2018/9/24, Mon.

 七時頃から何度か覚めつつも、例によって一一時四〇分まで寝床に留まることになった。瞼がひらくようになってきた頃、外からは父親の流しているラジオの音声が聞こえており、誰か、おそらく日本人女性の歌う"It's Only A Paper Moon"が掛かって、昔、繰り返し聞いたMel Torme『Live At The Crescendo』の音源を思い出したりもした。起床して洗面所に行き、顔を洗うとともに用を足してくると、枕の上に腰掛けて瞑想を始めた。外のラジオはニュースを伝えている。頭には様々な脈絡のない記憶や雑念がノイズのように往来するなか、鼻から出入りする呼吸の感覚を注視するのだが、そうしているとそのうちに自ずと呼吸が深く引っ張られるように、滑らかなようになってきた気がした。上階から母親がこちらを呼ぶ声がしたところを切りとすると、一五分が経っていた。上がって行くと外の父親に食事を届けてくれと言うので、カレーライスやサラダの乗った盆を持ち、グラスの飲み物を零さないように注意しながらサンダル履きで玄関を抜けた。陽の掛かって温かななかを家の南側へと下って行きながら、微熱は含まれているものの空気が爽やかだなと肌に覚えていると、そこから横滑って、古井由吉が『ゆらぐ玉の緒』だったかどの作だったかで、「爽やぐ」という言い方を使っていたなと思い起こされた(今しがたEvernoteの記録を検索してみたところ、やはり『ゆらぐ玉の緒』のうちで用いられていたが、正確には「爽やぎ」と名詞形だった――「家にやっとたどりついて、テラスに出した椅子にへたりこむと、目の前に枝をひろげる樹の、青葉が一枚ずつちらちらと顫えて、風と光の細かな波の寄せるのに、身体を通り抜けられるままにまかせていた。日辺の孤帆の眺めにくらべればつましいながらこれも至福の内か、この爽やぎにつぎにめぐりあうのはいつの期だろうと思った」(189; 「弧帆一片」))。木で出来た手製のテーブルのところまで行き、膳を置くと、足音を聞きつけたものか畑の父親がこちらを向いてうなずきを送ってくるので、飯ね、と置いたものを指しながらうなずきを返し、外気を味わうようにしてゆっくりと屋内に帰った。それから居間の入口付近でユースキンを手指に塗っているその背後を母親も食膳を持って通り過ぎて行くのは、父親と同様に外でものを食べるのだ。こちらは一人室内でカレーとサラダを卓に並べ、新聞記事を確認しながら食事を取った。何となく消す気にならなかったテレビは、静岡県三島市の水路や大社の姿を映していた(そういえば、三島市というと「ノーエ節」の発祥の地だったはずで、この民謡もやはり古井由吉が、こちらは『野川』のなかで取り上げていたものだ)。薬を飲んで食器を洗い、風呂も洗ってからこの日は緑茶を用意せずに下階に下りた。そうして無駄な時間を設けずに、一時前から早々と日記に取り掛かり、前日の分をすぐに完成させ、この日のこともここまで綴って一時四三分である。瞑想の効用なのだろうか、気分は悪くなく、ここ最近のなかではやや明るめのような気がしないでもない。それからこの日二度目の瞑想に入って二三分間を座ったのち、歯磨きをしながら一年前の日記を読んだ。そうしてSuchmos "YMM"を流して着替え、続く"GAGA"を歌うと上階に行ったのだが、そこで母親に格好が変だと言われた。赤や青の組み合わさったカラフルなチェック柄のシャツに、濃い紺色のストライプ入りズボンを纏っていたのだが、柄物に柄物を合わせるのが良くないと、母親は昔ながらのファッション論を繰り出してみせる。こちらも何となくそうかなとは思っていたのだが、それを指摘されるのも煩わしく、母親の言い方がまた大袈裟に言い立てるような風なので相当に苛立ち、油断すると罵声が口から出てきそうで、それを抑えながらのぎこちない受け答えになった。玄関に掛かっている縦に長い鏡の前で格好を確認し、母親の忠言に従うことにして自室に戻ったが、収納に吊るした服を吟味してみても、ズボンにうまく合うような質の良い無地のシャツは持っていないのだった。それで上階に行き、いつもと同じ格好になってしまうが、居間に吊るされてあった麻素材の白シャツを着て、苛立ちのために母親に挨拶を掛ける気にならず、無言で玄関の戸をくぐった。母親の口から発せられる言葉の大半は、興味関心をまったく惹かないおよそどうでも良い類の駄言であるか、あるいはこちらの精神をささくれ立たせる有害な声のどちらかなのだ。プラスの情を何ら定かに感じなくなった反面、苛立ちといったマイナスの感情だけは自分の内に確かに残っているのだから、糞みたいな精神の有様である。何でもないような些末な母親の言葉がなぜ自分をそこまで苛立たせるのかは不明だが、結局のところは自分の大人気なさと未熟によるところであり、瞑想の実践によってもっと明晰で平静に自足した精神状態を身につけることができないかと願っている。それで、意気阻喪したようになって歩き出し、坂に入ると、斜面の草むらに生えた彼岸花の、真っ直ぐ上を向いて天を戴くのではなく横に薙がれたように倒れており、もう身を縮めて枯れはじめたものも散見される。街道を歩けば蒸し暑さに肌は汗の感触を帯びて、靴と靴下に包まれた足がやたらと温もった。これから立川に出ること、駅まで一歩一歩を進めて行くことそのものが億劫で、帰ってベッドに横たわりたいと思うような疲労感があり、人家の百日紅を見上げて強い視線を送るほどの気力もない。のろのろと重い足取りを進めて、裏道の途中、草の茂った空き地のあたりまで来て目に入った空の、先ほど背後から洩れだしたものに薄影の浮かぶ瞬間もあったものの今は太陽も失せて、全面に雲が掛けられているそのなかの正面、東の一角には寄り集まったものが青灰色を溜めており、雨の気色を覚えさせないでもなかった。駅に着くと改札をくぐり、ホームに出て停まっていた電車の先頭車両に乗る。発車したのは三時半ほどだったはずだ。『多田智満子詩集』を持ってきていたが疲労感があったので、行きの立川までの道中は瞑目して心身を休めることに注力した。立川に到着して降りると階段を上り、改札を抜ける前に機械のところに行ってSUICAに五〇〇〇円をチャージした。そうして改札を通り、頭上から降る放送の声や歩く人々のざわめきが混ざり合って煙のように満ちているコンコースを北口広場へと抜けた。この日立川を訪れたのには、職場の長である(……)さんが九月いっぱいで退職するということで、駅ビルの地下で餞別の菓子でも見繕うという目的があったが、せっかく久しぶりに立川に来たのだからとまずは書店に行ってみることにした。こちらの近くから飛び立って、モノレールの駅舎の上に止まる鳩を目で追いながら通路を行き、ビルに入ってエスカレーターを上ってオリオン書房に入店した。文庫本のコーナーを横目に海外文学の区画へ移動し、平積みにされている本を眺めて行ったが、さほど興味を惹かれるものはない。ドイツ文学の棚を眺めていた時に見つけたオスカル・パニッツァ『犯罪精神病』という著作はちょっと面白そうだったので、手帳にメモをしておいた。それから哲学のコーナーに移ってここでも平積みの書物を中心に眺めて行った。途中、清水高志・落合陽一・上妻世海の鼎談本であるピンク色の『脱近代宣言』を手に取った。上妻世海という人は一九八九年生まれでこちらと一歳しか違わないのに、このように活躍をしていて凄いものだなと思った(それで言えば落合陽一のほうも一九八七年生まれでこちらと三年しか変わらないのだ)。棚を見ていたなかでは、ロラン・バルトのインタビュー集である『声のきめ』にやや惹かれたが、値段が六〇〇〇円ほどしたので購入には踏み切れない(そもそも今、ロラン・バルトのようなものを読んで以前よりも楽しめるかどうか定かでない)。それから最後に漫画の区画をちょっと見たのち、何も買わずにエスカレーターを下りて書店と別れを告げた。高架通路を駅へと戻って行き、階段を下りて一階からルミネのなかに入った。フロアを歩きはじめてすぐに行き当たったモロゾフのウィンドウを見てみると、銀寄栗のケーキとか、「ブロードランド」と言ってフィナンシェなどの詰め合わせがあって(この品にはデンマーク王室献上品との売り文句が付されていた)、もうこれで良いのではないかとも思ったが、一応ほかの店舗も見てみようと通路を歩き出した。しかしフロア中、数多くの店に数多くの品が並んでいるもので、目移りしてしまうようで品を吟味比較して考えるのも面倒臭い。そういうわけで、一通り回ったところで最初の直感に従おうとモロゾフの場所に帰り、「ブロードランド」の八個入りのものを注文した。これは(……)さん個人に贈る用のものである。続けてほかの品を伝える暇もなく店員は内のほうに入って品の準備を始めてしまったので、彼女がカウンターに戻ってきた際に、あと二つあるんですがよろしいですかと言って、銀寄栗のケーキが二〇個ほど入ったもの(これは長らく休んでしまっているからということで、職場全体に贈るものである)と、自宅用に一つ三〇〇円強するカスタードプリンを三つ頼んだ。店員が品を包んだりしているのを、カウンターの前に立ち尽くして視線を遠くに送り、それぞれの店舗でそれぞれの制服を着た人々が立ち働いているのを眺めながら待つ。こちらが待っているあいだにウィンドウの前には中年の女性客が二人現れて、品を見ながら話をしており、それに対してただ一人で作業を進めている女性店員は少々お待ち下さいなどと声を掛けていたが、こちらは見ながら一人では大変だろうなと思った。それで、お一人では大変ですね、頑張ってください程度の言葉でも店員に掛けてあげようかとも頭に浮かんだのだが、実際に品を受け取る段になると口が動かず、礼を述べるに留まった。三種類の品物が入った紙袋は二重にされており、さらに予備の袋も大小二枚つけられていた。そうして、ゆったりとしたエスカレーターを一階分上り、駅ビルからコンコースへと出て、改札をくぐってホームに下りた。発車間近の電車は混んでいたので後発を待つことにして、ホームに立ったまま『多田智満子詩集』を読みはじめた。電車はまもなくやって来て、座席に就くと引き続き読書を進め、身体や顔をあまり動かさずに静止して、文字にじっと目を落として到着を待った。(……)に着いて降りると時刻は午後六時、空は既に青く暗んだ池と化し、西の空に集まった雲の絡みながら広がる藻草めいて影を成している。ホームを歩いて自販機の前まで行き、小銭を挿入しながら小さなスナック菓子を三種類買った。しゃがみこみ、出てきた三つを一気に掴み取り、クラッチバッグに収めて鞄を丸めると、待合室の横に場所を移して、ふたたび『多田智満子詩集』を読みながら乗り換えの電車を待った。小学校と裏山がその向こうにある暗闇の奥から、秋虫の音が盛んに鳴り出ていた。電車が来ると最後尾の車両に乗り、しばらくまた文字を追ったのち、最寄り駅で降りると、暗夜らしかった。階段を上がって行けばしかし、東南の空に雲に紛れて爪痕のような明るみが僅か見えて、月の在り処が知れる。木の間の下り坂に入ったが、この日は鈴虫らしき声は聞かれなかった。平たい道に出ると先ほどは細い傷に過ぎなかった月が、ここでは満月となって現れ、薄雲にちょっと煤けたようになってはいるが、街灯よりも赤いオレンジの色に染まっている。あとから知ったが、この日は中秋の名月だったらしい。随分と綺麗な円を描いているそれに目を向けながら歩き、帰宅するとプリンを買ってきたと母親に言って、三個入りの箱を冷蔵庫に入れた。(……)さんと職場に贈る分は仏間のほうに置いておき、下階に下りて服を着替えた。食事は昼と同様、カレーを食べ、すぐに入浴してくるとまだ時刻は八時頃だったかと思う。緑茶で一服しながら時間を潰し、九時前から新聞記事の書抜きを行った。一五日と一六日のものからいくつも記事を写すと一〇時過ぎ、そのまま今度は一七日と一九日の新聞を読んで一一時を迎える。そこでアイロン掛けをしていなかったことを思い出して上階に行くと、居間では父親がソファに就いて歯を磨いており、テレビには『落語DEEPER』が掛かっていた。炬燵テーブルの端でハンカチやシャツにアイロンを掛けながら、こちらもテレビ番組に目を向ける。番組は、「居残り佐平次」という演目を取り上げており、三代目古今亭志ん朝や、五代目三遊亭圓楽立川談志らの映像が流れる。アイロン掛けをしているために手もとに視線を落とさねばならず、間を置かずに映像を注視することができないのが煩わしかった。アイロン掛けを終えたあとも椅子に就いて、番組を最後まで視聴していると、途中で父親が、お前寄席に行ったことはあるかと尋ねてくる。ないと答えれば今度行くかと言うので、末廣亭、と唯一知っている寄席の名を挙げて、それも悪くないなと思った。一一時半までテレビを見ると自室に帰り、カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』の書抜きを少々行った。(……)その後一時近くから、また『多田智満子詩集』を読みはじめた。ベッドに横になりながら一時半過ぎまでものを読み、本を閉じるとすぐさま枕に腰掛けて瞑想に入った。二〇分強座って、二時直前に就床した。やはり寝付くのに苦労はしなかったらしい。



カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年

 重要なのは、この人たちがなにを言い、なにをするかだ。重要なのは、彼らの行為[﹅2]だ――その意味でのみ、私は本書で彼らを、憎み、わめき、抗議し、誹謗する者と名付ける。行為を――その行為を成す人をではなく――見つめ、批判することこそが、行為者が自身の行為から距離を取ること、自身を変えることを可能にする。こういった見方をすれば、批判すべきは、個人または集団ではなく、その個人または集団がある具体的な[﹅4]状況下で言うこと、成すこと(そしてそのせいでもたらされる結果)となる。そうすれば、彼らも別の状況では別の行動を取る可能性があることを、認めることができる。つまり、重要なのは、以下のことだ――なにが彼らをこういった行為に走らせるのか? 彼らの言葉はどこに由来するのか? この行為にいたるまでに、どんな経緯があったのか? 彼らが難民たちに向ける視線は、どのような価値観を前提としているのか?
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 この狩りと進路妨害において興味深いのは、危険であるとされる対象に近づきたいという欲求だ。写真と映像に撮影されたのは二台の異なるバスである。最初の写真にあるデーベルンのバス、そしてクラウスニッツで進路妨害に遭ったバス。だがどちらの場合も、難民の移送が画像または映像という手段を使ってスキャンダルに仕立て上げられている点は同じだ。(デーベルンにて、目立たずこっそりと」) クラウスニッツでバスの進路を妨害した者たちはいつからあの場所に立っていたのか、誰が情報を提供したのか、確かなことはわからない。確かなのは、バスの進路を妨害した者は皆、明らかに争いを望んでいた[﹅5]ということだ。難民を恐れているはずの者たちが、その難民を避けて[﹅3]はいないのだ。難民たちは嫌悪され、避けられたのではなく、まさにその逆だった――すなわち、彼らはわざわざ探し出され、争いの場に引っ張り出された。抗議する者たちの決定的な動機が(彼らが主張するように)不安や懸念だったのなら、彼らは難民たちに近づこうとはしなかったはずだ。不安でいっぱいの人間は、危険な対象とのあいだにできるかぎり大きな距離を取ろうとするものだ。だが憎しみは逆に、その対象を避けたり、対象から距離を置いたりすることができない。憎しみにとっては、その対象は手の届く距離にいて、「破滅させる」ことができなくてはならないのだ。
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