2019/5/15, Wed.

 いつも通り、午後一時まで寝耽る。九時に至って一度ベッドを抜け出し、コンピューターを点けもして、そこで上階に行こうと思えば行けたと思うのだが、ベッドのシーツの上に射し込んでいる陽射しが心地良さそうでふらふらと舞い戻ってしまい、光のなかで肌をじりじりと熱されながらふたたび眠ることになった。その後も起きようと思えば起きられるタイミングはいくらもあったはずなのだが、夢の続きを見たいがために目覚めるたびにふたたび目を閉じて、薄い夢世界のなかに入ることを繰り返し、そうこうしているうちに一時を迎えていた次第だ。しかもせっかく見た夢もほとんど覚えていない――色々と面白い場面があったような気はするのだが。
 上階へ行き、母親に挨拶。台所に入るとフライパンに焼きそばが拵えてあったので、大皿にすべてよそって電子レンジに突っ込む。そのほかサラダと、デザートにゼリーを用意して卓へ。テレビは『ごごナマ』で、郷ひろみが出演していた。先日『のど自慢』に出ていた時と同じ衣装で、左耳に鳥の羽根のような装飾のついたピアスだかイヤリングだかをつけていた。ものを食いながら、写真を撮りに行かなくてはならないと向かいの母親に話す。すると彼女は、ちゃんとした写真屋で撮った方が良いと言うのだが、それだと金も掛かるし面倒臭くもあるので、こちらは駅に設置されている簡易写真撮影サービスで撮るつもりでいた。確か河辺駅にあったはずだ。そのほか外出の用事としては、立川に出て柳瀬尚紀訳の『ダブリナーズ』を買おうかと少々迷ってもいるし、図書館で小林康夫中島隆博の共著、『日本を解き放つ』も借りたい心があるが、後者のこれは先ほど図書館のホームページで調べてみると、現在貸出中とのことだった。
 食事を終えると薬を服用し、母親の分もまとめて食器を洗って片付け、食器乾燥機のスイッチを点けておく。風呂は今日は母親が洗ってくれたと言う。それでジャージに着替えて下階に下り、自室に入るとコンピューターの前に立ち、前日の記録を付けるとともに今日の記事を作成した。その後便所に行って排便したあと、トイレットペーパーが一つなくなったので取り替えておき、芯を二つ持って上階に行って、玄関の戸棚のなかの紙袋に入れておく。それから部屋に戻ってきて、日記を書きはじめたのが二時だった。先にこの日の分から始めて、ここまで一〇分で綴ることができた。
 それから、歯磨きをしたのが先だっただろうか? そんなことはどちらでも良いのだが、FISHMANS『Oh! Mountain』を"感謝(驚)"から流しはじめて、そのなかで服をスーツに着替えた。一旦ベスト姿で上階に行くと、居間の隅でタオルを畳んでいた母親が、自分も行くので送っていくよと言う。加えて、簡易写真機ではなくて、やはりちゃんとした店で撮った方が良いと熱烈に推すので、まあこちらもそれほどこだわるつもりもなし、何であれ撮れれば良いわけで、まあそれならそれで良いよと落とした。「カメラのK」という店が小作あたりにあるのでそこまで送って行ってくれると言う。それで下階に戻ってリュックサックに荷物を用意して、ジャケットを羽織って上階に行った。母親が準備をしたり、料理教室の申し込みに市役所に電話したりしているあいだ、手帳を眺めながら待ち、彼女がチェック柄のコートを羽織ってよし行こうと言うと、玄関に出て褐色の靴を履き、外に出た。車の傍に寄って、ふたたび手帳を見ながら母親が出てくるのを待つ。ジャケットまで身につけていると暑いのではと思っていたが、爽やかな風が厚く吹き流れて、思いの外に涼しいようだった。彼女が出てきて車の準備が整うと、手帳を胸の隠しに仕舞って助手席に乗り込んだ。
 発車。車内はどうでも良い、薄っぺらな音楽が掛かっている。青梅市街を抜けるあいだ、母親は、何の話からだったか――半袖を着るのが嫌だという話から始まったのだった。それは子どもの頃に腕を片方折ったことがあって、その骨接ぎがうまく行かず、綺麗に伸びた格好にならないからだと言う。それで運動なんかも嫌だったなという話から、運動会なんてのは本当に嫌だった、リレーでもいつもビリケツの方で、後ろから数えた方が早いくらいで、というような話を、こちらの相槌も求めずに勝手に話していた。こちらは欠伸を時折り漏らしながらそうした話を聞き、東青梅を抜け河辺も通過して、隣のTさんの息子さんがやっている蕎麦屋のあたりまで来ると母親がそのことに注意を促した。二人の息子さんの名前を聞いたあと――兄がYさん、弟がAさん――息子さんと言ったってもう七〇くらいだろう、それだとおばさんよりも先に死ぬ可能性だって充分あるわなと失礼なことを言うと、本当にそうだねと母親も同意した。Tさんのおばさんは九八歳だかである。
 それで小作まで行き、件の「カメラのK」に到着した。母親を車中に残して、スーツのポケットに財布を入れて入店し、カウンターの店員に、証明写真を、撮りたいんですがと告げると、その男性店員はもう一人、大柄の、ものを食べることが大好きそうな――「食いしん坊」という形容が似合いそうな――店員を呼んできて、彼がサービス説明のパネルをカウンター上に提示しながら、こちらの望みを訊いていった。必要な証明写真のサイズを職場から聞いていなかったのだが、まあ普通のスタンダードなタイプのもので大丈夫だろうということで、通常履歴書に使う四ミリ×三ミリのサイズを選んだ。そのほか、色々と加工できるプレミアム・サービスもあるらしかったが、そんなものはいらんとスタンダードなサービスの方を選び、背景は白を選んだ――のだが、のちのち写真作成の時には、店員は青を背景として作っていたような気がする。まあ背景色などどちらでも良い、ともかくこちらだとわかる写真が入手できれば何でも良いのだ。それでサービスを選び終わったあと、スタジオの準備をしますので少々お待ち下さいと言われたので、カウンターを離れて陳列されているカメラを興味もなく手持ち無沙汰に眺めていると、まもなく声が掛かった。それで奥のスタジオに入り、狭いスペースのなかに設置された背もたれのない回転椅子に腰掛け、横の鏡でちょっと身だしなみを確認したあと、撮影が始まった。背筋を伸ばし、胸をやや張り、顎は少々引くように、そして口角を意識するようにと求められたのだが、にこやかで柔らかい表情をするのは苦手である。二、三枚撮ったあと、ネクタイがちょっと歪んでいるというようなことを指摘されて、自分で直してみたのだがプロの目からするとそれでは不十分だったようで、触れてもいいですかと断りが入ったあと、この大柄の男性店員がこちらの首もとに手を伸ばして直してくれた。それを崩さないままにさらに撮影し、終わるとスペースから出て、コンピューターの前に立ち、店員と一緒に出来た画像を確認した。ネクタイを直したあとの画像が二つあり、どちらが良いですかねと訊くと、どちらもあまり違いはありませんが、強いて言えばこちらですかねと先に撮った方を店員は指すので、こちらにはそちらの方がより良いとされた基準が全然わからなかったが、その言に従って、それでお願いしますと言った。一〇分から一五分くらいで出来ますが、店内でお待ちになりますかと訊くのには、一度外に出て戻ってきますと答え、それで控えを渡されると、よろしくお願いします、ありがとうございましたと礼を言って退店した。それで車に戻り、一五分くらいで出来るからと母親に告げ、一七〇〇円くらいだったからと千円札二枚を渡して、よろしく頼むと品物の受け取りを頼んだ。
 それでふたたび発車、羽村駅まで送ってもらい、こちらは躑躅の咲き群れている植え込みの前に降りて、母親に礼を言い、駅へと向かった。階段を上がっているところに電車が入線してきて、これは間に合わないなと諦めてゆっくり歩を進め、券売機に寄ってSUICAに五〇〇〇円をチャージした。それから改札を抜け、エスカレーターでホームに下り、ホームの端の方、先頭車両の位置まで歩いた。そこで立ち尽くして手帳を眺めながら電車を待っていると、線路を挟んで向かいの道を、幼稚園に通っている時分の幼児が何人か、台車に載せられた箱のようなものに入れられて、大柄の女性の手によってゆっくりと押し運ばれてこちらの目の前を横切っていった。幼児に視線を送りつけながらそれを見守り、その後も手帳を眺める。背後から陽が射して、背中や膝の裏が熱いくらいだったが、同時に風もあった。
 電車が来ると乗車。席の端を取る。傍には羽村高校の生徒だろうか、高校生の集団が乗って、向かい合って席に座り、馬鹿馬鹿しい、どうでも良いような話をしながら笑い合っている。なかに一人、隣に座った男子の距離感からして彼と付き合っているらしかったが、女子がいた。箸が転げてもおかしい年頃、というやつだろう。こちらは手帳を眺めつつ、時折り彼らの発言にも耳を貸して――と言うか騒いでいるので自然と耳に入ってくるのだが――立川まで過ごした。立川駅に着くと、皆一斉に降りて行って車内はこちら一人になるのだが、皆なぜあんなにすぐに降りてしまうのだろう? 混み合った階段口で人々に囲まれながらたらたらと歩くのが嫌ではないのだろうか? こちらはまたちょっとのあいだ手帳を見て人々が去っていくのを待ち、そろそろ良いだろうと降りると、階段は無人だったのでそのなかを悠々と上がっていく。そうして人波のなか改札を抜け、引き続く人混みのなか北口広場に出て、眩しい光のなかを渡って通路に入り、伊勢丹の前を横切って行った。歩道橋を渡る際に、何か声が聞こえたのでその方をみやってみると、下の道で子供らが、ジャンケンをして勝ったものがいくらか進むという遊びをやっていた。視覚障害者用の段差のついた黄色いラインや、敷かれたタイルの模様に沿ってそのような遊びをしているようで、子供という存在はどんな場所でも遊び場に変えてしまうなと思いながら歩道橋を渡り、通路をたどって高島屋に入った。
 エスカレーターに乗って階を上がり、淳久堂に入店。哲学の区画の入口にはいくつか本がピックアップされて置かれていて、そのなかに『現代思想』の、あれは特集版なのか、現代思想のキーワード四三、というような企画の組まれた真っ黒な表紙の刊があって、それを立ったまま手に取り、いくらか紙面を眺めた。冒頭で千葉雅也と松本卓也が対談をしていた。彼らが東浩紀の仕事を解説したくだりを少々読んだあと本を棚に戻し、哲学の棚のあいだに入りこんだが、ちょっと見ただけで出て、文庫本の方に向かった。新潮文庫の、柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を買うつもりでいた。間に合うかどうかわからないが、出来ればAくんらとの読書会までに米本義孝訳に加えてこちらも読み終えてしまいたい。棚に目当てのものを発見すると手に取り、ちょっとめくって中身を覗いてから保持し、それから岩波文庫の方に移動したが、こちらにはジョイスの著作は見られなかった。それから海外文学の方に移動して、サーシャ・ソコロフはないかと思ったのだったが、棚に該当の著作はない。それであたりを見分し、何かもう一冊買おうかなと探り、幻想文学の方なども珍しく見分して、山尾悠子『飛ぶ孔雀』を買うことにしたのは、この著作が受賞した泉鏡花文学賞の選考委員らしいのだが、帯に金井美恵子の推薦文が記されていたからである。山尾悠子の名はSkypeのグループの通話でもたびたび話題に出ていたし、金井美恵子が推しているとあってはやはり興味を惹かれるものだ。それでそれも手もとに保持したあと、レジに向かったが、途中で、この著作なら図書館にあるのではないかと思って買うのを躊躇した。ひとまず詩の棚に近寄り、松本圭二の著作があるのを確認し、山尾悠子の代わりにそちらを買おうかとも思ったのだが、やはり手もとにあるものを読んでからにしたい。それで結局やはり、図書館にあったとしても別に良いかと払って、『ダブリナーズ』と『飛ぶ孔雀』の二冊を買うことにしてレジに並んだ。少々待ってから会計をして――二八〇〇円くらいだった――ありがとうございますと礼を述べて品物を受け取り、近くのベンチの上でリュックサックにビニール袋に入った本を入れ、エスカレーターを下った。
 高島屋の入口脇には真っ赤なウインドウのPaul Smithの店舗があって、ちょっと見てみたかったのだが、どうせ高いのだろうから見たって何も買えるはずがない。それで素通りしてビルの外に出て、高架通路を通ってシネマシティの手前から下の道に下りた。ディスクユニオンに行くつもりだった。FISHMANSのライブ盤がないか見てみようと思ったのだ――おそらく目ぼしいものはないだろうと予想してもいたが。それで交差点の方に歩を進める。まだ辿り着かないうちに信号が青になって人々が渡りはじめたが、こちらは急がず鷹揚に歩き、交差点に着いた頃には信号がまた変わって赤になっていた。待っているあいだ、目の前をバスやらタクシーやら普通車やらが次々と通り過ぎていく。通りの向かい側には、すぐそこにあるローソンに何か届けたものだろうか、佐川急便の青い制服を着て帽子を被り、台車に載せられた箱のような運搬装置を伴った配達員が何人か信号を待っていた。彼らを見ていると視界の端を擦るものがあって、見上げれば濃緑色の大きな街路樹の葉叢のなかに、あれは鴉だったのだろうか黒い鳥が突っ込んでいき、その姿は揺れる梢のなかに消えてしまった。そうやって周りを見ていると信号もあっという間に青に変わり、通りを渡って階段を上り、ディスクユニオンに入店する。FISHMANSは、やはり予想した通り特に目ぼしい作品はなかった。SUNNY DAY SERVICEとかBLANKEY JET CITYとか買おうかなとも思い、Bob Dylanの並びを見て、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ音源などもちょっと欲しいなと思ったのだったが、SUNNY DAY SERVICEはともかく、BLANKEY JET CITYの方はやはり手もとに音源があってまだ聴き込めていないし、Bob Dylanも同様である。それで何も買わないことにして退店し、通りへ下りて、ふたたび交差点の横断歩道でしばらく待ったあと、南へ向けて、つまり駅の方へと通りを渡った。メイド喫茶の店員が媚びたような声でチラシを配っている横を通り過ぎ、フロム中武の前を進んで、もう一度横断歩道を右へ渡り、PRONTOに入店した。いらっしゃいませと店員が声を掛けてくるカウンターを素通りして上階に行き、見ればテーブル席は結構混んでいてカウンター席に空きがあったので、その真ん中あたりに入って椅子の上にリュックサックを置いた。それから下階に下って、アイスココアのMサイズ(三三〇円)を注文し、にこやかな男性店員にありがとうございますと述べて深緑色のトレイに乗った品物を受け取り、上階の席に戻った。生クリームを今日は掬って食わずにストローで突き崩してココアに混ぜ、一口二口液体を啜るとコンピューターを取り出し、プログラムの更新か何かで起動には時間が掛かりそうだったので、ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みながら待った。そうして準備が整って、日記を書きはじめたのが五時半前だった。それから一時間半ほど掛けて、前日の記事と今日の記事を書き進めて、現在七時直前に至っている。
 コンピューターをシャットダウンさせると、トイレに立った。鏡を見てネクタイに触れて位置を調節しながら個室に入り、用を足すとトイレットペーパーで便器を拭いておき、それから水を流した。手を洗ったあと、ハンカチを忘れてきてしまったので備え付けのペーパーで手を拭い、室を出てカウンター席に戻るとリュックサックにコンピューターを収め、脱いでいたジャケットを羽織り直した。そうしてトレイを厨房の方のカウンターの、色々と物が置かれたその隙間に返却しておき、階段を下った。レジカウンターの向こうの女性店員が礼を言ってきたので、会釈を返して退店し、居酒屋の客引きがうろついている通りを行って、エスカレーターに乗った。見上げれば光の萎えて残光も残らない空は薄青く、駅前広場に聳えた真っ赤なアーチ状の柱が目に入る。高架歩廊に踏み出すと、人々の流れのなか、滔々たる大河の流れのような現実のなかに入りこんでいき、それに巻き込まれながら改札を目指した。改札を抜けると、直近の電車は五番線だったが、座って帰ろうということで二番線を選択し、そちらのホームに下りて一号車の位置に立った。そうしてジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を取り出して読みはじめた。そのうちに電車がやってきたので乗り、七人掛けの端に就いて読書を続けた。
 青梅に着くまでのあいだ、脚を組んだ姿勢でずっと本を読み続け、到着してもすぐには降りずに紙面に目を落としながら少々待ってから降車した。奥多摩行きまでは結構時間があった。ホームを移動し、木製のベンチに座って引き続き書見を続けるこちらの周りに、中学生か小学生か、まだ背の低くてあどけないような男子らのジャージ姿の集団が群れ集まって騒いでいた。何かの部活動の帰りだろう。八時を越えると奥多摩行きがやって来たので乗り、引き続き書見をしながら到着を待って、最寄り駅で降りてホームを移動すると、闇空に薄雲を掛けられた朧月の、それでも光を皓々と明るく放っているのが浮かんでいるのが見えた。駅舎を抜けて横断歩道を渡り、坂道に入り、それを見上げながら下っていくと、月はそのうちに黒々とした樹木の梢に吸い込まれていったが、そのなかにあっても時折り光を洩らしてくる。坂道の左右には竹秋を迎えた黄色いような竹の枯葉が多数散らばって道を縁取っていた。ポケットに手を突っ込みながら歩き、帰宅した。
 父親も既に帰ってきていた。卓に就いた母親に写真を受け取ったかと訊くと、最初彼女は、写真? 写真って何のこと? ととぼけていたが――こういう場面に立ち会うと、早くももうぼけはじめているのではなかろうなと懸念が浮かぶ――じきに思い出して、証明写真を渡してきた。それを受け取り、下階に下って、リュックサックからコンピューターを取り出して自室に机上に据え、服を着替えた。そうして上階に行き、食事を用意する。餃子や、牛蒡・筍・肉の煮物が一皿にまとめられて置かれてあった。それを電子レンジに突っ込み、大鍋の煮込み素麺を温めて、レタスなどの生サラダを大きな皿に盛って卓に移った。テレビはニュースの類だったはずだが、どんなことを放送していたのかは覚えていない。ものを食べ終えると薬を飲み、母親や父親の分もまとめて食器を洗って片付けると、風呂に行った。入浴中に特段のことはない。出てくると即座に下階に戻り、自室のゴミ箱を上階に持っていって燃えるゴミを合流させておき、そうして戻ると、一〇時前から読書を始めた。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)及びMiles Davis『Kind Of Blue』が流れるなか、ベッドの上で読み続けて、零時半を迎えた。この夜は、グループが作成されて以来初めてのことではないかと思うが、通話が始まらなかった。こちらはそれから、カップ麺でも食べようと上階に上がっていくと、白い寝間着姿の母親がまだ起きていて、ソファに就きながらタブレットを弄っていた。またメルカリを見ていたらしい。こちらは戸棚から鰹風味のカップ麺を取り出して湯を注ぎ、そのあとからポットに水を足しておき、カップ麺を持って自室に帰った。それでコンピューターの前に就き、麺を啜ったが、大して美味いものではなかった。やはり何だかんだで日清のカップヌードルとか、「どん兵衛」の鴨出汁蕎麦とか、あのあたりが美味いと思う。健康に悪いことにスープをすべて飲んでしまうと空いた容器をゴミ箱に捨てておき、一時からふたたび読書に入った。ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』は、やはり訳との相性が悪いのだろうか、それとも作品自体の問題なのか、驚くほどに気に掛かるところが見当たらず、メモも全然取らずに読み進めている。一時間ほど読んで、二時を回って就床した。


・作文
 14:01 - 14:12 = 11分
 17:27 - 18:55 = 1時間28分
 計: 1時間39分

・読書
 19:05 - 20:18 = 1時間13分
 21:52 - 24:28 = 2時間36分
 24:59 - 26:03 = 1時間4分
 計: 4時間53分

・睡眠
 3:30 - 13:00 = 9時間30分

・音楽