2019/3/6, Wed.

 七時かそこらに軽い目覚めを得たのだが、例によってその機会を掴むことが出来ず、一一時まで寝そべっていた。頑張って瞼をひらいたままに保ちつつ意識の晴れてくるのを待って、起床。上階へ。便所で排泄し、台所に入ると炒飯やほうとうの残り、温野菜がある。先に洗面所で顔を洗うとともにドライヤーでぼさぼさの髪を梳かし、それから料理をそれぞれ温めて卓へ。新聞の政治面を読みながらものを食べる――「「小池氏支援」発言波紋 怒る都連「反対だ」 二階氏「勝てるか」」、「「原発ゼロ」野党温度差 立民「早く」 国民「30年代に」」、「米の拉致提起 首相評価 参院予算委 「重視 金委員長も理解」」。そうして食事を終えると台所に行き、食器乾燥機のなかを片づけてから皿を洗って、薬を服用した。それから服を寝巻きからジャージに着替え、ソフトサラダ煎餅を二袋持って階段を下り、自室へ。煎餅をぱりぱり食いながらコンピューターを起動させ、前日の記事の記録を付けるとともに日記を書き出した。一〇分余りで前日の記事も仕上げ、この日の分もここまで手早く書いて、一二時二〇分。そう言えばブログのアクセスが昨日は九三、今日は既に現時点までで五一と急増しているが、たまにこういうことはある。
 日記読み返し、二〇一六年七月九日。特に変哲のない、普通の一日。ブログに投稿し、Twitterにも投稿通知を流しておき、それから「記憶」記事の音読。九番から一六番まで、沖縄関連の知識の確認。二回ずつ音読したあと目を閉じて読んだばかりの情報を小さく呟き、記憶に定着させようと図る。そうして一時半。それからコンピューターの前に立って、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(上)』を読む。二時半過ぎまで。そうしてベッドに移って書見、古川真人『四時過ぎの船』。BGMはGary Karr『Basso Cantante』を流した。途中、例によって意識を怪しくする時間を挟みながら読んで、四時四〇分である。部屋を出て、上階に向かって階段を上がると同時に母親の帰ってきた気配が聞こえた。こちらは風呂を洗う。浴槽のなかに入ってブラシを前後上下に動かし、足もとを擦っていると母親が、八百屋さんが来た、と訊いてくるので、わからないと答える。そうしてシャワーで洗剤を流してから出て、食事の支度を始める。まずは米を磨ぐ(その前に、母親が餡ドーナツを食べるかと訊いてきたので頂き、ソフトサラダ煎餅の最後の一袋も食した)。三合を玄関の戸棚から笊に取ってきて、洗い桶のなかでしゃりしゃりと、流水に晒して洗う。磨ぎ汁は大根の灰汁を取るために使うとのことだったので――おでんにしようという話になっていた――大鍋に注ぎこんでそれを火に掛ける。炊飯器は六時半に米が炊けるようにセットしておき(釜のなかには餅麦を一袋分加えた)、それから玉ねぎの皮を剝いてとん、とん、とん、と薄く切っていく。作る料理はマグロのソテーである。母親の買ってきたパプリカ二種、黄色と赤のものもそれぞれ半分に切って、さらに細切りにし、薄いブロック状のカジキマグロ二枚はそれぞれ三つに切り分けた。そうしてフライパンにオリーブオイルを垂らし、そこにチューブのニンニクを落とし、さらに生姜もすり下ろした上からマグロを並べた。蓋を閉ざして熱しているあいだに洗い桶のなかに大根を器具を使ってスライスする。パプリカも同様にスライスしようとしたが、思いの外に細かく、霙のようになってしまったのでこちらは包丁を使って改めて手作業で細切りにした。そうしているあいだに魚のほうは色が変わり、箸で裏返してみてみると微かに焦げ色もついている。それですべてひっくり返して玉ねぎとパプリカをその上からばら撒いておき、ふたたび蓋を閉ざして焼けるのを待った。しばらく経つと醤油を回し掛けて、フライパンを振りながらちょっと熱して完成である。米は炊いた、サラダも作った、おかずとしてはマグロのソテーがあるというわけで、残りのおでんは母親にやってもらおうとこちらはそのまま下階に戻った。そうしてふたたび読書、古川真人『四時過ぎの船』。認知症を患っている吉川佐恵子は物理的なこの世界の内ではなく、ほとんど「記憶」の只中に生きているかのようだ。一刻ごとの忘却がそれに続く想起を準備し、忘却が募るほどに想起もまた募って行く。つい今しがたのことを忘れてはまた別のことを思い出す忘却と想起の相克。しかし、思い出したい事柄の中核には常に想起の触手が届かず、「思い出そうとしていた」気配だけをあとに残して記憶の道行きは歪み、想起は逸れていく。目の前の事柄の一部分が取り上げられて屈折し、変質して別種の記憶と繋がっていく。何一つ思い出せなくなるのではなく、忘却を連れ合いにした想起が過剰になることによって現在が希薄化していく、それが呆けるということなのかもしれない。「現在」が「記憶」によって侵食されていく、一つにはそのような状態をこの小説は描き表しているように思う。ささやかな細部だが、幼児や赤子特有の動きや、彼らが「世界」に対して抱く「不思議さ」の感覚を的確に捉えているのも魅力的な部分だ。
 書見をして六時半を越える。上階へ。頭がぼさぼさで気持ちが悪かったので、食事の先に入浴することに。寝間着を持って洗面所に入り、洗濯機の上に置く。ジャージを脱ぐとそれも洗濯機の上、寝間着の脇に置いておき、タオルを一枚持って浴室へ。まだ誰も入っておらずまっさらな一番湯に身を沈める。湯のなかでは今しがた読んでいた『四時過ぎの船』のことを考えたり、頭の内でFISHMANS "RUNNING MAN"を流したりしていた。そうして出てくると食事。餅麦入りの米をよそり、マグロのソテーは電子レンジで加熱し、おでんを火に掛ける。卓に就くと、テレビのほうに時折り目をやりながらものを食べる。テレビは、好感度の非常に高いサンドウィッチマンが本当に良い人なのかどうか検証する、みたいな番組をやっていた。どうでも良い。特段の興味はない。それでも新聞を読むでもなくそれを見ながらものを食べ、薬を飲み、皿を洗って下階へ。Gary Karr『Basso Cantante』を流しながら『境界線上のホライゾン』をしばらく読んだあと、日記を書き出してここまでで九時半過ぎ。
 読書。まず、Ernest Hemingway, Men Without Womenを読む。今回から、意味のわからなかった単語には赤線を引いておくことにした。Joseph ConradやGarcia Marquezを読んだ時と同じ方式である。本に書き込みを入れることにはちょっと抵抗があったのだが、調べた単語をいちいちノートにメモしておくのも面倒臭い、かと言って調べただけで復習をしなければ一向に覚えられない、そこで利便性の高い赤線方式を取ることにしたわけだ。と言って、これで本当に自分が単語をいちいち復習して覚えようとするかどうかは不明だが。ともかくもこの方式を取り、さらに加えて一冊読み終わったあとはもう一度頭から読み返すようにすれば、いくらかなりと語彙は頭に入るだろう。それで"Fifty Grand"の篇を邦訳を参照しながら(やはりまだまだ邦訳を参照しなければ意味のわからないところが多い――特に会話など)六頁ほど読み、それから古川真人『四時過ぎの船』。零時前まで読んで読了。上にも書いたように、認知症の老婆の「意識の流れ」の描写がこちらとしては最も注目されたように思われる。もう一人の主人公は三〇手前の若い男性で、彼は盲目の兄の世話をしながら仕事をせずに日々を過ごしているのだが、三〇手前の無職であるという境遇だけ取ってみるとこちらとも通じるところがある。不確定で曖昧な「現在」に自信を持って安住できず、「未来」の見えない彼が、祖母の記憶とその言葉と出会うことによって不確定な「未来」を受け入れる方向に肯定的に変化するというのが物語的な筋だが、「おれはこれからどうなるんやろう?」という「青臭い」疑問をこちらも抱くことはないではないものの、それに対する解答はこちらの場合は既に定まってしまっている。すなわち、どうなるにしても文を読み、書き続けていくのだというその一点だけは譲れない軸として自分のなかにあるわけで、そのように立場の定まってしまっているこちらなので、境遇を取ってみれば似ている彼の「煩悶」にはあまり「共感」は出来なかったというのが正直なところかもしれない。書抜きをしたいと思ったのは、世界と触れ合いはじめてまもない子供や赤子の抱く「新鮮さ」「不思議さ」について言及した二箇所。
 それから歯磨きをしつつインターネットを回ったのち、ふたたびベッドで読書。田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』を読みはじめるが、意識を失いはしないもののたびたび本を布団の上に置き、目を閉じる時間の多い書見となってほとんど進まなかった。一時二〇分に達したところで読書を切り上げ、就寝。


・作文
 12:10 - 12:21 = 11分
 20:45 - 21:35 = 50分
 計: 1時間1分

・読書
 12:33 - 13:31 = 58分
 13:48 - 14:34 = 46分
 14:38 - 16:40 = (半分と考えて)1時間1分
 17:43 - 18:38 = 55分
 20:06 - 20:45 = 39分
 21:47 - 23:56 = 2時間9分
 24:38 - 25:20 = 42分
 計: 5時間10分

  • 2016/7/9, Sat.
  • 「記憶」: 9 - 16
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(上)』: 54 - 168
  • 古川真人『四時過ぎの船』: 30 - 120(読了)
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 64 - 69
  • 田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』: 7 - 12

・睡眠
 0:40 - 11:00 = 10時間20分

・音楽