2019/3/10, Sun.

 一〇時一五分起床。一応、前日よりも早く起きるという目標を達成できてはいる。上階へ。仏間の箪笥からジャージを取り出して、寝間着から着替える。食事は炒飯と温野菜。それぞれ温め、卓に就いて新聞を読みながら食べる。書評欄。慎改何とか氏の『フーコーの言説』が取り上げられていた。ほか、国際面に移って毛沢東外交政策についての記事など読む。食事も終わる頃、電話が掛かってくる。母親は洗面所で何やら水を使っていて聞こえないようだったのでこちらが取る。すると、下のHさんだと言う。お世話になっておりますと挨拶し、Yさん、と訊くのには、いえ、息子のほうですと答える。今日はちょっといないんですよ。母親ならいるんですけど、と言って、洗面所に子機を持って行き、母親に替わる。何か自治会のほうの用事らしかった。こちらはその後皿を洗い、クッキーを五枚ほど持って下階に帰った。そうして一一時から日記。前日の記事、今日の記事とも短く書き足して一一時一五分。
 ブログに記事を投稿しながら、FISHMANS『Oh! Mountain』を流した。本当に、最近は毎日このライブアルバムばかり流している。ということをTwitterで呟いたところ、「D」と面白い名前の方から、「男達の別れは地球上で鳴らされた音だとは思えないほどブッ飛んでいて好きです」とのリプライを貰ったので、このライブ盤のほうも絶対に入手しなければなるまい。FISHMANSと言えば中学の同級生であるS.Hが、あれは多分高校生の頃だっただろうか、さすがに中学生時代ではなかったと思うが、聞いていて、当時はまだ中学時代に引き続きハードロックばかり聞いていたこちらに対して、彼の家でFISHMANSを流した時に、お前にはこのバンドの良さはわからないだろうというような言葉で揶揄・挑発してきたのを覚えているが、確かにあの年代でFISHMANSを聞いているとは彼はなかなか趣味が良かった。ところで、Amazon Affiliateは着実にクリック数が下がって行きつつあり、前日のクリック数は僅か一一、紹介料は当然未だゼロである。全然金になりやしない。今までで総計九〇〇回弱クリックされているのだが、これだけクリックされていれば一回くらいは何か買われても良いはずと思うけれど、世の中というものはそう甘くはない。やる気がなくなってくるものだ。やる気がなくなってくると言ったって、実際やっていることと言えば記事中にテキストリンクを仕込んでいるだけなのだけれど、これが意外と面倒臭かったりもする。果たしてこの先も続けるべきかどうか迷うのだが……やはり所詮は日記ブログ、レビューサイトでもないし感想なんてものも大して書けやしないし、やはり儲からないのだ。まあ儲かろうが儲からなかろうが書き続けていくことは今のところ決定しているので、どれだけいるのか知れないが、読者の方にはその点は安心してもらいたい。とにかく続けた者が勝ちなのだ。応援のメッセージは、20161110fs@gmail.comか、Twitter(@diary20161111)までお願い致します。歓迎致します。
 その後、日記の読み返し、二〇一六年七月五日。下記のような風景への敏感さは、そうした感性・能力が乏しくなってしまった今の自分には羨ましいものである。

 それからまた文字を追って、何かの拍子に顔を上げて窓外に目をやった。視線の貫き抜けていくその軌跡の中途に立ちふさがって視認できないほどの雨粒が何層にも重なっているのだろう、空気には石灰水のような濁った白さが染み渡っており、電線の姿は消え、川岸に広がる木々の葉のあいだの襞にもその白濁した粒子は浸透して、そのために横に連なる木々の姿はまるで二枚の透明な板によって前後から押しつぶされたかのように、あるいはそれ自体が窓ガラスの表面に描かれた単なる絵であるかのように平面的に感じられた。空は普段よりも遥かに下方まで垂れ下がって、山は表面の模様を完全に失ってただの薄影と堕し、そのせいで並ぶ丘のいくつかの盛りあがりは植物と土の集積だとは思えず、むしろ巨大な生き物が霧のなかでじっと動かず寝そべっているかのように見えるのだが、しかも眺めているあいだにも雨が強まったのだろうか、白い空の断片が宙から剝がれ落ちて山の周りに次々と堆積していくようで、霧の幕は深み、稜線の半分以上は没して途切れてしまうのだった。

 ほか、「小糠雨」という語が日記のなかに見られて、この語彙は久しぶりに見聞きしたものなので覚えておこうと手帳にメモしておいた。
 そうして次に、Mさんのブログ、三月七日の記事。そうして、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(上)』を正午から読みはじめた。ムージルに比べると物凄く読みやすいが、ライトノベルのなかではむしろ読みにくい部類なのではないだろうか。風景や動きの描写など細かいのだけれど、細かくてかえってわかりづらいようなところがあり、と言うかそのあたり多分言語の限界というもので、やはりライトノベルの戦闘やギミックなどは漫画やアニメなどの形で視覚的に表現されたほうが遥かに面白いものだとは思う。一時間四五分で一五〇頁ほど読んだ。
 そうして二時からムージル――田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』。安息の聖地であるベッドに入って四時前まで読むが、半分くらいは意識を落としていたようだ。一旦上階に、洗濯物を仕舞いに行く。母親はAさんの宅に出かけるとか何とかで不在だったが、あとで話を聞くと、彼女と一緒に「I」という喫茶店に行ったところ、店のなかの空気が黴臭いようで、レトロなものがたくさん置かれてあって、というようなことを話していた。ベランダに吊るされてあった洗濯物を取り込むと部屋に戻って読書の続きだが、ムージルの言っていることは本当に全然わからない。ちっともわからない、ちんぷんかんぷんのなかに、たまに一行か二、三行、ここはちょっとわかるな、というような部分が差し挟まるといった調子で、文章全体として何について述べているのかなど、そんなレベルからしてわからない。何故わからないのだろうか? 彼の論理の繋ぎ方というか文章の連ね方というのは、どうも一般的な文章、普通の主張を持ったエッセイのそれと違うような感触がある気がするのだが、そのせいだろうか? あとはやはり概念、言葉というものの射程をこちらが全然掴めていないということではないかと思うのだが、色々な本を読んでいくうちに段々とそのあたり、わかるようになってくるものだろうか? あまりそうした自信もないが。

 偶然という極めて当世風の感情が、起こったことのすべてに付着している。つまりは、もしわれわれの体験した一切の決定に、統一的な意味が込められていることを確認したいというならば、歴史の必然性に対する信念を、かなり危ういものにすることになろう。たとえばドイツ外交ないし戦略の失敗に、ある必然性をみてとることは、あとになってからなら容易にできよう。しかし、同時に別の事態にもなりえたであろうこと、そして決定はしばしば間一髪にかかっていたことは、だれでも知っている。あたかも、出来事は全くもって必然ではないのだが、あとからの追加措置としてならば必然性というものを認めてもよい、とそんなふうな状況のように思われるのである。
 (田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』、119; 「どうしようもないヨーロッパ、もしくはあてどのない旅」)

 そうして五時前、ベッドから身を起こし、Amazon Affiliateについてちょっと検索してから上階に行った。台所に入ると帰ってきていた母親が、赤飯を買ってきたから米はそれで間に合わせると言う。ほか、豚汁でも作ればと言うのでそうすることにして、まずは汚れていたフライパンに水を汲んで火に掛ける。沸騰を待つあいだに大根や人参、玉ねぎに白菜など切って、沸騰したフライパンの湯を零して汚れを取り除くと、笊に収めた野菜の上に母親が冷凍の豚肉を追加した。そうしてそれらを大鍋で炒めに掛かるあいだ、母親は台所の入口のほうに立って、外出時のことを何だかんだと話している。それを聞きながら野菜を炒め、水を注いで隣の焜炉に移すと、もとの焜炉には水の入ったフライパンを掛けてほうれん草を茹でる。その他、冷凍の枝豆も茹でて、茹で上がりを待つあいだに水に晒しておいたほうれん草を絞って切ったりもし、その頃には六時が近い。母親は居間のほうで『笑点』を見ている、と言うかテレビを見ているようで実際にはタブレットを見ていたと思う。こちらは枝豆を笊に上げると汁物の野菜の煮え具合を楊枝で確認したが、まだ少々固いかなというところだったので、蓋をして一旦室に下りた。日記に読書時間を記録したり、Twitterを見たり、FISHMANS "頼りない天使"を掛けたりして一〇分ほど使ったあとに上階の台所に戻って、チューブ型の味噌をお玉の上に押し出し、それを鍋のなかに入れて搔き混ぜ溶かすことを二度繰り返した。そうして小皿を取って味を見て、完成とし、あとは頼むと母親に残して自室に戻って、六時過ぎから日記を書き足して現在六時四〇分。庄野潤三みたいにすかすかの文章でもとにかく書ければ良いのだ。鋭さなど不要だ。
 その後、七時前から七時半まで読書時間が記録されているが、これは古川真人『四時過ぎの船』と『ムージル著作集』の書抜きを行ったのだ。それから食事へ。赤飯・豚汁などに加えて、安っぽく薄っぺらい四種のチーズのピザを焼いて食べる。久しぶりに父親も一緒に交えての食事だが、特段の会話はない。テレビは『ダーウィンが来た!』。父親が好きな番組で、日曜日は必ずこのNHKの番組を流し、八時からは大河ドラマに突入する。この日はデンキウナギについて取り上げていたが、こちらにとってそんなに興味深い情報はなかったように思う。食事を終えて薬を飲み、皿を洗うとこちらは風呂へ。浸かって静止しているうちに三〇分くらいがあっという間に経つ。外では雨が盛りはじめていた。出てくるとすぐに下階に帰り、九時半から「記憶」記事音読。四七番から五七番まで。ムージル『静かなヴェロニカの誘惑』中の、バーナード犬の描写など。そうして一〇時から、久しぶりにErnest Hemingway, Men Without Women。前回読んで線を引いた単語を見返してみると、意外と結構覚えている。文脈があるとやはり思い出しやすい。五〇分ほど読み進めたのち、ムージル。「演劇の「没落」という篇に入る。文を読みながらたびたび目を閉じて、今しがた読んだ内容について思いを巡らせたり、どういうことなのか考えたり、言い換えを試みたりしながら読む。そのおかげか、まだしもこの篇は理解が及ぶような気がした。あまり進まなかったが、一時前まで読み進めてから就寝。


・作文
 11:01 - 11:14 = 13分
 18:04 - 18:40 = 36分
 計: 49分

・読書
 11:27 - 11:57 = 30分
 12:02 - 13:47 = 1時間45分
 14:09 - 15:48 = 50分
 15:53 - 16:56 = 1時間3分
 18:54 - 19:27 = 33分
 21:33 - 22:04 = 31分
 22:06 - 22:52 = 46分
 22:59 - 24:47 = 1時間48分
 計: 7時間46分

  • 2016/7/5, Tue.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-07「低速のあなたが窓辺を横切るときに吹く風と吹かない風」
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(上)』: 376 - 528
  • 田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』: 118 - 147
  • 古川真人『四時過ぎの船』新潮社、二〇一七年、書抜き
  • 田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』松籟社、一九九七年、書抜き
  • 「記憶」: 47 - 57
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 69 - 75

・睡眠
 1:15 - 10:15 = 9時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Ambrose Akinmusire『A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard
  • Ambrose Akinmusire『The Imagined Savior Is Far Easier To Paint』




古川真人『四時過ぎの船』新潮社、二〇一七年

 ついに子供の口からは挨拶以外の音が発せられた。それは、他愛のない、そしてそのことによって、他の者も思わずほお笑まないではいられない笑い声、自分にもかつてあった時期の追憶を素早く招きよせ、微笑だけを残して過ぎ去っていく余韻に満ちた笑い声であった。稔は、この未知の子供の笑みを見ながら、たしかにこの子にとって「こんにちは」(end27)ということばの持つ意味が、自分や兄の知る意味よりも重大で、心躍らせるたのしいものであるらしいと感じていた。おそらく、ようやく口に出して言えるようになってから、まだ月日の経っていない子供の口から発せられる「こんにちは」は、それがただの挨拶となる以前の、真新しい新鮮さを失っていないばかりか、子供にとって魅力的な呪文であるのにちがいなかった。
 自らがことばを発すれば、相手がそれに応じておなじように、しかし、自分とはまるでちがう声で返事をする――このことが、子供にとっては不思議でならないのであった。それがどうして不思議なのかも分からずに、たのしい気持ちが口と耳をかけめぐる。そしてそれこそ、ことばという手段によって最初に世界に触れるよろこびにほかならないのだったが、子供はそのことが分からない。分からないからこそ、子供は飽かず確かめるために「こんにちは!」と繰りかえすのだった。
 (27~28)

     *

 赤子は、小さな腕を振っていたのだったが、同時に短い足も手のうごきに合わせてうごいているため、まるで泳ごうとでもしているように見えた。その動作を急にやめると、一点に――自分の方に目を凝らしている稔でも、父や母でもない、地面のある一点に円い瞳を向けて、何かを見つめているようだった。だが、どうやら、それは何かを見ていたのではないらしい。小さな鼻の穴がひくひくとうごきだし、赤子は驚いたように鼻の頭に手をやると、問いかけるような顔つきで自らの上にある母親の顔を見上げた。その一連の動作を見ていた稔は、きっと、生まれてはじめて港の臭いを赤子が嗅いだのだろうと思った。潮と油と魚の臭いが混ざり合い、染みこんだ空気が鼻から自分のなかに流れこんできた瞬(end57)間の、戸惑いを赤子は感じたのだろう。慣れた母親の匂いとも、いつも寝る蒲団とも、車の座席の臭いとも異なった、奇妙な臭いを嗅いだ。それが赤子にとっては不思議であり、さらに、母親も父親も、自分が感じている戸惑いを少しも抱いていないのが、なおのこと不思議なのだ。このとき赤子のなかでは、自分がいったい、どこに居るのか、どういう場所で抱かれているのか、という漠然とした不安と疑惑が生じているにちがいなかった。
 (57~58)



田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』松籟社、一九九七年

 (……)ぼくは一匹の蚊を思い出す。ある時、水晶のなかにそれが封入されているのを見たことがある。蚊という奴は、今のところ僕の悟性がまだコントロールできないなんらかの美学的素質のせいでぼくにとっては――いわばぼくの美意識を侮辱するものである。だが、ぼくがあの時水晶の中に見たものは違っていた。それは異質な媒体の内部に封入されることで、あの細部、いわば蚊としての個性を失い、こまやかな形体をそなえたただの暗い平面と化していた。ぼくは人間についてもこれと同じ感じを抱いたことがあるのを思い出す。ある弱々しい反照の残る夕方に、ぼくは人間たちが黒い点となってオレンジ色の空を背景にしながら、草色の丘をゆっくりと移動していくのを見ていたことがある。あの感覚、つまり近づいてみればこの人物たちの姿は一定の細部の特徴の総計として、必ずやなんらかの点でぼくの感情を害したことであろうが、その姿がこの時は美的な快さを喚び起こし、ぼくの胸を共感にふるわせたのだった。(……)
 (7; 「初期の日記(抄)」; 「生体解剖医の夜の書から」)

     *

 (……)あなたの視線は事物を貫き、それを「ばらばらに」してしまう。他の人たちの眼は測定可能なものへの欲求に従って、諸々の現象をとりまとめてありきたりな概念にしてしまうのに対して、あなたの眼は拡散させ、獲得した経験のおかげで測りがたいものへと(思考の踏みはずし)、捉えがたいものへと分解する。なにを見てもあなたの眼はそれがまとっている形体をのり越えていき、あなたはある隠れた存在が生じさせる不可思議な出来事を嗅ぎつける。そのときあなたはお伽噺をでっち上げているのではない(擬人化)。街路は街路のままだし、家は家だし、人間も人間のままだ。しかしあなたが人間において愛せると思えるところは、他の人たちが幽霊を恐がるように恐れているものなのだ。(……)
 (17; 「初期の日記(抄)」; 「様式化された世紀から(街路)」)

     *

 われわれの文体の根本的欠点だ! それというのも人生においては、せいぜいだらしなかったり、不機嫌だったりするだけなのに、書くとなったらわれわれは非情なパトスなしには全然書けないときてる。明朗で軽薄で妥協的に書くこと!
 (19; 「初期の日記(抄)」)

     *

 悟性からのぼくの離反は、次のようなぼくの仮定に端を発し成立したのだ。「たしかに悟性の中身は進歩し、認識は発展するかもしれないが、悟性的人間(学者、研究者)というタイプは一貫して変わらなかった」。一例を挙げるとすれば、マッハの中にある「人間性」は今日でもなおガリレイのそれと同じものだ。
 (22; 「初期の日記(抄)」)

     *

 ひとは彼を非哲学的だと言う。彼の著作は才気にあふれた戯れのように読める。彼は百のあらたな可能性を拓いて、ひとつも実行しなかった人のようにぼくには思える。それゆえ、あらたな可能性には目がないというたぐいの人々は彼を愛するし、数学的に計算できる結果が無くては困るという人々は彼を非哲学的だと言う。ニーチェそのものには(〔*追記〕若気の至り!)それほど大きな価値はない。しかしニーチェに加えて、彼が単に示したことを実行に移す十人の有能な精神の働き手があれば、一千年に匹敵する文化の進歩がなされるだろう。――
 (26; 「初期の日記(抄)」)

     *

 人間はすべて、自らの思念の墓場だ。思念はその生まれる瞬間が最も美しい。後になると、かつてわれわれを魅了したと同じところで思念が素っ気なくなっていることに、深い痛みを覚えることが再々ある。最も静かな時刻とは、われわれの魂のあの十二時と一時のあいだのことであり、そのとき、もろもろの思念がその墓から浮かびあがって来て、そのひとつひとつがわれわれに自己の失われた部分を返してくれるのだ。われわれは自分自身について別種の感覚を得、もの静かにふるまう。思念たちが午前一時の鐘とともに去っていくことの必然を知っているからだ。
 (27; 「初期の日記(抄)」)