2019/6/16, Sun.

 子どものときにひとりで、「数字を使わずに『数』をイメージできるか」という遊びをしていた。「1」とか「2」とか、「一」とか「二」という記号、あるいは「イチ」とか「ニ」という音を一切頭のなかから締め出して、そういう記号や音を使わずに、「1」や「2」という数を、直接イメージできるだろうか。そういうことをずっとしていた覚えがある。数字や音を使わなくても、リンゴやみかんがその数だけ並んでいる情景が勝手に浮かんできて、結局はいつも失敗するのだが。
 あるいは、いかなる楽器から出された音でもない「ド」や「レ」や「ミ」という音程を、イメージすることができるか。人間が演奏した音でも、機械が合成する音でもない、純粋な音程そのもの。
 あるいは、白い壁をいつまでもじっと見つめて、その「白さ」を見ようとしていた。目に映る「白い壁紙」ではなく、その「白い」という色そのもの、その色が宿っている物質の質量をすべて排除し、その表面の色そのものをどれくらい「見る」ことができるか、ということをしていたのだ。
 なにも解釈せずに、ただそのものを知りたい、と思う。それは、音や色などの抽象的なものばかりではない。
 (岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、二〇一五年、216~217)


 八時前に覚めた。二度寝に陥ることは防げたが、それからしばらく床に留まった。外からは雀の囀りが聞こえ、窓から斜めに射し込んだ陽光が尻のあたりに集まって熱が心地良かった。眠るわけでもなく起きるわけでもない中途半端な時間を過ごしたあと、八時二〇分に至って起床した。睡眠時間は五時間二〇分、良い調子である。まだ食事を取るつもりはなかったが――一時から労働なので、一〇時か一一時かそのくらいに朝昼兼用の食事を取れば良いと思っていたのだ――一旦上階に行った。母親に挨拶し、洗面所に入って櫛付きのドライヤーで髪を梳かしていると、母親が、墓参りに行くけれどその暇はない、と言ってきた。何時に行くかにもよるが、一応暇がないわけではない。髪を整え終わると洗面所を出て、飯はまだ良いと言いながら下階に下り、早速コンピューターを支度して日記を書きはじめた。勤勉である。しかしコンピューターの前に立ち尽くして打鍵をしているあいだに、眩暈がすると言うか、視界が白いようになってきて立っているのが辛くなるような時間が二度あって、そのたびに一旦ベッドの上に移って姿勢を低くして休んだ。どうもこれは低血糖症状と言うか、空腹に何も食物を入れていないがためのエネルギー不足ではないかと思われたので、九時を回ったところで早くものを食べた方が良いだろうと上階に行った。父親も既に起きて、食事を取っていた。カレーがあると言うので冷蔵庫からフライパンを取り出して火に掛け、搔き混ぜながら褐色の準液体を熱し、大皿の米にすべてを払って掛け乗せた。そうして卓に移って食事、テレビは『日曜討論』を映しており、父親など結構注視していたが、音声の音量が小さくて各議員の発言があまり良く聞き取れなかった。ものを食べ終えると、ちょうど皿を洗っていた父親にこちらの使った食器も洗ってもらい、葡萄のゼリーを一つ食うとともに抗鬱剤を服用して、ゼリーの容器を濯いで捨てておくと下階に戻ってきた。九時一九分からふたたび日記を書き出し――BGMにRadiohead『Kid A』を流した――九時半を越えてここまで。
 それから前日の記事をブログに投稿した。Amazon Affiliateだが、画像リンクだと全然クリックされないようなので、やはりテキストリンクだろうということで以前と同様に本文中の書籍や音楽作品名にリンクを仕込んでいった。以前はこのやり方で数か月、三か月くらい続けたのだったが、クリックされるばかりで一向に注文が入らない、すなわちこちらに何の利益も生じないので面倒臭くなって止めてしまったのだった。しかしまたある程度の期間、続けてみようと思う。
 その後、上階に行って風呂を洗い、下階に戻ってくると歯磨きをしたのが先だったかそれとも仕事着に着替えたのが先だったか? どちらでも良いのだが、今日は暑く、最高気温は三一度にもなると言うので、さすがにベストは身につけず、ネクタイも巻かないで紺色のスラックスに薄青色のワイシャツのみの姿になった。そうしてインターネットを見るか何かしたあと、便所に入って排便していると、母親がもう行くよと騒々しく呼ぶので個室を出て、部屋にバッグを取りに帰り、それから階段を上がった。玄関に行くと、母親は自分で呼んでおきながら自らはトイレに入っていた。玄関で待って一緒に扉を抜け、鍵を掛けると父親の車の助手席に乗り込んだ。
 脚の上に夏の陽射しが被さり暑い。市街を抜けて行き、千ヶ瀬に下ってクリーニング店へ。店の裏の駐車場に停まり、父親がいくつものワイシャツを手に降りて店に行っているあいだ、こちらと母親は車内に留まった。やはり脚や腕に陽射しが伸し掛かってきて暑い。動かずに座っているだけでも汗が滲んでくる陽気である。しばらく待ってから父親が戻ってくると発車して、今度は多摩川に掛かった橋を越えて、母親の友人のTちゃんという人の宅へ。玉ねぎを分けに行くらしかった。母親が降りて戸口で訪いをしているあいだ、車は細道の奥に入ってUターンして戻ってきた。そうして用事を終えた母親を乗せて橋を戻り、寺に続く細道に入ってまもなく、ここに個人で日曜日だけパンを売っている家があるのだが、そこに入った。ここのパンが美味いので買おうという話になっていたのだ。表の看板には営業は一一時半からと書いてあって、まだ一一時そこらだったが、母親が訊きに行くともういいですよということになったらしかった。それでちょっと待っているあいだに母親は買って戻ってきて、そうして寺へ。法事があるらしくて門のなかの駐車場スペースはいっぱいだったので、外の駐車場に停める。花を買うのを忘れていたので、父親が近くの花屋に歩いて買いに行った。そのあいだこちらと母親は墓地に入って、こちらは水場で桶に水と、箒と塵取りを用意して持ち、墓所へ。前回墓に来たのはいつなのだろうか、花は当然のことながら枯れ果て、墓の正面中央にある水受けの窪みにどろどろになった草の残骸が落ちていた。枯れた花を塵取りに入れ、花受けも二つ受け取って、水場へ洗いに行く。そこに置かれてあったブラシやスポンジを使って銀色の花受けのなかを綺麗にしていると、父親がやって来て通り過ぎていった。綺麗になったところで墓所へ戻り、掃除をしていた父親の脇に花受けを置くと、父親はそれを取って所定の位置に嵌めた。そうして花を供え、線香を用意し、三人それぞれあげて合掌して終い。こちらは祖父母と先祖の冥福を祈ったあとにとにかく金をくれと現金なことを願っておいた。そうして退去。車に戻るとスーパーに行くことに。蕎麦屋に行こうかという話も出かかっていたのだが、そして腹のあまり減っていなかったこちらは蕎麦屋であっさりと麺でも食いたかったのだが、走っているあいだに母親がやっぱりスーパーで何か買って帰ろうかなどと口にしはじめ、その優柔不断ぶりに対して父親が、じゃあ家で食えばいいじゃねえかよとちょっと大きな声で物申して、それで店に行く道は絶たれたようだった。こちらとしては一応労働は一時からの予定なので――いつ来てもらってもいいとは言われていたものの――まだまだ時間があったし、店の蕎麦というものもたまには食ってみたかったのだが、まあ良い。母親が先ほど買ったパンをいくらか分けてもらって、教室で食うことにした。それでスーパー着。父親は車に残り、こちらと母親で買い物に行く。籠を乗せたカートを押しながら店内を回った。特段に印象深いことはないと言うか、細かく詳しく書くのが面倒臭いし、スーパーのなかでの動きなど覚えていないので、店内を回ったとだけ言っておいて、色々籠に詰め込んでいっぱいにして会計。品物を袋に入れると、こちらが両手にそれぞれ袋を持って車に戻り、後部座席に荷物を積む。そうしてふたたび発車。母親からパンを分けてもらい、職場の近くで降ろしてもらうことに。
 そうして駅前に行き、ありがとうと言って降り、職場へ。入って室長に、お疲れ様です、早めに来ちゃいましたと言うと、助かる、との返答があった。奥のスペースでパン二つを食って、それから生徒たちの対応。今日は質問教室という形で生徒たちから自由にわからない箇所の質問を受け付けるという感じだったのだが、生徒たちがやっているのは大体数学で、そうするとこちらはあまり得意ではないので気が引ける。それに子供らは結構皆自力で進めており、あまりこちらの助けが必要な感じではなかった。(……)くんの相手などしているあいだに午前中の時間が終わり、後半はその兄、(……)のテスト直しに付き合った。付き合ったと言うか、本人はあまりやりたくないような感じだったので、こちらが導いて多少問題を解かせ、解説をしたということだが。それが終わっても三時くらいでまだ三〇分ほど余っていたので、ワークを使って英語の復習をした。書くのが面倒臭いからということで口頭での確認のみだったが、文法は概ね理解できていて、問題もわりあい解けていたのであとは実際に文を書ければ大丈夫だろう。後半の時間は生徒が非常に少なくて、三、四人しかいなかったのではないか。奥のスペースでテストを受けている高校生がほかにいたが。
 そうして三時半に至ったところで仕事は終わり、退勤した。駅へ。ホームに立つ。向かいの小学校の背後の山の緑が風にさわさわと揺らぐ。校庭の端に張られたネットも波立って、襞が生まれると光の当たり具合が変わってネットの緑色が際立つから、ネットの上を滑っていくうねりの動きが、揺らぐオーロラのように見える。ちょっと適当に描写し過ぎだろうか? 今日は何となく面倒臭くてちゃんと書く気になれないので、文章が相当に弛んでいる。まあいつもそうなのだけれど。奥多摩行きが来ると乗って、手帳を見ながら最寄り駅まで乗って降り、駅舎を抜けて横断歩道を渡ると自販機に寄ってコーラを一本買った。そうして林のなかの道に入って下りていき帰宅。
 母親に挨拶し、ワイシャツを脱いで洗面所の籠に入れておく。コーラを買ってきたと言って取り出し、飲むかと訊くとちょっと飲もうかなと言うから置いて一旦下階へ。着替える。そうして上階へ。母親はこちらの分もコップに注いでくれていた。それを飲み干し、まだたくさん液体の残っているペットボトルを持って自室へ戻る。時刻は四時頃。インターネット記事を読むことにした。BGMはRadiohead『Amnesiac』、その後『The King Of Limbs』。一田和樹「フェイクニュースネット世論操作はいかに社会を悪化させるか。中南米の選挙に関する報告書の恐ろしさ」(https://hbol.jp/189642)、梶井彩子「香港デモに心穏やかではいられない日本の(右と左の)私たちへ」(https://note.mu/ayako_kajii/n/na972e791e9cb)、「(社説)香港のデモ 自由の民意を尊重せよ」(https://www.asahi.com/articles/DA3S14052122.html)、「香港政府「逃亡犯条例」改正を先送りか 市民の反発強く」(https://www.asahi.com/articles/ASM6H3C91M6HUHBI00Q.html)、「次々取り壊されるモスク、新疆で進むイスラム教の「中国化」」(https://www.afpbb.com/articles/-/3229289)を一気に読んだ。それで五時半。その後一旦上階に行ったが、今日は働いてきたので夕食の支度はしないと怠惰に宣言して戻り、隣室に入ってギターを弄った。すると六時半頃。自室に戻って日記を書きはじめて、ここまで書いて七時一二分。ちょっと適当に書きすぎではないか? しかしもう精度とかそういったものを求めるのは面倒臭いし、こんな日記に文章の精度も糞もない。ただ書いていればそれで良いわけだ。自然と細かくちゃんと書ける時にそうすれば良いのだ。腹が減った。
 食事へ。メニューは肉巻きや生サラダなど。何を食べたかなどいちいち細かく思い出して記録するのも面倒臭い! 肉巻きをおかずにして白米を食べた、もうそれで良い。テレビは『ダーウィンが来た!』。北海道は帯広のリスについて。父親がたびたびふんふん頷きながら感心して見ていた。食後、入浴。出てくると下階へ。八時半から渡辺守章『フーコーの声――思考の風景』の書抜きを始めた。BGMはRadiohead『In Rainbows』。始めたは良いのだが、打鍵を始めてすぐに、何故か柳沢慎吾のことを思い出し、彼の芸が見たくなってyoutubeにアクセスし、特有のハイテンションな芸の動画を視聴しているあいだに一時間くらい経ってしまったと思う。一〇時も近くなった頃合いに打鍵に戻って、合わせて二箇所を抜いて終了。次に、音楽はRadiohead『I Might Be Wrong: Live Recordings』に移行させつつ、Michael Stanislawski, Zionismのメモを読書ノートに取った。コンピューターを閉じてその上にノートを乗せ、左手に置いた書籍を参照しながら赤いボールペンで文言を写していく。それに一時間ほど使ったあと、ベッドに移って山尾悠子『飛ぶ孔雀』を読みはじめた。二時間弱、一時まで読んだのだが、最後の方では例によって目を瞑って意識を飛ばしていた時間があったような気がする。一時に至ったところで読書を切り上げて就床。


・作文
 8:39 - 9:05 = 26分
 9:19 - 9:34 = 15分
 18:35 - 19:13 = 38分
 計: 1時間19分

・読書
 16:07 - 17:25 = 1時間18分
 20:33 - 21:52 = (1時間引いて)19分
 21:56 - 22:51 = 55分
 23:08 - 25:00 = 1時間52分
 計: 4時間24分

・睡眠
 3:00 - 8:20 = 5時間20分

・音楽