2018/12/30, Sun.

 五時五五分に起床する。山際にうっすらと曙光の兆しが見えるのみで、まだ暗い。発疹ができて痒い腕に痒み止めクリームを塗っておき、読書を始めた。大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』である。有名な話で、飛鳥時代の六〇七年、倭国は隋に国書を送るのだが、そこに「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」と書かれてあって隋の煬帝が怒ったという話がある。何故怒ったかというと、日が昇るほうを倭に比定して立場が上と示したからという説があるのだが、これは俗説だと言い、出づると没するは単に東と西の方角を示しているに過ぎないらしい。その根拠となるのが『大智度論』の記述で、これに「日出づる処は是れ東方、日没する処は是れ西方」とあって、この仏典を元にした表現だったと言う。では何故煬帝が怒ったのかといえば、これは倭王が「天子」と名乗ったことが原因で、天下を統治する者は世界で中国皇帝ただ一人しか認められないからと言うのである。
 六時半頃になると海のように深い縹色の空、オレンジ色の漏れる山際の上部に、ラベンダーのような薄紫色が漂いはじめる。それからその紫色は上方に向けて拡散して行き、光が強くなるにしたがって空の青もごく淡く、勿忘草の色に薄まって行った。七時前まで書見。それからインターネットをちょっと覗いたあと、早々と前日の日記を記しはじめた。仕上げて投稿。引用を含めて一万三〇〇〇字に達したのでなかなか長い。それから今日の分もここまで書いて七時半。既に太陽は山を超えて眩しく輝き、部屋の入口の脇の壁に光線が矩形を作り出して、そのなかにこちらの姿形が影となってのっぺらぼうに映っている。
 上階へ行って、母親におはようと挨拶した。おじやを作っていると言う。台所に入ると、ぐつぐつと煮立っている鍋があった。卵を入れてと言われたので、そこに置かれていた褐色の卵を一つ椀に割り、執拗にかき混ぜる。その間母親は米を鍋に追加し、もう少し煮るようだと言うのでこちらは場を離れて、外に新聞を取りに行った。肌の張るような冷たい空気で、いよいよ本格的に冬めいてきたようだ。新聞を取って卓に戻り、ビニール袋を鋏で切り開けて記事をチェックした。テレビは『小さな旅』。宮川の鮎の「しゃくり漁」を受け継ぐ一七歳の高校生が紹介されていたが、これは夏頃にも見た記憶がある。再放送なのかと思えば、「彩りの四季」という総集編らしい。
 前夜の野菜炒めの混ざったおじやが完成したので食す。なかなか美味。食後、前日に買ってこられたユーハイムの薩摩芋パイも食す。ほか、同じく東京駅で買ったクリームの入ったケーキも食べてしまうようだと言うので冷蔵庫から取り出して、向こうに置いておいてと母親に渡す。それで皿洗い。さらに、母親と協力して洗濯物も干す。このあたりで時刻は八時半頃、父親も起きてきた。洗濯物を出してしまうと、風呂は年末の大掃除で父親が掃除するのでこちらは手を付けず、先ほどのチーズケーキを食べた。「ラ・テール洋菓子店」の「酪円菓[らくまどか]」というものである。栞の文言を写しておく。「赤ちゃんのホッペのように、ほんわり、ぷっくり、やさしい食感の生地の間には、北海道産の「マスカルポーネ」を使ったチーズクリームをサンドしました。/マスカルポーネは、イタリアのデザート"ティラミス"のベースになっていることで一躍有名になったチーズです。/発酵させないでつくるフレッシュタイピウのため、チーズというよりクリームのようななめらかさとコクのあるミルキーな味わい。/チーズ独特の酸味やクセがなく、お菓子にした時にもやさしい味に仕上がります。/生地にも混ぜ入れ、お口に含むと、なんだかホッと心和むようなやさしい食感と味わいです」。
 テレビは、芸人たちが時事ニュースを漫才にすることに挑戦するという番組をやっていた。こちらはそれから、裸足にサンダルを突っかけて、ストーブの石油を補充しに勝手口のほうに出た。タンクを満杯にしてストーブに戻すと、もう一度外に出て、さらに掃き掃除をする。塵取りを片手に持ち、もう片方の手では箒を横にして、狭いほうの面で弾くようにして落葉を集めて行く。一〇分も掛からずに終えて屋内に戻って、緑茶を用意する。父親は回覧板配りに出かけて行った。こちらは室に下りてFISHMANS『Chappie, Don't Cry』を流し、日記をここまで書いて九時を迎えた。
 大津透『天皇の歴史①』を書抜き。現在手帳にメモしてある部分まですべて終わらせる。途中、天気が良いので布団を干すことにして、ベランダの柵に掛け布団と毛布を掛けた。書抜きののち、日記に引用してある沖縄関連の記述の読み返し。各箇所二回ずつ音読する。その途中で母親は(おそらく父親も一緒に)買い物に出かけて行った。蒲鉾や蛸など、正月の品々を買いに行くのだったが、こちらはNと会う予定があるので行かなくても良いことになっていたのだ。読み返しは三〇日から遡って一二月一九日まで。音読したあとに記述を隠しながらぶつぶつと誰かに説明しているかのような独り言を呟いて、知識が頭に入っているかどうか確認することもした。何か知識というものを自分のなかに定着させるには、「思い出す」という働きが不可欠だ。一九日、二四日、二五日あたりの記述に関してはかなり覚えてきている。そうしてMさんのブログも読んで、一一時半。作業中のBGMはFISHMANS『KING MASTER GEORGE』『Oh! Mountain』と移行させた。
 歯磨きをしながらUさんのブログ。「否定の思索しかできない者が、自らの経験内容や、他者が経験を形式化した言葉の範疇でしか世界に参加できないのに対し、自ら発現し続ける豊かさが思索できる者は、収束することのない、参加すればするほど豊かさの増す、結論や帰結はないが始原である、圧倒的に安定した、不安定な運動を表現することになる」。それから、二六日の朝刊。「全県で実施「黄信号」 沖縄県民投票 「不参加」2市表明」と「インドネシア 揺らぐ多宗教 イスラム以外に不寛容 教会・仏寺院に被害」の二記事。宜野湾市宮古島市辺野古移設賛否の県民投票を実施しないと明言している。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』を読んだところによると、近年先島諸島地域では保守化が進んでいるらしく、実際、投票の実施について、宮古島市が不実施、石垣市は再議で否決されて首相の判断待ち、与那国町はこれから再議となっている。後者の記事は、多宗教国のインドネシアイスラム教の強硬派が伸長しており、他宗教への不寛容が広がっているとするもの。「スマトラ島では8月、イスラムの礼拝を呼びかけるスピーカーの音が大きいと苦情を言った仏教徒の女性に地裁が宗教冒瀆罪で禁錮1年6カ月の判決を下し、仏教寺院が襲撃される事件も起きた」。苦情を言っただけで裁かれてしまうとは! また、インドネシアの国是に「パンチャシラ」(建国五原則)というものがあり、他宗教への尊重を謳っているらしいが、これは先月読んだワールポラ・ラーフラ/今枝由郎訳『ブッダが説いたこと』のなかでは、「平和五原則」と称してインドの基本的な国政方針としても紹介されていた。その他、二七日の新聞から、横田基地へのオスプレイ配備関連の記事も読む。Nからは連絡があって待ち合わせを三時にしてほしいと言うので了承した。
 新聞を読んでいるあいだに両親が帰ってきていた。上階へ。テレビは「報道の日 2018」という番組を流していて、今上帝の米国訪問について扱っていたが、そこにウォルター・モンデール元駐日大使が映っていた。『日本にとって沖縄とは何か』を読んだので、これは一九九六年四月一二日に普天間基地返還合意を発表した時の大使だと覚えていた。元々昼食は食わずに出るつもりだったのだが、待ち合わせが遅くなったので腹ごしらえをすることに。煮込み素麺を頂く。食後、アイロン掛け。自分のものと両親のものと、シャツ三枚。テレビはあまりよく見なかったが、羽田孜首相が平成の総理大臣のなかで唯一米国大統領と会談したことのない人だなどと紹介されていた。
 自室へ下りる。FISHMANS『ORANGE』を流す。"Intro"及び"気分"のベースが素晴らしい。名盤の匂いが香った。音楽を流しながら服を着替える――昨日と同じ格好である。それから、あるいは着替えの前だったかもしれないが布団を取り込み、ベッドを整える。そうして歯磨き。FISHMANSを最後まで聞き、『後藤明生コレクッション 4』をほんの少しだけめくる。この著作も、二月に読んだものだが、読み返したい気がする。それでコートを着込んで上階へ。母親に、カーディガンは着たかと訊かれる。実のところ、よく晴れているしさほど寒くもなかろうと着ていなかったのだが、ああ、と簡潔に答えて嘘をつき、追及を回避する。便所で排尿してから、二時四五分に出発。道はまだ全面日向に覆われており、風に押された落葉がからからと乾いた音を立てながら地を走る。坂を上って行くと途中の家のベランダに布団が干してあって、偏差なく澄明な、ほとんど明け透けなまでの青空を背景にして、実に似つかわしいなと思った。FISHMANS "ひこうき"が頭のなかには流れている。街道に出る前の交差地点で、やはり紅梅が花をつけている。本当に花だよなと、遠くから見ても薄桃色の明らかなのだが信じられないようで近づき、まじまじと眺めると、まだ蕾のものもいくらかあるが確かに花がひらいていた。街道に出て西に大きな雲を仰ぎ、進んで行って裏に入ると、前方突き当たりに白い市営アパートがあり、ベランダにはことごとく洗濯物が干されて彩られており、上階のタオルなどは風に吹かれてめくれて揺れる。地上に生えた木の葉っぱも揺れている。それを頭のなかで言葉にしながら過ぎたあと、どうしてああも意味のないものを印象に残してしまうのだろうなと自問した。しかし、そうしたほとんどまったく意味のないもの、それこそを書いていきたい、取り込んで行きたいのではないか? これは以前抱いていた信念/信仰の復活の兆しなのかもしれない――すなわち、この世のすべての事物はそこにただ存在しているというだけで(存在していなくとも?)書く価値があるという信仰である。二〇一五年あたりの自分はこれを本気で、熱情的に信じており、それにしたがって毎日事物の具体性を捉えようと日記の執筆に邁進していた。しかしむしろ今のほうが、「ただ書くこと」に近づきつつあると思われる今のほうが当時よりも、上の信仰を的確に表現できているのかもしれない――その後、頭のなかに言葉を巡らせながら歩く。思考とは脳内で言語を浮遊させること、動かすこと、蠢かせることである。すなわちそれは、精神のうちに「テクスト的領域」を形作ること――頭を擬似的なペンとノートと化して文を書くことにほかならない。空中を漂うシャボンの泡のように浮かび、入り混じり交錯する意味=言語――人は言語によってしか考えることができず、言語には必然的に意味がついてくる。思考のなかでは意味と言語とは完全に一体のものである――しかし、言語なき思考、記号なき思考というものがあるのだろうか? 多分あるのではないか。それは「直観」という言葉で名指されるような現象かもしれないが、この点は自分にはまだよくわからない。
 路程の終盤に到って、ムージルのことを思い出す。ニート生活で時間がたっぷりある今のうちに『特性のない男』を読んでしまうのも良いかもしれないなと思ったのだ。『特性のない男』の訳者の誰だかは、難解なムージルの記述にやられて本当に精神を狂わせかけたというか、ノイローゼになりかけたのだと聞いたことがある――これは確かMさんが、訳者の知り合いだという京都の古書店の店主から聞いたエピソードだったはずだが、そんなことも思い出した。「合一」を日本語にした古井由吉も凄まじい仕事をやったものだ。
 青梅駅。券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージ。改札を抜ける。通路を行きながら、後ろからうぉっ、うぉっ、という感じで、ゴリラのような唸り声が聞こえてくるので知的障害者の人だろうかと思う。ホームに出て先頭車両へ。席に就き、手帳に徒歩のあいだのことをメモする。そうして読書。大津透『天皇の歴史①』の続き。発車。先ほどの知的障害者の男性は親らしき男性に付き添われて車両の先頭に乗っており、うー……と唸ったあとにうっ、と声を上げる、ということを繰り返していた。太陽が南窓から光線を射し入れて、組んで上に載せた右脚に掛かって暖かく、靴の金具の角に光が溜まってそこから八方に、淡く白い筋が拡散する。
 立川で降車、三番線。立ったままポケットから手帳を取り出し、読書の時間を記録してから(二時五五分まで)階段へ。蟻の群れのように蠢き撓む人波のなか改札を抜けて、壁画のほうへ。Nは既に来ていた。近づいて行き、挨拶をする。腹が減っていて、ひとまず何か食いたいと言うので歩き出す。「KANGOL」と記された小ぶりの黒のハットを被っていたので、お洒落な帽子を被っているじゃないかと向ける。もう数年使っているものらしい。ちょっと進んでから、お返しのようにしてこちらのバルカラーコートも褒められるので、つい三日前に買ったばかりなのだと明かす。PRONTOに行くことになった。歩廊からエスカレーターで降り、居酒屋の客引きの横を行きながら、文章をまた書きはじめたということを報告する。
 入店。カウンターの向こうの店員から、先にお席の確保をお願い致しますと言われて二階へ。一方が長いソファになった二人掛けのテーブル席に入る。ソファのほうに就いたのはこちらである。マフラーを外し、クラッチバッグのなかから財布を取り出し、荷物はその場に置いたまま一階に下り、注文へ。Nはサーモンとたらこのパスタ、こちらはホットココアのMサイズ(三三〇円)。Nはスマートフォンを使って会計を支払っていた。
 二階に戻って席に就き、コートを脱いで丸め、ソファ席の上にバッグとともに置く。ホットココアを啜りながらしばらく喋る。Nはフォークを使ってスパゲッティを丸く大きく巻き付け、一口一口口いっぱいにそれを頬張りながら食べていた。一〇月から一人暮らしを始めた身である。食事はすべて外食で済ませており、それだから金が掛かって仕方がないと言う。一日に一八〇〇円くらい掛かるらしい。三〇日で換算すれば五万四〇〇〇円である。炊飯器はないのかと訊くと、炊飯器はおろか冷蔵庫すらないと言う。それでは金が飛んでいくばかりだ。炊飯器があれば米を炊いて、スーパーでちょっとした惣菜を買うだけでも、と提案する。Nは何となく口数が少ないような気がしたが、これはものを食べていたからというだけのことだろう。仕事のことなど聞こうかと思ったが、食べながら話させるのもと思って訊かず、咀嚼と咀嚼のあいだにNが口をひらくのを待った。
 順番が前後するが、話の最初は、最近何か変わったことはあったかと訊かれて、変わったことでもないが、イベントとしてはつい昨日、会食があったと答えたのだったと思う。兄夫婦と兄嫁の両親とこちらと両親とで東京の和食屋に行った、一コース一万円くらいする店で、兄は大層金が飛んだだろうと説明する。
 じきに、最近何か音楽は聞いているかと問われた。最近一番聞いているものと言えば、FISHMANSをおいてほかにはない。それで知っているかと尋ねると、名前は聞いたことがあったらしい。良いぞと勧めるとNはスマートフォンを使って、即座に彼らの音楽を検索した。何かそういうアプリがあるらしい。覗いた曲目のなかに"いかれたBABY"が見えたので、"いかれたBABY"は良いぞと言うと、Nはワイヤレスのイヤフォンを片耳につけて聞きはじめる。Wi-Fiの使用量を超過しているらしく通信が制限されており、読み込みが遅いのに難儀していたが、じきに流れはじめたようだった。FISHMANSの音楽はわりあいに気に入られたようだ。
 今日はNが買い物をしたいのだということだった。何を買うのかと問えば、雑貨とか家電とか服とかと言う。雑貨と言ってどこに雑貨屋があるか、ルミネの上などにはいくらかあるけれど、それかグランデュオかと、駅ビルしか知らない我々である。しかしNは、立飛のららぽーとに行ってもいいかと提案してきたので、勿論了承する。それで喫茶店を出て、モノレールの立川北口駅へ向かう。高架歩廊に続くエスカレーターに乗りながら、目の前のNの服を見やる。黒のコートは片側をジッパーで閉めるもので、そのなかにさらにもう一つジッパーが、こちらは首もとまでついている二段式のものだった。表面は結構毛玉というか毛羽立ちが見られて、長いあいだ着ているのではないか。ジーンズは青、太腿のあたりが褪せており、右膝に穴のあいたダメージタイプ。靴は赤一色のHYSTERIC GLAMOURのスニーカーで、これも結構年季が入っているものだ。六月頃に会った時もこれを履いていて、母親などNの名前を出すと、あの赤い靴の子ね、と記憶に留めていた。
 モノレール立川北口駅に入る。ホームへ上る。電車まで数分間がある。ここでNの仕事の話がなされた。彼は宅建士の資格を取って不動産屋に勤めている。一一月の営業成績が二位だったと言うので、優秀なんだなと褒めると、Mは謙遜して、紹介が多かったからだと言った。しかし半年だか四半期だかでも五位の成績だったらしく、一年目でそれだから将来有望視されているのではと言うと、そうでもないとの返答があったが、立派なものだ。しかしそのかわりにひどく忙しく、一一時頃まで仕事していることもあったと言う。
 モノレールに乗り、二駅。ららぽーとの敷地内で、子どもたちが白い人工の丘のような遊具の周りで遊び回っているのが見下ろされる。立飛で降車。改札を抜ける前に便所に寄らせてもらった。排尿し、手を洗い、ハンカチで水気を拭いてから、行きましょう、と言を合わせる。ららぽーと立川立飛は改札を抜けてすぐそこである。三階分のフロアマップの前で立ち止まって入っている店を確認してから――NはDIESELに行きたかったのだと言った――二階のフロアに入る。入ってすぐ右側にFREAK'S STOREがあって入る。入ると入り口付近に柄物の靴下が置かれてあり、三つで一五〇〇円である。Nは早速、これは買いだと言って二セット保持していた。時たま離れたり、また近づいたりしながら店内を見て回る。品は大方三〇パーセントや四〇パーセントオフになっていた。Nはさらに加えて、やはり柄物のマフラーを買うことにしていた。こちらは、ソフトタッチの茶色のズボンがちょっと良いなと思ったが、三日前に服に金を費やしたばかりなので踏み切れず。それでNの会計を待って、退店。
 先にその後見て回った店を順不同で挙げておくと、Urban ResearchZARAUnited Arrows green label relaxingDIESEL、AVIREXなどである。United Arrowsに入る時は、身につけているコートとズボンを指して、これとこれはこの店で(立川ルミネ店のほうだが)買ったのだと明かす。それで、どの店もセールをやっているから、同じものが値引きされていたりしたらがっかりだななどと言いながら入ると、果たしてセール品のなかに同じダーク・ブルーのバルカラーコートがあった。値段は見なかったが、こちらが買った時も一万円値引きされたのでセールみたいなものだ。ZARAは品揃え豊富で、しかもどれも結構安かった。DIESELジーンズは高い。
 三番目あたりだっただろうか、序盤のほうでAVIREXに入っており、ここでNが気にいるミリタリー・ジャケットあるいはジャンパーを見つけた。緑で迷彩がちょっと入ったものだったと思う。二万六〇〇〇円、こちらのバルカラーコートと同じ値段である(それは告げなかったが)。ウェーブの掛かった髪を左右に分けた店員の相手をしながら、Nは試着させてもらっていた。これはありだなと彼は言い、Mサイズだろうか、そのサイズはもう最後の一着だったらしく、店員のほうも、年始になるともう売れてしまうと思います、買うならこの平成最後の年末に、などとプッシュしてくる。それで一旦保留して店舗を出たのだが、ほかの店を見回っているあいだに中江の心は購入に固まってそれでふたたび戻った。先ほどと同じ店員を相手にして、会計するのだが、見ればNは店内の革張りの大きなソファに座って、何やらスマートフォンを操作しており、その傍らには店員がしゃがんで控えている。何かしらの手続きをしているらしいので、こちらは店内を見て回った。一三〇〇〇円ほどだったが、濃い茶色のジーンズがあって、先ほど来た時にも色が良いなと目に留めていた。それを手に取って広げてみるとしかし、思ったよりもピンとこなかったというか、太腿のあたりにジッパーのついているデザインが何だかなと思われたのだが、衣服をまじまじと見つめているこちらに向かって横から女性店員が、いい色ですよねと話しかけてきたので、同意を返した。気になるんですけど、つい三日前に服を買っちゃったんですよと告げて推薦を回避する。
 それからまたしばらく回ったがNの作業はなかなか終わらなかったので、じきにこちらもソファで彼の隣に就いて待つ。Nは会員登録かアプリの登録かを処理しているようだった。名前やパスワードを入力していくのを横から眺め、それが終わって会計をしているあいだ、こちらは足を組んでソファにふんぞり返って待っていた。時刻を確認すると五時だった。Nが会計を済ませると立ち上がって、ともに退店。
 服はもういいだろうということになって、次は雑貨を見に行くことにした。フロアマップを見るとFrancfrancだったか、それが遠くにあったので、フロアを渡って行く。しかしいざ行ってみるとその店はひどく女性っぽいというか、店内の色調も全体に淡いピンクで良い香りが湧き出しており、女性の使う製品しかなさそうだったので断念し、別の店を探す。それで、GEORGE'Sというものに到る。Nは玄関マットなど買いたいらしかった。それで見て回るが、キッチンマットはあったものの玄関マットらしきものはない。ほか、観葉植物も欲しいのだということで草木を見分し、その結果、Nはパキラという名前の小さな種を購入することにした。こちらは、店内に置かれた食品のなかに、「まつや」の「とり野菜味噌」というのがあるのを何となく目に留めていた。主用途としては鍋用のものらしいが、鍋のみならずほかの料理にも勿論使える。五〇〇グラムで八〇〇円ほどと結構いい値段だが、母親への土産がてらこれを買っていくことにした。それでレジに並んでいたNの後ろに就くと、こちらの手に持ったものを見た彼は、あはは、ともおほほ、ともつかない笑いを上げたあと、お母ちゃんに、と訊くので肯定する。Nの品は一二〇〇円くらいだったと思う。こちらのものは七八八円。袋は貰わず、パックに入った製品をそのままクラッチバッグに収める。
 それでそろそろ五時半、いい時間だし喉も乾いたし、立川に戻って飯でも食うかとなった。ららぽーとを出る前に最後、AWESOME STOREという雑貨屋にも寄ったのだが、ここでは特に何も買わなかった。それで退店。外は既に真っ暗だった。円状に人工芝の敷かれた広場に掛かると、アコースティック・ギターの音が流れ出しているのが聞こえ、すぐに"More Than Words"だと判別される。それで、"More Than Words"だ、Extremeの、懐かしいと口に出してNに知らせたが(高校の時分、こちらと同様ハードロックが好きだったNも当然知っているものだと思ったのだが、彼の反応は曖昧だったので、もしかしたらこの全米一位(だったと思うのだが)の曲にそれほど馴染みがなかったのかもしれない)、続けて始まった声は女性のもので、Extremeのオリジナル版ではなくカバーだった。広場では、子どもが何人か集って、円型のスペースの床に埋めこまれた複数の電灯の上を次々に辿って行くという原始的な遊びをやっていた。足を移していくあいだに電灯の色が変化するのが面白いらしい。
 駅へ。ホームに上がると、六分ほど間がある。それで、そう言えばバンドは結局やることになったのかと問うた。これ以前に、インターネットでバンドメンバー募集の告知を掛けたらそれを職場の同僚に見られた、その人がMISIAのバックなどで演じた経験がある人だったという話を聞いていたのだ。結局そのボーカルギターの人と、彼の知り合いであるベースの人とちょっとやることになったらしい。その他、PS4を買ったが、何時間ゲームに費やしたか表示されて、それを見るとこれだけ時間を無駄にしたのかと虚しい、などという話を聞きながら電車に乗る。
 立川北。改札を抜け階段を下り、寒風のなか駅舎のほうへ。ルミネに入店し、エスカレーターで上層階へ。中江は三時にパスタを食べたばかりだから、まださほど腹が減っていなかった。それで店一覧の前で、前回は寿司を食ったが、また寿司でも良いのではないか、細かく注文できるしなどと提案する。ひとまずフロアを回ることに。それで一周して、結局寿司にすることになった。紙に名前を書いて、待合席に就く。しばらくしてから紙を見に行くと、我々は六番目で、結構時間が掛かりそうだと思ったが、結局二〇分ほど待ったのではないか。待っているあいだ、Facebookを見ているかと問う。たまに、と来るので、何か(高校時代の友人たちの)新ニュースはあるかと訊くと、特に無いらしい。そもそもFacebook自体がだいぶ過疎化してきており、活発に投稿しているのはMさんくらいのものだと言う。高校時代のクラスメイトにも当然、結婚して家庭を持つものが出てきている。それで、皆がひょいっと結婚して子どもを作り育てることができるのが信じられないなどと漏らす。ひょいっとではないと思うがと笑われるので、いや勿論、皆それぞれに覚悟を持っているとは思うがと補足するものの、しかしそれがこの世の大多数なわけだろう、言わば世間の主流なわけだろうと言う。恋愛、結婚、生殖、これらほどこちらに縁のない事柄はない。未だ親に頼っているニートの身分で、子どもを育てることなどとても自分にできる気がしない――Yちゃん(叔父)などは、子育てほど楽しいことはなかったなどと言うが。
 今思い出したのでだいぶ前のことになるが記しておくと、喫茶店にいるあいだ、Nの愛人(いや、この語は強すぎるというか余計なニュアンスが付き纏いすぎるか)あるいはセックス・フレンドだったメキシコ人Bに関して、彼女はメキシコに帰ってしまったのだという報告があった。自炊ができないのなら、件のメキシコ人に来てもらって料理を作ってもらえばとこちらが言った時のことだ。Bは大学生で、しかし日本が大層好きで(前回話を聞いた時には、やはりご多分に漏れず日本のアニメが好きで、しかも嫌韓・嫌中だという話だから、それではネトウヨのようではないかなどと笑ったものだ)休学して日本にやってきていた――家は裕福らしく、月に二十何万か仕送りを貰っていたらしいのだが、以前からそれに怒っていた父親がとうとう耐えられなくなったらしく、それで帰国したのだと言う。Nはメキシコ人、懐かしいな、などと、まだ別れてさほどでもないだろうに言っていた。なかなか淡白である。
 寿司屋の順番を待っているあいだには、最近何か楽しいことはあったかと訊かれたので、ちょっと考えて、やはり何だかんだで文を書いている時は楽しいのかもしれないと答えた。それから、またやはり本を読むのも面白くなってきているような気がしないでもないとも答えた。それで今は何を読んでいるのかと問われたので、日本史の本を読んでいるとバッグから文庫本を取り出して渡した。Nはページをぺらぺらとめくってからこちらに返してきたので、結構難しいけどねと告げる。とてもではないが隅々まで理解はできない――と言うか、そこまで興味関心が追いつかない。しかし本を読む時は、書抜きをしたいと思う事柄が一つでもあれば儲け物というものだろう。
 それで順番がやって来て、カウンター席に通される。やって来た女性店員は少し不安そうな面持ちのというか、おずおずとして挙措もぎこちないような感じの人で、前回来た時にもこの人がいたなと思い出した。おしぼりを渡されて礼を言い、何かお飲み物は注文されますかと問われたのにNがコーラと答えたので、こちらも何となく流れに乗って、ジンジャーエールを頼んだ(三五〇円)。それで飲み物がやってきてから、紙に品を書いて注文する。個々にネタを注文しないのだったら、「ばらちらし」というやつが一二〇〇円ほどで一番コスト・パフォーマンスが良く、前回は二人ともそれを食べていた。Nは今回もそれにすると言う。こちらは今回はそれよりもちょっと奮発して、一四〇〇円の「すし御膳」というものを頼んだ。ネタはイクラ、甘海老に鮪二種、それにカンパチか何かだろうか、鴇色の魚の五つがあって、それにミニちらしがついてくるというのでネギトロのものを選んだ。ほか、小さな茶碗蒸しと味噌汁付きである。握りの分、ちらしが少なくてちょっと足りないような気もしたが、美味だった。
 会計して(一八九〇円)退店。エスカレーターを下り、駅通路に出て人波のあいだを歩き改札をくぐったところで別れる。元気なFが見られて良かったと言う。来年また会おうぜと言うのには、またメールしてくれと返し、ありがとうと言い合ってそれぞれの方向に別れた。一番線、一九時一六分発青梅行き。席に就き、読書をしながら電車に揺られる。青梅に着いたのは七時四五分。マフラーを巻いて降り、ホームを辿って自販機の前へ。スナック菓子二種を購入(一八〇円)、それから夜風が冷たいので木製壁の待合室へ。なかはエアコンが利いていて暖かい。一人で席に座って本を読んでいたが、じきに三人入ってくる。そのあとから二人、男女のカップル。彼らはこちらの目の前に就いて、じきに女性のほうが靴を脱ぎ、座席に横になって彼氏の膝の上に足を載せると、男性のほうはそれを取り上げて臭い、臭いなどと言って笑っていた。じろじろ見るのも悪いので視線はずっと本に落として記述を追っていたが、そのくらいの動きは視界の端に視認される。八時一四分発奥多摩行きの出発が近くなったところで、皆出て行く。一人になったそのあとから文庫本を手に鷹揚に立ち上がり、室を抜けて乗車。優先席に座って本を読み、最寄りに着くのを待つ。
 降車して駅を抜け、下り坂へ。この日も暗夜で、木々は黒い影と化して空のなかに埋没している。坂を下りながら耳を張るが、沢のせせらぐ弱い響きと自分の足音のほか、何の気配も音もない。下の道に出ると、空の僅かな青味が見て取れる。つるつるとした氷の表面のように澄み渡った夜空に星が輝き、オリオン座が横向きに掛かっている。ちょっと歩いて帰宅。
 居間に入ると両親は揃って炬燵に入っている。テレビは日本レコード大賞を掛けていた。買ってきた「とり野菜味噌」を取り出し、土産だと言って母親に差し出して、立飛ららぽーとに行って雑貨屋に寄った、ちょっと気になったので買ってきたと説明。それから下階に下りて着替え――と言うか外行きの服を脱ぎ、肌着のままで上階に戻り、そのまま入浴する。身体は相変わらず痒く、腕の発疹が着実に広がっており、浴槽に浸かると湯の熱で少々ひりひりとする。出るとポットに水を足して沸かしておき、一旦自室に帰ってインターネットを見て回る。しばらくしてから緑茶を用意してきて(テレビにはピンク・レディーが出演していた。もう五〇代か六〇代かだろうに、大したものだ)、それを飲み、自販機で買ったポテトチップスをつまみながら日記を読み返す。二〇一七年一二月三〇日。覚醒時に心臓神経症が見られ、外出時に不安を感じてもおり、帰りには奇妙な発熱に襲われている。こちらの変調の本格的な始まりである。不安はパニック障害の悪化/回帰と解釈できるが、呼吸を深くしたがための発熱というのは結局何だったのか今に至っても良くわからない。しかし自分の心身が着実におかしくなっていたことは今振り返ってみると、日記の記述とも照らし合わせてよくわかる。
 それから「ワニ狩り連絡帳」の記事も読んでから日記。BGMはDokkenなど流す。独特の臭さ。『Tooth And Nail』から始めて『Under Lock And Key』『Breaking The Chains』と移行。最後のタイトル曲、"Breaking The Chains"のサビがなかなか良い。これは確かファーストアルバムだったはずで、色々聞いてみたなかでデビュー作の一番最初の曲が一番良いとは何だかなと思われる。一気呵成といった感じで日記を綴って、現在は一一時五〇分。二時間で一万字を書き足したので、書くのがだいぶ速くなったものだ。
 Twitter。「Twitterで何か呟こうと思っても、本当に、何も思いつかない。発信したいことはすべて日記に書いてしまっている」「しかしあんなに長々しいものを、好んで読んでくれる人がそれほどいるのだろうか」「図書館で西村賢太の日記を見て、簡潔で良いので、何だったら一日一行でも良いのでまた日記を書こうと思って再開したわけだが、いざやってみると意外と書けて、昨日も今日も一万字を越えている」。日記のことについてなら呟けるのかもしれない。それから、歯ブラシをくわえながら、fuzkueの「読書日記(117)」を読む。しかし、途中で何故か今しがた書いた自分の日記を読み返してしまったり、リピート再生でヘッドフォンで聞いているFISHMANS "ひこうき"に合わせて身体を揺らしたり手を振ったりしてモニターから目を離してしまったりして、五〇分ほども掛かる。
 コンピューターを閉じて寝床に移り、読書。『天皇の歴史①』。二時直前まで読んで消灯。腰回りなり腕なり脇の下なり、とにかく身体が痒く、これでは眠れないのではないかと思いきや、比較的スムーズに寝付いたようだ。掛かったのは多分、三〇分くらいだったのではないか。




大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』講談社学術文庫、二〇一七年(講談社、二〇一〇年)

 武王の四七八年(昇明二)の遣使のときの上表文が、有名かつ重要な史料である(『宋書』)。(end84)
 (……)
 「東征毛人五十五国」とあり、武王が自ら征討を行ない領土を拡大したことを示す史料として有名であるが、しかし考えてみれば、どうしてそのことが宋の官爵を求める根拠になるのだろうか、疑問がわく。
 武王が倭の領土を拡大したことを誇っているという解釈は文脈上は誤りである。西嶋定生氏が強調しているように、この上表文は、あくまで宋の皇帝を「天極」(天下の中心)とし、宋皇帝の臣下の封国・藩国として夷狄[いてき]・野蛮の民を征し、皇帝の(倭王のではない)領土を拡大したことを述べているのである。だからこそ、その功績に対して「使持節・都督倭(中略)六国諸軍事・安東大将軍・倭王」を与えられたのである。そもそも冊封体制とは、(end85)中国皇帝の臣下として働き奉仕することである。「王道」も中国皇帝の王道を指し、倭王はその一翼を辺境でにない、化[け]の及ぶところを拡大していったのである。
 (84~86)

     *

 なお、雄略天皇をはじめ、神武、神功、崇神、仁徳などの漢字二字の天皇の呼び名は、漢風諡号[しごう]というが、八世紀後半の天平宝字年間に学者の淡海三船[おうみのみふね]が一括撰進したもので、その時代の天皇制の唐風化を示す事例である。「記紀」が完成した段階では雄略天皇という呼称は存在しなかった。オホハツセノワカタケのうち、オホは美称、ハツセは宮のおかれた泊瀬(end88)朝倉宮の地名であり、実名はワカタケである。おそらく本来は武・建はヤマトタケルと同じくタケルと読んでいたのが、のちにルを落とすようになったのだろう。
 つまり、ワカタケル大王とは、「記紀」の伝える雄略天皇であり、雄略が歴史上実在することが確認できる最初の大王であるといえる。雄略は、倭の五王の最後武王に比定されているが、ワカタケルに漢字をあてた「幼武」の武字をあてたとする推定が正しいだろう。(……)
 (88~89)

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 ここ[熊本県江田船山古墳鉄刀銘]には「治天下ワカタケル大王」、稲荷山古墳鉄剣銘には「吾左治天下」とみえている。中国を中心とする冊封体制の下では、倭王にとって、上表文中の「天極」がそうであったように、「天」は中国のそれであり、中国の皇帝は「天子」であり、その下に拡がる世界が「天下」だった。しかしここにみえる「治天下」の主体は、明らかに中国皇帝ではなく、ワカタケル大王である。ヲワケの臣は、ワカタケルを輔佐したのである。
 つまり、中国の天下とは別に、日本列島の支配領域(主張としては朝鮮半島南部を含むのだろう)を対象とする、倭独自の「天下」が成立していることに重要な意味がある。
 のちの七世紀、推古朝に倭が隋に、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」の国書を送り、煬帝が激怒したことを『隋書』倭国伝が記録することは有名である。天下の中心である天子は一人であり、皇帝以外にもう一人天子が存在することは認められるはずがなかった。二人いれば易姓革命になってしまうのである。
 同じようにもう一つ天下があることも認められないが、そこに倭は自らの支配領域を「天下」として構想したのであり、ワカタケル大王の時代は、この点で歴史的意義を持つ。(……)
 (90~91)

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 『日本書紀』『古事記』には、大和政権すなわち天皇制の起源を次のように伝える。
 イザナキ・イザナミの二神が国土(大八洲[おおやしま])とアマテラス等を生み、アマテラスの孫ニニギが高天[たかあま]の原[はら]から日向[ひむか]の高千穂の峰に降り、ニニギの曾孫カムヤマトイハレヒコは日向を出発し大和へ東征を行ない、橿原[かしはら]宮で初代天皇神武天皇として即位する。
 以後、神武から持統天皇にいたるまでの皇統譜(『古事記』では推古まで)と、国家形成をめぐるさまざまな伝承を記している。神武以前の伝承は、『日本書紀』巻一、二の神代[じんだい]にあり、記紀神話といわれる。
 (93)

     *

 最初は天地が混沌としている中、まずイザナキとイザナミという男女の神が「この漂える土地を固めなせ」という命令を受け、矛で海水を「こをろこをろ」と攪き鳴らし、矛からしたたり落ちた塩の積もったのがオノゴロ島である。そこに立てた天[あめ]の御柱[みはしら]のまわりを回り、ミトノマグワイ(性交渉)をして国(大地)を生む。最初は女のイザナミが先に声をかけたので失敗し、つぎには男のイザナキが先に声をかけたので成功する。こうして日本列島の島々が生みだされ、八つの島からなるので大八島という(以上、国生み神話)。
 さらにアマテラス・スサノヲ・ツキヨミという三人の兄弟神を生み、これを天上三神という。アマテラスは太陽神で、天皇家の祖先であり、天上の世界=「高天の原」を統治するように命令を受け、天上の世界の中心となる神である。ところが、海原を統治せよとされたスサノヲは乱行を繰り返し、怒ったアマテラスは天の石屋戸[いわやど]にこもってしまい、高天の原は真っ暗になってしまう。そこで神々は先に触れたように鏡や玉や布からなる御幣[みてぐら]を用いるなど、さまざまな祭りや歌舞をしてアマテラスを誘い出し、高天の原も地上の世界=「葦原の中つ国」も再び明るくなる。そしてスサノヲは天上の世界から追放される。これが有名な天の石屋戸神話であり、日食とか穀物の霊の復活という神話の要素が入っていると考えられる。(end95)
 このスサノヲが地上、葦原の中つ国に降りてきた場所が、出雲(島根県)であり、これ以降の話を出雲神話という。スサノヲは、肥の河(斐伊ひい[]川)上流にいる首が八つある八岐大蛇[やまたのおろち]という蛇を退治する。このとき大蛇を斬った剣が石上神宮の神体だとする説が『日本書紀』の一書にあることは記したが、大蛇の体内からえた剣をアマテラスに献上し、これが三種の神器の一つ、草薙の剣である。
 その後、スサノヲの子孫にあたるオホクニヌシ、またの名をオホナムチが主役となり、葦原の中つ国の「国作り」を完成させる(この過程で因幡の素兎の話がある)。すると突然、アマテラスは「豊葦原の瑞穂の国」(地上の世界、稲が豊かに実る国という表現)は我が子が支配する国だと宣言し、何人かの神をオホクニヌシのもとへ派遣するが、何度も失敗する。しかし最後は、オホクニヌシが支配権を譲ることを承諾し(これを国譲りという)、自分は出雲大社をたてて祀られるように要求する。
 いよいよアマテラスは、「豊葦原の瑞穂の国」を統治せよとの降臨の神勅を出し、孫にあたるニニギを地上の世界に派遣する。これを「天孫降臨」というのである。そのとき、先述のように天壌無窮の神勅とともに三種の神器をニニギに与え、五[いつ]の伴緒[とものお]という五人の神を従者として降らせるのである。
 そのとき降りたった場所は、今度は日向の高千穂の峰なので、ここから先を日向神話という。ニニギは、そこでオホヤマツミのむすめコノハナノサクヤヒメと結婚し、ホデリとホヲリが生まれる。これが有名な海幸彦・山幸彦の物語で、それぞれ漁業と狩猟を専業にしてい(end96)たが、ある日その道具を交換したところ、山幸のホヲリは借りた釣り針をなくしてしまい、兄に責められる。しかしホヲリは、海の神の力を借りて釣り針を見つけ、兄のホデリに服従を誓わせる。このホデリの子孫が隼人[はやと]という南九州の異民族であるとされ、隼人が天皇家に奉仕する起源を語っている。
 ホデリは、海の神のむすめトヨタマヒメと結婚し、二人の間に生まれたのがウガヤフキアヘズで、さらにその子がカムヤマトイハレヒコである。彼が九州から出発して東に向かい、苦難を乗り越えて熊野から大和盆地に入り、大和の橿原宮奈良県橿原市)で即位して、初代の天皇神武天皇)となる。これを神武東征というのである。
 (95~97)

     *

 これ[記紀神話]は、ふつう言われる神話とはかなり違う。神話とは、仮に、なぜ太陽は毎日東から昇るのかとか、人はなぜ死ぬのかなどの説明できないことを、神の仕業あるいは神の時代に起きたことに起源を持つものとして、人々に納得させるものだとすれば、そのような人々が信(end97)じていた神話ではない。
 もちろん部分的にはそのような部分もあり、人間はなぜ死ぬのかという神話による説明がある。ニニギは天孫降臨ののち、オホヤマタウミからさし出されたコノハナノサクヤヒメ(花のように美しいが枯れてしまう)とイハナガヒメ(岩石のように永遠)の姉妹のうち、醜かったのでイハナガヒメを返したという話には、イハナガヒメをもらっておけば永遠の命があったのに、それ以来人間の命は限りあるものになったことが説明されている。人間は、花と結婚して石とは結婚しなかったから、死すべきものになったという神話は、世界中に分布している。
 しかしこの種の神話はごく限られたもので、記紀神話は、八世紀の天皇を中心とする律令国家、その前の大和政権がどうして日本列島を支配するようになったのか、その正統性を説明した神話である。前章で触れた三種の神器についていえば、天孫降臨のときにアマテラスがそれをニニギに与えて、天壌無窮の神勅を下してその子孫が永久に日本列島を統治することを委託したのである。(……)
 (97~98)

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 (……)即位儀礼において新大王が登る壇も宗教的・神話的意味を持つ。タカミクラと言われるが、奈良時代には「天つ日嗣高御座」とも言われ、「天つ日嗣」に連なる皇統の継承者であることを象徴するのがタカミクラであった。
 登壇即位には、岡田精司氏によればニニギが高千穂の峰に降臨した天孫降臨神話に対応する。即位式は、天孫としてアマテラス(あるいはタカミムスヒ)に地上の世界(豊葦原の瑞穂の国)の統治を委任されて地上に降臨したことを再現したのである。(……)
 (208)