2019/5/25, Sat.

 四時前に自ずと目が覚めた。睡眠時間は三時間ほど、さすがにまだ起きるには早いだろうと寝床に伏しているあいだ、蚊が一匹耳の周囲を飛んで甲高い羽音を聞かせていた。暗闇のなかで、自分の肌に止まったと思われる時に手を伸ばして叩いてみたりもしたのだが、捉えられなかったようだ。どうにもふたたび寝付くことが出来ないので、四時を回ったところで起きてしまうことにして、布団を身体から剝ぎ取った。夜が明けていくところで、東南の空の際にはゼニアオイ色の空気が薄くくゆり、西の方面には青さのなかに入りの月が浸りながらくっきりと浮かび上がっていた。コンピューターに寄って起動させ、昨晩の、こちらが離脱したあとのSkypeのやり取りを読んだあと――Eさんがふたたび通話に参加していたようだった――前日の記録を付け、この日の記事も作成してから、コンピューターの動作速度を復活させるために再起動した。再起動しているあいだに便所に行って用を足し、何となく短歌の芽を頭のなかで巡らせながら戻ってきて、コンピューターに再度ログインするとEvernoteをひらき、短歌をいくつか作った。

 頭蓋骨が溶けるような虐殺を夜は戦争より長いから
 純白の真昼の光の只中で蝶が孵化する夢を見てから
 死人[しにびと]が腐った林檎を齧りだす列車のなかですすり泣く君
 道端の小石を拾い涙するいかなる夜も祝福だから

 鼻をかむと、黄色く濁って粘ついた鼻水がティッシュの表面に残された。喉も砂を差し込まれたようにかさかさとするし、風邪気味の状態はまだ解消されていないようだ。そうして時刻は五時、ゼニアオイ色は既に駆逐されて、東南の果てにあるのは朝陽の漂白されたようなオレンジ色だった。日記を書きはじめた。前日の記事を仕上げ、この日の記事もここまで書くと時刻は五時半、太陽が昇りはじめており、窓外の緑に色づいた光が掛かっている。
 前日の記事をインターネット上に放流すると、上階に行った。居間の東窓のカーテンを開けると、太陽の光がレース編みの白い幕を通して眩しく目を射った。南窓のカーテンも開けておき、それから台所に入って冷蔵庫から昨日のカレーのフライパンを取り出し、焜炉に掛けた。搔き混ぜながら加熱して、一方で大皿に米もよそっておき、カレーが温まったところでその上に掛け、卓に運んで椅子に座った。背後から射し込む午前六時前の透明な陽射しのなかで、一人黙々とカレーライスを食べた。食べ終えると台所に移り、「浅草今半」の佃煮――牛肉と椎茸を合わせたものと、牛肉と大豆を煮たものが残っていた――があったので、それも食べることにして今度は椀に米をよそった。そうしてふたたび卓に移動し、褐色の塩っぱい佃煮をおかずにして米を貪った。その後、食器を洗い、抗鬱剤ほかを服用すると、さっさと下階に戻った。
 また短歌でも作ろうか、と『石原吉郎詩集』を眺めていると、「脱走」という詩の冒頭、「そのとき 銃声がきこえ」という一節が目に留まった。「銃声」をテーマにして何か一首作れないかと頭を巡らせたのだが、そのうちに、短歌ではなくて、驚くことに思考が詩の形を取りはじめる気配があったので、あれ、これは自分、詩が書けるのではないかと思ってその導きに任せた。そうして、一作完成した。生まれて初めて詩というものを書いたわけだ。大したものではないけれど、ともかく出来たものは出来てしまったので、以下に載せておく。

 一発の
 不敵な銃声を
 唯一の合図として
 我々は走り出す
 愚劣な血液を撒き散らしながら
 砂を湿らせるその血漿
 地に貫き染み込んで
 地下水に達し河を赤く染め上げるだろう

 悲しいと
 今 言ったのは
 俺か それとも俺の左手か
 右手か 耳鳴りか 水膨れか
 するすると
 影が俺の足もとから伸びては
 血液のように土に混ざって消えていく

 夕暮れには外に出たまえ
 君が誰であるにしろ
 と ある高名な詩人は言ったが
 朝焼けのなかではどうすれば良いのか
 銃声が轟き渡る
 あの血塗れの夜明けのなかで
 我々は部屋の隅にうずくまって朝陽を避ける

 夜が
 祝福であるならば
 朝は退屈な義務に過ぎない
 毎日 月を拭い去っては
 赫々たる太陽をもたらす
 その勤勉さ

 一発の
 不実な銃声を
 唯一の合図として
 我々は走り出す
 血塗れの夜明けに
 手足を振り乱す亡霊のように
 振りかざされた偉大な静寂の下で
 愚劣な血液を撒き散らしながら

 そうして六時半直前から読書を始めた。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。一時間読んで七時半に至ろうというところで書見を中断し、やはり三時間では眠りが足りなかったらしく、意識が曖昧になっていくのに任せた。南窓からベッドの上に入りこんで宿る光のなかで布団を身体から剝ぎ取りながら眠り続け、気づけば正午を回っていた。折角早く起きたのに午前中を無駄にしてしまったけれど、それでも睡眠時間は合わせて八時間にも満たないので、まあ適正というところだろう。両親の気配が家のなかにないので、揃って買い物か何かに出かけたらしかった。起き上がってコンピューターに寄ると、先ほど生まれた詩をツイートしておいたのだが、Twitterの通知が三〇件にも達していたので驚いた。CさんやYSさん――彼女とリプライを交わすのも久しぶりだ――に対して返信を送っておき、それからFISHMANS『Oh! Mountain』と共連れにして日記を書きはじめた。喉の痛みはないのだが、声が低く掠れたようなものになっており、鼻水も黄色く濁ったものが相変わらずよく粘った。一二時半過ぎから書き出して、現在一時を目前としている。
 上階に行った。レトルトカレーで食事を取ることにして、玄関の戸棚からパウチを一袋取り出し、フライパンに水を汲んで火に掛けた。当然まだ温かくなっていないが、パウチをもう水のなかに放り込んでしまい、熱しているあいだに風呂を洗うことにした。そうして浴室に入ったところで両親が帰宅して、台所に入ってきた母親が流水麺の蕎麦を買ってきたからそれを食べろと言う。さっきもカレーを食べたんだから、と言うが、こちらとしてはどちらでも良かった。風呂洗いを続け、浴槽の床をよく擦って洗剤をたくさん泡立たせ、シャワーで流して出てくると、手を洗って流水麺を笊のなかで洗った。麺の塊のなかに右手を突っ込んで、掴み上げほぐしながら搔き混ぜ洗っていく。そのあいだに横では母親が、これも買ってきたフライの類――搔き揚げにチキンにコロッケ――を切り分けて三人分の皿に盛っていた。そうして麺つゆを用意し、フライを電子レンジで温め、卓に就いてまもなく葱と生姜の薬味も届いたのでそれをつゆに加えて流水麺を啜った。テレビは『メレンゲの気持ち』を流していたが、特段に言及するべきことはない。両親と向かい合って食事を取っていると、父親がこちらの声や鼻を啜る音を聞きつけて、お前、風邪引いたのかと言った。そうなのだと受けて鼻をかみ、明日読書会なのにと漏らして食事を続け、食べ終えると食器を洗って下階に戻った。
 そうして一時四〇分前からふたたびMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを読みはじめた。英単語を調べ、手帳にメモしながら読み進めているうちに、三時に近づくと、窓外で父親が草を刈っているらしき音が立ちはじめた。こちらは我関せずでおり、三時前に至って英文を読むのに疲れたので、ちょっと書見の趣を変えようと小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』を読みはじめたところ――Cさんが並行して何冊も読まないと集中力が続かないと言っていたのがこういうことかとよくわかった――まもなく母親が戸口にやってきて、草刈りを手伝いなと言う。面倒臭えなと思いながらも素直に要求に従って、三時八分で書見を切り上げ、一旦両親の寝室に行って布団を取り込んでいた母親を手伝い、彼らの寝床を整えた。そうして上階に行って水を一杯飲んだあと、階段を下り、下の階の物置きから外に出た。足もとは白の古びたスニーカー、手には灰色の軍手を嵌めていた。家の南側に出て、ベランダの下の雑多にものが置かれている場所から鎌を取り出し、畑に続く階段の左右を刈りだすと、畑の周囲の斜面を刈っていた父親がまもなく、やらなくていいよと言ってくる。母親が皆でやろうと言うから、と受けて、父親がこちらを慮り自分が使っていた切れ味の良い鎌を貸してくれたのを受け取り、引き続き草をぐわっしと掴みながら鎌を小さく振って断ち切っていった。こちらのいる梅の木の下は既に日蔭になっていて、汗が出ないわけもないが思いの外に涼しく、熱中症の心配はなさそうだった。刈っていく下草の合間に、薄緑の小さな梅の実が多く見られた。しばらくすると母親もやってきて、手には黄色の保冷バッグを持っている。母親はそのまま、階段上の一帯にしゃがみこんで、周囲の草を払いはじめた。
 今から考えると、実際にはたくさん鳴いていたはずだが、草を刈っている最中、鳥の声にまったく耳が向かなかった。囀りを一回も認識した覚えがない。ある程度刈ったところで、母親が「DAKARA」を持ってきたと言うのでそれを飲むことにして、階段の上にある木造りのテーブルに寄った。ティッシュも持ってきてくれていたので、こちらは鼻をかんでねばねばした黄色い鼻水を排出し、母親が湯呑みに注いでくれた飲料を飲んで喉を潤した。ご丁寧に飲み物の入れ物を三人分持ってきていたのだった。そうしていると父親も斜面から抜けて寄ってきて、母親は彼には炭酸水を渡す。それでテーブルの周りに三人揃って就いて、ひととき休憩を取った。テーブルの端のほうには何か黒い小さな粒々のようなものが落ちており、母親はそれを見て、何か毛虫か何かのうんこかな、と口にする。ちょうどそこは、柚子の木の下に当たっている場所なのだ。揚羽蝶の幼虫でもいるんじゃないかと言って父親が梢を見分しはじめるのに母親は、嫌そうに、いいよ見なくて、と声を上げた。向こうの坂を、中学生だろうか子供が三人ほど、自転車で息を切らせながら上がっていく。
 しばらく休んでから父親がふたたび作業を始めたので、こちらも「GREEN DAKARA」を飲み干して軍手を嵌め直し、今度は階段下の畑の隅、道具が雑多に置かれてある台の付近の草を刈りはじめた。低くしゃがみこんで脚の周りの草をぶちぶちと鎌で千切っていき、それから立ち上がって斜面の奥に放っていると、くらくらと少々立ちくらみがする時もあった。四時になったらこちらは仕事を切り上げてなかに入ることと勝手に決めて、母親に時間を尋ねると、三時五八分だと言った。最後に周辺をもう少々刈っておいてそれで終いとすると、母親が玉ねぎを持っていってくれと言う。それで彼女について畑の向こうの端の方に行き、母親がビニール袋に入れた玉ねぎ六、七個を受け取って、階段を上っていった。上に出ると、草間から大きなバッタが飛び跳ねて別の葉の上に移った。それでうわ、と口にし、でかいバッタがいると報告すると母親も見に来て、本当だ、主だねと言った。枯れた葉のような褪せた褐色の体色をしていたのだが、あれはトノサマバッタというものなのだろうか。
 下の階の物置きからなかに入り、軍手と玉ねぎはそのあたりに置いておき、階段を上るとジャージをもう一着の方に取り替えた。それで自室に戻り、真っ黒な肌着のシャツは脱いで椅子に掛けておき、上半身裸になってベッドに乗って、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』をふたたび読みはじめた。伊東忠太という建築家の存在を初めて知った。Architectureを「建築」という訳語に定着させた人物であるらしく、東大正門などを造ったと言う。そのほか、巻頭の二人の対談はトマス・カスリスの「インティマシー/インテグリティー」という対概念をベースに議論が展開されていくのだが、法政大学出版局から刊行されている彼の『インティマシーあるいはインテグリティー 哲学と文化的差異』はこちらの積み本の一巻を占めている。この本も読みたいところだ。
 そうして五時一五分を迎えた頃には母親も既になかに入ってきており、上階の台所で食事の支度を始めたようだった。こちらも読書を切り上げ、肌着のシャツを着ながら階段を上がり、台所に入ると、もともと大根ステーキでもやろうかと話していたのだったが、鮭があったのでそれで良いだろうということになった。こちらとしても不満はないので、母親の指示に従って冷凍されていた筍をフライパンのなかに空け、砂糖と醤油を加えたあと、盛り皿の上に載せられた鮭の塊二つの上に濡らしたキッチンペーパーを蓋のように掛け、それを電子レンジで加熱した。サラダももう出来ており、味噌汁も前日の残りがあって、そのほか昼に買ってきたフライの余りもあると言う。それではもうやることがないではないかというわけでこちらはさっさと自室に下がり、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)を流しながら日記を書きはじめた。そうして現在は六時を回ったところである。
 ふたたび読書、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』。一時間弱読み、光が萎えてくるとカーテンを閉めて食事に行った。台所には母親の手によって既に料理が皿に盛られて用意されてあった。大根や胡瓜を細切りにしてシーチキンを混ぜたサラダや、昼の残りのフライ類に筍とワカメの煮物、それに鮭である。さらに米と、豚汁じみた野菜スープをよそっているあいだ、炬燵テーブルでは既に父親が食事を始めていた。こちらも卓に移って食事を始め、テレビに目を向けると、ニュースはドナルド・トランプの来日を伝えている。フライに醤油を垂らしてそれをおかずにしながら米を食べ、僅かに残った米を鮭と一緒に平らげるとそのほかの品も食べていった。ニュースに時折り漫然と目をやりながら、枝豆をちまちまと一粒ずつ食い、それで食事を終えると水を汲んできて、風邪薬を服用した。同時に抗鬱剤ほかも飲んでおき、食器を洗うと寝間着と肌着を持って洗面所に行った。洗面台の電灯を灯して、電動髭剃りで髭を剃りはじめたが、顎の毛を当たっている途中に機械が弱りはじめて、ついに駆動を停めてしまった。電池が切れたのだ。それでケーブルを持って居間に出て、コンセントに繋いでおくと、テレビは『ブラタモリ』に移行しており、大阪にも古墳があるのかと父親が呟くので、あるよ、大仙古墳が、日本最大の、とがらがらの声で答えておき、ふたたび洗面所に入って扉を閉め、服を脱いだ。そうして入浴。湯に浸かったまま身体の動きを止め、呼吸を静めて瞑想じみた振る舞いをしてみたのだが、やはり以前のように変性意識に入ることは出来なかった。瞑想の実践が無意味と化したのはなかなかに痛い。身体的鋭敏性を高めるに当たって、瞑想は大いに寄与していたように思うのだ。それを続けていれば、あるいは余人には計り知れない領域の事々もいつかは視えていたかもしれないと考えると、惜しいものである。それから洗体スペースに出て、シェービング・ジェルを顔に塗り、鏡に顔面を近寄せながらT字剃刀で剃り残した毛や産毛を当たった。その後、頭と身体を洗って上がると、すぐに下階に戻った。
 そうしてHorace Silver『Paris Blues, 1962』やTomoko Miyata『Secret Of Life』を流しながら、上半身は裸のまま、一〇時五〇分まで二時間ほど書見。中島隆博という人は中国哲学の専門家なのだが、西洋の哲学にもいくらか通じているようだし、カンタン・メイヤスーの名前なども口に出していて、最新の動向も多少追っているようだ。さすがはプロである。小林康夫の方も、自然科学方面の議論にも通じているようで――最新の自然科学が提示する世界観に応答することなしにはもはや現代の「哲学」は可能ではないというようなことも言っていて、それはやはり本当はそうなのだろうなあと思う――また、読書案内に記されている文献など見ると、こんなものまで読んでいるのかという名前も見られて、こちらも実に幅広い。彼らは講義だの論文作成だの事務作業だの、教授職の仕事で忙しいだろうに、一体いつどのようにして文献を読んでいるのだろうか? やはりああいう人々というのは読むのはやたらに速いのだろうか?
 その後、Marcos Valle『Samba '68』をヘッドフォンで聞きつつ、日記をここまで綴ると一一時二〇分前に至っている。
 それから、Marilyn Crispell Trio『Live In Zurich』を流しつつ、一一時三七分から小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』の気になった部分を手帳にメモした。そうして時刻は零時一五分、風邪を引いてもいることだしさっさと寝れば良いのに、そこから何故か短歌を作り出した。現代詩文庫の『続・天沢退二郎詩集』や『岩田宏詩集』、ちくま文庫の『宮沢賢治全集 1』などを参照し、時にその文言を借用しながら――平たく言えばパクりながら――短歌を作ってはTwitterに投稿し続けるマシンと化した。一体いつになったら終わるのだろうかと思いながら次々と作っていたが、二時前に至った頃だろうか、ついにインスピレーションが尽きてきて、その代わりに何故かまた一つ詩を作る回路が作動した。大したものではないが、意外と作れるものだ。今日は生まれて始めて詩を書いたし、短歌も合わせて二〇首作ったし、読書は八時間ほど行ったし、なかなか勤勉な一日だったと言って良いのではないだろうか。

 寂しいと今言ったのは僕の瞳? 夜空の下ではすべて眩しい
 結晶と化した林檎を齧り捨て山越え向かう緑の国へ
 明け方に台風の目を刺し殺す風が絶えたら俺も死ぬから
 赤らんだ石の記憶が忘れられ歴史は腐る樹液のように
 黄昏の砂の帳を切り捨ててスケッチしよう虚無の色味を
 白紙にて青い照明灯しつつ鉱質インク撒いて詩を書く
 冥王星から降り注ぐ宇宙塵白夜の空に溶けて光れよ
 崩れ落ちたガラスの破片で指を切り血を撒き描く真理の唄を
 白っぽい道の遠くで霧が泣くなかで踊るは悪魔の僕[しもべ]
 「ロリータ」と発語するたび舌を噛む血塗られた唇でキスしたい
 暮れ方に両手をだらり道に下げ西陽を吸って息吹き返す
 胎内に神を宿した女が言う「狂った人ほど純粋なのよ」
 唇の口内炎を貫いて叫べる声があればいいのに
 色褪せた水晶よりも純粋で貴婦人よりも淫猥なもの
 虹色に泣いた視界を横切って子犬が吠える声を枯らして
 崩壊よお前の唄は聞き飽きた真っ赤な雲から注ぐ銃弾

 西陽のなかで狂い鳴く鶯が
 色彩の反乱めいた音列を撒き散らす
 美しく荒れ果てた菫色の空に
 僕は役立たずのカメラを捨てなければ
 
 世界は書物だ
 不甲斐ない脳のなかに
 一本の鋭いペンさえ持っていれば
 いつだってどこだって
 頁と頁の隙間に文字を忍ばせることができる
 たとえそれが誰にも見つからない言葉だとしても

 インクは僕の血液
 夜に馴染んで不健康に汚れた血の色を
 今すぐあなたに見せてあげたい
 断末魔のように苦しみくねりのたうち回る
 文字と文字の合間を繋ぐ書き損じの
 一本の線の仄かに明るい色を
 
 もしよかったらあなたも
 あなたにしか見えない紙の上の泣き声の色を
 僕に見せてくれたら嬉しいな

 電話が鳴ったからもう行かなくちゃ
 西陽のなかで狂い鳴く鶯が
 通り雨のように降り注がせる色彩の音を聞きながら
 唇と唇をわざわざ遭遇させなくたって
 僕らが繋がり合う方法はほかにいくらでもある
 しめやかな葬列のような夜が来る前に
 さよなら ばいばい また明日。

 詩を作り終え、Twitterに投稿して二時を越えるとコンピューターを閉じてベッドに移り、また少々書見を進めてから二時四五分頃就床した。コンピューターの前で長く作歌していたからだろう、目と頭が冴えていて、これは眠れないのではないかと思いながらもとりあえず横向きに寝床に臥せながらじっとしていたのだが、じきに眠気を感じる暇もなくいつの間にか夢のなかに落ちていたようだ。


・作文
 4:55 - 5:28 = 33分
 12:35 - 12:54 = 19分
 17:24 - 18:05 = 41分
 22:58 - 23:17 = 19分
 計: 1時間52分

・読書
 6:28 - 7:28 = 1時間
 13:38 - 15:08 = 1時間30分
 16:10 - 17:15 = 1時間5分
 18:06 - 19:02 = 56分
 20:42 - 22:50 = 2時間8分
 23:37 - 24:15 = 38分
 26:09 - 26:41 = 32分
 計: 7時間49分

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 46 - 57
  • 小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』: 2 - 196

・睡眠
 0:55 - 4:00 = 3時間5分
 7:30 - 12:10 = 4時間40分
 計: 7時間45分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)
  • Horace Silver『Paris Blues, 1962』
  • Tomoko Miyata『Secret Of Life』
  • Marcos Valle『Samba '68』
  • Marilyn Crispell Trio『Live In Zurich』