2019/6/22, Sat.

 小林 ここに中島さんとわたしに共通する、そして他の人たちと少し違うところがあると思うのですが、それは、われわれは空海密教の思想家として見るよりは、「声」と「文字」と、そして「実相」という、この3つの根本的問題に手をつけてしまった人、そしてそこから出発して、文字を導入した人だと捉えているわけですよね。
 そうすると、日本の神秘主義とはなにかという問題にかかわってくるんですが、すごく簡単に言ったとき、インティマシーというのは声の次元なんですね。ところが、インテグリティーは文字なんです。文字はインティマシーの次元を全部落として、時間と空間を超えて広まっていくわけですよ。
 「声」のインティマシーと「文字」のインテグリティー、相反するこの2つをどう関係づけるかというときに、「実相」をもってきた。この空海という人の言語感覚のシャープさというか、シャープさというのじゃ追いつかない、まさに日本語はそこから生まれてくるわけですから。
 もちろん歴史的には空海その人が日本の仮名文字を全部発明したわけではないのでしょうが、まるで空海がほとんど日本語の文字をつくったようにすら思えてくるんですよね。空海が中国の漢字の体系から、「いろはにほへと」をつくり出し、平仮名をつくり出し、声に当てはめるという恐ろしい仕組みをつくり上げたというようにね。
 それ以降、極端なことを言うと、われわれのいままでの日本文化は、すべてが空海のつくり上げたこの「声字実相」というアプリケーションの上に乗っかっている。この上に日本の心は全部乗っかった。それほど大きな革命を、空海という人はしたように思いますよね。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、13~14)


 一二時半まで糞のような寝坊。紛うことなき堕落である。上階に行き、トマトソースのドリアめいたものと煮込みうどんとで食事。テレビは『メレンゲの気持ち』。細かいことは省略。どうでも良い。ものを食べ終えると抗鬱剤を服用し、母親の分もまとめて食器を洗って風呂場に行った。浴槽のなかを覗くと残り湯がかなりたくさんあったので、今日は風呂を洗わないことにした。そうして下階に戻ってくるとコンピューターを起動させ、前日の記録を付けてこの日の記事を作成。Jose James『Love In A Time Of Madness』を流しだして日記に取り掛かる。前日の記事を仕上げるとBGMをFISHMANS『Oh! Mountain』に繋げてこの日の記事もここまで書いて、二時半前。朝何時だろうか、あれは九時頃だったのだろうか、それとももっと早朝だったのか、目覚めた時に、窓の外に突然、一夜にして滝が作り出されたかのような激しい雨が降っていたのを覚えている。その後も断続的に降り続いていたが、今現在は止んだようだ。
 前日の記事をブログに投稿する。音楽を歌いながら、Amazonへのリンクを一つずつ、地道に仕込んでいく。名前の検閲も終えて投稿すると、Twitterの方に通知を流し、そのあとnoteにも簡易版の記事を発表した。そうして二時四四分に至るとコンピューターを閉じてその上に手帳を乗せ、FISHMANSの音楽の流れるなか、『石原吉郎詩集』から手帳にメモを取った。例の、深い孤独の認識のみが深い連帯をもたらすという人間認識の箇所などである。そのほか、これは石原が「肉親にあてた手紙」のなかで通信の送り先の「肉親」に対して求めている姿勢――石原吉郎的な語彙ではないだろうか――なのだが、「理解できるものは理解し、理解の困難なものはそのままのかたちにしておくこと。自分の理解の領域にないものを、ただちに許すべからざる異質なものとして拒むという態度をとらないこと」についても手帳に記録し、ついでに、こうした時勢にあってこのような姿勢こそが何よりも貴重なものだろう、ここから寛容や他者理解や連帯というものは始まるのではないかというわけで、Twitterの方にも呟いておいた。
 それからベッドに移り、薄い布団を身体に掛けつつ、『石原吉郎詩集』の続きを読み進めた。笹原常与と清水昶の作品論及び詩人論だが、読んでいてどちらの論も言明の根拠が不明瞭なところが時折りあると言うか、どうしてそうなるのかがわからないような部分が散見されて、詩の批評というものはそういうものなのかもしれないが――そしてそのあたりが蓮實重彦が詩に抱いている「妙な敵意」の出所の一つではないかという気もするのだが――明らかにテクストそのものから論理的には導き出せないと思われる言があるようで、こちらとしては、やはりテクストとしての言葉を尊重しながらも筆者自身の覚えた主観的な感慨も蔑ろにせず、両者を高度に巧みに統合するような、そうした論というものを読んでみたいところである。小説に関しては徹底してテクストに就くという態度の論者はわりあいに存在するはずだし、むしろそこからどのような方向に展開するにせよ、まずもって優れた論者の基礎的な、最低限の資質としてテクストを最大限に尊重するという姿勢は必要ではないかと思うのだが、詩を論ずるに当たってそのような構えを忠実に守った論者というのはどのくらいいるのだろうか? 
 『石原吉郎詩集』を読み終えたあとは、東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』を新しく読みはじめた。確かベッドから一旦立ち上がって、棚の上の積み本の一番上に置かれていたこの新たな本を手に取ったその時に、ついでにコンピューターにも近づいてRadiohead『Kid A』を流しはじめたのだったと思う。そうしてそのまま五時一七分まで書見を続けた。その時刻になると母親が上階で活動しはじめて、台所で水が流れるらしき音も聞こえてきたので、こちらも食事の支度をしようということで本を置き、手帳に読書時間をメモして、部屋を抜けると階段を上がった。居間に出ると屈伸を何度も繰り返して脚をほぐし、さらに左右に開脚して股関節もほぐすと、台所に入って流水で手を洗った。焜炉には水を張ったフライパンが掛けられ、小松菜が洗い桶のなかで水に浸っていた。母親はその小松菜を取り上げ、水気を絞ってシンクの上に置くと、笊を取って玄関の戸棚から米を入れてきて、素手を用いるのではなく泡立て器を使って洗い桶のなかで洗いはじめた。その横でこちらは小松菜を茹で、米を磨ぎ終えたあとの洗い桶に茹でこぼして、その後ピーマンを切り分けた。次に電子レンジで解凍されたメカジキ三切れをそれそれ三つずつに切断し、そのあいだに母親がフライパンにチューブのニンニクと下ろした生姜を落としていたので、その上からオリーブオイルを垂らして熱し、魚を敷いた。蓋をしてしばらく熱し、箸で魚の身を裏返してみると焦げ色が少々ついていたので、ピーマンを投入するとともにすべて裏返して、それからまたしばらく蓋をして熱した。じきに母親が蓋を開け、ニンニク醤油と砂糖を加えていた。その後、手分けしてサラダを拵え――こちらは器具を使って胡瓜や玉ねぎをスライスした――最後に小松菜を切り分けておいて食事の支度は終了である。母親が父親に頼まれてクリーニング屋に行くという話だったので、それならばこちらも図書館に行きたいのだと言った。それで出かけることになり、こちらは下階に戻ると、cero "Yellow Magus (Obscure)"を流したなかで服を着替えた。灰水色のイージー・スリム・パンツを久しぶりに履き、上は適当なシャツがなかったので、肌着の上からグレン・チェックのブルゾンを羽織ったのだが、荷物を持って上階に上がると母親にそれは変だと言われた。シャツを着ていけば良いじゃないと言って彼女は元祖父母の部屋から、メルカリに出品しているものの売れないでいる紺色のシャツを取ってきたので、ブルゾンを脱いで大人しくそれを身に着けた。それからこちらは階段を下り、洗面所の鏡の前で手帳を片手に持って眺めながら歯を磨いた。口を濯いでから上がっていくと、母親はメモ用紙に何やらメッセージを書いていた。K.Hさんという友人が先ほどやって来て、この人の姪の旦那か何かが青梅市議会の議員を務めているのだが、選挙の時には有難うございましたと礼品としてクッキーを置いていったと言う。その返礼として我が家で作られた玉ねぎを持っていくことにしたのだが、不在だった時のためにメッセージを記していたのだった。こちらは南の窓際に寄って――網戸の上に大きめの、しかし体躯は透き通るように細い蜘蛛が一匹乗っていた――外の様子を時折り見やりながら、引き続き手帳を読んだ。そのうちに母親が玄関を出たので、もう行くのかと思ってこちらも玄関の方に行くと郵便物を取っただけでまだだと言う。それでこちらはそのまま玄関の椅子に座って手帳を読みながら母親の準備が整うのを待ち、行こうと言って彼女がクリーニング屋に持っていく衣服の入った包みを持ってやって来ると立ち上がって扉を開けた。雨は降り続いていたが、さほどでもないから傘は良いということで二人合意した。そうして階段を下り、家の前に出て、車の後部座席にクリーニングに持っていく袋を入れ、こちらは母親が乗って発進するまでのあいだ雨に打たれながら道の端で立ち尽くした。乗るとシートベルトをつけ、持ってきたFISHMANS『ORANGE』のディスクをシステムに挿入した。
 そうして出発である。まず西へ向かい、坂を上ってKさんの宅の前に路上駐車した。母親が品物を渡しているあいだ、こちらは掛かっていた"気分"を歌いながら待ち、戻ってくるとさらに西へ向かって表に出て、ガソリンスタンドに入った。スタンドに停まっているあいだはエンジンも停められたので、音楽は流れず、こちらはスタッフが窓を拭いてくれるそのなかでまた手帳を出してちょっと眺めていた。ガソリンを三〇〇〇円分――そう言えばここで、細かい金がないから貸しておいてくれと言われて母親に三〇〇〇円を渡したのだった――補給するとふたたび道に出て、東に方向を変えて進んだ。向かう先は千ヶ瀬のクリーニング屋である。市街を抜けていくあいだ、母親はメルカリでまた何かものを買ったとか話していたが、こちらはそれを聞き流しながら、"忘れちゃうひととき"などを歌っていた。そうして町の南側、下の通りに下りてしばらく進むと、クリーニング屋の裏の道に入って草の茂った家――ここは住んでいた老夫婦が死んでしまい、空き家になっていると言う――の前の駐車場に停まって、母親は店に行った。そのあいだこちらは例によって手帳を眺め、英単語の確認をしたり、Michael Stanislawski, Zionismから引いた情報などを何度も繰り返し読んだりしていた。しばらくして母親が帰ってくるとふたたび出発、今度は図書館に向かった。クリーニング屋の店員――母親より干支一回り年上で同じ亥年だと言うから七二歳らしい――に、今日はお出かけ、と訊かれたと母親は言う。小綺麗にしていたからだろうと言うのだが、それに対して、息子が今図書館に行きたいって言うから送っていくんですよ、と答えたらしい。そんな話を聞きながら車に揺られ、河辺駅前、西友の正面の路上に駐車するとこちらは降りて――足を踏み出したところがちょうど水の溜まった箇所で、靴が少々濡れたが、染みるほどではなかった――雨のまだ少々降っているなか、早歩きで図書館に向かった。階段を上って入館すると、かつかつとCDの新着棚に寄った。目当てはBob DylanとThe Bandが演じたライブの音源だったが、それが見つからない代わりにSuchmosの『THE ASHTRAY』があったので、これは借りようと決定した。そのほか、ジャズでは桑原あいプロジェクトなどもあったが、ジャズ枠からはOmer Avital『Qantar』を借りることにして、最後の一枚は、ものんくる『RELOADING CITY』が見られたのでそれに決めた。ものんくるはまだ聞いたことがないが、ボーカルの吉田沙良のパフォーマンスは、昨年の一二月初頭、Kさんに誘われて行った飯田橋のライブハウスで耳にしている。
 CD三枚を貸出機で貸出手続きしてから、上階に上がった。中島隆博・石井剛編著『ことばを紡ぐための哲学 東大駒場現代思想講義』という著作が目当てとしてあったのだが、新しく入ったばかりのものだから多分新着図書の棚にあるだろうと思って近寄ってみれば、果たして哲学の欄に並んでいたので手に取った。それから社会学の区画に寄り、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』も手もとに保持した。これは既に先日読んでいるものだが、もう一度借りるのはAくんらとの読書会で紹介するためである。目当ての本はもう一つあって、細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』というのがそれだった。今度の読書会では『ディキンソン詩集』と『石原吉郎詩集』を読むことになっていて、課題書の一方である後者は先ほど読み終えたわけだが、さらに石原の研究書であるこの本も会合の日までに読んで理解を深めておきたいところなのだ。そういうわけで三冊を手に持って貸出機に寄り、ふたたび手続きを済ませると階段を下ってさっさと退館した。帰りは高架歩廊に出て、そこから車が停まっているのとは向かいの通り、コンビニの前に下りた。雨はほとんど止んでいた。歩いていき、車の来ない隙をついて通りを渡って母親の運転席に乗った軽自動車に寄って歩道から助手席に乗車した。
 そうして帰路へ就いた。「かつや」の割引券があるから寄ってカツでも買っていくかという話が持ち上がったのだが、裏道から表に出た場所が既に「かつや」を通り過ぎた位置だったのでお流れとなった。西分の踏切りまで来て停まっている最中、母親が流れているFISHMANSを聞いて、これ、適当に歌っているよね、一生懸命歌っていないよね、などと口にしたのでこちらは笑い、そういうスタイルなんだと受けた。街道の左右には点々と、街灯の丸く白い光が等間隔で灯って宙に浮かび、濡れて薄暗い空気のなかで際立ちはじめながら先まで続いていた。青梅駅を過ぎたあたりで母親は、寂れた通りを目にして、この青梅の町もあと一〇年経ったらどうなっちゃうんだろうねえ、などと呟いていた。こちらは何とも返答せず、音楽に合わせて身体でリズムを刻んでいた。
 家に着くとこちらが先に降り、階段を上って玄関の鍵を開けて、居間に入ると明かりを点けておき、そうして階段を下りた。自室に入ると服を脱ぎ、肌着にハーフ・パンツの気楽な姿に替わって、ベッドに乗り、脚を伸ばして本を読みはじめた。本は東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』、BGMとして流したのはCharles Lloyd『Rabo de Nube』である。「言語の語り方」についての座談会を四〇分ほど読み進めて八時に至ったところで食事を取りに上階に行った。階段を上がって行くと、母親がお先にねと声を掛けてくるので、はい、と受け、台所に入ってうどんの入った鍋の火を点ける。一方でメカジキのソテーを皿に盛って電子レンジに入れ、温めているあいだによそった米やサラダなどを卓に運んだ。昼間の残りのうどんは母親がほんの少し取り、残りをこちらがすべて丼に注いでしまい、そうしてメカジキも持ってきて卓に就くと食事を始めた。新聞は読まず、テレビも大して注視しないで、メカジキを千切っては米とともに口内に入れて咀嚼した。食事を終えると、先日Nさんが持ってきたバウムクーヘンが半分だけ残っていると言うのでそれを頂き、皿を洗ったあとに風呂に行った。残り湯のたくさん余ったまま風呂を沸かしたので、湯の量が溢れんばかりに多くなってしまったと聞いていた。蓋をひらいてみると実際、ほとんど浴槽の上端に掛かるまで湯が溜まっている状態であって、当然そのなかに入ると湯がざあざあと一挙に零れて流れ出して行った。FISHMANS "MELODY"を口笛で吹いたりしながら浸かって出てくると、長くなってきた髪を櫛付きのドライヤーで乾かして、下着一枚の格好で洗面所から外に出た。母親は生ゴミをバケツに詰めて封じているところだった。お先に、という意味で、はい、とその背に掛けておき、自室に帰ると、ふたたびベッドに乗って読書を始めた。九時半過ぎまで掛けて「言語の語り方」の座談会を最後まで読むと、立ち上がり、コンピューターに寄って、借りてきたCDをインポートしはじめた。一方で日記も書き出し、最初のうちは『Chris Dave And The Drumhedz』をスピーカーから流しだしていたのだが、それが終わるとCharles Lloyd『Rabo de Nube』をふたたび流し、ヘッドフォンで聞きながら打鍵を進めた。わりと腰を据えた感じでしっかりと書けたような気がする。そうして一時間強があっという間に過ぎ、現在は一一時も四分の一越えて、日付替わりも近くなっている。
 それから、音楽を聞きながらMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionの書抜きを行った。三〇分ほどを目安にしていたが、書抜き箇所の調整の関係で四〇分になってしまった。そうして日付も替わると、さらにインターネットを一時間ほど閲覧して午前一時を迎え、それからコンピューターをシャットダウンし、ベッドに移ってふたたび読書を始めた。ひらいた窓から入りこんでくる涼しい夜気のなかで、薄い布団を身体に掛け、枕とクッションに背を凭せ掛けていた。東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』の、「言語の語り方」の座談会は既に読み終わっていた。「より深い思考へ」と題されて設けられた補論――「おわりに」の中島隆博の言葉では、「パレルゴン(作品の傍にあるもの)」として名指されている――を読み進め、その途中で眠気が満ちてきて瞼もいつの間にか閉じていたようだったので、三時前に書見を切り上げて就寝した。眠りに苦慮することはなかった。


・作文
 13:38 - 14:27 = 49分
 21:52 - 23:16 = 1時間24分
 計: 2時間13分

・読書
 14:44 - 14:57 = 13分
 15:03 - 17:17 = 2時間14分
 19:18 - 20:01 = 43分
 20:54 - 21:35 = 41分
 23:19 - 23:58 = 39分
 25:12 - 26:48 = 1時間36分
 計: 6時間6分

・睡眠
 3:00 - 12:30 = 9時間30分

・音楽