2019/7/11, Thu.

 言葉をまず肉体のものにする。どもりは同じ繰りかえしをすることはできない。いつでも新しい燃料で言葉のロケットを発射しなければならない。月に当るか星へ飛ぶのか、そんなことは知らない。飛べばなんとかなるのである。ぼくらにはおなじように聴えても、どもりも鳥も、いつも同じことはくりかえさない。その繰りかえしには僅かのちがいがある[﹅18]。/このちがい[﹅3]が重要なのだ。 (武満徹「吃音宣言」)

 こんなことを言っているんですね。これが31歳のときの文章です。
 小林 そうですよ。ここにも書きましたけれども、武満さんは、大学に全然行かず、清瀬保二[やすじ]さんという作曲家についてはいたが、基本的には独学で作曲を学んだわけだし、ピアノもない境涯で、紙の鍵盤を置いて練習するというようなことをしながら、ここまでの仕事をなさった。なんという人だろうと。建築家の安藤忠雄さんも独学でしたが、われわれみたいな大学関係者は、大学のやっている教育ってなんだろうと思っちゃいますね。まあ、ここはあえて誇張して言っているのでもありますが。独学では随分でたらめなことも学ぶけれども。でもそのでたらめのなかからしか創造性は生まれてこない。まさにわずかな「ずれ」ですよね。反復なんだけれども、反復じゃない。ずれ、それが起こるのは独学だからでしょう。
 先生が言ったことをそのまま反復している人間からは、創造性は生まれてこない。はっきりしていると思いますね。この国は、いまや検定がはやり、評価がはやり、すべてを点数で縛り上げる単調な反復にすぎない教育にますますシフトしているように思いますね。これでは、逸脱がゆるされない。つまりクリエーションがゆるされない。当然そういう意味での創造性が低下する。ずれは、どうしても自分の感覚で探し求めなければならないのだけれども、いまの人たちはそれをやると社会的敗北者になるのじゃないかと恐れてなかなか踏み出せないように見えますね。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、370~371)

     *

 小林 哲学の対象はなんですかと聞いたら、誰も言えないでしょう。つまり、哲学は「学」ではない。わたしはいつも言ってますが、philosophyという言葉には、「学」(たとえば-logyですね)は入ってないんです。それを「哲学」にして、「学」の一部にしてしまったが、大きな問題です。だって、哲学ほど形式が自由なものはないじゃないですか。ヴィトゲンシュタインみたいに命題集をつくっていてもいいし、プラトンみたいに対話を書いてもいい、スピノザみたいに完全に順序づけられた公理体系を考えてもいい。ニーチェみたいに詩を書いたっていい。もちろん、ハイデガーみたいに解釈学を応用して、まあ、「学的」な装いを導入したっていいわけです。サルトルのように戯曲や小説をリンクするやり方もある。形式を問わないんですよ。でも、ほんとうのphilosophyは、まちがっても学術論文などという形では出てこない。
 中島 まったくそうです。
 小林 では、ほんとうに哲学をするということはどういうことなのか、そこに来ますよね。philosophyは、語源的には、愛と知、「知を愛する」というか、わたし自身の言い方だと、「知」と「愛」が一致するように知ることなんだ、となる。それは、ある意味では自分が生きているこの世界と、その自分自身の存在を「批評する」ことですよね。「知」という「愛」において批評する。しかもなおかつその「批評」に、ロゴスとしての一貫性をもたせなくちゃいけないわけです。ロゴスが愛になる。
 (384~385)


 一二時三〇分までだらだらと寝床に留まってしまった。一〇時くらいに覚めた時、夢を見た。自宅――現実の自宅よりも実際は広かったのだが――に小中の同級生が一〇人だか二〇人だか大量に集まった、という夢で、それに辟易しているようだった。その他の詳細は忘れてしまったが、同級生らの面子というのは、中学生の頃にやんちゃだったような種類の連中が多かったようで、例えばその連中のなかでもリーダー格だったH.Tなどがいたと思う。
 一二時半になってようやく身体を起こし、上階へ。冷蔵庫を覗くと、前夜のマカロニシチューみたいな料理と、廉価なピザがあった。アルミホイルに包まれていたピザをオーブントースターに、マカロニシチューめいたものは電子レンジに突っ込み、温めているあいだに洗面所で髪を梳かして、便所に行って黄色い尿を放った。その後、食事。新聞から参院選の公約比較記事を読みながら食べていると、母親が帰ってきた。職場の総会か何かに行っていたらしい。小僧寿しを買ってきたと言うのでそれも頂くことに。普通の握り寿司ではなくて、助六と、うどんと小さな海鮮丼のセットだった。うどんと海鮮丼を半分ずつ分け合って食べる。母親はもう投票を済ませてきたと言う。随分早いなと思い、誰に投票したのかと訊くと、よくわからないから適当、と彼女は答えた。その後、食器を洗って風呂も洗うと下階に戻ってきて、コンピューターを点けた。EvernoteやブラウザやWinampをひらき、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして、一時半過ぎから日記。一時間ほどでここまで追いつかせることが出来た。音楽はFISHMANS『KING MASTER GEORGE』に移っている。"なんてったの"の甘やかさ、メロウさは特筆ものだろう。
 しかし、二月の、坂中さんと渡辺さんと会った日の夜に発揮された自分のあのエネルギー、忍耐強さは一体何だったのだろう。あの夜は一気に二万字くらいを書き綴ったのではないか。夕食の席で話した事柄もかなり詳しく記憶していたと思う。あの時の粛々とした自分の仕事ぶりから比較して、最近の仕事はちょっと適当になりすぎているような気がしないでもない。まあ続けることが何よりも大事なので、適当に、力を抜いて無理なくやれるくらいの方が良いのかもしれないが。
 前日の記事をブログに投稿し、ベッドに移って『曽根ヨシ詩集』を読んだ。窓の外では雨が降り出していた。四時半頃まで読んで読了。今日は眠気に苛まれることはほとんどなかった――読み終えて本を置いたあとに少々目を閉じて意識を失ったようだったが、それも短いあいだのことだ。そのまま続けて、岡本啓『グラフィティ』を読み出した。三〇分ほど読んで五時を目前にして上階へ。冷蔵庫から豆腐を取り出し、鰹節をたっぷり乗せて麺つゆを掛けた。そのほか、半分残った助六とゆで卵を持って卓へ。母親はソファに就いていつものごとくタブレットを弄っていた。夕飯は炒飯で良いかと訊くので了承する。ものを食べ終えると台所に行って、寿司のパックを乾燥機のなかに入れておき、豆腐の容器を濯いで捨て、箸だけ網状の布で擦り洗った。それで下階に戻り、Wynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』を流しだして、「記憶」記事を音読した。山我哲雄『一神教の起源』からの情報、一神教は砂漠環境の産物だという説は根拠のない俗説だという主張とか、旧約聖書に描かれたイスラエルの民の物語の略述などを読んだ。二五分ほど音読するとそのあと歯磨きをしたのだったか、それとも音読の前に歯磨きをしたのだったか忘れてしまったが、どこかのタイミングで歯磨きはした。歯磨きをして、口を濯いで部屋に戻ってくると、"Cherokee"の流れているなかで服を仕事着に着替えた。白ワイシャツは、首もとから黒の肌着が覗くのが格好悪いので第一ボタンまで閉ざし、下は灰色の父親から借りているスラックスである。そうして六時を回ってから日記をここまで書き足した。BGMに流したのはLed Zeppelin『Celebration Day』。
 六時半を迎え、cero "Yellow Magus (Obscure)"と"Elephant Ghost"を流して歌い、六時四〇分頃に至った頃、出勤することにしてクラッチバッグを持って部屋を抜けた。階段を上がり、玄関に行ってトイレに入って用を足す。それから出てきてクラッチバッグを持つと、母親にじゃあ行ってくると告げた。玄関で靴を履くこちらの後ろに、母親は新聞を取ってと言って追いかけてきた。褐色の靴を履いて玄関の扉を開けると、雨はまだ少々、ほんの幽かにだが、降っているようだった。黒傘を持って階段を下り、ポストに近づいて夕刊を取り、階段に戻って戸口から現れている母親に渡すと、彼女は、これ面白いでしょ、ネジリバナ、と言う。玄関の外、扉の脇に置かれた一つの小さな鉢植えを指して言うのだった。ネジリバナ、という単語が初めて耳にするものだったので聞き取れず、何度か聞き返したが、花の姿形を見てみると名前の意味がわかった。直上的にまっすぐ立った茎の周りに螺旋状に巻き付くようにして花が咲いているのだった。
 傘を差して出発した。気温は昨日よりも低いようで、ワイシャツから伸びて出た腕に僅かな肌寒さを感じる瞬間もあったようだ。坂を上っていると、鶯の音が梢の方から落ちてくる。坂を上りきり、平らな道をしばらく進んで表の通りに出ると、水気を含んで増幅された車の走行音がひっきりなしにあたりに響き、通りが間遠になって流れのあいだにいくらか空隙が生まれても、遠くの車音がやはり水を含んで拡散し、近間まで伝わってくるそのために、鳥の声が耳に入らなかったが、車道の上の宙空を連れ立って舞う燕の姿は見ることが出来た。裏路地に入ると途端に静かになった。表の車音も建ち並ぶ家々の体に阻まれて届いて来ないそのなかに、鳥たちはもう塒に帰ったものか鳴きが通らず、林の方から聞こえてくるのは薄い虫の音に変わっていた。静寂に、音楽の鳴りはじめる前のような静けさ、などと思った。
 白猫はさすがに見当たらなかった。雨もしとしと降っているし、いつもと時間も違う。そのあたりに来ても聞こえるのは虫の声が主で、草むらの方から湧いてくる侘しげなその鳴き声は蟋蟀だろうか、僅かばかりの風流を感じさせなくもなかった。元市民会館の裏まで来ると、雨を眺めているのか、一軒の民家の庭木の向こう、窓際に黙然と老人が立ち尽くしているのを見かけた。雨は細かく弱く拡散して、通る人々のうち傘をひらいているのが半分、差していないのが半分といった様子だった。駅前に入って右折し、紫陽花の植え込みに横目を送ると、昨日は鮮やかだと思っていた花の色が、もうだいぶくすんでいるのに気がついた。青々とした色合いを保っているのは、茂みの端、外側に咲いた一株のみで、ほかは大方、年月の経って風化した紙のような風合いで枯れるのを待つ身だった。
 職場の入口の前に立って傘をばさばさやっていると背後で扉がひらいて、傘を持った室長が出てきた。今日はもう終わりですかと訊くと、いなかったことにしておいて、とよくわからない返答があった。今日は平和だと思う、電話一本もなかったし、と言う。お疲れ様ですと挨拶して職場のなかに入り、奥のスペースに行って(……)先生にお疲れ様ですと挨拶するとともに、ロッカーにクラッチバッグを仕舞った。そうして準備を始める。
 この日は一時限のみの勤務である。当たったのは(……)さん(中三・英語)、(……)くん(中三・社会)、(……)さん(高二・英語)。(……)さんは初めて当たる生徒だったのだが、非常に大人しく、無口で、常に浮かないような表情をしている女子である。それなので例によって、質問をたくさん投げかけていくわけにも行かない。正直なところ、このようにコミュニケーションの取りづらい生徒が一番やりにくいのは確かである。英語はあまり得意ではないようで、単語テストの勉強を一応してきていたようなのだが、それでも点数は半分をやっと越えるといった結果だった。彼女はまた、一つ一つの動作が非常にゆっくりで、鞄から教材を取り出したり、その鞄を机の横のフックに戻したり、といった行動の一つ一つの過程が実にのろのろとしていた。気の短い講師だったら苛立ってしまいそうな調子だったが、こちらから働きかけて急かすわけにもいかない。鷹揚に、彼女のペースに合わせてじっと待った。扱ったのは進行形の単元。本当はもう一単元一気に扱う計画になっていたのだが、彼女のスピードではそれは無茶だというものである。問題の出来は、一番基本の頁を扱ったのでミスはほとんどなかったけれど、そのミスが、Are you ~? とするべきところにAmを入れてしまっていたりするものだったので、やはり基本的なところの理解が深く定着していないのではないかと思う。本当は、もう一頁、もう一段階難しい問題の頁を扱いたかったのだが、時間が足りなかった。
 (……)くんは、社会の計画表にどこの単元をどれだけ扱うかということが記入されておらず、(……)さんに尋ねてみても進め方は判然としなかった。回数も夏全体で五回と少ない。それで考えて、授業本篇では速やかな進行を優先して確認テストの表面だけを扱うことに決めて、ワーク本篇の問題は宿題として出すことにした。それで今日は確認テストの表を最初から扱って行ったのだが、そうすれば大体一コマで三課くらいは終わらせることが出来そうである。加えて、宿題に新しい単元を二課分出したので、宿題をやって来てくれれば五課を一気に終わらせることが出来ることになる。彼も大人しい生徒ではあるが、それでも質問に答えたり、コミュニケーションの面では特段に問題はないので、比較的やりやすい。この日は地中海性気候などについて詳しく確認した。
 (……)さんはだいぶ遅れてきて、授業時間が半分経過したあたりでようやくやって来た。部活がどうとか言っていたが、詳しくは聞いていない。彼女は学校のテストはもう終わったし、教材を何も持っていなかったので、高校生用の教材をコピーして扱った。基本時制の章を扱ったのだが、本人が英語は全然出来ないと言っていたわりには、レベルAの問題はほとんど支障なく解けていて、もう一つ、難しい方の教材を使ったほうが良かったかもしれない。宿題には一応、レベルBの問題を出してみたので、ここをやってみてどうなるかといったところである。
 今日は(……)くん以外の二人にはノートにコメントを記せなかったというのも反省点の一つである。(……)さんは遅れてきたので書くのが遅くなったし、(……)さんも進行が遅かったので彼女自身がノートに記入するのが授業終盤になってしまったのだ。基本的に生徒が書くのを受けて、それに対して何かしらのコメントをするという方式を取っているので、生徒がノートを書くのが遅いとこちらの書く時間も必然的になくなってしまうのだ。
 授業後はほかの講師が皆帰ったあとに、(……)さんに報告。大変そうでしたね、と労った。室長が退勤してしまったので、彼女が室長代行として教室を回さなければならなかったのだ。教務関連がまだやはり難しいと言うか、授業時間の振り替えなどを頼まれると、それが可能かどうか調べたりするのに少々バタバタしてしまうようだった。片付けをしたあと、翌日こちらが当たる生徒を訊いて――この日に続けて(……)さんにふたたび当たるとのことだった――それから帰り際に出入り口の前に立って、デスクに就いている(……)さんとちょっと話をした。専門の担当は何なんですかねと訊かれたので、特にないが、以前は社会を任されていた、講習の授業のやり方などを決めていたと答えた。今は大体、一番ベテランの(……)先生がどの教科も決めている雰囲気だと言う――理科などはさすがにタッチしていないかもしれないが。室長が一人で全体を把握し、事柄を決定したいタイプなので、あまり個々の講師に任せるということがないようだ、ということも(……)さんは言っていた。室長関連で言えば、この職場の人間は皆比較的クールで、あまり同僚と交流を持とうとしないという話になった時に、室長があまり自分から話しかけないじゃないですか、と彼女は漏らしていた。だから、室長のどこを真似て学べば良いのか、探っているところですね。彼女が学生時代にいた教室は大学生が主体で、「悪く言えば」大学のサークルのような雰囲気だったので、この教室に来て最初のうちは少々戸惑ったと言う。
 教室会議の際の堂々とした話しぶりにも話題は及んだ。新卒にしては、と言っては失礼ですけれど、しっかりされているなと思いましたとこちらが言うと、むしろ(……)さん自身は、出しゃばり過ぎたかと思って、この半月、会議時の振舞いを気にしていたのだと言う。喋りが苦手なので、と言うのに、むしろ上手だと思いましたよ、堂々としておられてと返すと、本当ですか、ちょっと元気出ましたと彼女は言った。話も落着いて、こちらが扉を開けて有難うございましたと挨拶を交わした際にも、有難うございます、元気出ましたと彼女はもう一度言った。それでお疲れ様ですと交わし合って、退勤した。
 思わぬ機会だったが、結果として労いの言葉を伝えられたので良かったと思う。好感度も多少アップしたかもしれない――などと言うと、まるでギャルゲーのようだが。駅に入ってホームに出ると、この日も自販機に近寄って、一三〇円で二八〇ミリリットルのコーラを買った。木製のベンチに就き、最近自分、コーラ飲み過ぎじゃあないか? 糖分摂り過ぎじゃあないか? と疑問を自身に投げかけながらも、炭酸飲料を空の胃に取り込んだ。ボトルを持っていない方の片手に持っているのは、手帳である。飲み干したコーラのボトルを捨ててくると引き続き、手帳を眺めて情報を復習した。すぐ近くにはジャケットにスラックスに明るい茶色の革靴を履いた男性がスマートフォンを見ながら立っていた。ベンチのすぐ前の位置なのだが、何故座らないのかは不明だった。奥多摩行きがじきにやって来ると乗り込んで、三人掛けに座り、引き続き手帳に視線を下ろしながら最寄り駅に着くのを待った。
 最寄りに着いて降りると、何やら嗅覚への淡い刺激があった。ホームを歩きながらあたりを見回し、鼻を鳴らしつつ、腐臭と言っては強すぎるが、何かもののくたれたような臭いを感じた。おそらく、雨が降ったことによる湿り気そのものの臭いのようなものだったのだろう。雨降りのために階段通路の蛍光灯にも、今日は羽虫の群がりがない。駅舎を抜けると横断歩道を渡り、木の間の坂道に入った。暗がりのなかで、山百合が花弁を閉ざして貝のようになりながら、それでも強い香りをあたりに振り撒いていた。下り坂を抜けて平らな道に入ると、濡れたアスファルトが街灯の白い光を受けて滑らかに輝いており、以前、こうしたアスファルトの、美しいと言っても良いような平らかさを女人の背中のような、と喩えたことがあったなと思い出した。もう少し道を進むと、路面はいくらか粗くなって、そこに街灯が掛かると白さがちらちらと、じらじらと常に蠢き、それもまた一つの風景だった。
 帰宅して居間に入ると、ソファに就いている父親にただいまと声を掛けた。そうしてワイシャツの裾をスラックスから引き出し、ボタンを外して服を脱ぎ、洗面所の扉に近寄ってノックした。風呂から上がったあとの母親が扉の向こうでいいよ、と言ったので引き戸を開け、丸めたワイシャツを渡した。それからバッグを持って下階に下り、自室に入ってハーフ・パンツに服を着替えると上階に戻った。食事である。炒飯にセブンイレブン手羽中二本が一皿に載せられ、そのほか豚汁やインゲン豆、それに山梨の祖母から父親が貰ってきたものだろう、桃と胡瓜の漬物などが並んだ。テレビはどうでも良い番組である。ものを食べ終えると抗鬱剤を服用し、食器を洗って入浴に行った。窓を少々ひらき、涼気が時折り宙に漂うなかで水位の低くなった湯に浸かり、出てくるとさっさと居室に帰った。
 そうして零時直前から書抜きを始めた。Led Zeppelin『Celebration Day』を聞きながら、細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』と中島隆博・石井剛編著『ことばを紡ぐための哲学 東大駒場現代思想講義』で一時間ほどを費やした。それから一時半に読書を始めるまで、半時間ほどの空白が挟まっているのだが、この時間に何をしていたのか記憶に残っていない。と思ったが、きちんと記録に残っていた、日記を綴ったのだった。三〇分ほど書き進めて、職場に着いたところまでで切りを付けた。道中のことを比較的丁寧に、事柄を一つ一つ取り上げてじっくりと綴れたような気がした。そうして一時半から、岡本啓『グラフィティ』を読み出した。最初のうちは同じ詩篇を何度も読み返して、表現上の特色や意味を考えたりしていたのだが、じきに面倒臭くなって、少々読み流すような感じになってしまった。三時過ぎまで読んだのち、次に読む本として、冨岡悦子『パウル・ツェラン石原吉郎』を積み本の一番上から取り、少々めくって中身を確認し、それから明かりを落として枕の上に腰掛けた。一五分ほど瞑想じみた真似をして、三時半に就寝した。眠りはすぐにやって来たようだ。


・作文
 13:33 - 14:30 = 57分
 18:04 - 18:19 = 15分
 24:53 - 25:22 = 29分
 計: 1時間41分

・読書
 14:53 - 16:55 = 2時間2分
 17:13 - 17:37 = 24分
 23:54 - 24:51 = 57分
 25:29 - 27:08 = 1時間39分
 計: 5時間2分

・睡眠
 3:00 - 12:30 = 9時間30分

・音楽