2019/4/28, Sun.

 そう言えば、昨夜、ガルシア=マルケスの「大きな翼のある、ひどく年取った男」を読んだ際に、そう言えば過去にこの篇を真似して書いた断片があったなと思い出して、Evernoteの日記を検索した結果見つけたので、ここに紹介する。二〇一四年一二月九日のものである。文章を書きはじめてから二年弱のものにしてはまあまあではないだろうか。この時期はブログに公開していた「日記」よりもむしろEvernote内に封じ込めていた本物の日記、個人的な書き付けや断片の方が文章としてしっかりしている。

 康司がまだ中学生だったころの話だが、家の隣の敷地に苦行者が住みついたことがあった。隣家に暮らしていた老夫婦がふたりとも死んでから一年くらいしたあとのことで、そのころには木造の古い家も取り壊されて、むき出しになった粗い土の地面に伸びはじめた春の雑草が生い茂り、名もない小さな青い花をつけていた。中学校から帰宅する康司が坂の上から自宅のほうを見渡すと、淡く透きとおった西陽のオレンジ色のなか、家の手前に小さな茶色い柱のようなものが立っているのが見えた。自宅の目の前まで来てみると、それが人間であることがわかった。頭に巻いた布からぼさぼさとした髪がはみ出ており、縮れたひげをたくわえ、着ている服は薄い道着のようなものだったが、ほとんどぼろ布のようにあちこちがほつれ、褐色の肌が見え隠れしていた。見たところでは肌の色といい彫りの深さといい、異国の人種のようだが、そのような外見に生まれついた日本人であると言ってしまえば言えなくもないようにも思えた。何をしているのかと言って取りたてて何かをしているわけでもなく、ただ目を閉じたまま両手を胸の前で軽くあわせて、その場に立ち尽くしていた。妙な人間に近づくのは気がひけたので、康司は視線をその男に合わせたまま前を通り過ぎ、自宅の玄関前の階段をあがり、扉をあけたのだが、そのあいだ男はぴくりとも動かず、その静止ぶりは、まさかあれは蝋かなにかでできたひどく精巧な人形ではないか、という疑いがよぎるほどだった。康司は台所で米をといでいた母親に男の存在を告げた。母親は勝手口をひらいてその姿を目にするとぎょっとしたような表情になり、全然気づかなかった、とつぶやいてから、不安げな眼差しを左右に落ちつきなく揺らした。エプロンで濡れた手をぬぐって、ばたばたと足音を鳴らしながら玄関の電話を取り、近所の主婦仲間に次第を知らせた。そういうわけで、康司の家の前に人々が集まって、手をこまねきながら男を遠巻きに眺めることになった。警察を呼ぼうか、という話も出たのだが、男はさしあたってなにか迷惑行為をしているわけでもない。むしろ何もせずにただじっと立ったままでいるその様子が不気味であり、男たちは働きに出ているから、集まったのは女と老人ばかりと心細いこともあって、容易に近づきがたい得体の知れなさをみな感じていた。ところが、騒ぎを聞きつけたのだろう、康司の家の逆の隣に住んでいる九十を超えた老婆がよたよたと顔を出して、心配ない、と断言したのだ。あれはありがたいお人だよ、私が子どものころにも一度来たことがある。具体的にどうありがたいのかその内実は一切不明だったが、ともかく害はない、むしろ幸福をもたらすものだ、ということで、老婆は高齢で足腰が多少弱っていたとはいえ、頭のほうはしっかりしていて、その年の功で近隣住民からは一目置かれていたこともあって、おばさんがそう言うなら、とみな安堵の吐息をつき、その場は解散することになった。彼女が語るところによると、男ははるか遠い子供時代に見たときも今とまったく変わらぬ姿で同じようにただ立ち尽くしていたと言うのだが、一同はそんなことがあるだろうかという腑に落ちない気持ちと、そんなこともあるかといういくらか無理矢理の納得とを半分ずつ抱えて、それぞれ帰宅した。人々が帰ったあとに、老婆がまだぼうっと男を眺めていた康司に対してこう言った、あの人を養うのは、あんたの家の役目だよ。
 養うと言ってなにか特別なことをするわけでもない、ただ日に二度、食事を用意してやればそれでいいのだ、と言った。そういうわけで次の日から、康司は学校へ行く前と、帰宅してからの二回、母親が作った食事をいくらか取り分けて男の足元に置いておいた。食事を届けにいくときは、おっかなびっくりといった感じでゆっくり近づいたが、男は康司が近くに来てもその存在に反応を示すどころか、気づいた様子すらなかった。目の前に立ってはじめてわかったのだが、ひげの奥に隠された口が絶えずかすかに動き、なにか呪文のようなものをもごもごと唱えつづけていた。それに気づいた瞬間に康司は人間ではないものが人の姿を偽装しているのを見たような不気味さを覚えて、食事の盆を手早く足元に置き、走って草はらを抜けだし、学校へと急いだ。食事の椀はと言えば、箸やスプーンを添えておいたわけでもない、また、男は姿を見るかぎりいつも最初に見た状態のまま、手を合わせて立ち尽くしているというのに、いつの間にか空になっているのだった。いつかは知れないが、ともかく食べているのは確からしかった。ところが、常に誰かが見張っているわけではないとはいえ、用を足している様子もない。最初の何日かのあいだは、近隣の住民がまた集まって様子を眺めたり、噂を聞きつけた連中が入れかわり立ちかわり頻繁にやって来ていたので、なにか動きがあればすぐに知られたはずだった。噂が早いのは田舎の常で、康司も男があらわれてから二日目の朝には、学校でクラスメイトたちから男について訊ねられた。何の刺激もない退屈な田舎の想像力が爆発したのか、わずか一日挟んだだけだというのに情報は驚くべき多彩さを取って変質し、康司のもとに来た子どもたちが告げた噂話のなかで事実として共有されているのは、その家の隣に男が居座ったというくらいで、その姿については、力士のような巨漢であるとか、海外のモデルのような青い目とブロンドの白人であるとか、時代劇で見る武士の姿をして刀をさしているとかさまざまだったし、その男が何をしているのかという点についても、休みなく踊りつづけているとか、ずっと逆立ちのままでいるとか、多数の憶測が混交していた。放課後になると、好奇心旺盛な友人を何人かつれて康司は帰路をたどった。最初の日と同じように、坂の途中から、透きとおった春の陽ざしのなかに茶色い柱のような立ち姿が見えて、それを見た瞬間から子どもたちは陽気に騒いだけれど、実際に近づいて眺めてみると、その動きのなさに拍子抜けしてしまった。彼らはしばらく不満をもらしていたが、そうしているあいだにもまったく動きを見せない男に対してやはり不安を覚えたらしく、やがてみな押し黙ってしまった。石を投げてみるか、などとひとりが口にしたが、そう言った当人とて本当に実行する勇気はなく、誰も反応を見せないのに焦れて、ほかの者の肩を押してけしかけたりもしたが、そうした不気味な気分に伝染されまいとするから騒ぎも空々しく響くだけで、触れてはいけないものを前にしたおそれを次第に受け止めた。

 七時のアラームで一旦ベッドから抜け出した。コンピューターを点けてTwitterを確認したあと、ふたたび寝床に戻って二度寝。妙な夢を見た。学校で、クラスメイトの一人と対立したが故にほとんどクラス中の皆から迫害を受けるというもので、細かい部分はもう忘れてしまったので詳らかにしないが、その迫害の理由となる事柄の中核がどうしても見えてこないという性質のものだった。九時四五分になって正式な起床。上階へ。父親に挨拶。母親は自治会の会合か何かがあると言っていたはずだ。台所に入ると小鍋のなかにレトルトのカレーがある。火を点け、熱しているうちに風呂を洗ってしまうことにして、浴室に入り、ブラシを取って浴槽を擦りはじめると、居間の父親が声を放ってきて、何時に出かけるのかと訊く。えーっと、とちょっと考えて、一二時前、と答えを返した。それから浴槽のなかに入って、膝を軽く曲げ、腰を屈めながらブラシを上下左右に動かして風呂桶の壁を洗う。そうして出てくるとカレーは充分温まっていたので、米の上に掛けて卓に移った。父親も自治会館に出かけると言う。了解してものを食い、食い終わる頃に父親は出かけて行った。こちらは台所に入って皿を洗い、昨日買ったポテトチップス(うすしお味)を持って自室に帰ると、前日の記録を付け、他人のブログを眺めながらチップスを食った。それからFISHMANS『Oh! Mountain』をお供に日記の作成である。前日分はマルケスの小説の感想を綴って終え、この日の分もここまで書くと一一時二五分。そろそろ出かける必要がある。
 音楽を"感謝(驚)"まで戻して流し、Twitterにガルシア=マルケスについての感想――と言うほどのものでもないが――を長々と放流したあと、ブログにも前日の記事を投稿した。それから歯を磨き、服を着替える。GLOBAL WORKのカラフルなチェック柄のシャツに、ブルー・グレーのイージー・スリム・パンツ。クラッチバッグを用意して、おそらく読まないと思われたが――と言うのも最近は外で空き時間が生まれれば手帳を読むことにしているからだ――ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を一応入れた。そうしてBANANA REPUBLICのグレー掛かった水色のジャケットを羽織り、胸の隠しに手帳を入れて上階へ。父親が帰ってきていた。もう行くのかと訊くので肯定し、仏間に入ってアーガイル柄の赤い靴下を持ち出し、居間に出て履きながら、父親が何か布を腰に巻いていたのでそれは何かと訊けば、着物の帯だと言った。祭りで着るものである。その練習をしているのだと言う。戸棚の引き出しからBrooks Brothersのハンカチを取り、尻のポケットに入れるとじゃあ行ってくると言って出発した。
 道路の上に日なたが明るく敷かれて晴れ晴れしい日和である。坂道からTさんが上って来たので、こんにちはと挨拶し、相手がこちらの横を通り過ぎる際に、いいお天気で、とさらに声を掛けた。すると、今からデート、と訊いてくる。いやいや、と笑うと、偉い格好良い服を着ているからと言うので、ありがとうございますと会釈して別れた。
 坂道に向かうと、道の脇の柵の上に鴉が一羽止まって、跳ねながら狭い足場の上を移動している。近くで見ると結構大きい体をしているものだ。近づくと飛び立ってしまった。坂道に入って周囲を見回すと、空は大方青く澄んでおり、一部幽かな薄雲が引かれてもいるものの、青さを隠すほどの勢力はなかった。
 風が少々涼しく肌に触れてくる。街道前、ガードレールの向こうに生えた梅の木は緑の葉の上に薄赤く染まった葉をところどころ乗せている。表通りに出て渡り、車道に沿って行くと、老人ホームの脇にハナミズキが咲きはじめていた。
 そうして裏通りに入る。電線の上に止まった鳥の影がくっきりと路上に映る晴れ日である――その影は、落ちてきた鳴き声からするとどうやら鵯のものらしい。裏道の家々にも白や紅色のハナミズキが咲き、手裏剣のような蝶のような花を多数広げていた。雀のちゅん、ちゅん、という声が響く道を行けば、空中に温もりが漂って暖かく、風から涼しさが抜けて滑らかに顔に触れてきた。白猫はいつもの家に姿が見えなかった。路上に白い蝶が飛び交い、白木蓮の木の下、紫掛かったピンク色の小花の集合にも揚羽蝶が止まっていた。観察しようと目の前で立ち止まると、すぐに飛び去ってしまう。それを追ってふたたび歩き出せば、前方から高校生の一団がやって来て、誰と誰が付き合っているとか、羨ましいとか、若々しい話をしながら過ぎて行った。
 市民会館跡地の施設――ネッツ何とかいう名だったと思うが、正確なところがわからない――の裏にはたくさんの自転車が停まっており、そのなかから親子連れが自転車に乗って出発しようとしていたが、そこに知り合いがやって来て立ち話が始まっていた。施設ではどうも、何かしらの催しが行われていたのではないかと思うが、詳しいことはわからない、何しろ裏からではその様子が掴めなかった。もう少し行った先の路地裏――梅岩寺に入っていく道の踏切りの手前――では祭りに向けてというわけだろう、仲町の山車が出されて人が集まっていた。駅前に続く裏道に入ると、自転車の親子連れに抜かされるのは、どうやら先ほど市民会館裏に一団のようである。なかで一番小さな子だろうか男児が、サイゼリヤがいい! サイゼリヤに決定! と何度も繰り返し叫んでいた。何でもガストは嫌らしい。
 ゴールデン・ウィークだけあって、駅前も普段よりも人通りが多いようだった。改札を抜けて駅のなかに入り、ホームに出るとまもなく発車する電車に乗って、例によって二号車の三人掛けに腰を下ろす。そうして携帯を取り出してメモを取る。河辺で早くも結構人々が乗ってきて、こちらのいる一角の六席のうち、こちらの隣の一席以外はすべて埋まってしまった。これは珍しいことである。その後、羽村に着くと隣席も埋まった。途中、メールが送られてきたのはNで、一時待ち合わせのところがゆっくりしすぎて一時半になるということだったので、了解と送り返して引き続きメモを取った。結局立川近くまで掛かって現在時に追いつく。
 立川のすぐ手前で停止信号を受信したとかで、ひととき停車した。かつてはこうした時間、密室に閉じ込められたまま線路の上に置いてきぼりにされ、逃げ場がなくなったように感じられて覿面に不安になったものだ。しかし今では、心臓の鼓動を探ってみても何ともないのだから強くなったものである。そうして立川駅のホームに電車が入線すると、手摺りに手を掛けてゆっくりと立ち上がった。ベビーカーを伴っていた夫婦がずれてくれたので、すいませんと声を掛けて扉の際のスペースに入り、到着すると降車した。壁に寄って人々が捌けて行くのを待ちながら、ふたたびメモを取った。
 そうしてしばらくしてから階段を上がり、改札を抜け、向かいの壁際の端にあるATMに寄って機械を操作し、五万円を引き下ろした。そうして北口広場へ。広場の片隅では、あれはペルー人だろうか、南米めいた風貌の人がスピーカーに囲まれて何かの演奏を始めるところらしく、見物の人々もそこそこ集まっていた。広場の中央に設置されている植え込みの裏側、陽の当たっている箇所に座ると、笛の音が右方から漂ってきたが、何故か演奏はすぐに停止されてしまった。陽射しのひどく明るい一角だった。それで携帯電話の画面が視認しづらいので、手を翳して影を作りながら操作し、北口広場の植え込みにいるぜ、とNにメールを出しておいてから、手帳を読み返した。しばらく手帳を読み返して、ふと視線を上げると、黒いサングラスを掛けた男の姿があって、それがNだった。サングラスを外してシャツの首もとに掛けながら近づいてきたので、おいおい、何かいかついやつが来たぞとからかうと、向こうは向こうで、セットアップじゃん、めっちゃ決まってるじゃんと言う。セットアップではないのだと否定しておき、お前の方が決まっているだろと返して、しばし話を交わした。Nは朝から何も食っていないと言う。それで結構普通にがっつりと食べたいと言うので、それでは喫茶店では足りないだろうしどうするかと考えあぐねていると、普通にPRONTOは、と向こうから喫茶店の選択肢を提案してきたので、お前がそれで良いながらPRONTOに行こうというわけで同意して、立ち上がり、歩廊を歩き出した。NはAVIREXのモス・グリーンの迷彩柄のジャンパーを着ていた。これは前回会った時――二〇一八年の末のことである――今日と同じくららぽーと立川立飛に行って買ったものである。エスカレーターに踏み入りながらそれを指摘すると、この四か月はほとんど私服を着る機会がなくて、大概そればかり着ていたと言う。
 下の道に下りて、PRONTOへ。レジカウンターには列が出来ていて見るからに混んでいる風情だったが、入り口を入ってすぐ脇にある四人掛けのテーブル席が幸運にも空いていたので、ここで良いではないかとそこに入った。椅子の上にバッグを置いておき、Nは上着を脱いで椅子に掛けておいて、レジへ向かう。Nはアイスコーヒーと、帆立とサーモンか何かのスパゲッティを注文していた。こちらはアイスココア(三三〇円)。それぞれ品を受け取って席に戻ると、こちらはココアの上の生クリームをストローで掬って食べる。それで何を話したかなんて大体覚えていないのだけれど、最初のうちにAさんの話があったのはよく記憶している。AさんというのはNと同じく高校のクラスメイトの女性で、美大に進学して、今は地方の伝統工芸品を扱う仕事か何かしているはずだ。その彼女が例年四月になるとお花見をするなどと言って同窓会の幹事を務めてくれていたのだが、今年はそれがなかったという話になって、忙しいのではないかと言うと、Twitterで壁にぶち当たったようなことを呟いていたと言う。お前、何でAさんのTwitter知ってるんだよと笑って突っ込みながら見せてもらうと、確かに何か自分の力ではどうにもならないような事柄に突き当たったらしき文言が書かれてあった。その他、最新のツイートなど見てみると、平成最後の~~とかいうのは「くそほど興味ないうるさい」と書かれていたので、何があったのか知らないが荒んでいるではないかと笑った。「くそほど」などという言葉遣いをする人だとは思わなかったのだ。
 その他、Nの女性関係の話。この四か月、仕事が実に多忙で、朝は八時か九時には出勤して、帰りは一一時というブラックな労働環境が続いたらしいのだが、そんななかでもこの男は女性を何人か引っ掛けているわけである。一応今は一人の女性と付き合っていると言うが、それまでに取っ替え引っ替え――と言うか同時並行的に――関係を持った女性が四人か五人いると言う。そのなかでも「つわもの」が二人いるらしい。そのうちの一人が今の彼女で、この人はNが「ラウンドワン」でアルバイトしていた頃の後輩である。もう一人は創価大学のこれも後輩みたいな人らしく、今の彼女と一応付き合い始めたのはここ一か月ほどだが、それからも後者の女性を部屋に呼んだこともあると言うので、笑った。話を聞くと、現彼女は今Nの部屋に住み着いているような状況らしく、ただだらだらYoutubeを見てばかりいて、家事もあまりやらない、脱いだものも脱ぎっぱなしでNがそれを拾って洗濯機を回すような次第らしく、逆じゃね? と彼は言っていた。まあそうした恋人関係には色々な形があるとは思うが、話を聞いた限りそれほど相性としてNに合っている相手とも思えない。むしろ、後者の創価大学の――院生と言っていたか?――女性の方が、ややインテリであるし、会話をしていても楽しい、加えて夜のテクニックのほうも抜群とあって、むしろ何故そちらと付き合わなかったのだと疑問に思うものだった。まあ、タイミングというものがあったらしくて、今の彼女とやることだけやってぽいと捨ててはさすがにひどすぎるし、女性の方が――精神的に不安定な人なのだろうか?――「自殺するかもしれない」という恐れもあったらしく、実際、彼女の方も付き合うと決まった時に、これでセフレとか言われてたら私死んでたわ、などと漏らしたらしい。創価大学の人の方は、N自身が使った言葉曰く、「変態」で、性欲があまり抑えられない女性らしく、一度セックスをすると三回戦くらいにはなるのが常だと言う。お前そんなに出るのかよと突っ込むと、三回戦目はさすがにきつい、気を抜くと萎えてしまう、だから相手だけイかせてこっちはフェード・アウトみたいな、との返答があった。
 性の話を続けておくと、こちらは性の快楽がほとんどなくなったということも話した。一応勃起は出来るのだが、端的に、自慰をしても全然気持ちが良くないのだ。それは原疾患のせいもあるだろうし、抗鬱薬の副作用のおかげもあるだろうが、いずれにせよ、自分は三十路も手前になっても女性と付き合ったことがなく(男性と付き合ったこともないが)、当然と言うか、性経験もないのだけれど、それでありながら性の快楽についてはもはや諦めたなどと達観した調子で話した。お前も、さすがに中学生の頃とかよりも興奮しなくなっているだろう、と話をNに向けると、しかしあちらはそんなことはないと言う。行為の最中は興奮しかない、まるで獣だと言う。それは凄いなと笑った。
 それで、今彼女が住み着いているわけだけれど、その彼女とは二九、三〇と言ったか、三〇、一と言ったか、ともかくこのゴールデン・ウィーク中に付き合いはじめて初めて――今まではずっと仕事が忙しくて、会うとしても一〇時以降が常だったので、飯を食って部屋に来てもらうか、一緒に食いに行ったあとはやることをやって眠る、みたいな関係だったらしい――遊びに行くと言う。その遊びにどこに行くかというのもNは携帯で検索しながら候補を探していたのだけれど、これはのちの、夜の喫茶店でのことだ。それで、ともかく今日の夜、一旦彼女は自宅に帰る。その隙をついてもう一人の創価大学の女性を呼ぼうと思っていると言うので、こいつはまったく、と笑った。Nは自分でもこうした女癖の悪さについて、病気だとか、やばいとは思っているとは口に出すものの、肝心要の中核部分で悪びれるということはないようである。女性の方からすればたまったものではないが、端から聞いている限りではまあ面白い。しかしその現彼女というのが、どうやらNにほかに女がいるのではないかと疑っているようで、口紅を机の下に転がしておく、というようなトラップを仕掛けてきたと言う。それはもうバレているだろ、とこちらは突っ込む。職場でデスクが隣の女性にも――この女性はNと同様、「貞操観念の低い」人で、結婚前は色々と男性を漁っていたらしいのだが――あんたそれバレてるからね、と言われたと言う。彼女は部屋の鍵を持っているらしく、一度帰ったはずのところが忘れ物をしたなどと言ってまた戻ってきて、創価大学の女性を呼んでいたところに鉢合わせ、などとなるのを恐れているようだったので、むしろお前、それは読まれてるぞ、絶対帰ってくるぞとこちらは関係のない人間の気楽さで脅かした。さらに、今晩を乗り切ったとしても、明日また彼女はやって来る、それまでに創価大学の女性を帰しておかなければならないわけで、なかなか綱渡りを行う男である。この後者の女性の方もNの浮気に感づいているのか、以前は「いいペース」だったのが、最近では毎日、会うことをせがむようなLINEを送ってくるようになったと言う。そのあたり聞いていても、そのLINEの頻繁な送信をそれだけ好かれているものなのだと解釈すれば、やはりこの創価大学の女性の方と付き合った方が良かったのではないかと思うのだが、まあそれは個人の問題だ。お前、前は、今までちゃらんぽらんしてきたから、そろそろ真面目な関係を気づいて結婚したいと言っていたじゃないかと突っ込むと、求められれば結婚する気はあるよと事もなげに答えるので、軽いなあ、と笑った。でも今の彼女は結婚したい相手なのかと訊くと、それはちょっと……と詰まるので、ここでも笑った。
 PRONTOでの話で今のところ思い出せるのはそのくらいなので、それで良いとして次に行こう。腕時計を見ると二時五〇分を迎えていたので、三時になったら行くかと告げた。Nもそれに同意し、トイレに行ってくると言ってレジに並んでいる人々の脇を通り抜けて上階に行った。戻ってくると、それでは行くかとなったのだが、トレイほかを片付ける場所がわからなかった。と言うか正確には、フロアの奥のカウンターの一角だったと思うのだが、そこに辿り着くまでには相変わらずレジに並んでいる客たちが邪魔になっていて、細い隙間を大きな皿の乗ったトレイを持ちながら通り抜けるのは難しそうである。それで仕方なく、このまま置いておくかということにして、食器類を机上に放置したまま店をあとにした。
 エスカレーターを上って高架歩廊へ。人通りの多さにゴールデン・ウィークだな、などと感慨を漏らしながらモノレールの立川北駅へ。改札を抜け、ホームに上がる。ここで両親のことを訊かれたのだったか、それとも喫茶店にいるあいだにもう訊かれていたのだったか、父親が自治会長をやっていて、祭りの準備で忙しいのだということをちょっと話した。今日家を出てくる時も、祭りの着物の帯を腰に撒いて練習だと言っていたと話す。祭りの草履を履くために足の手術もしたのだということも話そうかと思ったが、それは良いかと払った。思い出した、モノレール駅に入るあたりで、あと三か月もすれば祭りだぜと向こうが言ったのだった。それに対してこちらは、青梅はもう祭りである、青梅大祭が五月の二日三日に毎年あると話したのだった。青梅街道沿いに出店がずらりと並んで、青梅の町が一年で一番賑わう時だと紹介したのだった。その話の流れで父親のことを話し、祭りがあるのだと言うと、Nはちょっと行きたいなと興味を示していた。
 それでモノレールに乗って、二駅、立飛駅へ。Nはホームにいる時及び電車内では、携帯電話を操作して、SUICAにチャージをしようとしていた。彼のSUICAやらほかのカード類やらはすべて、腕につけている、あれがアップルウォッチというやつなのか知らないが、それに集約されていて、その残高が切れかけていたのだった。カードを携帯の前に翳しても読み取ってくれなかったりして苦戦していたようだが、結局何とかチャージできたようで、改札を抜けることが出来た。立飛駅で改札を抜ければもうすぐそこがららぽーとに繋がっている。高架歩廊から二階に繋がっているのだが、その二階の入り口前にある広場では、何やら女子高生が物凄くたくさん集団で集まっていた。何かのイベントを催しているようで、遠くでよくわからないが舞台上にも男子高校生のような格好の――ベージュ色のカーディガンのような服装が見えたのだ――人々が数人立っていた。これはあとで帰りの時に近くの看板を見てみると、何かしらのアイドルグループのサイン会か何かだったようで、あたりの会話からは名古屋から来た、などという声も聞かれていた。様々な種類の制服を着た女子高生がそこにいる人々のほとんどだったようで、全然知らないグループだったがこれだけの人を集めることが出来るのだから大したものだと思われた。
 それで入店。最初に、入り口を入ってすぐ脇にあるFREAK'S STOREへ。店内を一通り見て回ってNと合流すると、Tシャツがありだなと彼は呟く。それからその向かいにあったやや綺麗目寄りと思われる服屋にも入り、回ると、ここでもNはシャツがありだなと呟く。この日彼は、「ありだな」ばかり呟いていた。ここから先はどのような順番で店を回ったかとても覚えていないので、ホームページの店名リストを参照しながら順不同で列挙しようと思うが、訪れたのはARMANI EXCHANGE(結構派手な、主張の強いブランドだった)、B:MING LIFE STORE by BEAMS、GEORGE’S(これは雑貨屋である)、TOMMY HILFIGER、URBAN RESEARCH DOORS(これがFREAK'S STOREの向かいにあった店だ)、ZARA、JOURNAL STANDARD relume、Trans ContinentsBANANA REPUBLICUNITED ARROWS green label relaxing、GUESSなどである。ZARAは安くて結構良いのだが、何となくいかにもな「ZARA感」のようなものがあって、買おうという気にはならなかった。ZARAZARAしている、ZARAってるななどと言いながら退店すると、Nは、どちらかと言うともう少し若い、ティーンズ向けだよねと言う。そのあたりはこちらにはよくわからない。Trans Continentというのは結構安い店で、ジャケットがラックに並べて掛けられてここからここまですべて五〇パーセントオフ、などという風に叩き売られており、そのなかに地味なチェック柄の、まあ冬用のようではあったけれど結構欲しくなるようなジャケットがあったのだけれど、元価格で五万いくらか、半額でも二万五〇〇〇円以上するので諦めた。BANANA REPUBLICは結構良くて、Nはここで夏用の麻の長袖のシャツを青と白の二枚買っていた。こちらもここで薄赤いシャツや深い紺色にドットのついたシャツを買おうかと迷って、二回来たのだけれど、結局踏み切れずに断念した。今日着ていったジャケットも古着屋で入手したものだけれどBANANA REPUBLICのもので、それとおそらくまったく同じ型の品があって、その前に立っていると話しかけてきた男性店員が、同じものですよね、利用して下さっていますか、ありがとうございますなどと言って、それに対して何故かうまく答えられず、あ、そうですかね、などと言ってしどろもどろになってしまった。ほかUNITED ARROWS green label relaxingも、こちらは結構好きなメーカーなのだがやはりなかなか良くて、ここではオリーブ色の軽いジャケットを羽織った。しかし一万五〇〇〇円出すほどではないかなという感じだった。ほか、シャツも良さそうなものがあったけれどひとまず保留。Nは薄いジャンパーのようなものが欲しかったようで、TOMMY HILFIGERの二万いくらかのものを最初は欲しがっていたのだが、試着してみると心が揺らいでしまったらしく、それよりもGUESSかなと方向が変わった。GUESSというブランドもなかなかイケイケと言うか、主張の激しいメーカーで、店の壁には胸の大きい白人女性を侍らせているような男の広告写真が設けられていて、存在感の薄いこちらにはおそらく全然似合わないメーカーだと思うが、入り口付近にあった新着のジャンパーをNは目に留めていて、序盤に一度入った時に女性店員から勧められていたのだった。それでGUESSに戻って入って入り口付近に立って品を見ていると、今度は別の女性店員が、青のほうはリバーシブルになっていまして、ほかに緑と紫の品があって、と前の店員と同じ説明をしてくる。それでNは緑の差し色が入ったジャンパーを試着して、購入を決定していた。このほかNが買ったのはGEORGE'Sでコップ――Nはこの四か月、食事はすべて外食で済ませて、冷蔵庫すらも昨日届いたばかりという有り様で、これでシリアルを食えると思ったところが皿のないことに気づいたと言っていた。これは喫茶店にいたあいだに交わした話しだ。そこでこちらは、皿は盲点だったなと返すと、Nは笑っていた。そういうわけでこの日、Nはできれば皿も買いたかったのだが、荷物が重くなってしまうし良い品が見つからなかったということでそれは断念していた――を四つ、FREAK'S STOREでTシャツの類、多分ららぽーとではそれだけだったと思う。こちらは、一通り回ってみても決断しきれなかったので、買わずには終わるかと思いきや、入り口付近に戻ってきてFREAK'S STOREに二度目に入った際、ガンクラブ・チェックのブルゾンを手に取った。一度目に見たときにもなかなか良いなと思っていた品で、一六四〇〇円だかが二〇パーセントだか四〇パーセントだか忘れたけれど値引きになっていた品である。それを羽織って鏡の前に立ってみたが、襟付きのシャツを下に着ているとあまりぴったりはしなかった。また、同じチェック柄のシャツだったこともあるかもしれない。そのすぐ近くに同じくベージュのガンクラブ・チェックのパンツもあったので、こちらも試着させてもらうことにして店員に声を掛けると、先ほどのブルゾンとセットアップみたいに出来ますけれど、どうしますかと訊かれたので、それじゃあお願いしますと頼んでそれも持ってきてもらった。それで上下合わせて着てみると、悪くはないのだがやはり下が襟付きシャツのせいかいまいちぴったりと来ない。セットで買うと結構金が出るし、パンツの方だけをここでは買うことにして、試着室を出て店員に声を掛けたのだが、今考えてみるとブルゾンの方も欲しくなってくる。Tシャツというものを現在一枚も持っていないのだけれど、下に白いプリント付きのTシャツでもラフに着てセットアップで身に纏うと格好良いかもしれない。それで店員が言うのは、もう一着何か買っていただけると一〇パーセントオフになりますということで、欲しいものがないだろうかと店内を見て回った。何となく、真っ黒のシャツか薄い上着かズボンか、とにかく真っ黒のぱりっとしたようなアイテムが欲しいなという気になっていた。それでジャンパーの類など羽織ってみて、Nは良いと言って強く勧めるのだが、普段あまりそうした服を着ないためかいまいちピンと来ないところがあって、結局ガンクラブ・チェックのズボン一着のみを買うことにした。一三九三二円である。
 その頃には午後六時だかそのくらいになっていたはずだ。日が長くなったなと言いながら外に出ると、相変わらず広場には女子高生たちが集っている。その女子高生の集団のなかで、地面から水が低く吹き出している一角だけは親に連れられた小さな子どもらが遊ぶ場所になっていた。駅に戻り、ホームに上がるとちょうど電車がやって来ていたのでちょうどよいなと言って乗り込む。窓の向こうには落ちていく西陽が大きく膨らんで眩しく目を刺す。俺のゴールデン・ウィーク二日目が、とNが漏らすので、暮れて行くよとこちらは合わせた。それで二駅乗って、立川北駅で降りる。改札を抜け、駅舎から出て階段に掛かると、Nが、立川のこの風景がやはりいいな、と頻りに「いいな」と繰り返した。目の前にあるのはモノレールの線路や、高層ビルや、その下の店々の類である。モノレールがやっぱりいいなと言うので、近未来感があるねとこちらは受けると、漫画家が描きたいというのも頷けると言う。聞けば結構色々な漫画で立川の町はモデルになっていると言う。
 それで飯を食いに行こうというわけでLUMINEに入ったのだが、ここでも服を見ることになった。まずは入ったところの二階にあるUNITED ARROWSである。ここは高いからとこちらは遠慮していたのだが、Nがちょっとだけ見ていいかと言うので入り、こちらも真っ黒なアイテムを探したところ、パンツの類があって、高いだろうと思っていたところが一万円くらいで手の届く範囲なので――パンツに一万円も使うのは充分高いのかもしれないが――やっぱり見て行こうとNに言って店内を回った。それで、黒いパンツ二種と、やはり真っ黒なブルゾンを試着させてもらった。パンツはどちらも少々きつかったし、サイズを変更するのも面倒臭く、細身すぎるのがあまり気に入らず、却下。ブルゾンはシンプルですらっとしていて良かったが、如何せん真っ黒なのでちょっとシンプルすぎて、っこれに一万二〇〇〇円を使うのはなあと思われたのでこれも断念して、退店した。Nはここでも上着か何か買っていて、それまで四つくらいの紙袋をすべて一手に持っていたのが、UNITED ARROWSの非常に大きな袋にまとめて入れてもらっていた。
 それから六階へ。今度はUNITED ARROWS green label relaxingである。店内を見て回っていると、先日こちらの試着を担当してくれた、ちょっと髭を生やした短髪の男性に話しかけられたので、先日はどうもと挨拶した。何か真っ黒でぱりっとしたものが欲しいんですよ、シャツでもズボンでも何でもいいんですけど、と適当なことを言うと、近くにあったオープンカラーのシャツを勧めてくれた。そのほか、ボトムスはと訊くと、店内を移動して、一つさらさらとした素材のものを勧めてくれたけれどこれは履きやすすぎるように思われてあまり気に入らなかった。もう一つ、綺麗目カジュアルといった感じのパンツも紹介してくれたので、これと、先ほど見て回っていた時に気になっていた薄手の羽織りを試着させてもらうことにした。薄手の羽織りは真っ黒のものはSサイズかLサイズしかなかった。こちらの体躯にぴったり合うのはおそらくMサイズだと思われるのだが、そこはひとまずオリーブ色で合わせてみることにして、三枚と一着を持って試着室に入った。それで着てみたのだけれど、羽織りはSサイズでも意外とゆったりとした作りで問題がなかった。パンツの方もぴったりで、声を掛けられてカーテンを開けると店員が、これほどまでにぴったりだとはと言うほどだった。オリーブ色の羽織りも着てみて、それもなかなか良かったのだけれど、やはりどうしても普段着慣れないタイプのものなので良いのか悪いのか決定的な判断がつかず、どうしても自分の感性というのはどちらかと言うとフォーマルな方向に、いわゆる「綺麗目」の方向に寄ってしまう。そういうわけで、真っ黒なズボンだけを購入することにして、自分の服に着替えて試着室を出て、こちらを頂こうかなと思いますと店員に話しかけた。店員はありがとうございますと言って服を畳み、ご案内しますねとこちらをレジのほうまで連れていく。そこで別の店員――深い青色のセットアップ・スーツを着ていて、なかなか格好が良かった――に引き渡され、会計。八五三二円。こうしてまた大金が飛んでしまったわけで、これではまたもやMさんから、「散財癖のあるニート」と呼ばれてしまう!
 店を出て、さあこれで飯を食いに行こう、ということに相成った。それでエスカレーターを二階分上がって八階のレストラン・フロアへ。Nがトイレに行きたいと言うので、こちらは彼の荷物を預かって通路の途中で待った。通路の中途には腰掛けるためのソファが置かれており、そこに座っている一人の男性は、ペンを持ちながらもそれを動かすことなくじっと静止させて、向かいの壁の広告か何かに視線を送り続けていた。沈思黙考していたのだろうか? それでNがトイレから戻ってくると荷物を引き渡し、食う店を探しに行った。ゴールデン・ウィークだけあって、フロアは混み合っていた。Nと遊ぶ時は大体ここで飯を食っているのだが、寿司屋に入ろうかと思ったところが、凄い待ち人の数で、名前を書く用紙のほとんど一枚分すべてが待機になっているので、今日はここは諦めようとなった。それでもうちょっとフロアを回って差し掛かった「地鶏や」が、あまり混んでなさそうで、紙を見てみても二組ほどしか待っていなかったので、ここにしようと相成った。紙に名前を書き、向かいの壁に寄って待っていると、出てきた店員に、「地鶏や」で待っているお客様ですかと問われたので、そうですと返すと、こちらの方でお待ち頂けますか、そこは一風堂さんの場所なのでと言われた。それで「地鶏や」の店舗の方に寄って立ち、待っているあいだに椅子があいたのでそこに腰掛けた。待っているあいだ、目の前を、赤ん坊を抱き、もう一人幼児の手を引いた女性が通り過ぎて行った。その際に、幼児がこちらを剝いていたので、手をちょっと挙げてぱっ、ぱっ、というようにひらいたり閉じたりして合図を送ってやった。それからしばらくすると先の女性と子供らが一旦戻ってきて、近くの店のなかに入っていった。それからさらにしばらくすると、今度は別の女性が先ほどと同じ、目のつぶらで大きな幼児を一人連れて通ったので、ふたたび手を挙げると、子供はこちらの方にいたいけな手を伸ばしてきたので、その手を軽く掴んで触れてやった。母親なのだろうか、女性の方はすみません、と苦笑していた。去っていく子供にまた手を振って見送ったのだが、先の女性が母親でなかったとするとあの時この子を連れていたのは何だったのだろうか、母親同士が友達だったりするのだろうか。それに通路を何の目的もなさそうに行ったり来たりしてこちらの目の前を通るのも何をしているのか解せなかったが、まあそれはともかくとして、じきに呼ばれて店内へ。カウンター席の端に通された。喉が渇いていたので運ばれてきたお冷やをすぐにごくごくと飲む。それで、メニューを見て、こちらは鶏白湯[とりぱいたん]そばと葱チャーシュー丼のセットにすることにした。Nはミニ鶏白湯ラーメンと、串焼きを何本か。それで待ちながらカウンターの向こうの厨房で非常にせわしなく立ち働く料理人の姿を眺めたり、適当に雑談を交わしたりする。母親は元気かと問われたので肯定し、ここで仕事を始めたのだと説明する。「K」と言って発達障害のある子供らと一緒に運動をしたり勉強をしたりして支援する施設だ、一年前にも短い期間勤めていたのだが、こちらの頭がおかしくなったので(と笑う)、休止していたのだ。家にいて家事をやるのが嫌だと言って仕事に出ている、まあいいんじゃないだろうか、続くかどうかわからないと不安を漏らしてはいるけれど、あと、二六歳の若い元ヤンみたいな同僚の車に乗ったら、香水の匂いが凄くきつかった、サーファーのつける香水だったなどと話す、と知らせ、知らねえっての、と笑う。Nはその後、彼女とのデートでどこに行こうかと携帯を使って検索していた。そのうちに食事がやって来る。ミニラーメンは思ったよりも小さくて、Nはほかに串焼きがあると言ってもそれでは全然足らないようだったし、こちらも腹が減っていたので、食べ終わったらまた何か注文しようと言った。それで食し(Nはラーメンのスープが美味いと頻りに言っていたが、こちらの感覚ではさほどでもなかった。葱チャーシュー丼はまあまあ美味かった)、追加注文として鶏肉の炭火焼きと「地鶏や」名物だという「コリコリ」という品を頼んだ。軟骨と砂肝を木くらげや山くらげと混ぜて葱塩味に和えたものらしい。その二品が出てくるのに結構時間が掛かって、Nなどは、そのあいだに満腹中枢が働いて何となく腹がいっぱいになってきたらしかった。それでも品が来れば食べる。炭火焼きは柚子胡椒を付してその辛味を感じながら葱と一緒に頂き、「コリコリ」の方はNが野菜が嫌いで葱を食わないと言うので、葱が全面にいっぱいに混ざっている品だったので彼は鶏肉の細かな欠片を少々つまんだのみでこちらがほとんど頂いた。そうして食事を終え、店をあとにする。こちらがひとまずまとめて払ってしまうからと言うと、Nは喫茶店で金を崩して返してくれると言う。しかし、この食事の代金は結局こちらもNもその後それについて忘れていて、こちらが全額支払った形になった。帰りの電車のなかでメールが送られてきてそれに気づいたのだったが、面倒臭いので次回会った時にはお前が奢ってくれという形で手打ちとした。それで会計を済ませ(三五九六円)、店舗の外に出た。エスカレーターを下って行き、LUMINEから駅のコンコースに出て、ふたたび喫茶店に向かうことに。駅のすぐ傍にあるEXCELSIOR CAFFEである。北口広場に出る前の右方に折れる階段を下りながら、もう八時か、一日があっという間ですなあと漏らした。
 そうして喫茶店に入り、一階の席のなかの、丸テーブルを挟んで向かい合った一席に入った。弾力のある椅子には両側に銀色の手摺りがついている。それで注文、ここではこちらはアイスココアではなくて、グレープフルーツ・ジュースを頼んだ(五〇〇円――PRONTOのアイスココアと比べると結構高い!)。そうして席に就き、向かい合ってふたたび雑談。ここではどんな流れでそうなったのだったか、過去のパニック障害の経験を語ることになった。確か苦労というものはやはり何だかんだ言っても大事なものだというようなことを相手が言って、それで言えばまあ自分は一応、大抵の人は経験しないような苦労を体験してきてはいるなという風に受けた、その文脈だったかもしれない。それで確か自分のことを語る前に、塾で働いていた時の一人の生徒と、それに対する同僚たちの反応のことを話したのではなかったか。その生徒というのも神経質と言うか、病院で見てもらえば社会不安性障害か何かの診断が下っただろうと思うのだが、非常に緊張してしまうタイプで、加えて緊張をするとたくさんおならが出てしまうのだと言った。そうすると恥ずかしいからまたそれで緊張して、悪循環になるし、授業中に許可を取ってトイレに行ったりするのも皆の注目を浴びてしまうから恥ずかしい。そんな状態では端的に言ってテストの時など地獄だっただろうし、塾にも途中から来ないようになってしまったのだったが、そうした彼の事情を話す際の当時の同僚らの調子は、勿論馬鹿にするというのではないけれど、おならぐらいで、みたいな、やはり非常に軽く考えている風だったのだ。そこから精神疾患の苦しみというのは理解されづらいと述べ、お前が今までの人生のなかで一番緊張した出来事は何かと相手に尋ねた。Nは手術の前はむしろ緊張せず、落着いた、穏やかな気持ちでその日を迎えることが出来たと言ってから――手術と言うのは、彼はマルファン症候群という遺伝病の患者で、それは遺伝子の欠損のために細胞が非常に脆く、弱くなるという病気であり、そのために心臓の血管が肥大するか広がるか何かして、それを治癒しなければならなかったのだ――剣道の段位昇格戦の時かなと言った。パニック障害と言うのは、その生涯で一番緊張している状態――あるいはむしろそれ以上の緊張や不安――が四六時中ずっと続くのだと考えると、体験したことのない人にとってもわかりやすいかもしれないと話した。Nはなるほど、というように受けていた。俺も昔は、電車のなかで、トイレに行きたくてたまらなくなって降りたりした時があったよと話す。それで、今日来る時も立川の手前で電車がしばらく停車したのだが、そういう時も以前は不安になって仕方がなかったものだったと。まあ今はもう大丈夫なんだけれど。
 マルファン症候群の話もちょっとして、これは会ってすぐの時もして、その時はそちらは身体の調子はどうだと訊いたのに、まあ大きな問題はないと答えられたのだった。夜の喫茶店では、マルファン症候群と言うのは、遺伝子の問題なのだよなということを確認した。そうだと肯定が返る。生まれつきの遺伝子の問題で細胞の作り自体が違ってしまっている、だから端的に言って完治の方法がない、対症療法しかないとのことだった。遺伝子操作が出来るようになれば別だがとこちらが言うと、もうそういうのも始まっているらしいよなとあちら。確かに、中国だかどこかで遺伝子操作した赤ん坊が誕生したというニュースを見たような記憶がある。いわゆるデザイナー・ベイビーというものだろう。それに関連して、マイケル・サンデルがそういうデザイナー・ベイビーに反対する主張をしている唱えているらしいのだが、そのあたりのことも軽く話した。つまり、「運」というものが人間の力では左右できない「平等」の最後の砦としてこの社会の最低線を引いている。金持ちに生まれついたけれど運動神経が悪いとか、身長が低いとか頭が悪いとかそういったことがあるわけだ。その自分の力ではどうにもできない「運」の要素がこの社会の「平等」を最終的なところで担保しているのだが、デザイナー・ベイビーはそこに介入することが出来てしまう。「運」さえも操れるようになるというわけで、これは社会的平等の観点からは途方もない負担と言うかリスクを孕むことになるだろうと概ねそんな話だ。それを受けてNは、これは本当に難しい話だと言い、例えば法律で、すべての親は自分の子供に対して遺伝子操作を施して好きな性質を選ぶという風に出来ればまだ良いと思うが、そんなことは現実的には不可能だから、どうしても不平等が生じてしまう、というようなことを言った。それを受けて、だから極端な話、子供が親を訴えるみたいな事例も出てこざるを得ないわけだ、何で自分を遺伝子操作してくれなかったのかと言って、とこちら。まあ特殊な遺伝病の場合に限って認める、みたいなことが出来ればそれは良いのかもしれないなとそのあたりで互いに一致した。
 そのほかのことは覚えていない――と思ったが、一つ覚えていたことがあって、それは話の内容ではなくてほかの客のことなのだが、こちらから見て左方の二つ隣のテーブルには耳の聞こえない人が二人就いていて、手話で会話をしていた。その身振りが非常に素早く、激しいもので、時折り唸り声を漏らしながら会話しているのだが、あれで本当に互いに意思疎通を出来ているのか、適当に、ただ滅茶苦茶に両手を動かしているだけではないのかなどと疑ってしまうほどスピードの速いもので、本格的な手話での会話というのは初めて見たが凄いものだ。どの程度細かく意思疎通が図れるものなのか、互いに笑い合ったりしていたところを見ると、何か面白いことや冗談の類なども伝達できるらしい。二人の――ちなみに二人とも結構年嵩の男性だった――うちの一方は、時折り男性店員を捕まえては大きく素早い身振りで何かを訴えていたのだが、店員の方もそれに対して、時には筆談も交えていたようだが、もう一杯、とかミルク? とかストロー、とか解読して適した対応をしており、なかなか見事だった。客で言えばもう一人記憶に残っているのはこちらの右方の席に途中からやって来た白人で、この人は一人で、脚を前方に伸ばしながら静かに英語の本を読んでおり、こちらはたびたび右方に目をやってその頁を無遠慮に覗き込むなどしてしまったのだが、どうも小説ではなかったように思う。Nがトイレに行ってこちら一人になったあいだなど、よほど何の本を読んでいるのかと話しかけてみようかと思ったのだけれど、肝心なところで勇気を出せず、引っ込み思案を発揮して結局黙っていた。
 喫茶店でのことはそんなところで良いだろう。九時半を過ぎたあたりでそろそろ帰ろうとなった。それで退店し、駅に入るとコンコースの人通りはもう夜だからか思いの外に少ない。改札を抜けて、通路の真ん中で立ち止まり、今日はありがとうと互いに挨拶した。それからちょっとまた話したあと別れることになったので、こちらは気をつけて、と声を送ったのは、女性に浮気がバレて刺されないように気をつけろよ、という意味合いを含んだものだった。そうして一番線に下り、電車に乗って、がらがらと車内で席の端を悠々と取る。それで携帯電話でメモを取ろうと思ったのだが、どうせメモしても大して多く記述出来るものでもなし、それだったら今日のことは記憶に任せて書くとして、ここでは持ってきた本を読むかと考えて、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』をひらいた。そうしてあっという間に三〇分ほどが経ち、青梅駅着。奥多摩行きは既にやって来ていた。乗り込むと席に就いて引き続き書を読む。そうして最寄り駅に着いたあとの帰路には特段のことはなかったと思う。
 帰宅して母親に挨拶をして――父親はトイレに入っていた――下階に下り、服の入った袋を床に置き、街着を脱いでパジャマを持って上階に行った。そうして入浴。出てくると、確かコーラを一本持って自室に下ったのではなかったか。それでしばらくTwitterを眺めるか何かしたのち、日付が変わる直前からこの日の日記を綴りはじめた。BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』。四〇分ほど綴ってちょっと休んでから、この日の日記はここまでとすることにして、ベッドに移り、一時一〇分すぎからガルシア=マルケスをふたたび読みはじめた。
 ガルシア=マルケスの文学的特質の一つとして、「列挙」の技法があると思う。まずは少々、引用してみよう。「果たさねばならぬ冒険にあまりにも気を取られていて、いつものようにインド人の店先で足を止め、まるごと一本の象牙に彫りこまれた、大理石の中国の大官たちを眺めるのを忘れた。美容健康のために自転車に乗った、オランダ人の血のまじった黒人をからかうのを忘れた。また、炭火で焼いたブラジル女のヒレ肉を売る怪しい店を訪ねて世界を一周したという、コブラのような皮膚をしたマレー人たちに出くわしても、これまでのように驚きはしなかった」(四二頁; 「幽霊船の最後の航海」)。ここではそれぞれ長めの修飾を付け加えられた「中国の大官たち」「黒人」「マレー人」といった、同じカテゴリに属する様々な名詞が次々と並び立てられている。それは、具体的な情報を凝縮して付与されることでそれぞれ唯一無二の個性をはらんだ事物であり、この修飾情報の付加によってマルケスの「列挙」的記述は、河原に転がっている石のようなごろごろとした手触りを帯びている。それによってとても豊穣な「物」の世界が読者に垣間見え、マルケスの世界に含まれた事物の豊かさが我々に香り立つことになるのだ。
 「列挙」の技法を用いている部分に限らず、マルケスの記述はいつも具体的で、思弁的要素は欠片もなく、(いわゆる近代文学的な?)心理や内面の襞ともほぼ無縁である。しかし、外面のみを描写することでその文章は乾いて淡白になるのではなく、途方もない豊穣さを湛えた骨太な威力を持っており、そこにはまざまざと手に触れられるかのような具体性が隅から隅まで常に保たれているのだ。それこそが彼の文体的特徴というものだろう。
 四二頁から四三頁にはまた、「おふくろよ」という「呼びかけ」の技法も見られる。引用してみよう。「またまた迎えた三月の夜、何気なく海のほうへ目をやると、おふくろよ、なんてこった、不意にそこに、石綿づくりの巨鯨、怒れる海獣が出現したのである」「じつはそれはおふくろよ、想像もつかないくらい大きな(……)客船がそこに、目の前にいたからだった」。これはのちには『族長の秋』においてもふんだんに利用されているテクニックである。この二箇所では、語り手が主体となった地の文のなかに突如として「彼」の母親に対する呼びかけが闖入してきており、ここでは話者と一登場人物に過ぎない「彼」との位相が渾然一体と溶け合っているのだ。
 そのほか、マルケスの小説には「数」も頻繁に現れ、利用されていると思うが、そのなかに時折り、途方もない数字が含まれていて、世界のスケールの大仰さを表しているのも特徴である。例えば、「三十万トンほどの鮫の臭い」とか、「つぎつぎに割れる九万五百個のシャンパングラスの音」とか、「客船は真っ白で、塔の二十倍も高く、村の九十七倍の長さがあった」といった調子だ。
 またほかにこの日読んだ部分においては、「星の重味を背負った夜」とか、「星が息絶えたかのように闇が濃くなった」といった「星」の表現や、「巨船が運んでいるのはそれ自身をつつむ静寂」だったというような言い方がなかなか気に入られた。最後の部分は少し前から引用しておこう。

 (……)唐突に星が息絶えたかのように、闇がいっそう濃くなった理由も分からなかった。じつはそれは、おふくろよ、想像もつかないくらい大きな――この世のほかの何物よりも巨大で、陸と海のほかの何物よりも真っ黒な――客船がそこに、目の前にいたからだった。三十万トンほどの鮫の臭いが小舟のすぐ脇を通りすぎたおかげで、彼は鋼鉄の絶壁の接ぎ目を見ることができた。無数と言ってもよい船窓に灯ひとつなく、エンジンの吐息は聞こえず、人影も見当たらなかった。巨船が運んでいるのはそれ自身をつつむ静寂、それ自身を覆った空虚な夜空、それ自身のうちに澱んだ空気、それ自身の停止した時間、溺死した動物のすべてが漂っているそれ自身の放浪の海だったのである。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、43; 「幽霊船の最後の航海」)

 「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」の途中まで読んで二時四五分に就床した。


・作文
 10:33 - 11:25 = 52分
 23:57 - 24:36 = 39分
 計: 1時間31分

・読書
 21:58 - 22:44 = 46分
 25:12 - 26:42 = 1時間30分
 計: 2時間16分

・睡眠
 1:30 - 9:45 = 8時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』