2018/8/18, Sat.

 一〇時頃から意識は浮上していたのだが、起床できないままほぼ一一時に到った。そこで携帯電話のバイブレーションが鳴り、その音を契機に身を起き上がらせることができた。携帯は手近のティッシュ箱の上に置かれてあった。元々七時のアラームを設定して遠くに置いてあったはずである。記憶はなかったものの、アラームで一度起きて近くに取り寄せてからふたたび眠ってしまったらしい。九時頃だったろうか、寝床にいるあいだには窓からの熱射を感じたりもしていたが、起きて廊下を行くと比較的涼しく過ごしやすい気温に思われた。
 上階に上がって行くと母親はテーブルの端に就いている。挨拶をして顔を洗い、フライパンのドライカレーを火に掛けると、冷蔵庫からバンバンジーの残りを取り出した。卓に就き、その二品で食事を済ませながら、新聞の書評欄を散漫に眺めた。野家啓一の『はざまの哲学』という本が野矢茂樹によって取り上げられていた。母親は、またメルカリの送品でもするのだろうか、近間のコンビニに行ってくると言って外出した。こちらはものを食べ終え皿を流しに運び、乾燥機の食器を片付けると薬を服用した。そして食器を洗って、風呂も洗っていると母親が帰宅し、彼女が買ってきてくれたチョコミントのアイスを受け取って箱から出し、中身は冷凍庫に、空箱は戸棚の紙袋に収めて、一本食いながら階段を下って行った。
 コンピューターを点すと、例によってSuchmos "YMM"を流す。前日の記録を完成させ、インターネットを覗いてから音楽を止め、窓をひらいて日記を書き出した。一一時四〇分だった。打鍵を続けているうちに一時間が経過した。空気はやはりさらりとしており、汗を肌に湧かせるほどの熱気や粘りがなく、爽やかさすら感じさせるようだった。
 「(……)」を読んだ。それから次の活動に取り掛かるまで、二〇分ほどの空きがあるのだが、この間何をやっていたのかは覚えていない。次の活動というのは、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』の書抜きだった。短い二箇所を写してこの本からの書抜きは終了、それから前日に読んだ夕刊の記事三つをやはり写しておき、そうすると時刻は二時直前となった。書抜きのあいだはJose James『Love In A Time Of Madness』を流していたが、打鍵しながら耳に入ってくるR&B調のサウンドが先日集中して聞いた時よりも少々良いように感じられて、意外と悪くないのではないかと思われた。一三曲目、"Trouble (Tario Remix)"が掛かる頃には運動を始めていた。屈伸や前後の開脚をして下半身の筋をほぐしたあと、ベッドの上に移動する。両足の裏を合わせて脚を左右にひらき、"Live Your Fantasy (WONK Remix)"の複雑なサウンドが耳に入るなか、足先を掴んで息を吐きながら身体を前に倒して行く。その後、腹筋運動と腕立て伏せもゆっくりと行って、すると二時一五分だった。
 それから中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読みはじめたのだが、この読書がなかなか進まなかった。と言うのは途中で眠りに落ちてしまったからである。一時間ほどは起きていたと思うのだが、その後は意識を失った。眠りは浅く、夢というよりは幻影じみた体験を通過しながら、部屋が暗んだ七時前まで床に留まることになった。夕食の支度もせず、不甲斐ない体たらくだったが、どうしても身体が言うことを聞かないのだった。
 上階に行って台所に入ると、鍋でジャガイモを茹でているところだった。ほかにはすき焼き風の牛肉料理に茄子の味噌汁と、既に食事の支度は整っていた。テーブルに座って夕刊をちょっと見ていたが、七時を回ってじきに食事を始めた。テレビのニュースは、山口県で行方不明だった赤子を発見した例のボランティアの人、「スーパーボランティア」と称されていたが、あの老人が西日本豪雨を受けた広島県呉市に入って活動を始めたと報道した。さらにボランティアという話題に関連して、「ベビーカー下ろすんジャー」という取り組みも紹介された。杉並区かどこかと言っていたような気がするが、エレベーターのない駅の階段を赤子連れが下らねばならない時に、戦隊ヒーローの格好をした人がベビーカーを運んでくれるのだった。仕事の合間を縫って活動を続けていると言う。そのあと、母親の手によって番組がザッピングされ、最終的に到ったのはスズメバチ駆除の仕事を紹介しているものだった。スズメバチの飛び方には二種類あって、巣から出て行くものはまっすぐ素早く飛び、巣に帰るものは餌を持っているから尾を下に向けてゆっくりと飛ぶのだと言う。それを見分けて飛んでいく蜂を追いかけることで巣の場所を特定するのだった。巣が見つかればあとは吸引機でもってひたすら蜂を吸いこんで行き、大方吸ったら巣を切除するという段取りだった。スズメバチの巣は、大きいものでは一メートルほどになると言った。
 食事の最後に味噌をつけた胡瓜をかじり、抗精神病薬を服用してから皿を洗うと、風呂に行った。パンツ一丁で出てくるとすぐに自室に帰り、音楽を流しはじめた。久しぶりにかけたが、Richie Kotzenの『Wave Of Emotion』である。冒頭三曲を歌い、さらにSuchmos "YMM"も再生して音楽に合わせて身体を揺らす。次の"GAGA"を歌ったあと、Jose James "Trouble"に移し、それが終わると同じ"Trouble"のライブ映像を視聴した。All Saints Basement Sessionと題されたもので、続けて"It's All Over Your Body"のそれも視聴して音楽の時間は切りとし、この日記を記しはじめた。八時半過ぎだった。
 一年前の日記を読み返した。この時期はまだ朝から晩までの生活をすべて記すのでなく、一日のうちに感得された天気や季節などの差異を拾い上げ、時間を掛けて練った記述を拵えている時期だった。その文章を読んでみると、やはり明らかに今よりも繊細に事物に感応し、緻密に物々のニュアンスを捉えているように思われた。下に引いておく。

 玄関を出ると、湿り気の肌を囲んで重いような朝だった。低みに走る川から靄が湧いてわだかまっており、ある高さを境にぴたりと切れてまっすぐな上端を印すその濁りの、電線のあいだに見れば隙間なく緻密に蜘蛛の糸が張られたようだった。数日籠ったあとの外出で、坂を満たす蟬の声のなかに入るのも久しぶりのことだ。空気はあまり流れないが、汗が滲む蒸し暑さでもない。傘を持ったが使う機会はなかった。
 裏通りの一軒を彩る百日紅は、見ない間に花が落ちて、その残骸も地にも塀の上にも少なく、縮れたピンク色の嵩が随分と減って軽い装いになっていた。しかし例年、ここからまた、終わったかと思えば息を吹き返すかのように長く咲き継がれるのが、この花の常である。もう一本、駅の近間の小社に生えたものが目を惹いた。紅色の濃くて緋に近く、それほど膨らみ盛るでないが梢の各所にひらいた花の、その整然とした鮮やかさに、視線をじっと捕らえられながら通り過ぎた。
 働くあいだに雨が通ったらしく、仕舞えて出てくると道に濡れた痕が残っていた。建物の合間に覗く丘に霧の掛かって、何か見馴れぬような知らない場所のそれを見ているような、住む町の風景が風景らしく見える日である。空気はやはり停滞しており、蒸し暑さが生まれていて、欠伸を洩らしながら行く道の曇った白さが、まだ昼下がりなのに五時頃のような感じがした。
 行きにも通った百日紅を反対側から通り掛かって改めて見やれば、あれほど花の重って塀からはみ出た枝の低く垂れていたのに、今はすらりとした立ち姿を保って、まるで枝が短くなったようだと思われた。家の傍まで来ると川の靄は薄まっていたが、山は空から一続きに乳白色の霞みに籠められて、何層にも重なった白さのかえって薄明るいような、見ようによってはかすかに眩しいようなと感じられた。

 それから音楽を聞き出した。Jose James, "It's All Over Your Body", "Make It Right", "Bird Of Space", "No Beginning No End", "Tomorrow", "Come To My Door (Acoustic Version) (feat. Emily King)", "Call Our Name (feat. Jessica Care Moore)"(『No Beginning No End』: #1, #8-#13)、Bill Evans Trio, "All of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#1)で五〇分ほどを費やしたのち、中原昌也『名もなき孤児たちの墓』の読書に入った。ベッドに横になっているあいだ、ひらいた窓から夜気が流れ込むのが涼しく、やや冷え冷えとするとすら言っても良いかもしれないほどだった。それで布団を身に掛けながら読み進め、終盤、同時に歯磨きも済ませ、零時を回った頃合いで読了した。中原の記述はがたがたしており、整然と成型しようという意思がまったく感じられず、それでいてどうでも良いようなことばかり書いている。そして合間に、語り手というよりは著者本人が急に顔を出すようにして、文を書くこと小説を拵えることへの愚痴が漏らされる。それが面白いのかどうかは定かでないが、愚痴の部分をいくらか書き抜こうと思ったのは事実だ。本を読み終えるとインターネットでこの著作の感想をちょっと検索し、零時半を回ったところで床に就いた。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 (……)ぼくが親近感を抱くのは、非行動的な人間、禁欲的な者、夢想家です。――洋服を着る、脱ぐ、食べる、なんてことにもうんざりです。大麻をやるのが怖くさえなければ、パンのかわりにこれをつめこんで、かりにあと三十年生きなければならないとしたら、その間ずっと、仰向けになって、だらりとしたまま薪みたいにころがって過しますよ。
 (298; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年十二月十四日〕水曜夜 二時)

     *

 (……)一冊の書物にあっては、すべてが似ていながらじつはひとつひとつ違っている森の木の葉のように、文章という文章が、立ちさわいでいなければなりません。
 (314; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五四年四月七日〕金曜夕 午前零時)