2019/2/22, Fri.

 四時に一度覚め、六時にも一度覚めた。その後、七時二〇分起床。夢を色々見たが覚えているのは最後のものだけで、自分は大学生であり、前年に取った漢文の授業をもう一度取るほど熱心な生徒で、通常そういったことは認められていないのだが熱意を買われて特例として許可されたらしく、ほかの生徒とは隔離された別室で男性教師と一対一で授業を受けることになった。それでプリントを配られて解きはじめようというところで目が覚めたのだが、覚めてからしばらく、あの先生の顔を思い出すのも久しぶりだ、大学を出て以来すっかり忘れていたと思ったところが、あとから考えてみると大学で漢文の授業など取った覚えはない。それではしかし、教師に対して確かに感じた既視感と言うか馴染みのあるような覚えは一体何だったのか。索漠とした錯誤が挟まったようだ。それで起きるとダウンジャケットを羽織って上階に行き、母親に挨拶した。父親は既に仕事に出たあとらしい。洗面所で顔を洗ってから卵を焼くことにした。二つをフライパンに割り落として熱する一方、前夜のケチャップライスの残りを電子レンジに突っ込む。黄身を保ったまま焼いた卵は丼の米の上に乗せ、卓に就くと醤油を垂らして搔き混ぜて、食事である。新聞は見ずに、テレビのニュースに目をやった。卵ご飯を貪り、ケチャップライスも食べ、母親の作ってきたサラダ(大根と、前日に買った見切り品の水菜を混ぜたもの)も和風ドレッシングを掛けて食し、食後にバナナを食っていると目の前の母親は卵の殻を剝き、出てきたゆで卵を、プラスチック・パックに残ったドレッシングの残滓を勿体無いと言ってそれにつけて、口に運んでいた。そのうちにニュースは、東久留米市で起きた人身事故、状況から見て自殺の可能性があるという件を伝える。一七日から行方のわからなくなっていた高校三年生が電車に轢かれて死亡したと言う。それを聞きながら母親が、可哀想にねと漏らしたが、その口調は軽いもので、全然可哀想だと感じてはなさそうなものだった。こちらはその後、薬を飲むと、乾燥機のなかに溢れた食器類を片づけてから使った皿を洗った。目がやたらと痒いのはおそらく今年最初の花粉の波がこちらにも押し寄せてきたということだろう。それで言うと喉のほうも起きた時から何やら少しひりつくようになっていた。そうして下階に戻り、八時一六分から日記。前日の分を仕上げ、この日の分も頭からここまで記すと八時四〇分ほどになっている。
 前日の記事を投稿するとともに、昨日投稿し忘れていた二〇一六年七月二二日の記事も投稿。そうして二一日の分を読み返す。「ゲーテの全集から最終の書簡の巻を手に取り、シラーに送った手紙をちょっと拾ってからここでも解説に飛ぶと、冒頭に、ゲーテは生涯で一四〇〇〇以上の手紙を書き、最も大きな全集であるヴァイマル版の一四三巻のうち、五〇巻が書簡に充てられているとあって、わりと頭がおかしいなと思った」とある。「わりと」どころかはっきりと頭がおかしい――全集全体で一四三巻というのも大概だが、そのうちの三分の一以上が手紙なのだ! その五〇巻をすべて読み通した猛者はいるのだろうか? やはりどこかにいるのだろう、そういう人間がこの世にいるということ、きっといるに違いないということ、それは暗澹としたこの世の中で確かに光り輝く一つの希望である。ゲーテが全集五〇巻分の書簡を書き続けたように、自分も日記を書き続けようではないか。それも投稿しておくともう九時半に至っていた。そうしてベッドに移り、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読みはじめる。南の空に大きく押し広がる太陽の光が眩しく、また顔の側面に熱い。それを浴びているうちに、予想していたことではあるが眠気が湧き(起きた時から眠りが少々足りないような感じ、肉体のこごりは感じていた)、中途半端な臥位でいつの間にか目を閉じ、気を失っていた。しかし眠りはそれほど長くはなかったと思う。意識を朦朧とさせながらも『熱狂家たち』は最後まで読み終えた。この戯曲には、「ひとは」で始まる言明が非常に多い。誰も彼もが「ひと」一般について、その本質について語りたがっているようだ。大雑把に読み返して確認してみたのだが、おそらく「ひとは」で始まる言説を一度も披露していないのは、脇役的な立場にあるシュターダーとメルテンス嬢のみで、主役級の人物は皆「ひと」一般に関するアフォリズムを口にしているのではないかと思う。また、第三幕終盤の、トーマスとレギーネの対話では時折り、会話が独り言の応酬のように見える部分があった。互いが内省しながら、好き勝手に喋っているような感じなのだ(ドゥルーズガタリの関係を思い起こさせる)。そうした部分はおそらく前半においてもあったと見られ、この戯曲は激しさそのもののぶつかり合いである葛藤と、そうしたすれ違う独り言とでほとんど出来ているのかもしれない。そのまま「フィンツェンツとお偉方の女友達」も冒頭少しだけ読む。結婚を激しく迫るベールリをあしらうアルファの機知――。

 ベールリ わたしにはもう二つの可能性しか残されていない、あんたがわたしと結婚するか、それともわたしがあんたを殺して自殺するかだ。
 アルファ そういうことはもっと美しくおっしゃらなくちゃ。
 ベールリ どんなふうに?
 アルファ せめてこうおっしゃい、《生において合一するか、死において合一するか》だって。
 (斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』松籟社、一九九六年、276~277)

 それで正午に至る。上階に行き、俺はカレーを食べるぞと宣言する。それから靴下を履いて、散歩に出てくると言った。その前に洗面所に入って櫛付きドライヤーで髪を梳かし、さらに風呂を洗った。ブラシを上下に動かして浴槽をごしごしと擦る。そうして出て、出発。家を出たと同時に林には風が流れており、爽やかな葉鳴りとともに竹の幹が触れ合う硬い音も聞こえる。道には陽が照って日向が広くひらいており、風のなかにあっても寒さは感じられない。道端の緑葉がどれもこれも光を溜めて白く発光し、葉叢の全体が複雑怪奇な形状の天然の宝石と化したかのようだ――十字路を過ぎ、坂を上って行きながら、暑いくらいの気候なのでダウンジャケットの前を開けると、ジャケットは左右に靡いてひらく。ポケットに手を入れてそれを押さえながら、裏路地を行く。家の前に水を撒いている婦人。道端で首を曲げて空を見上げている老女。こちらも右手を庇のように額にかざしながら見上げると、暖かな日和だが空は快晴というわけでなく、西の山際から雲が湧いて広く薄く塗られているし、四囲を見回せば北の方にも絹雲めいた淡い雲が、吹きつけられたようにして筋をいくつも帯びて流れている。街道を渡って、細道を上って行く。墓場の前では何やら人足たちが水を汲みながら立ち働いていた。流れるものはあるものの、風はあまり吹かず、吹いたとて肌は汗を帯びているくらいだから冷たいよりも涼しく、心地良い。ダウンジャケットを脱いで小脇に抱えてしまおうかと思うほどの春日だった。保育園の敷地の隅に立った銀杏の木からは、ぴよぴよといたいけな鳴き声が落ちてくる。その脇を過ぎ、日に照らされながら裏路地を行くが、このあたりのことはあまり印象には残っていない。駅を越えて街道に入るとすぐに渡り、細道に折れて林のなかに踏み入った。入ると同時に爽やかな風が吹き流れてあたりに草葉のざわめきが立ち籠めるなかを下りて行った。
 帰ってくると母親は台所の焜炉の前に立って、天麩羅を揚げていた。蕎麦にすると言う。こちらはそれでもカレーを食べるつもりで、先に蕎麦を茹でると言うので一旦卓に就いて新聞を読みながら待ち、蕎麦が茹だると台所に入って、その残り湯のなかにレトルトパウチを沈めた。そうして先に、天麩羅を食う。食っているあいだにカレーは熱されたので台所に行って米の上に掛け、戻ってきて食べると(やはり花粉の作用があるのだろう、食べているあいだも目が痒く、涙が溜まって仕方がなかった)、結局その後蕎麦もさらに食べることになった。それから食器を片づけて下へ、Bob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を背景に日記を綴る。その後音楽は『Modern Times』に移行し、一時五〇分まで掛かって記述を現在時に追いつけることができた。
 一〇分間、「記憶」記事を音読、五五番から六〇番まで。そうして二時に至ったので上階に行き、洗濯物を取り込む。花粉が付着しているだろうから、両手でぱんぱんとはたいたり振り揺らしたりしながら室内に運んでいく。そうしてタオルや肌着類を畳むとアイロン掛けは後回しにして下階に戻った(母親は相変わらず、タブレットでメルカリを閲覧していた)。そうして読書、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』の続き。「フィンツェンツとお偉方の女友達」。

 ベールリ (……)もしわたしが世界を一切れずつあんたに手渡せるものなら、きっとわたしは全世界を再創造できるという気がする!
 (278; 「フィンツェンツとお偉方の女友達」)

 フィンツェンツ 相関的でないものを誰にも気づかれることなく相関させることができるのは言語だけです。
 (285; 「フィンツェンツとお偉方の女友達」)

 またもや時折り意識を曖昧にしながら(外は曇っていた)四時四〇分まで読み続け、読了。やはり『熱狂家たち』が圧倒的ではあった。それからすぐにまた次の書見として、神崎繁・熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』を読み出した。哲学は難しい(しかしムージルの文学もまた難しい)。しかし哲学の本を読んでいると、文を一つひとつ読んでいて、自分がどこまでなら理解できているのか、どこからわからなくなっているのかということを細かくチェックする癖がつくような気がする。そして、わからない部分をわかるようになるには、結局のところ言い換えしかないのではないか。そこに書かれている語句を類同的なほかの語句に色々と言い換えてみて、しっくり来る論理の結びつき方を探すほかはないのではないか。
 五時二〇分頃になって書見を切り上げ、上階に行った。母親はクリーニング屋や郵便局に出かけると言っていた、そしてまだ帰ってきていなかった。こちらはまずアイロン掛けを行う。シャツの皺を処理しているあいだ、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』の、テクストを読むことはどこか生を生きることに似ていると書かれた部分、その周辺の文脈が頭のなかを散漫に巡っていた。それから台所に入り、炊飯器の釜に僅かに余った米を皿に取り出し、釜を流し台に運んで洗う。そうして笊に新たに三合を注いできて、右手を鉤爪のような形に曲げて米を磨いだ。そうして磨いだものをちょっと振ると釜に落として、水を注いでセット、すぐに炊けるようにもう炊飯ボタンを押してしまった(水に晒す時間を設けたほうが良いとかよく言われると思うが、知ったことではない)。それから茄子と肉を炒めることにして野菜を冷蔵庫から四本取り出し、俎板の上で細く切り分けて行く。切り分けたものを水に晒しておくと今度は豚肉を取り出し、俎板の上に解体された牛乳パックを置き、その上で細かく切断した。そうして茄子を笊に上げると、フライパンを焜炉に置き、火を点けるとともに油をゆっくり垂らす。フライパンを手に取って前後左右に傾け、油を広げると、チューブのニンニクを冷蔵庫から取り出してフライパンの上で押し出し、落とした。それから生姜はないかと冷蔵庫を探っているあいだに加熱が進んでニンニクがぱちぱちと音を立てて弾けだしたので、生姜を見つけられないままに茄子を投入した。蓋をしながら時折りフライパンを振って加熱し、肉も加えて赤味がなくなると醤油を回し掛けて完成である。ちょうど終わる頃に母親が帰ってきた。それで残りの支度は母親に任せて(こちらとしては米と炒め物があればあとは即席の味噌汁でも添えれば充分である)、下階に戻り、コンピューターの前に就いてしばらく遊んだ。その後、Suchmosなどをちょっと歌ったそのあとに、Stevie Wonder『Fulfillings' First Finale』を流して日記を書き出し、ここまで綴って七時一五分。
 食事。茄子と豚肉の炒め物を白米の上に。そのほか、天麩羅粉の余りを利用したお好み焼き風の料理と、水菜のサラダなど。テレビが何を映していたかなど覚えていない――ものを食べ終わるとすぐに風呂に行ったはずだ。浴室に踏み入ったのがちょうど八時頃だった。湯のなかでは緩く胡座を組むような姿勢になり、手もやはり緩く組み合わせて目を閉じて、瞑想じみた時間をしばらく過ごしたが、そこでどのような思念が頭に去来したのかはもはや覚えていない。出てくると自室に戻って、八時四〇分から読書。神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』を読み進める。熊野純彦による「哲学と哲学史をめぐって」を通過し、納富信留パルメニデス」のなかを進む。パルメニデスの原文のあとに細かく補助的な解説を付してくれるのでなかなか読みやすく、わかりやすいように思う。一時間読んだところでちょっと休み、一〇時過ぎからふたたび読みはじめた。それで例によっていつの間にか意識が飛んでいて、気づくと一時過ぎ。歯磨きせずに就寝。


・作文
 8:16 - 8:38 = 22分
 13:07 - 13:49 = 42分
 18:52 - 19:15 = 23分
 計: 1時間27分

・読書
 9:14 - 9:32 = 18分
 9:35 - 11:59 = (半分と考えて)1時間12分
 13:50 - 14:00 = 10分
 14:16 - 16:39 = 2時間23分
 16:45 - 17:18 = 33分
 20:40 - 21:40 = 1時間
 22:12 - 25:06 = (半分と考えて)1時間27分
 計: 7時間3分

  • 2016/7/21, Thu.
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 254 - 353(読了)
  • 「記憶」: 55 - 60;
  • 神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』: 3 - 70

・睡眠
 1:00 - 7:20 = 6時間20分

・音楽