2019/5/31, Fri.

 一二時まで糞寝坊。上階に行き母親に挨拶。食事は炒飯だと言う。台所に入ってフライパンから炒飯を大皿にすべて盛り、それを電子レンジへ。二分半温めているあいだに、アスパラガスにマヨネーズを掛け、卓に就いて食う。テレビはニュース。例の川崎の事件の犯人宅から、大量殺人の記事が載った雑誌が発見されたとのこと。炒飯が温まると皿を卓に持ってきて、新聞をめくり、イスラエルの組閣失敗の記事を読みながら食べた。右派内部で、超正統派に対する兵役免除の廃止について折り合いがつかなかったらしい。ものを食べ終えて薬を服用し、皿を洗った頃、母親は「K」の仕事へ出かけていった。こちらは下階に下り、自室に入ってコンピューターを起動させ、Bob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』(Disc 2)を流しながら日記を書きはじめ、一時直前にはここまで書き記すことができた。今日の天気は曇り、半袖のシャツとハーフ・パンツでいると結構涼しい気候である。
 そこからベッドに移って山岡ミヤ『光点』を読むところだが、一二時まで眠りこけたにもかかわらず――あるいはそれ故にこそ?――何だか身体が重いと言うか、疲れているような感じがあって、意識を完全に落としきったわけではないが、薄布団を身体に掛けてクッションと枕に凭れながら目を閉じ、長い時間休んだ。そうして二時半から、FISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなかで読書を始め、四時五分になって『光点』を読了した。特に印象深い部分や感覚に引っかかりを覚える部分のない小説で、蓮實重彦が一体この小説のどこをそれほど評価したのか不可解なままに読み終えてしまった。「足の裏」とか「踏む」とかの主題の配置がどうのこうの、と言っていたような覚えがあるのだが、彼ほどの繊細さを持って主題的配置を読み取る能力がこちらにはない。その他の面と言って、物語的には半端なところで終わっているし、細部の描写にもこちらとしては特に感応するところがなかったので、あまりこちらと相性の良い小説だったとは言い難いようだ。
 その後、音楽はSeiji Ozawa: Toronto Symphony Orchestra『Takemitsu: November Steps etc.』を流しだし、またちょっと休んでから今度は、ルイジ・ピランデッロ白崎容子・尾河直哉訳『ピランデッロ短編集 カオス・シチリア物語』を読み出した。五時過ぎまで読み、それからまた五時半まで布団を被って休んだあと、食事の支度をするために上階に行った。その前にまず風呂洗いとアイロン掛けだが、風呂は水がたくさん残っていたので洗わないことにして、ただしマットだけは漂白したと母親が言っていたので、シャワーで水を掛けて洗剤を流した。それから居間に出てアイロン掛け、ブルーのフレンチ・リネンのシャツや、母親のガウチョパンツやエプロンなどの皺を伸ばし、終えると台所に入って、まず炒飯の残骸がこびりついたフライパンに水を注いで火に掛けた。蓋をしておき、熱しているあいだに炊飯器の釜を洗い、玄関の方に出て戸棚のなかから米を三合、笊に取って戻ってくるとフライパンの蓋の隙間から蒸気が湧き上がっていたので、沸騰した湯をシンクに流し、キッチン・ペーパーで汚れを拭った。それから米を磨ぎ、釜に入れて六時五〇分に炊きあがるようにセットしておくと、冷蔵庫から大きく見事な茄子を二本、それに解凍しておいた焼豚を取り出して、切りはじめた。切った茄子は小鍋の水に浸けておき、それから焼豚を摘み食いしながら切り分けたのち、フライパンにオリーブ・オイルを引いてチューブのニンニクを落とした。そうして茄子を投入し、蓋をしながらたまにフライパンを振って炒めていく。焼豚も加えてしばらくしてからすき焼きのたれを味付けに注いで、また少し熱すると完成した。そうして食卓灯を点けておくと下階に戻って、Marc Ribot Trio『Live At The Village Vanguard』を背景に日記を書きはじめて現在七時近くである。どうも疲労感が抜けない。
 それでふたたび、八時半頃まで横になって休んでしまった。それから上階へ食事に。米・茄子と焼豚の炒め物・キャベツとトマトの生サラダ。炒め物をおかずにして米をかっ喰らう。テレビは何だったか覚えていない。食事を取り終えて皿も洗い、抗鬱剤や風邪薬も飲むと、居間の隅でタオルや下着などの洗濯物を畳んでから風呂に行った。浸かって出てくると下階へ、九時四五分から読書を始めている。ルイジ・ピランデッロ白崎容子・尾河直哉訳『ピランデッロ短編集 カオス・シチリア物語』を読んだはずだ。どこがどうとはわからないが、なかなか良い感じ。BGMにはHerbert von Karajan & Wiener Philharmoniker『Dvorak: Symphonien No.8 & No.9 』を流して、こちらもさすがカラヤンと言うべきなのか結構良くて、繰り返し聞いてみたい音源である。一〇時五〇分になると読書を切り上げてコンピューターに寄り、Hermeto Pascoal『Ao Vivo Montreux Jazz Festival』をヘッドフォンで聞きながら、小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』の書抜きを行った。Skype上では通話が始まっているようだったが、まだ参加せず、一方でLINEで翌々日の集合などを話し合いながら打鍵を進めた。そうして零時を過ぎた頃から音楽を止めて、Skype通話にミュートで参加した。通話をしているのはYさん、Nさん、MYさん、Kさんだった。あと一人、誰かいたような気がするが、それはのちにAさんが参加した時の記憶かもしれない。最初のうちは漫画の話をしていたようで、押見修造『悪の華』などの名前が訊かれた。MYさんは、押見修造は「気持ち悪い」主人公を描かせたら右に出るものはいないと言った。『悪の華』のなかには、主人公が同級生だか何だか知人の女子に、古本屋かどこかでロートレアモンやアンドレ・ブルトンを熱を籠めて紹介する場面があると言うのだが、ロートレアモンとはまたなかなかコアなところを選ぶなとこちらは思った。皆結構漫画は詳しい、と言うかこちらが読んだことのないようなものを色々と読んでいるようだった。
 そのうちに、チャット上からNさんに、ブログはもっと書かないんですかと呼びかけた。続けて、続ける者こそが偉大なのだといつもながらの言を主張し、毎日じゃなくてもとにかく続けていればいいんですよと発言したところ、Nさんは、毎日は難しいけれど一週間に一回くらいは必ず更新するようにしようと思いますと返答を寄越した。それから、Fさんは私にとっては「パイオニア」ですと言ってくれるので、パイオニア、と笑いの文字を付けながら返答した。そのあと、NさんがMYさんに、MYさんは何か書かないんですかと尋ねたところ、彼は自分で小説を書いているとのことだった。サークルで書いているものと、津原泰水の講座に参加して書いているものと二種類あって、それらを一一月の文学フリマで発表する予定だとのことだった。
 その後、「皆さん今何読んでるの?」と気楽な口調で問いを投げかけたところ、Nさんは夏目漱石の『こころ』だと言った。懐かしい、高校の授業でやったと受けると、学校の授業だとどうしても抜粋なので不充分だけれど、全篇通して読むとやっぱり面白いですねという返答があった。MYさんは今、ウィリアム・バロウズを主人公にした小説を書いているらしく、その資料として伝記を読む一方で、ピンチョンの『競売ナンバー』何たらという作があったと思うが、あれと、あとは『とりかへばや物語』なども読んでいるらしい。多岐に渡る人である。
 そして、Yさんがそのうちに、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』の名前を出した。あれは断片集だったなというところから、僕は断片的な人間ですとこちらは発言し、体系的な人間と断片的な人間がいるようで、と以前Mさんが言っていたことを踏まえて説明した。自分は本を読んだ際に、全体的な感想などをうまく要約してまとめるのが苦手で、「ここに何かがあるな」とか「ここいいよね」といったように、具体的な箇所を指した断片的な感想になってしまう傾向があるのだと話した。それに対してYさんは、自分は体系的と断片的だったらどちらの性向だろうと問うてみせるので、Yさんは脱線的、とこちらは第三項を導入した。彼は実際、連想が豊富で、話していると思いだした事柄からどんどん話題を脱線させていくという趣があるのだ。言うまでもないが、脱線という運動はロラン・バルトが称揚した小説的な運動の一つである。
 その後一時半前に至って、「どん兵衛」の鴨出汁蕎麦を用意してきて、今カップ蕎麦を食うところですなどとチャット上に自分の行動を発言しながら啜った。蕎麦を食い終わり、スープもすべて飲み干してしまって容器を潰してゴミ箱に放り込んでおくと、それから眠っている両親の妨げにならないようにとコンピューターを持って隣室に移って、一時四〇分頃から音声通話に参加した。その頃にはちょうど、MYさんもKさんも退出したところで、こうして初期メンバー三人が残るわけですねと、NさんとYさんに向けてこちらは言った。一番最初に通話をした時のメンバーがこちら、Yさん、Nさん、それにIさんの四人だったのだ。
 その後、どんなことを話したのかはよく覚えていない。改めてNさんに、先日のブログ記事は具体的でなかなか良かったと伝えると、本当にありがたいです、先駆者の方からそう言ってもらえるとは、との返答があったので、先駆者という言葉に笑いを上げた。そのほか、Nさんが七月に東京に旅行に来るという話もあった。何かインディーズのアーティストのライブを見に来るらしく、そのついでに二泊三日くらいで観光すると言う。それで、東京って夜とか一人だと危ないですかと言うので、自分の住んでいるのは東京と言っても西の田舎なのでそんなこともないが、都心の方だと危ないかもしれないと告げた。Yさんに案内をしてもらうらしく、予定としては上野に行くことが決まっていると言う。それで国立西洋美術館の企画展を調べてみると、六月半ばから松方幸次郎コレクションの展覧会が開催されるらしく、これはこちらもちょっと見てみたいなとなった。
 そのほか途中で、兄の部屋にちょうどギターがあったので、こちらが適当なギター演奏を披露した時間もあった。適当にコードを弾いて進行を作ったり、スケールに合わせてブルース風のフレーズを奏でたりすると、二人から称賛を得ることが出来た――Yさんなどは三時過ぎになってこちらが通話を離脱しようという時に、わざわざもう一度、ギター演奏は凄く良かった、と言ってくれた。
 そのような感じで通話を交わし、三時過ぎにこちらはそろそろ眠ると言って退出し――ちょうど電源から外していたコンピューターのバッテリーが切れそうになったのだった――コンピューターを持って自室に戻り、机上に機械を据えておくと、九時半にアラームが鳴るように仕掛けて、明かりを落として就床した。ホトトギスの鳴き声が外からひっきりなしに聞こえていた。そのうちに、蚊が一匹耳元に寄ってきて、不快な羽音を耳のなかに送り込んできたが、手を振ったり寝返りを打ったりして追い払っていると、じきに近寄って来なくなり、無事に眠ることが出来たようである。


・作文
 12:43 - 12:57 = 14分
 18:26 - 18:42 = 16分
 計: 30分

・読書
 14:30 - 16:05 = 1時間35分
 16:26 - 17:17 = 51分
 21:45 - 22:44 = 59分
 22:51 - 24:26 = 1時間35分
 計: 5時間

  • 山岡ミヤ『光点』: 22 - 132(読了)
  • ルイジ・ピランデッロ/白崎容子・尾河直哉訳『ピランデッロ短編集 カオス・シチリア物語』: 9 - 46
  • 小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、書抜き

・睡眠
 2:30 - 12:00 = 9時間30分

・音楽

  • Bob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』(Disc 2)
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Seiji Ozawa: Toronto Symphony Orchestra『Takemitsu: November Steps etc.』
  • Marc Ribot Trio『Live At The Village Vanguard』
  • Herbert von Karajan & Wiener Philharmoniker『Dvorak: Symphonien No.8 & No.9
  • Hermeto Pascoal『Ao Vivo Montreux Jazz Festival』