2019/1/27, Sun.

 七時四〇分起床。蓮實重彦とTが出てくる夢を見たが、詳細はもう忘れた。一度上階に上がって母親に挨拶し、朝食を買ってきてあるのだと報告する。それで室に帰って、八時過ぎから早速日記を書き出した。隣室のT田はまだ眠っているようだった。それで三〇分ほど綴っていると、T田が音も気配もなく戸口に現れたので驚いた。彼は既にジャージからスーツに着替えていた。前日の日記に書き忘れていたけれどT田の格好はスーツで、それは講演会を聞きに行ったからだった。関節リウマチについてのものだと言った。大学の教授が世話役をしている講演会なので行ったのだが、自分の専門に関わるわけでもなし、しかも席を遠いところを取ってしまって、スライドがよく見えず声もよく聞こえずでまったく面白くなかった、行かなければ良かったと前夜に話していた。それで二人で朝食を取りに上がると、父親も卓に就いて飯を食っていた。T田が両親に挨拶する。母親が山芋とアボカドとトマトのサラダを作っておいてくれた。こちらはドリアを電子レンジで温め、サラダを二人分皿に取り分ける。そうして父親と入れ替わりに食事。こちらがいつもの位置、西側の椅子に就き、T田はその向かい。食べているあいだ、台所で洗い物に立った父親が、T田のことを、Mr. Children桜井和寿にちょっと似ているんじゃないかと言った(この点は母親もあとになって同じことを言っていた)が、T田は初めて言われたと返した。それで食事を終えてこちらは薬も飲むと、我が部屋に帰り、それから一二時過ぎまでずっと、色々な音楽を流しながら話をした。まず最初に流したのはJunko Onishi『Musical Moments』の最後に収録されたライブ音源、"So Long Eric"ほかの一六分にも及ぶメドレーである。その次に、Eric Dolphy。さらにFISHMANS『ORANGE』。その途中で、こちらが二〇一二年当時に録音してストックしておいた曲のネタのことに話が及び、今度はそれを流して聞く。Tは絶対作らないような雰囲気の音だとT田は評価した。その後、FLYや懐かしのDeep Purpleを流したあと、床の上、書架の下に置かれていた重いケース二つを取り出してCDを見せ、T田に借りたいものがあったら借りていって良いぞと提案する。一緒に見ながら、Paul Motianというドラマーが変で面白いと言い、Enrico Pieranunzi『Live At The Village Vanguard』を貸すことに(しかしこれはのちに、流した音源を聞いたT田がやっぱりいいやとあっけらかんと返してきたので却下された)。ほか、推したのはGretchen Parlato『Live In NYC』である。これも音源を二曲流して、バックのドラム(Mark GuilianaにKendrick Scott)なども聞いてもらい、T田もわりあいに気に入ったようだった。それで最後にMarvin Gaye『What's Going On』を流していると、T田が、Pieranunziはいいのでこれを貸してほしいというので望み通りにした。そうしてアルバムが終わるともう一二時を越えていたので昼食を取りに。父親は自治会だか保護司の集まりだか何だかあるらしいが、まだ出かけていなかった。母親は外出、友人とランチとか何とか。冷凍のたこ焼きを電子レンジで用意し、ほか、味噌味の野菜や魚介の入ったスープを母親が作っておいてくれたのでそれをT田と一緒に頂く。それでT田は帰路に就くことに。ラジオを流して電灯のスイッチ周りを修理していた(玄関の電灯のスイッチの利きがちょっと前から悪くなっていたと言うか、緩くなってテープなどで貼って押さえておかないと自動的に消灯のほうに固まって明かりが点かない、という風になっていた)父親に、送ってくると告げて外へ。道に出ると途端に眩しさが降り注いで視界を埋めるのに、右手で額に庇を作りながら素晴らしい天気だなと口に出す。最寄り駅は近くだが、天気も良いしどうせなので散歩がてら遠回りしていこうという話になっていた。Tさんの宅の傍の柚子は実が重く吊るされて枝葉が随分と垂れ下がっている。Tomorrow, Tomorrow, Tomorrow creeps in this petty……とT田が口にしたのは、前夜、シェイクスピアについて話をした時に、『マクベス』のなかでこちらが印象に残っていた部分の書抜きを見せたからだ。

マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。
 (シェイクスピア/福田恆存訳『マクベス』新潮文庫、1969年、125~126; 5-5)

MACBETH
She should have died hereafter;
There would have been a time for such a word.
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.

 福田恆存は『老人と海』の訳は端的に言って全然良くなかったが、シェイクスピアのこの訳はなかなか結構格好良いのではないかと思う。「あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで」という部分の原文をつぶやきかけたT田にこちらが、pace、と一言付け足すと、T田はそこが思い出せなかったのだと言った。今日はこれを、「時の階」という言葉を覚えて帰るわと言う。坂を上って行き、日向に染まった裏道を行けば、道端の葉っぱが光を激しく照り返している。街道まで向かいながら、こちらが文学に嵌まった経緯を話していた。大学の卒論も終えた二〇一三年初頭、それまでに興味が出つつも手を出せなかった文学に触れてみたらこれが面白かった、そのきっかけとしてはMさんの(という名前は出さなかったが)日記ブログを読んだことがあったと。街道を渡って風の吹きつける裏道をまた行きながら、Fはどちらかと言えばちょっと古いものに惹かれるのかと訊くので、確かに音楽も高校時分は七〇年代八〇年代のハードロックを聞いていたし、そういうところはあるのかもしれないと答える。文学についても、文芸誌で、要は現代文学の第一線で活躍しているような作家たちにはあまり興味が湧かない、読んでもいないのにそう言ってしまうのは浅はかではあるが、彼らよりも明らかに、例えば昨日紹介したムージルなどのほうが、明らかに凄いと思うからだ、と。しかしそうは言いながらも、そういう姿勢はあまり良くないと言うか、勿体無いものではあると思うとも付け足した。それで最寄り駅に着くと時刻は一時半過ぎ、電車は三七分ですぐ来る予定だった。ホームに渡り、T田とありがとうございましたと礼を言い合う。そうして乗って行く彼と手を振り合って別れ、こちらは一人、帰路をゆっくりと辿った。この日もまた雲のない快晴だった。帰宅して父親に挨拶すると、彼はもう出かけると言う。こちらは生チョコアイスの母親が食ったその残りの半分を食べ、茶を注いできて日記に二時半から取り掛かった。そこから現在まで三時間半、LINEでやりとりをしながらもずっと打鍵していた。前日の記事は書くことがたくさんあり、引用も含めると二万字を越えた。今は六時に至っている。日記を優先したかったので夕食の支度は帰ってきた母親に任せてしまった。腹が結構減ってきている。また、書きながら短歌を三首作った。

 白糸と鉄と鎧の狂詩曲踊り狂って死ねば本望
 金の爪で裸の風を殺しては哀しみばかり呑んで窒息
 欲情が腐った林檎を齧り出す泣き虫だらけの失楽園

 ほか、岩田宏神田神保町」のなかに出てくる、「魔法使のさびしい目つき」というフレーズを使って一首作りたいのだがうまく思いつかない。
 それから「魔法使のさびしい目つき」を用いた短歌を考えたのだが、七時を回って食事に行くまで一時間ほどあったわけで、そのあいだずっと考えていたというのは随分長い。ほかのこともやっていたに違いないのだが何をやっていたのかてんで思い出せない。ともかく七時を迎えて夕食に行くと、母親は居間の片隅、テレビの前の座布団の上でアイロン掛けをやっていた。台所に入って見ればフライパンには野菜炒めの、中華丼の素を絡めたものが出来ている。それをよそって電子レンジで熱し、さらに母親が今日行ったガストで買ってきたピザも三切れ取って加熱した。それに米をよそって卓へ、一人で先んじて黙々とものを食べる。平らげてもまだ何か食べたい感じがしたので何かないかと冷蔵庫を見れば前夜の残りか鯖の餡掛け風があって、それを取り分けて熱して食べたが、これはあまり美味くなかった。そうして皿を洗って入浴。湯に浸かりながら短歌を考える。「~~の唄になれないこの愛は魔法使のさびしい目つき」までは出来ていた。最後の一句目に何を当て嵌めたものかと頭を回して、最初に「沈黙」が出てきたのだがこれはありきたりに過ぎる。次に「解放」が出て、これは目指すところに近いがそれでもやはり何となく違う感じがした。最後に「革命」を思いついて、思いついた瞬間に、そうかこれだとわりあい嵌まる感じがしたので、無事そうして完成となったわけである――「革命の唄になれないこの愛は魔法使のさびしい目つき」。「魔法使」を普通だったら「魔法使い」としたいところ、オリジナルである岩田宏の「い」を抜いた形を残すことで、彼から借りているということを明示しているつもりである。そうして脱浴、ポテトチップスを母親と分け、こちらは袋を持って下階に下りた。そうして、三宅誰男『囀りとつまずき』を読み返しながらメモを取っていく。「まなざし」の語がやはり一番多くて、今のところ五六回を数えている。この話者はとにかく何かを「見て」いることが多く、「視線」や「目線」という類語も含めれば「見る」のテーマの数はもっと増えるだろう。次に多く出てくる語は多分「自意識」で、これは今のところ九回。あとは「たまさか」も、古井由吉なんかが使う古めかしいような語だが結構使われていて、これは三回。そのほかのテーマとしては、「錯覚」(意味の転移あるいは重なり)や「変容」、あとは「読解」というものもあるか。話者は結構、他人の素振りなどから心理を推し量ったり解釈したりしていると言うか、敏感に「意味を読み取る者」としての性質を持っているなということに気がついた。物事の表層を「見る」だけに留まらず、そこに重ね合わされてあるものを見通そうとする主体。「差異の蒐集者」はまた「読解者」でもあるわけだ。今のところで良い断章と言うと、前回読んだ時にも一番印象に残ったが、牛丼屋のテーマ曲に合わせて合唱する女子高生たちの「若さ」を描いたものはやはり素晴らしい。ほか、銀杏の木の巨大さに啓示的に打たれる断章も威力があって、特にそのなかの「太古の裸身をだしぬけにのぞかせる文明の破れ目」という表現は良い。また、樹上に止まる鳶や鴉の群れの「陣形の変容」から「喪服姿の行列」を連想し、不吉でおどろおどろしいような雰囲気があたりに漂いはじめ、浮かれ騒ぐ宴席のなかに「黄泉」の穴がひらくという断章も、異界を幻視している感じがして良かった。
 一一時まで読み返しをして、ここまで日記を書いて一一時二〇分。その後、『囀りとつまずき』を本来ならば読み進めるところだが、たくさん読み返しをしたためだろうか何となくその気にならず、それではと書抜きをすることにした。Lee Morgan『Indeed!』をバックにしながら打鍵を進めているとしかし、じきに疲労感が募ってきて瞳もややひりつくようになってくる。さすがに前日、深夜まで外出の途にあったことが尾を引いているらしい。それで零時半前には切り上げて、そのまますぐに床に就いたと思うのだが、このあたりのことは記憶がうまく残っていない。入眠は容易だったはずだ。
 また、読書中に新たに短歌を二首作った――「沈黙の息吹孕んで鳥になる絶望運ぶ負の孤島まで」と「美しい希望の抜け殻携えて我は沈めりまなざしの底に」。


・作文
 8:16 - 8:47 = 31分
 14:27 - 18:04 = 3時間37分
 23:02 - 23:20 = 18分
 計: 4時間26分

・読書
 20:16 - 20:41 = 25分
 21:07 - 23:00 = 1時間53分
 23:48 - 24:22 = 34分
 計: 2時間52分

  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 76 - 184

・睡眠
 2:45 - 7:40 = 4時間55分

・音楽




三宅誰男『囀りとつまずき』自費出版、二〇一六年

 あるのかないのかわからない意識をただぼんやりとやどらせているだけのようにもみえる病人の、反応してみせる余力がないばかりでじつのところはたしかなのだとしきりに請けあってみせる医療関係者らのことばの数々というもの(end17)がある。寝ずの番にあたった娘ふたりの夜がな夜っぴて談笑するかたわらでつねにないいびきさえたてて深々と眠っていたという報告をまえにすれば、親しいおふたりがそばにひかえているのにすっかり安心しておやすみだったのでしょうと真偽のほどの知れるわけでもないことばを、それでもたしかな口ぶりで発してみせる。なんとものんきな放言ではないかと意地悪に毒づいてみせるこちらの内心とはうらはらに、あたえられたことばをたしかなよりどころとして安堵にやわらぐふたりの表情はしかしどこまでも素直である。見舞えば見舞うほどつのるいっぽうとなる傍観者の無力をせめていくらかなりとやわらげてくれるすべはないものかと藁にもすがるおもいで送りだされているまなざしが、いよいよさしかかりつつある峠の夜をまえにして、救いをこいねがう信者の無垢に透きとおっている。
 (17~18)

     *

 おもてに出たとたんに肌をなぜてみせる夜気がきたるべき冬の気配をはらんでまだまだ気のはやい十月初旬である。年の瀬の気ぜわしさすらもよおしかねぬ先駆けの、長ずるにつれて不在の夏へのあこがれまでをもまねきよせるようであるのに、秋のさなかにありながら冬の気配にかこまれて夏を思慕している、いずことも知れぬ季節の汽水域にたたずむこの身ばかりのたしかさとなる。
 (48)

     *

 危篤の報せを受けての寝ずの番。顔も名前も知らぬ親族らが続々と病床につどってはひとみを赤くうるませて悲嘆するそのくりかえしのうちに暮れた日中の愁嘆場続きから一転、ごくごく近しい少数の親族だけがかわしうるたわいのないことばばかりがとても親密で掛け値なしにいとおしいひかえめな活気をていする夜長となる。主治医の見込みがはずれてこのままもちなおすことになれ(end62)ば番にあたるものはひとりのこらず失職ものであると馬鹿をいうものがあれば、こめかみのそばにたてた人差し指をくるくるまわしながら巻きで巻きでと応じるものが続き、いっそのこと締めてやればいいのだといって両腕を宙にのばしてみせる身ぶりがきわめつけとなる一連の悪ふざけの、おたがいがおたがいにゆるしをあたえあって矢継ぎばやに口にしていく不謹慎きわまりない冗談のはてに、つまっていた息のふっとぬけてたちまち楽になるふしぎな境目がおとずれる。先刻までめそめそしていたのとおなじその口でくりだされていくたちの悪い放言の、それでいて妙に爽快な後味をともない居合わせたものらの心中で奇妙なただしさとしてととのえられていく、なるほどこれはすでにはじまりつつある喪のしるしである。せまりくるいたましい重力をほんのすこしでもやわらげるべく、破顔をともなうさようならがくりかえし練習されているのだ。
 (62~63)

     *

 紅葉もすっかり盛りをむかえた銀杏並木。黄色くゆたかに群れなすものにおおわれて探りあてることのかなわぬその幹の道筋を、根元から上空へとすべらせていくまなざしでもっておおよそのうちにたどれば、目線の移動につれてあ(end88)おむき加減になっていく無理な姿勢をきっかけに、きわめて人工的に区画された道路にいろどりをそえるだけにしてはほとんど場違いとでもいうべきその巨大さをあらためて、しかしみずみずしく反芻するにいたる。そうこうするうちに上空にわたされた歩道橋よりもさらに高い頭上に達するその背丈がとても信じられないもの、都市の真ん中に突如として出現した巨獣のようなもの、太古の裸身をだしぬけにのぞかせる文明の破れ目のようなものとして、気づきを得たこちらめがけていっせいにせまりくる異相の圧迫をおぼえる。こんなものを飼いならそうとするなどほとんど無謀というほかないではないかという都市計画にたいする愕然とした心地も、凍てついた無関心に染めぬかれた歩行者らのくずれることなき日常的なふるまいをまえにしては空転するほかない。たったひとりとりのこされてしまっているような、それともたったひとり先行してほかをとりのこしてしまっているような、わが身のおきどころだけが見つからぬ秋の一日となる。
 (88~89)