2019/4/14, Sun.

 早い時間から複数回目覚めていた。七時のアラームで一度本格的に起きたのだが、ベッドに戻ってふたたび意識を失ってしまい、気づけば八時二〇分頃を迎えていた。八時には起きたかったのだが、まあ良いとする。上階へ。洗面所で洗面台に向かい合って水を使っている母親に挨拶。米・汁物・モヤシの炒め物・前夜の鶏肉の残り・胡瓜の漬物を用意。卓へ。新聞の書評欄を読みながらものを食べる。松浦寿輝が新作を出したよう。前作『名誉と恍惚』は物語的な要素の強い、重厚な活劇だということを聞き及んでいるが、今回のものは評者によれば一種の「哲学小説」だと言う。テレビは『サラメシ』――先日放送していた会の再放送。スターダスト・レビューなどが映される。ものを食べ終える頃、父親が一段一段ゆっくりと踏みしめて階段を上がってきた。おはようと挨拶。そうしてこちらは薬を飲み、食器を洗って下階に下りてきた。一〇時半前には出なければならないのであまり時間はない。早速日記に取り掛かって、一〇分ほどで前日分とこの日の分を綴った。BGMはいつもながらのFISHMANS『Oh! Mountain』
 歌を歌う。FISHMANS "頼りない天使"に、cero "Yellow Magus"。それから「記憶」記事を読むよりも先に服を着替えたり歯磨きをしたりしたのだと思う。上はユニクロの臙脂色のシャツ、下は青味がかったグレーのイージー・スリム・パンツ、上着はグレンチェックの灰色の薄手コートであるが、歯磨きをする際に廊下や洗面所の鏡に自分を映してみると、上着とズボンの色味の兼ね合いが思ったよりも地味な印象を与えたので、ズボンは褐色のスラックスに変えることにした。それで、九時五〇分から「記憶」記事を音読、中国史や現代史の知識である。七〇番から八一番まで読んだところで一〇時一五分に達したので、そろそろ出かけようとコンピューターを停め、クラッチバッグに荷物をまとめて上階に行った。父親に出かけると伝える。遅くなるのかと訊くので、わからないが多分そうだと答えて、出発した。
 川向こうから祭囃子の太鼓の音が伝わってきていた。天気は全面薄白い曇りだが、坂に入る前に首を曲げて、右手で目の上に庇を作りながら直上を見上げれば、太陽の、光を放射していると言うよりは収束しているかのような白い姿が雲のなかに小さく見える。鶯の声の立つ木の間の坂を上って行き、平らな道を行って街道に出ると、北側に渡った。対岸のバス待機所の前に選挙掲示板が設けられていて、そこにポスターが貼られはじめていた。小公園の桜は遠くから見てもまだふわりと、こんもりとした薄桃色を保っていて、近づいて見る合間にも微風があっても花が落ちなかった。まだ二、三日は保つのだろうか。
 裏道に入り、白線に沿って進んでいると、選挙カーの放つ拡声された音声が、左方――北側――の丘に反射して煙のように撓んで響いた。選挙カーというものも、その存在意義がいまいち見出せない。まず端的にうるさいし、それを措いてもあれで伝えられるのはほとんど選挙が近づいているというその事実と候補者の名前のみで、それに加えて何か伝達される事柄があるとしても、皆せいぜい名前とともに表面的なスローガンを連呼するばかりで、内容希薄なことこの上なく、それをもとにした判断などするべくもないだろう。
 白猫はこの午前には見当たらなかった。日向が生まれず、日向ぼっこが出来なかったからかもしれない。春の陽気を迎えて鳥の声が多くなったようで、そこここでひっきりなしに降っており、電線の上には燕らしき小さな姿が見え、鵯が声を張ったかと思えば背後からは鴉が間の抜けたような鳴き声を響かせてくる。そんななかで選挙カーの音声が替わる替わる表通りの方から伝わってくる。
 駅前に続く裏道の途次でも、燕が斜めに滑空して宙を切っていた。駅に入るとホームに上がって、確か一番線に入ってくる電車を待ったのだったと思う。一〇時五四分発である。電車が入線してくると、乗って二号車の三人掛けに腰掛けた。そうして手帳を取り出し、道中のあいだのことを断片的なメモに取る。発車してからもちょっとメモを取って、終わるとその後は手帳に今までメモした事柄を復習する。山我哲雄『一神教の起源』を読んでいるあいだに記録したことなどである。電車は日曜日の午前中のわりに混んでいる印象だった。そうこうしているうちに拝島に着いたので降りる。降りたその電車の屋根の上に、鳩が飛んできて止まったのが遠くに見える。結構長く高いエスカレーターを上り、改札を抜けて左方に折れて西武線の方へ、ふたたび改札を抜けてホームに下り、一一時一九分だかに発車の西武新宿行きに乗った。腰を下ろして、ふたたび手帳を見やる。そのうちに発車。そうして手帳に記した事項を復習しているうちに時間は過ぎて、花小金井に着いた。
 改札を抜けて北口出口へ下りる。前日にグーグル・マップのストリート・ビューで確認したので、景色には見覚えがある。マクドナルドなどの入った小規模な複合施設が通りの向かいにあることを確認し、駅前通りを歩いて行く。桜並木を見て、並木繋がりで何故か小沢健二 "いちょう並木のセレナーデ"を思い出した。それでそのメロディを口のなかで小さく鳴らしながら歩いていく。青梅街道が近づいた頃、通りの向かいの何とか言う寺の前に枝垂れた桜が幾本か立ち並んでいて、薄桃色と明るい薄緑色を空中に差し込んでいた。
 左右に伸びる青梅街道に当たると横断歩道を向かいに渡って右折、ここからしばらく行くと科学館通りという道があって、そこに入ればあとは直進するだけである。科学館通りに入る手前にコンビニがあったので、腹も少々空いているし、おにぎりでも買って科学館に着いたら食うかというわけで立ち寄った。おにぎり二つ(シーチキンマヨネーズに鶏五目)とオールド・ファッション・ドーナツと、いつもセブン・イレブンで買う時と同じ品目を選ぶ。レジで会計。レジの店員は外国人で、「かじゅあ」だったか何だったか、自分の名前を平仮名で記した札をつけていた。会計を済ませると、ありがとうございますと相手の顔を正面から見ながら礼を言って退店。
 ビニール袋を片手に提げながら科学館通りを歩く。ここでは脳内BGMが確かOasis "Wonderwall"に変わっていた。そのうちにそれがまたcero "Summer Soul"に変わって、口笛を吹くというか、口笛未満の緩い感じで口のなかで音を鳴らしながら進んで行った。
 一〇分かそこら歩いただろうか、じきに多摩六都科学館着。門から入るとガードマンが挨拶をしてきたので、左方に折れて過ぎながら首を振り向かせて会釈をする。園庭に設けられているテーブル席に着く。テーブルのあの素材は何だろう、色はくすんでいて、プラスチックのような軽い、ちゃちな感じだったが。席に就き、おにぎりを食べだす。ツナマヨネーズからである。時刻は一二時一〇分過ぎだった。待ち合わせは一二時半だったのでまだ余裕があるというわけで、さっさとものを食って道中のことをメモに取ろうと思っていたのだが、しかし、おにぎり一個目を食べ終わる頃にこちらの傍らに立った影があって、見ればTだった。Kくんもこちらのすぐ背後に、忍者のように気配を消して立っていた。彼らがこれほど早く現れたのは誤算だった。こちらが一番に着いているとばかり思っていたのだ。二人は塔に登っていたと言う。あれだと言う方を向くと、視界の左方に茶色っぽい塔のようなものが見えた。彼女らは一二時ちょうどくらいにはいたらしい。
 話しながらものを食う。ドーナツ食べるとTに訊くと、ちょっと欲しいと言うので、袋を開けて、取っていいよと彼女に渡す。戻ったものを受け取ってKくんにも訊くが、彼はいいと言う。飲み物なしでよくそれだけ食べられるな、おにぎり二個にドーナツでしょと彼。俺、あんまり飲み物呑まないんだよね。あんまり喉が渇かない。しかし彼によると、水を一日二リットルほど飲むと老廃物を流しだすという健康の観点からは良いらしい。五〇〇リットルを四本分、とTが言い間違えて一同笑う。
 あたりには子供らが声を立てながら遊び回っている。一人の男児が、たこ焼き買ったよと親に向かって大きな声を上げて喜んでいた。お父さんと来ている子が多いねとT。お父さんが活躍できる機会なのかなと。そのうちに、彼女は、今日は靴下がお揃いじゃないねとこちらとKくんのそれを見比べる。色は同じく赤だったが、こちらのそれにはアーガイル柄が入っていた。ガーゴイル柄じゃない、とKくんが語感の響きの類似性を取り上げた冗談を言う。ガーゴイルって何?とT。悪魔的なやつだよ。ドラクエとかに出てくるじゃん。何か銅像みたいなやつだよね、動く像。
 と、そんな話をしているうちにT田もやって来た。それでまもなく、なかに入ろうということになる。立ち上がってすり鉢状の階段を下りて、底にある入り口へ向かいながら、Tは携帯電話でガーゴイルを調べていた。ドラクエ以外にも出るんじゃないとこちら。ファイファンとかと彼女。エフエフ。Fさんはファイナルファンタジーはやったことあるのかとあちら。ある。ただ俺の家にはプレステがなかったからスーファミのやつまでだけど。スーフャミでファイファンがあったんだ。Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、がスーファミだった、シックスなんかはよく出来ていて面白かったな。プレステから絵がすごく綺麗になるんだよね。そう、それは俺はやったことがない。
 入館。奥へ。チケット売り場に並ぶ。チケットは複数種類あるようで、どれを買えば良いのか。そもそも売り場の上方にある掲示が、目の悪いこちらにはぼやけて見えなかった。それで、この距離でもう見えないわと言うと、Tが、大丈夫、T田くんが聞いているからと。先頭にいた彼が、中年から高年くらいの歳の、制服姿の案内員に話を聞いていた。それで購入。一〇〇〇円の、入場及びプラネタリウム一回観覧の券。T田が先頭で一万円札を出してまとめて払ってくれたので、皆で彼に一〇〇〇円ずつ渡す。チケットは館を出る時にまた必要だとのこと。受け取り、駅の改札のようなタッチ式のゲートにチケットを当てて読み込ませて入場。プラネタリウムは二階である。現在時はB1だった。階段を上がって行く。
 プラネタリウム施設は「サイエンスエッグ」という名前だった。入口前に並ぶ。壁にはいくつか新聞記事やらが貼られてあって、なかの一つに、日本では物理系の大学だったか学部だったかに進む女性が少ないとの記事。各国のそうした大学の男女別割合を示した円グラフも載っていて、それによればサウジアラビアは女性の割合が高いらしい。七〇パーセントくらいか? イタリアは半々くらい。その記事を三行でまとめて、とKくんがTに無茶振りをする。彼女は何とかまとめて述べ、いいまとめだねとの評価を得ていたが、二行目、女性の物理学科への進学が少ない要因についてはあまり具体的ではなかった。記事を瞥見すると、やはり男女平等の意識の低さみたいなことが挙げられている。そうした意識の低い人には、女性は物理や科学に向いていないという先入観があると。しかしサウジアラビアだってイスラームの国で、どちらかと言えば、あるいはどちらかと言うまでもなく、女性の権利が軽んじられているのではないかと思うのだが、何故そんなに女性の割合が高いのだろう。T田が言うには、彼はモンゴル人の女性と付き合っていたことがあるのだが、その人から聞いたところでは、モンゴルでは男性はほぼ肉体労働に従事するような感じで、頭脳面の仕事は女性が担うらしいので、そうした文化的環境もあるのかもしれない。その記事について話したり、突っ込んだりしながらプラネタリウムの始まる時間を待つ。Kくんがよく喋っていたように思う。彼の高校だか大学だかも総合科学科だか何だかで、男子が圧倒的だったと。そのようなことを話したあと続けて彼は、男子が女装すれば良いんだ、みたいなよくわからない冗談を言った。女装して、こんな感じでくねくねして、と。そうすると別の意味での壁が出来ちゃうねと言ったのはこれは、件の記事の見出しで「見えない壁を打ち破る」というような文言があったのを踏まえてのことなのだが、この冗談は皆笑っていたものの、ポリティカル・コレクトネスの観点からはあまりよろしくないのではないかとこちらは思った。
 待っているあいだはこちらは、ものを食ったばかりだったことがあって、嘔吐不安が微かに湧いて、やや緊張し、そわそわと身体を揺らしていた。Tがパンフレットを見つけて人数分持ってきてくれた。四月と三月の星空の図が載っているもので、そのなかを見ていると、「かみのけ座」などというものがあって、そんなものまであるのかよと笑った。ただの折れ曲がった直線二本ではないか!
 じきに一時前に至って入場。先頭にT田、次にKくん、そしてTに最後尾がこちらという順番。ドームのなかは不思議な感じのする空間だった。白いスクリーンが正面から左右から天井から後ろまで長く広がり、続いている。その上には今はプログラムの広告がうっすらと、白い文字で映し出されていた。中央付近のちょうど四つまとまった席を取った。正面、すぐ前には紫色の、たくさん穴が開いた球状の機械がある。それが「CHIRON Ⅱ(ケイロン・ツー)」、プラネタリウム、つまりドームに星の映像を投射するところの機械である。のちの説明では、ドームの大きさは東日本では最大、そしてこのCHIRON Ⅱは世界一多くの星を映すことができ、その数は何と一億四〇〇〇万だと言うので、マジかよ、日本の人口よりも多いではないかと驚いた。
 シートを背後にちょっと倒しながら開演を待つ。係員が頻りに、始まる前にトイレを済ませておいてくださいね、飲み物も飲みたければ外で飲んでおいてくださいねと注意を促していた。そうして一時一〇分になって開演。生解説付きであるが、しかしこの演目のあいだのことを書くのが難しい――と言うか面倒臭いし、そこまで詳細に覚えてもいられない。まず最初に、部屋が一段階暗くなって、ドーム状スクリーンに多摩六都科学館周辺の航空写真が映し出された。この日、四月一四日のこのあと、午後四時頃をシミュレーションした映像である。それが次第に、係員の女性の説明に合わせながら、そして音楽にも――余談だが、待っているあいだには、おそらくAntonio Carlos Jobim作曲だと思われるブラジル音楽がBGMとして掛かっていた。Jobimの曲は、こちらの聞き込みが足りなくてどれも同じようなものに聞こえてしまうので、タイトルまではわからない。The Girl From Ipanemaではなかったと思う――合わせながら段々と暗くなって行き、午後八時頃の様子に推移していく。正面に映っているのは西の方角の風景で、一番星が輝きだしている。一番明るいあれが、シリウスという星だと言った。シリウスはすべての星のなかで最も明るいらしい。そしてそれから上方にあるもう一つ明るい星が、プロキオン、そこから右下に落ちていくとオリオン座の一角を占める星があって、それがベテルギウスだと。その三つが冬の大三角形。このあたりで確かドームはもっと暗くなり、街明かりがなくなったらというシミュレーションの下、星以外の光源がなくなって、無数も無数の甚大な数の砂子たちが映し出される満天の星空が現出したのではなかったかと思う。ベテルギウスというのはオリオン座の一角であるわけだが、それは「巨人の脇の下」という意味なのだと言う。言葉の響きのわりにあまりロマンティックではない。そしてベテルギウスから対角線上にあるやはりオリオン座の一つのリゲルという星は脚を意味していると言う。ほか、アルデバランという赤い星も右方の方にあってそれも紹介された。その近くにはやはり赤い火星も映し出されていた。
 じきにドーム状スクリーンが回転して正面が南の方角に移るのだが、こうして回転している時には、我々がいる部屋の方が動いているのではなくてドームの外縁の方が動いているはずなのに、どうしても座っている椅子の方が移動しているように感じられるのだった。そのようにしてドームが動いてからだったと思うが、ということはあれは南の空に光る星だということだと思うのだが、レグルスという星が紹介された。獅子座の一角である。この時、星座の形がわかりやすいように星を繋いで獅子の図がスクリーンに映し出されたのだが、それが怖かったのだろうか、どこかで幼児の泣き声が立った。それに対して係員の女性はすぐに、ごめんね、怖かったねと応じて、これならどうですかと新しく映し出されたライオンの絵が、可愛らしくデフォルメされたもので、これには観客一同から笑いが上がり、赤ん坊も見事に泣き止んでいたようだ。その迅速な対応ぶりから言って、どうやら獅子のところで子供が泣き出すというのは今までに何度かあった事態らしいぞと推し量られた。獅子座のすぐ右側には蟹座もあって、これも可愛らしい絵柄で映し出されていた。
 前半のことで覚えているのはそのくらいである。後半は、改元に合わせて、平成の時代に起こった宇宙上の大きなニュースを一〇個振り返ろうという企画だった。はやぶさとかはやぶさ2とかボイジャーとか色々あったが、覚えているのはまず、こちらが生まれた一九九〇年にハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられたというその事実で、ハッブルという名前は聞いたことがあったが、それはこちらの誕生年に打ち上げられていたのか、意外と最近なのだなと印象深く、記憶に残しておいた。ほか、木星に彗星だか隕石だか何だかが多数衝突した事件というものがいつだかにあったらしく、それで木星に開いた穴の一つ一つが、画像では木星全体からするとほんの小さなものに過ぎないのだが、それが一つで地球の大きさと同じくらいだと言うので、木星という星はどれだけ巨大なんだよと驚いた。BGMにも平成の時代というかそれぞれの年に流行った音楽が使われていて、槇原――槇原なんと言っただろうか、あの"世界に一つだけの花"の人だが、その人の"どんな時も どんな時も"と連呼するあの曲だとか、BUMP OF CHICKENの"天体観測"だとか、Mr. Childrenの"HANABI"だとかが流れていた。
 まあ覚えているのはそのくらいである。最後に黄道十二星座がやはり可愛らしくデフォルメされた姿でそれぞれ並んで映し出されたのだが、山羊座――ちなみにこちらの星座は山羊座である――の後ろ脚がなくて、人魚のようになっているのも、何でああなんだよと突っ込んだ。それで四五分のプログラムが終わって、明るくなったので席を立って退場。ここまででまだ二時頃のことまでしか書けていない。外出時間はあと七時間か八時間かそこらある! これから、このあと、科学館内部を見て回った時間のこと、吉祥寺に移動して喫茶店でのこと、同じく吉祥寺でのスープカレー店でのことを書かなければならない。何とも面倒臭く、気力のいる仕事だ。ここまで書くのに一時間四〇分ほど掛かっているので、あと二時間くらい記せば終わるだろうか? とりあえずここで一旦中断して一息入れようと思う。
 退場して、それから科学館内部の展示施設を見て回ったわけだが、これが盛り沢山で、とても書ききれないというかほとんど覚えていない。プラネタリウムと同じ二階には、「地球の部屋」というスペースと「自然の部屋」というスペースがあった。始祖鳥やアンモナイトの化石のレプリカが展示されていたり、水槽のなかに小海老や魚がいたりしたのだが、印象に残っているのはウニか何かの化石で、その学名を「パレオプネウステス・プソイドペリオダス」と言う。あたりに展示されている化石群のなかには名前がやたらと長たらしくてとても覚えられず面白いものがたくさんあったのだが、そのなかでもこれは特に長たらしく、響きも奇妙だったので、面白いからメモしておこうと手帳を取り出して記録したのだった。「自然の部屋」には、カタツムリやザリガニの生態の紹介などもあったと思う。その一角に昆虫の標本が壁に飾られているスペースもあって、そのなかではやはり揚羽蝶、それもミヤマカラスアゲハというものがうっすらと緑色が差し込まれていて美しかったのを覚えている。
 二階の展示を見終わると、エレベーターでB1に下りた。B1には展示の部屋は三つあって、「チャレンジの部屋」と「しくみの部屋」と、あと一つは何だったか忘れた。これらの展示を見ているあいだのことで覚えているのは反射神経ゲームである。土竜叩き的な要領で、台の上に複数ある円状の区画がそれぞれにランダムに点灯していく、それを両の手で追ってタッチするというゲームで、三〇回タッチし終えると停まるのでそこまで何秒掛かったかを競うものなのだ。こちらと二人で室内を回っていたTがそれを見つけて、子供から大人まで取り組んでいるのを見て楽しそうだから自分もやろうと挑戦したところ、一六・五秒だった。それでも結構速かったと思うのだが、今日の最高記録は一一秒だと言うので、どれだけ手を動かすのが速いんだと笑った。Tは離れていたKくんとT田も誘って挑戦させていた。機械の後ろからこちらはそれを眺める。Kくんは一五秒ほど、T田は一六・六秒という結果だった。やはり一一秒の記録保持者の速さが際立つものだった。
 ほか、MOON WALKという施設というか何というか、機械もあった。月面の、重力が地球の六分の一になった状態を体感できるというもので、クレーンのような機械の先端に人が座り、そのまま小さくジャンプすると、その動きを機械が感知してクレーンが一気に上方に持ち上がって、あたかも重力の小さくなった状態でジャンプしたかのごとくになる、とそんな趣向で、これもTがやってみたいと言って列に並んだ。周りに並んでいるのは皆小さな子供たちばかりのなかで、一人だけほかと比べて明らかに背の高い「大きなお友だち」が参加する図になったわけで、それを眺めているのはちょっと面白かった。彼女は何度もジャンプしてクレーンに持ち上げられながら、きゃあ! 高い!と声を上げて、子供たちよりも子供らしく燥ぎ、楽しんでいた。その様子を男子三人は離れたところから苦笑気味に見守り、Kくんが携帯で動画撮影していた。
 覚えているのはそのくらいのことなので、科学館の展示施設のことはそんなところで良いだろう。すべて見て回ると、喫茶室があるので行ってみようということになった。入館してすぐの、B1のフロアのロビーから階段を上って行くと、カフェがあった。入り口でメニューを見ながら――フロートやシェーキがなかなか美味そうだった――ここに寄って行くか、それともどこか街に出るかと話し合って、ひとまずバスで吉祥寺に行こうということに決まった。それで喫茶室には寄らずに階段を下ると、そこに自動販売機があったので、Kくんが水だけ買おうと言って購入する。それから退館、入った時と同じように改札のような機械にチケットを触れさせて読み込ませて退場である。
 バスの時間まであと数分しかなかった。バス停は六分か七分ほど歩いたところにあるらしく、T田が先頭でスマートフォンを使って道案内をしてくれた。早歩きで家々のあいだを進んでいくのだが、途中からいよいよ時間がやばいということで小走りになりだすと、Fさんが走るなんて珍しいと笑われたが、そうしなければ間に合わないのだから仕方がない。しかし確かに、この歳になるともう走ることなどほとんどなく、久しぶりの経験だった。はあはあ言いながら走って、街道らしき通りに出たところでバス停に着いた。やって来たバスに乗る。先払いで前の入り口から乗って、運転手に行き先を告げると彼がタッチパネルの上に載せて覆っていた手をどかしてくれて、それでカードを機械にタッチするというシステムだった。行き先は吉祥寺駅、終点である。代金は確か二六〇円くらいだったと思う。それでバスの後ろのほうに左右に二人ずつ分かれて着席した。こちらの右隣がT田、通路を挟んで左側がKくんとTである。
 バスのなかではまず、確かT田から、日記は順調かと訊かれたのだったと思う。順調だと答える。毎日書いていると。どれくらい書くのかと訊かれたので、出かけない日だと四〇〇〇字くらいだが、出かけると一万字くらいになるなと。出かけなくても四〇〇〇字も書くのか。これは帰りの電車のなかでのことだが、T田は文通というか週一くらいのペースでメールを送り合っている相手がいて、その人に対して綴るメールを一〇〇〇字くらい書いただけでも自分はかなり書いたなという感覚になると言っていた。その文通相手というのは『Steins; Gate』を主に二次創作の題材にしているらしい同人作家で、T田は三月の後半、その人に会いにイベントに行ってきたと言う。そのあたりの話も聞く。女性向けのイベントだと前には言っていて、いわゆるBLのことかと思うのだが、行ってみると男性の姿もちらほらあって、思ったよりも居心地悪くはなく、これなら大丈夫だというくらいだったと。しかし、当人と会うのには非常に緊張したと言う。メールだから言えるようなこと、有り体に言えば面と向かって言うのが恥ずかしいようなことも伝えているので、実際に顔を合わせるのは恥ずかしかったようだ。それで、向こうの方もあまり社交が得意ではない人柄のようで、それほど話は盛り上がらずに別れてしまったらしいが、その後も文通は続けていると言う。そういう仲間があるのも楽しく、良いことだろう。
 そのほか芸術の話を多少した。前回会った時にも、音楽が表現するべきはまず何よりも物語性や表象よりも音響効果であるという話をしたのだったが、そのあたりのことを踏まえてしかしT田は多少考えが変わったようで、純粋な形式的進化ばかりを求めるのではなくて、物語性も多少は追求していかないとというところに落着いたらしい。と言うのも、クラシック音楽の歴史を考えてみても、一九世紀のロマン派から離れて二〇世紀前半にはドビュッシーなどの印象派が前駆を成すような前衛音楽というものが生まれてきて、ドイツなどでは一二音技法というかなり理論的な現代音楽も発展した、そういうものを聞くとやはり直感的に聞きやすいとは言えないものになっているのであって、自分の好きでやるならそれでも良いけれど、多少なりとも受け入れられるという方向を目指して行くのだったら、やはり物語性というものも蔑ろには出来ない、とそんな感じのことを話していた。それを受けてこちらは、文学でも何でもそうだが、要は「意味」との距離の取り方ということだなと。あるいは「制度」や「定型」と言っても良いのだろうが、純粋な形式的発展を目指すとそれはいずれ行き詰まると言うか、二〇世紀のモダニズムのあたりでもうやれることはほとんどやられてしまっているわけで、例えば文学の世界ではジョイスという人がいると紹介する。『フィネガンズ・ウェイク』の名前は出さなかったが、ほとんど自分にしか通じないような、と言うか自分にすら通じないような言語を書いた人でと説明し、それはもう行き着くところまで行ってしまっている、だからそのあとの作家はその先には行けない、自分なりに物語や意味の方に戻ってきて自分なりの距離の取り方を見出さないといけないと。ヴァージニア・ウルフの話もした。『灯台へ』を今T田には貸していて、それを彼は非常にちびちびと読んでいて今現在第二部の途中にまで至っているようだが、『灯台へ』は何が革新的だったのかと訊かれたので、一九世紀以前の小説というものは基本的に外面的なことばかりを書くものだった、わかりやすい主人公がいて、その人物が外面から見てわかりやすい行為を行って物語が連ねられていく、それに対してヴァージニア・ウルフは内面の描写というものに特化した、「意識の流れ」などと言われるけれど、人間は常に何らかの考えを持っている、今やっていることとはまったく別のことを考えながら行為していることだってあるわけだ、ウルフはそうした面の表現を切り開き、外面と内面のあいだを針で縫って編み合わせるように滑らかに移行していく、そうした技法を確立したというような説明をした。だから時間の経過もあんなにゆっくりだろう? 『灯台へ』の第一部はほとんど一日のこと、と言うかそのなかの数時間のことしか書いていない、それであの分量になるわけだ。だから、人間が考えていることをそのまま文章にしたなら――勿論、『灯台へ』も人間の思考をそのまま書いているわけではない、あれは一種の約束事であって、人間の思考が実際にあんなに秩序立っているはずがないわけだけれど――あれくらいの分量は要るのだということを、まざまざと示したわけだ。
 ただウルフがやはり凄いというか……(としばらく考えて)頭がイっているなと思うのは(と苦笑する)、『灯台へ』で止まるのではなくて、その後に『波』という作品を書いているのだけれど、これはほとんど詩のような、音楽で言えばフリー・ジャズみたいなもので、『灯台へ』はまだしも伝統的な小説の枠組みのなかで、そのなかである一方向に向けて行き着くところまで行った小説だと思う、ところが『波』はもうほとんど小説の枠を破壊してしまうような作品になっている。ただやはり決してわかりやすい作品ではないけどね。『灯台へ』は名作と言って良いと思う、しかし『波』は名作とは言えないな……問題作かな(と笑う)。そんなような話をした。
 あとはフリー・ジャズの話も少しだけした。フリー・ジャズというものはこちらはあまり聞かないのだが、その少ない聴取経験のなかでも、やはりフリー・ジャズと言って大体同じようなことをやっているようでも良いものと悪いものとやっぱり結構あるもので、俺が好きなのはDerek Baileyっていうギターがいるんだけど知ってる? 知らないか。その人があれはドラムと、あれはトランペットかな、それと合わせて全然調性のないような、楽器の音だけみたいな音楽をやっていて、何か「カッ、カッ」とかいってギターを鳴らしているだけみたいな感じなんだけど、それが妙に良かったりするんだよね、と笑う。ほか、『灯台へ』のなかでは、第一部の一〇章だか一一章だかが全篇完璧だと思うということも言った。ラムジー夫人が灯台のレモン色の光を見て恍惚と満ち足りた気持ちになり、もうこれで十分、これで十分だわ、などと述懐している箇所だ。そんな話をする頃にはもう吉祥寺駅に着く頃だった。
 バスを降り、喫茶店に行ってケーキでも食べようということになった。それでKくんの先導についていく。吉祥寺には慣れていないし、どこをどう歩いたのかはわからない。じきに喫茶店の前まで来た。「多奈加亭」という店で、その横に「武蔵野文庫」という店もあって、これは相当に年季の入ったような雰囲気、佇まいで、こちらに入るのかと思いきやそうではなくて多奈加亭の方だった。武蔵野文庫の方はランチのカレーセットか何かが美味いとKくん。今回はケーキを食べるということで多奈加亭へ。
 隣との距離があまりない、少々狭苦しいような小さなテーブル席に座る。こちらはアイスココアを注文。ほかの皆はケーキをそれぞれ頼んでいた。最初頼んだケーキがどれももう在庫切れになっていて、逆にどれがあるのだと皆でガラスケースを見に行きながら決定していた。T田はマロンのロールケーキ、Kくんはクラシック・ショコラ、Tも何かショコラ系統のやつだった。飲み物はT田がアイスティー、Kくんはソフトのコーヒー、Tはローズヒップティーみたいなもの。それで雑談を交わす。
 高校時代の話。Deep Purple "Highway Star"をきっかけでT谷とバンドを組んだのだというエピソードをKくんに語る。どういうことかと言うと、こちらは高校の最初は、T谷やT田とは違うバンドに属していた。そのバンドはスピッツなどをやるような連中だったんだけど、教室で練習をしていて休憩時間があるわけだ。その時に俺が、"Highway Star"のあのギターソロの、たららら、たららら、という一六分音符のところを弾いていたんだよね。それで休んでいると、戸口にやってきて開けたやつがいて、何かを探すように左右を見回しながら、おかしいな、とか呟いているわけだ。で、また閉めて去って行く。それからまた"Highway Star"を弾いているとまたそいつがやって来て、今、"Highway Star"弾いてなかった、とか訊いてきた。それがT谷だった。それでじゃあ一緒にやろうぜということになって、俺はバンドを抜けて移ったわけだ。
 そのうちに、Tが作った新曲を聞いてくれということになって、T田の携帯にその音源が入っていたので、彼から携帯とイヤフォンを借りて聞く。ピアノとボーカルだけのバラードで、Tの曲はどれも結構そうなのだが、メロディのリズムに独特の感触があって、それがこなれていないように聞こえる時と、うまいずれとして嵌まっている時とあるのだが、今回は前者ではないかと思われた。特にAメロが難しそうだった。サビにはルートだけ推移させながら同じ音型でピアノの細かなアルペジオ奏でるという伴奏がつけられていて、それはなかなか良いと思い、Tがこれを作ったのだったらなかなか大したものだなと思ったのだったが、これはあとで聞くとT田がつけたものだと言う。上に書いたような点を伝えた。すなわち、メロディがあまりうまく流れていないように感じると。Tはそれにあまり納得が行かないような様子だったし、T田も自分はこれで良いと思っているとのことだったが、こちらの感じではやはりあまり滑らかではない。まあこちらが気にしすぎなのかもしれないが、例えば「新しい」という歌詞があった時に、「し」と「い」のあいだに間隔が出来てしまっていて、後者にアクセントがついてしまうのがやや不自然であるというような具体例を挙げた。それはおそらく、歌い方の問題、リズムがきっちり嵌まっていないことから来るのではなくて(それも勿論あるだろうが)、今のメロディの配置のままだと、リズム的に正確に歌ったとしてもあまり流麗には聞こえないのではないかと指摘した。まあわからない、歌い方でカバーできる面もあるのかもしれないが、そのあたりもう一度録ってもらって正確なリズムのバージョンを聞かせてもらいたいというところだ。
 ほか、アレンジはもうほとんど固まっているとのことだった。すなわちこの曲はピアノとボーカルだけで行く、そしてピアノのフレーズはもう大体、この時聞いた音源で完成形だと言う。それはどうかなと苦言を呈した。これで何分かと聞くと六分半だと言うのだが、六分半もピアノとボーカルだけで保たせるというのは結構難しい業である。この時聞いた限りだと、ピアノには明らかに遊びが足りないと言うか、伴奏として平坦になっているように感じられた。その点を指摘したのだがしかしT田の考えでは、それならそれでも良いと、あまりポップス的にフックを持たせるのではなくて、聞いていて眠くなるような曲になるならそれはそれで良いと思うとのことだったので、それならまあ良いのかもしれないが、こちらの基準からするとやはりもう少し遊びや幅が欲しいとは思った。
 その他話したことは覚えていない。七時近くになってそろそろ飯を食いに行こうということになった。ビーフシチューが美味い良いレストランがあると言う。それで退店し、ふたたびKくんの先導について歩く。TOMORROW LANDやらZARAやら服屋の並んでいる界隈を抜けて行って辿り着いた店は「ククゥ」という名前の、赤く急な階段を上がった二階にあるものだった。しかし、本日は予約のお客様で満席ですとの掲示が出されていた。二階に上がって入り口から覗き込んだTが言うには、「凄い男女」とのことだった。奇抜な男女がいたのではなくて、人間が凄くたくさんいたということだろう。それで別の店、スープカレーの店に行こうということになった。路地を歩いて、店に着く。「Rojiura Curry SAMURAI.」という店だった(最後にドットが付されているのがおそらくこだわりのポイントなのだろう)。入店。テーブル席へ。スープカレーで、基本メニューを選んだあと、レギュラーかマイルドか風味を選び、辛さの段階を選び、ライスのサイズを選ぶという注文方式だった。Kくんは野菜カレー、T田も野菜カレーにザンギをトッピング、Tはチキンカレー。こちらは、ふんだんに野菜を使っているカレーが売りだということだったので、二〇品目もの野菜が入っているカレーを選び、スープの味はレギュラー、辛さは「普通」(一段階)、ライスはSサイズを選んだ。Sサイズだと標準よりワンサイズ少なくて五〇円引きになるらしかった。あまり多くてもと思ってそうしたのだったが、食べ終わったあとは実際まだまだ行けたなという感じだった。
 辛さは「普通」の段階でも結構辛く、Tも辛い辛いと言って、こちらがピリ辛だねと言うとピリじゃなくて普通に辛いと受ける。T田は六段階目の辛さを頼んでいて、それがかなり辛かったようで、食べながら涙を滲ませていて、それを見てTは、泣いているなんて珍しい、初めて見たと言っていた。これはゆっくり少しずつ食べないと喉がやられるとT田は言って、実際非常にちまちまとゆっくりと食べていて、ほかの三人が食べ終えたあとも食べていたのだが、結局残すことなく見事完食していた。
 品物が来るのを待っているあいだ、また食事が始まって初めのうちにもそうだったかもしれないが、こちらがやっている読書会やそこから派生して中国の話をしていた。読書会は大学の同級生とやっていると。今回は『一神教の起源』という本を読んで、前回は中国に関する本を二冊読んだと。そこから中国の話になって、Mさんから聞いた抗日ドラマの荒唐無稽さだとか、中国人の最近の親日度合いだとかについて話したが、そのあたりは過去にも日記には書いたので、面倒臭いのでここに繰り返すことはしない。
 食後、こちらのカレーに入っていた野菜をすべて書き出してみようということで手帳を取り出してメモを始めた。実のところ壁に品目一覧の掲示があったのだが、この時はそれに気づいていなかったのだ。自分では一〇個くらいしか思い出せず、皆が協力してくれて二〇個すべて思い出したのだが、それらは、水菜・ジャガイモ・薩摩芋・パプリカ・ピーマン・キクラゲ・茄子・トマト・牛蒡・玉ねぎ・南瓜・大豆・ブロッコリー・大根・人参・レンコン・オクラ・ヤングコーン・小ねぎ・キャベツであった。そのままこちらは手帳を出したままにして、雑談を片手間に聞きながら、この日のことで思い出したことを極々断片的にメモしていった。
 食後、T田と多少音楽の話をした。彼には先日、Marvin Gaye『What's Going On』と、Gretchen Parlato『Live In NYC』を貸したのだった。そのあたりの話。やはりソウルのリズムというのは気持ちよさが格別だよねと。ボーカルもリズム感が際立っているとあちら。Parlatoの方はどうだったと訊くと、よくわからないが、クソ実力あるのはわかると。ドラムはどうかと訊けば、ああいうジャズの歌伴のドラムというのをああいう風にバタバタやろうとすると、うるさいなというようになってしまいがちだと思うけれど、全然そうはなっていなくて、曲の流れに溶け込みながらも瞬間瞬間に反応しているのが凄いという評言があった。
 話したことはあまり覚えていないが、大した話もしていないはずなのでそんなところで良いだろう。店を出たのは九時頃だっただろうか? わからない。多分九時を回っていたとは思う。個別会計して退店。「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」というUPLINK吉祥寺の映画のチラシがあったので一枚貰っておいた。KくんとTの後ろにT田と並んでついて駅に向かう。途中、T田が二人の結婚のことを話題に出すと、Tは、結婚式はやらないつもりだと言う。いいね、とこちらが受けると、いいでしょ、と。特段にやる必要性を見出せないらしい。彼女の母親も別にそのあたりにこだわりはないようで、やらないならやらないで良いという立場らしいが、Kくんの方の親御さんがどういう意向でいるかはわからないとのこと。
 そうして駅に着き、改札を抜けてホームに上がる。電車をちょっと待って乗車。一駅乗って三鷹でTとKくんは降りる。発車間際、袖を引かれたので見れば、Kくんがこちらに手を差し出しているのでその手を受け取って握手する。じゃあなS!と下の名前で呼ばれるのに対し、じゃあな!と同じように受けながら、相手の下の名前がわからなかった。Jだと教えてくれるのを受けて、じゃあなJ!と言い直し、別れる。その後は立川までT田と同道。Uさんに送ったメールなどの話をする。
 立川着。エスカレーターを上り、上の通路のところでまた数分話してから別れる。一番線へ。ホームに降りて乗車、扉際に就く。その後はひたすら、携帯電話をぽちぽちやって今日のことをメモしていく。三〇分ほどで青梅着。御嶽行きが既に来ていた。向かいに乗り換え、席に座ってふたたびぽちぽちとやり続ける。声の大きな連中がいて、騒々しく話しながら時折り一同で笑い声を立てていた。そのうちに発車して最寄り駅着。駅を抜けて、携帯を片手に持って相変わらず文字を入力しながら坂を下り、家路を辿った。人のまったくいない夜道だからそれができる。
 帰宅すると一〇時半か一一時かそのくらいだったと思われる。すぐに入浴。その後は、「一日出かけて帰ってきた日の夜は、普段の日々に比べて日記が長くなって骨が折れるのがわかっているので、さっさと書きはじめれば良いのにむしろ作文から遠ざかってしまい、だらだらと夜更かしをしてしまう傾向がある」とTwitterに呟いた通り、日記を書くでもなく、かと言ってすぐに眠るでもなく、ひたすらにコンピューター前でだらだらとしてしまった。二時からベッドに移り、菊地章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム――一神教の連環を解く』を三〇分ほど読んでから就寝。


・作文
 9:05 - 9:15 = 10分

・読書
 9:51 - 10:14 = 23分
 25:59 - 26:26 = 27分
 計: 50分

・睡眠
 1:00 - 8:25 = 7時間25分

・音楽