2019/5/2, Thu.

 何と一時四五分まで寝床に留まる。睡眠時間は一三時間。端的に言って、糞である。上階に行くと無人。両親とも祭りの役目に駆り出されている。今日、明日と青梅大祭である。ハムエッグを焼いて丼の米に乗せ、冷蔵庫のなかにあった茸の味噌汁を温めて食事。一面をいっぱいに使って報じられている新天皇即位の記事を読む。そうしてものを食うと薬を飲み、便所に行って糞を垂れ、手を洗って戻ってくると食器を洗った。そのまま風呂洗いも済ませて下階に戻り、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして日記を書きはじめたのが二時半である。ほとんど同時にYさんからSkypeでメッセージが届いたので、やり取りをしながら前日の日記を綴る。思いの外に時間が掛かった。途中、母親が帰ってきたらしき気配を耳にしていたので、一度上がって行くと、炬燵に入って休んでいる姿があった。もう終わったのかと問うと、まだ、夕方にもう一度行くようなのだと言った。お前も山車を引くのを手伝いなよと求められるのに、嫌なこった、と答えて階段を下り、自室に戻ってFLY『Year Of The Snake』を背景に引き続き日記を綴った。そうして四時目前になってようやくここまで。
 ブログとnoteに前日の記事を投稿すると、Twitterを眺めたりしながら引き続きYさんとSkypeでチャットのやり取りを交わした。三大欲求の話を日記に書いてねと別れ際に言われたので、そのことを書こう。Yさんはスター・バックスの店員の一人を気に入っている。その人は「Rちゃん」と呼ばれたり、次には「Zちゃん」と呼ばれたり、最後には「Kさん」という名前に落ち着いたのだが、彼曰く彼女の胸の形が素晴らしいらしい(Seinというのはドイツ語では「存在」だが、フランス語だと「胸」という意味になるらしかった――それで「Zちゃん」という呼び名が生まれたわけだ)。そこで、Yさんは性欲はあるんですかと尋ねつつ、こちらは精神疾患の薬を飲んでいるので性的欲求が希薄だと明かすと、彼はそうした症状はないと答えた。とは言え、食欲や睡眠欲は希薄であるらしい。それを受けてこちらは、昨年中は三大欲求がすべて消滅していたと言うと、それはまるで人形みたいだとの返答があったが、あながち外れてもいない。
 そうした話から澁澤龍彦訳のバタイユ『エロティシズム』が話題に上がったり(こちらは幻想文学方面には詳しくないので、そんなものがあるのかとここで初めて知るものだった)、ハムスターの写真を見せてもらったりしたが、ほかにこちらの関心を引いたこととしては、こちらもTwitterで一度だけ絡んだことにあるNさんという方がこちらの日記を楽しみにしてくれているらしい。Yさんは彼女ともダイレクト・メッセージで交流をしているようなのだが、彼はTwitter上で色々な人と交友関係を持っている(それを指摘すると、孤独を嫌うからかもしれないという返答があった)。それでSkypeにNさんも呼んでみたらどうですかと提案したところ、夜に余裕があれば話せるかもしれないとの返答があったようだったので、日記をいつも読んでくれてありがとうございますと礼を伝えてくれと頼んだ。Nさんとも話すことになるとしたら、話の種として彼女の書いた小説を読んでおいた方が良いだろうと思ったので、Twitterに投稿されていたリンクを辿って、五時になる少し前からその作品に目を通していた。そうして五時を迎える頃、自分はそろそろ食事の支度をしに行きますと言ってやり取りを終え、上階に上がった。
 母親はまた祭りの役目で出かけると言った。魚だけ焼いておいたと言うので、ほかに味噌汁とサラダを拵えることにして台所に入り、母親が出かけたあと――彼女は出かける前、例によって、玄関の鍵が見つからないなどと言ってばたばたしていた――玉ねぎに包丁を入れた。小鍋には水を汲んで火に掛けてある。それが沸騰しないうちに切った玉ねぎを放り込んでしまい、続けて大きな椎茸も切って入れ、さらに葱をスライサーで細かくおろして加えた。それで煮ているあいだに、洗い桶のなかに大根と胡瓜を、やはり器具を使って細かくおろして生サラダを拵え、鍋が煮えるのをしばらく待ったあと、冷蔵庫から味噌の入ったプラスチック・パックを取り出し、菜箸で小さなお玉に適当に取り分け、それを鍋のなかに入れて箸で擦るようにして溶かした。味見もせずに味噌汁はそれで完成とし、洗い桶のなかで水に浸かっていたサラダを大きな笊に流し込んで上げておき、その笊は食器乾燥機のなかに入れて蓋を閉め、密閉空間のなかに入れておく。それで支度は完了、短い仕事だった。下階に戻ってくるとceroの曲をいくつか歌い、そのあとFLY『Sky & Country』を流しながらNさんの小説作品を読んだ。それで時刻は六時を越えて、日記を書きはじめてここまで綴れば六時半も近く、部屋のなかには薄闇が忍び込んできており、コンピューターのモニターの白さが際立っている。
 それからNさんの小説に関しての感想や指摘を非常に大雑把に、箇条書きで日記に記した(この感想はのちに、彼女に、多少苦言を呈してもいるのだけれど送ってもいいかと尋ねたところ、是非とのことだったので、Twitterのダイレクト・メッセージの方に送っておいた)。それで時刻は七時。食事を取りに上階に行った。母親はふたたび帰ってきていた。食事は鯖に白米、大根と胡瓜の生サラダに玉ねぎの味噌汁である。テレビは何を映していたのか、全然覚えていない。ニュースだっただろうか? 食後、入浴。上がって「キレートレモン C WATER」を持って下階へ戻ると、八時からMさんのブログを読んだ。それで九時も近くなった頃、Skype上でYさんが、誰かのアカウント・ナンバーを投稿したので、これは誰のものかと訊けば、Iさんのものだと言う。この人はこちらもYさんから話を聞いていて、Twitter上で知り合った彼の友人であり、先日北鎌倉で実際に会ってきたらしい。彼も会話に参加したいと言っていると言うので、こちらがコンタクトを送って、三人のグループを作成した。じきに来るだろうということでもうそこにNさんも加えられ、しばらくチャットでの会話をしながら、こちらはSさんのブログを読んでいた。「ル・コルビュジエ」の一段落目の風景描写が大層良かった。しかし、その記事の主題である展覧会の感想よりも、副次的な部分である導入部の描写の方にこそ惹かれてしまうというのはどうなのだろうか――それこそが「小説」的な楽しみ方だとも言えるのかもしれないが。チャットの話をすると、Iさんは幻想文学方面が得意な人で、夢野久作研究会に属しているのだが、夢野も好きだけれど一番好きなのは中井英夫だと言う。お勧めは何かと訊くと、やはり『虚無への供物』が勧められるとのこと。そのほかには、短編集である『とらんぷ譚』というのも面白いという話で、幻想文学方面というものも全然手を出したことがないので読んでみたいものだ。こちらからは今ちょうど読んでいる『族長の秋』を勧めておき、そのうちにNさんも加わって通話をする流れになったので、その前に用を足しておこうということで通話ボタンを押すだけ押しておいて便所に行った。膀胱を軽くして手を洗ってから戻ってきてヘッドフォンをつけると、ちょうどFさん、Fさんと呼びかけられているところだったので、はいと返事をした。
 覚えている限りのことを記そう。まずはやはり小説の話。Iさんは海外の文学だとカフカを読むと言った。これはチャットの時点で話していたことだが、こちらは「ある犬の研究」が一番破綻すれすれのような感じで印象に残っていると話した。Iさんは海外文学はそれほど深く読んでいるわけではないようで、幻想文学や日本の近代文学が得意分野のようだった。どういう流れからだったか、梶井基次郎の話にもなった時間があった。梶井基次郎は……とこちらは無意味な溜めを作って、素晴らしい、と断言する。梶井基次郎は天才ですよね、とIさんが応じるのにさらに合わせて、梶井基次郎は……天才に近いですね、と勿体ぶった調子で返答した。彼の話になったのは、金原ひとみ『アッシュベイビー』の話からだったような気がする。Nさんが金原ひとみが大好きな人で、『蛇にピアス』も良いが、『アッシュベイビー』という作がよりぐちゃぐちゃで過激で良いのだと言う。ロリータ・コンプレックスの男が出てきたり、何やら動物か何かを使ったどぎつい性行為の描写があったりするらしいのだが、何でそれが好きなんですかとこちらが突っ込むと、Nさんはちょっと笑って、よく人に言われます、頭がおかしいって言われたりしますと答えたが、文学好きなんて大体そんなものだろう。『族長の秋』だって一般のエンターテインメント的な小説しか読んだことのない人に見せてみればわりと頭がおかしいと思われるに違いない。それで、そこを引き取ってIさんが、Nさんはグロテスクなもののなかにきらりと光る美しさというものに惹かれているんだと思いますと代弁すると彼女は、まったくその通りですと応じた。それでこちらは思い出したことがあって、それは梶井基次郎のことで、つい先ほどMさんのブログで読んだばかりの挿話だったのだが、梶井基次郎が何かの小説で、自分の吐いた血混じりの赤い痰が水溜まりのなかで金魚のように見えたという比喩を書いていて、それを思い出しましたと告げた。そこから、梶井基次郎は素晴らしいという話になったのだったと思う。
 音楽の話。Nさんはこちらが毎日毎日FISHMANS『Oh! Mountain』ばかり聞いているものだからそれで興味を持ってくれたらしく、『Oh! Mountain』を聞いたと言うので、独特ですよね、ボーカルがへろへろで、と話して、気に入ってくれると嬉しいですと言った。昔は――と言うのは中高時代だが――ハード・ロックばかりを聞いていて、高校では軽音楽部をやっていたという話もした。Deep Purpleなどをやったと。楽器はギター。Iさんはそれに対して、中学三年から高校三年までベースをやっていたと言う。好きなベーシストとかいたんですかと訊くと、何とか言うバンドの名前を挙げていたが、これは残念ながらこちらの知らないものだった。部活の話で言うと、Nさんは今、文芸部に入っていると言う。彼女は大学だか専門学校だか忘れたが、デザインの勉強をしていて、美術方面では現代アートインスタレーションなどに興味があると言う。それで、そちらの方面はFさんはご存知ないですか、と訊かれ、彼女らのイメージのなかでは何故かこちらは色々な分野に精通している人物であるという像が出来ていたらしいのだが、美術などこちらは全然知らない。せいぜい数年前にMさんとH.Tさんと一緒にナム・ジュン・パイクを見に行ったことがある程度なので、その名前を出したが、皆聞いたことがないようだった。それで、ジョン・ケージなんかと仲が良かった人で、ビデオを使った作品を作っていてと、説明とも言えないような説明をする。美術で言うとIさんは、オディロン・ルドンと、あと一人日本人の、大島何とかと言っていただろうか、その人が好きらしかった。どちらも幻想的な作風の画家で、ルドンというのは名前を聞いたことがあるし、その絵もどこかで見たことがあるなと思っていたのだが、記憶を探ってみると、それは、金子薫の『鳥打ちも夜更けには』の表紙絵がルドンのものだったのだった。
 恋愛の話。こちらは恋愛経験と言うか、女性と付き合った経験がないと言うと――男性と付き合ったこともないですが、と添えると微妙な笑いが起こった――、皆それは意外だという風な反応だった。しかしないものはない。恋愛経験と言って、数年前に片思いをしていたくらいのことしかない。その相手と言うのはこの日記にもたびたび出てくるTのことで、現在彼女はKくんと付き合っており、近々結婚もするような雰囲気だが、だからと言ってこちらはそれに対して特に何も思うところはない。数年前にはあれほど熱情的だったのに、気持ちというものは容易に希薄化してしまうものだ。それで、経験と言ってその一つくらししかないので、求められるがままに、高校の頃から彼女のことをわりと好いていたこと、しかし当時彼女には恋人がいたので特に告白するでもなく卒業したこと、それから数年して大学三年生のあたりにふたたび交流が始まって、もう一度会ってみるとやはり結構好きだなと思ったので、その当時も彼女には恋人がいてこちらが付き合うことはできないとわかってはいたものの、思いを伝えるだけは伝えておくかと青春ぶってそこで恋情を告白したこと、などを話した。そうするとIさんなどは、格好良い、と言ってくれたが、特段格好良くはないだろうと思う。格好良いで言えば、皆、通話中のこちらの声が渋くて格好良いと言ってくれたのだけれど、声を褒められるのなんて初めてだったので気恥ずかしかった。Tの話に戻ると、当時こちらが告白しようと思ったのは、彼女から音楽活動を一緒にやらないかと誘われたためで、共にそうした活動をするということになったら、半端に気持ちを押し隠したままではいられないなと思って、告白という英断に至ったのだった。当時はやはり結構緊張したと思う。しかしいざ告白してからは箍が外れたようになって、結構恥ずかしいことも平気で彼女に言ったし、ある日、恋情に焼かれて彼女の身体に触れたい、抱きしめたいという強い衝動を覚えながら自宅で悶々としたことがあったのも覚えているが、片恋慕であるとは言え、実に健全な若者の恋愛らしい経験ではないか? そんな時代ももはや遠くなりにけり、だ。
 Iさんはわりと恋愛経験豊富らしく、最高の恋愛も最悪の恋愛もしてきたと言った。モテ野郎である。Nさんは、先ほどこちらが読んだ私小説的な作品は、一応架空のものではあるけれどやはり自分の恋愛体験、付き合っていても相手の心が見えなくて不安になった時の心情や、幸福がいつまで続くかわからないことに対する不安などを反映させたものだと言った。
 Yさんの話を全然書いていない。彼は映画の知識がやはり豊富で、折に触れて、こういう映画にこういうシーンがあって、とかそういう話を差し挟んでいた。Iさんと会った時は、北鎌倉を散策しながら澁澤龍彦邸を探したのだが、全然見つからなかったと言う。僕ら、完全に不審者でしたよ、とのこと。Yさんは自分で思っているのとは逆で結構よく話す方で、彼が少々間延びしたような独特の調子で話し出すと妙な雰囲気が生まれて――悪い意味でなく――ほかの三人は彼の言うことをじっと聞くような態勢になるのだった。そのなかでもIさんは、もう結構Yさんと気心も知れているようで、仲良さげに突っ込んだりしていた。彼曰く、Yさんのキャラは非常に濃いとのこと。Iさんが言うには、実際に会ったYさんは、知的な感じのする人だったとのことだ。
 住まい。こちらは東京都青梅市という東京のくせに片田舎に住んでいて、どれくらい田舎かと言うと鹿が出て、電車に衝突してそのために電車が停まるくらいだと話したのだったが、Iさんはさらにそれを上回る田舎の出身で、山形の村の出だと言った。今時村出身というものも珍しい、と自分で言ってみせたが、そこでは自動車で熊の子供を轢き殺してその晩の夕食にするようなことが平気で行われていたらしく、熊なら青梅にも以前出没したことはあるが、しかしこれには勝てない。それでIさんは今は静岡の大学に通っているのだが、現在連休中は神奈川にある祖母の宅に遊びに来ているとのこと。それで横浜に住んでいるYさんとも会うことができたわけだ。Nさんは福岡住まいである。
 主題的にまとまった話はそれくらいだろうか。あとはYさんの連想で話題がどんどん脇道に逸れていったり脱線したりしている時間が多かったような気がするが、それが雑談というものだ。Yさんの大学時代の話とか、フランス人との交友の話とかもあったけれどそれは良いとしよう。それで、一時台だっただろうか、Nさんが明日は用事があるのでということで退出した。それから二時を回った頃だったかにIさんも眠いと言って脱落し、こちらとYさんのみの会話になったが、こういう時に話題を全然提供できないのがこちらの弱さである。それでこちらはベッドに寝そべり、マイクをベッド脇のスピーカーの上に置きながら、Yさんが思いつきで話す事柄に対して相槌を打ちながら聞き、まったりとした時間をしばらく過ごした。それで三時半前になったところで、そろそろ眠ろうかということになった。Yさんの父親が明日――と言うかもう「今日」の時間になっていたわけだが――誕生日らしく、妹さんがやって来て一〇時から食事を取りに行くとのことだった。それで別れの挨拶をして就寝。
 自分の日記について話したことを書くのを忘れていたが、面倒臭いのでそれは省略しよう。あとIさんから彼の自作小説を送ってもらったので、これも近いうちに読みたい。


・作文
 14:32 - 15:57 = 1時間25分
 18:04 - 18:24 = 20分
 計: 1時間45分

・読書
 20:05 - 21:00 = 55分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-04-27「ひとつきりしかないものにひとつきりの名前をつけたものから死ぬ」; 2019-04-28「衣替えしたから摂氏十五度もしのごの言わず夏だぞ叫べ」; 2019-04-29「ため息も聞き做しすればカタカナの響きだと知る異国の夜長」; 2019-04-30「日めくりを折り鶴にする今日もまた命日である赤の他人の」; 2019-05-01「明け渡す未曾有の夜を静粛に既知のうずまくあなたの利き手に」
  • 「at-oyr」: 「終わらない」; 「SIMON GOUBERT」; 「お笑い」; 「ビジネス書」; 「巣鴨」; 「日」; 「夢二題」; 「二度寝」; 「ラジオ」; 「喉」; 「復活の6」; 「金沢八景」; 「ル・コルビュジエ」; 「豊かな音」; 「アオサ」; 「未練」

・睡眠
 0:50 - 13:45 = 12時間55分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • FLY『Year Of The Snake』
  • FLY『Sky & Country』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』
  • Evgeny Kissin『Schumann: Kreisleriana; Beethoven: Rondos, Etc.』