2019/4/19, Fri.

 七時のアラームが鳴り出すその前から意識は戻っていた。それでアラームが鳴るとベッドから抜け出して携帯を取り、鳴り響く音を止めたのだが、そのまま起床するに至らずほとんど自動的な機械のような動きでベッドに戻ってふたたび眠った。それで結局起床は一一時二〇分の遅きまで待つようだった。折角の早寝が台無しである。
 上階に行き、母親に挨拶をして洗面所で顔を洗う。食事は前夜のうどんと天麩羅の残りである。それぞれ用意して卓に就き、口内炎の痛みに耐えながらうどんを麺つゆに浸して啜る。天麩羅は南瓜に鯖である。それらもうどんのつゆにつけながら食い、その他やはり残り物であるサラダや菜っ葉も食べた。母親によると昨夜、T子さんからテレビ通話が掛かってきたらしい。上階で話している声のトーンからしてこちらもそれは気づいていたのだが、呼ばれもしなかったし、わざわざ自分から顔を出すのも面倒臭くて読書に邁進していたのだった。
 母親は今日は「K」の仕事で、帰りは七時頃になるという話で、そうなるとこちらが何かしら料理を作っておかなければならないだろう。カレーでも作ればと言うけれど、カレーを拵えるのは結構面倒臭い。こちらは医者に出かける用事があるので、帰りにスーパーに寄って茄子でも買ってきて簡便に炒めれば良いかなどと考えているがどうなるか。
 抗鬱剤を飲んで食器を洗ったあと、口内炎が痛いと言って、唇を剝いて患部を母親に見せると、口内炎の薬がどこかにあったと言う。母親がそれを探しているあいだにこちらは洗面所に入り、伸ばしっぱなしだった髭を剃った。口内炎の薬は結局見つからなかったようだ。それで下階に戻ると、前夜に歯を磨いていなかったのですぐに歯磨きをしたが、この時も口内炎がやはり痛い。口をゆすぐとそれから、小さな鋏を持ってきて、洗面所の鏡の前に立ち、電動髭剃りで剃りきれなかった短い顎の毛を切り揃えていった。ついでに鼻の毛も、その先端が鼻の穴から微かに覗いていたので切っておく。そうして自室に戻り、コンピューターの前に立っていつものようにFISHMANS『Oh! Mountain』を流し出し、日記を書きはじめた。ここまで綴って一二時半を回ったところである。
 前日の記事をブログに投稿。昨日書いた通り、Amazonへのリンクは面倒臭いので仕込まなかった。それから、一時直前から「記憶」記事の音読に入った。音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』が終わるとAntonio Sanchez『Three Times Three』を流した。一〇三番から一一一番まで。町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』や、ムージルのエッセイ、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』からの記述。単語というものが表しているのは一個の具体的な事物なのではなく、共通の性質を持っている事物の集合である、という点などを復習。そうして一時四五分になると音読を切り上げ、ベッドの上に乗って手の爪を切った。それから屈伸運動を繰り返し行って膝をほぐし、ベッドの上に仰向けになって腹筋運動を五〇回行った。それで時刻は二時、出かけるために寝間着から服を着替える。医者や図書館に行くだけなのでさほど着飾らず、上は白シャツ、下はベージュのズボン、上着はジャケットである。荷物をまとめて上階に行き、ジャケットをソファの上に掛けておいて、風呂を洗いに行った。台所にはカレーを作るように調理台の上に玉ねぎやジャガイモやカレールーが出されてあった。cero "Orphans"を口ずさみながら風呂を洗うと、居間に戻ってきてジャケットを着込んだが、室内の空気には熱が籠っていて暑いくらいだった。
 そうして出発。玄関を抜けると同時に桜の花びらが宙を舞っていて、その源を見つけるべく玄関の階段の上から林の方を見上げたが、梢の向こうの曇り空に太陽が透けていくらか眩しいなかに見えるのは緑の色ばかりで、もうほとんど散ってしまったらしい桜の木がどこにあるのかはわからなかった。歩き出すと、曇っていてもジャケットがいらないくらいの陽気である。桜は諸所で大方散ってしまっただろうが、坂に入りながら右方の家の敷地には、まだふわりとした薄桃色を湛えている木が二本見える。さらにはあれは何という木なのだろうか、鮮やかな色濃いピンクの花をいっぱいにつけた木も一本あった。
 cero "Orphans"のメロディを頭のなかで鳴らしながら坂を上って行った。空は全体に薄雲が掛かっているものの、太陽はその雲を貫いて地上に薄日向を作り出し、大気のなかには温みが籠るようでいくらか蒸し暑い。街道に向かう道の端、ガードレールの足もとにタンポポが鮮やかな黄色を広げ、そのガードレールの向こうの斜面には、あれはハナダイコンだろうか紫色の花が一面を埋め尽くして咲き群がっていた。
 街道を行けば道の脇から、雀のちゅん、ちゅんという声が盛んに響く。公園の桜ももうほとんど花を落として大方赤茶色、その上に葉の緑が乗って枝先には白さがまだ残っていて、三色の混淆が生まれていた。通り過ぎざまに公園のなかを覗き込めば地には桜の花弁がいっぱいに散り敷かれて、金平糖をぶち撒けたようになっていた。
 裏通りに入っても雀の声が盛んに落ちる。途中、頭上の電線に飛んできた影があって、それは囀るのでなくちちちちちち、と低く叩くような地鳴きを聞かせたかと思うと、すぐにまた飛び立ってどこかへ去っていってしまい、その影が薄陽の射した家の側壁に映って滑って消える。白猫の姿は今日は見えなかった。白木蓮を過ぎたあたりから日向は消えて、湿り気がやや混ざっているのだろうか滑らかな感触の風が前から流れてきて、涼しさが生まれる。
 梅岩寺の付近まで来ると、笛の音のような鶯の声が森の方から響き渡る。歩きながらふと、やはり人間が地上にあることの意味というのは、物事を学び、創造性を発揮することにあるのではないかと頭に考えが落ちてきた。しかし何かを創造すると簡単に言っても、それほど難しいこともない。自分の日記は創造の営みたりえているのだろうか?
 駅に着くと改札をくぐり、ホームに上がって先頭近くに移動すればちょうど電車が入線してきた。例によって二号車の三人掛けに腰を下ろし、ジャケットの胸の隠しから手帳を取り出して道中のことを簡潔にメモする。発車してからもちょっと、電車の揺れに阻まれながら文言を頁上に落とし、それからペンを仕舞って過去のメモを復習した。まず前日のものである。ムスリムの五行が信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼であるとかそういった基礎的な知識だ。一度か二度目をひらいたままに黙読して、その後、目を閉ざして今読んだことを頭のなかで三度唱えるようにして復習していくのだ。
 そうしているうちに河辺に着いたので降車した。エスカレーターを上がって改札を抜け、いつもは図書館のある右に折れるが、今日は医者に行くので左に曲がった。駅舎を抜けると市議会選挙の候補者の選挙カーが二つロータリーにはあって、片方の選挙カーがもう一方に向けて、健闘を祈りますと言葉を掛けながら過ぎ去って行った。Nクリニックに向かっていると、前方の横道から曲がって現れた姿が先生その人である。そのあとについて行ってビルに入り、階段を上って待合室に入ると、リュックサックを下ろして財布を取り出し、受付に診察券と保険証を差し出しながらお願いしますと言った。すぐに返された保険証を受け取って、ソファ席に就くと暑かったのでジャケットを脱ぎ、緩く畳んで自分の隣に置いた。そうしてまた手帳を眺めて時間を潰す。呼ばれたのは五番目か六番目かそのくらいだったはずだ。三時を僅か過ぎた頃に着いて、呼ばれる頃には三時四〇分くらいになっていたはずだが、そのあいだの時間、待つのがまったく苦痛ではなく手帳を見ているうちにあっという間に過ぎたという感覚だった。こちらよりも先に診察室に入っていった人のなかには一人、中年の恰幅の良い男性があって、彼は深い紺色のスーツに、胸ポケットにチーフまで入れて飾った装いで、何故そんな衣装を着ていたのか、普段からそうした服装を好んでいるものなのか、精神科という場所に来るには何か不似合いな格好だという感じがした。
 呼ばれるとはいと返事をして立ち上がり、待合室を横切って――こちらは入り口に一番近い方の位置に就いていた――扉の前まで行き、二回、軽くノックをしてから戸を開ける。こんにちはと言いながら入って行き、戸の方を向いてきちんとドアを閉めると、革張りの椅子にゆっくりと腰掛けた。いつも通り、どうですか調子はと最初に尋ねられるので、まあ変わらず良いと思いますと答える。前回、そろそろ仕事に復帰しようかと考えていると言っていましたが、と訊かれたのには、にやにや笑って、まだ、ぐずぐずしておりますと返答した。本を読んでいますか――まあ、本を読むくらいしか……――やることがないですか、あとは日記を書いているんですね――はい――外出は、あまりしていないですか?――でも、図書館に行ったりとか……あと、先日の日曜日ですね、プラネタリウムなどというものを見に行って来ました――(先生はちょっと意外そうな表情を見せて)どこにあるんですか?――花小金井に、多摩六都科学館というものがありまして……――何か聞いたことあるな――そこに大きなドーム状の、サイエンスエッグと言うんですけど、そうした施設がありまして、プラネタリウムを鑑賞して来ました――ほうほう――あと、明日明後日も出かける予定が入っていますね――活動的ですね、良い感じですね――とそんな感じで話をしたあと、薬を減らすかどうかという段になった。減らしたいですかと訊かれたので、減らせるものなら減らしていきたいとは思いますと回答する。こちらが昨年末から復調して日記もふたたび書きはじめたのは、おそらくセルトラリンが効いたのだろうと考えられるという点で医師と一致した。それなので、減らすのはまずもう一方のアリピプラゾールから、それも慎重に行きたいということで、今現在朝晩両方とも六ミリグラムを飲んでいるところ、三ミリ減らして、朝は三ミリグラム、夜は変わらず六ミリグラム飲む、という形で減薬することになった。いかにもちまちましているが、一気に減らしてまた調子を悪くして死にたい死にたいなどと念仏のように言い出さないように、ここは慎重を期すべきところである。それで、ありがとうございますと言って席を立ち、扉に近寄るともう一度先生の方に向いて、失礼しますと頭を下げてから扉を開けて診察室をあとにした。ソファ席に戻ってしばらくすると呼ばれるので、会計を済ませ(一四三〇円)、処方箋と明細書を受け取り、どうもありがとうございましたと挨拶をして待合室を出た。階段を下って行き、ビルを出ると、雨の来そうな濁った曇り空である。隣の薬局に入って、こんにちはと挨拶をして、処方箋とお薬手帳を差し出すと、機械で発行された番号の書かれた紙を渡される。七〇番だった。それで席に就き、ふたたび手帳を眺めるのだが、頭上のテレビは池袋で起こった事故について報道しており、時折りそちらも眺めた。八〇歳代の男性の運転する車がゴミ収集車と衝突し、巻き込まれて一一人ほどが被害にあったという話である。そうしてしばらくすると七〇番が呼ばれたので、カウンターの向こうから声を掛ける局員に向けて会釈し、立ち上がってカウンターに寄り、紙を差し出した。相手は初めて見る顔で、YさんだかYさんだかという名前だった。調子が良さそうですねと訊かれるので、そうですね、それで減薬してみようということになりましてと答える。ちょっとずつなので大丈夫かとは思いますが、薬を減らしたことでもし調子が悪くなったら、すぐに先生に仰ってくださいとのことだった。それで会計して(一九九〇円に五〇〇〇円札を出した)、ありがとうございますと頭を下げて薬局をあとにした。
 いくらか蒸し暑い曇り空の下、線路沿いの道に出て、駅に向かって歩いて行くと、駅前ロータリーでは何とかいう市議会選の候補者――まだ若そうな男だった――が演説をしていたが、ちょうどそこにバスがやって来て彼と沿道の人のあいだを塞いでしまい、何を言っているのか声はよく聞こえなくなってしまった。駅舎に入り、階段を上り、通路を渡って駅の反対側へ出ると、こちらでも眼下のコンビニの前で演説をしている候補者があり、見れば緑のオンブズマン、H.N氏だった。マイクに乗って拡声されたその声も、距離は近いのだが反響するせいで細かな部分が詳細に聞こえづらい。歩廊を渡って図書館に入り、CDの新着を瞥見したあと、上階に上がって新着図書を見ると、以前からちょっと欲しいと思っていた小林康夫中島隆博の共著、『日本を解き放つ』が入っていて、これは有り難い。それから書架のあいだを抜けて大窓際に出て、席を取り、ジャケットを脱いで椅子の背に掛けると腰を下ろしてコンピューターを取り出した。そうして日記を書きはじめたのが四時二〇分、ここまでで一時間弱掛かっていて、やはり出かけると書くことが色々あってそれくらいは掛かってしまう。これから買い物をして帰り、カレーを作らなくてはならないだろう。
 コンピューターをシャットダウンして、リュックサックに荷物をまとめた。外していた腕時計を左の手首に戻し、立ち上がって椅子の背に掛けていたジャケットを羽織る。そうして歩き出し、書架のあいだに入って、社会学のあたりをちょっと眺めながら過ぎ、フロアに出ると階段を下りて退館した。歩廊を渡って河辺TOKYUへ。コージー・コーナーのケーキを横目に見ながら過ぎ、フロアの奥に入って行き、野菜の色々入った籠が並べられているなかから椎茸を一つ取ると、灰色の買い物籠を取って野菜の区画に踏み込んだ。バナナ、茄子、大根など手もとに加えて行く。それから野菜の区画を離れて通路を辿り、ポテトチップスのビッグサイズを二袋取り、さらに、暑いので何となく冷たいものが飲みたくなったのだろうか、ジュースの区画に行ってメッツ・コーラを一本取った。そのほか、ジンジャーエールを買おうかと思ったのだが、見つからなかったので、代わりにオレンジ・カルピスのペットボトルを手もとに加えて会計に行った。都合良く、並んでいる人の誰もおらず女性店員がお腹の前で手を組み合わせて待っているカウンターがあった。そこに入って、いらっしゃいませと迎え入れてくれた店員に会釈をし、一五二三円を支払って、ありがとうございますと礼を言うと整理台に籠を運んだ。ポテトチップス一袋と茄子二パックをリュックサックに収め、背負い直すと、ビニール袋に残りの品物を入れていった。そうして袋を片手に提げ、黄色い籠を手近の籠が重なったところに加えておいて、出口に向かった。
 歩廊に出て腕時計を見ると、五時二九分を指していた。確か電車は三〇分ちょうどが奥多摩行き接続で、これを逃すと青梅駅でまた三〇分かそこら待たなくてはならない。そういうわけで小走りになって歩廊を回っていると、ちょうど青梅行きが河辺駅に入線してくるのが見えた。間に合うかどうか微妙だったが小走りのまま駅舎に入り、改札を通過して、エスカレーターでなく右方の階段へと曲がり、一段飛ばしで下りて行って何とか滑り込むことができた。扉際に立ち、例によって手帳を取り出してメモを復習する。そうして青梅に着くと――時間のわりに、車両内が混んでいる印象だったが、それは普段と違って四号車に乗ったからだったのだ――人の流れを避けて回りつつ、向かいの奥多摩行きに乗り換えた。ふたたび扉際に立ち、足もとにビニール袋を置いて、手帳を見やる。
 そうして最寄り駅着。駅前の桜はもう薄緑の装いだが、その隣に新しく、遅めの桜が花をつけていて、あれは確か八重桜の木ではなかったかと思う。階段通路を抜け、横断歩道のスイッチを押し、車は来ないけれど青信号になったところを渡って坂道に入った。下って行くと、選挙カーの音声が遠くから聞こえてくる。ひたすらに名前を連呼していて、政策めいたことを何も言わないので――もっとも選挙カーで政策を披露しても、ほとんど一瞬しか聞かれずに過ぎていってしまうので意味がないのかもしれないが――名前をただ言えば良いというものでもないぞと突っ込みながら下の道に出た。すると、今度は別の候補者の音声も背後から響いてくる。その音に追いつかれないうちに家路を辿り、帰宅した。
 家に入ると、居間にテレビが点いていて、見れば仕事着姿の父親がいた。早いじゃんと言うと、医者に寄ってきたと言う。それでこちらは冷蔵庫に寄り、買ってきたものをなかに収めてから下階に下りた。空気はなかなか暑く、汗の感覚があった。自室に入って服を脱ぎ、肌着になってコンピューターを机上に据えた。それから肌着とパンツのみの格好で上に上がって行くと、既に六時を回っていたと思う。ジャージの下を履き、上は肌着のままで台所に入る。テレビのニュースは、例の池袋の事故を扱っている。石鹸をつけて手を洗い、食器乾燥機のなかを片付けると――あるいは片付けたのはこの時ではなく、のちにカレーを煮込んでいる時だったか?――カレーを作り出した。人参を薄切りにする。次に玉ねぎ、さらに買ってきた茄子二本を切って、水を溜めた洗い桶のなかに浸しておく。それからジャガイモの皮を剝いて、角切りにした。それで野菜は終わりだったよな? 冷蔵庫からカレー用豚もも肉を取り出し、炊飯器の横に置いておき、フライパンに油を引き、チューブのニンニクを落としてさらに生姜をすり下ろした。ちょっと熱すると野菜を投入。溢れんばかりである。炒めてからさらに茄子を投入するとさらに溢れんばかりになる。そうして肉も加えて、零さないように慎重に搔き混ぜていき、肉の色が大方変わると水を注いで煮込みはじめた。父親はこの頃はもうテレビを消して、ソファに座って何やら本を読んでいたと思う。こちらは下階に行って、ティッシュの空き箱と手帳を持ってきた。空き箱は潰して玄関の戸棚の紙袋のなかに入れておき、台所に戻るとフライパンの灰汁を取ったのち、立ち尽くしたまま手帳のメモを読みはじめた。じきに父親が出かけて行く。自治会があって、食事はそこで出るのだと言う。それを見送ってまたしばらく手帳を読みながらカレーを煮込み、ジャガイモが楊枝を軽く通すようになると手帳を置いてカレールーを加えた。最初にフレークタイプのものを振り入れ、それから固形ルーを全部で六つ加え、搔き混ぜながら煮込んだ。それから牛乳とケチャップも入れてから味見をしたが、塩気が結構強かったので、さらに牛乳を足し、それで完成とした。米は昼間のうちに炊かれてあった。時刻はちょうど七時頃、食事にすることにした。大皿に米をよそり、その上にカレーをふんだんに掛ける。そのほか豆腐を冷蔵庫から取り出して、その上に鰹節を掛けて、カレーとともに卓に運んだ。食べながら――例によって口内炎に塩気が染みて痛い――最初のうちは新聞夕刊一面の、ドナルド・トランプロシア疑惑についての記事を読んでいたが、その後、手帳を広げてティッシュ箱で押さえ、メモを読みながらカレーを食した。カレーはもう一杯おかわりし、腹をいっぱいに満たしたところで薬を飲み、食器を洗っていると母親が帰ってきた。疲れ切っているようだった。
 こちらはその後すぐに下階に下り――時刻は七時半前だった――Twitterを覗きながらceroの歌を歌っていると、今しがたフォローしたYさんという方からダイレクト・メッセージが送られてきた。それで、ceroに引き続きFISHMANSを色々と歌いながら――"なんてったの"とか、"頼りない天使"とか、"忘れちゃうひととき"とか――やり取りを交わす。Yさんという人も、話を聞いていると苦労の多そうな人のようだった。書棚の写真を送ってきてくれたのだが、見れば岩波文庫やら海外文学やらがずらりと並んでいて壮観である。八時半を過ぎたところで、入浴に行くので一旦ここで失礼しますと言って部屋を出た。母親はまだ飯を食っていなかった。台所に立ってほうれん草を持ち上げながら、茹でてくれって言ってあったのに、忘れちゃったのと言うので、カレーに野菜が入っているではないかと反論したのだが、やはり何かしらそれ以外にも野菜が食べたいらしい。帰ってきてから一時間、何をしていたのかと問えば、メルカリ見たり、テレビ見たりとあったので、笑いながら階段を下りて、自室に置き忘れてきた寝間着を取りに行った。母親は本当に仕事で疲れ切ってしまって、動けなかったらしい。こんな調子で続くだろうかと漏らし、お金を稼ぐってのは何にせよ大変なことだと呟くので、こちらは洗面所に入りながら、まずは一年、とにかく勤めてみなよと言って、入浴に行った。さほど長く浸からずに上がる。自室に帰ると九時直前、Mさんの日記を読みながらポテトチップス(うすしお味)を貪り食う。最新記事から遅れてしまっているので、この日は三日分を読んだ。その後、T田のクラシック選集を流しながら日記を書き出し、一方でふたたびYさんとやりとりを始めた。T田のクラシック選集の一曲目には、先日も書いた通り、クレマン・ジャヌカンというフランス・ルネサンスの作曲家の"鳥の歌"という合唱曲が据えられているのだが、これがなかなかやばい。youtubeで同じ音源を見つけたので、興味のある向きは是非聞いてみてほしい(https://www.youtube.com/watch?v=x-dkdgzYZbQ)。T田は中学生の時に、ポリフォニーを研究していて図書館でこれを見つけたと言うから、中学生でこんなものを聞いているとは大したものだ。Yさんとのやりとりでは、日記を毎日書いていると言うと、どんなものかと問われたので、ブログのURLを貼りつけて紹介した。彼は、こちらの日記を読んで、シュレーバーの『ある神経病者の回想録』を思い出したと言った――そんなに大したものではないと思うが。その後まもなく、あちらが眠るということでやり取りは終わり、ありがとうございましたと礼を言ってこちらは日記の作成に傾注した。そうしてここまで綴って現在一〇時半直前。
 歯磨きをしてから、隣室に入って久しぶりにギターを弄った。あるいはギターを弾くほうが先だったかもしれないが、それはどちらでも良い。VOXのミニアンプのボリュームを絞って、音が部屋の外にあまり漏れないようにしながら、Eのキーに合わせて適当にブルースじみたフレーズを奏でた。チョーキングがやはり気持ちが良い。そうして自室に戻ると時刻は午後一一時、Twitterを眺めるか何かしたのち、コンピューターをスリープ状態にして、一八分からベッドに移って書見に入った。神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』である。そのまま二時間以上ぶっ続けで読んで、第一部「内乱の政治哲学」は大方読み終わったが、この論考は結構難しく、論旨の推移が一読しただけではあまりうまく読み取れなかったので、もう一度読んでも良いかもしれない。翌日は朝から映画を観に行く約束があって――『響け! ユーフォニアム』の劇場版だ――八時四五分頃の電車に乗らなくてはならないため、六時には起床したい。そういうわけで携帯のアラームをその時間にセットし、ベッドから離れた入り口横の棚の上に置いておいた。こうすればアラームを停めるために起き上がって、そのままベッドに戻ることなく起床に至ることが出来るだろう。それで一時半を過ぎたところで消灯したが、眠りは結構遠かった。意識を失うまでに一時間半ほど掛かったと思う。途中でもう起きて徹夜をしてしまおうかとも思ったのだが、最終的には無事に眠れたようだ。


・作文
 12:17 - 12:31 = 14分
 16:21 - 17:15 = 54分
 21:22 - 22:27 = 1時間5分
 計: 2時間13分

・読書
 12:59 - 13:45 = 46分
 20:56 - 21:22 = 26分
 23:18 - 25:33 = 2時間15分
 計: 3時間27分

  • 「記憶」: 103 - 111
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-13「腐りかけの果実の香り日曜は不貞寝で過ごすゴミ出しは明日」; 2019-04-14「星屑をぶちまけた夏神々の誘惑になど負けてたまるか」; 2019-04-15「真夜中に生きとし生けるものとなる家具や衣服や壁や無音が」
  • 神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』: 52 - 98

・睡眠
 0:20 - 11:20 = 11時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • 『Classical Music Selection』