2019/3/30, Sat.

 一二時一五分起床。糞である。八時のアラームで一度起き上がっているのだが、ふたたび布団に戻ってしまい、チャンスを活かせず。その際、Sさんが我が家に遊びに来ているという夢を見た。
 上階へ。両親は相模原の親戚の墓参りで不在である。寝間着からジャージに着替え、台所に入って、モヤシの炒め物と鯖のソテーを電子レンジで温めるとともに、白菜の味噌汁も焜炉で熱した。そうして米をよそって卓に就き、ものを食べはじめる。今日も花曇りの、いくらか冷える日和だが、ストーブは点けなかった。新聞をひらくと国際面に、イスラーム圏での名誉殺人についての記事があって、目を通した。イスラームの教えでは婚前交渉は姦通罪となり、強姦された女性にすらそれが適用されると言う。ヨルダンでは今でも年間二〇人ほどが、名誉を慮った父親によって殺されているとのこと。これは、文化相対主義的にそれがあちらの文化だから、と言って済ませることのできないものだろう。少なくとも、婚前交渉をしたからと言ってそれがすぐさま死刑に値するというような教義の解釈からはどうにかして離れていくべきだと思うのだが。父親の方だって本当は娘を殺したくなどないはずで、それが教義だからと言って唯々諾々と従ってしたくもない殺人まで犯すというのは、単なる思考停止ではないのか? そんなに単純な話ではないのだろうけれど。
 ものを食べ終えると食器を洗い、冷蔵庫にあった葡萄のゼリーを頂いて、下階に戻った。コンピューターの前に立ち、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめる。そうして前日の記録を点け、支出の計算などもしたあと、日記を書き出して、ここまで綴って一時を越えている。
 前日の記事をブログに投稿してから今日も散歩に出ようというわけで、ダウンジャケットを羽織った。鍵をポケットに入れて上階に行き、仏間に入ってくたびれた灰色の短い靴下を履く。そうして居間で屈伸を繰り返して膝をほぐしてから玄関を抜けると、足もとに、「至急」と表面に貼られた回覧板が置かれてあった。なかを除けば、Mさん逝去の報である。前日に母親が、TさんやTさんには既に知らせたと言っていたので、もう回さなくても良いのだろう、一周したものが帰ってきたのだろうと見当をつけながらも、一応母親に連絡して訊いてみることにした。それでふたたびなかに入り、自室に帰って携帯を手に取り、電話のほうが早かろうと母親に発信したが相手は出ない。それでメールで回さなくても良いのだろうなと質問をしておき、携帯もポケットに入れてふたたび玄関を抜けた。扉に挿しっぱなしだった鍵を回して施錠し、ポケットに入れると道を歩き出した。Hさんの奥さんが車から何やら荷物を運び込んでいたので、こんにちはと挨拶をした。前日に引き続き花冷えの、風が少々頬に冷たい気候だ。市営住宅脇の小公園に生えた桜はところどころの枝先に微かに白を生みはじめていて、蕾の紅色と、その根元の緑とで三色の混淆が見られた。坂を上って裏路地を行きながら、流れるものはあるけれど、しかし周囲の木々がざわめきを立てないなと気づいた。曇り空で気温は低いがかえって風は静かで、だから寒いというほどにもならない。沈丁花の香りを嗅ぎながら家並みのあいだを行くあいだも、左右からはほとんど葉鳴りの一片も生まれなかった。
 街道を渡って細道に入り、タンポポが綿毛を膨らませているのを横目に斜面に沿って上って行くと、ここではやはり風が流れる。そのなかを通り抜けて墓場の前まで来て見やれば、供えられた白や黄やの仏花はどれもくたびれはじめていて、力を失い首を垂れ下げ頭を伏せているものが散見された。保育園では親子連れが何組が集まって追いかけっこをしたり、母子でボールを蹴り合ったりして遊んでいる。裏通りを行くあいだふたたび風が流れるが、ダウンジャケットの内には温もりもいくらか籠っており、身体を浸すものはただ清涼というのみだ。駅前の桜は雪白に仄かに赤味を混ぜて香る和菓子のような色を、ふわりと全面に漲らせていた。そろそろ満開らしい。
 帰ってくると風呂を洗いに行った。蓋が何やらオレンジ色の色素で汚れていたのでそれも洗い流し、浴槽を擦って出てくると室に帰って、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(下)』を読みはじめた。二時一〇分だった。戦闘状況などを仔細に読むのが面倒臭くて――細かく読んでもそこからイメージを作り上げるのが難しいのだ――描写を斜め読みで飛ばし、会話を中心に拾って大まかな物語を把握するという粗い読み方をした。それで二時間、四時一五分に至ると本を閉じたが、そこから何の行為に移るでもなく寝床に伏してしまい、ちょっと休もうとだけ思っていたところが、そこから結局一時間以上、眠ったわけでもないのに何をするでもなくだらだらと横になったままだった。五時半を過ぎたところでそろそろさすがに食事の支度をせねばなるまいと一念発起して起き上がり、上階に行って冷蔵庫を見ると、ほうれん草と豚肉があったのでこれらを炒めれば良いかと簡単に考えた。それでフライパンに湯を沸かしてほうれん草を茹で、合間に玉ねぎを切って、菜っ葉を笊に茹でこぼしておくと肉も切断した。そうして炒めはじめ、肉に火が通るようによく搔き混ぜながら加熱し、醤油で味をつけて完成、まことに簡易で横着した料理だ。自分の食糧はこれで良い、両親が食べるにはこのおかずだけでは足りないだろうが、それは帰宅後に自ら用意してもらうことにして、こちらはもう食事を取ってしまおうと炒め物の三分の一を皿に取り分け、冷凍の唐揚げもレンジで温めた。そのほか、即席の味噌汁に湯を注ぎ、米をよそる。そうして新聞を瞥見しながら薄暗くなった部屋のなかで一人食事を取り、そそくさと食べ終わると食後、薬を服用して三方のカーテンを閉め、食器を洗って自室に下りてきた。FISHMANS『Oh! Mountain』の続きを流しながら、日記をここまで書いて七時の一五分前である。
 両親が帰って来ていたので上階に行った。母親にメールを見たかと訊くと、見ていないと言う。それでは携帯電話の意味がないではないかと思うが、ともかく、回覧板が置いてあったことを報告し、前日にTさんたちには知らせたのだよなと確認すると、肯定があった。だから回さなくても良いと言うので安堵し、階段を下りかけたところ、雨が降ってきているけれど、石油を入れてくれと頼まれたので了承し、ストーブのタンクを持って玄関を抜けた。雨はそこそこの降りだった。父親はまだ車のなかにいるようで、ヘッドライトの白い光が向かいの家の垣根のあたりに放射されて灯っていた。勝手口のほうに回って箱の蓋を開け、ポンプの注ぎ口をタンクの口に合わせて突っ込んだ。そうしてスイッチを入れ、石油が汲み上げられている最中は、勝手口の扉の前、小さな軒の下に入って雨を避ける。そうしてタンクが満杯に近くなるとポンプを取ってもとの場所に戻しておき、箱を閉めて室内に戻った。
 時刻は七時である。自室に戻るとまず、二〇一六年六月二四日の日記を読み返した。特段に興味深い箇所はなし。それからMさんのブログを二日分読み、fuzkueの読書日記を一日分読む。細かでささやかな部分だが、「自転車で店の建物に着いたら向かいから赤いジャンパーを着た自転車が近づいてきて山口くんで鉢合わせた」という一文の、「赤いジャンパーを着た自転車」の語句について、自分はこのような書き方はしないだろうなと思った。勿論、批判的な意味でそう思ったのではない。これは言うまでもなく、自転車が赤いジャンパーを着ているのではなく、乗り手が赤いジャンパーを着ているということを隣接する自転車の一語に託す換喩的な技法の一例だと思うのだが、自分だったらこのような省略的な換喩を使わずに、くそ真面目にと言うか律儀にと言うか、「赤いジャンパーを着た男が自転車に乗ってやって来た」とでも書いてしまうなと思ったのだった。
 それから「記憶」記事を音読した。六九番から八五番まで。中国史及び現代史の知識である。所々、手帳にメモをしながら進めた。そうして時刻は八時半。入浴に行く。風呂のなかでは湯に浸かりながら先ほど読んだ中国史の知識を思い返していた。そうしているとあっという間に三〇分ほどが経過する。出てくると室へ戻って、九時半から書見、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』である。ベッドに移って読んでいると上階で両親が何やら話し合っている声が伝わってきて、父親が母親に何か言い含めるようにしているその声色が鬱陶しくて音楽を掛けることにした。Antonio Sanchez『New Life』である(「記憶」記事音読の際も掛けていた)。それでムージルを読むのだが、これがなかなか骨の折れる読書で、一時間に一〇頁程度の遅々としたペースでしか進まない。その後音楽は同じくAntonio Sanchezの『Three Times Three』に移したのだが、Christian McBrideの力強いベースソロやウォーキングや、John Scofieldのギタープレイに耳を寄せてしまって読み進めなくなる一幕もあった。零時一五分まで読んで一旦中断、両親が去ったあとの上階に行って、「どん兵衛」の鴨蕎麦を用意した。室に戻ってそれを食い、Twitterを眺めたりしたのちに一時半からふたたび読書、今度は『境界線上のホライゾン』である。そうして三時過ぎまで読んで就床した。


・作文
 12:48 - 13:02 = 14分
 18:22 - 18:45 = 23分
 計: 37分

・読書
 14:10 - 16:15 = 2時間5分
 19:01 - 19:36 - 20:29 = 1時間28分
 21:30 - 24:15 = 2時間45分
 25:30 - 27:04 = 1時間34分
 計: 7時間52分

  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(下)』: 152 - 802
  • 2016/6/24, Fri.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-26「教壇のながめがあまり好きじゃないできれば同じ方を見てたい」; 2019-03-27「Tシャツの上に薄手のパーカーを外は雨降りあの娘が眠ってる」
  • fuzkue「読書日記(128)」: 3月12日(火)まで。
  • 「記憶」: 69 - 85
  • 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』: 40 - 63

・睡眠
 1:00 - 12:15 = 11時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『New Life』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』