいと決め、CDのみを機械で貸出手続きした。そうして窓際に出て席はないかと探したが、予想通り空いている席はない。それで喫茶店に行くことにした。結局こうなるのだったら、駅でアイスココアを飲むのではなかったなと思った。
 退館し、隣のビルに入ると、喫茶店はがらがらに空いていた。ベーカリーとカフェが併設された「Saint-Germain」である。レジの列に並び、小銭を確認しながら番を待ち、アイスココアを注文した。四〇九円だった。五〇〇円を払い、右手のカウンターでお待ち下さいと言われたのにしたがって歩を進め、出てきたものを礼を言って受け取った。二人掛けのテーブル席に就き、コンピューターを立ち上げながら、ココアのカップの蓋を外し、ストローで生クリームをかき混ぜる。そうして啜りながら起動を待つのだが、さすがに一五〇円の缶のココアより甘味と苦味の配分が複雑で美味く感じられた。そうして音楽で耳を塞ぐこともなく、掛かっているBGMや周囲の物音の合間で日記を綴った。記述のなかで現在時がもうだいぶ近づいた頃、急に尿意を催してきたので席を立って店舗を離れ、フロアの端の便所に向かった。頭上からはスーパーにありがちなフュージョン風の音楽が流れており、素早いキーボードソロが奏でられるなかで放尿した。そうして手を洗って席に戻り、記述を進めて現在時に追いつかせると、もう六時も間近の頃合いだった。
 書くことも書いたので、家に帰ることにして荷物を仕舞い、トレイをカウンターへ持って行った。ありがとうございます、またお越し下さいませと向こうから掛かるのに、ありがとうございましたとこちらも礼を返して店を出て、フロアの奥、スーパーのほうへと足を運んだ。入り口付近に積まれた籠を手に取り、まず三個入りの茄子を二袋手もとに加えた。それから大根(一本一八八円)も入れると野菜の区画は離れて通路に入り、ビスケットのコーナーを探して「たべっ子どうぶつ」を入手した。子どもっぽいことだがこの菓子が結構好きなのだ。ほかに欲しいのは飲むヨーグルト、フロアの奥にコーナーを見つけると、レモン風味のものを初めて目にしたので一つはそれを選び、もう一本はいつもの明治ブルガリアヨーグルトのものを籠に入れて会計に向かった。一一一五円を払うと台の前に移って品を袋に詰め、バッグとともに手に提げてビルをあとにした。
 出口から傘を差している人の姿が歩廊の上に見えた。雨が降り出しており、夏の熱いアスファルトが雨で濡れた時特有のあの匂いも薄く立ち昇っていた。高架の通路を渡って駅に入り、改札を抜けながら表示を見やると電車は一八時二分、エスカレーターを下るとちょうど到着したところだった。入って席に就くと、正面に座っているのは巨漢である。髪は左右に短く残ったのみで薄く、ストライプの入った半袖シャツを身につけ、そのシャツの腹の部分がでっぷりと盛り上がってズボンからはみ出していた。スラックスは薄めのグレーで、股のところの袷が、やはり肉に押しやられてだろう少々ひらいて裏を覗かせており、そこだけ色の違った小さな菱形が女性器を連想させるようだった。
 (……)駅で降りると、雨は勢いを増しており、ホームの屋根に打ちつける音が、待機中の電車の立てる音とともに空間を埋めていた。乗り換えの車両に乗り、端まで行って扉の前に立ったまま到着を待った。降りて雨のなかに出ると、すぐに雨粒が次々と襲いかかり、筆をべたべたと乱雑に押し付けたような染みがシャツの上に生まれる。屋根の下に入ったが、階段通路を抜けるとふたたび濡れなくてはならない。しかし急ぐこともなく、横断歩道を待ちながら濡れるに任せて、坂道に入った。蟬の音は乏しく、雨音にかき消されがちだった。平らな道に出た頃には先ほど付された粒のあいだも埋め尽くされ、シャツは一面濡れて、肌にまでその冷たさが染み入ってきた。
 帰宅して居間に入ると買ってきたものを卓上に置き、シャツを脱いで洗面所の籠に入れておく。それから荷物を冷蔵庫に収め、下階の自室に帰るとズボンをハーフパンツに履き替えた。そうして上階に戻ると、母親が夕食の最後の一品として茄子を切り分けており、コンロには大根が火に掛けられてある。仕事を引き継ぎ、フライパンにオイルを垂らしてその上から生姜とニンニクを入れ、しばらく熱してから茄子を投入した。すぐに蓋を閉めて、火が通るのを待ちながら時折り開けてフライパンを振る。そうしてニンニク醤油を垂らして仕上げると六時半過ぎ、もう飯を食ってしまおうかと思ったが、まだ米が炊けていなかった。それで自室に戻り、借りてきたCDのインポートを始めた。iTunesをひらいてディスクを挿入するかたわらBecca Stevens『Regina』のライナーノーツを取り出したのだが、その筆者が、もう長いこと交流をしていないが、知り合いの(……)さんだったので驚いた。読んでみると、過不足なく丁寧にまとめられた文章のように思われた。自分が書けるのは文章といっても本線も脱線もなくこれといった主旨もないこの日記だけなので、小説であれ批評文であれライナーノーツであれ、きちんとした主題のもとに文を展開し、まとめられる人は凄いと思う。自分にはいまのところそういった能力はないだろう。
 インポートをしながら、Robert Plant『Lullaby And... The Ceaseless Roar』のライナーノーツも読むと七時二〇分ほどになっていた。食事を取るために階を上がり、台所に入って、茄子と大根を一皿に乗せてレンジで熱するあいだ、米を椀に盛って大根をおろす。そうして卓に就いて、母親と雑談を交わしながらものを食べる。テレビは四〇〇万円ほどの年収で様々な国に暮らす人々を紹介する番組がやっていたが、これはどうでも良い。平らげて食器を流しに運んだところで、味噌汁を飲んでいないことに気づいたので、追加で椀によそった。エノキダケと豆腐に葱が散った味噌汁だった。そうして薬を飲み、食器を洗ってしまうとすぐに風呂に入った。
 翌日が通院だったので、久々に剃刀を使って髭を剃ることにした。髪を濡らしてかき上げておき、シェービングジェルをつけてまずもみあげ付近の余計な毛を落とすと、顎と口周りを擦ってジェルを泡立てた。剃刀を下から上へと動かして綺麗に剃毛し、顔をゆすぐと次に頭を洗った。それから、タオルを頭に乗せたまま、今日も被っていた帽子の洗濯に入り、洗面器に湯を汲んで洗剤をちょっと加える。そのなかで帽子を揉み洗いし、湯を取り替えて濯ぐと、立ち上がって最後に冷水を腹から下に掛けた。扉を開けて、帽子を洗濯機に投げ入れ、フェイスタオルで身体の水気を落としてから洗面所に入る。さらにバスタオルを使って身体を拭き、帽子は脱水に掛けてドライヤーで髪を乾かした。脱水はもうすぐ終わろうというところで中断して帽子を取り出し、居間に出ると物干し竿の隅に掛けておいて、そうして自室に戻った。
 八時半前だった。三日前に(……)さんから葉書が来ていたので、その返礼がてらメールを綴ることにした。

 (……)さん、お久しぶりです。三日前に(……)さんの葉書を受け取りました。クレヨンで描いたものでしょうか、様々な色の線がカラフルに交錯する抽象画めいた絵の意図はわかりませんが、ありがとうございます。

 こちらは今次の病気から立ち直りつつあります。先頃までは症状が鬱病の様相を呈し、最も落ちこんだ時期は読み書きもまったくできず、甚だしい希死念慮に襲われるばかりでしたが、七月始めから飲みはじめたクエチアピンという薬が良かったのでしょうか、月末から一応読書ができるようになり、今は毎日の文章をまた綴るまでに回復しました。

 ただ、曲がりなりにもふたたびものを書けるようにはなったのですが、病前よりも文章を操る力は落ち、様々な事柄に対する欲望や感受性があまり働かなくなったと自分では感じています。これはこちらがいまだ鬱症状の圏域に囚われているということなのか、それとも自分の精神はそうした状態でもう固まってしまったのか、定かではありません。昨年の一二月あたりの自分は頭が良く回り、哲学的・文学的な考察も自ずと脳内に浮かんできて日記に書きつけていましたが、その頃の感性や頭の回転を取り戻せたらと願っています。いまはまた書けるようになったということだけで良しとするべきなのでしょう。ともかくも、先のことは先になってみなければわかりません。自分に出来るのは結局、毎日文を書くことだけです。

 お忙しくなければ(……)さんがいまどのようなことを考えているのか、近況などをぜひお聞かせください。それでは。

 以上の文面をしたためると送信し、そのまま続けて日記の作成に入った。一時間二〇分を打鍵に費やすと区切りが付き、読書を始めることができた。中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読む前に、室に持ってきてあった夕刊から三つの記事に目を通した。「ガザ 激化する空爆 就寝中に攻撃「何の罪もない妻子が」」、「米の州知事選挙 民主党の候補に トランスジェンダーの女性」、「CIA元長官 機密資格剝奪 トランプ氏」である。そしてそれらから記述を一部写しておいて、それから中原の本に取り掛かった。散漫な読書だったようで、折々立った覚えもあるし、二時間を読んだわりにページの進みはいまいちだった。中原のこの作品には暴力が頻繁に現れるけれど、その暴力は理由も根拠もなく、厚みがなく平面的で、いくつもの言葉によって立ち上げられるはずの的確な表象を欠いている。整えられた表象を欠いているというのは暴力のテーマに限ったものではなく、中原の小説全体に通底していることかもしれず、言わばその場凌ぎでふらふらとした記述を重ねて統一を作ろうとしないまま最後まで逃げ切るといったようなものではないだろうか。
 読書を切り上げるともはや日付の変わる直前だった。本を閉じ、歯を磨き、音楽を聞きはじめた。最初にJose Jamesの『Love In A Time Of Madness』から"Live Your Fantasy"である。フロアで踊る人の姿が見えるような調子のサビを持つこの曲は、しかし次に聞いたWONK Remix版では完全に解体されて、テンポもビートも歌の音価も異なるほとんど別の曲に作り直されている。その次に、Aretha Franklinが死去したとの報を目にしていたので彼女の『Live At Fillmore West』を聞くことにした。冒頭"Respect", "Love The One You're With"のあいだは細かな動きのベースに耳が行き、三曲目の"Bridge Over Troubled Waters"はキーボードの音によって牧歌的な、と言いたいような感触にアレンジされていたが、ここでのArethaは絶唱だった。しかし、その激しい叫びを耳にしてみても高揚や感動がまったく訪れず、頭が(むしろ心が?)退屈に静まっているのがいまの自分の状態だった。とは言え五曲目、"Make It With You"の朗らかでメロウな風合いは気に入られて、このアルバムから聞いた五曲のなかでは一番好きだと思われた。
 それからJose Jamesに戻って『No Beginning No End』の冒頭三曲を耳にする。最後にBill Evans Trio "All of You (take 2)"を流して音楽鑑賞は終わり、薬を飲んでから床に就いた。一時五分頃だった。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 『ボヴァリー』第一部全体を清書し、訂正し、削除しているところです。目がチカチカする。ひと目でこの百五十八ページを読みとって、全体をあらゆる細部とともに、ひとまとまりの思考として捉えることができたら、と思う。これを全部ブイエに読んできかせるのは、来週の日曜日、その翌日か、翌々日には貴女に会えるんです。それにしても、散文というやつは、なんて手に負えぬしろものなんだろう! 決して終ることがない、果てしなく書きなおせるのだから。しかし散文に、韻文の密度(end150)を与えることはできる、とぼくは信じています。散文の立派な文章は、立派な韻文のようでなくちゃならない。つまり、同じくらいリズム感があって、同じくらい響きがゆたかで、一字も変えられぬ[﹅8]ものでなくてはなりません。というか少なくともぼくの野心がめざしているのは、そういうものなんです。(……)
 (150~151; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年七月二十二日〕木曜 夕四時)

     *

 いくらか仕事ができるようになりました。今月の終りには、宿屋[﹅2]の場面がおわるだろうと思います。参事官のあいだにおきたことを書くのに、二カ月以上かけることになります。(……)
 (168; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年十月七日〕木曜夜 一時)

     *
 (……)「昨日、頬に出来た膿瘍のために、簡単な手術を受けました。包帯でぐるぐる巻きにした顔は、相当にグロテスクです。ありとあらゆる腐敗や汚染がぼくらの誕生以前にはあって、ぼくらが死ぬときにはまたそれにつかまっちまうのに、まるでそれだけじゃもの足りないとでもいうように、ぼくら自身も生きているあ(end192)いだずっと、堕落と腐乱以外のなにものでもない、絶えまない堕落と腐乱が、つぎからつぎへと、覆いかぶさるように押しよせてくるんです。きょうは歯が抜けたと思うと、あすは毛が抜ける、傷口が開く、膿瘍ができる、そこでやれ発泡膏だ、患線だ、とくる。それに加えて足には魚の目、自然に発散する様々の悪臭、あらゆる種類、あらゆる味わい[﹅3]の分泌物、これじゃ人間様の肖像があまりぞっとしないものになるのもやむをえませんな。」
 (192~193; 一八四六年十二月十三日)

     *

 ぼくは自分の同類が大嫌いだし、自分がやつらの同類だという感じがしない。――たぶん恐しく傲慢な話だろうけれど、ぼくは乞食にたかっている虱よりもその乞食に共感をおぼえるなんてことは、金輪際ないんです。それに、木々の葉っぱが同じでないのと同様、人間おたがい兄弟なんてことはありっこないとぼくは思いますね。――葉っぱもそうだが、ただざわざわやっているだけですよ。(……)
 (240; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年五月二十六日〕木曜夜 一時)

     *

 (……)ぼくがやってみたいのは、生きるためには呼吸をすればいいのと同じように、(こんな言い方ができるとすれば)ただ文章を書きさえすれば[﹅10]いい書物をつくることです。(……)
 (252; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年六月二十五日〕土曜夜 一時)

     *

 (……)今日の午後で、訂正はやめることにしました、もう何がなんだかわからなくなってしまったので。ひとつの仕事にあまり長くかかりきっていると、目がチカチカしてくる。いま間違いだと思ったものが、五分後にはそうでないように思われてくる。こうなると、訂正のつぎに訂正の再訂正とつづいて、もはや果てしがない。ついにはただとりとめのないことをくり返すことになる、これはもう止める潮時です。(……)
 (254; ルイーズ・コレ宛、クロワッセ〔一八五三年七月二日〕土曜 午前零時)

     *

 うんざり、がっかり、へとへと、おかげで頭がくらくらします! 四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった。今日は、一行も書いてない、いやむしろたっぷり百行書きなぐった! なんという苛酷な仕事! なんという倦怠! ああ、<芸術>よ! <芸術>よ! 我々の心臓に食いつくこの狂った(end279)怪物[シメール]は、いったい何者だ、それにいったいなぜなのだ? こんなに苦労するなんて、気違いじみている! ああ、『ボヴァリー』よ! こいつは忘れられぬ想い出になるだろう! 今ぼくが感じているのは、爪のしたにナイフの刃をあてがったような感覚です、ぎりぎりと歯ぎしりをしたくなります。なんて馬鹿げた話なんだ! 文学という甘美なる気晴らしが、この泡立てたクリームが、行きつく先は要するに、こういうことなんです。ぼくがぶつかる障害は、平凡きわまる情況と陳腐な会話というやつです。凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです。そんな有難い作業を、これから先少なくとも三十ページほど、延々と続けてゆかねばなりません。まったく文体というものは高くつきますよ!
 (279~280; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月十二日〕月曜夕 午前零時半)



金子薫『アルタッドに捧ぐ』河出書房新社、二〇一四年

 恍惚のあたたかな感触が空気中に逃げてしまわないように、彼はアルタッドに熱を移そうとして、そのからだを両手で包みこんだ。彼は『バイレロ』がもたらす歓喜や陶酔のうちに、モイパラシアを死に導いた誘惑の力を垣間見たような気がした。歓喜と死の関係は、双生児の関係に似ているように思われた。それは、遠く離れているときにさえ、細かな所作のなかに互いの類似点が顕現しているような、そんな関係にあるのかもしれなかっ(end12)た。
 (12~13)

     *

 ところで、眠りに関して言えば、爬虫類の眠りは旅を伴わない眠りであると言える。アルタッドの眠りは、熟睡と覚醒の両端しか持たない眠りであり、それは、茫漠とした中間領域の存在しない眠り、夢を持たない眠り、人間が置き去りにしてきた太古の眠りであった。眠りにおいて、アルタッドは煌めく水面へと浮かび上がることもなければ、光届かぬ(end13)水底へと沈んでいくこともない。表層にも深層にも身を移さず、その場で凍りつくようにして不動状態に陥る眠り。それは、唯一の持続に身を置き、大理石のように硬化する眠りであった。
 (13~14)

     *

 それは、彼がまだ八歳にも満たなかった頃の出来事だった。
 友人の家から帰宅する途中、彼は路上に横たわるニホントカゲの死骸を目にしたのである。すでにそのからだは蟻たちによって食い荒らされ、あちこちに破れたような穴が穿たれていた。
 しかし、そのからだは、頭部と胴体しかまともに残っていなかったからこそ、幼い本間(end24)の心を捉えて離さなかったのである。彼はまるで痺れてしまったかのように、その場を離れずに長いこと立ち尽くしていた。
 金色の鱗によって覆われたニホントカゲのからだは、少年が庭先でよく目にしていた砂漠色のニホンカナヘビのからだとはまるで異なり、味わい深い光沢を帯びていた。それは濡れた金属のようなからだであり、原始の記憶を秘めているかのようなからだでもあっった。
 もしもあのニホントカゲが生きていたとしたら、やはり、あれほどまでには少年を魅了していなかったかもしれない。奇妙なことではあるが、もはやそれが生きてはいないということが、鈍い光を放ちながらも絶命しているトカゲに、新たな命を吹き込んでいたのである。ぽつぽつと群がる赤色の蟻たちの蠢きは、死骸に悲劇的なモチーフを添えていた。その光景は、美しく稀有である者が、数において勝る卑しい者たちによって汚されていく光景として、少年の目には映った。
 (24~25)

     *

 (……)仮に俺が、庭に生えてきたアロポポルの一部を切り取り、部屋で乾燥させ、それを食べたとする。おそらくはエニマリオ族が味わうような幻覚や陶酔を得ることができるであろう。しかし、俺の持っている、一切を文字で書き表そうとする悪癖が、徹底的にアロポポルの体験を汚すことになるだろう。エニマリィの効果によって、例えば、思考が水牛の群れのようになって――安直な比喩に頼らざるを得ないことはともかくとして――押し寄せてきたとする。それらの牛たちは不当に翻訳されることを拒み、決して言葉による局限をよしとはしないだろう。しかし、きっと俺は牛たちを原稿用紙の上に引きずり出そうと躍起になるはずだ。そうして一切は台無しになるのだ。激しい体験状態は理性の機銃掃射によって抹殺され、紙の上に残るのはせいぜい、凡庸なドラッグ小説か、とうの昔に死に絶えた、象徴派気取りのへぼ散文詩が関の山であろう。モイパラシアを殺したものは、何もかも筋書きに従属させようとする俺の意志であったのかもしれないが、そのうえ俺は、アロポポル体験すら書き言葉によって引き摺(end60)り下ろそうとしているのだ。(……)
 (60~61)