2019/2/11, Mon.

 一一時過ぎまで長く寝床に留まってしまう。睡眠時間は一〇時間以上の長きに渡った。外は曇り空。一一時二〇分になってようやく起き出し、ダウンジャケットを羽織ってコンピューターを起動させる。Amazon Affiliateにアクセスしてみると、前日のクリック数は二六と急増していた。リンクは本文中にテキストリンクの形で組み込んでいるのみなので、これだけクリックされているということは、断片的にであれ、意外と自分の文章を読んでくれている人がいるのかなと思った。それから上階へ。階上に動きの気配がなかったので両親は揃って出かけたのかと思ったが、階段を上って行くとストーブの駆動音が聞こえ、母親はテーブルにじっと就いてタブレットスマートフォンか何か弄っていた。食事はおじやだと言う。ほかには安っぽいピザ。おじやをよそって電子レンジに突っ込み、そのあとからチキンの乗ったピザも切り分けてやはり温める。その他、ほうれん草にゆで卵である。新聞から自民党党大会の記事を読みながらものを食べ、薬を飲み、皿を洗って自室に戻った。FISHMANS, "なんてったの"をリピート再生させながら前日の日記を書き出したのが正午ちょうど。Hemingwayからの英単語メモを作成し、僅かに書き足して投稿。投稿に際してその日触れた本や音楽についてAmazonへのリンクをいちいち作っていかなければならないのがなかなか面倒臭いが、これも金銭的利益のためである(もっとも今のところ、クリックされているのみで紹介料が入る気配は一向にないが)。そうしてさらにこの日の記事をここまで書いて、一二時四〇分を過ぎている。散歩に出ようかどうしようか。またコンビニにでも行ってポテトチップスでも買ってくるか。
 コンビニに行くことにした。上階に行き(父親はソファに就いてテレビの、『まんぷく』を見つめている)、短い灰色の靴下を履きながらコンビニに行ってくると言って、何か買うものはあるかと訊いたが特にないようだった。出発。曇りの日である。それでも風は、ないではないがほとんど流れず、寒さに震えるほどでもない。道の脇の上方、林の縁に生えている色の赤い葉と南天の実を見上げながら通り過ぎる。市営住宅前は先日工事をしたばかりでアスファルトが滑らかに、綺麗になっており、道の端の白いブロックも新しくなったようだ。坂を上って行くあいだ、日記を金にすることについて考えていた。自分の日記など大した文章でもないが、fuzkueのAさんが『読書の日記』を出版し、またメルマガにもして「日記」というフォーマットにおいて勝負をしているように、自分の日記もこの先ずっと書き続けていれば、いつかいくらかでも金を生むチャンスが巡って来ないとも限らないだろう。ただそうした場合に自分はやはり、出版する気にはなれないと言うか、金を払って読んでもらうほどのものではないだろうこれは、という気持ちがある。無料で読めること、インターネットの片隅に金を払わず誰でも読めるにも関わらずそれを好んで読む人種など極端に乏しいであろう長文の日記が、巨大生物のように畸形的にごろりと生のまま転がっている、やはりそういう状況こそが面白いのではないかと思うのだ。勿論、出版という形で書店に並べたり、メジャー・シーンの流通に乗せることのメリット(と同時にデメリットと言うか面倒臭さ)というものもあるに違いないとは予想するのだが、しかしやはり無料であること、これが譲れない部分である(もっとも、今のところ出版の話など来る気配はまったくないので、いらぬ心配と言うか、取らぬ狸の皮算用だが)。その点アフィリエイトという仕組みは良い、アマゾンへのリンクを作ったからと言って読者が日記本文を読めなくなるわけではないにも関わらず、同時にこちらにも幾許かの金が入ってくる可能性が生まれる、これは有り難い仕組みである。
 そんなことを考えながら行く裏路地には、車は、停まってはいるけれど走ってくるものはなくて、人通りも見られず、あたりの家々からも住まう人の気配はまったく立たない、静かな曇天の昼下がりである。あるのは鳥の囀りだけだ。その静けさもしかし、表に出るまでのあいだの話であって、街道に出れば車は終始流れているし、ランナーが走っていたり、休みの日にも関わらず出勤するらしいスーツ姿などもある。西方のコンビニに向かう。ガソリンスタンドは今日も暇なようで、車も入らず橙色の制服姿の店員がポケットに手を突っ込んで、手持ち無沙汰に動かず突っ立っている。歩いているとこちらのすぐ脇を掠めて小学生の乗った自転車が追い抜かして行き驚いたが、彼女もやはりコンビニに入っていった。入店。籠を取り、まず飲むヨーグルトの小さなパックを一つ、それに三個セットの豆腐を取る。さらにバナナを買いたいと思ったが、見れば一つ三〇〇円もして高いので却下。ほか、冷凍のたこ焼き、アイス、ポテトチップスなどを籠に収めて会計。高年の女性店員を相手に金を払い(一二〇六円)、退店。暇そうなガソリンスタンドをふたたび過ぎて、裏には入らず表通りを行く。消防団の待機所に差し掛かると、ちょうど救急車が出動していくところで、けたたましいサイレンが鳴り、動物の耳のような赤いランプを点滅させながら、救急車、左に曲がります、という匿名的な女性の声のアナウンスが繰り返され、白い車はそれほど急がずに走り去って行った。Yの前を過ぎながら、今度ここに食べに来てみようかなどと考える。ここはこちらの同級生の実家で、彼は今何をやっているのか知れないが、この日の昼だったか前日だったかに聞いたところでは、彼の祖母が亡くなったのだと言う。それで店に入ったところを想像して、ご愁傷様ですと告げている自分の姿や、去年は鬱病に掛かりましてと事情を説明している様子などを妄想しながら街道を歩いて行った。表通りをずっと歩いて行き、今日もまた林に入ろうと細道に折れる。前日遭遇した弱ったメジロはどうなったのだろうかと思いが浮かび、あの時鳥を保護した男性にまた会わないかとも考えていたが、さすがにそんなことはなかった。この先通り抜けできませんの掲示を無視して林のなかに立ち入り、乱雑に設置された階段や積もった落葉を踏みしめながら下りて行く。ところどころ、地中に埋まりながら少々顔を出している木の根が階段の代わりになる。そうして林中を下りて行き、帰宅すると買ってきたものを冷蔵庫に入れて自室に帰った。
 買ってきたチョコレートとバニラの混ざったワッフルコーンを食いながら、Mさんのブログを読む。さらに引き続き、ポテトチップス(うすしお味)も食いながら、時折りティッシュで手を拭きつつ読み続ける(一気に一袋平らげてしまって油を多量に摂取し、胃に負担が掛かったせいか、七時近くなった現在も全然腹が減っていないし、何だったら頭痛の芽が少々兆している)。読んでいるあいだに最新の記事も更新されていたのでそれも読み、それから自分の過去の日記も読み返し。一年前は特に注目すべき記述はない。二〇一六年八月一日からは描写をちょっとTwitterに引いたはずだが、どんなものだったのかはもはや覚えていない。そうして二時である。そこから、ブログの記事を遡ってアマゾン・アフィリエイトのリンクを作っていくということを始めたのだが、これに大層時間が掛かった。大雑把に読み返して本や音楽の作品の名前を見つけつつ、アマゾンのサイトで当該作品を検索し、テキストリンクをボタン一つクリックして作り、はてなブログの記事作成画面に戻って本文中にリンクを組み込む――という作業を無数に繰り返すのだから、時間が掛かるのも当然である。BGMがなくてはやっていられない。音楽は、Mal Waldron『The Quest』小沢健二『刹那』(リンクを作りながらほとんど全曲歌った)、Mr. Big『In Japan』(こちらも時折り口ずさんだが、全体的に音域が高いので細い声しか出ない)、Junko Onishi『Musical Moments』と移行して、五時過ぎまで続けた。同じ作品を何度も検索してはそのたびにリンクタグをコピーしてペーストしなければならないので面倒臭いが、必死である。これも金のためだ。それで五時を越えて、そろそろ食事の支度をしなければならないのだが、このまま一月一日までリンクを作成してしまいたい、今日は母親に任せて怠けてしまおうかとちょっと思っていたところが、天井が鳴って呼ばれるのでそうも行かない。しかしさすがに、コンピューターから離れたくもあったのでちょうど良いところではあった。FISHMANS『ORANGE』のCDを持って上階へ行くと、煮物と汁物はもうやったから、あとははんぺんを焼いてくれと言う。了承し、台所に入ってラジカセでCDを掛けはじめると、まず残っていたピーマンを一つを半分に切り、種を取り除くとさらに半分に切って四等分した。それからエノキダケも切り分け、最後にはんぺん二枚をそれぞれ三等分して六つに分ける。そうしてフライパンにオリーブオイルを少々垂らし、その上からさらにバターの欠片を落として加熱し、脂が伸びると網目状に切り込みを入れたはんぺんを敷いた。蓋をして加熱する一方でほうれん草を絞って切っていたのだが、もう焦げているんじゃないと母親がフライパンのほうを見て開けたところ、確かにこんがり、と言うよりは少々強い程度に片面が焦茶色に染まっており、少々火が強すぎたようだ。それで火力を弱めてピーマンやエノキダケも加えて、時折り蓋を開けてフライパンを振りながら熱して、合間に大根や人参を器具を使ってスライスし、既に作られてあった生野菜のサラダと混ぜて、仕事は感嘆に終いである。そうして自室に帰ってくると、Junko Onishi『Musical Moments』を引き続き流しながらアマゾンのリンク作成に戻った。ひとまず今年に入ってからの分、一月一日の記事までリンクを施すつもりでいたが、まもなくを終わりを迎えると、その時掛かっていたのは『Musical Moments』に収録された最終曲、"So Long Eric"ほかの一六分にも及ぶメドレーのライブ音源で、これは多彩な技を駆使した素晴らしい演奏なのでジャズ好きは聞いたほうが良い。そうしてその後はJunko Onishi『Tea Times』にBGMを移行しつつ、ぴったり六時から日記を書きはじめて、四五分を掛けて現在時にまで追いつかせた。
 それからgmailにアクセスして、fuzkueの「読書日記」を読む。以下の描写が良かった。

目の前には梅の木があり小さな鳥が飛来して、その気配というかはっきりした枝の揺れる音で気づき目を向けると鮮やかな赤い実をくちばしに挟んでいる、と認識した瞬間にお尻からピュレみたいなものが垂れたのでフンをして鳥の排便はこんなにもシームレス、と思って鳥をそのまま見ていると赤い実が飲み込まれて、と思っていると目がなにかを感知して焦点を手前にずらすと梅の木に薄い淡い灰色がかったピンク色の芽が小さくついていることがわかって花が咲こうとしている。
 (fuzkue「読書日記(121)」; 1月22日(火))

 「鳥の排便はこんなにもシームレス」という読点で止まる一言のリズムが特に良いと思うが、「シームレス」というのはこの部分の描写全体にも通じる形容で、「~~すると~~」という形が連続して複数用いられることによって、全体の描写が滑らかに繋がり、鳥の食事から排便、視点をぐっと手前に引きつけての梅の花への焦点の集中まで、一続きの動きが流暢に推移される。その滑らかさは、さらにはこの箇所だけでなく、A氏の綴る「読書日記」の全体に備わっている性質だとこちらには感じられる。細かな読点を伴う「シームレス」な「小気味良い滑らかさ」というものが、彼の文体を考える時の一つの主旨となるのではないか。
 読書日記を七時過ぎまで読むと上階に行った。両親は並んで炬燵テーブルに入り、既に食事を取っていた。こちらは腹があまり減っていなかったので、先に風呂に入ることにした。それで仏間の箪笥から下着を取り出し、寝間着と合わせて洗面所に持って行き、服を脱いで裸になって浴室に踏み入った。風呂に浸かりながら、何を考えたのだったか――まあどうせ、大したことなど考えてはいない。出てくると食事である。米・焦げ色のついたはんぺん・サラダ・白菜などの入った味噌汁。新聞の国際面を読もうと努力しながら、はんべんやエノキダケをおかずにして米を食う。テレビは何だか良くわからないが、明石家さんまがMCを務める番組で、オリンピックに出場するようなレベルのスポーツ選手たちが何人か出演していたようである。そのなかの一人に、岡崎朋美という人だったと思うが、スピード・スケートの選手があって、結婚と出産を経験して四二になってもオリンピック出場だか何だかを巡る大きなレースに参加したという話である。結局そこでは成績が振るわず、引退ということになったのだが、そうした物語を見ながら炬燵の父親が、酒を飲んで感情が高ぶりやすくなっていたこともあるのだろうが、赤い顔で涙ぐんでいるようで、うんうん頷きながら、感激を表すちょっと引きつるような高い声など漏らしていて、最大公約数的な物語に対するこの途方もない弱さは一体何だろうな、と少々驚きながら思った(ちなみに母親のほうは特に感激するでもなく、父親の隣で静かにテレビを追っていた)。しかし、そのほうが――そうした最大公約数の領域に何の衒いも抵抗もなく準ずることが出来たほうが――幸せなのかもしれない。それで食事をさっさと済ませて食器も洗うと早々と居間を去り(冷凍庫からチョコクッキーのアイスを取り出し、母親と分け合った)、コンピューターの前に座ってアイスを食い、さらにはポテトチップス(コンソメパンチ味)も貪りながら岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』を読んだ。BGMはKate Bush『The Kick Inside』。ポテトチップスを食い終えると手を拭き、コンピューターの載っている白いテーブルの、機械の横に読書ノートを置いて、『中国の論理』を今まで読んだ部分に遡って吟味し、書き抜こうと思う箇所や覚えたいと思う箇所をメモしていった。このメモを取っている読書ノートを、本当は毎日、読書の始めにでも読み返すようにしたほうが知識を定着させる面では良いのだろう。そうして九時過ぎまで一時間。そこから、Keith Jarrett Trio『Standards Live』に音楽を切り替えて、「記憶」記事を読む(Jarrett Trioを流したことをTwitterで呟くと、Dさんという方からリプライがあったので、少々やりとりをした)。一時間半掛けて、最新の項目まで読むとともに『「ボヴァリー夫人」論』や三宅誰男『囀りとつまずき』などから新しく引用を加えておき、それらも読んだ。かくして四〇番から最新五六番までと一二番、一三番。一体こんなことをして意味があるのだろうかと思わないでもないのだが――実際に知識はついてきているのだろうか? まあ、大津透『天皇の歴史1』から得た『古事記』の記述など、先日のMさんとの話の場でも多少披露できたので、そのあたりは頭に入っているようだが――ともかく、そうして一〇時半を迎え、流れていたBlankey Jet City『Live!!!』に乗りながら("胸がこわれそう"や"RAIN DOG"が格好良い!)日記を記した。一一時。
 短歌を三つ、適当にぽんぽんぽんと作った。

 一杯のきれいな水が欲しいのに手に入るのは雨の尨犬
 明け方にクリーム色の夢を見て破壊衝動堪えて眠る
 どぶ板のハツカネズミとダンスして月の写像へ向けて宙返り

 それから読書、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』。ヘッドフォンでBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を聞きつつ、コンピューターの前に座り、読書ノートに断片的な記述を写しながら進める。途中、零時を回った頃にLINEにログインするとグループで新しい会話がなされていた。一七日に皆で集まることになっているのだが、その際、スタジオに入ろうという話であった。Tらが作った"(……)"という曲があるのだが、それをやるようで、場合によってはこちらも演じてくれたらなどと言うのだが、ギターを整備して練習するのはちょっと面倒臭い。しかしせっかくの機会なので取り組むに吝かではないけれど、そのためにはまず立川に出向いてギターの弦とシールドを新たに調達してこないといけないわけで、これもちょっと面倒臭くはある。こちらは遊びでブルースができれば満足だと呟き、また、途中で"Smoke On The Water"をやろうぜと提案し、T、ボーカルね、と彼女が歌えるかどうかなど考慮せずに押しつけた。最初は遠慮していた彼女だが、そのうちに音源を聞き出して、歌おうと言われた曲は勉強になるからなるべく歌うようにしている、練習してみるねと殊勝な姿勢を見せてくれた。そのあたりまでやり取りすると時刻は一時過ぎ、コンピューターを閉ざしてベッドに移った。そうしてまたしばらく、岡本隆司『中国の論理』を読み進めて、二時前に就床。眠気はあまり差していなかったが、問題なく入眠できたようだ。