2019/4/16, Tue.

 一一時起床。この朝も選挙カーが代わる代わる自宅周辺にやってきて内容希薄な演説をしていた。寝床に射し込む熱烈な陽射しを肌に受けているのが心地良くて、ぐずぐずと留まってしまう。起きると上階へ。両親は出かけている。母親は着物リメイクの仕事だが、父親がどこに行ったのかは知れない。車が運転できるようになったから、今日からもう仕事に行ったのだろうか? 台所に入るとフライパンに炒飯が拵えられてある。それを大皿によそって電子レンジに突っ込み、二分半をセットして、待つあいだに便所に行って便器の上に座り込み、小便を放つとともに糞を垂れた。出てくるとちょうど炒飯が温まったところだったので、取り出して卓に就き、食べる。新聞を見ると、中国で胡耀邦元総書記の死去から一五日で三〇年とある。この総書記の追悼集会から、いわゆる六・四天安門事件は始まったと聞いている。それで当局も運動の高まりを当然警戒していて、胡耀邦の死去三〇年追悼行事には警官や当局者が監視に当たったと言う。その記事だけ読んで食事を終え、抗鬱剤ほかを服用すると皿を洗った。そうして自室に戻ってくると、今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しながら日記、前日分はさっと仕上げて、この日の分も早々とここまで綴って一一時四六分。
 前日の記事をブログとnoteに投稿。そうして正午を回った頃から、Mさんのブログを読みはじめた。二日分。彼も授業に学生たちとの交流にと日々忙しいだろうに、よくも毎日日記を書き継ぐことが出来るものだと思う。それから、fuzkueの「読書日記(130)」。これも二日分読み、Antonio Sanchez『Three Times Three』をバックに「記憶」記事を音読しはじめたのが一二時四五分だった。上にも書いたが、胡耀邦元総書記の追悼集会から天安門事件が始まったという説明の記述を読んで中国史を終わらせたあと、ムージルアフォリズム的な文言――例の、「崇高な状態を明白な言葉で表すと、それは低能の表現に似ていなくもない」などのものだ――を読み、『西洋哲学史Ⅰ』からの記述も読む。カントによる独断論的反論・批判的反論・懐疑論的反論の区分についての記述や、アナクサゴラスの世界観についてなど。そうして一時を回ると、音楽を流しっぱなしのまま、運動に入ることにして、まず屈伸運動を行って下半身をほぐした。それからベッドに仰向けに寝転がって腹筋運動、休みを入れながらしばらく行い、それが済むと上階に行った。
 両親とも帰ってきていた。風呂を洗う。浴室に入って洗濯機に繋がっているポンプを持ち上げて水を排出させながら、カーティス・ヤーヴィンだのニック・ランドだのの名前を頭のなかに巡らせる。それから浴槽に洗剤を吹きつけて擦り、下辺は念入りにごしごしやっておいて、シャワーで流して完了、栓と蓋を戻して室を出た。ホットドッグを買ってきたと言うのでそれを頂くことに。二つあって、自分の分も温めてくれと母親が言うので、一つをまず電子レンジに入れて三〇秒加熱、それを母親に渡してからもう一個を同じように加熱し、卓に就いて齧った。テレビは『ごごナマ』で、なかにし礼が出演していた。立川に出かけると告げる。喫茶店、と向かいの母親が訊くので――父親はソファに就いてテレビに目を向けながら歯を磨いていた――まあそう、と曖昧に受けた。ホットドッグを食べ終えると、笊を持って玄関の方に出て、戸棚のなかから米を三合カップで計って取り出し、台所の流しに向かい合ってそれを磨いだ。そうして炊飯器にセットして一八時五〇分に炊けるようにしておくと、ヨーグルトを冷蔵庫から取り出して小さな椀に移して食べた。それで靴下を履いて下階に戻り、cero "Yellow Magus (Obscure)"を歌いながら服を着替える。上はGLOBAL WORKのカラフルなチェック柄のシャツ、下はグレーのイージー・スリム・パンツである。その上にはテーラード・ジャケットを羽織るつもりでいる。"Summer Soul"も続けて歌い、そうすると音楽を止めて日記を書き出し、ここまで一〇分少々で綴るとちょうど二時である。風の強そうな日だ。
 ジャケットを羽織ってリュックサックを持ち、部屋を出た。階段下の室にいた父親に行ってくると告げる。階段を上がり、引き出しからMarie Claireのハンカチを取って尻のポケットに入れ、何やら玄関に出ていく母親のあとからこちらも玄関に行き、行ってくるんでと告げて出発した。玄関を抜けた瞬間から風が流れており、林の竹の葉がさらさらと鳴り響いている。しかし寒さ冷たさは一片も感じられず、まるで初夏のような陽気である。選挙カーの音声が遠くから伝わってきていた。坂を上って行くと前方から下りてくる女性があって、こんにちはと言ってくるのにこちらも挨拶を返せば、先日遭遇したオレンジのマスクの――この時にはつけていなかったが――婦人だった。よく会うね会う時は、と相手は言う。それに続けて、気をつけてね、行ってらっしゃいと言われるのにありがとうございますと返して過ぎた。しかしそのようなやり取りをしながらも相変わらず相手が誰なのかわからず、マスクをつけていない顔貌にもやはり見覚えはなかった。失礼ですがお名前は、と尋ねれば良いのだが、やはりそういう気にもなれない。それで誰だかわからないままに坂を上って行き、街道に向かいながら空を見上げれば雲は背後、西南の空に幽かに塗られているのみで、陽射しはなかなか熱烈で、ジャケットがいらないくらいだった。
 街道に出て歩いて行き、小公園の前に差し掛かると足もとに散った桜の花弁が微風に掬われて小さな渦を作り出しており、公園のなかを覗けば砂場の一角に小さな幼児が赤く小さなスコップか何か持って甲高い声を上げていて、砂場の外から母親がしゃがみこんでその姿にスマートフォンを向けていた。裏通りに折れると、日本共産党の市議会議員候補、F.H氏の選挙カーが停まっており、近くの宅の入り口で、そこそこ洒落た帽子を被った当のF氏が家の高年男性と話している姿もあった。そちらの方を見やりながら過ぎ、歩いていくうちに後ろから選挙カーがやって来て、追い抜かされる際に車の後部座席に乗ったスタッフの、オレンジ色のジャンパーか何か身につけた中年女性が会釈をしてきたのでこちらもぺこりと頭を動かした。共産党選挙カーは、東青梅市民センターだか何だかがこの三月三一日で廃止されてしまいましたとまず指摘し、釜の淵やそのほかの施設もこれから廃止されてしまう、この冷たい市政に審判を下しましょう、みたいなことを言い、そのあたりまだしも今まで聞いたほかの候補者の言葉よりは具体性がある。それからお定まりの、自民公明に対する批判も繰り出していた。こちらはF氏には、以前我が家を訪れてきたこともあって、その時受けた感触からするとそう悪い印象もない。一応今の与党にはあまり良い印象を持っていない身だから、野党側を応援しようと思ってはいる。そうすると立憲民主党共産党かというところで、共産党は国政レベルでは防衛政策に賛成できないから投票しようとは思わないが、市政レベルだったら反与党勢力を一定程度確保する必要性から投票するのもありだろうと思う。下を向いて歩きながらそのようなことを考えているうちに、白猫のいる宅の前をいつの間にか過ぎていて、猫がいたかどうか確認し忘れたことに気づいた。しかしわざわざ戻るほどのことでもない。
 梅岩寺の桜はそろそろ終わりのようだった。駅に着くと改札を抜けてホームに上がり、一番線の方を歩いてホームの先の方まで行く。背後の小学校の校庭には紅白帽姿の子供らがたくさん集まっている姿が見えた。手帳を取り出して、道中のことを極々断片的な単語でもってメモしていく。まもなく電車がやって来たので乗り、リュックサックを背負ったまま三人掛けに座り、メモを終えると過去のメモを読み返した。そうこうしているうちに河辺に着く。降りるとホームには風が強く流れていて、エスカレーターに乗っていても背後から厚く吹き込んでくるものがある。改札を抜けて駅舎を出、歩廊を渡って図書館前へ、ブックポストに川上稔境界線上のホライゾンⅣ』の上中巻を入れた。中巻を読み終わらないうちに返却期限が来てしまったのだ。一四日がそうで、ホームページにアクセスして期限延長の手続きをするつもりが、一四日は一日外出していてすっかり忘れていたのだった。しかしこのライトノベルも読んでいると結構時間を取られるもので、しかも自分がそれほどこの作品を読みたいのかどうかもいまいちわからず、今後読み継いで行くかどうか怪しい。そんなことをしているよりも、もっと英語を読むなり、英語でなくても文学や哲学を読むなり、やるべきことはいくらでもあると言えばあるのだ。
 そう言えば、図書館に向かって歩廊上を歩いている時に、H先生とすれ違った。塾で働いていた時の同僚、と言うか後輩である。彼の顔に視線を送りながらすぐ傍を通り過ぎたのだったが、あちらはこちらに気づかなかったようだった。気づかないふりをしたのかもしれないが、視線が一貫してこちらの顔からは逸れていたし、こちらの私服姿というものを見たことがないだろうから、気づかなくてもおかしくはない。ブックポストに本を入れてすぐに図書館からふたたび歩廊を戻りながら、彼の姿が駅に入って行き、改札の方に折れるのが見えていた。そのあとを追うようにしてこちらも駅に入って改札を抜け、彼がいたら話しかけようと思いながらエスカレーターを下ったが、彼の姿はなかった。どうやら違う方向に下りたらしい。それで二号車の端、三人掛けの位置に立ち尽くしてふたたび手帳を眺めた。そうしてやって来た東京行きに乗り、南側の三人掛けに座った。
 菊地章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム――一神教の連環を解く』を読みながら到着を待つ。立川に着くと降りて、壁に寄って手帳に読書時間をメモした。階段の方を見るとそれほど混んでなさそうだったので、人が捌けて行くのを待たずに階段口に向かい、上って行くと駅構内の人波も薄い。改札の外も同様で、平日であろうと立川は人波が厚くうねっている印象だったが、そういう時ばかりでもないらしい。改札を抜けるとLUMINEに入った。何となく、服でも見ようという気持ちになっていたのだ。目当てというほどのものもないが、何か軽い上着かジャケットの類で良いものでもあれば欲しかった。最初に二階にあるUNITED ARROWSに入って見回ったが、やはりここは品が高くて手が出ない。それですぐに出てエスカレーターを上がって六階に行き、UNITED ARROWSの廉価版レーベル、green relaxing labelに入った。その後、tk TAKEO KIKUCHI、JunRedなど回ったが、いずれもはっきりとピンとくるような品はない。最後にふたたびgreen relaxing labelに行って見分し、三〇パーセントオフになっていたカーディガンを取り上げて試着しようと鏡に寄ると、店員が試着なさいますかと話しかけてきた。試着室を使いますかと言われたが、結構だと答え、荷物はこの上に置いちゃっていいですよと手近の台の上にあった服を片寄せてくれたのに礼を言ってそこにリュックサックを置き、店員が広げてくれたカーディガンに袖を通した。まあ可もなく不可もなくという感じだった。脱ぐとほかにも試着なさいますかと来たので、ちょっとまた見てみて良いですかと答え、荷物と脱いだジャケットは置いたままに店内を回り、シャツに目を付けた。それで、インディゴ染めの濃いネイビー・ブルーのもの、オレンジと茶色の中間のようなチェック柄が入ったもの、真っ白なシャツ二枚――一枚は薄手の綺麗なもので、もう一枚はもういくらか生地の厚いもの――を試着させてもらうことにした。顎髭のやや豊かな店員に導かれて試着室へ、入ってそれで三枚を着てみた(最後の生地の厚い方の白シャツは、薄手の方を着れば何となく見え方がわかったため、試着しなかった)。なかではインディゴ染めのチェック柄のものが、これはボタンも、あれは何という方式なのか、カチッと押して嵌めこむタイプで、襟もないのがちょっと珍しくて結構気に入った。Mサイズだと袖が僅かに長いかなという感じだったのだが、店員に訊くと、このシャツは元々のタイプとしてそのように少々緩く着るような品になっていると言うので、そのくらいの方が丁度良いのではとのことだった。それで、同じタイプのものの色違いも試させてもらうことにした。色は薄青、柄はストライプだが、これよりは元のネイビー・ブルーの方が良いなと思われ、最後にふたたびそれを着たのだが、しかし冷静になって考えてみて、これを買う必要が今あるかと疑問すると、特に必要性はない。シャツはわりと手持ちに揃っているのだ。そもそも今日は上着を見繕いに来たのではなかったのか。品物としても、決して悪くはないしどちらかと言えば良いが、どんぴしゃでピンときているわけでもない、というわけで、色々試着させてもらって店員には悪いが、ここでは何も買わずに去ることにした。それで試着室を出て店員に、インディゴのものがかなり良かったんですけど、と声を掛け、しかし決めきれない……と迷いを残した口ぶりで言った。それからまた考えてみますと告げ、たくさん試着させてもらったのにすみませんと謝り、また来ますので、よろしくお願いしますと言い残して別れ、退店した。
 HMVの下にある古着屋に行ってみようと考えていた。元々HMVでCDを買う用があったのだ。それはBill Evans Trio『Waltz For Debby』を買うためで、この大名盤を今更買うと言うのは、Tにあげるためなのだ。一昨日会って音楽の話をしていた時に、そこに名前の挙がった音源を今度持ってくると言っておいたのだった。彼女はあまりジャズには興味がないかもしれないがそんなことは知ったことではない、Bill Evans Trioの一九六一年六月二五日のライブ盤は言うまでもなく歴史に残る大名演の集積であり、史上最高の音楽の一つなので、誰もが聞くべきだし、何だったら所有しておくべきなので、彼女の意向には関わりなくこの音源はプレゼントするつもりでいるのだ。こちらの自己満足である。それで、こちらは勿論この音源を持っているのだが、こちらが持っているのは三枚組のコンプリート盤であり、それを貸すのはさすがに初心者には厳しいので、世に広く流通している方の編集盤『Waltz For Debby』を改めて入手しようと思っていたのだった。
 それでエスカレーターを下りて二階まで行き、駅通路に出、そこから駅舎を抜けて広場に出て、HMVの方に歩いて行く。ビルに入ると先に服屋に行くことにしてエスカレーターを一階に下った。古着屋の名前が思い出せないでいたのだが、Tresure Factoryという名前だった。入店し、ジャケットの区画を見に行く。なかなかぴったり来る品はないだろうなと思っていたところが、服の並びのなかに一着、明らかに状態の良いものがあって、見ればBANANA REPUBLICのもので、薄目の青色のものであり、元々三五〇〇〇円程の品が八〇〇〇円まで下がっている。しかも未使用品とあって、状態の良いのも頷ける。しかしサイズはどうかと羽織ってみたところが、これがほとんどぴったりで、雰囲気もなかなかフォーマルにぱりっとしていて、これはもう買ってしまうべきではないのかと思われた。これを購入すれば、ジャケットは二着になって、当分着回すことが出来るだろう。そういうわけで購入を即座に決断し、これでもう今日の目的は果たしたとばかりにほかの品には目を向けず、レジに行って会計した。
 それから二階に上がり、HMVに入店してジャズの区画を見に行ったが、この店のジャズ区画は以前から縮小が目立っていたものの、さらに縮小されて、フロアの角の一列に押し込まれている。それで、Bill Evans Trio『Waltz For Debby』ほどの有名盤を置いていないはずがないと思っていたところが見当たらず、マジかよと慄きながら店をあとにした。ディスクユニオンに行ってみるかと思った。中古屋ならばないはずがないだろう。それで高架歩廊を東に向けて歩く。正面から激しく吹きつける風のなかを歩いていると、歩道橋の脇から見晴らした東の空に、先史時代の恐竜の卵を思わせるような、半月から少し膨らんだ月の姿がうっすらと現れ出ていた。階段を下りて下の通りに下り、変わらず強い風のなかを行くが、交差点の信号がそろそろ変わりそうだったので小走りになり、青信号に変わるのに間に合って横断歩道を渡った。そうしてディスクユニオンへの階段を上る。時刻は四時五〇分だった。
 入店。J-POPの区画からまずFISHMANSの欄を見るが、やはり手に入れたいライブ盤は見当たらない。それでジャズの方に移り、Bill Evansの区画を見ると、『Waltz For Debby』は予想通り見つかった。しかも二枚ある。一枚は国内盤、例のSHMだったか、アルファベット三文字の、高音質とかいうやつで、もう一枚はいくらか古そうな輸入盤だった。前者が一一八〇円、後者が三八〇円で、迷ったが、プレゼントするものだし音質も良い方が良かろうということで、前者を買うことにした。そうしてジャズの新着だけ見て、Rebecca Martinの例の、あれはデビュー盤だっただろうか、Kurt RosenwinkelにLarry GrenadierにBrian Bladeがバックを務めている盤が七八〇円であってこれはちょっと欲しかったけれど見送ることにして、レジに行こうとしたら先客が会計をしていたのでそれからまたちょっとJ-POPの欄を見分したが、特に目立ったものは見当たらない。一つ、Ovallというアーティストの盤があって、これは確か高校時代か大学時代に高校の同級生のN田が好きでこちらに聞かせてくれたこともあるものではないかと思って、結構悪くなかったような記憶が残っていて、その時聞かされたのはヒップホップ的な、ちょっとジャストからわざとずれたリズムを人力で再現しているようなものではなかったと思うのだが、詳しい前情報なしで購入するのにリスクを感じたので今回は見送ることにした。それで会計し、退店。
 横断歩道を南へ渡り、通りをちょっと進んでもう一つ横断歩道を今度は西へ向けて渡って、向かいの通りに移ってPRONTOに入店した。レジを素通りして二階に行き、二面を壁に接した席を取った。CDをリュックサックに入れておき、財布を持って下階へ、腹が減っていたので何か食おうと品揃えを見ると、しかし食べ物は結構もうなくなっていてサンドウィッチくらいしか食指に合うものがない。それでツナと卵とサンドウィッチを取り、それと一緒にアイスココアの一番大きなサイズを――喉もかなり渇いていたので――注文した。合わせて六六〇円。七一〇円を出して五〇円を釣りに貰い、お気をつけてお持ちくださいと差し出されたトレイを受け取る。確かにLサイズはグラスが大きくて、バランスを崩すと倒してしまいそうな雰囲気だった。慎重に持って階段を上り、席に戻るとお手拭きで手を拭ってサンドウィッチを食べ、それからココアの生クリームをすくい取って食い、一回で三分の一ほど一気に吸いこんで飲んで喉を潤すと、コンピューターを取り出した。五時一六分から日記を書き出し、一時間強でここまで綴って六時半。
 帰宅することにした。その前に席を立ってトイレに行く。個室に入って放尿し、トイレットペーパーで便器を拭いておくと水を流して、手を洗ってハンカチで拭いながら便所を抜けた。席に戻ってくると脱いでいたジャケットを羽織り、荷物をまとめてトレイを持って席を離れた。恐れ入りますと近寄ってきた男性店員にトレイを丁寧に渡し、ありがとうございましたと告げて階段を下り、退店した。
 通りに集まっている若い男女らの脇を抜けてエスカレーターを上り、高架歩廊に出ると駅舎へ。通路を通っているあいだのことで、特段に深い印象は残っていない。人波の一部と化して改札を抜けると、青梅行きは六時三八分だかで、腕時計に目を落とせばあと一分しかない。これは間に合わないかなと思いながらも一番線に向かい、階段を下りると電車がまだ停まっていたので小走りになって先頭の――進行方向から見れば最後尾の――一号車に寄ったところでベルが鳴った。スイッチを押して乗り込み、ちょっと移動して扉際を取って、手帳を取り出した。メモしてある事柄を復習する道中、特段に目立った記憶は残っていない。青梅行き着予定は七時一四分、確か奥多摩行きは七時一五分の発車だったはずで、乗り換えに一分の猶予しかないので、東青梅を発車して青梅が近くなると途中から腰掛けていた席を立ち上がり、車両を辿って三号車まで移動、そこで降りて向かいの奥多摩行きの最後尾に乗り換えた。そうして引き続きメモを復習し、最寄り駅に着くと停まっている電車のなかの顔触れを見やりながらホームを移動し、駅舎を抜けた。横断歩道を渡って坂に入る。空には月が浮かんでいたと思うが、よくも覚えていない。帰路の印象も特にない。
 帰宅すると台所にいた母親に挨拶する。焜炉に寄ると、卵焼き器を使ってコーンと鶏肉のソテーが作られてあり、フライパンの蓋を外すとそこには鯖が焼かれてあった。それを見てから下階に戻り、Tresure Factoryの袋をリュックサックから取り出して上階に戻り、ジャケットを買ってきたと母親に告げる。古着屋で三万五〇〇〇円の品が八〇〇〇円だった、しかも未使用でと説明して、着ていたジャケットを脱いで袋から品物を取り出し羽織ってみると、小さいんじゃないのと言われた。確かに僅かに窮屈な感じはしないでもないのだが、玄関の鏡に映して見てみても、袖の長さはぴったりだし、小さすぎて変だという感じもしない。この時履いていたズボンは青味混じりのグレーで、ジャケットも似たような色なのでその点は調和しているとの評価が下った。それから自室に戻り、コンピューターを机上に据え、服を脱いでジャージの下だけ履き、上は黒い肌着のままの格好になった。携帯電話を見るとT田からメールが届いていた。先日話題に出たのだが、彼が選集したクラシック音楽の音源をダウンロードできるURLを送ってきてくれたのだ。LINEの方にも送ったがご覧になっていないようだったので、とあったので、コンピューターを立ち上げてLINEにアクセスし、そちらの方で礼を送った。それで早速音源をダウンロードしてみると、ルネサンス期のものから二〇世紀のラヴェルの近代音楽まで、全一四曲、時代順に揃っている。それにしかも、T田本人が綴った解説文書までついているもので、結構手間が掛かっている。最初の一曲はクレマン・ジャヌカンというフランスの作曲家の、"鳥の歌"("Le chant des oyseaulx")という曲で、鳥の歌と言えばこちらに思い出されるのはPablo Casalsのことであり、これはカザルスが取り上げた曲――ではないのか、あれはカタルーニャ民謡だったか? とLINEで送ってから当の音源を聞いてみると、まったく別物の、四声の合唱曲だった。ルネサンス期の音楽は三度を含まず一度と完全五度のみで終止するのが特徴だと解説には記されていて、これはロック音楽で言うところのいわゆるパワー・コードなのだが、確かに聞いてみるとパワー・コード特有の野太さ、力強さで終止していることが聞き分けられたので、パワー・コードで終止するのが力強いなとも続けて送っておいた。T田からは、そうなんだよ、ルネサンスの合唱曲は大体そう、との返答があった。
 そこでコンピューター前を離れて上階に行った。卓には父親が就いており、炬燵テーブルの方には母親が座って、食事を取り終えたあとか、取っている途中だった。お先にと父親が言ってくるのにああ、と受けて、サンドウィッチを食って腹がそんなに減っていなかったので、先に風呂に入ると言って浴室に行った。さほど長く掛けずに入浴し、出てくると米をよそり、鶏肉のソテーと鯖を温め、そのほかサラダか何かあったはずだがよく覚えていない。テレビは鈴木浩平という人だったか、眼鏡を掛けた俳優の人――確か、『LIAR GAME』のキノコ頭の男の訳をやっていた人ではなかったか?――が、旧餃子の王将経堂店の炒飯が好きで、今はもうないその旧店舗で店長をやっていた人を探すという企画をやっていたが、最終的にその元店長は亡くなっていたことが判明した。食事を終えると食器を洗って下階に下り、それが九時を過ぎた頃合いだったと思う。T田のクラシック選集を流しながら安江伸夫「今さら聞けない「日韓関係」…対立の構造と背景にある歴史」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63796)を読んだ。一方で、LINE上で二〇日の土曜日に行く映画の時間と場所の話し合いもしていた。T田が買った前売り券の事情で時間が朝早くか夕方からかしかないらしい。元々川崎でで観る予定だったのだが、そこで九時二五分始まりだときついかと来るので、川崎に九時に着くとすると自分は七時五分の電車に乗らなければならないと苦笑気味の返答を送った。それでは昭島九時四五分開始ではどうかと続けてきて、電車の時間を調べてみると、昭島ならば最寄り駅を八時四五分頃の電車に乗れば間に合うので、まだ可能性はあると返答した。その後もほかのメンバーも交えてやり取りは続いて、最終的に昭島九時四五分の回を観ることになったようだったが、こちらはことによると寝坊をしかねない時間である。いつも一〇時一一時くらいまでだらだらと寝過ごしているので、起きられるかどうかあまり自信はない。手帳にメモを取りながら――一九九八年一〇月に金大中が来日して日韓共同宣言が発表されたとか、韓国大統領の任期は五年であるとか、河野談話は一九九三年であるとかそういった基本的な事項だ――安江伸夫「今さら聞けない「日韓関係」…対立の構造と背景にある歴史」を一時間ぴったり掛けて読み、それから菊地章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム――一神教の連環を解く』の今まで読んだ頁も大雑把に読み返して、そこからもメモを取っていた。なかで一つ興味深かったと言うか、へえと思ったのは、生贄を焼き尽くして神に捧げることを意味する「燔祭」という言葉があるのだが、これのギリシア語訳「ホロカウトーマ」が「ホロコースト」の語源であるということだ。その他、「イスラーム」というのは「絶対服従」の意であるとか、過越祭(ペサハ)の際には酵母を入れずに小麦粉だけで焼いたパンを食べるだとか、六二二年にムハンマドはマッカ(メッカ)を捨ててマディーナ(メディナ)に移住して、これをヒジュラ=聖遷と言うだとか、基本的な事柄をメモした。それで一一時半前から新しい部分を読みはじめた。ベッドに移って読み進めているうちに、例によっていつの間にか意識を失っていたようで、残っている記憶は二時一五分に意識を取り戻した時のそれのみである。起き上がってコンピューターをLINE上でまた何かやり取りが行われていたようだが、それを見るのは翌日に回すことにして、そのまま就寝した。


・作文
 11:26 - 11:46 = 20分
 13:47 - 13:59 = 12分
 17:16 - 18:28 = 1時間12分
 計: 1時間44分

・読書
 12:02 - 13:09 = 1時間7分
 14:59 - 15:24 = 25分
 21:21 - 22:21 = 1時間
 23:25 - 26:15 = (睡眠分を一時間引いて)1時間50分
 計: 4時間22分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-11「死者に二度目の死を与えうるほどの日差しを背負う影に唾棄する」; 2019-04-12「旋律がたしかにそうであることを確かめるためだけの音楽」
  • fuzkue「読書日記(130)」: 3月28日(木)まで。
  • 「記憶1」: 82 - 94
  • 菊地章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム――一神教の連環を解く』: 66 - 112
  • 安江伸夫「今さら聞けない「日韓関係」…対立の構造と背景にある歴史」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63796

・睡眠
 2:00 - 11:00 = 9時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Aaron Parks Trio『Alive In Japan』