2019/1/14, Mon.

 六時一〇分頃起床。ダウンジャケットを羽織り、寝間着のままコンピューターの前に。インターネットを覗いてから、朝も早くから日記を書き出す。と言っても前日の記事は僅かに書き足すのみ。投稿して読み返している頃にはカーテンにオレンジ色が溜まっていたので開けると、壁の上にも陽だまりが生まれてこちらの影が映し出される。その後早々と一年前の日記の読み返しをして七時過ぎ。Uさんに綴ったメールを、長いけれど以下に再掲しておく。

 Uさん、返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。二〇一八年を迎えたということで、遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。

 返信を綴れなかったのは、この年末年始に不安障害の症状が高じて、いくらか統合失調症的な様相を来たすまでに至ってしまい、ゆっくりと落着いてお返事を考えるどころではなかったからです。本当に、頭のなかを言語が常に高速で渦巻いて止まらず、先のメールに記したものですが、「ほとんど瞬間ごと」の「解体/破壊と建設/構築」を往来する精神の運動をまさにそのまま実現したかのようであり、それによって発狂するのではないか、自己の統合が失われるのではないかという恐怖を体験しました。一時はどうなることかと思いましたが、今は薬剤をまた飲みはじめて、不安のほとんどない状態に回復していますので、ご心配なさらず。この間の経緯や、今次の自己解体騒ぎについての分析・考察も漏れなく日記=ブログに記しており、なかなか大変な経験ではありましたが(しかしパニック障害が本当に酷かった頃に比べれば、何ほどのことでもないのです)、そこからまた生み出された思考もあり、我ながら結構面白い体験をしたのではないかと思うので、関心が向いたら是非読んでいただきたいと思います。

 丁寧で充実した返信をいただき、ありがとうございます。今しがた読ませていただき、色々と思うところや共感する部分もあるのですが、それらについて細かく述べているとまた無闇に長くなってしまうでしょうから、ここではそれは差し控えます。ただ一つ、取り立てて印象に残ったことに言及させていただくならば、Uさんの返信のなかに現れている主題とこちらの最近の関心事に共通するものとして、「抽象概念の具現化」というものがあるのではないかと思いました。

 言うまでもなく、意味や概念とは、所詮は意味や概念に過ぎず、この世界に実体として存在しているものではありません(この世界の物質的な様相だって実体的なものではなく、我々の認識機構が作り出した仮象に過ぎない、という議論もあるのだと思いますが、話がややこしくなるのでこれについては今は措きましょう)。本来は我々の頭のなかにしか存在しない概念というものにどのようなものであれ現実的な力を持たせたいならば、それを具体的な、目に見える形に具現化するというプロセスが不可欠です。こちらとしては、これが「芸術」と呼ばれる営みの役割の一つではないかと考えています。つまりは、この世には何か素晴らしいもの、「希望」なら希望が、あるいは「愛」なら愛が、実際に存在するのだということを説得的な形で示す、ということです(あるいは素晴らしくないものが、それでもやはり存在してしまうのだ、ということを示す、という方向での試みもあるはずで、それはそれでやはりこの世にあるべきなのだと思います)。

 一方、Uさんの返信のなかにも、例えば、「研鑽された系譜は、具体的な他者に宿り、魅力的な一人の人間の生き方として表出するのです」とか、「深い精神は身体に宿り、本人の自覚はともかく、一人の魅力的な教師として、他者を教える存在になるのです」といった文言が見られます。ここには明らかに、「体現」のテーマが観察されると思います。先のメールにおいて、最近こちらは、ミシェル・フーコーが晩年に考えていた「生の芸術作品化」のテーマに惹かれていると触れました。ある個人の生が芸術作品のようなものとなるということは、その人の生が洗練され、卓越したものとして形作られ、それによって何らかの概念を「体現」するということではないでしょうか? ここにおいて想起されるのは、もう二年と半年も前のことになりますが、New York Timesの記事で述べられていたCornel Westの言葉です。彼は明らかにこうしたテーマと同じことを語っていると思われるので、下に引用します。

(……)Yet, at the same time, we’re trying to sustain hope by being a hope. Hope is not simply something that you have; hope is something that you are. So, when Curtis Mayfield says “keep on pushing,” that’s not an abstract conception about optimism in the world. That is an imperative to be a hope for others in the way Christians in the past used to be a blessing — not the idea of praying for a blessings, but being a blessing.

John Coltrane says be a force for good. Don’t just talk about forces for good, be a force. So it’s an ontological state. So, in the end, all we have is who we are. If you end up being cowardly, then you end up losing the best of your world, or your society, or your community, or yourself. If you’re courageous, you protect, try and preserve the best of it.(……)
 (Cornel West: The Fire of a New Generation, By GEORGE YANCY and CORNEL WEST, http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/08/19/cornel-west-the-fire-of-a-new-generation/

 希望について語るのではなく、希望そのものに「なる」ということ。Uさんの文脈で言えば、Uさんが関心を持っていらっしゃるのはきっと、生存の様式そのものとして「哲学」をするということであり、「哲学」を体現し、ほとんど「哲学」そのものに「なる」ということなのではないでしょうか。それは別の言い方で言えばおそらく、「考えること」がほとんどそのまま「生きること」になるような生のあり方であり(こちらにおいてはそれは、「書くことと生きることの一致」として言い換えられます)、おそらくこの関心こそが、単なる「思想の歴史家と、そうした知性に群がる官僚」とUさんとを根本的に分かつ点であり、そして我々を結びつける接続点なのではないでしょうか。

 そして、「生きること」の総体とは、一日ごとの「生活」の積み重ねとしてあるのですから、ここからは、毎日の生活をどのように形作っていくか、という問題が必然的に出来します。そうして、一日の生活をさらに細かく捉え、その日のうちの瞬間ごとの選択の集積、という水準にまで微分化して考えることもできるでしょう。ここにおいて、瞬間瞬間の自己を絶えず観察し続けることを目指すヴィパッサナー瞑想の方法論は、自己を高度に統御して洗練させることで、自分自身を最終的に「芸術作品化」していくための手法としての意義を露わに示すものではないでしょうか。

 こちらとしては、(主に後期の)ミシェル・フーコーの文献に当たることで、こうしたテーマについての思索をさらに深めたいと思っています(そう思っていながらも、怠惰やら勤務やら色々なことにかかずらわって、読書が一向に進まない現実があるわけですが)。また、この主題体系のなかに、「差異」や「ニュアンス」というテーマをも、おそらく何かしらの形で接続できるとこちらは見込んでいるのですが、まだそのあたりは明瞭に見えておらず、今後の思考の発展を待ちたいところです。自分のなかで明確な形を成した思考は、その都度日記に書くつもりでいるので、気の向いた時にブログを覗いていただければと思います。

 ほか、返信をいただいて一番強く感じたことは、仲間たちと対面し、あるいは横に並んで具体的な時空を共有しながら、日常的に思索と対話を交わす環境にいらっしゃることがとても羨ましい、ということです。勿論、妬んでいるわけではないのですが、しかしそうした環境は大変に楽しそうだなと想像し、自分もいつかそのような場に身を置けたらと夢想することをやはり留めることはできません。とは言え、今の自分の生活だって、読み書きを続けていられるのだから、そこそこ悪くないものです(と言うか、読み書きを続けることさえできれば、自分は概ねどのような環境でも、わりあいに満足すると思います)。こちらはこちらの場所で、目に見えたものや頭のなかに生まれた事柄を書き続け、自己の変容を続けて行こうと思います。

 そうして上階へ。母親に挨拶。南の山際に押し広がる太陽の光を浴びながらジャージに着替える。洗面所に入って顔を洗い、寝癖を整え、今日は街に外出するので久しぶりに整髪料などちょっと髪につけて束を作る。手を洗い、一旦自室に戻って燃えるゴミを持って行き、上階のゴミと合流させる。そうして食事、米・納豆・野菜スープ・里芋の煮物・大根と人参のサラダ。おかずはすべて前日の残り物である。卓にものを運んで就く前に、新聞を取りに行くと、冷気のなかで吐く息が、口をさほど開けていないのに自ずと白く染まって唇のあいだから漏れて行く。戻って食事を取りながら新聞は、梅原猛死去の報。九三歳。また、「辺野古 新区画埋め立てへ 3月にも、南西側33ヘクタール」――「沖縄県の米軍普天間飛行場宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画を巡り、政府は3月にも、第2の埋め立て区画となる南西側の区画(約33ヘクタール)で土砂投入を始める方針を固めた。今月中にも県に工事着手時期を通知する方向だ。現在の第1埋め立て区画の約5倍の面積があり、辺野古移設が一層、具体化する」。それを読みながら食べ、残っていたサラダもすべて食べてしまう頃には父親が上って来ていた。ストーブの前に寝間着姿のまま立ち尽くしているその横を通り、水を汲んできて、薬を飲む。そうして皿洗いののち、洗濯物干し。ぱん、ぱん、ぱんと三回ずつ振ってタオルを干していく。その他のものも吊るしてベランダに出しておき、そうして緑茶を用意して自室に帰った。「三幸」の柿の種を食い、茶を飲みながら日記をここまで記して八時半過ぎ。
 書き忘れていたがタオルを物干しにつけている時、背後から母親が、誕生日おめでとうと言ってくる。それで金をくれた。二九歳にもなって親から金を貰うのも決まりが悪く、こちらは、いいのに、と言ってみせたのだが、あちらはこれでケーキを買いな(今日の夜、立川の家に行く予定があるのだが、そこで彼らの分も含めて自らケーキを買って行くつもりだったのだ)とか、本でも買いなと言ってくれるのでありがたく受け取った(ちょうど講談社文芸文庫に入った蓮實重彦の『物語批判序説』が欲しいところだった。磯崎憲一郎が解説を書いていたはずだ)。また、洗濯物を干す前だったか、母親がストーブの前で衣服を弄っているその上の宙空、朝陽のなかに塵の粒子が舞い上がって、方向の逆転した霧雨を見ているような感じになった、ということもあった。
 以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaから英単語のメモ。

  • ●21: The boy had given him two fresh small tunas, or albacores, which hung on the two deepest lines like plummets(……)――plummet: 重り
  • ●23: He let it go over the side and then made it fast to a ring bolt in the stem.――stem: 船首
  • ●24: As he looked down into it he saw the red sifting of the plankton in the dark water and the strange light the sun made now.――sift: 篩にかける、細かく降り注ぐ
  • ●24: (……)gelatinous bladder of a Portuguese man-of-war floating close beside the boat.――bladder: 袋状組織、囊
  • ●25: (……)when some of the filaments would catch on a line and rest there slimy and purple while the old man was working a fish, he would have welts and sores on his arms and hands of the sort that poison ivy or poison oak can give.――welt: ミミズ腫れ
  • ●25: He loved green turtles and hawks-bills with their elegance and speed and their great value and he had a friendly contempt for the huge, stupid logger-heads(……)――hawks-bill: タイマイ / logger-head: アカウミガメ
  • ●26: But it was no worse than getting up at the hours that they rose and it was very good against all colds and grippes and it was good for the eyes.――grippe: インフルエンザ
  • ●26: Just then the stern line came taut under his foot(……)――taut: ぴんと張った

 上のメモを取ったよりも前のことだが、九時ちょうどのあたりで風呂を洗いに行った。浴槽をブラシで擦ってから出てくると、トイレリフォームの業者が来たらしい気配があった。台所を抜けて、玄関にいる母親に、来た、と訊くと肯定される。それで入ってきた人足に、どうもこんにちは、お願いしますと挨拶をして、階段を下りて行くその後ろから三人でついていく。この時、人足の吸ったらしい煙草の香りがぷんぷんしていたので、煙草の嫌いな母親は内心嫌だと思っているだろうなと推測した。トイレのなかに入った業者にもう一度お願いしますと伝えて、こちらは部屋に戻る。それで上のメモを取ったというわけだ。それから、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読み進めた。ベッドに乗り、左の南窓から射してくる温みのなかで英文を追う。一〇時半頃まで。それからは蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読もうかとも思ったのだが、出かけるまでの時間が中途半端だったので決めきれず、Twitterを覗いたり自分のブログを読み返したりしているうちに、一一時一〇分がやって来た。電車は一一時三二分、そろそろ身支度をしないと間に合わないというわけで、衣服を着替えた――上は赤と黒に近い濃紺と白のチェック模様のシャツ、下は灰色のイージー・スリム・パンツにカーディガンを羽織る。それでリュックサックのなかにコンピューターと、最近読んだ本も友人らに紹介するつもりで色々と入れ、重くなったそれを持って部屋を出た。階段下の部屋でコンピューターを扱っている父親に、じゃあ、出かけてくるんでと伝え、トイレの人足にもそれじゃ、失礼します、ご苦労さまですと言って階段を上った。便所に行っているあいだに、手帳を忘れたことに気がついた。それで取りに戻り、ふたたび階段を往復すると、Brooks Brothersのハンカチを取り、コートを着込んで出発した。
 家の向かい、林の縁の畑でHさんが水やりをしており、こちらをちらりと向いたが誰だかわからなかったのだろうか、挨拶がなかったのでこちらも声を掛けずに過ぎた。視界を眩しくする陽射しのなかを行くと、市営住宅前で、工事の下見にでも来ているのだろうか、人足らしき風体の男性が二人いて、彼らの白いヘルメットの頂点に光が溜まっていた。正面、坂に入るその脇の木も水に濡れたように光点を孕んで艶めいている。左のほうから鳥の、短い連鎖で連なった間断のない声が立って聞こえる。坂に入って息をつきながら上っていると、出口近くになって後ろに、小走りの気配、はあはあという息遣いが聞こえはじめた。Mさん(漢字がわからない――祖父の妹の息子だからこちらからすると何に当たるのだろう?)だろうかと思っていると、果たして横を追い抜かしていった姿のそうらしい。挨拶をしようかと迷ううちに相手は先に行ってしまい、横断歩道で追いつくかと思いきや微妙に離れていて声を掛けづらく、まあいいかと成り行きに任せていたところが渡ったあとであちらが振り向いたので、こんにちはと挨拶をした。仕事、と訊かれるので、いえ、今日は休みでと返す。それで、まだ話すかそれとも別れるかと決めきれないような微妙な雰囲気を醸しつつ、こちらが先に行こうとしたところが、後ろから、教えてんの、と来る。塾の仕事をしているのかということである。実際は鬱病で現在休職中なのだが、はいと虚言を吐き、そろそろ大変でしょう、入試も近いからと来たのにそうですね、と無難に返す。中学受験とかもやるのとさらに来るので立ち止まり、やることもありますねと答える。でも中学受験は難しいですよ。そうそう……開成とか灘とかは難しい。笑って、うちはそんな高いところの子はいないですけど、(一昨年の記憶を思い返し)せいぜい桐朋とかそのくらいですね。桐朋もいい問題を出すんだよなあ。歴史とか、高校日本史の知識が出たりして(実際に病気で休みはじめる直前、桐朋中学を目指す子を担当していたが、さすがに志賀潔が出てきた時には知らなくても当然だろう、これは過去問を見て初めて学ぶものだろうと思った)。そうそう、うちの子たちも、山川の教科書とか見せたりしてた(この時、「うちの子」というのは彼の子供かと思い、しかし独身で子供はいなかったはずだがと混乱したのだが、あとで気づいたところでは、これは以前教師をやっていた頃の生徒ということだったのだろう)。そこで腕を振って時計を見やり、あと二分、と呟いて、それじゃあどうも、と簡単に挨拶をして会話を終わらせ、ホームへと階段を上がった。ホームの先頭まで歩き、電車を待っているあいだ、そう言えば『亜人』を忘れたなと気がついた。最近読んだ本を紹介しようといくつもリュックサックに入れてきたのだが、よりによって近頃読んだなかで一番の傑作を忘れてしまうとは! 電車に乗って扉際に立ち、コートのポケットに触れると、さらにはそこに手帳がない。自室から持ってきた時、ハンカチを取る際に手近に置いて、そのまま置き忘れたものらしい。それでメモを取ろうとしたところが取れないのでどうするかと思い、携帯に取るかと代替案を思いついた。外は光が、次々と過ぎ去って行く瓦屋根の上を高速で、電車に併走して滑る。青梅に着くと乗り換え、二号車の三人掛けに入り、携帯電話を取り出してこれまでのことを断片的にメモに取った。やはり手帳とペンのほうがやりやすいようだ。そうして、一一時四四分から蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読みはじめた。道中、特に印象深いことはない。立川に着くとほかの乗客が降りていくなかで一人動かず、もうしばらく本に目を落として、階段周りの群衆がまったくいなくなったあとから降りて上った。改札を抜け、Yさんと待ち合わせをしているグランデュオのほうに歩く。すぐに発見し、近づくと、明けましておめでとうございますと礼をしてくるので、こちらも頭を下げた。今年もよろしくお願いします。こちらこそ。それで母親から託された紙袋――葬式で貰ってきた缶詰や大根、それに蜂蜜などが入っていた――を渡し、またのちほどと別れる。それで煙いような群衆のざわめきのなかを北口方面に歩き、駅から出て、銀座ルノアールに入った。二時から待ち合わせをしておりましてと言おうと思い、三本の指を立てようとしたところが、煙草はお吸いになられますかと来たのでいえ、と短く答え、相手の言葉を待つと、それではお好きなところにどうぞとあったので、待ち合わせの件は特に伝えず、フロア中央付近の四人掛けに入った。リュックサックを置き、灰色のPaul Smithのマフラーを外して、コートを脱いでいると先の女性店員(挙措や言動の固さから、どうもまだ新人らしく思われる)がやって来たので、ホットココアをと注文した。そうしてコンピューターを出し、Aくんに先に入ったとメールを送っておき、やってきたココアを飲みながらここまで綴って一時である。BGMはEnrico Rava『New York Days』。これはやはりなかなかのアルバムである。どうでも良いことを書き忘れていたが、家にいるあいだ、自分の日記をEvernoteで読み返していると何だか文章が野暮ったいような気がして、と言ってもう文体やら整然性やらは求めないのでそれでも良いのだが、字体を変えてみるかとフォントに問題を転嫁して、MSP明朝だったのをMS明朝に変更した。新鮮なのでしばらくこのままで行くつもりである。ブログのほうも合わせて変えようかとも思ったのだが、こちらはMSP明朝の左右からちょっと詰まったような凝縮性を優先して、そのままとした。
 それでは先に読んだThe Old Man and the Seaから英単語を写しておく。

  • ●27: (……)he had sung at night sometimes when he was alone steering on his watch in the smacks or in the turtle boats.――smack: 小型漁船
  • ●28: I picked up only a straggler from the albacore that were feeding.――straggle: はぐれる
  • ●28: The myriad flecks of the plankton were annulled now by the high sun(……)――annul: 取り消す
  • ●28: I could just drift, he thought, and sleep and put a bight of line around my toe to wake me.――bight: 綱の輪、たるみ
  • ●32: 'I'm being towed by a fish and I'm the towing bitt.――tow: 綱で引く
  • ●32: What I'll do if he sounds and dies I don't know.――sound: 急に潜る
  • ●36: When once, through my treachery, it had been necessary to him to make a choice, the old man thought.――treachery: 裏切り

 さらに、気になった箇所。

  • ●32: This will kill him, the old man thought. He can't do this for ever. But four hours later the fish was still swimming steadily out to sea(……)――突然の大きな時間の飛躍。ヘミングウェイがこういうことをするイメージはあまりなかった。
  • ●35: I wonder if he has any plans or if he is just as desperate as I am?――魚が、"plans"を持っているように語られている。つまりは魚類が人間のように扱われている。
  • ●35~36: 次の引用も上と同趣旨。

 He remembered the time he had hooked one of a pair of marlin. The male fish always let the female fish feed first and the hooked fish, the female, made a wild, panic-stricken, despairing fight that soon exhausted her, and all the time the male had stayed with her, crossing the line and circling with her on the surface. He had stayed so close that the old man was afraid he would cut the line with his tail which was sharp as a scythe and almost of that size and shape. When the old man had gaffed her and clubbed her, holding the rapier bill with its sandpaper edge and clubbing her across the top of her head until her colour turned to a colour almost like the backing of mirrors, and then, with the boy's aid, hoisted her aboard, the male fish had stayed by the side of the boat. Then, while the old man was clearing the lines and preparing the harpoon, the male fish jumped high into the air beside the boat to see where the female was and then went down deep, his lavender wings, that were his pectoral fins, spread wide and all his wide lavender stripes showing. He was beautiful, the old man remembered, and he had stayed.

 一三時二四分、地震。この場はさほどではない。震度三くらいか? その後、この日の会合の課題書である大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』からの書抜きを読み返した。そうして読んでいるあいだに二時が目前となり、そこでAくんが現れたのでイヤフォンを外して挨拶をした。『天皇の歴史』はAくんも神話の記述が面白く、こまごまとした体制の仕組み、祭儀についてなどは一読はしたけれど本当に一読しただけで容易に覚えられなかったと言う。こちらと同じ調子である。そのような話をしているとKくんもやって来て、彼らはホットココア(Aくん)とビターブレンド(Kくん)をそれぞれ注文する。『天皇の歴史』の話に入る前に、こちらはリュックサックから持ってきた本を取り出して、今日は最近読んだ本を色々持ってきたと紹介する。『後藤明生コレクション4 後期』、鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』、Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』である。ムージルについてはこれは傑作であると端的に告げる。Aくんは古井由吉の名を知っているのでそれに目を留めており、こちらは彼の訳した二篇が観念的過ぎてまったく訳のわからない、頭のおかしいものとなっていると伝え、それよりも『三人の女』のほうが小説としては読めるし傑作である、これは岩波文庫にも入っているから(もう絶版なのかもしれないが)興味を持ったら読んでみると良いと教えると、二人は携帯電話にメモを取っていた。後藤明生に関しては、ユーモラスな文学であるとお決まりの言を伝え、結構面白かったと言うと、帯に書かれたあらすじを読んだ二人は確かに面白そうだと返すので、「蜂アカデミーへの報告」はやはり面白かった、長野は追分に山荘を持っていて、そこに雀蜂が巣を作る、そこでの虫との格闘が語られているなかに、ファーブルの『昆虫記』からの引用があったり、後藤明生が集めた雀蜂関連の死亡記事などが列挙されていたりすると説明をする。じゃあ実際にあったことなのかと訊かれるので、架空のアカデミーへの報告という体裁を、辛うじて保っているけれど、おそらく大部分は実際に体験したことのはずだ、と。それらよりも前に、確か八〇〇頁の分厚い『「ボヴァリー夫人」論』のほうが話題になったのだったかもしれない。蓮實重彦という名前は以前、Aくんに紹介したことがあるのだけれど、彼はそれを覚えていた。それで改めて、『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールという作家がいて、蓮實重彦という人は六〇年代くらいからずっとその研究をやっている第一人者なのだけれど、映画やほかの文学についての評論も書いており、言わば途中で迂回していた、それが二〇一四年だったかになってこの大著を仕上げたのだと説明する。さらに、『伯爵夫人』という小説も書いて三島由紀夫賞を取ったのだと言うと、Aくんがその時の会見で記者がとんちんかんな質問をしたんだよねと記憶を呼び起こすのでそれも改めて説明する。蓮實重彦という人はテクストを厳密に読む人である、作者がどのように考えていたかとか、ある作品の影響元となった作品は何かとかいうことではなく、とにかくそこにあるテクストを正確に読もうとする人である、ところがそこに件の記者会見では、確か読売新聞の記者だったと思うが、どのような目的を持って書いたんですかだの、卑猥な表現は社会に衝撃を与えたかったんですかだのと馬鹿げた質問を繰り出したのだ。それで蓮實は仰っていることの意味が良くわかりませんという風に一蹴していた、Youtubeに動画が上がっているのでもし良かったら見てみても良いのではと勧める。そこにAくんが、そういう態度を批判した人もいると思うけれど、記者の質問がとんちんかんだったんだよねと確認するので、蓮實重彦を知っている人からすれば、彼にそんな質問をするなよという感じだった、天下の大新聞、読売新聞の文化部の記者がそんなレベルで良いのかとは思ったと述べるとAくんは緩く笑って、いやあそんなもんでしょうと落とす。Hemingwayに関してはさほど話はしなかったと思う。その後、大津透『天皇の歴史1』について話し出すが、Kくんも細かいところは難しかったと意見を合わせ、しかも彼は実を言うとまだ読み終わっていないのだと明かしてみせた。それでも色々と話は出て、四時頃まで続いたと思う。まず覚えていることとしては、本の構成が先人たちの説を色々と要約しまとめ、そのあとに自分の立場を表明して落とし所として提示するという形だったので、話題が長かったりすると色々な説がごっちゃになって、結局どうだったんだっけと混乱してしまうということがあったと。ほか、こちらが覚えているのはやはり神話について交わした話で、例の人が石と結婚せずに花と結婚したので死すべき存在になったというのは原始的な(?)論理が面白いと適当なことを言ったり、記紀神話の「こおろこおろ」という擬音に関連して、高尾長良『影媛』のことを話したりした。Aくんは岩波文庫の『古事記』を、随分と前にブックオフかどこかで買ったようで持っていて、それを持参しており、「こおろこおろ」という擬音表現が話題になったあと、文庫を繰って該当箇所を探していた。『天皇の歴史1』では記紀神話の冒頭が、「最初は天地が混沌としている中、まずイザナキとイザナミという男女の神が「この漂える土地を固めなせ」という命令を受け、矛で海水を「こをろこをろ」と攪き鳴らし、矛からしたたり落ちた塩の積もったのがオノゴロ島である。そこに立てた天[あめ]の御柱[みはしら]のまわりを回り、ミトノマグワイ(性交渉)をして国(大地)を生む。最初は女のイザナミが先に声をかけたので失敗し、つぎには男のイザナキが先に声をかけたので成功する。こうして日本列島の島々が生みだされ、八つの島からなるので大八島という(以上、国生み神話)」と要約されている。そこでイザナキとイザナミが「命令を受け」たというのは一体誰からなのかという疑問がこちらから提出されたのだが、『古事記』を参照すると、イザナキのイザナミの前に一〇人くらい神がいて、そのことごとくがどこかに身を隠してしまったのだと言う。それでも当初から神が複数体いたとされているのは確かなところで、イザナキ・イザナミが「命令を受け」たのもそれらの神一同の意志からだったと言い、その点キリスト教などの一神教とはやはり違っているなという感想が出た。そもそもローマ帝国だってキリスト教以前には多神教だったわけだし、土着的な民衆信仰や神話のレベルでは大方多神教なのかもしれない、むしろユダヤ・キリスト・イスラームなどの一神教のほうがマイナーなのではないか、とするとそれらの宗教の異質性がかえって際立ってくるなどと話す。さらには、女性のイザナミがまぐわいのために声を掛けるのは良くないとされ、男性のイザナキが声を掛けて成功するというのは、言わば男尊女卑的な考え方が『古事記』が成立した古代にも既に根付いていたことを表すのではないかと述べ、根深い問題だなと言を共有した。ほか、雄略天皇についてだとか、三種の神器について、草薙剣の逸話についてなど話したが、それぞれさほど突っ込んで発展し、まとまりのある話にはならなかったのではなかったか。また『天皇の歴史』について語ったことを思い出したら書こうと思うが、どこから逸れたのだったか、中国のことが話題になった時間が結構長くあった。こちらは先日Mさんから聞いた抗日ドラマの本末転倒ぶりを話し伝える。そうだ、『天皇の歴史』を読むと半島や中国との関係が良くわかった、当時は中国も大帝国だから、白村江の戦いなどは一種「やっちまった」感があり、日本側も戦のあとに急いで城砦を作ったりしているから、危機感、緊張感のほどが窺える、などとAくんが話したのだった。そこから、日本という国は昔(中国)も近代以降(アメリカ)も「帝国」との関係で抑制を強いられてきた小国だったのだとか、むしろ中国が西洋に食い物にされた近代以降から現代までのほうが、後世から見ると例外的な時代になるのかもしれない、などと話したのだった(こちらはAくんが前に言っていたことだが、尾崎行雄=尾崎咢堂の本で、自分が青年の頃は西洋の文化など吸収している者はむしろ少数派だった、大概は中国の文化を摂取していたと書いていたというのを思い出して改めてそれを口にした)。それは習近平も大きな中国を目指そうとするだろう、などと言い、そこから話題が中国のことにずれていったのだと思う。ほか、Aくんが中国を訪れた時に体験した話――友人と電車に乗っていると、前の席の男性から、君たちは日本人か、韓国人かと訊かれた。その時Aくんは思い切り日本語で日記を綴っていたのだが、中国語の少々できる友人が、自分たちは韓国人だと答えた、すると相手はそれならば仲良くできると手を差し出し、それから日本人は、馬鹿だ! ともの凄く大きな声で吐いたのだと言う。相手の風体はビジネスマン風だったらしいが、それでAくんは、新幹線?だったかその列車に乗れるような、そこそこ金を持っているような階層のビジネスマンでもそういう人はいるのだな、あるいは経済が発展してあまり学のない人でも新幹線を利用できるようになっているのだろうか、と思ったと。そのあたりに関連して、これも先日Mさんと話した中国人は日本を好きになって来ているのではないかという漠然とした話をここでも交わした。さらに先日読んだ新聞記事を思い出し、北京市では近々点数制が導入されるらしくて、市民の素行を監視・点数化し、成績の良い者には行政サービスを良質にする、悪いものはブラックリストに載せて「市内を歩けなくなるような」罰則を加えるのだと語る。中国に関してはそのくらいだっただろうか。そこから確か、中国共産党の歴史というものも気になるという話題も出て、これはのちのち次回の課題書に繋がることになる。
 次回の日程は三月三日に決まった。それで四時半くらいだっただろうか、いやもう少し早かったか、ともかくいつも通り書店に行こうということになった。席を立ち、一人ずつ個別会計する。こちらは六五〇円。そうして店を出ると、二人はトイレに行く。こちらはしばらくそこに立ち尽くし、鏡を見たり、何をするでもなく待ち、彼らが戻ってくると歩き出す。階段を下りながら、どうする、共産党プロパガンダみたいな本があったらなどと笑い合う。退出。道を歩き、交通整理員の立つ細い通りを渡り、駅前のエスカレーターに乗って高架歩廊へ。広場から伊勢丹のほうに抜ける。空は雲の一つもない水色、月が早くも天頂に達して細く薄く刻まれている。歩道橋を渡って高島屋へと折れ、西を正面にすると、暮れていく太陽の明かりを受けた雲が空に固まっていた。高島屋に入店。エスカレーターを辿って六階、淳久堂書店へ。まず中国史の区画を見に行ったが、あまり共産党にフォーカスした本は見当たらない。それで思想のほうにあるかと思いきやこちらは儒教とか古代思想とかが大半である。それなので新書や文庫を見に行こうとなった。フロアを渡り、岩波新書などを見るが、特に目を引くものはない。毛沢東の伝記などあれば良いと話していたのだが、中公新書がその類を多く出しているからあるかもしれないと見に行ったが、ずばりのものはなかった。それでも、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』、小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』、大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判 中国共産党の思惑と1526名の日本人』という書籍たちが見つかった(毛沢東東京裁判とは別に戦犯裁判を独自に行っていたとは知らなかった)。このなかでは二つ目の『中国ナショナリズム』が良さそうだと言い合い、しかし講談社学術文庫にでも伝記や歴史書の類は入っているだろうと言って見に行ったが、しかし良さそうなものはここにもなかった。ちくま学芸文庫も同様(天安門事件の指導者だった人が書いた中国史講義というのはあったが)。それで、先の新書に、次回まで日にちもあることだからもう一冊足してそれで良いのではないかと言って、新書のほうに戻る。こちらは二人が中公新書を見ているあいだ、選書の棚を隅から隅まで追ったのだが、関心にぴったり来るものはやはりなかった。それで結局、小野寺史郎『中国ナショナリズム』と、岡本隆司『中国の論理』の二冊に課題書を決定した。書き忘れていたが、こちらはフロアを回る過程で蓮實重彦『表象の奈落』と講談社文芸文庫から近頃発刊された『物語批判序説』を手もとに確保していた。それを会計に行く(四八六〇円)。ビニール袋を受け取って二人のところに戻り、ともにエスカレーターへ。途中、飯はどうするかとの質問があったが、今日は立川の叔母宅に用事があると答える。それで階を下り、二階から歩廊へ。店内にいるあいだに夕暮れが進んで、街のネオンが際立ちはじめている。駅へ。駅舎に入ったところで、自分はルミネに行くから、と言い、ありがとうございましたと礼をして二人と別れる。そうして入館、United Arrowsの店舗内を、靴などに目をやりながら通って向こう側に出、エスカレーターを下る。この日はこちらの誕生日なので、ケーキを買っていくつもりだったのだ。それでエスカレーターを下ってすぐ目の前に、「マロニエ」の店舗がある。声を掛けてきた店員に会釈をし、そのガラスケースのなかのケーキを見やりながらしかしひとまず素通りして、周辺を巡ったのだが、細かく吟味するのも面倒だし先の店で良いのではないかと思った。それで戻り、結局「マロニエ」で買うことに決断し、良いですかと女性店員に声を掛け、モンブランを二つ、苺のタルトを二つ、「アルハンブラ」(四角いチョコレートケーキ)を二つと計六つを注文した。それで会計、二七六四円。運搬時間を尋ねられたのには二〇分ほどであると答え、わざわざケースの裏から出てきてくれた店員から紙袋を受け取り、場をあとにする。エスカレーターで上って、駅通路へ。Yさんに今から伺いますとメールを送っておき、南口へ。ゆっくりと歩いて街を渡る。道の端々に立つ電柱に電飾が取り付けられて、一瞬ごとに緑や赤や白と色を変えながら点滅していた。横断歩道で立ち止まると、背後の空にはまだ光の感触が僅かばかり残っているが、向かいの空の建物の際は醒めた青色が漏れていて、ちょうど夜と夕べの境界線に立っているようだなと思った。細道に入り、A家へ。インターフォンを押すとしばらくしてYさんが来て、扉の鍵を開けてくれる。どうぞと言われるので靴を脱ぎ、お邪魔しますと上がる。うっす、と言いながら居間に入るとYちゃんが開口一番、小洒落た格好をしているじゃんかと言う。バルカラーコートを脱いで吊るし、炬燵に入る。この時点で時刻は五時半頃だったはずだ。それから一〇時近くまで滞在したので四時間半、そう思うと結構いたものだ。食事について先に書いておくと、最初にベーコンの乗った大根のサラダ(イタリアン・ドレッシング)、ほうれん草だろうか菜っ葉や茸の入った甘いスープ、ブロッコリーと烏賊をチーズを混ぜて焼いた簡易グラタンのような料理、それに今日は、前回の訪問時に話に出ていたのだが、ミートソースのスパゲッティだった。一杯一〇〇グラムのものをおかわりして二杯食べた。デザートは林檎とこちらの買ってきたケーキで、自分はモンブランを選んで食べた。会話――どんなことを話しただろうか。まず最初のほうで、Yちゃんが、調子はどうかと訊いてきたので、テレビのほうに向けていた首を振り向かせ、良いねと呟く。すると彼は、そうだと思った、入ってきた瞬間からわかった、顔色が良いと言い、前よりも頬の筋肉が使われていると観察を述べるので笑った。本も読めるようになり、文章も書けるようになったと告げる。小説を書いているのかと訊くので、自分が書いている文章とは日記であると。日記で物語をやりたいのか。いや、日記で物語は難しい、しかし日記が小説のようになってくれれば良いなとは思っている。ちなみに最初のうちは、場にいたのはこちら、Yちゃん、Yさん、Yの四人だった。ほかに何を話しただろうか――全然思い出せない――テレビの話から行こう。テレビは最初のうちは相撲。横綱稀勢の里が連敗中で振るわないというのはこちらも知っていたが、立ち合いが合わないのを何度か繰り返したあと、結局この日も負けてしまって、Yちゃんは、もう引退だなと呟く。そのほかニュースで、小学生中学生の子どもにスマートフォンを持たせるのは良いか否かみたいな話題。Yちゃんはスマートフォンどころか、携帯電話そのものを持っていない。しかしそれでまったく困っていない、不便していないというので、それで良いんだよと告げる。Yもスマートフォンを持っているが、連絡と検索とYoutubeくらいにしか使わないと。こちらは、視野狭窄になってしまうよねと言うと、何か言葉が難しい、良くわからんぞとYちゃん。視界が狭くなっちゃうよねと手振りつきで言い直し、歩きながらやっている人とかいるじゃん、それよりももっと外の風景とかを見たら良いのに、とは思うねと。ほかにニュースで印象に残っているのは、この時放送されたのかは定かでないが、インドネシア付近で航空機が墜落して、乗客一八九人が全員死亡したとのもの。のちのちザッピングの途中に、沖縄県辺野古基地建設に関しての県民投票についての各自治体の動向が一瞬映ったが、すぐにチャンネルを変えられてしまった。
 面白かった話題としては、「獺祭」のことに触れなくてはならないだろう。その前にまず、これは八時一五分頃、Kが帰って来て卓に就いて以降のことだが、こちらが持ってきた本を取り出してKに渡す。当然相手はムージルなど知らないわけだが、そこは強引にと言うか無理矢理にと言うか、これは面白かった、『三人の女』というやつが傑作だから読んだほうが良い、などと相手の興味もわきまえずに勧める(以前聞いたのだが、V・E・フランクルの『夜と霧』を読んだというKに、難しいものを読んでいるなと思ったよと伝える。また彼は、夏目漱石草枕』も読んだことがあるようだ)。Yちゃんは本を見て、それ、漢字が書いてあるじゃんと冗談を言った(本というものをからきし読まない彼は、常々自分は「字が読めない」と卑下しているのだ)。それでこちらも、漢字がたくさん書いてある、と応じ、こういうのを読んでいるんだわ、面白いんだわと告げる。ほか、分厚い『「ボヴァリー夫人」論』はYが持ち上げてダンベルのように腕を動かし、Yさんにお前はそっちだなと笑われていた。そうしてHemingwayのThe Old Man and the Sea、これは洋書だが、これに関しては本を読まないYちゃんが読んだことのある三冊くらいのなかの一冊に入っていて、お爺さんが魚と格闘するけれど、鮫に全部喰われちゃうんだよなとか、子どもが出てきてお爺さんを尊敬しているんだよなとか、意外と物語の内容を覚えているので、こちらは彼がそれを口にするたびにそうそうそう、と同意を放つ。Yちゃんがこの作を読んだのは小学生だか、とにかく随分昔だったらしいが、良く覚えていたものだ。それでそうした話をしている時にYちゃんが、獺祭の由来について語りはじめる。「獺祭」という酒を知っているかと。確か、イタチみたいな字のやつでしょうとこちら。しかしイタチではなくて、カワウソだった。それで彼曰く、獺が魚を獲った際にそれらをずらりと並べる、その様子が祭儀のようだから「獺祭」という言葉が出来たと、しかしこれはYちゃんがそこまではっきりと説明できたわけではなく、途中で携帯電話でKが調べて補足した内容である。これは面白い由来だった。ただ動物が魚を並べているだけなのに、それを先祖に対して祀っている、供えているのだと意味を読み込む=作り出してしまう人間の想像力。元々これは、唐時代の何とか言う政治家が作り出したらしく、類似からこの政治家は、書物を周りにずらりと並べる自分の様子を喩えて獺祭何とかと号したのだと。これを真似たのだろう、正岡子規も同じように、獺祭何とか主人みたいな名を己に冠していたらしい。そうなるとしかし、獺が何故そのような習性を持っているのか、何のために魚を並べるのか気になるが、それに関してはKが調べても出てこなかった。ああ、それで言い落としていたが、日本酒の一種が「獺祭」という名前になったのは、これは『坂の上の雲』のなかでそういう名づけの場面が載っているらしい。
 さて、次に何を語るべきか――吉田類から行こう。上のような話をしているあいだ、テレビでは吉田類の『酒場放浪記』が掛かっていた。吉田類というのは、「酒場詩人」と称されていて、エッセイやら小説やらも書いているようだが、彼がただ酒を飲み飯を食いながら美味い美味いと言っているだけの番組で、最初のうちは勿論素面で出てきて真面目なことを言っているのだが、段々と酔っ払いになって行き、呂律も上手く回らないようになる、その変化が面白いとのYちゃんの言だった。しかし彼は、面白いが、吉田類の詠む川柳だけは良くわからないと言う。それで見てみると、この時確認されたのは二つ、一つは「銀盤呑む寒月光の調べかな」というものであり、もう一つは「鴨鍋やふつふつみつる無我の境」というものだった。どちらも何ら面白味のない全然普通の句だと思うが、これらが良くわからないとYちゃんが言って、皆で解釈を述べたり、こちらが解説したりするといった展開になった。前者に関しては、まず「銀盤」というのは酒の銘柄である。酒を飲んで良い気分になって出てくると月が皓々と照っている、酒の余韻に浸っているなか、寒い冬の空に見上げれば月が白々と光を降らせている、それを音楽の調べに喩えたものだろうと。後者に関しては、出てきたのが「みつる」という店だったので、この語はその名と掛かっている。「ふつふつ」というのは鍋が沸いている様だろう。要は鴨鍋を食い、美味い酒を飲んで無我に至っている、つまりは我を忘れている、そのくらい良い気分になっているとそんなところだろうとこちらは解釈を述べる。結局のところ最終的には、酒が美味い、飯が美味いという意味に還元される類の作句であり、酔っ払いの戯言みたいなもんだとKも言っていた。
 ほか、改元の話題(これは喫茶店で友人らと話している時にも話題に出た)。次は何という元号になるのだろうと。Yちゃんは、何か新しい日本、新しい皇室、それに明るい国、あるいは豊かな国を作っていく、そのような言葉になるだろうと。Yちゃん曰く、昔は中国の史書などから取っていたが、これもナショナリズムの表れなのだろうか、それはやめて日本の史書、『古事記』などから取ると言っている(誰が?)らしい。それで、今日ちょうど、ちょっと『古事記』を読んだよ、結構面白かったと言うと、こいつ、『古事記』を読んで面白いってさ、などとYちゃんは信じられないように顔を歪ませる。神話だから、要は物語だからとこちら。そして、草薙剣の由来を説明する。ヤマタノオロチが斬られた時にその腹から出てきたのが天叢雲剣であるわけだが、それはのちに倭健命(ヤマトタケルノミコト)に与えられる、彼はそれで東征するのだがある場所で火攻めにあってしまう、その時周囲の草を薙ぎ払って助かったところから草薙剣の名が生まれた、そしてその火攻めをされた地というのは焼津なのだと、大津透『天皇の歴史1』から得た雑学を披露する。
 とりあえずそんなところだろうか。テレビ番組と言えば、『YOUは何しに日本へ?』も見たが、これについては大して印象に残っていないので良いだろう。しかしテレビに関しては、こちらがあまり見ないと言うと、Yさんが、最近は面白くないよねと応じる。そこでこちらは、結局、スタジオで芸能人ががやがややっているより、素人を写したほうが面白いんだ、『鶴瓶の家族に乾杯』とか。『YOUは何しに日本へ』もそうだねとあちら。あと、『笑ってコラえて』も、とYちゃん。ひとまずそんなところだろう。現在もう、一月一五日の午前三時半前なので、一旦ここまでで今日は眠ることにする。
 一月一五日の一二時四〇分からふたたび記している。日記を書いていると言うと、今日のこのことも書くわけかとYちゃんが言った。当然書くわけだが、Yちゃんはそれを嫌がるでもなく笑みを浮かべて、どんどん書いてくれて構わない、ネタにしてくれて良いと告げるので有り難いことだ。一二日だか一一日だかは二万字書いたと言うと、Yは二万字、と驚きを露わにしていたが(凄いだろう、卒論みたいだろうとこちら)、文章を書かないYちゃんはその量の多さがピンとこないようだった。それでも、それが正しいかどうかはわからないけれど、それだけ書けるようになったということが良かったと言ってくれる。
 K子。七時台かまだそこに入る前だったか、こちらがトイレに行くとちょうど帰ってきたK子と廊下で鉢合わせした(ピザか何かを友人と食べに行っていたらしい)。何か格好良いような衣服を身に着けていた。やっほーと言ってくるので、お邪魔しておりますと礼をする。そうして便所に入って用を足して戻ったのだが、上階に上がったK子はその後なかなか下りて来ず、随分経ってから居間にやって来たけれどすぐに風呂に入ってしまい、それがまた長かった。そのあと出てきた彼女は、この時はもう九時半頃になっていたと思うが、一つ残ったモンブランのケーキを美味いと言って食べていた。ケーキは皆に好評で、こんなに高いケーキ、良い品はうちでは買わないし食べない、今まで食べたケーキのなかで一番美味いんじゃないか、などとYちゃんは口にしていた。それぞれが食べたケーキを記しておくと、こちらはモンブラン、Yが苺のタルト、Yさんが「アルハンブラ」(チョコレートケーキ)、Yちゃんも「アルハンブラ」、Kが苺のタルト、そうして最後のK子がモンブランである(こうして食べた順に並べてみるとその順番がシンメトリーになっている)。
 また、一番最初のほうに話されたことだが、Yちゃんが骨を折ったらしい。Yさんの葬儀で彼とあった母親からこちらもちょっと耳にしていたが、酒に酔って自転車で転び、胸とその反対側の背中をやったと。それで年末年始はあまり動けなかったのだが、今ようやく治ってきたところだ。
 ほか、これは喫茶店でAくんが言っていたことだが、中国の官憲は物凄く厳しいというか物々しくて、とてもじゃないが例えば道を訊けるような雰囲気ではないという話題もあったが、これに関しては詳しくは良いだろう。
 今のところ思い出せるのはそのくらいである。一〇時が近づくとYさんが、さあ、そろそろ、と口にして、撤収の語を続けて言うので、そうだねとこちらも同意して帰り支度を始めた。Yちゃんの褒めてくれるバルカラーコートをふたたび着込み、その場に膝を突いて、ありがとうございましたと礼をする。二九歳にもなったし、また日々精進していきたいと思っておりますと畏まって、帰路に就いた。皆が玄関まで出てきて見送ってくれた。Yさんが一人、道に出たこちらのあとについてきて、また来なと言ってくれるのでふたたび礼を言って別れた。夜の街を横断する。成人式に行ってきたらしい若者の姿が時折り見られる。駅の近くまで来ると、カラオケボックスか何かの前で、まるで祭の夜のように(彼らにとってはまさしくそうなのか――ちなみに、どうでも良い連想だが、パヴェーゼに『祭の夜』という短篇集がある)大声を出して騒ぎ立てていたので、そこを通るのは避けて手前でエスカレーターに乗り、高架歩廊に上った。Yさんの働いている居酒屋の前を過ぎ、若い女性連れの傍を通り過ぎ、駅舎に入って、群衆のなか改札をくぐる。電車は一〇時二一分発だった。腕時計を見れば時刻はもうそのくらい、しかしまったく急がずホームに下りて行くと、ちょうどこちらが下り立った頃合いに発車した。頑張れば乗れたのではないかとも思ったがまあ良いと払って、柱の近くに立って『「ボヴァリー夫人」論』を読み出す。次の電車がまもなくやってきて、席に座ってからも読書を続ける。向かいの席にはまさしく熊のような大男がついており、イヤフォンを両耳につけ、脚を左右にひらいて後ろに凭れ掛かりながら眠っていた。疲労感があった。青梅に着くと乗り換えはすぐの発車、八〇〇頁の分厚い大著を、Yさんに貰った紙袋(年賀と、Yの就職祝いのお返しが入っているという話だった)小脇に抱えてちょっと走り、奥多摩行きに乗る。かつかつと音をさせながら車両の端まで歩き、扉際で文を追いながら到着を待った。最寄りについて駅を出ると、月は既に山の向こうに入ったらしく、晴れて星の見えはするものの暗夜である。精霊の息吹のように、下り坂の木々の梢がさらさらと薄く鳴っていた。
 急がず帰宅。母親はテーブルに就いてポテトチップスを食っていた。こちらも手も洗わないうちにそれを二、三枚いただき、貰ってきた紙袋を示して卓上に置く。そうして下階に戻り、Twitterを覗くと、「二九歳になってしまいました」というだけの発言に随分と「いいね」がついていたので、「帰宅。皆さん、「いいね」をありがとうございます。二九にもなって経済的自立性をとんと身につけることなく、読み書きばかりやっている人間ですが、これからも日々読み、書き続け、精進していけたらと思っております」と殊勝な言を改めて呟いておいた。そうして入浴へ。一一時四五分から零時ちょうどまで。戻ってきてインターネットを回ったあと、零時五〇分前から書き物に入った。TwitterでAさんとやり取りを交わしながら三時半前まで。二時間強で九〇〇〇字ほど綴ったが、まだ終わらない。BGMはEric Clapton『From The Cradle』に、Eric Dolphy『At The Five Spot, Vol.2』。そうして歯を磨き、三時四五分に就床した。


・作文
 6:23 - 6:45 = 22分
 8:20 - 8:39 = 19分
 9:02 - 9:12 = 10分
 12:28 - 13:19 = 51分
 24:46 - 27:22 = 2時間36分
 計: 4時間18分

・読書
 6:55 - 7:14 = 19分
 8:39 - 8:53 = 14分
 11:44 - 12:08 = 24分
 13:19 - 13:57 = 38分
 22:23 - 23:13 = 50分
 計: 2時間25分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-12「白昼の動物がいまあくびする愛でよ讃えよこの世の退屈」
  • 2018/1/14, Sun.
  • 2016/8/23, Tue.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 27 - 37
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 178 - 200, 749 - 749

・睡眠
 2:30 - 6:10 = 3時間40分

・音楽