2019/6/19, Wed.

 一羽の太った焦茶の鵞鳥がテーブルの端で横になり、もう一方の端には、パセリを茎ごとちらした皺紙[しぼがみ]の上に豚腿がどでんと置かれ、これは皮をむいてパンくずをふりかけ、脛には上手に仕上げた紙の襞飾りが巻きつけてあり、その脇には薬味の載った牛の腿肉がある。この張り合う両端の中間に、添え料理がずらり平行に整列していた。赤と黄色のゼリーの二つの小さな教会堂、真っ赤なジャムの掛ったブラマンジェの塊があふれんばかりの浅い盛皿、茎形の柄がついた大きな緑の葉形の盛皿もあって、これには紫色のレーズンと皮をむいたアーモンドがごっそり積まれ、それと対の盛皿にはスミルナ無花果のぎっしり詰った矩形、下ろしナツメッグをトッピングにしたカスタードの載る盛皿、金紙や銀紙にくるまれたチョコレートやキャンディが山盛りの小さな器、そして長いセロリの茎が何本か突っ立つガラス壺。テーブルの中央には、オレンジとアメリカリンゴのピラミッドを支えるフルーツスタンドの歩哨として、ずんぐりしたカットグラスの旧式のデカンターが二本立ち、一本にはポートワイン、もう一本には暗色のシェリー酒が入っている。蓋を閉じたスクエアピアノの上には、特大の黄色の盛皿にプディングが一個待機していて、その背後にはスタウトとエールと炭酸水の瓶の三分隊がそれぞれの軍服の色に従って整列し、最初の二列は黒で、焦茶と赤の名札を付け、三列目の最小分隊は白で、緑の飾り帯が横に走る。
 (ジェイムズ・ジョイス/柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』新潮文庫、二〇〇九年、331~332; 「死せるものたち」)

     *

――したがって、わたくしは過去の思いに滞[なず]むことはしません。辛気くさい説教が今夜のこの場へ割り込むことのないようにいたします。(……)
 (344; 「死せるものたち」)


 一一時一〇分に起床した。上階に行くと、書き置きによれば母親は図書館に行ったらしくて不在である。おにぎりとサラダがあると書かれてあった。冷蔵庫を覗いてその二品を取り出し、おにぎりは電子レンジに突っ込んで、温めているあいだに洗面所に入って顔を洗うとともに髪を梳かした。そうして卓に就いて食事、サラダには玉ねぎの混ざった和風ドレッシングを掛けて、ハムで野菜を巻いて食べ、完食すると抗鬱剤を服用し、それから食器をさっと洗った。そうして浴室に行って風呂を洗い、出てくるとさっさと下階に下りて、自室に入るとコンピューターを起動させた。パスポートの引換書の説明を読みながら――交付予定日は六月一八日以降となっているので、もう取りに行ける――起動を待ち、準備が整うとブラウザをひらき、TwitterでMさんに返信を送っておき、それからEvernoteをひらいて前日の記事を記録を付けた。この日の記事も作成すると、正午直前から日記を書き出し、『Chris Dave And The Drumhedz』、そのあとにはRadiohead『Kid A』を共連れにして打鍵を進めて、ここまで記すと一時間ほどが経過している。
 前日の記事をブログに投稿した。生徒の名前を検閲し、Amazon Affiliateのリンクを仕込んで投稿したあと、Twitterにも通知を流してフォロワーたちに新記事の発表を知らせておき、それからnoteの方にもコピー&ペーストで本文を写し、記事を投稿した。そうして一時過ぎからベッドに移り、薄布団を身体に被せ、クッションに凭れて脚を前方に伸ばしながら書見に入った。まず東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』を最後まで読み終えたあと、現代詩文庫の『石原吉郎詩集』を続けて読みはじめたが、途中で幾度か目を瞑ってうとうととする時間が差し挟まった。詩というものの読み方はいまいちよくわからない――と言うか、このフレーズが良いな、というだけの実に素人臭い読み方しか出来ない自分の能力に落胆するといったところである。もっとそこで表現されていることであったり、表現の仕方であったりに着目して、創造的な解釈を孕んだ感想なり批評文なりを書いてみたいという願望はあるのだが、如何せん詩句に触れても自分の内からそのような種類の言葉が湧き上がって来ないのだ。自分は実作を志していた時期もあったのだが、今はそれよりも批評的な感想文のようなものを書きたいという気持ちの方が強くあるようで――と言うか、実作――と言って主に想定されているのは小説作品のことなのだが――は自分には出来ないだろうから、その代わりにそうした感想文の一つでも書きたいということなのだが――何か作品を媒介として、より豊かな言葉を自分の内から汲み出し、それを日記のなかに取り込んでいきたいという欲求があるのだが、如何せん能力の方がついていかない現状である。そういうわけで、素人臭いことではあるが、一応ここが良いなと思った箇所を手帳にメモするだけはメモしながら読み進め、三時直前になって書見に切りを付けた。
 そうして三時一一分から、FISHMANS『Oh! Mountain』を流してMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionの書抜きを始めたのだったが、打鍵を始めてまもなく、流れる音楽が変調を来した。スピーカーから出る音空間がザー……という砂嵐のようなノイズに満たされ、音楽はスロー・モーションのように遅滞し、音楽の体を成さなくなってしまったのだ。最初は、どうやらアンプからコンピューターに繋がっているケーブルが、もうだいぶ老朽化していたものだからお釈迦になったのだろう、買い換えなくてはいけない時がついに来てしまったかと思い、代わりにヘッドフォンで音楽を聞こうと思ったのだが、ケーブルの代わりにコンピューターのジャックにヘッドフォンを繋いでも、ノイズが解消されていない。それで、これはケーブルの問題ではなくてコンピューター本体の方の問題らしいぞと判断された。原因はまったく不明だったが、こういう時はひとまず再起動してみるものだろうということで、ひらいていたブラウザやEvernoteをすべて閉じ、再起動を施すと、ノイズは解消されたので安心した。起動してからWinamp――未だにこんなプレイヤーを使っている人間ももう少ないのではないだろうか!――を立ち上げてFISHMANS『Oh! Mountain』を冒頭からふたたび流すと、問題なく再生することが出来た。良かった良かったと安堵して音楽の流れるなか、キーボードを打って英文を写していき――やはり日本語の文よりも写すのに骨が折れる気がする――四時が近くなった頃合いで区切りとして、それからMさんのブログを読んだ。二記事で一六分、それで四時を越えたので、出勤前にエネルギーを補給するために上階に行った。階段を上がると、脚が鈍っている感じがしたので屈伸を繰り返し、さらに左右に大きく開脚して股関節の筋も和らげた。そうしてから冷蔵庫を覗くと、コンビニかスーパーのおにぎりにメロンパンが半分あったので、感謝してそれらを頂くことにして、ゆで卵とともに取り出して卓に就いた。新聞を瞥見しながらものを食い、食べ終えるとゴミを始末しておき、それからアイロン掛けをすることにした。アイロンのスイッチを入れ、器具が温まるあいだは台所でバナナを食いながら待ち、準備が整うと昨日こちらが着たワイシャツの上にアイロンを当てたのだが、生地がアイロンの熱面にくっつく感触があり、持ち上げると、べりっ、という感じでワイシャツの生地が剝がれ、布の真ん中に穴が開いたので、思わず「ええ!」と口にしてしまい、そんなことってあるのかと驚いた。ノー・アイロン・タイプのものだけれど実際のところ少々皺が寄っていたからやはりアイロン掛けをするようだと思ったのだったが、当て布を挟まなければいけなかったのだろうか? まだ買ったばかりだというのに、非常に勿体ないことをしてしまったものである。しかしもう時は遅し、仕方がないので駄目になったワイシャツはソファの上に放っておき、続いてハンカチにアイロンを掛けていると、インターフォンが鳴った。出ると、Nだと言う。少々お待ち下さいと受け、先日玉ねぎをあげたからその礼を持ってきたのだろうと思いながら玄関に行き、扉をひらくとおばさんの小さな姿があって、こちらを見上げて随分大きいねえと言ってみせた。茶菓子の類だと言って袋を差し出してきたので、礼を言って受け取り、その後も何やら喋りかけてくるのに何度も礼を繰り返したあと扉を閉め、居間に戻ってテーブルの上に品を置いておいた。そうしてアイロン掛けに戻り、母親のエプロンの皺を取って仕事は完了、下階に戻るとFISHMANS『Oh! Mountain』の続き――"頼りない天使"からだった――を流して、仕事着姿に着替えた。薄青いワイシャツに紺色のスラックスで、ネクタイはつけず、シャツの第一ボタンは外して首もとを少々緩くしている。それから歯を磨き――磨いているあいだは積んである本のなかから落合東朗[はるろう]『石原吉郎のシベリア』を取り出して、なかを少々覗いていた――口を濯いでくると日記を書きはじめた。時刻は四時半過ぎだった。『Chris Dave And The Drumhedz』をふたたび流しながら、そこから三〇分弱で現在時に追いつかせることが出来た。
 コンピューターをスリープさせ、財布と携帯の入ったクラッチバッグを持って上階に行った。Nさんが礼品を持ってきたことを母親に知らせる書き置きを書いておかなければならなかったが、メモ用紙を取ってきたりするのが面倒だったので、メールで知らせておけば良いだろうというわけで、携帯を持って便所に入った。便器の上に腰掛け、糞をひり出しながら携帯をかちかち操作して母親にメールを送っておいた。便所の床には小さな黒い虫が這っていた。ゴキブリではないと思うが、何の虫なのかはわからなかった。消臭剤を吹きかけたり、足で蹴って扉の方に飛ばしたりしていたが、そうしても虫は力尽きず旺盛に這って、じきにどこか見えないところに行ってしまった。
 便所を出ると出発である。玄関を抜け、ポストから郵便物を取って玄関内に戻り、台の上に置いておくともう一度扉を抜けて鍵を掛けた。そうして道を歩き出し、坂道に入りながら、道の先の宅で今日も火を燃やしているのではないかとちょっと思ったのだったが、さすがに二日連続で燃やしてはいなかった。その宅の前に差し掛かる頃、薄陽が道脇の草々に掛かってその色をちょっと明るませ、左方の宅内からは午後五時のニュースだろうか、テレビの音声が飛び出していた。
 風の乏しい道行きだった。街道を歩いているあいだも、額に掛かった前髪を乱されるほどの風に出会うことはなかった。車道の上には燕が飛び交い、電線の上に並んで止まっている姿が見られた。老人ホームの窓は、今日は半分カーテンがひらいており、車椅子に乗りながらテーブルに就いている老婆が見えた。紫陽花の咲いているそのホームの前を通り過ぎて裏通りに入っていき、進んでいると、表通りから入ってきた高校生らと合流した。背後を振り向いて見なかったが、男子高校生が携帯か何かで音楽を流していて、ジャパニーズ・ヒップホップの音声が裏道を大きく満たしていた。それほど悪くない類の音楽であるように思われた。男子高校生らは自転車に乗った三、四人と徒歩の一人に分かれていて、自転車の一団がこちらを追い抜かして行ったあと、音楽を流していた最後の徒歩の一人がそれはずりいぞ、とか何とか言いながら走って彼らを追いかけて行った。それを見て女子高生二人連れが何とか漏らしている。
 白猫の姿は今日は見られなかった。歩を緩めながらきょろきょろとあたりを見回してみたが、いつもの家の敷地にも、その向かいの宅の敷地にも姿はなかった。青梅坂手前の宅では、父と子がキャッチボールをしており、通りすがった老人が父親の方に何とか話しかけていた。それからしばらく進んで、駅前に出て、植え込みの、青々と実に鮮やかに膨らんだ紫陽花を目にしながら職場に向かった。
 この日は二時限。一時限目は(……)(高二・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)さん(中三・英語)。(……)は以前勤めていた時分からいる生徒で、再会してから当たるのは初めてだった。一時限目の授業の質は全体的にまずまずといったところか。それぞれノートもわりと書かせることが出来たが、何度も言うけれど三人相手だとやはり結構忙しくて、(……)のノートを撮影するのは授業時間が終わってチャイムが鳴ったあとだった。まあ多少過ぎてしまっても別に良いのだけれど、終わりに入っていくタイミングを掴むのが難しい。授業終わりの時間というのは結構ばたばたして意外と余裕がないので、一五分から二〇分前くらいに終了に向かっていくのが良いだろうとわかってはいるのだが、なかなかうまい具合に切りが良くならなかったりする。(……)くんは初めて当たる生徒で、そもそも最近入ったばかりの生徒であり、今日が英語は初回だった。実に大人しそうな子だが、出来はそこそこ良いのではないか。ノートも書いてくれた。(……)さんは二回目。レッスン三の長文単元を扱うか、それともレッスン四の文法を先に確認するかと訊いて後者に決まり、call ABやmake ABの形を確認した。
 二時限目は二人が相手、(……)くん(中三・社会)と(……)(高三・英語)である。(……)くんは初顔合わせ。社会は歴史を扱って、第一次世界大戦のあたりから。どういう性格や性質の生徒なのか、まだいまいち掴めない。ノートは結構書いてくれ、覚えもそんなに悪いわけではないとは思う。(……)はやはり以前勤めていた時分も担当していた生徒である。久しぶりに当たった。今日扱ったのは分詞。問題を解くあいだに結構就いて、解説をしながら解かせることが出来た。今日の二時限目の授業はかなり充実していたのではないか。前々から何度も言っていることだが、こちらの感覚としては三対一はやや忙しさが勝って満足な指導がしきれず、二対一がバランスとして一番丁度良いように思われる。マンツーマンではさすがに暇な時間が生まれるだろう。自らどんどん進めてノートにも知識を率先的に記入してくれる生徒が相手だったら三対一でも丁度良いのかもしれないが、現実はそういう生徒は少数派である。
 退勤。電車まで時間があったのでコンビニに寄ることにした。入店するとオレンジ色の籠を持って、ポテトチップスを二種類手もとに取り、それから炭酸飲料を求めて壁際の区画に寄った。ジンジャーエールが欲しかったのだが、見当たらなかった。それで何にしようかと迷っていると男性が一人やって来たので、身を引いて先に選び取るよう促した。彼はカルピスソーダを取って行ったので、それではこちらもそれにするかというわけで一本取り、それから、たまには両親に甘味でも買っていってやるかというわけで三〇〇円もする「イタリア栗の焼き栗モンブラン」を人数分、つまり三つ、籠に入れて会計をした。一二四五円。大きなビニール袋を持って退店し、駅に入ってホームに上がると奥多摩行きの最後尾に乗って席に就いた。手帳を忘れてきたので知識を確認することは出来ない。何をするでもなく目を閉じてじっと佇みながら発車を待ち、最寄り駅に着くと立ち上がって降車した。今日は月は見えない曇り空の夜だった。駅舎を抜けて坂道に入ると、紫がかったピンク色の紫陽花が暗がりでも色を放っていた。
 帰宅してモンブランを買ってきたと言って冷蔵庫に品物を入れる。そうして下階に下り、服を着替えてから食事へ。メニューは棒々鶏めいた鶏肉に水菜のサラダ、鮭にワンタンスープなど。カルピスソーダを飲みながらものを食う。テレビは何という番組なのか、最初は中華街についてやっていたのだが、じきに中国や香港の歴史に話が及んで、天安門事件の映像が映し出された。あの例の、事件を象徴するもっとも有名な、戦車の前に立ちはだかる男の映像である。それを見たあと皿を洗って、風呂は母親が入っていたので一旦自室に下りた。何をしていたのか不明。下階に下りてきた父親に呼ばれて入浴に行き、出てくると自室に戻って、ゴミ箱を持ってふたたび上階に上がり、台所のゴミ箱に燃えるゴミを合流させておいた。そうして戻り、ポテトチップスを食いながら小鷹研理「からだの錯覚」(http://sozoplatform.org/body_illusion/)を読みはじめた。ジャガイモの揚げ物をばりばり食いながら読み進め、すべて食べてしまうとティッシュを取って手をよく拭き、「相対主義は信仰主義に転化する」という千葉雅也の言葉などを手帳にメモした。そうして零時半頃まで掛けてすべて読み終えた。以下引用。

もう一つ、関連するトピックを挙げましょう。これから話すのは、心理学の分野では「無意識的自己愛(Implicit Egotism)」と呼ばれる効果に関する話です。僕は「小鷹研理」という名前ですね。研究の研に理科の理で「研理」。で、今研究者をやっていると。32歳から名古屋市立大学で小鷹研理研究室を主宰している。大学受験も理系で、漠然と「研究者」という職業にポジティブなイメージを持っている。うちの親とか親戚とかにそういう専門的な職能を持っている人は見当たらないんだけど、気づいたら僕は研究者になっていた。それで、これも、名前に対する単純接触効果の顕れであると考えてみることもできるわけです。

この辺の話は、れっきとした心理学の研究の一部となっていて、実際に権威ある論文で報告された例として、DennisさんやDenaさんは法律家よりも歯医者(Dentist)に多く、LaurenさんやLawrenceさんは歯医者よりも法律家(Lawyer)に多くいる、、であるとか、モンタナ州スリー・フォークスという街には3月3日の人が多く引っ越してくる、、そんな統計結果が知られています[*35c]。この辺の話、すごく笑えるんですよね。僕たちは誰であれ、学校生活や社会生活の中で、嫌という程、自分のプロフィール欄に誕生日を書かせられるわけです。そうすると、3月3日が誕生日の人であれば、3という特定の数字に対する処理が、他の数字と比べて、何かしら特化している可能性がある。そうすると、他の数字よりも若干でも目に入りやすいことがあるかもしれない。あるいは、3という数字が入っているものに、妙な安心感が付帯してくることもあるかもしれません。そうすると、引越し先の候補が仮に複数あった時に、3という数字の入った街の名前になぜだかわからないけれどピンときてしまう、ということだってありえなくはないと思うんです(その人が、とりわけ自分の誕生日の数字に自覚的でなければなおさら)。結婚だとか職業選択、引っ越し先の選択だとか、人生の重要な局面で、自分の誕生日とか名前とか、そんな身も蓋もない文字列が影響を与えている。このバカバカしさが、僕にとってはたまらなく愛おしく感じられます。僕たちの人生は、自分では選択できない、偶発的に定められた特定の文字列の凹凸が刻まれた粘土の上からはじまっている。その粘土を基点として、個々の美意識のパースペクティブが形成される。だから、僕はときどき考えるんです。もしも、僕の誕生日(11/3)が一日だけ前後にずれていたら、奇数好きの僕の人生はどんな風になっていただろうかと。

同じ自分の身体から離れるでも、このような後ろめたさの付帯する幽体離脱的な投射と、単に透明になって空想上の位相で好き勝手にできてしまう(かのような)投射では、大きく事情が違うわけです。この違いを僕は強調したい。例えば、最初の方で例を挙げた近年のvirtual youtuberのトレンドなんかは、後者のタイプの投射が与える万能感と強く関係していると思います。最近であれば、チームラボがborderlessとかmasslessというようなテーマを掲げて、光を遮断した巨大な空間のなかで、プロジェクションマッピングを駆使して、重力や物理的制約から解放されるような、空想的な一大スペクタクルを体験させてくれるわけです。食わず嫌いの僕でも、お金を払って体験するだけの価値は十分にある、と感じる。それで、実際に体験を通して感じたことは、この種の体験が志向していることというのは、自分の身体に特異な凸凹を消去することにあると思うんです。自分がこの場所を空間的に占めているという感覚を麻痺させること、そうして自分を点のように透明化し身体の重みを消去すること、そのような純粋な視点的自己に対して、高速で飛翔するような、非日常的な体験を提供すること、そのような体験に主眼が置かれている。そのうえで、そのような一連の体験を終えて、真っ暗な会場から一転して太陽のガンガンに照りつける日常へと還ってくると、そこで何かが決定的にリセットされてしまうのを感じてしまう。つまり、会場の中での万能感を伴うような特別な体験は身体を見限ることによって成立していたわけです。しかし日常に戻ると、相変わらずこの重たい身体が(生きている限り)のさばっている。そうすると、その展示空間で体験したものって、そう簡単に日常に持ち帰れなくなってしまう。「身体なき投射」にはそのような閉鎖性があるように思うんです。

僕たちの中には、鳥のように、自らの身体をもっと自在に動かしたいというような根源的な欲動があるわけです。ただ、それを達成しようとする時に、自分の身体を完全に忘却するようなかたちでインタラクション空間を構築してしまうと、そこで得られる体験の新しさは、その体験の中で閉じてしまって、現実の「新しい自分」へと結実しないのではないかと思うんです。一方で、幽体離脱的な体験というのは、一見自由なかたちで浮遊してるようにみえて、自分の身体から発せられる「後ろめたさ」の引力をなんとなしに感じている。そのような緊張状態にあって、寝転がっている自分と対面的に遭遇する時、それは、まさに「他人としての自分」と出会い直すことになる。そのようなショック療法的なプロセスを介して、はじめて「現にある自分」は解体の兆候を示し、「新しい自分」へと変性していく道が開かれる。繰り返しになりますが、幽体離脱という投射の特異性は、単に自分の身体を透明化して好き勝手に飛翔するということではなくて、分離した視点的自己と身体的自己との二重性の緊張関係を維持したまま、再度、残された身体と出会い直すということにある。もともとくっついていたものを、それぞれの固有性が損なわれないように切り離し、再度縫合する。この種の構造は、現実を変容しうる可能性を持った創造の営為一般に見出されるものなのかもしれません。

 その後、一時過ぎから読書を始め、『石原吉郎詩集』を読んで二時間。「髭」、「寂しさ」、「うずくまる」、「銃」、「火」、「驢馬」、「姿勢」などのテーマが結構良く出てくるようだ。余裕があったらこのあたりのテーマ系が記された箇所をまた集めてみるのも良いかもしれない。三時一五分を迎えて就寝。


・作文
 11:54 - 12:47 = 53分
 16:36 - 17:03 = 27分
 計: 1時間20分

・読書
 13:06 - 14:54 = 1時間48分
 15:11 - 15:49 = 38分
 15:53 - 16:09 = 16分
 22:53 - 24:28 = 1時間35分
 25:07 - 27:15 = 2時間8分
 計: 6時間25分

・睡眠
 3:10 - 11:10 = 8時間

・音楽