2018/12/23, Sun.

 二二日の記憶を思い返しながら横たわっていたのだが、眠りが一向にやって来なかった。何となくこれはもう眠れないなとわかったので、四時四〇分を迎えたところで起き上がり(休んでいたのは正味一時間半である)、明かりをつけてふたたび本を読みはじめた。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書)である。そこから七時過ぎまで長く読書。六時を過ぎてようやく外が明るんでくる。曙を見るのは大層久しぶりだが、薄白い雲が水平線近くまで垂れ込めて、朱色は果ての細長い筋のみで朝焼けとは行かなかった。
 上階に行き、食事の支度。鍋に前夜の汁物の残りがあり、冷蔵庫に幅広麺のうどんがあったので、合わせて煮込む。牛蒡・人参・舞茸・葱などが入って似非ほうとうのようなメニュー。それを丼によそって、一人居間で食事を取る。新聞は天皇誕生日、今上帝の八五歳を伝えている。一六分ほどの記者会見のあいだ、今上帝は何度も感極まって言葉を詰まらせたと言う。
 また、「北京市民を監視 点数化の新制度 移動やネット行動 処罰も」という記事(朝日新聞二〇一八年一二月二三日朝刊、四面)――「中国・北京市が2020年末までに、交通などで市民が取った行動を数値で評価し、高ければ高いほど便利に行政サービスを受けられる「個人信用スコア」制度を導入する。市民の順法意識を高める目的とされるが、政府などによる「監視社会」がいっそう強化されることにもなる」「北京市では、全市民を対象に公共サービスや移動、起業、求職活動などで評価がされ、ルールを守れば便利なサービスを提供するとして、具体的な内容を詰めている」「一方でブラックリストに載った人は記録が公開され、「一歩も歩けなくなる」(北京市)ほど厳しい処罰があるとしている」とのこと。端的に言って、最悪ではないか?
 皿を流しに持っていき、台所に立ったままヨーグルトを食べていると母親が上がって来る。皿洗い。米を三合研ぐ。そうして母親が食事を取るあいだ、野菜の汁物の用意をする。玉ねぎ・人参・大根・舞茸・白菜。これらを鍋にぶち込み、水に浸して、芯が露出している式のストーブの上に置いておけば、あとは自動的に煮えてくれるというわけだ。母親と向かい合って茶を飲んだあと、洗濯物を干す。風呂は湯がわりと残っているので今日は洗わないことに。
 早々と図書館に出かけることに――昨日、会合の課題書に定まった大津透『天皇の歴史 1』を借りたかったのだ。それで九時過ぎに家を発つ。普段はまだ床に就いている時間で、これほど早く活動を始めたのも大変久しぶりである。まったくと言って良いほど眠っていないわけだが、眠気はないし、歩きながらふらつくといったこともないのが不思議である。この日の曇天は昨日とは異なり、白の地の上に煤けた影のような灰色の雲が掛かっており、遠くには畝も見える。坂を上って行くと、川音が伝わってくる静けさのなかに、鵯だと思うが、引き絞るような鳴き声が落ちてくる。息は白く濁るが、風はなくて寒くもなく、マフラーなしでもまだ問題ない。
 裏通りに入ったあたりからぽつぽつ落ちはじめた。白線の上を辿りながら、歩調に合わせてゆっくりと、FISHMANS "いかれたBABY"を、無声音で口ずさむ。雨は昨日よりも盛って、頭や顔にぱちぱちと冷たい。O駅に着くと、電車は一〇時一分発、まだ発車まで一五分ほどあった。それでホームの花壇の縁に腰を下ろして、本を読みつつ電車の到着を待つ。
 Kで降りて図書館へ。母親に頼まれた本二冊を返却。上階へ。用を足してから、大津透『天皇の歴史 1』を借りる。それで大窓際の席に入り、コンピューターを立ち上げ、前日の日記を記した。文体は緩いが、六〇〇〇字ほどになったので意外と書けるものだ。結構時間も掛かって、現在は一二時半。正午を迎えた頃合いに薄陽が射したが、いまはまた曇りに閉ざされている。
 一年前の日記を久しぶりに読み返す。「一〇時頃風呂に浸かりはじめて、浴槽のなかで自分の頭のなかに生まれる言葉の動きを眺めていると、いつの間にか二五分が経っていた。「考える」などという動詞も、本来はほとんど存在しないようなものではないかとちょっと思った。こちらの感じとしては、「考える」と呼ばれている事柄は、脳内の言語の蠢きをただ見て追うというそれだけのことであって、「行為」というほど能動的なものには思われず、何と言うかほとんど機能的な、とも言うべき類の事柄のように感じられる。「考える」の主語は主観的には明らかに「私」ではなく、「私」の脳だか意識だか主体だかわからないが、あるいは言語そのものと言っても良いのかもしれないが、何かそういった類のもので、「私」はそれらが勝手に/常に展開しているその動きをただ感じ、見ているだけである(言語とは去来する[﹅4]ものである。向井去来とはなかなかうまい筆名を付けたものだと思う)。だからこちらとしては、感じることと考えることの差がもう良くわからない。何も違いがないのではないかと感じられてならない。」
 その後、ローベルト・ヴァルザー/若林恵訳『助手』の書抜きを始めるが、腹も減ってきて面倒な気持ちが先に立ったので、三箇所写したのみで帰ることに。退館。高架歩廊を歩いていると、駅に電車が入線してくるのが見えるが、急がず歩調を変えずに進む。改札を抜けてエスカレーターを下りている途中で電車は発車した。次の電車は午後一時一五分発O行き。冷たい東風を浴びながら、『日本にとって沖縄とは何か』を読んで到着を待つ。
 降りて乗り換え。最寄りに着き、横断歩道を渡って下り坂へ。緑の合間に差し込まれている山吹色の葉叢に目を寄せる。坂道の出口付近では風が流れて、枝を離れた褐色の葉がはらはらと浮遊し、集団で緩慢に落ちて行く。風に冷たさはなく、柔らかな感触だったが、坂を出ると東からの風がちょっと増して肌寒い。
 帰宅。戸棚から日清「八王子ラーメン」を取り、居間に入る。両親とも在宅。シャツを脱ぎ、ジャージに着替えてきてからカップ麺を食べたが、これは大した味ではなかった。それなのに醤油味のスープをあと少しで飲み干すところまで飲んでしまう。
 墓参りに行くことに。チェックのシャツを脱いでしまったので、上はジャージのまま下だけ履き替え、モッズコートを羽織る。車の助手席に乗り、遅れて出てくる母親を待つが、そのあいだこちらと隣り合った父親のあいだには何の会話もない。出発。Nの花屋、「株式会社R」に寄ってこちらが仏花を買う。二束で一五一二円。それからすぐ傍のS寺へ。玉砂利の敷かれた敷地内に入ると、白猫がいるのを目にする。車から降りて、便所のほうへと去っていったそのあとを追ってみたが、猫はこちらの姿が近くに来たのを見ると、だっと走って逃げてしまった。
 戻り、インターフォンを鳴らして母親とともに挨拶をする。母親は三〇〇〇円だか五〇〇〇円の心付けを渡していたよう。そのほか、管理費だろうか、一〇〇〇円札を一枚、さらに渡していた。辞去し、墓場へ。先に行っていた父親が枯れた花を持って水場へやって来る。こちらは箒と塵取りを持って行き、墓所の周りを掃き掃除する。その後も父親が熱心にブラシや雑巾を使って墓を掃除しているあいだ、こちらはひたすらあたりを掃き清めていた。
 線香と米を供え、手を合わせてプラスの感情を取り戻せるようにと願う。それで辞去。Tのスーパーオザムへ買い物に。トイレットペーパー、醤油、その他諸々買い込んで、代金は七〇〇〇円ほどに達する。そうして帰宅。時刻は四時頃。
 佐川急便の不在連絡票が入っていた。こちらがiHerbで注文したサプリメントである。サプリメントには大方効果はないともはやわかっているのだが、一縷の望みを捨てきれずに、今度は比較的長期間飲んでみようと思っている。買ってきた荷物を冷蔵庫や戸棚に整理したのち、配達員に電話を掛ける。不在にしてしまって申し訳ありません、よろしくお願い致しますと、ゆっくり、丁重な言葉遣いで再配達を頼む。その後、五時頃に品物は届いた。
 自室。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』を、ここではさすがに眠気にやられて曖昧な意識のまま、読了する。六時半になって上へ。ピーマンと豆苗と豚肉を炒め、早々と食事に。炒め物をおかずに米を食ったあと、足してきて、さらに納豆を掛けて食べる。そのほか野菜の汁物に、スーパーで買った卵蒸しパン。『モヤモヤさまぁ~ず』を眺めたあと、入浴。
 入浴前、テレビを眺めているあいだ、電話が二本あった。一つはヤマト運輸からで、先日連絡を寄越してきたO.Cさんの親戚だという人関連で、この人が何やら荷物を送ってきたのを母親が送り返したと言うのだが、なかに何が入っていたのかと訊いても判然としない。何か「病院で使っているようなもの」で、遺品の類かとも言われていたが、よくわからない。いずれにせよ、この人と我が家とは何の面識もないのに、何故連絡を寄越してきたり、ものを送ったりしてくるのか不明。頭がちょっと呆けているのではないかと母親は疑っているようだ。
 もう一本はI.Y子さんからのもので、Yのおばさんの具合が悪いのだと言う。それで、明日見舞いに行ってくれないかと母親に打診してきたのだ。
 入浴して自室に戻ったあとは、何をしようかと迷いながらも、怠惰に過ごす。一時就寝。