2019/3/4, Mon.

 何と一時まで爆睡。全然起きられなかった。やはり前日の長い外出の疲れがあったのだろうか。睡眠時間は一二時間弱。半日も寝ている。実に無職らしい生活。ジャージに着替え、ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親に挨拶。よく寝たと。大根混じりの蕎麦がある。台所には鶏肉とマグロのソテー。汁を温め、鶏肉たちもレンジへ。顔を洗い、卓へ。蕎麦をつゆにつけて食う。テレビは坂上忍が司会のワイドショー。ワイドショーとはどういう意味なのか? ワイド? 幅広い? どうでも良い。食べ終えると薬を飲んで下階へ。風呂洗いは後回し。そうして、柿の種を食いながら前日の記録を付け、なかなか日記に取り組む気持ちが起きないところを(長くなるのがわかっているからだ)押して、打鍵を始めたのが二時前。FISHMANS『ORANGE』を途中で掛ける。諸々省略して書き、二時間で仕上げる。文体もゆるく弛緩しているいま、細かく詳しく書くことだけが賭け金だろうに、たくさん省略してしまって良いのか? もっと詳細に書くべきではないのか? しかしなかなか、このようなだらだらとした書きぶりであってもやはり長く書くとそれなりに面倒臭く、疲れるものでして。ともかくも四時前まで掛かって仕上がって、ブログに投稿。それからこの日の分をここまで書いて四時を回った。疲れた。今日はもう夕食の準備をする気が起こらない。まずもってちょっと眠りすぎたのだ。きちんとアラームを仕掛けておけばよかったが、しかしアラームがなってもおそらくどうせすぐに寝床に戻ってしまって起きられなかっただろうことが容易に想像される。
 読書、町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』。四時五〇分まで。それから、Jose James, "Promise In Love"を流して歌う。そのあとさらに、Takuya Kuroda『Rising Son』のバージョンも流してやはり歌う。そうして上階へ。風呂を洗ったのだが、この時、自分でも洗い方が甘いのではないかと思いつつもまあ良いかとこだわらなかったのだが、あとで入浴した時に浴槽のなかの下辺に触れると、やはり少々ぬるぬるとした水垢が残っていたので明日はよく洗おうと思った。浴室から出てくると、一度階段を下りかけたのだが、思い直して台所に戻り、笊を取って玄関に行って米を三合、そのなかに注ぐ。そうして台所に入り、水を流して磨ぐ。炊飯器にセットしておくと食事の支度は怠けることにして自室に帰った。そうしてゆるりとベッドに横になりながら読書をしようと新書を手に取ったのだが、読みはじめてまもなく、頁のあいだに指を挟んだまま眠りに落ちた。そうして断続的に長く眠り、あっという間に八時である。午前中を丸ごと費やしてあれほど眠ったというのに! 何とか意識を取り戻し、瞼をひらいて新書を読了し、そうして上階へ。食事である。餡掛けの混ざった野菜炒め、肉じゃがに豆腐や生姜の入った汁物と米。卓に就き、ものを食べる。眠っていたのと母親が訊くので、ああ、と答える。不甲斐ない。テレビは『スカッとジャパン』。この番組は実にくだらないものである。本当にこれで「スカッと」する人などいるのかと思うのだが、母親など結構楽しんでみているようで、驚かざるを得ない。本当にこんなやついるのかと言うか、良い役と悪役の特徴がそれぞれ極度に強調された形でデフォルメされていて、見ながら、Mさんが話していたけれど、中国の若い生徒たちがまったくつまらないと言って批判している「抗日ドラマ」というのも、その演出の大仰さに関してはこれと同様のものなのではないかと想像した。食後、薬を飲んで入浴。入浴中の印象は特にない。出てくると下階に下りて、日記の読み返しをする。一年前は日記の更新をついに一度中断した日である。ここから暗黒時代が九か月ほど始まるわけだ。その次に二〇一六年七月一一日月曜日。さらに一年前の日記を読み返して、その内容を日記のなかに書き込んでいる。

 この日はまた、兄嫁が初めて家に来た日でもあった。午後三時過ぎに兄が連れてきて、母親とこちらを交えて四人で居間のテーブルを囲んで話し、夕方から立川の居酒屋に繰りだして父親も合流、こちらは途中で気分が悪くなって、「頭のどこかに小さな塊が埋めこまれているような感覚と同時に、両足の先に痺れめいたものを感じはじめ」、薬を追加したあとは室の隅で壁にもたれて黙っていた。その後、酔った母親の希望でカラオケに行ったのだが、酔っ払い共のから騒ぎに虚しさを感じ、オペラ歌手だった兄嫁を見世物のように扱っているのではないかと嫌気が差し、彼女は不快を感じていないだろうかと慮っている。帰りの電車内では、支那人を六人殺せば六〇〇円、イスラームなら一〇〇〇円、日本共産党員も殺さなきゃならないなどと、にやにや笑いながらつぶやく老人を見かけた。隣の女性も一緒になって笑っているものだから、得体の知れないものを見たようなひどい気味の悪さを感じたものだ。

 まったくもって世の中には色々な人がいるものである。なかには上のように恐ろしい人間も存在する。そうしてその後、「記憶」記事の音読。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』。素晴らしいライブ盤。特に"感謝(驚)"のギターなど切れ味が非常に良い。その"感謝(驚)"を大音量で流していると、一〇時頃だったが、風呂から出た母親が戸口にやってきて音を下げなさいと。それに加えて、ケーキを食べないのと言うので、食べると言って音楽とストーブを止め、上階へ。前日に雛祭りだからと父親が買ってきたらしい。それで冷蔵庫からケーキの箱を取り出し、半分ずつ残った苺のショートケーキと薄紫色のババロアのようなプリンを取り出し、空き箱を解体して畳んで玄関の戸棚の紙袋に収めておく。そうして賞味。なかなか美味。それから自室に戻ると、Yさんという方とやりとりをしながら「記憶」記事。『西洋哲学史Ⅰ』の記述。Yさんは、こちらのツイートに応じて、イタロ・ズヴェーヴォの『トリエステの謝肉祭』は非常に面白いですよとお薦めしてくれたのだ。そのほか、John Bergerという作家もお薦めらしいが、こちらは小説作品の翻訳はほぼなく、評論などを主に訳されているようだった。一〇時半を越えると音読をやめ、John Coltrane『Coltrane's Sound』をヘッドフォンで聞きながら日記を書き足して一一時。
 それから町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』を読書ノートにまとめる。白いテーブルに向かって左手に新書を広げて持ち、右手でノートに文言をメモしていく。それに四〇分かそこら使ったのち、音楽を聞くことにした。まずBill Evans Trio, "All of You (take 3)"。世界を創造するために事物を整然と配置していく神の手を思わせるEvansのピアノ。次にKenny Garrett, "After The Rain"(『Pursuance: The Music Of John Coltrane』)。タイトル通り、雨の止んで雲も去ったあとの穏やかな夕焼けの空を想起させるような朗々とした吹きぶりだが、しかし後半は苛烈な咆哮へと転じる。
 そうして時刻は零時過ぎ。読書を始める。Ernest Hemingway, Men Without Womenである。邦訳を参照しながら五〇分ほど読み、"Che Ti Dice La Patria?"を読み終える。それから、古川真人『四時過ぎの船』をこれも五〇分ほど読み、眠気が籠って瞼が閉じるようになってきたので、そこで就寝。一時五〇分だった。


・作文
 13:50 - 15:45 = 1時間55分
 15:57 - 16:03 = 6分
 22:37 - 23:01 = 24分
 計: 2時間25分

・読書
 16:06 - 16:50 = 44分
 17:18 - 20:10 = (大方眠っていたので三分の一と考えて)57分
 21:23 - 22:35 = 1時間12分
 24:11 - 24:58 = 47分
 24:59 - 25:47 = 48分
 計: 4時間28分

  • 町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』: 190 - 231(読了)
  • 2016/7/11, Mon.
  • 「記憶」: 89 - 96
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 58 - 63
  • 古川真人『四時過ぎの船』: 3 - 12

・睡眠
 1:15 - 13:00 = 11時間45分

・音楽