2019/5/28, Tue.

 七時一五分のアラームが鳴る前に目を覚ましており、アラームを受けて立ち上がりもしたのだが、またしても寝床に戻ってしまって、そこから長々と、一一時過ぎまで寝過ごしてしまった。ベッドに戻るとほとんど必ずその後の眠りが長く、漫然と伸びたものになる。この寝床へと回帰する運動の流れをどうにか断ち切らなければ早起きは叶わないようだ。外は曇りで、のちに新聞で見たところでは今日も最高気温は二九度あると言うが、前日の暑さに比べるとだいぶ涼しく感じられた。
 上階に行き――母親は着物リメイクの仕事で不在――寝間着からジャージに着替えると、何か食べ物はないかと冷蔵庫を探ったが、キャベツの生サラダの残りくらいしかなかった。それで米をおにぎりにするかというわけで、炊飯器の置かれた戸棚の上にラップを敷いて、大きなおにぎりを一つ、中途半端に握って成型した。そのほかサラダを盛り皿に取り分けて卓に向かい、新聞に少々目を落としながら一人黙々と食事を取った。食後は抗鬱剤を服用しておき、今日は風呂洗いを早々と済ませておくかというわけで、皿を洗うと浴室に行った。湯は結構残っていた。栓を抜いたところで風邪薬を飲み忘れたことに気づいたので、残り湯が流れていくのを待つあいだの時間を利用して、一旦浴室を出て居間のテーブルの片隅にある風邪薬を取り、真っ白な薬を三錠、口に入れた。その甘い風味を舌で味わいながら台所に入り、水を汲んで一杯飲んで服用すると、浴室に戻って掃除を始めた。鼻水はもうほとんど出なくなり、声も昨日に比べればいくらかは回復したようである。しかしまだ少々痰の引っかかりやすいような感触は残っている。掃除を終えて出てくると下階に帰り、コンピューターを点けてTwitterを確認したあと、前日の記録を付けて日記を書きはじめた。正午前だった。ホトトギスが頻りに鳴き叫んでいるのが窓外から聞こえていた。それから、FISHMANS『Oh! Mountain』を共連れに五〇分ほど打鍵して、一時前には記述を現在時刻に追いつかせることができた。今日も六時から労働があるが、昨日と同様、たった一時限のみである。ちなみに明日も同じ時間にやはり一時限の労働がある。
 日記を書き終えてから一時一二分に読書を始めるまで、二〇数分のひらきがあるのだが、このあいだの時間で記事をインターネットに投稿する以外に何をしていたのかは不明である。上階に行った記憶もない。Twitterでも覗いていたのだろうか? 僅か三、四時間前のことがこうも思い出せないとは。ともかく、一時を過ぎてから書見を始めた。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。こちらが読書をしているあいだ、母親は、二時頃になって――と書いたところで思い出した、日記を書いて投稿したあと、母親が帰ってきた気配が上階にあったので、買い物をしてきただろう彼女を手伝いに行ったのだった。階段を上がって玄関に出ると、大きな買い物袋がいくつも置かれてあったので、そのなかから二つを取って居間の方に運び入れ、冷蔵庫に野菜などを詰めていった。そのほか、カップ麺の類や米などを戸棚に収めておき、下階に戻ったあとに読書を始めたわけだが、母親は二時頃になって今度は歯医者に出かけていった。こちらは一人、読書に邁進するかと思いきや、一一時一五分まで寝ていたにもかかわらずまた眠気がガスのように湧いて身を包み込み、曖昧に濁った意識を長いあいだ遊泳させることになった。たびたび目覚めて時計を見ており、そのたびに本を読まなくてはと思うのだったが、催眠ガスを嗅がされたかのようにこちらを囲繞する眠気の霧に打ち勝てないのだった。それで気づけば四時前である。その頃には母親も既に帰宅していた。四時五分まで、ほんの少しだけ英文を読み足しておき、それから上階に行った。母親が昼に食った残りの廉価なピザがあることを知っていた。明太チーズのものである。それを冷蔵庫から取り出していると母親が傍にやって来て、今日行った歯医者の話をする。あまり要領を得なかったが、要はぼったくりかもしれないということのようである。アルミホイルの上にピザを載せてオーブン・トースターに突っ込んでおき、焼けるのを待つあいだに卓に移って、母親が支度してくれたものだが、パイナップルと混ぜたアロエヨーグルトを食べながらまた話を聞いた。治療が終わったあとも三か月に一回は来院しなければならないと言われたのが母親は気に掛かっているらしく、何やらプラークだとか何だとか「理屈っぽく」たくさん説明されたと言う。焼けたピザを食べながらこちらは、要はその医院は歯の健康を完璧に保つという方針なのだろうと推測を述べ、そこまでの努力をしたくないあなたとは方針のずれがあると分析した。一方で、おそらくは利益のために患者を囲い込みたいというような動機もあるのではないか、専属の歯科医のようにしたいということもあるのではないかと推測を述べると、母親はそれに強く同調していた。いずれにせよどうでも良い話ではある。ものを食ってエネルギーの補給を終えると――食っているあいだに夕刊を手に取って裏返し、一面を見ると、例の黒字に白抜きのセンセーショナルな演出で、川崎市登戸のショッキングな通り魔事件が伝えられていた――こちらは下階に戻り、排便するとともに歯を磨いた。それからスーツ姿に着替え、今日も蒸し蒸しとして暑いには暑いが、昨日よりはましなのでベストを身につけた。そうして仕事着姿になったのち、日記を書きはじめたのが四時四二分、ここまで一五分ほどで書き足している。BGMはBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)だった。
 出勤までに残った僅かな時間で短歌を作ることにして、『岩田宏詩集』をひらいた。「むこうに陽炎がみえ氷の塊が流れ」、「紫いろのくちびるは帰らなければ」、「つぎはぎだらけの楽器をかかえこみ」という節をそれぞれ盗んであっという間に三つを拵えた。

 陽炎と氷の塊引き連れて砂漠を行こう天使のもとへ
 日暮れ前に紫色の唇は帰らなければ凍えぬように
 つぎはぎだらけの楽器を抱え込み歌おう永遠[とわ]に目覚めぬ夜に

 それで時刻は五時一〇分かそこらだったので、出発することにしてコンピューターを閉じ、上階に行った。居間の端の引出しからハンカチを取り出し、尻のポケットに入れると母親の行ってらっしゃいの声を受けて玄関をくぐった。昨日と比べるとわりあいに涼しい、柔らかな空気の流れる夕時だった。道を歩きだしてまもなく、小さな雀が二羽、路上に現れ、一匹は右方へ水平に、浅く緩く波打ちながら滑るように飛んで駐車場の柵に止まった。その動きを自ずと追ってこちらの眼球が動いていた。残った一羽の方は左方に、垂直に近く飛び上がり、林の縁の茂みのなかへ入っていった。
 街道に出て車の流れる横を行っていると、尋ね人を知らせる市内放送が曇り空に響き渡った。四〇歳の男性が今日の朝から行方不明なのだと言う。身長や服装の特徴を述べるのに漫然と耳をやりながら歩く身を包む空気は蒸しており、髪の茂みの奥にある頭皮が湿っているのが感じられた。老人ホームの横の窓からなかを覗き込みながら過ぎる。この時間にはいつもテーブルの周りに高齢者たちが集っているのが見られる。なかには車椅子に座っている者もあり、視線を差し向けるとあちらの何人かも傍観的な通行者としてのこちらを見ているので、なかにこちらの姿形を覚えていて、今日もあの若者が通る、などと思われたりもしているだろうかと想像した。
 裏通りに今日は高校生らの姿はなく、広々としている。途中の一軒の垣根の端に、野菜のような清潔な薄緑色の紫陽花が咲きはじめていた。まだ小さくこんもりとしており、可愛らしいようで、茸に似ているようでもあった。白猫は今日は姿が見られなかった。短歌を頭のなかで考えながら路地を進み、職場が近くなったところで空を見上げると、水っぽい色に沈んだ空が全体に掛かっており、空の地の色はまったく見えない。薄い亀裂もあってその先はいくらか明るんでいるものの、覗いているのはやはり白の色だった。
 職場に到着。ちょうど(……)さんがコンビニで食事を買って戻ってきたところで、彼女のあとに続いて扉をくぐり、こんにちは、お疲れ様ですと挨拶した。今日の相手は(……)くん(小六・国語)、(……)くん(中三・英語)、(……)さん(高二・英語)。五時四五分くらいから授業準備を開始した。授業間近になっても(……)先生が来ていなかったので、(……)さんを呼び止めて――室長は面談中だったので――その旨告げると、今日はもともと彼の仕事がないところに急遽来てもらうことになって、ギリギリになるのを室長も含めて把握し、了承しているとのことだった。それでこちらも了解した。結局(……)先生は授業の開始には間に合わず、いくらか遅れてきて、そのあいだの生徒の対応は(……)さんが行ってくれた。
 こちらの授業はと言えば、(……)くんは昨日も当たった相手である。国語も受験用のテキスト。四年生の復習から始め、主語・述語の章の最初まで入った。出来は結構良い。こちらが解説をしていると折々に、はい、はい、としっかりとした相槌を返してくれて、こちらとしてもやりやすい。反省点としては、もう少し本文自体について解説したり、突っ込んだことを聞けたりしたら良かったのだが、それはなかなか事前に読んでいないと難しいことでもあるし、また三人が相手ではその余裕もあまりない。ノートはきちんと書いてくれている。
 (……)くんは大人しそうな生徒である。宿題はやって来ていたが、単語テストは勉強してきていなかった。それでもテストさせて、たくさん間違えたそのなかから三つを選んで練習させ、ノートにメモさせたのだが、このようなちまちましたことをやっていてもなあ、というような感じもある。単語テストはやはり事前にきちんと勉強してきてもらっていて、さっと始めてさっと終わらせ、授業本篇に多くの時間を取るというのが理想だ。しかし現実、勉強をしてこなかったり、あるいはまた単語の単純な暗記の仕方がわからないという生徒もいるだろう。そういう生徒にはやはり授業中に単語練習をする時間を取らなければならないだろうが、そうすると文法などが充分に出来ないというジレンマもあって、どうしたものかといつも思う。ともかく、(……)くんの今日の授業は、会話表現の単元と、レッスン二のまとめを四分の一扱って終了。出来は良いし、ノートにもたくさん学んだことを書いてくれたのでまあオーケーだろう。
 ノートにあまり事柄を記入できなかったのは(……)さんで、彼女はもっと書く時間を取るようにすれば良かったと言うか、関係代名詞を使う時の見分け方など書けたような気もする。本文訳を一緒にやることにばかり注意を向けてしまって、ノートに書くことをあまり考えていなかった。結局、今日書いたのはthere is/are の表現のみである。高二でthere is/are を覚えていないというのもなかなかだが、しかし一緒に訳してみると本文訳はわりあい問題なく出来ていたし、受動態などの形も覚えていた。明日がテストだと言う。テスト勉強用のプリントを持っており、それは教科書本文の一部が空欄になっており、そこに入る単語や表現などを覚える、という種類のものだった。それで、教科書本文を見ながら一緒に一文ずつ訳していき、一文訳したあとにはプリントで教科書を隠して、穴埋めの部分を覚えているかどうか答えさせるという方式でやっていった。このやり方はまあ悪くはなかったのではないかと思うし、こういうやり方で良い、と本人に訊いても、それで良い、覚えられそうとの返答があったので、生徒当人としても悪くないやり方だったのだろう。ただ三人だとやはりあまり余裕がないと言うか、ほとんど常に誰か一人のところに就いている、というようなことになってしまう。ノートにコメントを書く時間なども取りづらいし、その時間すら勿体無い、それをしている時間があったらもっと指導をしたいというところだ。反省点は先ほども述べたように、あまりノートに知識を書き込めなかったこと。もっと教科書本文を解説しているその場ですぐに書かせる、という風にすれば良かった。
 以上である。授業を終えたあとは、室長はやはり面談中だったので、(……)さんに記録をチェックしてもらった。こちらの観察や考えなども話すと、チェック後、色々と考えていらっしゃって素敵だなと思いました、という言を頂いたので、彼女からの評価も今のところ悪くはないようだ。そうしてタブレットを仕舞ってから奥のスペースに行き、机を使って授業の片付けをしていた(……)先生にお疲れ様ですと挨拶をした。ロッカーからバッグを取り出したあと、ふたたび(……)先生に声を掛けて、何かわからないことや気になったことなどはありますかと尋ねると、最初、彼はやや当惑していたようだったものの、いや、そりゃもうたくさんありますよと話してくれた。彼はもともと教員をやっていた身なのだが、教えていたのは国語なのだと言う。それで国語ならばばっちりだけれど、実際にこの塾で任せられるのは英語や数学ばかりというわけで、自分でも解き方がわからないような部分もあるので困っているということだった。それはなかなか厳しいですねとこちらは受けて、でも授業前に予習などはやられていますかと訊いてみると、あまり早く来ちゃいけないみたいなんで、との返答があった。それでも自分でテキストなど買って、大まかに今の時期に扱っているような部分は確認しているのだと言う。しかし、実際誰と当たるのか今日どこをやるのかは塾に来てみないとわからないため、完全にカバーすることはできないとそんな状況らしかった。そこでこちらは、予習の時間を事務勤務として取らせてもらいたいと室長に相談してみたらどうですかと勧めておき、もう長いんですかとの質問には、去年ちょっと休んでいたんですが、実は結構長くて、もう七年目くらいですかねと答えた。それはそれは、といった反応があり、それだと色々訊くことがあるかもしれませんと言ったので、是非訊いてくださいと締め括り、相手が覚束なげにこちらの名字を発音するのに、名前を改めて名乗っておいた。
 そうして退勤。雨が降りだしていたので、電車で帰るべく駅に入った。ベンチに腰掛ける。こちらの左方には濃い小麦色の脚を多く露出させた、若いのか年取っているのかよくわからないような外見の女性が座っていた。彼女はじきに立川行きに乗って去り、そのあとから男子高校生の三人連れがやってきて、二人が席に座った。一人立ったままでいたのは、三人とも座ってしまうと顔を向かい合わせられず喋りにくいということもあっただろうし、何となくこちらと隣り合って座るのも気後れするようなところがあったのかもしれない。男子高校生の気配を時折り窺いながら携帯電話を操作して日記を書いていたのだが、途中、ホームの反対側を女子中学生が二人、きゃーきゃー甲高い声を上げながら走って行ったのを見て、男子高校生のなかの立っている一人、眼鏡を掛けていた者が、「きしょ」と口にしたのをこちらの耳が捉えた。無邪気に騒いでいる女子を目撃したというだけのことなのに、この憎悪――と言っては大袈裟に過ぎるが――、忌避感のようなものは一体何なのだろうか。彼は一体何故そんなにも周囲の世界に対して敵愾心を抱いているのだろうか――まあ一〇代の半ばなんてそんなものかもしれないが。
 奥多摩行きがやって来ると乗り、携帯を操作し続けながら到着を待って、最寄り駅に着くと降車した。雨は都合良く止んでいた。階段通路を歩いていると、頭上に灯った白い蛍光灯にくすんだ砂のような色の細かな羽虫たちが群がっており、それらが電灯の表面に衝突する音が、屋根を叩く雨音のようにかん、かん、と小さく響いていた。途中で一匹、こちらの右耳に襲いかかってきたものもあった。そんななかを抜けて、道路を渡り、坂道に入って見上げると、空は墨を注ぎ込まれたように暗色に沈んでおり、それでかえって濁っているのではなくて均一に暗んでいた。平らな道に出て、咳を漏らしながら行っていると、自宅の間近に来て道端の車庫の屋根を雨が打つ音が聞こえはじめ、それがにわかに膨らんであっという間にそこそこ大きな降りになったので、間が悪いなと足を速めた。自宅の前まで来ると父親もちょうど帰ってきたところらしく、ヘッドライトを点けた車の運転席に入っているその姿に向けて手を挙げ、おかえりと言うのにああ、と低く受けた。そうしてなかに入り、母親にも挨拶をして下階に戻ると、ジャージと肌着に服装を替えて上階に行った。食事は素麺の煮込みに枝豆、唐揚げ、ワカメのサラダ、昼のピザの残り、それにオレンジ・ジュースである。それぞれ用意して卓に就くと、最初はテレビは歌番組を流していて、山田涼介(だったか?)がダンスを披露したりしていたのだが、じきに気象情報を通過して九時のニュースが始まった。取り上げられている話題は勿論、登戸の通り魔事件である。悲痛な様子で記者会見する、亡くなった児童の通っていた小学校の校長などの様子が映された。それを見たあと薬を飲み、食器を洗って風呂に行った。そう長く浸からずにさっさと上がってきて、なかなか涼しかったがパンツ一丁の格好で下階に戻ると、Skypeのチャット上でYさんとやり取りを交わしながら、短歌をいくつか作った。

 家出しよう終日[ひねもす]雨の白夜には不確かな気が狂わぬように
 へい兄ちゃん何か一曲やってくれ眠りも家も目もない俺に
 殺人が大衆化したこの世では天使も悪魔も欠伸ばかりさ
 冬なのか夏の日なのかわからない沼に沈んで空見上げれば
 鉄の環をちぎってはまた繋ぎ替え位牌を作る君悼むため
 逝く君の手首と髪を抱きしめて脈動測る世の最後まで
 劇場の燃える舞台の上に立ち詩を読み叫ぶ声嗄れるまで
 エンパイア・ステート・ビルの跡地にて花を捧げる天に向かって
 神様の気まぐれな手にすくわれて君と出会った親子のように
 君思う大停電の真夜中に戦争よりも遠い朝まで

 まあ説明をするのも野暮だが、元ネタを明かしておくと、一つ目の歌はcero "Orphans"が元、二つ目はわかりやすいと思うが、Bob Dylan "Mr. Tambourine Man"である。最後から一つ前のものもcero "Orphans"をパクっている。その後、一〇時を回ったあたりから、cero『WORLD RECORD』をお供に日記を綴りはじめ、音楽を同じくceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』に移行させながら打鍵して、一時間強でここまで記し終えた。
 その後、一一時半前からSkype上のグループで通話が始まった。最初に参加しているのはこちらとYさんの二人だけだった。そのあとしばらくしてから、続々と皆さんがやって来たのだった。最初のうちに話していたことで覚えているのは熊の話である。先日、フィンランド人のJさんが通話に参加したわけだが、フィンランドでは日本よりも人間と熊の距離が近い、というような話がYさんからあり、それに応じてこちらは、そう言えば青梅でも熊が出たんですよと話した。そのほか、『プロフェッショナル 仕事の流儀』というNHKの番組で、過去に北海道の猟師の仕事が取り上げられたことがあった、それがなかなか面白かったと話した。自分が撃って殺した獲物の鹿に対して、「お前」と二人称で呼びかけているのを見て、やはり同様に魚に対して呼びかけるヘミングウェイの『老人と海』のなかの老人を連想した、などと話したわけだが、このあたりに関しては過去の日記に書いてあるので詳しくはそれを引用しよう。二〇一七年一二月一一日月曜日の記事からの引用である。

 (……)まず最初に展開されたのは、久保という七〇歳のその猟師が実際に鹿を撃って獲得するまでの映像である。森のなかを探索したあと、平地に鹿がいるのを発見し(場所は北海道である)、森の縁の樹々に隠れながら機会を見て射殺するのだが、そこで銃を構えたまま、鹿が充分に近づいてくるのを五分か一〇分か、あるいはそれ以上待ったということだった。一発で確実に生命を奪うという点に、こだわりを持っているらしい。それは獲物をなるべく苦しませずに殺すという意味も勿論あって、それが猟師としての責任だとこの人は考えているらしかったが、もう一つ実際的なものとして、一発で弾丸を急所に通過させて絶命に至らしめると、そのほうが肉が美味いという話だった。それで実際、この時も一発で仕留めたのだったが、弾丸を撃ちこまれた時の鹿の肉体のその動きが、こちらとしてはやはり強く印象に残っている。まさしくのたうち回るという言葉の意味を体現したもので、地に倒れ伏しながら脚を何度も反復的にバネのように跳ね動かすその撓るような動き、そしてそれによってやはり繰り返し生まれる土の飛散である。凄まじい、圧倒的な[﹅4]具体性、ここにはやはり何かしらの強いものがあると感じ、いつもながらの思考だが、これが小説の領域だろうと思った。実際、番組の終盤に放映された熊を追い求める段もそうだったが、この人が猟(複数人でやるいわゆる「狩り」と、「猟」とは全然違うものだと猟師は語っていた)をするために山に入って獲物を仕留めるまでのあいだに見聞きし感じることを十全に記述することができれば、それでもう一篇小説が出来るのではないかと思われた。
 もう一つ、大きく印象に残っているのは熊猟について語っていた最中の一言で、初めは人間が熊に「挑む」という言い方をしていたのが、直後に付け加えて、挑むというよりは「呼ばれている」という感じだと言っていたのだ。ああ、やはりそういう風な感覚になっていくのだなと、どういうことなのか良くわからないものの得心された。
 いまはちょっとほかの細部が滑らかに頭のなかで繋がらないが、様々な点で、先日読んだErnest Hemingway, The Old Man And The Seaの老人を地で行くような人ではないかと思った(最初に連想が働いたのは、仕留めた鹿に向かって、多分解体する段ではなかったかと思うが、「お前はうまい鹿だ」と(二人称で)呼びかけて[﹅5]いるのを見た瞬間である)。このような人間がこの現代にも存在しており、また昔はもっとたくさん存在していたのだという点、また、番組の途中で映し出された自然環境(降雪もそうだが、岸のすぐ下の川の流れのなかに大きな鮭がうようよと[﹅5]ひしめき合ったりしているのだ)の様子などを見るにつけ、北海道という地は一応日本国と呼ばれる国家のなかの一領域として、何の不思議もないかのような顔をして位置づけられているが、例えば自分が生まれて育ったこの東京などとは本当に、相当に異なった土地なのだということがわりあいに真に迫って感じられたような気がする。そして、ここから先は今日(一二月一二日)に思い巡らせたことなのだが、そのように随分と異なった土地のあいだの歴史的/文化的/地理的差異を均して、一つの国家という抽象観念の下に同じ日本として統合しようなどということを考え、そしてそれを実際に敢行してのけたいわゆる「近代」という時代の凄まじさ、ナショナリズムという思想=物語を心の底から本気で信じ込んでしまった時代のとてつもなさというようなものの、その一端を垣間見ることができたような気がする。

 その後、グレッグ・イーガンの話、カンディンスキーの話、パウル・クレーの話などをしたのち、人形あるいは縫いぐるみの話題からディズニー・ランドの話になった。Tさんによると、ディズニー・ランドを設計した人間というのは本物の地質学者で、地質学的構造を細部まで非常に正確に再現しているのだということだった。彼は高校生なのだが、鉱物を集めたり何だりしていて、着目点が常識的な人間とは違う。
 そうして零時半になったところで、僕はそろそろ退出しますよと発言すると、皆もそれでは解散しようかという流れになった。ありがとうございました、おやすみなさいと言い合って通話を終え、チャット上にも礼の言葉を投稿しておいて、コンピューターを閉じて読書に入った。Michael Stanislawski, ZIONISMや、山岡ミヤ『光点』を読んでいる途中なのだが、何となく詩が読みたくなったので、『岩田宏詩集成』を読むことにした。それでベッドの上で読みながら、途中でコンピューターを持ってきて、読んでいる内容から連想的に詩を拵えようとしたのだが、なかなか上手く行かず、中途半端に何行かが出来たのみだった。そうして、二時一五分頃まで読んで就床。眠りはわりあいに近かったと思う。


・作文
 11:56 - 12:48 = 52分
 16:42 - 16:56 = 14分
 22:06 - 23:13 = 1時間7分
 計: 2時間13分

・読書
 13:12 - 16:05 = (2時間引いて)53分
 24:45 - 26:14 = 1時間29分
 計: 2時間22分

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 68 - 70
  • 岩田宏詩集成』: 12 - 72

・睡眠
 2:40 - 11:15 = 8時間35分

・音楽