2018/12/27, Thu.

 この夜も満月、直上に。眠れず。本を読みたい気持ちが勝ったので、三時二五分になって起き出す。床に就いて一時間も経っていない。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の二度目を読み終え、そこから大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』に入り、六時までぶっ続けで一気に六〇頁ほど読む。箸墓の名の由来になった三輪山伝説はなかなか面白い。大物主神[おおものぬしのかみ]の妻となった倭迹迹日百襲姫[やまとととびももそひめ](凄い名前だ――三つ連続で続く「と」のリズム)は夫の姿を見たいと望むが、それが小蛇であることに驚く。神が恥じて三輪山に還ってしまったところ、姫は自分の行いを悔いたのだろうか、箸で陰部を突いて死んだのだと言う。また、朝廷の三種の神器八尺瓊勾玉、八咫の鏡、天叢雲剣のうち、鏡と剣は天皇の即位にあたって奏上される王権の象徴となっているのだが、それはどうも卑弥呼が魏から賜った「五尺刀二口」と「銅鏡百枚」にまで遡るらしい。
 六時を過ぎて上階へ。排便。それから、カーテンも閉め切られて暗いなかにオレンジ色の食卓灯を灯して、パジャマからジャージに着替える。ダウンジャケットを羽織り、南窓のカーテンをちょっとめくって覗くと、空の果て、水平線には口紅を軽く塗ったようにうっすらと橙色が浮かび上がり、空はトワイライト・ブルーに染まって、その上に湿原めいた雲が横に広がっている。台所へ。汚れていたフライパンに水を入れて火に掛け、沸騰を待つあいだに、流し台に溜まっていた父親の食器を片付ける。フライパンの湯が泡立ったらこぼし、ペーパーで拭いて新しく油を垂らし、ベーコンと卵を焼きはじめた。丼に白米をよそっておき、黄身が固まらないうちにその上に取り出す。ほか、大根の煮物と里芋のサラダ。食卓に就いて、目玉焼きの黄身を崩して醤油を垂らし、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食す。食べながら、前日の夕刊から「回顧2018 論壇」の記事を読む。ケント・ギルバートの『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』は、「ある民族」について「『禽獣以下』の社会道徳や公共心しか持たない」などという差別的な記述が含まれていながら、五〇万部以上売れているらしい。六時半を過ぎて母親も起きてくる。どうしたのと言うので、どうもしない、ただ眠れなかっただけだと告げる。とにかく眠気というものが湧かない。眠れたとしても気持ちよくはない。睡眠の甘美さを味わうことができず、自分がサイボーグになったかのような感じがして味気ないが、その分本を読めると思えば悪くもないのかもしれない。
 皿を洗ったり、燃えるゴミをまとめたりしたあと、二六日の朝刊から、インドネシア関連の記事や磯崎憲一郎文芸時評も読む。室に帰って、七時二〇分から日記。一時間半掛けて前日の記事からここまで。まことに時間が速い。
 上階へ。母親の座っているテーブルに寄り、彼女の持っているタブレットを背後から覗きながら林檎をいただく。LINEだかViberだかの画面には、兄の用意した朝食に臨むMちゃんの写真が載っていた。それから風呂を洗い、部屋に戻ってくると横向きにベッドに寝そべった。果たして眠れるかどうか心許なかったが、気づかぬうちに無事入眠しており、気づけば一時過ぎを迎えていた。四時間ほど眠ったことになる。それでもこの日休んだ時間は四時間四〇分なので、随分と多くの時間を使えるというものだ。ふたたび上階に行って食事を取ったが、この時何を食べたのだったか、もう覚えていない。
 母親はフラワー・アレンジメントの教室に出かけて行った。日記の各記事に何箇所かずつ引用してある書抜きを読み返したあと、こちらも支度をして外出に向かう。ユニクロで買ったものだが、椛の葉のような臙脂色のシャツに、下は藍色のピンストライプのズボン、上にはモスグリーンのモッズコートを羽織る。リュックサックのなかに大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』や財布を入れ、ポケットにはハンカチと手帳を籠めて玄関を抜けたのが、二時二五分だった。もはや紅葉の盛りも過ぎて、道に落葉は少ない。先ほど読んだ記述の記憶を思い返し、日米安保条約がどうとか頭のなかでぶつぶつやりながら坂を上って行く。風は弱く、さほどの冷たさもない。Tさんの宅の前に掛かると、何か芳しい花の香が薫ったが、あたりに目を向けても出所らしき植物は何もなかった。街道との交差部、ガードレールの向こうに生えた紅梅が早くも色づいていたが、蕾にしてもこんなに早くつくものだろうか。
 空は快晴、綿飴のように端のほつれた雲がいくつか浮遊するのみで、西南の太陽は広くひらいてその光線を遮るものとてない。八百屋の旦那と婦人が話しており、女性が道を渡って車のところまで来ると、焼き芋の香りが漂った。穏和な空気のなかを歩いて行き、郵便局に寄って五万円を下ろした。残っている貯金はついに六〇万まで減ってしまい、着実に金を失って行っている。道行きのあいだたびたび救急車のサイレンが聞こえ、市民会館跡に掛かった時も後ろから走ってきたのを、そこの工事現場から出てきた交通整理員の老人――髭を蓄えてサングラス風の眼鏡を掛けていて、母親が「亀仙人」と呼んでいる人だ――が警棒を振って導くようにしていた。床屋の前を通ると、風鈴の音がちりん、ちりんと鳴る。駅前の路地のところでは、正月の注連縄や注連飾りを売る露店が設けられていた。
 駅に入り、ホームを行きながら手帳を取り出すと電車が入線してきた。乗り込んで座席に座り、道行きのあいだのことを断片的に素早くメモして行く。電車は一五時八分発、その後は大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読んで立川まで乗った。降りて階段を上り、すれ違う人の顔にYさんの面影を見ながら歩き、改札を抜ける。人波のあいだを泳いで駅舎を出て、広場から左方、オリオン書房のほうに向かいながら、これだけの数の人がいるのに、自分が自分であってほかの誰でもなかったということの不思議を思った。これは永井均的な疑問だろうか。正確には、こちらがただこちらでしかなく、こちらでありながらほかの何かになることができないということ、すべての人間がそのようにしてただ一つの主体であらざるを得ないということに何か納得が行かないような気がしたのだった。
 建物に入り、エスカレーターに足を掛けると、背後のHMVの方から、"The show must go on"と叫ぶFreddie Mercuryの声が聞こえてきた。本屋に入店すると、まず海外文学を見に行くことにした。その途中、日本文学の棚から『後藤明生コレクション』の存在を確認しておき(一から五まですべて揃っていた)、書架のあいだを抜けて壁際の海外文学のコーナーに至ると平積みにされている本を端から見下ろして行く。ジョルジュ・ペレックの『パリの片隅を実況中継する試み: ありふれた物事をめぐる人類学』という作にちょっと興味を惹かれて、手に取り開いた。これはこちらがやりたいことに近い試みだというか、そこにあるものをただそこにあるものとして記したいというような思いがこちらのなかにはあるかもしれない。それから哲学の棚に移ってここでも同じように新刊本をチェックしたあと(重田園江『隔たりと政治――統治と連帯の思想――』という著作を手に取った。この人はミシェル・フーコーの研究者で、『統治の抗争史: フーコー講義1978-79』という作も並べて置かれてあった)、漫画の区画に入った。カガノミハチ『アド・アストラ』の最終巻などを買おうと思っていたのだ――第二次ポエニ戦争におけるスキピオハンニバルの抗争を描いたこの漫画は、面白さとしてはそこそこという感じだが、最終巻のみ読まないのはやはり締まりが悪いというわけで、最後まで付き合うことにしたのだ。その前にアフタヌーンの棚から、市川春子宝石の国』九巻と、幸村誠ヴィンランド・サガ』の一巻から三巻を保持する。幸村誠は先日読んだ『プラネテス』がなかなか良かったので、『ヴィンランド・サガ』のほうも読みはじめてみることにしたのだった。それから棚を移ったが、薄々そんな記憶を持っていたところ、『アド・アストラ』は最終一三巻のみが棚にない。それで仕方なく淳久堂のほうに行くことにして、保持したものを棚に戻して店を出た。エスカレーターを下ってフロアを行くと、HMVからは今度は"Keep Yourself Alive"が流れ出ていた。そこを過ぎてSUIT SELECTからはサックスの響きが聞こえ、それを背に建物を抜けた。
 高島屋の側面に、赤味を仄かに混ぜたような稀薄な橙色が掛かって、その上をモノレールの影が横に滑って行く。高架歩廊を歩き、高島屋入り口の前まで来たところで、視線の先の交差点のさらに向こう、空の果てに黒い点の集合と化した鳥たちの姿が見えた。入店し、エスカレーターを上って淳久堂書店に入る。降りると右方へ二度折れて、コミックの区画に入った。目当てのものをそれぞれ手もとに持ち(『ヴィンランド・サガ』は一巻増やして四巻までを買うことにした)、会計に向かう。三八五九円。袋はビニールか紙かどちらが良いかと訊かれたので、ビニールを選択し、下りのエスカレーターに踏み入るとリュックサックのなかに荷物を収めた。
 高架歩廊に出ると時刻は四時、空気は確実に明度を下げて、下の道から伸びた電灯の、街路樹の葉に掛かったオレンジ色が浮かび上がりはじめている。駅舎前の広場まで来ると、高層ビルの合間に僅かに覗く西南の空に夕陽の橙色が広がり、その上にはシャツを濡らす染みのような稀薄で曖昧な雲が浮かんでいた。駅舎のなかに入り、LUMINEに入店する。この日の外出は、二日後の食事会に着て行くためのコートを購入するというのが主目的で、漫画を買うのはそのついでだったのだ。それで二階のUnited Arrowsをまず見たのだが、良いなと思うコートは四万円、その他のものでもすべて三万円台で、さすがに一着の衣服に三万円も出すのは躊躇われる。加えて、今は無職の身分でもある。貧乏人は大人しく身の丈に合った店に向かうことにして、エスカレーターに乗った。それで六階で降りて、まず先ほどのUnited Arrowsの下位ブランド、greeb label relaxingの店舗に入った。ここには二万四〇〇〇円のメリノ・ウールのチェスターコートがあることを以前確認していた。店内を見て回るとしかし、それよりも高値、二万六〇〇〇円のバルカラーコートというのがあり、ダーク・ブルーの地に黒で細かな、しかし控えめでくどくはないチェック模様が入っているのを見て、これが一番良いなとピンと来た。しかし二万六〇〇〇円も結構値が張る。それで一旦保留にして店舗を出て、次にtk TAKEO KIKUCHIのほうに向かった。こちらにも、一万八〇〇〇円だかのチェスターコートがあるのを以前目に留めていた。United Arrowsの店員は、いらっしゃいませと言うのみで何だかんだと話しかけてこないのだが、こちらでは短髪を立てた若い男性の店員が、気になったらぜひ羽織ってみてくださいと言ってきたので、チェスターコートと、もう一つボタンが首もとまで閉まるタイプのものを試着させてもらった。チェスターコートはかなり軽く、ウエストが僅かに絞られた細身のものだった。ほかの店などでは大概五〇パーセント程度のウールが七五パーセント入っているのが売りで、軽くて外見には薄く見えるが暖かいとのことだった。それも悪くはなかったが、やはり先ほどのUnited Arrowsのものが気に掛かっていたので、もう一度そちらに向かうことにして、tkの店員に礼を述べ、また来るかもしれません、お願いしますとお愛想を言って店を移った。それで件のものを試着すると、Sサイズでぴったりだった。ほかに明るく軽い茶色のものも身に着け、また密度の高い締まった茶色のチェスターコートのほうも羽織ってみたが、やはりダーク・ブルーのものが一番良いように思われた。それで大方これを買うことに心を定めて、そのほかズボンを見分した。これも一万円の、ダーク・グリーンのものがあるのを以前目に留めていたのだ。棚を見ているとここで店員が、ぜひ試着をどうぞというような感じで話しかけてきたので、ダーク・グリーンのものと、もう一着、黒っぽいデニムとを試着させてもらうことにした。試着室の壁にズボンを掛ける際、店員が、ダーク・グリーンのほうの裾を大幅に折り込んで吊るした。丈直しを前提として、裾がかなり長く作られていたのだ。試着してみると悪くはなかったが、丈直しを待ってもう一度取りに来るのも面倒臭い。もう一つのデニムは、三〇インチだったがぴったりでやはり悪くはなかったが、しかしポケットのあたりが少々きついように感じられて、これも却下した。やり取りをした店員は、声のちょっとかすれて柔和な感じの、髪を六対四くらいに分けて左右に流し、顎と鼻の下に僅かに髭を生やした人だった。年齢がわかりづらかったが、顎髭に白いものが混じっていたところを見ると、四〇代かあるいは五〇歳くらいに達していたのかもしれない。その人とやり取りをしながらもう一着、薄水色に寄ったグレーのパンツを試着した。最初、Sサイズのものを着たのだが、これはやはりきつかった。それでMサイズのものを持ってきてもらうとぴったり、きつくも緩くもなくてちょうど良かったので、これも購入することにした。それで試着室を出て、今日はコートを買いに来たんですよと言いながら先ほどのコートのところに行き、もう一度試着させてもらったあとに、先ほどのパンツとこのコートの二つを購入したいと申し出た。バルカラーコートとはどういうものなのかと尋ねると、ステンカラーコートまでは行かないが、襟が大きめで特徴的なもので、チェスターコートよりもボタンが上まであってV字の領域が狭くなっているとのことだった。そもそもステンカラーコートというのがどういうものなのかもこちらは知らないのだが、いま検索してみると、ウィキペディアではステンカラーコートの別称としてバルカラーコートという呼び方もあると紹介されていて、良くわからない。さらにこの柄と色が良いと思ってピンと来て、と話すと店員は、グレーなんかだとこういう柄はあると思うが、ダーク・ブルーのものは滅多にないと思いますねと答えた。それからレジに向かう前に、ポイントカードはお持ちですかと尋ねられた。ないと答えると、今ちょうど優待サービスをやっていて、作ってもらえればコートのほうを値引きできると言うので、作成することにした。それでレジに行ったのだが、ここで何やらトラブルがあったらしく、女性の店員がクレジットカードの機械を相手に奮闘していてレジが使えず、しばらく待つようだった。目の前に立ち尽くして待っているこちらに対して女性店員は、作業をしながら、お待たせして申し訳ありませんと沈痛な感じで言うので、いや全然大丈夫ですよと笑って答えたのだが、彼女の沈痛そうな表情は和らがなかった。待っているあいだ、先の男性店員はレジの後ろ側に入って、コートの袖のところについた「MERINO」というタグを切って取り除いてくれていた。じきに機械から連続で三、四枚レシートが発出されて、それで処理は終わったようで会計となった。カードを渡されて財布に入れ、値引きは大したものではないだろうと思っていたところが、これが四〇%、一万円以上も減額されたので非常に有難かった。コートは一万五〇〇〇円ほど、パンツのほうは七九〇〇円で、計二五三八〇円だった。良い買い物をしたと言うべきだろう。
 暗緑色の大袋に入れられた荷物を受け取って退店し、エスカレーターを降りて駅通路に出る。時刻は五時、帰路に向かうことにして、一七時三分発の電車に乗った。網棚に荷物を上げて席に就き、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読んで到着を待った。Oに着くとちょうど乗り換えが来ており、それに乗って最寄りで降りる。暗い宵だった。横断歩道を渡って坂に入り、空を見上げると、快晴の日和で星は見えるが、月はまだ遠いようで暗んでいる。下り坂を抜け、平らな道に入って暗色に沈黙している空をふたたび見上げながら帰宅した。
 母親は既に帰っていた。買ってきたコートとズボンを改めて身に着けて、玄関の大鏡で確認する。食事会への格好はこれで良いように思われた。それから下階に下りてジャージに着替えたあと、台所に入って食事の支度をした。牛肉をキノコとともに炒め、ほか、里芋と厚揚げの煮物、大根・人参・玉ねぎ・胡瓜を細かく下ろしたサラダなどである。支度を終えると自室に戻って新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の書抜きをした。それから、先ほど受け取ったカードのことを思い出して、忘れないうちに登録を済ませることにした。カードに記してあるURLをブラウザに打ちこんでサイトにアクセスし、個人情報を入力して登録を完了した。パスワードは(……)である。ファッションにさほど強いこだわりがあるわけでないので、メールマガジンやお知らせの類はすべて受け取らない設定にした。その後、FISHMANSを作品をデータで購入することにした。前々からFISHMANSのアルバムは集めたいと思っているのだが、ディスクユニオンなどに行ってもライブ盤などしか見当たらなかったのだ(ライブ盤はライブ盤でほしいのだが)。それでもうデータで買ってしまうことにして、"いかれたBABY"の入っている作品にしようとウィキペディアを探ると、『Neo Yankees' Holiday』というのがそれだった。それでこれを購入し(二〇〇〇円)、データをダウンロードしたのだが、ファイルの名前が文字化けしていた。それはまだ良いのだが、四曲目と七曲目に到っては、mp3のはずが破損しているのかそれとして認識されず、ライブラリに取り込んでみても読み込まれない。それで損をした気分になったが致し方ない。
 夕食。テレビは素人のカラオケ大会。清水翔太の歌を歌う人がいたのだが、テレビに映し出されるその歌詞を見ていると、やはり最も流通する類の大衆歌の詩というのは、まるで具体性がないなと思った。「気持ち」や「感情」ばかりで、「風景」だとか、そもそも「具体物」がまったく出てこないのだ。しかしそれで観客の芸能人たちはじんと来て涙ぐんだりしている。この圧倒的な物語、ふわふわとした曖昧さによる感情の共同体、というわけだ。それに対して以前のように嫌悪感はないが、やはり何となく釈然としないというか、自分はこの共同体に巻き込まれたくはないなという気がする――しかしこれはまたアンビバレントな感情であって、以前よりも感性の稀薄化している現在、そのように出来合いの物語にでも「感動」できるほうが人生として面白いのではないかという気もしないではない。つまり、そうした「本流」の人々の価値観/感性に同調できないことに対して、仄かな疎外感を覚えないでもないということだ。
 入浴して九時前。自室に帰り、カガノミハチ『アド・アストラ』の一三巻を読み、スキピオハンニバルの死、物語の終幕を見届けた。それから大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』の書抜き。BGMはFrank Amsallem/Tim Ries Quartet『Regards』。そうして一一時前から零時ちょうどまで、同書をさらに読み進めた。歯磨きをして、(……)を二話分視聴。一時からふたたび読書、二時直前まで。そうして就床。
 読んだなかでは、やはり神話の挿話などが面白い。もっとも日本の記紀神話はほかの神話とは違って、自然法則などの説明できないことを神の仕業として説明するものではなく、大和政権の正統性を説明する趣旨のものらしいが、それでも部分的には通常の神話的な記述もあり、本書では人間はなぜ死ぬのかという点が紹介されている。曰く、ニニギは天孫降臨ののち、オホヤマツミからコノハナノサクヤヒメとイハナガヒメの姉妹を差し出されるが、岩石のように永遠だが醜い後者と、花のように美しいが枯れてしまう前者のうち、イハナガヒメを返してしまう。彼女をもらっておけば永遠の命があったのに、以来人間の命は有限になってしまったというのだ。花と結婚して石とは結婚しなかったがために人は死すべきものになったというその原始的な(?)論理が面白いわけだが、こうした神話は世界中に分布していると言う。
 また、記紀神話の冒頭では、イザナキとイザナミの男女神が、「この漂える土地を固めなせ」という命令を受け(誰から?)、矛で海水を「こをろこをろ」と攪[か]き鳴らし、その矛から滴った塩が積もってオノゴロ島ができると言うのだが、ここを読んだ時に記憶の刺激される感覚があった。「こをろこをろ」という擬音を以前、小説作品のなかで読んだことがあったのだが、その作品というのは、高尾長良『影媛』である。該当部分を含む段落を下に引こう。

 彼女は緒を落した。水底へ手を伸ばし、一本の枝を拾い上げた。粗い木の膚が掌をざらざらと擦り軽く快い痛みが背筋へ廻った。彼女の掌を陽の光から匿す様に、志毘の掌が彼女の掌を覆い包、其れと共に、二人の手に包まれた一本の木の宿す命が湯水の様に頭の頂に流れ込み身内へと滴り落ちて来た。予[かね]てから定められていた事を為し遂げる様に、二人は蹲った。志毘の手に覆われた彼女の掌が檀[まゆみ]の様に撓い、水の内へ棒を指し下ろして廻した。こおろこおろ、と水は玉の様に鳴った。底は遠く、棒の尖を水の面から稍奥へ、棒の中程が漬ずるまで入れて画き鳴していった。引き上げた棒の末から光る水が垂[したた]り落ち、累なり積って島の様に成った。総身が水の垂りと木魂した。彼女は眼を閉じ、躰の底から湧き起こる、山野の闇の韻を聞いた。
 (高尾長良『影媛』新潮社、2015年、82~83)

 日本古代を舞台にした悲恋を描いた小説で、その細かな物語はもはや何も覚えていない。しかし、記録によれば二〇一五年三月と三年以上も前に読んだにもかかわらず記憶が呼び起こされるほどには、この「こおろこおろ」という擬音が印象的だったのだが、その元ネタというのが「記紀神話」だったわけだ。さらに今、読み返していて気づいたのだが、「引き上げた棒の末から光る水が垂[したた]り落ち、累なり積って島の様に成った」という部分も、おそらくは塩が積もって島ができるという神話の記述を元にしているのだろう。




新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』岩波新書(1585)、二〇一六年

 実は日米両政府が辺野古にこだわるのは、米軍が、六〇年代に、大浦湾のキャンプ・シュワブ沖を埋め立てて、現在とほぼ同様な基地建設を計画していたからである。ベトナム戦争当時の沖縄の政治情勢やアメリカの財政事情もあって、この計画は実現しなかったが、普天間返還(end120)の代替施設として、この基地建設計画がよみがえったのである。しかも経費はすべて日本が負担する。
 「撤去可能な海上ヘリ基地」[九六年一二月、SACO最終報告]から、「辺野古沿岸沖二キロのリーフ上の一五年使用期限付き軍民共用空港」[一九九九年]へ、そして「大浦湾から辺野古沿岸を埋め立て、V字型に二本の滑走路を持ち、強襲揚陸艦も接岸可能な港湾施設や弾薬搭載場も持つ」現在の案[〇五~〇六年]へ、計画は軍事的観点から見れば理想的な形に近づきつつある。
 (120~121)

     *

 「集団的自衛権」行使容認を閣議決定した一四年七月一日(……)
 (183)

     *

 一四年一一月一六日に投開票が行われた知事選の結果は、翁長の圧勝であった。翁長の得票(三六万票)は、対立候補仲井真弘多下地幹郎喜納昌吉三名の総得票数を上回り、仲井真に一〇万票の差を付けた。仲井真は、前回の知事選で自らが獲得した票を七万五〇〇〇票も減らした。投票率は六四・一三%と、前回の知事選を三・二七%上回っていた。これだけの圧勝であったにもかかわらず、先島地域では、下地や仲井真に後れを取ったことの意味も見落とすべきではない。
 (186)

     *

 九九年のエンドースというのは、稲嶺[恵一]知事、岸本[建男]名護市長との「使用期限一五年の軍民共用空港」の合意である。この合意は閣議決定された。その合意に基づく閣議決定を沖縄の頭越し(end209)にご破算にしたのが、〇五~〇六年のV字型現行案である。(……)
 (209~210)



大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』講談社学術文庫、二〇一七年(講談社、二〇一〇年)

 (……)景行陵のあたりでコースを西南にはずれて、箸墓の周辺から三輪山を望むのが美しいが、このあたりは纒向といい、三輪山のふもとという意味のヤマトという国、古代王権の発祥の地である。
 (4)

     *

 戦前の皇国史観では、天皇が主権者であり、天皇即国家であった。その天皇神武天皇以(end15)来の万世一系であり、天皇の統治は永久不変であるとされた。神武天皇の即位は『日本書紀』の紀年に従い紀元前六六〇年とされ、日本の神話、『日本書紀』や『古事記』の伝承が史実とされた。したがって「記紀」に対する科学的な史料批判を加え、素材となった「帝紀」「旧辞」の成立時期の解明から伝承の信憑性の検討を通じて、古い時代の天皇系譜や伝承は史実でないと論じた津田左右吉が発禁処分を受けたことに明らかなように、直接研究の対象にするのは困難があった。
 (15~16)

     *

 (……)天皇について、十三世紀初頭の順徳天皇以降正式に天皇とよばれることは江戸時代までなく、一八四〇年、天保十一年の「光格天皇」に到って天皇号が復活する(……)
 (22)

     *

 早川[庄八]氏によれば、律令制下の天皇は、律令国家の統治権の総攬者としての側面と、支配階級全体の利害を代表する政治的首長としての側面をあわせ持つ。前者の側面は、中国律令法の皇帝の位置づけを全面的に継承しているので、天皇が法を超越した絶対的な正当性の根拠のようにみえる。しかしそれは日本の律令法が中国古代のそれを継受したためであり、それが律令制下の天皇の実相であるかどうかは別であると指摘する。
 一方の政治的首長としての側面は、中国皇帝のあり方を継承することはなく、畿内有力氏族の代表者から構成される合議体である太政官こそが支配階級の利害を代表していて、それ以前のあり方を継承して大きな権力を持ったと論じたのである。
 早川氏は、天皇太政官合議制との間に緊張関係を考え、太政官により古代天皇制の権力が制約されているという視点から、天皇に迫ったのである。ただしこれは権力論であり、どちらか強いか弱いかという議論になりがちである。この点に対して吉田孝氏は、天皇畿内豪族間との関係を単に並列的な権力の強弱の問題に還元すべきでなく、「天皇畿内豪族政権のなかで、特定の役割を果たすために共立された首長であり、決して畿内豪族と並立すべ(end24)き立場になかった」「七世紀の日本の天皇は、すでに特定の世襲カリスマを持った特殊な存在として、畿内豪族層の承認を得ていた」「日本の天皇畿内豪族に共立された司祭者的首長としての性格を色濃く残している」として批判している。
 (24~25)