2018/12/20, Thu.

 一〇時一五分起床。豚のヒレカツ一枚と前日の茄子の炒め物をおかずにして白米を食べる。そのほかジャガイモとワカメの味噌汁。
 一一時半前に外出。通院である。(……)さんのあたりで人足が二人、庭木を整えていた。陽射しの眩しい、快晴の日和。
 (……)から電車に乗り、(……)で降りて(……)クリニックへ。今日は普段と違って受付の職員が一人だけで、「みほさん」という相手からの電話に辟易しているようだった。ローベルト・ヴァルザー/若林恵訳『助手』を読みながら一時間弱待つ。それから呼ばれて診察室に入り、変わりはないと報告する。調子が悪いわけではなく、特に苦しいとか苦痛だとかいうこともないが、相変わらずマイナスの感情もプラスの感情も自分の内に生じず、気分というものそのものがないような感じなのだ。それで、少しでも快の感情が感じられればいいなと思っておりますと言う。生活を尋ねられたので、これも変わらず家事手伝いを主にしていると答える。夕食の調理を大体毎日やっていると言うと、先生は、料理のメニューを考えて作るのはなかなかエネルギーがいるから、それを毎日できるというのは回復している証だと思うと応じた。全体としては悪くなく回復傾向にあると判断されたようで、薬の処方は変わらなかった(ただ、二週間分だと年始の休みに被ってしまうので、今回の量は三週間分になったが)。すなわち、アリピプラゾール(エビリファイ)を一回一錠、SSRIという種類の抗うつ薬であるセルトラリンジェイゾロフト)を一回二錠である。繰り返しになるが、こちらの何よりの懸案は感情・感覚的稀薄さをどうにかしたいということで、しかしこれらの薬を飲んでいてもそれが回復する見込みはないと思う。何というか、次元の違う話に思われるのだ。主観的にこちら自身にしかわからないことだろうが、一年前より頭の働きや感性が格段に鈍くなったことは疑いない。そして、それらが一年前の水準まで戻ることはもうないだろうとこちらは踏んでおり、それで仕方のないことだ、ともはや諦めているというか、おおよそ受け入れの境地に達している。ただ、病前の能力をそのまま取り戻すのは無理だとしても、少しでもそれに近づきたいという思いはあって、だから多少なりとも快の情を覚えたいというのが今の自分の目指すべきところだ。そのための方策も定かではないのだが、じたばたしても仕方がない、薬を飲みつつ気長に、流れるように生きて行こうと思う。
 返す返すも残念なのは、毎日殊更詳細な日記を死ぬその日まで綴るという誇大妄想、あるいは少々大袈裟に信仰と言っても良いかもしれないが、その試みの道が絶たれてしまったことである。つまりは自分の生きる目的がなくなってしまったということで、もう少し生きる甲斐のような部分がどうにかなってくれないだろうかとは常々思う。
 クリニックの代金は一四三〇円。薬局で薬(一六七〇円)を受け取ったあとは図書館へ。『Chris Dave And The Drumhedz』、Fred Hersch『Open Book』、Ella Fitzgerald『Ella At Zardi's』を返却。CDの新着を見ると、Carmen McRaeの作品が二つあった。また、Ella Fitzgeraldのバラード集もあった。しかし音楽を聞いても快感がないので、新しい作品を開拓していこうという気にもならない。その後上階に上がり、壁際に並べられた新書の群れのなかから、沖縄関連のものを三つ選び出す。櫻澤誠『沖縄現代史』、新崎盛暉『沖縄現代史 新版』『日本にとって沖縄とは何か』である。貸出手続きをして退館。
 電車に乗って(……)に戻り、陽を浴びながら三〇分ほど歩いて帰宅。帰る途中、街道で母親の車とすれ違った。帰ってきた母親から聞いたところ、料理教室のあとに(……)で甘味を買い、(……)さんという教室の仲間を(……)まで送って行ったのだと言う。帰宅後、ヒレカツの残りに、母親の作ってきたパエリアやキッシュで食事を取った。母親はその後、今度は皮膚科に外出して行った。こちらはヴァルザーを読んでいると、帰ってきた母親が掃き掃除に誘って来たので、『助手』を読了してから表に出た。日も暮れて陰に包まれ肌寒いなかで落葉を片付ける。
 夕食には、大根の葉とシーチキンの炒め物に、玉ねぎ・人参・白菜・里芋・エノキダケなどの汁物を作った。