2019/4/3, Wed.

 暗闇のなかで枕に頭を乗せて横を向きながら、心臓が痛んだ。どうも目が冴えて眠れないのではないかという予感はありありと感じられた。それでも一時間は床に臥していようと思ったのだが、結局、四〇分ほど経って二時を越えたところで起き上がってしまった。コンピューターを点け、前日の記事をごく短く書き足して仕上げ、深夜の投稿を済ませるとUさんへのメールを推敲しはじめた。自分の悩みを開陳するばかりであまり刺激的なことが書けなかったし、結論はいつもながらの退屈なものに至ってしまった。一時間ほど推敲して、三時四〇分頃にメールを発送した。それからベッドに移り、眠れないので加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。ムージルの記述は、一般的な概念の卓越した操作と、豊かな比喩的イメージの結合によって、奇妙な、彼特有の抽象性を全体に醸し出しており、意味や各文の連関が掴みにくい。苦戦しながら一時間ほど読んで、五時直前に至ったところで何となく眠れそうな感じがしたので本を置き、目を閉じて身体の力を抜いた。そうしてなんとか意識を失うことに成功し、それから寝床に熱烈な光の射し込む一〇時半頃まで臥位に留まり続けた。起床すると上階に行く。母親は父親の足の手術立ち会いに出かけている。冷蔵庫から前日の残り物――揚げ物二種とゴーヤの炒め物――を取り出し、電子レンジで加熱して米をよそった。そうして卓に就いて新聞をめくりながらものを食べた。シナイ半島の停戦監視団に自衛隊員二人が送られるという話題。ほか、新元号についての世論調査などが載せられていたが、元号を存続するべきだと思う人が八割を占めているという点はちょっと意外に思った。ものを食べ終えると食器を洗って、下階に下りてきてこの日の日記作成である。今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』を流してここまで書くと時刻は一一時を越えている。
 二〇一六年六月二一日火曜日の日記を読んだ。歩いている途中の描写を二箇所、Twitterに流しておき、それからfuzkueの「読書日記」。三月一七日日曜日の分まで三日分を読む。途中で引かれていた吉田健一の文章の質感やリズムが、日記全体の筆者であるA氏のそれと似ているように思われて、引用と本文とが調和しているように感じられた。そうして次に、「記憶」記事の音読。英国のEU離脱関連の情報から始めて、その後、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の記述へ。読みながら合間に、TwitterでY.Cさんという方とやりとりを交わす。BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』。そうして一二時四〇分まで。図書館に出かけようかという気持ちが湧いていた。その前に小腹を満たすことにして、面倒なのでカップヌードルで簡便に取れば良かろうと上階に行き、戸棚からカップ麺を取り出して湯を注ぎ、自室に持って戻ってきた。それを食ったのち、容器を始末しにふたたび上に行き、そのまま風呂を洗う。さらに続けて洗濯物を取り込み、タオル、肌着、父親の寝間着などを畳んだのち、エプロンやハンカチにアイロンを掛けた。そうして戻ってきてここまで短く綴って一時半過ぎ。
 cero『Obscure Ride』から、"Yellow Magus (Obscure)"、"Summer Soul"、"Orphans"の三曲を歌った。それからyoutubeにアクセスして、tofubeatsの"WHAT YOU GOT"を久しぶりに流し、そのまま"BABY"にもなだれ込んだのち、藤井隆をフィーチャリングした"ディスコの神様"を口ずさんだ。そうして今度はキリンジ "エイリアンズ"を裏声で歌い、"千年紀末に降る雪は"のライブ映像を視聴して、とそんなことをやっているうちにあっという間に一時間が経って二時半である。出かけることにして部屋を出て、上階に行った。母親の真っ黒い肌着を畳み忘れていたことに気づいたのでハンガーから取って折り畳んでソファの背の上に置いておき、引き出しからBrooks Brothersのハンカチを取って便所に入り、出てくるとリュックサックを背負って出発した。玄関の扉に鍵を掛け、郵便受けをひらいて何も入っていないことを確かめてから道に出て歩き出す。家の近間の、一段下ったところにある花壇の周辺、木の伐られたあとの切り株が多数並んでいるその周りに、あれはムスカリだろうかハナダイコンだろうか、明るい紫色の花が群れを成して生えている。それに目を凝らしながら坂に入ると宙に風が差し込まれて、顔に触れてきたその感触のなかに思いの外に冷涼さが含まれていた。坂を上って行き、街道に向かっていく途中、またもや例の、薄ピンク色のコートを羽織った独り言の老婆に出くわした。同じくピンク色のスーツケースと傘をいくらか離れたところに置き去りにしながら、街道との境になっている石壁に寄って、木の棒を持って壁を引っ搔いたり、石のあいだの苔や砂をこそぎ落としたりしつつ、やはり何やら独言を呟いていたようだ。その横を通り過ぎて表に出ると、風が荒れている。途上の東空から雲は吹き飛ばされて一点も存在を許されず、背後の西空にはいくらか散ったものがあるものの、太陽に掛かるほどの勢力はなくて陽は屈託なく通り、路上は隅から隅まで全面日向を敷かれていた。小公園の桜は遠くから見てもまだ半端な咲きぶりで、紅色と白とで霙状の混淆を成しているが、近づくと枝先に、あれは八重の種なのか、泡のような白さが寄り集まって膨らんでいるのが見上げられた。
 裏通りに入って、首の後ろに温もりを宿されながら進んで行く。線路の向こうの丘の木々には緑が増えてきたようだ。途中で空に、突如として二羽の鳥が現れて、若い鳶らしく悠々というわけには行かず羽ばたきをいくらか間近く繰り返しながら旋回していたが、一羽はいつの間にか消え失せて、もう一羽は森の方に飛んでいき、爪の傷のような微かな姿と化しながら木々の向こうに消えて行った。さらに歩くと一軒の前に、白い猫が日向ぼっこで佇んでいる。寄ってみると立ち上がってちょっと離れる素振りを示したが、よくいるほかの猫のように警戒して即座に駆け出すでもないのでしゃがんで手を出してみると、みゃあみゃあと小さな鳴き声を漏らしながら方向を変えてこちらの手に近づき、湿った鼻先を指に寄せてくっつけてきながら噛みつきはしない。それからごろんと、腹を見せて横になったので、お腹に手を当てて軽く柔らかく撫でさすってやった。その後しばらく、こちらの前を行き来したり、ふたたび仰向けに転がったりするのに任せ、頭や背や腹に触れて戯れた。猫は全身の白い体毛のうちに、僅かに黒や茶の色を差し込まれていた。時折りジャケットのひらきの縁に顔を寄せてきたり、転がって砂利の付着した体をこちらのズボンにすりつけてきたりするので、細かな砂や白い毛が褐色のスラックスの膝のあたりにたくさんくっついてしまった。しばらく遊んでもらったのち、スラックスの毛を払い落として立ち上がり、手を振って別れ、ふたたび道を歩き出した。
 市民会館跡地裏まで来ると、梅岩寺の、見事に薄紅色を湛えた大きな枝垂れ桜が左方に現れる。花というよりは果物の房のような縦の連なりを、風に晒して緩やかに靡かせているその下を人が行き来したり、カメラを掲げて構えたりしている姿が見られた。駅まで来ると改札の手前にベビーカーを伴った若い母親が立っていて、改札の向こうには彼女に向けているものか、カメラを差し向けたやはり若い女性の姿が見られる。その背後を通って通路を辿り、ホームに上がると一番線に到着したばかりの電車の二号車、三人掛けにリュックサックを置いて腰を下ろした。そうして胸の隠しから手帳を取り出し、道中目にして印象に残ったものを簡潔に箇条書きでメモに取る。それが終わると目を閉じて発車を待ち、電車が動き出すと瞑目を解いて車外に流れる風景を眺めながら、書く対象はいつでもそこにあってあちらからやって来るのだ、と考えていた。河辺に着く間際、携帯電話を確認すると母親からの返信が入っていて――家を出る前に図書館に行くと伝えておいたのだった――、こちらは今手術が終わったところで父親はぐっすりだとの報があった。河辺で降りると陽の射し掛かるなか、ぼんやりとした気分でホームを歩き、エスカレーターに乗って上り、人々の行き交うなか、改札を抜ける。駅舎の出口では女性が一人、何やらチラシを配っていたが、こちらには渡して来なかったそれはどうも、背後の声を聞く限り、マッサージ店か何かのものらしかった。歩廊に出て眼下を見下ろせば、コンビニ前のベンチの一つに、あれは小学生だろうか私服姿の女児たちが三人並んで席を埋めており、その前にもう一人が立って何やら両手を頭の上に差し上げたり前に差し出して仲間を指し示すようにしたりして遊んでいる。その席の隣、そしてさらにその隣のベンチにはいつもながらの、素性の知れない高年たちの集団が見られた。こちらの目の前では風が踊る。そのなかを通り抜けて図書館に入ると、新着CDの棚を瞥見してから上階に上がった。新着図書の棚の前は混んでいて、数人が集まっており、そのなかにこちらも加わって眺めていると隣人との隙間から一人、男性が、すみませんと小声で言いながら入ってきて棚の至近に身を低くして何やら見分していた。新着図書は普段よりも多くて、臨時のものだろうか、通常の棚の脇に一つ余分にカートが置かれて、その上にも書籍が並べられていた。そちらも見たが、際立って興味を惹かれるものは見当たらなかった――文学のあたりなど人が立っていたので仔細に見られていないが。そうして棚の前を離れ、書架のあいだを抜けて大窓際に出て、席を一つ取ると椅子をゆっくり引いてそこに腰掛け、腕時計を外してコンピューターを取り出し起動させた。Evernoteをひらいて日記を書きはじめたのが三時半を回った頃合いだった。そこから三〇分ほどでスムーズにここまで綴って四時六分に至っている。数えてみると、三〇分強で二八〇〇字ほどを綴っていた。
 持ってきたムージルを読もうかどうしようか迷ったが、今日はさっさと帰るかということでコンピューターをシャットダウンし、荷物をリュックサックにまとめて席を立った。帰る前に、歴史の棚を見分する。ドイツから始まってイギリス、パレスチナ周り、それから歴史の区画の始めのほうに移って見ていったあと、フロアを渡って反対側の端、文庫の棚に行き、そこでも歴史学や社会科学の著作を見分した。手帳にメモを取った書籍は以下の通り。

・ゲルハルト・シェーンベルナー『黄色い星』
・ティモシー・スナイダー『ブラックアース』
プリーモ・レーヴィ『これが人間か』
・武井彩佳『<和解>のポリティクス』
・D・グロスマン『死を生きながら』
・奈良本英佑『パレスチナの歴史』
・ディーオン・ニッセンバウム『引き裂かれた道路』
・『歴史を学ぶ人々のために』
西谷修『世界史の臨界』
・北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』
・A・C・グレイリング『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』
・A・J・P・テイラー『第二次世界大戦の起源』
・シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』
井上寿一日中戦争
大杉一雄日中戦争への道』
・黒羽清隆『太平洋戦争の歴史』
島田俊彦満州事変』
加藤周一『言葉と戦車を見すえて』
宮沢俊義『転回期の政治』
中島義道『差別感情の哲学』
丸山眞男『政治の世界』
・古関彰一『日本国憲法の誕生』

 そうして、退館する前に便所に寄った。放尿を済ませて手を洗い、室から出てフロアの一角に立ち尽くし、ハンカチで手をよく拭う。それから新着図書の棚のうち、先ほど見ることの出来なかった文学の区画を見ようと思ったが、またもやその前に人があったので、政治哲学の棚を見分して――ここではもうメモは取らなかったが――スペースが空くのを待った。それから文学の新着を確認してから退館である。買い物をして帰ろうかどうしようか迷っていたが、ひとまず駅に行くことにした。奥多摩行き接続の電車まで時間があったら、買い物で時間を使えば良いだろうと考えたのだ。それで駅舎に入って掲示板を見てみると、あと数分でやってくる五時三分の電車がちょうど奥多摩行き接続だったので、買い物はやめて改札をくぐり、ホームに下りた。西空の太陽が視界の端から光を送りつけてくる。瞳に眩しく引っ掛かるその陽射しも、こちらがホームに立ち尽くしているあいだに少しずつ、しかし着実に下っているようで、裾の明るみを残して建物の裏に隠れてしまい、目に真正面から入り込んでくることはなくなるのだった。やって来た電車に乗って、扉際に就き、発車すると家並みのあいだから時折り顔を出す太陽がふたたび目を射し、あるいは自動車のボディに白い光を溜め、木々の緑葉を輝かせる。途中、踏切りから見えた街道にも西陽の色が敷かれて、懐かしいような風合いの風景が生まれていた。青梅に着くとそのまま即座に向かいの奥多摩行きに乗り換え、最後尾の扉際に就いて到着を待った。最寄り駅に着いてもまだ太陽は瞳に引っ掛かってくる。駅舎を抜けて盛りの桜の下を通り、街道を歩きだしてちょっと行くと、マンションの脇にもう一本、桜が生えていて、見上げた枝先に寄り集まっている花弁の群れが、無数の吸盤のように見えるのだった。空は変わらず晴れ晴れと雲を排除しているが、夕刻の空気はいくらか冷たい。そうした明るい夕方の微風が浮かんで木の葉を揺らすなか、坂道を下って帰った。
 母親はまだ帰ってきていなかった。郵便物をポストから取ってなかに入り、下階に下りてコンピューターを自室の机上に据えるとともに、リュックサックやズボンのポケットから小間物を取り出して棚に戻し、ジャケットは脱いで廊下に吊るした。そうして服をジャージに着替え、上階に行って食事の支度である。しかし、冷蔵庫を覗いても大したものがない。辛うじて前日に使った豚肉の残りがあったので、これを玉ねぎと炒め、汁物はジャガイモの味噌汁を拵え、そのほかサラダにはまた大根をおろせばよいかと簡単に決めて、自室からFISHMANS『Oh! Mountain』のCDを持ってきてラジカセで流しはじめた。手を洗って玉ねぎを切り、豚肉を冷蔵庫から取り出して牛乳パックの上に置いたところで"土曜日の夜"が始まった。肉を細かく切断し、包丁と手を洗ってから玉ねぎをもう一つ切り分け、フライパンに油を引いてチューブのニンニクを落とす。そうして炒めはじめた。木べらで搔き混ぜながら加熱して、適当なところで肉も放り込んで搔き混ぜ続け、味付けは砂糖と醤油である。醤油を注いでしばらく強火で熱し、完成すると、今度はジャガイモを洗って皮を剝き、包丁を使って芽を刳り抜いた。そうしてまず輪切りにしたそのあとから細い棒状に切り分け、既に沸かしておいた小鍋に投入、しばらくすると灰汁が出たのでお玉ですくい取って除き、煮込んでいるあいだにスライサーを使って大根を笊に下ろし、胡瓜も同じく細かくして加えた。そうして流水で洗ったあと、野菜の入った笊は食器乾燥機のなかに入れておく。粉の出汁と椎茸の粉を放り込んで、お玉で搔き混ぜて溶かしているとジャガイモは柔らかくなったので、チューブの味噌を押し出して溶かし、それで三品完成というわけで下階に戻った。六時頃だった。
 Twitter上でYさんとやり取りを交わしながら、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読む。六時四〇分頃になると空腹が極まったので、食事を取りに上階に行った。母親は帰ってきていた。フライパンの炒め物を温め、丼に米をよそってその上から玉ねぎと豚肉を掛け、そのほか母親がトマトを追加したサラダや味噌汁や、母親が追加して茹でてくれた菜っ葉を取り分けて卓に就いた。テレビのニュースは、Vtuber育成学校などというものの様子を映している。それを漫然と眺めながらものを素早く食って、薬を飲んで皿を洗うと風呂に行った。しばらく浸かって出てくると時刻は八時近く、部屋に戻って、ウィリアム・アンダーヒル「【ブレグジット超解説】最大の懸案はアイルランド国境を復活させない予防措置「バックストップ」」(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11695_1.php)を読んだのち、Aretha Franklin『Aretha Live At Fillmore West』の流れるなかで「記憶」記事を読んだ。三〇分、八時四〇分まで読んだのち、日記を書きはじめる。途中、母親が買ってきてくれたコンビニのロールケーキを頂きに参ろうと上階に行くと、ちょうど彼女は件の品を食べているところで、横からこちらも一切れ分けてもらった。テレビは塚田一郎国土交通副大臣の「忖度」発言のことを報じており、母親は、忖度って難しい、どういうことと訊いてくる。それに対してこちらは、直接何か言われたわけではないけれど、他人の考えや事情を想像して、その人の利益になるようなことをするっていうか、とゆっくり言葉を区切りながらいくらか覚束ない説明をした。それでも母親はまだ問題がよくわからないようだったので、下関北九州道路というものがあって、下関は安倍晋三の地元でしょう、それで福岡は麻生副総理の地元、だから安倍・麻生道路などと呼ばれているんだけど、彼らが直接指示を出したわけではないけれど、あの人が(と画面に映った国土交通副大臣を示す)、総理副総理の意向をまさに「忖度」して――つまりその意図を汲んで――道路建設事業を進める方向に持っていったんだ、とそんなようなことを言うと、母親は理解したようだった。事実と違うことを言ったなんて言い訳しているけれど、まあ本当のことでしょう、すごく口が軽い人なんだねとこちらは笑い、母親が問題を理解したものの一周してもう一度、忖度ってのは……と同じところに戻ったので、先のような説明を繰り返し、だから元々は特に悪い意味の言葉ではないんだけど、政治家が、直接指示を受けていなくても上の者のことを考えて悪いことをする時に使われる言葉になっちゃったねと解説した。そんなような話をしながらロールケーキを二切れ頂いたのち、自室に一旦戻って急須に湯呑み、それにゴミ箱を持ってふたたび上階に行き、ゴミを整理するとともに茶を注いで、湯呑みいっぱいになったものを零さないように注意してゴミ箱を抱えながらねぐらに帰った。そうして茶を飲みながら打鍵を続け、九時四二分まで掛かって現在時に追いつかせることができた。
 そうして一〇時過ぎから読書、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』。コンピューターの前に座って、Twitter上でYさんと話をしながら読み進める。凄まじい冗長さ。一三八頁から一五五頁までのあいだ、物語的な展開としては、ボーナデーアが訪ねてきて愛撫をしあい、その後しばらく何をするでもなく彼女が佇んだあと、最終的に喧嘩別れに終わるといった程度のことしか起こらず、そのあいだに書かれていることの大半はウルリヒの頭のなかで推移する。記述は現在の時空から浮かび上がって、どこともしれない心理的領域のなかへと突入していく。地に足ついた物質的世界に比して、ムージルにおける記憶や思考の世界の広大さよ。思考は花のあいだを飛び交う蝶のように記憶から記憶へと飛び移っていき、そこで引用される言葉がまた新たな議論を呼ぶ。
 一五一頁にはウルリヒが旅先の島で、一匹の驢馬と戯れたり、「海や岩や空などの仲間」と一緒に寝そべったりするという具体的で小説的な香りの漂う場面があるのだが、記述はすぐさまそうした描写を離れて抽象的な考察の領域に移行する。プルーストにしてもムージルにしても、二〇世紀の巨匠はどうしてこうも熱烈な考察癖を持っているのか。彼らは具体性のレベルにいつまでも留まっていることに耐えられず、外面的な地上世界を離れて思弁を展開せずにはいられないのだ。滔々と、止めどなく流出する思考の激流が小説の流れを圧倒して、畸形のように肥え太っている。物語を前に進める語り手としての責任は放棄され、作家当人が書く欲望に身を任せて最大限に従った結果として、その欲望が生々しく、荒々しく露呈されているようだ。しかもそこで披露される思弁には独特の抽象性が立ち籠めていて、何を言っているのかいまいちわからないことも多いものだから、まったく困り物である。

 (……)毎朝、太陽が彼を眠りからさました。そして漁師が海に出て、女子供が家にいるときには、島の二つの村落の間にある茂みや岩の背で草をはんでいる一匹の驢馬と彼だけが、陸地のこの風変わりな前哨地点に存在する唯一の高等動物であるかのようだった。彼はこの相棒の驢馬と競争して岩の背に登ったり、島の端で、海や岩や空などの仲間に取り囲まれて寝そべったりした。これはけっして大げさな言い回しではない。なぜなら、大きさの相違などが消えてしまういわばこのような共存状態では、精神、生物界、無生物界のあいだの区別は消滅して、物のあいだにあるあらゆる種類の相違も、だんだん少なくなっていくからだ。この現象をごく冷静に言い表わせば、相違はもちろん消えも減りもしていなかっただろうが、相違の意味がそれらのものから脱落してしまい、愛の神秘に心を奪われた信仰者たちの手で記されたような、「人類の印であるいかなる差別にももはや隷属していなかった」のである。この若い騎兵中尉は、当時この神の信仰者たちについては何一つ知らなかった。またこの現象についても――ふだんなら、野獣の跡を追う猟師のように、観察したものの後を追い、追いかけながら考えるのに――そんなふうには考えもせず、いやおそらくこの現象に気づきさえもせずに、これを吸収していた。これは、運び去られるという、口では言い表わせない状態だったとはいえ、彼は風景の中に沈潜していたのだ。外の世界が目の敷居を越えてくるたびごとに、世界の意味が内部から音のない波となって打ち寄せてきた。彼は世界の心臓の中に入り込んでいた。彼と遠く離れている恋人との距離は、彼とすぐ近くにある木との距離と同じだった。内なる感情が空間を消去して物と物とを結びつけていた――夢の中で二つのものが混じり合わずに互いに通り抜けることができるように。(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、151)

 読み進めているあいだ、Yさんとはゆったりとしたペースで文学の話などを交わし、零時を目前に控えたところで、そろそろ日付も替わりますし、今日の対話はここまでにしておきましょうか、本当に長い時間、ありがとうございましたと挨拶をして会話を終わらせた。それからインターネットを少々回ったあと、ベッドに移り、後頭部を枕に重ねて布団を身体に掛け、顔の前に本を掲げるようにして読書を続けた。前夜と同じく目が冴えているようで眠気を感じなかったが、一時四〇分を迎える頃になって瞳がひりついてきたので、眠れるかどうか疑念があったものの本を置き、消灯して目を閉ざした。すると、思いの外にスムーズに入眠できたらしい。


・作文
 2:20 - 2:26 = 6分
 2:38 - 3:44 = 1時間6分
 10:52 - 11:05 = 13分
 13:26 - 13:33 = 7分
 15:33 - 16:07 = 34分
 20:40 - 21:43 = 1時間3分
 計: 3時間9分

・読書
 3:52 - 4:55 = 1時間3分
 11:11 - 12:40 = 1時間29分
 18:00 - 18:44 = 44分
 19:57 - 20:40 = 43分
 22:06 - 25:38 = 3時間32分
 計: 7時間31分

・睡眠
 1:30 - 2:10 = 40分
 5:00 - 10:30 = 5時間30分
 計: 6時間10分

・音楽