2019/3/31, Sun.

 一二時一五分起床。糞である。学校の図書室で裸になっているという破廉恥な夢を見た。上階に行く。両親に挨拶。食事は野良坊菜にウインナーにシーフードが混ざったスパゲッティ。あと大根などのサラダ。それらをよそって卓に就き、一方では新聞を読みつつ、一方では『のど自慢』を瞥見しつつ麺を啜る。ガザで反米デモ開始の一年を記念して一万人以上が集まる大規模なデモが行われたと。この一年で犠牲者は二七〇人に上ると言う。デモのあるたびにイスラエル軍催涙弾を投下したり発砲したりしているようで、本当に命懸けの抵抗活動である。ものを食べ終えると薬を飲んで皿を洗い、自室に戻った。そうしてコンピューターを起動させ、日記を書きはじめたのがもう一時過ぎだった。三〇分ほどで前日の記事を仕上げ、この日の分も短くここまで。BGMは今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』
 三月三〇日付の記事をブログに投稿し、Twitterにも通知を流しておくと、歯を磨いた。そうして二時直前からベッドに移って、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(下)』を読みはじめた。ここで読み終えてしまい、今日か明日に図書館に行って返却するつもりだった。あまり仔細には文字を追わず、さらりとした感触の読書で四〇分ほど過ごし、読み終えると上階に行った。風呂を洗うためである。ゴム靴を履いて浴室に入り、洗濯機に繋がったポンプをまっすぐ上に持ち上げて静止し、その口から管に残った水が流れ出るに任せる。それからブラシを持ってまず四囲の縁から洗って行き、浴槽のなかの水がすべて流れ去ってしまうと内側に入り込んで四方の壁を擦った。掃除を終えると出てきて、仏間にいる母親のところに行き、おい、と声を掛けて、別に許可を取る必要などないのだが、図書館に行っても良いかいと尋ねた。勿論返ってくるのは肯定である。母親は、父親の入院準備をしており、様々な品々をバッグに詰めていた。こちらもすぐ傍にあった入院のしおりを持ち上げてちょっと読んだが、結構持ち物が色々とあって面倒臭いものだ。それから下階に戻ると、FISHMANS『空中キャンプ』を流しはじめて、音楽の響くなかで服を着替えた。白シャツにベージュのズボン、上はモッズコートの軽い格好である。着替え終わるとコンピューター前の椅子に就いて、「記憶」記事の音読を始めた。神崎繁・熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』からの記述、アナクサゴラスの世界論やプラトンイデア論ハイデガー古代ギリシア解釈などについて読み、同作から引いてある項目はすべて通過したところで時刻は三時半前、音楽は最後の"新しい人"に掛かっていた。それが終わるまで聞いて、コンピューターをシャットダウンすると、荷物をまとめて上階へ、母親に行ってくると告げて出発した。
 扉を出ると同時にあたりに立ち昇る何かの匂いが鼻に触れたが、あれはおそらく、雨のあとの草や土の香りだったのではないか。歩きはじめながら、首もとに触れるものがなかなか涼しい。坂を上って行くと、出口に掛かるあたりで鶯の、何かぎこちないような拙い鳴き方の谷渡りが木々の方から響いてくるなか、ゆったりと一歩一歩を踏みながら、こうして歩けなくなる日もいつか来るのだろうなと何とはなしに思いが湧いた。右方の空には夏のような雲が大きく浮かんでいるが、今、太陽は薄雲の裏から光を通して、段々とあたりは晴れてきているようだった。
 街道に出るすぐ手前で、T.Tと出くわした。数年前の生徒である。軽い挨拶を交わして過ぎようとしたところに、それでは素っ気なさ過ぎるかというような心が働いたものか、振り返って、もうすれ違ったあとの相手に、元気、と声を掛けた。肯定が返る。それに続けて訊いてもいないのに問わず語りで、もう卒研も終わって、明日から働きはじめるのだとあった。頑張って、元気でと残して去ろうとしたところにあちらからは、まだ塾をやっているんですかと来たので、去年ちょっと体調を悪くして、今は休んでいるが、そろそろ復帰すると思うと、一語一語をゆっくり切るようにして、距離があったのでやや声を張って伝えた。頑張ってくださいと最後に向けられたのを受けて歩き出し、街道に入って北側に渡った頃には、背後から陽も射していてモッズコートの裏がやや暑いくらいだった。
 途中の小公園の桜は、まだ半端な咲きぶりで、白さと紅色が霙状の雲のように混ざっている。裏通りに折れるところの二本の梅の木は、さすがにもう花を落としきって裸体を晒しているかと思いきや、手前の薄紅のものはそうだが奥の色濃いほうはまだ赤味を結構残していた。緑の制服を着込んだ宅配便の配送員とすれ違いながら行くと、日曜日で戸口や家の外に人々の姿が見られる。途上、東の空には濁った色の雲が広く湧いて、頭上まで繋がっているけれど、背後から射すものは続いており、身体も温まって流れて触れてくるものが心地良いくらいになっていた。その風も、大して通らず静かななかに表通りの車の音が伝わってきて、反対側、左方の林からはまた鶯の谷渡りも落ちる。
 何となく、虚しいような、儚いような気分が滲んでいた。Tと会ったためだろうかと考えた。これから働きはじめる年頃の新鮮な若人を見て、自分の年齢がいかにも嵩んで思えたか。もう自分は若くはないのだな、とそう感じた。たかが二九で老いを気取ってもまだ早すぎて締まらないが、しかし青春とも言うべき、若さの盛りの二〇代をもう過ぎようとしているのも確かだ。華やぎを、盛りを、二十歳の初めから精神の病に過ごしたこちらにそんなものが実際にあったのか知らないが、もはや自分は失ってしまったのだなと、そんなことを思った。そうして歩きながら、このあたりに辛夷の木が一本あったはずだが、と見渡した。しかし見当たらないのは、今は更地になっている道脇の土地におそらくは立っていて、取り除かれてしまったのだろう。さらに進んで白木蓮は、もうほとんど白さを残しておらず、茶色に萎んだ残骸の方が多く、全体に炎を当てられたようになっていた。それを見上げ見上げ、ゆっくりと過ぎる。
 梅岩寺の枝垂れ桜に目を向けるのを忘れていた。駅に着くと券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージし、改札をくぐる。ホームに出て二番線に停まっている東京行きの、二号車の三人掛けにリュックサックを負ったままに腰掛けた。そうして手帳を取り出し、道中目にしたもののいくつかを手短にメモしたのち、目を閉ざして到着を待った。河辺に着くと降車、エスカレーターを上って行くと、精算機の前に随分と人が集まって列が出来ている。改札を抜けたところでは、男児が一人、バッグを首に掛けて頭をぶらぶら揺らし、それを振りながら踊るように身体を動かしていた。いかにも子供らしく、エネルギーが有り余っていて落ち着いていられないらしい。駅舎を抜けると背後、斜め後ろから陽を受けながら図書館へ渡り、自動扉をくぐる前にリュックサックを下ろして、本を三冊ブックポストに入れた。それからCDも三枚取り出して、こちらはブックポストには入れられないから手に持って館に入り、カウンターに差し出して返却した。CDの新着を瞥見してから上階へ、新着図書にはフィヒテの研究書などが見られた。それから書架のあいだを抜けて大窓際へ、階段を上ってきた時に遠くに見えたテラス側の席の混み具合では空きはないかと思ったところが存外すんなりと目の前に見つかって、その席にリュックサックを置いて、モッズコートを脱ぐと椅子の背に掛けた。そうして着席し、コンピューターを取り出して打鍵を始め、四〇分ほどでスムーズに現在時に追いつかせることができた。
 コンピューターを一時停止させ、席を立ってモッズコートを羽織り、フロアを歩き出した。コンビニに、年金の支払いに行かなくてはならなかったのだ。途中、棚に『日本の右傾化』という選書――書店でも見かけてちょっと気になっていたものだ――を見つけ、手に取って目次を瞥見した。そうして階段を下り、館を抜け、目を細めて雲の湧いている空を見上げながら歩廊に出て、下の通りに下りてコンビニに入った。レジの前を横切って壁際に行き、おにぎりの区画から鶏唐揚マヨネーズのものを一つ取った。その次に、パンの区画に移動して、チョコレートの塗られたオールド・ファッション・ドーナツを手に持ち、その二つとともに列に並んで、番が来ると女性店員に品物と年金の支払い書を差し出した。会計を済ませ(計一六五九〇円)、外に出ると手近のベンチに腰掛けて、ものを食べはじめた。あたりには白鶺鴒が一羽、尾を揺らしながらうろつき回って地面をつついていた。おにぎりを食べているあいだにその鳥の姿は見えなくなり、ちょっと残念な気持ちを抱きながら、前屈みになり、左手に空のビニール袋を下げつつ、右手に持ったドーナツ――先端のみ外に出して袋越しに掴んだのであって、素手で持ったわけではない――を一口ずつ咀嚼していった。食べ終えるとコンビニのダストボックスに袋を捨てておき、そうして図書館に戻り、席に帰って、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。時代思潮についての記述など、ムージル独特の抽象性があって意味の核心を掴みにくく、端的に言ってよくわからない。少々眠気にやられながらも一時間半読んで、あたりももうすっかり暗んだ七時前になって打鍵を始め、僅か一〇分でここまで記述した。
 そうして帰宅することにした。荷物をまとめて席を立ち、モッズコートを羽織って、フロアを歩き出す。書架の端の列に入り、哲学の文庫本を見分したあと、振り返ってロシア文学のあたりも見た。ナボコフなど、やはり読んでみたいとは思う。それから列のあいだを抜け出して、向かいの、ライトノベルの区画に入り、川上稔境界線上のホライゾンⅣ』の上巻と中巻を手に取り、貸出機に向かった。手続きを済ませると本をリュックサックに収め、階段を下って退館した。歩廊を渡って駅へ、なかに入って掲示板の前に立つと、次の電車は七時三六分、まだやや時間があったが奥多摩行きへ接続するものでちょうど良かった。改札を通り抜け、ホームに下ると、立ったままムージルを読み出した。そうしてしばらく待ち、やって来た電車に乗ると扉際に就いて変わらず読書を進める。青梅に着くと向かいの電車に乗り換え、ここでも同じようにして到着を待ち、最寄り駅に到着すると降りて、本は仕舞わず片手に持って歩き出す。駅前の桜が咲き静まって、暗闇のなかでもぼんやり白く浮かび上がっていた。それを見ながら通路を抜け、木の下に来ると、花はまだまだ生命力を充実させているようで、足もとにほとんど落花も散らばっていない。過ぎて、街道沿いに東へ移動し、渡って細道に入る間際、空を見上げると暗色を塗られたなかに星がいくつか、それぞれ距離を離して孤独なように、しかしそれでいて互いに照応するように灯っていた。それを見て、木の間の暗い坂道を下って行きながら、ムージルが「トンカ」のなかで、「夜空の星のように散り散りになって寂しく生きている、醜くささやかなもの」というような一節を書いていたなと思い返した。
 帰宅すると両親も帰ってまもなくのようで、まだ黒い服を着たままで居間にいた。Mさんの通夜に出向いていたのだ。こちらは下階に下り、コンピューターを自室のテーブルに据えるとともに服を着替えた。そうして食事へ。炊飯器のなかに残った最後の米・鮭・肉じゃが・餃子などである。テレビは『ポツンと一軒家』。食事を済ませると薬を飲んで、父親と入れ替わりに風呂に入った。長く浸かって出てくると、両親がタブレットで兄夫婦と通話をしていたので、こちらも炬燵テーブルに寄って、画面に映っているMちゃんに向けて呼びかけて手を振った。それからしばらくMちゃんの様子を眺めながら通話して、終わると下階に戻って、燃えるゴミの箱を持ってきてふたたび上に上がってきた。ゴミを上階のものと合流させておくとともに、母親が米を磨いで収めた炊飯器の釜を受け取ってセットし、また、小さな薬缶に湧いた湯を小型のペットボトルに注ぎ込んだ。母親の湯たんぽ代わりになるものだ。それを持って階段を下り、両親の寝室に入って母親の布団のなかにペットボトルを仕込んでおくと自分のねぐらに帰った。
 そこから、ニコニコ動画で『境界線上のホライゾン』のアニメ動画を長く眺めてしまい、それで一一時半頃を迎えたと思う。ベッドに移り、借りてきた川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』を読みはじめた。一時間ほど読み進めると、ムージルに移ったが、時刻は既に零時半、眠気が籠ってきていたようで、意識が薄くなってほとんど読み進まなかった。一時四五分で切りとして就寝。


・作文
 13:02 - 13:35 = 33分
 16:26 - 17:04 = 38分
 18:57 - 19:08 = 11分
 計: 1時間22分

・読書
 13:58 - 14:38 = 40分
 14:50 - 15:26 = 36分
 17:23 - 18:55 = 1時間32分
 19:24 - 19:46 = 22分
 23:40 - 24:33 - 25:45 = 2時間5分
 計: 5時間15分

・睡眠
 3:05 - 12:15 = 9時間10分

・音楽