2019/5/4, Sat.

 比較的早めに床に就いたと言うのに、一一時半起床。いつも通り変わらないではないか! 糞だ! しかし、ひとまず辛うじて午前中に起きることができたということを一抹の救いとしよう。上階へ行くと、両親は祭りの片付けに駆り出されていて不在である。冷蔵庫のなかから、褐色の五目鶏飯と唐揚げ二粒の乗った大皿を取り出し、電子レンジに入れて二分を設定した。温めているあいだに洗面所で顔を洗い、トイレに行って用を足してくると、卓に就いて食事を取った。南窓はいくらかひらいており、初夏の空気のなかに時折り風の動きが微かに生まれて爽やかである。食事を終えると薬を服用して下階に戻り、一二時一二分から日記を書きはじめた。一時間弱でここまで。
 音楽は、小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を流していた。"ローラースケート・パーク"が爽やかで、初夏の空気に似つかわしい。音楽をFISHMANS『Oh! Mountain』に移して、前日の記事をブログやTwitterやnoteに投稿した。するとTwitterで、Hさんが先日青梅に訪れていたようで、偶然ですねとリプライを送ってきたそのツイートには青梅駅から祭りの音を捉えた短い動画が付されていた。それに返信を送り、さらにリプライを送ってきてくれていたY.Cさんへも返信し――ラテンアメリカ文学の幻想性を味わいたければ、ブルース・チャトウィンパタゴニア』など読んでみるのが良いだろうとのことだった――上階に行くと、両親が帰ってきていた。団子があると言うので、卓に就いて琥珀色のたれの掛かったそれを頂き、それから風呂を洗った。父親は自治会の用事があるのか、結構ぱりっとした格好――ピンクっぽい色のチェック柄が入った白シャツに、テーラード・ジャケット――をしていた。クリーニング屋に向かう母親と一緒に出かけるらしい。こちらも図書館に出かけると言った。そうして下階に戻って歯磨きをしたあとに服を着替える。United Arrows green label relaxingの黒一色のパンツを身に着け、先日FREAK'S STOREで購入したグレン・チェックのブルゾンを紙袋から取り出し、タグを取ると丸めて持って上階に上がった。それで居間の片隅、椅子にハンガーで掛けられていた臙脂色のシャツを着ようとしたのだが、母親はそれはもう色が冬っぽいと指摘する。それに対して父親は脇から、お前はすぐそうやって冬っぽいとか何とか言う、と突っ込んだのだが、こちらはそれでは半袖でも着るかというわけで自室に戻り、ボタンの色がそれぞれカラフルに違っているデザインの、真っ白な麻のシャツを、これで文句はないだろうというわけで身につけた。そうして上階に行ってブルゾンを羽織り、洗面所に入って髪を水で濡らして櫛付きのドライヤーで寝癖を整える。そうするとそろそろ出発しようとなったので、雨が降りはじめたことでもあるし、こちらも乗せていってもらうことにした。それで自室に戻ってリュックサックに荷物を整理し、ブルゾンのポケットに手帳も入れて、室を抜けて上階へ、玄関を出て扉の鍵を閉めた。両親は父親の真っ青な車に乗っていた。助手席に乗りこむと、車内の生暖かい空気に身が包まれたので、暑いなと口にした。それで発車、まずは父親を送るために自治会館へ向かうのだった。粒の大きな雨が、しかし乏しく降るなか、窓をひらいて進んで行き、裏道から街道に出るとさらにもう一度細道に入って上って行き、自治会館前に着くと父親はありがとうと言って降りた。訊けば祭りの慰労会で、それ自体は二、三時間で終わるらしいが、そのあと例によってYに繰り出すかもしれないと言う。まあまず間違いなく酒を飲んで帰ってくるだろう。それからこちらと母親は二人で車に揺られて河辺を目指す。青梅市街、通りの左右には観光客らしい人々の姿が結構見られた。西分から千ヶ瀬に下りて、クリーニング屋に寄る。裏道の駐車場、車を停めた箇所の正面には大きな花弁の躑躅が咲き満ちていた。母親がクリーニング屋に行ってしまったあと、ひらいた窓からその躑躅の、紫を幽かに孕んだような濃いピンク色を見つめて時間を潰す。じきに蜂が一匹、その躑躅の周りに現れて、それから花のなかに潜ったものか、姿が見えなくなったが、蜂の羽音らしきじっ、じっ、という音が間歇的に聞こえる。しかしそれは微かなので、風に揺られて僅かに擦れ合う草木の響きと区別がつかないようだった。彼方の空からは、巨人の手が大気そのものをぐしゃぐしゃと潰して崩落させたような雷の音が何度か響いて、帰り道に強く降らないだろうなと恐れられた。傘を持ってきていなかったのだ。
 そのうちに母親が帰ってきてふたたび発車、クリーニング屋は何でも六月いっぱいで閉店してしまうと言う。働いている人は吹上の方の店に移るという話だ。人員がいないらしい。やっぱり朝から八時までってなるときついよね、なかなかもう世話のない人じゃないとできないよね。クリーニング店で今受付を担当している人は、母親と同じ亥年生まれらしく、そうすると七二歳だよ、と彼女は言う。七二歳で店に立って働いていれば大したものだが、本人は私だっていつまで働けるかと漏らしていたらしい。そんな話をしながら河辺に向かい、ハナミズキの街路樹が咲き乱れている通りを走り、中学校の傍を折れて駅前に出たところで下ろしてもらった。ありがとうと残して車を下り、街路に入ってポケットに手を突っ込みながら歩いていき、図書館への階段を上って入館した。いつも通りCDの新着を見ると、先日も見かけたBob Dylanのライブ音源があったり、John ScofieldやOmer Avitalの音源があったり、はたまたRobert Glasperがプロデュースしたものらしいのだが、フェラ・クティの孫だか何だかがやっているらしきバンドの音源があったりして、興味は唆られるけれども、もう少し今ある音源を繰り返し聞いてからにするかということで今日は借りないことにした。そうして上階へ階段を上がって新着図書を確認し、書架のあいだを抜けてみたものの休日だから席は空いていない。ひとまず金原ひとみ『アッシュベイビー』を手もとに持つことにして、文芸の「か」の欄を目指して歩いた。SkypeTwitterのダイレクト・メッセージでNさんにお勧めされたので、早速読んでみようと思ったのだ。単行本のコーナーを見ても『アッシュベイビー』は発見されたが、家にいるあいだに図書館のホームページで検索して文庫本も所蔵されていることがわかっていたので、そちらを借りることにして、フロアの端の方に移った。ついでにテラス側の席も覗いたが、やはり混み合っていて隙間はほとんどなさそうだった。それで書き物は喫茶店で行うことにして、文庫版『アッシュベイビー』を手に取ると、解説は斎藤環が担当していた。それを持って文庫の哲学の区画などちょっと見て、もう一冊くらい何か借りようと思っていた。それでフロアをまた渡って哲学の区画を見に行く。野家啓一『はざまの哲学』にもちょっと惹かれたが、より入門的な著作ということで、『いま、哲学が始まる。明大文学部からの挑戦』を借りることにした。さらにもう一冊、借りようという気になっていて、新着図書にあった鷲田清一の『濃霧の中の方向感覚』でも借りようかと思ったところで、エッセイという関連から岸政彦『断片的なものの社会学』があったのだと思い出されて、それを借りることにした。それでまたもやフロアを横切ってエッセイの棚に行ったが、「き」の欄に当該作品はない。書架のなかを抜けて、検索機に近づき、簡単検索で「きしまさひこ」とキーワードを入力して見てみると、しかし『断片的なものの社会学』は貸出可能になっている。あるいは誰か今ちょうど取って読んでいるのだろうかと思いながら、ふたたびエッセイの「き」の区画の周辺を、「か」や「く」の欄も含めて見てみたが、やはり見つからない。これは小説作品の方に置かれているかもしれないぞと思ってそちらに移ってみると、果たして『ビニール傘』と一緒に並べられていた。それで、『ビニール傘』の方も見てみて、正直そんなに興味を惹かれたわけではないが、短めですぐ読めるものでもあろうし、新し目の文芸作品というものも読んでみるものだろうというわけで、二冊まとめて借りることにして、計四冊を貸出機に持って行って貸出手続きした。そうして階段を下りて退館。河辺TOKYUに渡る。河辺TOKYUは四月で閉店し、新しく改装されるので、喫茶店もやっていないのではないかと危惧していたが、Saint Germainは影響なく営業していた。入口を入ると、以前はスーパーへと続いていた通路がすべて壁で閉ざされている。その壁に沿って折れ、Saint Germainに入店し、フロアの一番隅の席を取ってからレジに寄って、アイスココアを注文した。四〇九円。生クリームを乗せますかと訊かれたので、どちらでも良いのだがはいと答え、カウンターの端の方にずれて、店員が品物を用意するのを注視し、できたものを受け取るとありがとうございますと礼を言って、トレイを持って席に戻った。プラスチック・カップの蓋を外し、ストローでもって生クリームを搔き混ぜ、浸透させてから一口啜った。そうしてコンピューターを取り出し、起動させて、ココアを飲みながら日記を綴って四〇分弱、現在四時直前に至っている。
 それからガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』の書抜きを行った。自分の使う語彙には含まれておらず、そのなかに取り入れたい言葉がいくつかあるので、太字にして下に引く。

 (……)静寂ははるかに由緒ありげだし、そこらの器具も、しおたれた光のなかで、かろうじて見えるというありさまだったからである。(……)
 (139)

 (……)正面の玄関で時間がいぎたなく眠りこけ、ヒマワリが海に顔を向けている、古い石造りの大邸宅。(……)
 (151)

 (……)十二月になると、大統領は好んで海をのぞむテラスの椅子に座って、午後のひとときを過ごした。ただしそれは、あの大勢の役立たずにドミノの相手をさせるためではなかった。彼らの一人ではないという、いじましい喜びにひたり、彼らの惨めな境遇を他山の石として肝に銘じるためだった。(……)
 (157)

 (……)人間の造ったもので、この、国ぐらいけっこうなものはないね、と溜息まじりにつぶやくことがよくあったが、腋の下がタマネギ臭いといって大統領を叱ることのできる、この世でたった一人の人間の返事を待つわけでもなく、カリブの一月という素晴らしい季節や、老年におよんでやっとついたこの世との折り合いや、教皇使節とめでたい和解に達した紫にけぶるかわたれどきなどを思いだして浮き浮きしながら、正面の門をくぐって大統領府へ帰っていった。(……)
 (158)

 (……)ある大国に海を売却した結果、底知れない夕闇を迎えるたびに心痛むのだが、月面の粗い塵を敷きつめたような、この無涯の平原を目の前にしながら暮らすという生活にわれわれを陥れた、想像を絶する非情さからも、そう考えられていた。(……)
 (187)

 (……)彼女の好物であるフルーツの砂糖漬けを手渡し、その機会を利用して、海兵隊の操り人形になり下がった、つらい立場について綿々と訴えた。(……)
 (190)

 (……)惨めな話だが、午後三時の液体ガラスのような空気と情け容赦ない暑さのこもった寝室で行なわれる、この間に合わせの色事に仰天して騒ぎ立てるメンドリの声とともにとだえていく、あるいは腐れていく孤独な涙声。(……)
 (191)

 (……)ゼニアオイ色の朝の光のなかで、従卒たちが宴会の間の血の海でパシャパシャやっているのを見たのだ。(……)
 (199)

 また、二〇六頁から二〇八頁と長くなるが、大統領が眠りに就く前に大統領府のなかをうろつき回る一続きの描写も引用する。「~~した」という行動の連鎖で綴られる確かな密度を持った具体性の連なりが素晴らしいのだが、それに加えてこの部分で特筆するべきは、そうした外面的な描写のなかから、夜の広大な大統領府に染み渡っている、足音が尾を引いて長く響き渡るような静けさが表象され、そこに寂しさや切なさ、つまりは「孤独」の香りが、何故だかわからないが強く漂ってくるように感じられる点だ。この箇所のなかでは例えば、「回転する灯台の光線の矢、緑がかった光線でつかのま生じる朝のような明るさのなかに、金の拍車からこぼれる星屑のように、泥の痕が残された」といった綺羅びやかな光とそのなかに引かれる泥の筋を描写した一文も素晴らしい。しかし、郊外の屋敷で死体のように眠っている母親と、距離を差し挟んでいるにもかかわらずテレパシー的に「お休み」という言葉を交わし合う部分において――空間的な隔たりを飛び越えて他者と繋がり合っているにもかかわらず――「静けさ」や「孤独」の雰囲気が最高潮に達しているように感得される、その点が白眉であるように思われる。

 (……)八時を打つ時計の音が聞こえた。大統領は小屋のなかの牛に牧草を与え、糞を外へ運びださせた。建物全体を調べてまわった。手に持った皿の上のものを歩きながら食った。豆入りの肉のシチュー、白い米、まだ青いバナナの薄切りなどを食った。正門から寝室まで配置された歩哨の数をかぞえた。十四名。みんな、ちゃんと持ち場についていた。第一の中庭の哨舎でドミノをして遊んでいる護衛たちを見た。バラの植込みで寝ているレプラ患者や、階段に転がっている中気病みを見た。まだ食い終わっていない皿を窓のところに置いた。気がついてみると、それぞれ月足らずの赤ん坊を抱いて三人でひとつのベッドに寝ている、愛妾たちの小屋のヘドロめいた空気を手でこね回していた。残飯の臭いのする山の上におおいかぶさり、頭ふたつをこちらへ、足六本と腕三本をあちらへどかした。相手が誰なのか、気にも留めなかった。目も開けず、彼が相手だとはつゆ知らず、乳房をふくませてくれた女が誰なのか、気にも留めなかった。そんなにガツガツしないでくださいな、閣下、子供たちがびっくりしてるわ、と眠ったままべつのベッドからささやく声が、いったい誰のものなのか、気にも留めなかった。やがて建物の内部へ引き返して、二十三個の窓の鍵をよく調べ、入口のホールから個室まで五メートルおきに、火をつけた牛の糞を並べた。焦げくさい臭いが鼻をついた。自分自身のものであるはずだが、とてもそうは思えない少年時代を思いださせられた。しかしそれを思いだしたのは、煙が立ちのぼりはじめたほんの一瞬だけで、すぐに忘れてしまった。さっきとは逆に、寝室から入口のホールへ戻りながら電灯を消していった。小鳥たちが眠っている籠にカバーを掛けていった。麻のカバーを掛ける前に数をかぞえた。四十八羽いた。ランプを手にさげて、もう一度、建物の全体を見てまわった。火の入ったランプをさげた将軍の鏡に映った姿を、十四回も眺めた。時刻は十時、どこにも異常がなかった。護衛たちの寝室へ取って返し、さあ、もう寝ろ、と言いながら電灯を消した。一階の執務室や待合室、トイレはもちろん、カーテンの奥やテーブルの下まで調べた。誰も隠れてはいなかった。手の感触だけで区別のつく鍵の束を取りだし、執務室のドアを閉めた。それから二階に上がって部屋をひとつひとつあらため、ドアに鍵を掛けた。額縁の後ろの隠し場所から蜂蜜の瓶を取りだし、スプーン二杯分を舐めてから横になった。郊外の屋敷で眠っている母親が頭に浮かんだ。コウライウグイスに上手に色付けする、いかにも小鳥売りらしい血の気のない手をして、シュロとランの花に囲まれながら眠っているベンディシオン・アルバラド、横向きの死体のような母親の姿が頭に浮かんだ。お休み、と言った。お前もお休み、と郊外の屋敷のベンディシオン・アルバラドが眠ったまま答えた。大統領は寝室のドアに表側にある鈎にランプを吊した。急いで部屋を出るとき必要な明りだ、絶対に消してはならん、と厳命し、眠っているあいだも吊しておくランプだった。時計が十一時を打ち、大統領は最後にもう一度、暗闇のなかの建物を点検して回った。寝ているすきに何者かが忍びこんでいることを恐れたのだ。回転する灯台の光線の矢、緑がかった光線でつかのま生じる朝のような明るさのなかに、金の拍車からこぼれる星屑のように、泥の痕が残された。大統領は、光が一度明滅するあいだに、眠ったままうろつき回っている一人のレプラ患者を見た。前をさえぎり、闇のなかを誘導した。その体に触れはしなかったが、見回り用のランプで足許を照らしてやりながら、バラの植込みへ連れていった。暗がりに立っている歩哨の数をもう一度かぞえ、それから寝室に引き返した。窓の前を通りかかると、そのひとつひとつからおなじ海が、四月のカリブ海が見えた。大統領は足を止めずに二十三度、カリブ海を眺めた。四月はいつもそうだが、それは金色の沼のように見えた。やがて十二時を告げる鐘が聞こえた。大聖堂の鐘の舌が最後の音を打ち終わると同時に、大統領は、ヘルニアのかぼそい恐怖の声がくねりながら背筋を這いあがってくるのを感じた。それ以外には物音は聞こえなかった。大統領がすなわち国家だった。大統領は寝室のドアを三個の掛け金、三個の錠前、三個の差し金で締めきった。携帯用の便器で小便をした。二滴、四滴、七滴の小便を苦労してしぼりだした。床にうつ伏せになり、すぐに眠りのなかに落ちていった。夢はみなかった。(……)
 (206~208)

 また、マヌエラ・サンチェスとともに屋根の上から彗星を眺める場面は、過去にはこの小説のなかで最も美しいと感じ入って嵌まりこんだシーンだ。さすがに以前のような衝撃を受けることはもうないが、やはりスケールの広く、美しい一節ではある。

 (……)大統領はマヌエラ・サンチェスの家の屋根の上で、彼女と母親のあいだに腰かけて奇跡の出現を待った。不吉な前兆のただよう凍てた空の下で感じる心臓のはたらきの不調を気づかれないために、わざと大きく呼吸した。そしてそのとき初めて、マヌエラ・サンチェスが夜吐く息を吸い、屋外での、野天での彼女の冷たさを知った。異変を迎えて呪文のように打ち鳴らされる、地平線の鐘の音を聞いた。彼らより早く生まれて、彼らより長く生き延びるにちがいないのだが、彼らの力の及ばぬ創造物を前にして、恐怖に打ちのめされた群衆のかすかな嘆きの声、沸きたつ溶岩の音ににたものを聞いた。時間の重みを感じ、一瞬、人間であることの不幸を思った。そしてそのとき、問題のものを見た。あそこだ、と教えた。事実、そこにあった。それは、よく知っているものだった。宇宙の向こう側にあったとき、すでに見た、おんなじものだ。あれは、この世界よりも古いんだ。天空いっぱいに広がった、痛ましい光のメドゥーサは、その軌道を二十センチほど進むたびに、誕生した空間に百万年戻っていくのだ。錫箔の房飾りの鳴るのが聞こえた。悲しげな顔や、涙を浮かべた目や、宇宙風のせいで乱れが髪からしたたる冷たい毒液などが見られた。宇宙風はこの世界にきらきらと輝く宇宙塵の尾を、また、地上の時間の始まる前から存在する海底火山の灰やタールの月によって引き延ばされた夜明けを、あとに残していくのだ。あれがそうだ、と大統領はささやいた、ようく見ておけ、百年後でなければ見られないんだ。マヌエラ・サンチェスはおびえて十字を切ったが、彗星の青白い燐光に照らされ、小さな隕石や宇宙塵の雨を頭に白く浴びたその姿は、かつてない美しさで輝いていた。ところがそのとき、おふくろよ、ベンディシオン・アルバラドよ、そのときマヌエラ・サンチェスは、永遠の時間の奈落を空の一角に見てしまったんだ。彼女は命にしがみつくように宙に手を伸ばしたが、摑むことのできたのは、大統領のしるしの指環をはめたぞっとしない手、権力のとろ火で煮つめたように温かい、つるっとした、貪欲な手だった。(……)
 (223~224)

 四時を過ぎた頃には午後も深くなって夕刻の近づいた時刻のうっすらとした明るさがあたりに波及していたのだが、じきに雷が鳴りはじめ、現在午後五時においては絶え間ない虫の大群のような雨が降りだしている。傘を持ってこなかったのは失敗だった。
 荷物をまとめ、席を立った。返却台に向かってトレイを置くと、ちょうど台の向こうに女性店員がいてありがとうございましたと声を掛けてきたので、こちらもありがとうございますと礼を返した。そうして退店し、ビルの外に出ると、雨は結構な勢いで天から落ちていた。歩廊に踏み出すとともに走り出して、大粒の雨に打ちつけられながら階段を下り、コンビニに入った。入ってすぐ右側に傘がいくつも並べられてあった。七〇センチメートルの大きな黒傘があったので、一三〇〇円以上する高値の品だったがそれを購入することにした。一本取ってレジへ向かい、何と言っているのか発音が不明瞭でいまいちよくわからない女性店員を相手に税込みで一四五八円を支払った。傘はカバーに包まれていたので店内の片隅でそれを取り、片手に持って外に出ると買ったばかりのものをひらいて雨のなかに踏み出した。そうして駅に向かい、エスカレーターに乗って傘を閉ざし、駅舎のなかに入ると時刻表の記された掲示板に寄った。奥多摩行き接続の電車は五時八分、つい先ほど出たばかりだった。次の電車は五時一八分だった。改札をくぐってエスカレーターでホームに下りると、線路の方に向けて傘をばさばさやって水滴を弾き飛ばした。そうして傘を閉じるとエレベーター室の外側の壁に立てかけて片手には手帳を取りだし、記してある事柄を復習しはじめた。じきに電車がやって来たので乗りこみ、扉際に立って手帳に目を落とし続けた。東青梅で三分ほど停車しているあいだ、降りた少年が大降りの雨のなか、駆けて行くのが見えた。それからふたたび発車して青梅に着くと、車両を辿って屋根のあるところから下り、ホームを移動して木造の待合室に入った。先客はいなかったが、あとからすぐに一人、男性が入ってきた。雑誌かパンフレットの類が置かれている棚に傘を引っ掛けて固定し、室の奥の木のベンチの上に腰掛けて、引き続き手帳を眺めた。ハンナ・アーレントの著作から引いた政治についての考察などを復習しているうちに、次々と人が入ってきて室内は混み合った。それから十数分が経って奥多摩行きがやって来ると、立ち上がって出口に向かった。奥多摩行きからは行楽客が多数降りてホームを横切り、一番線に停まっていた電車に乗りこんでいき、そのあとから二番線の電車に乗ると、乗客らのつけていた香水かあるいは加齢臭の類か、それともそれらの混ざったような独特の臭気が漂っていた。三人掛けに腰掛けると、向かいの席には髪の薄くなった男性が一人就いており、ボトル型の缶コーヒーを飲みながら、おそらく駅内の自動販売機で売っているものだろうが、ポテトチップスをぱりぱりと音を立てて食べていた。食べる際に口を閉じずに開けたまま咀嚼しているために、音が漏れて聞こえるのだった。
 最寄り駅に着くと手帳をポケットに仕舞い、立ち上がって電車を降りた。間が良いのか悪いのか、その頃には雨は止んでおり、西の空から青さが生じはじめていた。緑一色に染まった桜の木を見ながら駅舎を抜け、車の隙をついてボタンを押さずに横断歩道を渡り、坂道に入った。竹秋を迎えた黄色の竹の葉や雨に降られて落とされた荒れた落葉や木の屑が道の上に乱雑に散らかっていた。木の間の坂道のなかは今でも雨が降っているように頭上から水滴が落ち、あたりに雫の音が響いていたので、手もとの黒傘をひらいて下りて行くと、途中から足もとには、桜の花ではないと思うが、ピンクのような紫のような色をうっすらと帯びた小さな花弁が点々と散りはじめた。平らな道に出ると傘を閉ざして家路を辿った。時刻は六時だが、あたりにはまだ明るさが残っていた。林の上空に敷かれた水っぽい青さのなかに、波頭のような白い雲が縁を崩して引かれていた。
 帰宅すると母親に挨拶をして下階に下りた。コンピューターを机上に据えて図書館で借りてきた本をリュックサックから取りだし、スピーカーとアンプの上に積み上げてある本たちのさらにその上に置いた。それから服を脱ぎ、収納のなかのハンガーに吊るし、ジャージの下を履いた。それからFISHMANS『Oh! Mountain』の続きを流しだし、ここ最近の日記に綴ったガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』の感想を一つの記事にコピー&ペーストしてまとめていった。そうしてみると四月二七日からほとんど連日――正確には一日を除いてすべての日――何かしらの感想文を記しているので、自分はこんなに書くことができたのかと驚いた。読み終わったら一記事にまとめてブログに投稿するつもりだ。
 そうして七時を越えると食事に行った。台所に入るとボウルに胡瓜や卵や人参のスライスしたものが入れられてあり、その傍に茹で上がったパスタも置かれていた。それを混ぜてくれと母親が言うので、パスタを笊から取ってボウルに入れ、辛子は既に混ざっていてその香りが立っていたのでマヨネーズをさらに加えて箸で少しずつ持ち上げ搔き混ぜて和えた。そうしてサラダを拵えると焜炉に寄って、野菜や卵の入ったおじやを椀によそり、煮られた鯖を皿に盛って、さらに今作ったばかりのパスタサラダもたくさん盛りつけて卓に行った。テレビはどうでも良い番組を流していた。こちらが食事を終えた頃に母親が膳を運んで食事を始め、何か脂っぽいものがちょっと食べたいねと言ったので、冷凍の唐揚げを食べようと提案し、四つを皿に取り分けて電子レンジに入れてもらった。それで新聞からベネズエラ関連の記事などを読みつつ唐揚げが温まるのを待ち、電子レンジの音が鳴ったので台所に行って皿を取り出すと、火傷しそうなくらいに熱かったのでミトンを右手につけて持ち、卓に運んで母親と分け合い食べた。そのあと抗鬱剤ほかを飲み、食器を洗うと仏間の簞笥に仕舞われていた寝間着を取りだして風呂に行った。しばらく浸かってから頭を洗い、温冷浴を久しぶりにやることにして冷水シャワーを下半身に当てると、これが意想外に冷たくてすぐに湯のなかに戻った。そうしてもう一度冷たいシャワーを浴びると上がり、櫛付きのドライヤーでさっと髪を乾かして洗面所を出ると階段を下りて自室に戻った。
 だらだらとした時間を過ごしたあと、一〇時を回った頃合いからBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を流しだし、日記を書きはじめた。その途中でSkypeにログインすると、ここ数日通話を交わしているYさんのグループに新たなメンバーが加えられていた。Mさんと言って、こちらもTwitterで見かけたことのある人だった。それで、こんばんは、よろしくどうぞと挨拶をしておき、それから、YさんがFくん、今夜も通話する? と訊いていたので、今晩も通話するんですか? と反対に訊き返しておいて日記に戻っていると、突然通話が掛かってきた。それでBob Dylanの音楽を停め、日記に作文時間の記録も付けておいてから通話に出て、いきなりじゃないですかと笑った。通話にはYさん、Mさん、Rさんとこちらの四人が参加しており、途中からIさんも加わった。Mさんは電機通信大学に通っていて、理系学部の大学生だった。理系なのに――なのにと言うのも変ですけれど――文学を読むのがお好きで、と話を向けると、姉が二人いるのだが彼女らはどちらも私立の文系に進学し、自分は男なので学費の安い国立の理系に進むようにとの要望があったのだと言った。加えて、本人も勉強としては物理や数学などの理系科目の方が得意だったらしい。
 じゃあ定番の質問をしましょうかと前置いてから、Mさんに、一番好きな小説は何ですかと尋ねると、小説ですか、作家じゃなくてという反応があった。どちらでも良いですよと受けると、一番好きなって言うと、その時の気分で変わりませんか、と言うので、それで全然構わないですよと答えた。今の気分だと、『家畜人ヤプー』だと彼は言った。彼は中学生時代から『家畜人ヤプー』を読んでいたらしく、なかなかハードコアな趣味の持ち主である。『ヤプー』と言うと皆政治的な事柄を読み込もうとしたり、SFだと捉えられたりするが、Mさんの思うところその本質は「ユートピア小説」なのだと話した。もっともそれは作者である沼正三の思うユートピアであって、ほかの人からすればディストピアなのだけれど。
 これも結構皆に聞いているんですけれど、と前置きをしながら、文学との出会いと言うか、読みはじめた端緒みたいなものはありますかと尋ねた。小学校の頃に、江戸川乱歩に触れたことがきっかけだったと言う。その後、スティーヴン・キングにも接して、僕の基盤はこの二人で出来ていますと言うので、Rさんに、仲間が現れましたよと話を振った。彼もまた、小学生の時分から江戸川乱歩に読み耽っていたつわ者なのだ。ホラー・エリートが二人いますねと冗談めかして言うと、Iさんが、ホラー・エリートっていうパワー・ワードやめてくださいよ、と笑った。
 そのIさんはじきに風呂に行くと言って一旦会話の場を離れた。そのあいだにこちらはMさんに呼びかけて、会話は得意ですかと尋ねると、彼はえ、え、と困惑気味に口ごもりながら、いや、全然得意じゃないですと言うので、ここにいる人たちね……皆そうなんです、と笑って明かした。皆、会話が得意じゃないんですよ、ああでもIさんは得意そうだな。まあともかく、だから会話の途中で沈黙が、天使が通るなんて言いますけれど、話題がなくなって沈黙が差し挟まっても大丈夫なんで、安心してくださいと、慰めになるのかならないのかよくわからないことを言うと、Mさんは苦笑めいたニュアンスでわかりましたと答えた。
 そのうちにYさんが、皆、自分の自己イメージって掴んでいるかというようなことを尋ねた。彼は乖離や離人症の問題もあって、自分の像があまり確定的でないと言うか、ふわふわとしているようで、本人の使った言葉を引けば「煙」みたいなのだと言う。僕はまあ、毎日自分の分身をテクスト化しているようなものですからね、あれが僕の自己像と言えばそうなのかなと答えたのち、Mさんはどうですかと話を回した。彼は、自分は怪奇・幻想小説好き、そのくらいの自己像で満足のようだった。さらに、Rさんにもどうですかと回してみると、自分のことは自分ではよくわからないという返事があったので、Yさん、自己像のわからない仲間がいましたよと話を振った。それから、自己イメージというものも、様々な他者と繋がり、関わり合っていくうちに、ありがちな言い方ではあるが鏡のように反映的に見えてくるものではないかと考えを述べた。だからYさんが今こうして、インターネット上ではあるが色々な人々と話をし、コミュニケーションを取っている、それは彼の存在を定かなものたらしめるに当たっては良いことなのかもしれない。
 そのYさんは相変わらず映画の記憶が豊富で、会話をしているうちにあの映画にこういうシーンがあったなどと思いだして結構話すのだ。映画に限らず、彼は結構自分の体験だったり、触れたものだったり、話題が豊富だという感じがする。映画で言えばMさんも大学で映画サークルに入っているらしく――一方で文芸サークルにも入っていて小説を書いているとのことだったが――やはりホラー系統の映画をよく見ているようなので、そのあたりでYさんと話が合っていた。それで、Yさんに、映画仲間が見つかって良かったですねと話を向けた。このグループの人はほかには映画をあまり見ない人種ばかりだったのだ。
 Yさんがほかに思い出した話で言うと、「ラジオ版学問ノススメ」というラジオ番組を彼はたびたび話題に出していて、様々な作家や学者や知識人などを招いてトークするこの番組を彼は過去に結構聞いているようなのだが、そのなかで養老孟司が言っていたこととして、どうしてそういう話になったのだったか忘れてしまったが、唾の話があった。何か虫の話をしていたその文脈だったような気がする。虫など結構嫌がる人がいると思うが、養老孟司の言うには身体のなかには無数の細菌が生息しているわけで――細菌と虫とは違うものではあるが――それを普段我々は意識することもなく生きている。人間は自分の外部にあるものに関しては忌避感を抱くけれど、内部にあるものに関してはそうではない、それが証拠に、自分の唾液というものは口のなかにある時点だったらいくらでも飲み込めるのに、一度口の外に出したものをもう一度飲み込むとなるとそれには忌避感が付き纏う、とそんなことを養老が語っているらしかった。
 Yさんが小説を書いたという話もあった。Nさんの小説を彼は読んだらしいのだが、それに影響を受けたのか否か、極々短いものを綴ったと言ってSkypeのチャット上にデータを上げてみせるので、あとで読ませて頂きますと言ってダウンロードした。Mさんも上に書いた通り大学でサークルに属していて小説を書いているらしく、短いものをもう三、四本くらい書き上げたと言うが、もう少し数が集まってボリュームが出たら、「小説家になろう」か「カクヨム」かそのあたりに発表しようと考えていると言う。日記しか書けない自分からしてみれば、どんなものであれ、小説作品というものを作れるのは凄いことである。こちらが書けるとしたら、ローベルト・ヴァルザー『盗賊』みたいに、ほとんどワンコードのアドリブ一発みたいな、そういう感じのものになるような気がする。しかしそのためにはヴァルザー以外にも、ベケットソレルスエルフリーデ・イェリネクあたりを読まねばならないのではないかという気がしている。
 この時の会話に関してはそんなところで良いのではないか。零時が近くなってくると、こちらは突然、皆さん、と呼びかけた。すると皆口を噤んでこちらの言葉を聞く気配になったので、何で黙っちゃったんですかと笑いつつ、今日もそろそろ僕は抜けますと申し出た。日記を書いている途中だったし、この日はまだ本も読み進めていなかったので読書もしたかったのだ。それで、昨日も会話を抜けて比較的早く寝たのだけれど、いつも通りの寝坊だったと少々大きな声で自分の堕落を熱弁し、Yさんに夢を見たでしょうと訊かれたので、日記に書いた迫害される夢のことをちょっと話したあと、そんな感じで僕は失礼します、ありがとうございましたと挨拶をして通話を抜けた。そうしてチャット上に、「今日もありがとうございました!/どんどんメンバーが増えていきますね笑/これもYさんの人徳か?/それでは」と発言しておき、日記の作成に戻った。BGMはBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』。この音源では弾き語りの"Tangled Up In Blue"が大層格好良い。Twitter上でNさんにダイレクト・メッセージを返信しながら、四〇分ほど文を綴って、零時半に達したところで作文は切り上げることにして寝床に移った。そうしてガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。眠気は遠そうだった。一時間ほど読んだところで、腹が減ったのでカップラーメンでも食って夜を更かしてしまうかというわけで、忍び足で上階に行き、玄関の戸棚からカップヌードルを取りだし、湯を注いだ。割り箸とともに下階に戻ってきて、コンピューターの前に座って麺を啜り、不健康なことだがスープも飲み干してしまうと容器は潰してゴミ箱に捨て、それからまたすぐに寝床での書見に戻った。二六七頁から二六八頁、ロドリゴ・デ=アギラル将軍の死。大統領は「終生の友」と見込んでいたこの男に裏切られてしまう。彼に対する反乱や暗殺を蔭で策謀していたのがアギラル将軍だったのだ。『族長の秋』は、一見牡牛のように雄々しくありながらその実様々な不安に苛まれ、人間的な「弱さ」をはらんだ一人の男の、「愛」を求めて得られずに裏切られる「孤独」の悲劇であるわけだけれど、少なくとも親友を殺し、自らの手でオーブン焼きとなった彼の身体を切り分けていくこのシーンには、悲劇的な調子は微塵も窺われない。そこには、一周回ってほとんどユーモラスとすら言いたい、あっけらかんと明るいようなグロテスクさが漂っているばかりだ。この小説では無数の人が死に、かなり残虐非道な描写も散見されるが、「カリフラワーや月桂樹の葉で飾った銀のトレイに長ながと横たえられ、香辛料をたっぷりかけてオーブンでこんがり焼きあげられた」ロドリゴ・デ=アギラル将軍の死は、そのなかでも最もぞっとするような、衝撃的な死に方である。彼は、「礼装に五個のアーモンドの金星、袖口に値の付けようのない高価なモール、胸に十四ポンドの勲章、口の一本のパセリをあしらった」豪勢な料理と化してしまい、大統領は手ずからその身体を切り分け招待客に配って、「諸君、腹いっぱい食ってくれ」とのたまうのだ。
 二時四五分まで読書を続けて、就寝。


・作文
 12:12 - 13:06 = 54分
 15:18 - 15:55 = 37分
 16:43 - 17:03 = 20分
 22:03 - 22:29 = 26分
 23:50 - 24:29 = 39分
 計: 2時間56分

・読書
 16:00 - 16:42 = 42分
 24:32 - 25:35 = 1時間3分
 26:02 - 26:45 = 43分
 計: 2時間28分

・睡眠
 1:05 - 11:30 = 10時間25分

・音楽