2018/10/5, Fri.

工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 いくらか仕事ができるようになりました。今月の終りには、宿屋[﹅2]の場面がおわるだろうと思います。三時間のあいだにおきたことを書くのに、二カ月以上かけることになります。(……)
 (168; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年十月七日〕木曜夜 一時)

     *
 (……)「昨日、頬に出来た膿瘍のために、簡単な手術を受けました。包帯でぐるぐる巻きにした顔は、相当にグロテスクです。ありとあらゆる腐敗や汚染がぼくらの誕生以前にはあって、ぼくらが死ぬときにはまたそれにつかまっちまうのに、まるでそれだけじゃもの足りないとでもいうように、ぼくら自身も生きているあ(end192)いだずっと、堕落と腐乱以外のなにものでもない、絶えまない堕落と腐乱が、つぎからつぎへと、覆いかぶさるように押しよせてくるんです。きょうは歯が抜けたと思うと、あすは毛が抜ける、傷口が開く、膿瘍ができる、そこでやれ発泡膏だ、患線だ、とくる。それに加えて足には魚の目、自然に発散する様々の悪臭、あらゆる種類、あらゆる味わい[﹅3]の分泌物、これじゃ人間様の肖像があまりぞっとしないものになるのもやむをえませんな。」
 (192~193; 一八四六年十二月十三日)

     *

 ぼくは自分の同類が大嫌いだし、自分がやつらの同類だという感じがしない。――たぶん恐しく傲慢な話だろうけれど、ぼくは乞食にたかっている虱よりもその乞食に共感をおぼえるなんてことは、金輪際ないんです。それに、木々の葉っぱが同じでないのと同様、人間おたがい兄弟なんてことはありっこないとぼくは思いますね。――葉っぱもそうだが、ただざわざわやっているだけですよ。(……)
 (240; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年五月二十六日〕木曜夜 一時)



  • 午前一時に床に就き、午後一時まで一二時間も留まってしまう体たらく。糞みたいな生。
  • 高校の連中と同窓会か何かしているらしい夢を見た。そこに(……)が出てきて、幹事だったのだろうか、彼女に会費を支払うことになっていたところが果たせなかったようで、微睡みのなかで、(……)に連絡をして金を払わなくてはと、現実と夢を混同した幾許かがあった。
  • また、(……)と、佐賀県だか有明海に面している地方を旅行しているという夢もあったはずだ。
  • 大変久しぶりに運動を行う(日記を検索してみると、九月一六日日曜日以来である)。tofubeatsの音楽をyoutubeで流しながら、屈伸や、ベッド上での前屈や、腹筋運動をこなした。藤井隆をボーカルに据えた"ディスコの神様"が、メロディに小気味良い弾性があってなかなか御機嫌である。
  • 書き物をして五時を迎えると、夕食の支度をしに台所に行く。小沢健二『刹那』のCDをラジカセで掛けた。まずは三合の米を研ぎ、六時半に炊けるように炊飯器を設定しておくと、次にフライパンに油を熱して、冷凍の餃子を一五個並べた。それを弱火に掛けながら一方でキャベツの、半分くらいになった玉のその端から薄く切り落として行く。焦げ目の多少走った頃合いで餃子には水を注いで蓋をしておき、それから汁物のために大根・里芋・人参・玉ねぎ・牛蒡を、皮を剝く母親と手分けして切り調えた。そうして口の広くやや平たいような白い鍋で野菜を炒める。鍋がどうしても焦げつきやすいので火勢は最弱にして注意して熱するが、それでもそのうちに鍋底に黒い点々がついたり、茶色い汚れが貼りついたりするので、致し方なく水を少量加えた。ラジカセから流れる"それはちょっと"を口ずさみながら野菜を搔き混ぜ、あとから加えられたひき肉も色を変えてそろそろかと、小さな薬缶を使って水を注ぐと、ちょうど歌も終わるところだった。煮込みに入るとこちらは居間に移ってアイロン掛けを行った。"いちょう並木のセレナーデ"が背後の台所から流れ出てくるなかで、格子縞の自分のシャツ、ハンカチに、熟れた柿の色のようなエプロン、また真っ赤なエプロンの皺を伸ばしてから台所に戻ると、汁物の野菜が具合良く煮えていたので、二種類の味噌を合わせて味をつけた。
  • 夕食時、向かいの母親の姿に目が向く。詰まったような白さのエプロンの下からチェック柄のブラウスが覗き、上着としては薄水色のカーディガンを羽織っているその右腕のみに、シュシュというやつだろうか、ゴムの入ったリボンのようなピンク色のバンドが留まっていた。餃子と白米をともに咀嚼しながら見やっていると、眼鏡を掛けてスマートフォンを注視していた母親はこちらの視線に気づいて、メルカリじゃないよ、と言った。グーグルで何か調べ物をしていたらしい。餃子と米を食い終わったあとは、ほか、ジャガイモの煮物や、生姜の風味の混ざった汁物や、皿から零れんばかりに盛られたキャベツなどのサラダを食べて、食後すぐに風呂に行った。
  • (……)さんがTwitterで誕生日だと呟いていたので、本日一〇月五日が彼の生誕日であることを思い出した。それで、Amazonのギフト券を贈る(中国にいてはあまりAmazonを利用しないのかもしれないとも思ったのだが、ほかに手段もないし構うまいと振り切った)。前年と同様、味気の無い簡素なプレゼントだが、あれからもう一年が経ったのかと、そう思わざるを得なかった。この一年、正確に言えば年末年始以来の今年二〇一八年の九か月は、自分が何一つ目立ったことをしなかったように、空白の時間のように思えてならない。実際、少々狂った頭を抱えながらも曲がりなりにも労働を続けていた三月まではともかく、少なくとも四月以降は、精神の変調にやられて休んでいたばかりで、進歩や肯定的変容の不在、むしろ退化の実感、というわけだろうが、そういうことでもなく、うつ症状に苦しんでベッドに寝転がってばかりいたあの夏場の時間までもがまるでなかったことのように、記憶の、過去の手触りが稀薄だとでも言おうか。