2019/6/24, Mon.

 中島 いまおっしゃったように、インティマシーの原型は母子密着の状態だろうと、わたしも思います。ところが、カスリスさんに言わせると、インティマシーの定義は、「親友に自分の内奥のものを伝えることなんだ」と言うわけです。
 小林 すばらしい!
 中島 これはおそらく、母子密着のインティマシーが、ある種変容し、再定義されたインティマシーだと思うんですよね。
 小林 そのとおりだと思います。まさに、一度、インテグリティーを通過したあとのインティマシーですよね。そこでは、インティマシーは、与えられた親密性ではなくて、みずからの内奥を打ち明け、与えることによって、まったく他人である存在とのあいだに、友情というインティマシーの関係を構築するという方向に跳んだわけですね。これはすごい、と同時に、とても西欧的。だって、キリスト教的な西欧文化の中心軸のひとつが、みずからの罪という秘密の内奥を打ち明けるという告白の伝統だからですね。西欧の近代は、ジャン=ジャック・ルソーが典型的ですけど、まさにこの問題を近代の根底に据えたわけですね。
 中島 近代的な内面性ですよね。
 小林 いや、これはなかなか難しい問題です。というのは、告白は究極的には「神」というインテグリティーが必然的に絡んでくるからで、ここにこそ、インティマシーとインテグリティーとの関係づけのキリスト教的な「解」があったわけですから。このような告白の観念は日本にはないでしょう。日本人にとっては、告白は君に恋心を告白する、ですから。西欧的には、インテグラルな自分を相手に開示することがインティマシーなのだという方向に行くわけで、これをわかっていないと、ヨーロッパ人とは真の友情が成立しない。おつきあいできないというか、単なる「おつきあい」で終わるというか。打ち明けられないインティマシーを打ち明けることだけが、友情の定義なのに。極端なことを言うと、日本人がヨーロッパに行ったときに、そこを見られているということが、多くの日本人にはわからない。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、22~24)


 早い時間から覚めていたのだが、結局のところ一二時一五分まで身体を起こせず、怠惰に寝床に留まってしまった。廊下に出ると母親がトイレから出るところだったので挨拶し、階段を上ると台所に入り、用意されていた食事のなかから小さな鮭の切り身の乗った皿を電子レンジに突っ込んだ。そのほか煮られたジャガイモを取り分け、米を椀に盛り、大根の味噌汁を木の椀によそって卓に就いた。母親はまもなく「K」の仕事に出かけていったので、点いていたテレビを消し、新聞をめくっていくつかの記事を散漫に読みながら――米国が、五〇〇億ドルと書いてあっただろうか、パレスチナへの支援を打ち出す予定だと言うが、パレスチナ側は「我々を馬鹿にしている」と反発しているようで、一方的にエルサレムイスラエルの首都であると宣言しておきながら金は払ってやると言うのだからそれもそうだろう――ものを食べ、食器を洗うと風呂場に行った。尻を圧迫する便意を耐えながら浴槽を洗うと、急いで便所に行って腸を軽くし、出てくると洗面所に戻って櫛付きのドライヤーで髪を梳かした。そろそろ切りに行くべき頃合いなのだが、美容室に電話をするのが面倒臭くもあるし、金もなるべく使いたくはない。もう少しこのままで様子を見てみるつもりである。それから洗面所を出て下階の自室に戻ると、コンピューターを起動させ、Evernoteやブラウザを立ち上げて、Twitterを眺めたり、Amazon Affiliateの記録を眺めたり――急にクリック数が増えていて昨日一日で七〇回くらいクリックされていたが、注文に結びついてはいなかった――前日の記事の記録を付けたりしたあと、日記を書く前にいくらか本を読もうということで、細見和之『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』を持ってベッドに乗った。音楽は例によって、FISHMANS『Oh! Mountain』を流していた。そうしてちょっとひらいていた窓を閉め――雨は止んだようだが、晴れ間は見られず空は白い雲に閉ざされており、空気には水気の感触が残っていた――石原吉郎論を読みはじめ、音楽は途中でBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』に繋げた。そうして一時間四〇分ほど一気に書見に耽ったあと、三時直前になってようやく日記を記しはじめた。三〇分ほどで現在時刻に追いつかせることができ、現在は三時半ちょうどである。
 前日の記事をブログに投稿した。Amazonへのリンクを仕込むのは面倒臭いが、Bill Evans Trioの演奏に耳を向けて退屈を紛らわせながら一つ一つ、地道にテキストリンクを作成していった。そうしてTwitterにもブログ記事投稿の通知を流しておき、いつも次にnoteの方にも記事を公開するのだが、今しがたこの文章を書きながらそれを忘れていたことに気づいたので、今発表しておこうと思う。
 それから、Bill Evans Trioのアルバムが終わると、ものんくる『RELOADING CITY』を流しはじめ、久しぶりに「記憶」記事を読むことにした。以前は一項目につき二回か三回読んでいたのだが、今回は回数にこだわらず、五分か一〇分くらい同じ文章を繰り返し発声し続け、暗唱できるくらいにまで内容を読み込んでみることにした。それで最初の項目、フィリップ・ソレルス/齋藤豊訳『ステュディオ』から引いたヘルダーリンの手紙の文言は一〇分間読み続けた。その次のカフカの手紙から引いた「結局のところ、自分の小説よりもすばらしい、完全な絶望によりふさわしい死場所はありえないのです」という断言は短いので五分にしたが、それでも五分間のあいだひたすら唱え続け、このくらいの短いフレーズなので容易に暗唱できるようになった。そのほかにもカフカがフェリーツェ・バウアーに宛てた手紙のなかの言葉を二つ、五分間ずつ読み込み――「ぼくは文学的関心を持っているのではなく、文学から成り立っており、それ以外の何物でもなく、他のものではありえないのです」という宣言はTwitterの方に投稿しておいた――最後に岩田宏神田神保町」の冒頭の連を暗唱できるようになった。以下の詩句である。

 神保町の
 交差点の北五百メートル
 五十二段の階段を
 二十五才の失業者が
 思い出の重みにひかれて
 ゆるゆる降りて行く
 風はタバコの火の粉をとばし
 いちどきにオーバーの襟を焼く
 風や恋の思い出に目がくらみ
 手をひろげて失業者はつぶやく
 ここ 九段まで見えるこの石段で
 魔法を待ちわび 魔法はこわれた
 あのひとはこなごなにころげおち
 街いっぱいに散らばったかけらを調べに
 おれは降りて行く
 (『岩田宏詩集』思潮社(現代詩文庫3)、一九六八年、 22~23; 「神田神保町」)

 そうすると時刻は四時一七分、労働の前に食事を取ることにして、部屋を出て階段を上がった。台所の焜炉の上には大根の味噌汁の僅かに残った鍋を出したままだった。それを火に掛け、そのほか小さめの木綿豆腐を一つ、冷蔵庫から取り出し、ビニールを剝がして一旦左手のひらの上に乗せ、容器のなかの水を捨てるとその内に戻し、鰹節とポン酢を上から掛けた。加えてゆで卵があったので、豆腐・味噌汁・卵の三点を卓に運び、食事を始めた。特に新聞も読まず、テレビも点けず、散漫な思考を巡らせながらの黙々とした食事だった。食べ終えると食器を台所に運び、乾燥機のなかの皿たちを戸棚に仕舞っておいてから、使った食器を網状の布で擦り洗い、乾燥機のなかに置いた。それから冷凍庫からアイスを一つ取り出し、薄いビニール袋に包まれたそれを口で咥えたまま仏間に入り、靴下を履くと、居間の片隅に吊るされていたワイシャツを持って階段を下った。自室に入るとアイスをあっという間に平らげ、柔らかい素材の白ワイシャツを身につけ、黒いスラックスを履いた。そうして洗面所に行き、歯ブラシを取って歯を磨こうとしたのだが、鏡に映った自分の顔の、眉毛がちょっと伸びて太くなっているのが目についたので、歯ブラシは一旦置き、部屋から小さな鋏と櫛を持ってきて眉を切り、幾分細く整えた。それから歯磨き、音楽は相変わらずものんくる『RELOADING CITY』をリピートしているなか口内を掃除し、口を濯いでくると日記を書きはじめたのが四時四三分だった。そうしてここまで綴って、現在はちょうど五時を迎えている。
 尻のポケットにハンカチを収め、財布と携帯の入ったクラッチバッグを持って部屋を出て、上階に行った。玄関を抜け、ポストに寄って郵便物を取り、夕刊一面を瞥見しながら玄関内の台に置くと、扉の鍵を閉めて出発した。雨で増水した沢の響きがあたりに漂っていた。坂道に入ると、路上はまだ全面に濡れた痕の残って沈んだような色合いになっており、そのなかにやはり濡れそぼって柔らかく崩れた葉っぱが散らばって貼りついている。その上を歩いて上って行くと、どこからか煙の臭いが鼻に届いてきた。
 坂を出て平らな道を行き、三ツ辻に至ると、行商の八百屋と周囲の家々の人々が集まっていたので近寄り、こんにちはと挨拶した。すると八百屋の旦那が、帰りは雨だぞ、と笑いながら声を掛けてくる。予報によれば青梅市は六時から九時のあいだに九ミリの雨が降るとかいう話だと、旦那はスマートフォンを取り出して天気予報のページをひらきながら言ってみせた。帰りは電車ですかねとこちらが受けていると、一座に加わって杖を突きながら立っていた一人の老人が、こちらの方を見るわけでもなくぼそりと、タクシーに乗れば、というようなことを呟いたので、タクシーに乗るなんてリッチなことはできませんよとこちらは笑った。それからちょっと立ち話をして、会話が途切れたところで、じゃあどうも、と言い、行ってきますと告げた。するとT田さんの奥さんが、気をつけてね、降らないように祈ってます、と言ってくれたので、礼で答えてその場を離脱し、道の先を進んだ。
 先ほど暗唱した「神田神保町」の詩句を頭のなかに広げながら街道に出て、通りを渡って行っていると、行く手の空には水っぽい雲のあいだに切れ目が入って青さがいくらか窺える。老人ホームの窓は今日はカーテンが掛かっておらず、なかが覗けて、見ればテーブルの周りのいつもと同じ位置に、車椅子に乗ると言うよりは沈みこむようにして、やっとのことで生にしがみついているような小さな身体の老婆が就いていた。その窓の前を過ぎ、角を曲がると、薩摩芋を蒸かしているような匂いが鼻に香ったのだが、あれは老人ホームで出される食事の香りだったのだろうか。
 裏通りを行くあいだ、森の方から鶯の、張りのある鳴き声が頻りに立って、水っぽい空気のなかによく響く。歩いているとこちらを抜かしていく一人の男性がおり、見れば今時珍しく、歩きながら煙草を咥えていた。道の先では男子高校生らが立ち止まり、そのうちの一人が家の敷地に踏み入って何やら手を伸ばしているので、白猫がいるらしいなと知れた。高校生らが去ったあとからこちらもそこに入って、白猫に近づいて、例によってその体に手を触れて撫で回した。白猫は一度腹を見せて大きく伸びるようにして転がったが、すぐにまた姿勢を戻してしまった。身に触れていると、視認するのが難しいほどに細い白毛がふわりと宙に舞ってどこかに消えていく。いつの間にか、スラックスの膝のあたりにも毛がいくらか付着していた。そのうちに猫は座って体を折り曲げ、腹の下の方を、あれは舐めていたのだろうか、毛づくろいしはじめて、それに夢中になってこちらが頭や背を触るのも意に介さないような様子だったので、こちらは立ち上がって別れを告げ、道の先を進んだ。
 元市民会館の区画に差し掛かりながら、宇宙が誕生してから一三八億年というのは一体どういうことなのだろうなと思いを巡らせていた。地球が生まれてから考えても四六億年、生命が誕生してからは三五から三六億年ある。それは時間の長さという観念をほとんど根底から覆してしまうような、とても人間のスケールには相応しない、人間存在はその前でともかく途方もないと貧しく呟くしかないような類の時間である。それから人類というものがこの世界に生じるまでのあいだ、明白な自己意識を持った存在なしに、この地球は誰にも観測されることなく自己生成を絶え間なく繰り返していたのだ。そうした人類の存在しない時間のことを考えたのだが、我々がそれを想像――などできるはずもないのだが――した時点で、それはしかし思考の枠組みから逃れ去ってしまうと言うか、我々が仮想的に想像しているのはやはりどうしても観測者としての視点からなのであり、その視点を持ち込んだ途端に人類以前の時間はおそらく別物に変質してしまう。「時間」という観念が存在するのも人類とその思考がこの世に生まれて以降のことなのだから、地球が人間存在なしに孤独に回転を繰り返していた時代というのは、時間以前の時間が流れていると言うか、『世界の語り方1』で使われていた言葉を借りれば、「時間未生の世界」のようなものなのではないか――と、そんなことを考えていると、目の前に黒い毛の犬を連れた婦人が現れ、その犬が、あれは車止めと言うのだろうか、オレンジ色の、細い円柱形をしたやや柔らかめの、小学生などが通りすがりに叩いて遊ぶようなポールがあると思うが、それに向かって片脚を上げて小便をした。飼い主の女性は何とか呟きながら、バッグをごそごそやりだしたので、拭くのだろうかと思ったのだがそうではなく、ペットボトルを取り出し、水を掛けていたようだ。一旦は彼女らを抜かしたこちらだったが、道を行っているあいだにふたたび抜かされ、駅前に続く細道に入った頃には前を行く犬がふたたび電柱に小便を放つのが見られた。駅前に出て横断歩道を渡ってからも、街灯の根元に三度犬が小便を掛けたので、女性はまたペットボトルを出して水を掛け、小便を洗い流していた。
 職場に着くと奥のスペースに入り、ロッカーに荷物を入れて鍵を掛け、その鍵はスラックスのポケットに入れておき、準備に取り掛かった。今日の授業は一時限、相手は(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中一・数学)だった。そこそこうまく行ったように思う。ノートも三人とも充実させることが出来たし、ちょっと早いのではないかと思ったけれど、授業終了の一五分前くらいには終わりに入っていくことが出来た。少々早めに、余裕を持って終了に向かっていくくらいの方がやはり良いようだ。時間が余ったら余ったで、生徒たちには、チェックテストの練習なり、ノートの読み返しなりをさせていれば良いし、こちらの余裕があればノートの復習を手伝うことも出来る。
 (……)くんは宿題をきちんとやって来ていて好感触なのだが、授業中は少々休んでいる時間もあったり、説明を聞く様子もそれほど熱心そうには見えなかったりして、真面目なのか不真面目なのかいまいちよくわからない。(……)くんはわりあい真面目な様子で――だが宿題は途中までしかやっていなかった――現在完了の基本は大丈夫だろうと思う。ノートにはneed toを使った文と、How many timesの文とを書いてもらった。(……)くんは初顔合わせ。それほど勉強が出来るわけではなさそうだ。計算式の書き方もあまりきちんと整然としておらず、正負の加減などからしていくらか怪しい部分があったので、括弧の外し方のルールを説明し、それをノートには記録してもらった。そのほか、一次式同士の加減を扱い、ここでも括弧の前にマイナスがあったら符号を変えて展開するのだということを教え、その種の問題も一つ、ノートに記入させた。
 余裕を持って終えられたので、授業終了後は入口付近で生徒の出迎えと見送りを行った。そうして早々と片付けを終えてバッグをロッカーから取り出し、(……)先生にお疲れ様ですと挨拶をして退勤しようとすると、靴を履く間際になってその(……)先生から、ちょっと良いですかと声を掛けられた。(……)くんが、テストをやっていて教室にいたにもかかわらず授業を受けなかったのだが、記録をどうすれば良いかとのことだったので、ええ……と困惑してしまった。室長に言われてそうしていたのだと言う。確かに授業前に、室長とそのようなやりとりをしていたのはこちらも目撃していたのだが、室長に今やるようにと言われてはいたものの――室長の方は、彼に授業があるということを認識せずにそう言ったのではないかと思うのだが――授業を普通に優先するものだと思って、その後の彼の動向には注意を払っていなかった。それで、(……)先生は、タブレット記録のコメント欄に書いておいたほうが良いでしょうかと訊くので、それはそうですね、書いておいたほうが良いと思いますとこちらは答え、すみません、お力になれず、と苦笑した。すると彼女は、いえ、ありがとうございます、相談に乗っていただいてと丁寧に返してくれた。そうして退勤した。当然、そのあとで室長にも報告するものだと思ったのだが、よく考えてみれば(……)先生は先ほどの時限で確か授業は終わり、そうして室長は面談中だったとあっては、室長に報告が行かないままに彼女は退勤してしまうかもしれない。職場を出たあとにそのことに気づいて、室長への報告として何かメモを残しておくように言っておいた方が良かったなと思った。
 八百屋の旦那の言った通り、教室にいるあいだに雨が降って、一時は雷の音も聞こえたくらいだったのだが、退勤する頃にはほとんど止んでいた。駅に入って、発車間近の奥多摩行きに乗り、席に就くとクラッチバッグを隣に置き、手帳をスラックスのポケットから取り出し、太腿の曲線に合わせてちょっと反ったそれをまっすぐに直してから頁をひらいた。そこに書いてある文言を眺めながら到着を待ち、最寄り駅に着いて降りると駅舎を抜けた。たまには別のルートを取るかということで、駅正面の坂道には入らず、東へ向かい、肉屋の隣から木の間の細く暗い坂道に入った。左右から頭上近くに木枝が張り出しているのを避け、濡れた葉っぱで足もとが滑らないように注意しながら下りていき、家に帰宅した。
 玄関を入ると母親が明かりを点けて居間から出てきて、びっしょりでしょと訊いたが、雨は大方止んでいてほとんど濡れなかったのでその旨伝えた。居間に入るとワイシャツを脱いで丸め、洗面所の籠のなかに入れておき、下階に下って、自室に入るとハーフ・パンツ姿に着替えた。そうして食事へ向かった。メニューは鮭、白米、クラムチャウダーを利用したキャベツや魚介のスープなどである。席に就くと時刻はちょうど八時頃で、テレビは始まったばかりの『スカッとジャパン』を映していたので、またこのくだらない番組を見ているのかと思ったが、口には出さなかった。食事を取り終える頃になって父親が帰ってきた。先に風呂に入っていいかと訊くと良いと言うので、食器を洗って入浴に行った。長くは浸からずさっさと上がって、パンツ一丁で自室に戻った。しかし涼しい夜だったため、すぐにハーフ・パンツと肌着を身につけ、八時四五分頃から「記憶」記事をふたたび音読しはじめた。「神田神保町」から引いてある二箇所の詩句は暗唱できるようになったと思う。上に引いてある冒頭の部分と、以下に掲げる結びの箇所とである。

 神保町の
 交差点のたそがれに
 頸までおぼれて
 二十五歳の若い失業者の
 目がおもむろに見えなくなる
 やさしい人はおしなべてうつむき
 信じる人は魔法使のさびしい目つき
 おれはこの街をこわしたいと思い
 こわれたのはあのひとの心だった
 あのひとのからだを抱きしめて
 この街を抱きしめたつもりだった
 五十二カ月昔なら
 あのひとは聖橋から一ツ橋まで
 巨大なからだを横たえていたのに
 頸のうしろで茶色のレコードが廻りだす
 あんなにのろく
 あんなに涙声
 知ってる ありゃあ死んだ女の声だ
 ふりむけば
 誰も見えやしねえんだ。
 (24~25; 「神田神保町」)

 そのほか、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』から引いた記述も久しぶりに読み返しておき、その後、Mさんのブログ及びSさんのブログを読んだ。それであっという間に時刻は一〇時前、書抜きに入った。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionと、東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』である。後者のなかでは、小林康夫の発言がやはり参考になると言うか、彼の知見の広さ深さというのはやはり相当なものだと尊敬されるものであり、この日写したなかでは自ずと彼の発言が多くなったようだ。例えば次のようなもので、これと同じような事柄は彼は『日本を解き放つ』の方でも語っていたので、そちらも合わせて引いておく。

 中島 (……)小林先生がおっしゃった、広い意味でのモラルに、想像力はどういう形で効いてくるんでしょう。
 小林 それはとても難しい問題だけれども、わたしが勝手に思っていることを混線的に言ってしまえば、最終的には世界と自分が一つであるというところに行くと思う。つまり想像力の究極は「梵我一如」というインド的な言い方でもいいのですが、そういうところに向かっていくと思いますね。それが、もっとも根源的なモラル。それを「神」と呼ぶ必要もないし、いや、何と呼んでもいいのですけれども、自分が世界の中にいるのではなくて、世界と自分がどこかで通底しているという感覚を持つことが、今露呈してきている、近代的なものの限界を乗り越える一つのモラルの方向だろうと思います。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』東京大学出版会、二〇一八年、59; 合原一幸・尾藤晴彦・小林康夫・横山禎徳・中島隆博「心の語り方」)

 小林 やっぱり世界のなかに存在しているということですよね。世界内存在、あるいは世界に帰属している存在として。でも同時に、垂直に世界と向かいあってもいるんです。それが人間です。直立するというのは根源的なこと。この世界は、138億光年の広がりをもってあるのに、わたしは、まるで微小な、ほとんど「無」の存在なんだけれども、しかし垂直にその広大な世界と向かいあう「1本の蘆」である。それを可能にしてるのは、言語です。直立することと言語をもつことはオーヴァーラップしている。わたしという「ほとんど無」の存在が、何億もの銀河系を包みこんだ広大無辺の世界とかろうじて拮抗し、対抗するんです。すごいよね。言語が与えてくれるこの非対称のバランスを通じて、そして、この言葉というロゴスを通して世界を知り、世界を愛する、それはある意味では、人間にとっては、もっとも基本的な衝動なんですよ。「学」などというものではない。人間のもっとも根源的な「運動」なんです。フィロソフィーというのは、たとえそれがギリシャからはじまる「哲学」というものに収まらないとしても、どこかで人間には避けがたいんです。避けることができないんです。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、389)

 こうした箇所を読むと、小林には実に健康的な、ほとんど「素朴な」と言ってしまいたくもなるような、人間存在というものへの明るい信頼心があるように感じられる。上の箇所では「わたしという「ほとんど無」の存在が、何億もの銀河系を包みこんだ広大無辺の世界とかろうじて拮抗し、対抗するんです」と述べられているし、『世界の語り方1』のあとの部分においては、「無限小」の存在である「わたし」のなかにこそ、無限へと向けてひらかれていく可能性がある、というようなことも語っていた。それは好ましい明朗さでもあるけれど、自分としてはそこまで人間というものを肯定的に捉えられないと言うか、端的に言って、この「わたし」という存在などそんなに大したものではないだろうというシニカルな思いがある。それでも、「無限」への回路とは行かないまでも、多少なりともこの貧しい「わたし」を拡張し、超克するような方向性を自分なりに目指して行きたいとは思うものである。そう言えば、「無限小のわたし」という問題に関して言えば、この日の往路では、いかなる天才、どのような凄い人間であっても、「わたし」である、「自己」であるということは、それだけで貧しいものなのだろうな、と考えた時間もあった。外側から見てどれほど豊かに見えようが、おそらく本人の実感としてはそうなのだ。ほとんど無限大の膨大さを持っているこの世界に比して、ただ一つの自分であるということは、それだけで根源的に貧困であるということなのであり、そして自分であることから逃れられる人間などいないのだから、どんな能力や才の持ち主であっても、その貧困さを免れる存在はない。しかし、そうした根源的に貧しい人間という存在が協同することで、瞬間、何らかの豊かさに到達できるということが、おそらくこの世界に与えられた希望というものでもあるのだろう。
 その後、一一時一〇分から亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集 ――アメリカ詩人選(3)――』を読みはじめて、一時間ほどで読了した。それで時間は零時を越え、日付も六月二五日に移った。それから一旦シャットダウンしていたコンピューターをもう一度点け――音楽を聞くためである――Suchmos『THE ASHTRAY』をヘッドフォンで聞きながら東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』のメモを手帳に取った。Suchmosのこの新作は、一聴した印象だと、前作、前々作に比べて何となく地味な感触を覚える気がする。書抜き候補箇所のすべてを手帳に写し終えると、時刻は一時過ぎ、コンピューターを睡眠させて、ベッドに移った。そうして細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』を読みはじめたのだったが、三時には眠ろうと思っていたところが、この本がなかなか面白くて、読み耽っているうちにいつの間にか三時半を目前にしていたので、そこで切りとして本を置き、時刻を手帳にメモして部屋の入口横のスイッチを押して電灯を消し、床に就いた。どうも目が冴えていて、これはまた眠れないのではないかと思ったのだが、時間は掛かったもののそのうちに寝つくことが出来た。


・作文
 14:56 - 15:31 = 35分
 16:43 - 17:00 = 17分
 計: 52分

・読書
 13:00 - 14:42 = 1時間42分
 15:47 - 16:17 = 30分
 20:44 - 21:12 = 28分
 21:15 - 21:52 = 37分
 21:57 - 23:00 = 1時間3分
 23:10 - 24:13 = 1時間3分
 24:19 - 25:10 = 51分
 25:15 - 27:24 = 2時間9分
 計: 8時間23分

・睡眠
 2:40 - 12:15 = 9時間35分

・音楽