2019/8/1, Thu.

 渡辺 マルクスの『資本論』は、誰でも言うように、勧善懲悪のメロドラマであり、十九世紀通俗小説の骨格でしょう。フロイトは、『オイディプース王』でギリシア悲劇までいく。ニーチェはそこも突き抜けちゃう。始めに清水さんがニーチェを詩人だと言ったのは、詩人であると同時に神話の活性者……。
 清水 いやむしろ新しい神話をつくってるわけですよ。
 渡辺 神話を活性化するだけではなくて、新しい神話をつくるというのは、類稀な能力でしょう。それは〈エクリチュール・フラグマンテール〉とも関係するかもしれない。ニーチェの言っている内容もそうですけど、内容以上に語り口が、ニーチェを歴史的に囲いこむことを非常に困難にしてるんじゃないかという気もする。つまり歴史的に囲いこむこと自体は、ある程度簡単なことかもしれないけど、それではやはり本質が逃げちゃうとみんな思うんじゃないだろうか。この場合の語り口というのは、ファーブル〔物語〕の構造まで含めてですが。
 清水 ブランショなんかはマルクスフロイトはどこも矛盾していないけど、ニーチェは矛盾だらけだから囲いこめないって言っている。つまりブランショの言うところの断片的……。
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、109~110; 渡辺守章清水徹豊崎光一「ニーチェ・哲学・系譜学」)

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 渡辺 ここでさっきの清水さんの質問の三番目の〈エクリチュール・フラグマンテール〉と演劇の関係をしゃべっておくと、それは〈登場人物〉の解体の問題と全く重なるわけでしょう。〈主体〉の解体の物語レベルにおける等価物がそれなんだから。その点は、マラルメ以来主張されていて、舞台上でそれが極めて現実化するのは、イヨネスコやベケットのいわゆる五〇年代前衛劇、あるいは不条理演劇です。ただぼくとしては、登場人物という虚構の枠組みが無くなるということだけでは芝居の上では問題が立ちにくい。むしろ一方では、その背後に隠れていた役者体というか、演劇体のラディカルな再検討が必要だった。と同時に、ニーチェとの関係というか、今ここでとりあげたようなフランスのニーチェ読みの視座との関係でいえば、記号や仮面そのものが〈強度〉と深く関わることと、それからフーコーが好んで引く「歴史を学んだとき、人は、己れのうちに一つの不死の魂をではなく、多くの死すべき魂を収めていることに満足する」という言い方にあるような、人間の中にある複数の存在という命題ですよ。演戯者はもはや偉大なる主体としてのペルソナを受肉するのではない、様々な仮面の〈強度〉によって己れ自身を一つの分断された力学場と変じつつ、そのような複数の仮面の強度を演じ続けるわけです。それは、通常用いられるのとは違う意味での〈引用〉としての演劇なので、いささか手前味噌じみますが、今度の『女中たち』の実験もそこにあったわけです。
 (110~111; 渡辺守章清水徹豊崎光一「ニーチェ・哲学・系譜学」)

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 清水 いわゆる第三共和制的ヴァレリーの地中海じゃない地中海があるわけだよ。カミュはそれを語ろうとしたわけだし、ニーチェは「ギリシア悲劇時代の哲学」という、いちばん最初の論文でそれを言っちゃったということでしょう。もうすこし具体的に言えば、闇の奥に光の氾濫を、光の過剰に暗黒を見るような思考、つまりニーチェの言う、「大いなる真昼」とは深夜の暗黒の果てに一切の転倒の結果として出現するというような考え方が、ニーチェカミュの地中海にはある。これは北方的なヘーゲル弁証法とはまるでちがうんですね。
 (112; 渡辺守章清水徹豊崎光一「ニーチェ・哲学・系譜学」)


 一〇時二〇分に至って起床した。今日もまた暑く、寝床にいる時点から汗をたくさん搔いていた。下はハーフ・パンツを履き、上半身裸のまま上階に行き、母親に挨拶。冷蔵庫を覗くと、前夜の酢の物の残り――胡瓜と蛸とモヤシを混ぜたものである――とピザパンがあったので、それらを食べることにした。ピザパンを電子レンジで温め、卓に就いて胡瓜と蛸をつまむ。テーブル上には、T.T子さんが送ってきてくれた暑中見舞いや、Mちゃんの写真などが置かれていた。食事を取ると水を汲んできて抗鬱剤を服用し、食器を洗うとそのまま風呂場に行き、汗を搔きながら浴槽を洗った。窓の外には近くの坂道の入口とガードレールが見えており、ガードレールに付属している円筒状の台の上に、いつか隣のTさんが何をするでもなくただ座っていたことがあったなと、そうした記憶が思い起こされた。彼女はあの時、何を見ていたのだろう。九八年だかそこらも生きていると、やはりものの見え方がこちらなどとは全然違うのではないだろうか。こちらの三倍を遥かに越えた年月を生き延びてきているわけで、それは端的に言って凄い。その事実だけで尊敬出来るような気分になると言うか、大袈裟に言えば一種の聖性のようなものすら感じないでもない。年古りた巨大な老木に崇敬の念のようなものを抱くのと、同じような感覚だろうか。
 風呂を洗って出てくると台所に「じゃがりこ」のたらこバター味があったので、頂くことにして、これ食べるよと母親に言った。母親は、ロシアに持っていこうと思っていたのだが、と言う。わざわざ「じゃがりこ」をロシアに持っていかなくても良かろうと払って、何本か母親のために分けて紙の上に置いてから下階に戻り、自室に入ってエアコンを点け、コンピューターも起動させた。「じゃがりこ」をぼりぼり食いながらTwitterを覗いたりしたあと、Evernoteで前日の記事に記録を記入し、この日の記事も作成。SkypeやLINEなども確認しておいてから、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめて日記を記しはじめたのが一一時七分だった。ここまでこの日の記事を記して、これから三〇日と三一日の記事を完成させなければならない。今日は労働が一時限のみで比較的時間に余裕があるので、出勤を控えた夜までに何とか仕上げてしまいたい。
 それから二時前まで日記に邁進して、三〇日の記事はようやく完成させることが出来た。全体でおよそ二万字になった。それをインターネット上に投稿したのち、ベッドに移ってプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』を読みはじめた。エアコンは消して、母親が隣の兄の部屋から持ってきてくれた、カバーがうまく嵌まらなくなっている古い扇風機を使って身体に向かって微風を送らせた。それで曲がりなりにも過ごせて、汗が肌の上をだらだら甚だしく垂れるわけでもないので、昨日一昨日の愚かしいまでの暑気と比べるとまだましな日だったのではないか。途中、例によって一時間ほどの意識の消失を招きながら本を読み続け、五時一六分に至って読み終わった。本を閉じて、それから六時過ぎまで一時間ほど、ふたたび暑気のなかの微睡みに入った。そうして意識を取り戻すと上階に行き、薄暗い居間に入り、冷蔵庫から豆腐とゆで卵を取り出した。豆腐には鰹節とポン酢を掛けて卓に持っていき、椅子に就いて手早くそれらを食べた。それから台所に戻って箸を洗い、卵の殻を排水溝に捨て、豆腐の容器を濯いでゴミ箱に入れ、便所に行った。玄関に出ると、外から鈴を細かく振り鳴らすようなカナカナの鳴き声が旺盛に響き届いていた。小用を足して居間に戻ると肌着のシャツを脱いでボディ・シートで肌を拭い、シャツを着直すと部屋の隅に掛かっていたワイシャツを取って身に纏った。そうして下階に下り、スラックスも履くと、先日T田が音源をくれたBorodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』を途中から流しながら歯磨きをしたが、このアルバムのなかのショスタコーヴィチ弦楽四重奏第八番の第二楽章が、スピーディーで切れが非常に鋭く、素晴らしい演奏であるように思われた。口を濯いでくると日記を書きはじめ、ここまで書き足して七時が目前である。母親が送っていってくれるらしい。
 クラッチバッグを持って上階に行き、母親に行こうと告げた。図書館に寄るので、本をブックポストに返却してほしいと言う。自分で行きなよなどと言いながらも了承し、玄関に出て靴を履き、扉を開けると、母親が渡してきた本や雑誌類を抱えて外に出た。なかに村田沙耶香コンビニ人間』が混ざっていたので、読んだのかと訊いたが、読めなかったということだった。車に乗って本を膝の上に抱え、発車した。道中、母親は髭を剃らないの、と訊き、剃った方が良いよと言ってきたので、実質面倒臭くて剃っていないだけなのだが、舐められないように、と適当な答えを返した。その頃には図書館に続く細道に入っていた。図書館の門の前に車は停まり、こちらは本を持って降り、大きな門の脇、細い通用口を通ってなかに入り、家型のブックポストに一冊ずつ書籍を入れていった。そうして車に戻り、ふたたび発車してもらい、青梅駅前まで走って道路の途中に横付けしてもらい、有難うと礼を言って降りた。頑張ってね、と母親は言った。
 職場に着くと室長が電話をしながら、面談室に何やら用紙をいくつも並べていた。今日は一時限なので楽である。準備を済ませて、相手は、(……)くん(高一・英語)、(……)くん(中三・英語)、(……)(中一・英語)。(……)くんは初顔合わせである。夏期講習ということで、高校生用の文法ワークをコピーして、文の種類という単元から始めたが、多少苦戦したのは感嘆文くらいのようで、ほかは問題なく出来ていた。結構優秀なのではないか。(……)くんも問題なし。進みはやや遅く、苦戦する場所もあったが、ノートを充実させることが出来た。問題は(……)である。この生徒は先日携帯を没収した子なのだが、その時のことが多少利いたのか、今日はあまり携帯を弄ろうとしなかった。と言うか、妥協案として、ゲームを自動操作モードにしておき、時折りこちらに許可を取ってほんの少しだけ弄る、というような振舞いを取っていた。一種姑息とも言えなくもないが、まあ可愛らしいものである。過去にはもっと酷い生徒もいくらでもいたのだ。今日はまあそこそこ頑張ったのではないか――と言ってもぎりぎり二頁終わらなかったくらいだけれど。まとめ問題を扱ったけれど、地頭もさほど悪くはなさそうで、簡単な問題は難なく解けていた。
 そうして授業を終えるとさっさと退勤。駅に入り、ホームに上がって自販機に寄ると、例によって一三〇円のコカ・コーラを買う。奥多摩行きは既に着いていたが、なかにはまだ入らず、木製のベンチに腰掛けて手帳を見ながらコーラを飲んだ。糖分を取りすぎかもしれない。飲み干すと自販機横のボックスにペットボトルを捨て、そうして電車に乗車。端の席に就いて手帳を眺め続けた。今日も電車は遅れていた。先月くらいから甚だしい頻度で遅れている。しかし手帳を読んでいれば待ち時間は気にならない。そのうちに発車して、最寄り駅に着くと降り、駅舎を抜けるとやや涼し気な心地良い風が吹いて肌を擽った。前日よりは過ごしやすい気候のようだった。坂道に入っても風は続き、周囲の木々が緩くさざめいて、街灯の光に照らされて路上に映った枝葉の複雑な影が柔らかく揺らぐ。落ちている枯葉のうちのたった一枚が、一瞬僅かに浮かび上がってはまた静かになる。そのなかを下っていき、坦々とした道を辿って家に帰った。
 帰宅するとワイシャツを脱ぎ、洗面所に置いておき、下階に戻った。コンピューターを点けて、LINEにアクセスし、T田にBorodin Quartetのショスタコーヴィチ曲の演奏が素晴らしかったと送っておいた。そうして食事へ。メニューは豚肉のトマトソース煮や、ピーマンの和え物など。豚肉をおかずに白米を食べるあいだ、テレビは『クローズアップ現代+』で、ひきこもり死の問題を取り上げていた。昨年鬱病にやられていた際はこちらも実質引き籠もりのようなものだったし、あまり他人事とも思えない。番組では、五六歳で栄養失調で亡くなった人や、九三歳の父親と同居していたがその父親が死んだあと、一か月以上も遺体をそのままにして暮らしていて、やはり栄養失調か餓死かの寸前で発見されたという人が紹介されていた。前者の人はどうだったか忘れたが、後者の人は四〇代までは普通に労働をこなしていた人だと言う。人間、何がきっかけで引き籠もりになったり貧困に陥ったりするかわからないものだ。こちらも今は親元に置いてもらっているから良いが、この先どうなるか確かなことはまったく言えない。文章が少しでも金になってくれれば良いのだが。
 テレビを見ながら両親と、ロシア行きのことなど話した。そのほか、日記を投稿サイトに投稿しているけれど、そこでこのあいだ初めて記事を購入してくれる人が現れたということも報告した。職場のことも書いているから、見つかったら馘首になると言うと、母親は、止めなよと言ったが、しかしやはり止めるわけにはいかないし、仮に見つけられたとしても馘首になるほどではないかもしれない。これでもこちらという戦力はそこそこ重宝されているはずなのだ。まあもし見つかって怒られたら、職場にいるあいだの部分はインターネット上には公開しないようにしようとは考えている。
 その後、入浴し、下階に戻るとnoteに詩や短歌を投稿した。今まで日記や読書感想以外の記事はnoteには移していなかったのだが、これも少しでも金になってくれればという思いで、はてなブログにそのまま載っているものではあるけれど、noteの方にも載せてみることにしたのだ。それからLINE上にも今まで作った詩をノート形式で投稿しておき、皆に読んでもらうことにして、そうして一一時半から日記を書きはじめた。前日のものである。零時直前に完成させてインターネット上に放流したあと、ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』の書抜きを始めた。打鍵しているあいだに聞いていたのは、Tらのグループで作っている音楽の音源である。まだまだ未完成で練りきれていないものが多い。三〇分間書抜きをしたあと、読書に入ることにしたが、次に何の本を読もうか迷った。小説を久しぶりに読みたいとは思っていたので、いくつかの候補のなかから、須山静夫訳『フォークナー全集 9 八月の光』を選び出した。この時は気づかなかったが、この日から八月に入っていたわけで、『八月の光』という題名の本を読むにはタイムリーな時期ではないか。そうしてベッドに移って書見を始め、いつも通り、二時を過ぎた頃だったと思うが意識を消失し、気づくと四時一〇分を迎えていた。多分二時間くらいは眠っていたのではないか。手帳に時間を記録して、入口扉脇のスイッチを押して明かりを落とし、眠りに向かった。


・作文
 11:07 - 13:56 = 2時間49分
 18:41 - 18:57 = 16分
 23:33 - 23:55 = 22分
 計: 3時間27分

・読書
 14:19 - 17:16 = (1時間引いて)1時間57分
 24:11 - 24:41 = 30分
 24:53 - 28:10 = (2時間引いて)1時間17分
 計: 3時間44分

・睡眠
 4:00 - 10:20 = 6時間20分

・音楽