2019/8/11, Sun.

 小林 最近、ジム・アル=カリーリ/ジョンジョー・マクファデンの『量子力学で生命の謎を解く』(邦訳、SBクリエイティブ、2015年)という本を読んでいたら、単なる比喩ですけど面白いことが書いてあった。それは、道ばたにラジオが落ちていた。ラジオを知らない人がそれを分解し、細かく分析してみたら、音が、つまり放送が、聞こえてくるかというと、聞こえてこない。電波が来なければラジオはラジオにならないので、電気回路をどれほど細かく説明することができても、電波が入ってこない限りラジオはラジオにならない。そういうことに近いかもしれないということを、生物の領域で量子力学的なアプローチをしている人たち自身が書いているわけです。比喩がとてもわかりやすいと思いました。
 基本的には、われわれ人文系の思考は、そういう立場を取らざるを得ないだろうと思いますね。正しいとか正しくないとかではなくて、フィロソフィアの立場からは、――中島さんがしきりに「神」という言葉を持ち出すのもそうだと思いますが――どうしても「いやあ、みなさんは一生懸命システムや電気回路を勉強していらっしゃいますけど、それだけでは心は聞こえてきませんよ、なにしろ心は目に見えない電波なんですから」という感じで答えるしかないという立場を取らないわけにはいかないように思いますね。われわれも一緒に電気回路をハンダごてで分解してみましょうという方向にはいかない。われわれの立場は、「ラジオをいくら調べても、ラジオそのものからは音は聞こえてきません」という立場に立って、それで何が起こるかを試してみるしかない。
 ただし、いまの時代、ラジオの回路がどのぐらい精密に解明されているかを踏まえなくてはならない。そしてそこでは、「計算」ということが非常に重要なポイントだと思うんです。すべては、データ、情報、それらの計算によって説明可能になるということ。しかも、いまその情報を制御し統御する文法というか方程式というか、それが線形的な一意的決定性を持ったものだけではなくて、非線形的なものも入り、確率論も入り、決定論ではないようなさまざまな方程式が導入されている。一方には、無限の情報の回路の解明があり、他方では全く新しい、非決定論的な、非ニュートン的ですらある文法があって、両者がドッキングされていく。すると、カオス、複雑系創発と、ありとあらゆる非決定論的、非線形的法則や分布が試されていて、最終的には、唯物論的に下から上が、装置から「放送」がどのように可能になるかが、説明できるはずというのが基本的な方向ですね。
 わたし自身は、これらを非常にセンセーショナルなものとして、面白く見ているのだけれども、それに対しては、最終的には、先ほどから中島さんが執拗に提起している意識という問題に戻ってきてしまうように思います。もし心が意識だと仮定したら、意識が持っている絶対的内在性、それをどのように受けとめるかですね。つまり、ラジオが聞こえるのは、「わたし」だけだ、ということ。誰にでもわかる外側からのアプローチに止まっているかぎりは、それは、「わたし」という「放送」ではなく、単なる電気の回路にすぎないのではないか、ということですね。電気回路の中には、それがどれほど複雑であろうが、「わたし」は住んでいないのではないか、ということ。そして、逆に、もしそのような絶対的な「わたし」こそ、意識の本質だとすると、それは、ラジオにとっての電波のようなもので、そうなれば、――中島さんが言おうとしていることを先取りして言えば――そんな「わたし」って「神」とどこが違うんですか、という話に当然なっていく。つまり、とても不思議なことに、これだけ唯物論的に攻められた結果として、われわれはもう一回、唯心論的というか、神学的構築をしなくちゃならないはめに迫られているように思えますね。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』東京大学出版会、二〇一八年、44~47; 合原一幸・尾藤晴彦・小林康夫・横山禎徳・中島隆博「心の語り方」)

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 小林 論理学も20世紀の後半に入ると時間論理学とか様相論理学とか、いろいろな論理学がたくさん出てきましたけれど、わたしの感覚では、むしろ数学という論理の極限におけるセリーの問題が面白いなあ、と思います。なぜ数学が論理の極限に行き着いたかと言えば、それは、数学こそまさに「数」以外にはいかなる現実的な事象もない、そういう言葉ではない「数」に還元して組み立てられた純粋論理だからですよね。そうした純粋論理が、無限を扱った途端に、論理そのものが破綻するというか、ゲーデル不完全性定理でもいいんですけれども、この論理構築そのものが論理的にディコンストラクション脱構築)されてしまうということがわかったわけですよね。それはとても大きな発見だったと思います。論理的に世界を構築することがある種のカオスというか、破綻なしには成立しないという。でも、その破綻は何によって起きたかというと、ループによって起きたんですよね。わたしはよくわかっていないのですけれど、不完全性定理では、不完全性になる理由はループなわけじゃないですか。つまり、リカレントな構造だ。自己言及的な構造を論理にぶち込んだ瞬間に、集合論において、論理的な構築が矛盾にぶちあたってしまう。
 そうなると、そこに自己意識というか、あくまでも「わたし」という自己言及性そのものであるような自己意識という問題となにかリンクが可能なのではないか、と直観するわけです。自己意識とは何かというと、どう考えてもループですから、それが、数学的論理学が行き着いたところとつながってきているような、非常にスリリングな状況になっていると思うのですね。つまり、究極的には、「わたし」というものが、ディコンストラクションとしてある、論理の不可能性そのものとしてあるという方向かしら。これが今のわれわれの状況ではないでしょうか。
 (49~50; 合原一幸・尾藤晴彦・小林康夫・横山禎徳・中島隆博「心の語り方」)


 八時半に起床。まだ寝床にいると、もう既に着替えて歯磨きか何か終えた父親が、あの風鈴のやつ、と話を向けてきたので、ボルタンスキーねと受ける。あれが国立美術館でやっているって、と言うので、国立新美術館ね、それを見に行ったんだとこちらは言った。それからちょっとしてこちらも起き上がり、コンピューターを点けた。Twitterを確認しておいてから、洗面所に行き、顔を洗い、後頭部の寝癖に水をつけて押さえたあと、食事へ。キッチンダイニングのテーブルを囲む。こちらは例によってMちゃんとテーブルを挟んで向かい合うお誕生日席である。こちらから見て左の辺には母親とT子さん、右辺には父親と兄が座る。食事のメニューは、まずサラダが二種。レタスや胡瓜やトマトのサラダと、アボカドとトマトとモッツァレラチーズのサラダである。そのほか茶色いパンにチーズ、それとサラダはもう一種類あった。前日の残り物だろうか、ポテトサラダである。さらにはゆで卵も食べ、デザートとしては、前日にスーパーで買われた菓子――ロシア語で何という名前だったか忘れたが、レアチーズケーキをチョコレートでコーティングし、包んだようなもの――が提供された。食事を終えるとこちらは皿洗いをした。汚れを落とした皿を傍らに置き、母親がそれを食洗機に入れていく。終わると手を洗い、布巾で水気を拭って、居間に移った。そこでMちゃんが父親と戯れていた。テレビには「ドーモくん」の番組が移っており、「ディアボロ」という、二つの棒のあいだに渡した糸を使って独楽を回しながら放り投げたりするパフォーマンスが披露されていた。こちらもMちゃんとちょっと戯れたあと、自室に戻って日記を書きはじめたのが一〇時前、現在は一〇時を回ったところである。音楽はcero "POLY LIFE MULTI SOUL"を流したあとに、Jose James『No Beginning No End』に繋げている。
 何時に出かけたのだったか覚えていない。この日はイズマイロフというところにある、ヴェルニサージュという市場に出かけようということになっていた。MちゃんとT子さんは一旦家に残って、あとから合流するとのことだった。それで外出し、アパートを出て、環状線の駅まで歩いた。晴れているが、いくらか肌寒い陽気だった。こちらの格好は確か、薄褐色のチェックのシャツに、煉瓦色のズボンだったと思う。半袖シャツだけでは結構冷たい気候だったので、兄がT子さんにメッセージを送って、のちほどジャケットを持ってきてくれることになった。青空に雲が断片的、散発的に浮かんでおり、四角四面の巨大な建物に陽射しが掛かって美しかった。
 駅は「パンフィロフスカヤ」という名前だったらしい。入口を入って、高架通路を通っていき、改札をくぐった。改札をくぐる際には、日本とは違って、兄が回数券を持っており、それを一人一回分繰り返し機械に読み込ませることで四人全員が通ることが出来るのだった。ホームに下りると、ソーセージなどを売っている自販機があった。ここで買って、電車内で一杯やるんじゃないかと父親が笑った。
 電車は赤い色の、いくらか近未来的な感じも受ける綺麗なものだった。車内は新幹線風の内装になっており、床は固く、自転車を停めておくスペースなどもあった。最初は両親だけが座っていたが、そのうちにその前の席も空いたので、そこに兄と隣り合って入った。電車内では、ポーランドの話をした。二〇一三年だかその頃に、兄はポーランドに行ったことがあると言う。ワルシャワクラクフに行ったと言うので、アウシュヴィッツには行かなかったのだろうかと思っていると、兄は、あそこは行かなかった、あの、何だっけ、と漏らしたあと、そうだ、アウシュヴィッツだとまさしくその名前を思い出した。アウシュヴィッツと言えば、こちらにとっては、と言うかこちらにとってだけでなく、おそらく一般的にホロコーストの代名詞、その象徴となるような収容所名で、忘れることなど出来ない固有名詞なのだが、兄でさえもそれを短時のあいだ忘れてしまうような、ホロコーストに対してその程度の認識なのかとこちらは密かに思った。こちらはそれを受けて、今丁度、アウシュヴィッツの所長だった人が書いた本を読んでいるよと告げたのだが、兄が何と返したかは覚えていない。それ以上特に詳しい説明もしなかった。
 それでイズマイロフに着いた。駅に着く途中で、母親が言った通り、「お伽の国」にでもありそうな城のような建物が街中に建っているのが見えていた。ガイドブックには、絵本のなかに出てきそうな、というような形容で紹介されていたらしい。そこはちょうど駅と駅の中間地点あたりにあって、イズマイロフ駅からそこまでいくらか歩かなければならないとのことだった。それで駅を降りると高層ホテル――「アルファ」とか「オメガ」とかいう名前のビルがいくつか並んでおり、中国人がよく泊まっていると言う――のある一画を抜け、牧歌的な芝生の地帯の広がるなか、ヴェルニサージュへと歩いて行った。陽が照っていて、良い天気だった。
 黒い柵のあいだを抜けて、ヴェルニサージュの正面に着くと、白と緑の城のような建物を背景にして皆で写真を撮った。それから道を渡って右方に折れ、しばらく歩いてマーケットの入口からなかに入った。祭りの屋台のような、あるいはクリスマスマーケットのそれのような木造りの土産物屋が軒を接して所狭しと並んでいるのだった。入ってすぐのところの店には、売り子代わりというわけか、台の上に黒猫が座って自分の体を舐めていた。それが大層可愛かったので近づいて触れたが、さすがにこのような場所にいる猫だけあって人馴れしているようで、こちらが撫でているあいだも黒猫は我関せずといった様子で毛繕いを続けていた。
 店々のあいだの通路をゆっくりと歩いていく。途中で、タオルやクロスのような彩色された布を扱っている店に母親が注目した。テーブルに敷くような類の、花柄の入ったクロスめいた布地が、台の上に並べられ、また、洗濯物干しのようなハンガーに洗濯挟みで吊り下げられているのだった。店主は真っ赤な服を着て身体の非常に大きな、胸の腹もふくよかに突き出たおばさんで、早口でセールストークを繰り広げてみせた。母親は青とピンクの布を何枚か買うと言うので、こちらもこれはNさんあたりに良いのではないかと思って一枚買うことにした。しかし、どうせだったら読書会のNさんだけでなく、TやMさんら、女友達に全員あげるつもりで三枚買えば良かったと思う。おばさんは二〇〇ルーブルの品を五〇ルーブル値下げしてくれた。母親がさらに値下げを試みたが、おばさんはそれには応じず、モスクワ市の中心部では二五〇で売っているところを、こっちは一〇〇で売っているのだから、買ってもらわなくちゃ、みたいなことを言ったらしかった。別れ際に我々が日本人であるということを告げると、おばさんは、日本は好きだと言いながら、ヒロシーマ、ナガサーキ、と口にした。やはり原爆の落とされたこの二市は外国人のあいだでも名を知られているのだろう。
 それから、屋台のある一帯、二、三列の通路を行き来して、先の店に加えてあと二軒でものを買った。二つ目の店で買ったのはエプロンで、青とオレンジ色の花柄のやつだった。ここの店員のおばさんも身体が大きい人だったが、しかし先のおばさんとは違って控え目な感じで、セールストークは特に披露せず、値段を訊くといくらか訛った英語で返すのだった。三軒目ではマグカップの類を購入したのだったが、そこにいたのは赤ら顔のおじさんで、おそらく生来非常にお喋りなのに加えて、多分この時は酒を飲んでいたのではないか。それできっとお喋りに拍車が掛かっていたと思うのだが、ロシア語のわかる兄に向かって、ほかの三人を置き去りにしながら何か捲し立てるようにして喋り続け、その話が滅茶苦茶長く、苦笑するほかなかった。あとで兄に訊くと、この人はサハリン生まれで、父親が炭鉱で働いていて、子供の頃に日本人が家に遊びに来たことがあってそこで日本の遊びをいくつか教わった、というようなことを話していたらしい。要は日本が好きだという話だ。彼は日本語もいくつか喋った――「高くない」とか「皆さん」とか、「二五〇」とか、「ありがと」などの言葉である。母親が何かの品を、可愛い、と言った時には、「you、カワイイ」と世辞を言ったこともあった。それで結局、マグカップを一つ買うことになったのだが、そのあとこのおじさんと、もう一人いた老人と一緒に写真を撮った。老人も英語をいくらか喋った。おじさんには息子がいて、二八歳と四歳らしかった。母親がこちらを指してマイサン、と言うと、お前は何歳かと訊かれたので、二九だと答え返した。
 その後、屋台の一画を抜けたところで兄がT子さんに連絡を取り、フリーマーケットの一画で合流することになった。フリーマーケットの地帯は業者ではなく一般の人々も店を出して雑多な売り物を陳列しているのだが、なかには薄汚れた鍋とか、どう考えても売れるはずがないだろうというようなガラクタの類も売りに出されているのだった。そこを見ていると、T子さんが通路の向こうからやって来た。ジャケットを持ってきてくれたと言うので、わざわざすみませんとこちらは礼を言ったが、今のところは陽の出ている場所にいることもあって寒くはなかったので、まだ良いですと言った。それからフリーマーケットの一画を抜け、先ほどよりもいくらか広い道を行った。そちらに母親の好きなグジェリ焼きの店が一、二軒あるとのことだったのだ。それで件の店に着いたが、鮮やかな青で彩色されたグジェリの食器で店舗が埋め尽くされている様は美しく、圧巻だった。母親やほかの皆が品物を見ているあいだ、こちらはMちゃんの傍に寄っていた。彼女はゼリーやグミを与えられて大人しくしているのだった。グジェリ焼きの店では、母親が欲しかったグジェリのスプーンが見つかり、三本が購入されることとなった。その後母親は、店員の女性と一緒に記念写真を撮った。
 そうしてから階段を上って、建物の上の方に向かった。広場に出ると、馬がいたのだが、こちらは馬ではなくて、一人の女児に注目していた。ただ一人で広場をうろついており、親や同行者が近くに見当たらないので、迷子ではないかと思ったのだ。しかしそれにしては、泣くこともなく、慌てたような様子もなく、両親を探している素振りもない。それどころかそのうちに、段に座ってのんびりと休みはじめ、近くの子供らが遊んでいるのに混ざりたそうな視線を向けている。編み帽子を被ってちょっと冬めいた装いをした、非常に可愛らしい子供だった。皆が蜂蜜ビールを買って飲んでいるあいだも、こちらは一人、その子に視線を送っていたのだったが、彼女はそのうちにどこかにとてとてと歩いて行ってしまい、視界から見えなくなった。
 近くにロシア料理の店があると言うので、そこに行くことになった。それでヴェルニサージュを抜けて、少々歩き、田舎家風の店に着いた。テラスには誰一人として客がおらず、外見には休みなのではないかと思われたが、兄が入っていくと普通に営業しており、六人入る席もあるとのことだった。それで入店。八人掛けくらいの長方形の大きなテーブルに通され、Mちゃんが座るための子供用の椅子も用意された。ロシアではどこの店に行っても、必ずこうした子供用の椅子が準備されていて、すぐに出てくる。
 例によって前菜やら摘むものやらは兄に任せることにして、メインの一品をそれぞれ決めることになったので、こちらはチキンのヌードルを頼むことにした。飲み物は皆はビール、妊娠中のT子さんは水かレモネードか何かを頼んでおり、こちらは途中で買ったペットボトルのコーラが残っていたので何も注文しなかった。店員は、メイド服ではないけれど、少々それらしいデザインの格好をしていた。白いブラウスの上にそれぞれ赤、水色、黄色の原色に近い鮮やかな色合いのエプロンをつけ、小さなバッグを掛けていたのだった。応対をしてくれたのはそのうち赤いエプロンの店員で、愛想はわりと良かった。三人とも、忙しく厨房とフロアを行き来し、立ち働いていた。
 それで注文された料理は、まずオードブルに牛タンや豚肉やチキンの盛り合わせと、サーモンとチョウザメの燻製。それらには大きな丸パンとバターがついてきた。ほか、ボルシチとチキンヌードルが来て、また、メインの料理は茶色くこんがりと焼けたチキンの塊に、ソースの掛かった豚肉、そうしてやはり黄色のソースが掛かった鮭とチョウザメに、蕎麦の実の混ざったビーフストロガノフだった。ボリュームたっぷりで、腹いっぱいになるまで食うことが出来た。こちらの背後の壁にはテレビが設えられてあって、何かミュージック・ヴィデオの類が絶えず流されていたのだが、そこから流れ出る音楽は打ち込みのダンスミュージック的なポップスが主調で、田舎家的な店の様子に全然相応しくなかった。MちゃんはタブレットYoutubeを見せられて大人しくしていた。途中、虹色のきらきらとした飾りをつけた服を着た老婆が店に入ってきて、二階の方に上がっていくとともに、何やら着飾った男女も現れたので、何かパーティーのようなものが催されているのかなと推し量られた。
 そうして食事を終え、退店。そこからまたしばらく歩いて、地下鉄の駅に行った。夜はサーカスを観る予定で、まだいくらか時間があったものの、サーカスの傍に公園があると言うのでもうそこに行ってしまい、時間を潰すことになったのだった。地下鉄の車内では、兄がMちゃんを抱いて入っていくと、すぐに席が譲られた。そうして隣り合った婦人がにこやかに話しかけて来て、最終的に偶然持っていたナナカマドの描かれたスプーンをくれたのだった。こちらはそのやりとりからは少々離れて、車両の端でベビーカーの番をしながら立っていた。隣には読書をしている男が立っていた。車両内にはもう一人赤ん坊がいて、泣きじゃくっていたが、Mちゃんはそれにつられることもなく静かにしていたようだ。降りてベビーカーを押して運び、上りのエスカレーターに乗ったのだが、これが以前のそれと同じく途方もなく長いもので、奈落の底から地上に向けて出ていく感じがして、とても怖かった。
 駅を出て、公園の向かい、サーカスの前に着いたところで、兄夫婦と母親の三人はカフェに行って飲み物などを買ってくると言うので、こちらと父親がベビーカーに乗ったMちゃんの傍に残った。父親は、道行く人々が持つ風船や、犬などにMちゃんの注意を促して、あやすように甘ったるいトーンで終始幼児に話しかけていた。まるで形なしだな、とこちらは思ったが、こちらがMちゃんに話しかける時の様子も、もしかしたら同じようなものになっているのかもしれない。しばらくして三人が帰ってきたので、通りを渡って公園に入った。ベンチを一つ陣取った。ベビーカーから下ろされたMちゃんは広場内をうろうろして危なっかしいので、こちらが近くについてやった。広場中央には噴水があり、水柱が何本も無数に立っていて、時間とともにその勢いが増減して柱の高さが変わるのだった。そのなかにはさらに、ピエロの像が立てられていた。Mちゃんは噴水を見ながら、おっきいねえ、などと漏らしていた。
 そのうちにMちゃんにシャボン玉を作る玩具が渡された。Mちゃんが吹き出して宙を漂っているシャボン玉にその玩具を近づけると、玉が割れず枠にくっついてぶら下がった時があって、するとその石鹸水の玉のなかに、虹色の光とともに周囲の風景が三六〇度、コンパクトに圧縮され、収納されて映りこんでいるのだった。のちになると兄が玩具を受け取って、穴に向けてゆっくりと息を吹きかけ、酷く大きなシャボン玉を拵えていた。Mちゃんはふたたび歩き回って、噴水に近づきながらシャボン玉を吹き出し、そうすると玉は噴水の濡れた縁の上に落ち、ここでも割れずに形をしばらく保ちながら光を映しこんでいるのだが、それをMちゃんは指で触れて割ってしまうのだった。
 我々の座っていたベンチの後ろにはパンジーか何かの花が咲いている一帯があって、その向こうでは蛍光色の黄色いベストを着た清掃員の老人が休んでいた。彼は鳩の餌をばら撒いて、自分の元に鳩を集めていた。なかの一匹などは、その老人に首を掴まれ、動きを封じられながら餌を沢山食っていた。シャボン玉はその老人の方へも飛んでいき、老人はにこやかな様子でMちゃんの方を眺めていた。Mちゃんはまた、ベンチの傍の段の上を行ったり来たりして遊んでいたので、こちらがMちゃんの前に立って通せんぼするようにしながら後退りし、端まで行くとまたMちゃんは引き返すのでそのあとを追いかける、といった風に遊んだ時間もあった。
 それで六時半頃に至って、公園を出て横断歩道を渡り、ニクーリン・サーカスへ入った。観光客らが続々と入口に詰めかけているところだった。券を提示してなかに入ると、ロビーの一角では、チーターや虎の子供と写真を撮るサービスが催されていた。虎の子は哺乳瓶から与えられるミルクにむしゃぶりついており、なかなか可愛らしかった。それを見ているあいだに、兄が水を買ってきてくれた。かなり高齢らしく見えた老婆が孫と一緒に写真を撮ろうと進み出ているのを全部は見届けないうちに大理石の階段を上がっていき、すり鉢状の観客席に入った。席は結構前の方で、見応えがありそうだった。空間には煙が焚かれており、紫色の光が宙に通っていた。巨大なヤドカリの殻のように盛り上がった綿飴を持った子供がいた。今はまだ舞台を囲むように幕が垂らされており、その表面には口をひょっとこのように窄めたピエロの大きな顔が描かれていたのだが、Mちゃんはそれが怖いのか、泣いてしまい、T子さんに抱かれながら顔を彼女の胸に埋めて、舞台の方を見ようとしないのだった。後日、Mちゃんは、ピエロ、怖かったねえ、などと言いつつ、母親が撮った写真を何度も見せるようにせがんで、見ると、何で怖かったんだろう? などと漏らすのだった。
 それで七時に達して開演。オープニングはきらきらとした衣装を身につけた集団での華やかな演舞である。皆が帯を引き出して、その中央では女性が一人、一枚の帯に掴まって上っていき、空中でくるくると回ったり、上下方向に回転しながら高速で下りて来たりする。それが終わって、本篇の最初はジャグラー平均台をいくつか繋げたような大きな台の上に乗りながら、複数人がクラブを空中で交錯させながら投げ合う。左右の二人に加えて、真ん中に女性が立ち、その人は中継役を担っているのだが、後方をまったく見ずに後ろにクラブを投げて、過たず相手にキャッチさせているのが実に見事だった。しかも、台が大きく回転するなかでそれを行うのだ。とは言え、さすがに一、二度、クラブが落ちる場面もあったのだが、それでも充分に凄い。
 ジャグラーの次はピエロが観客席に出てきた。風船をラケットで打って、観客にプレゼントしていく。その次にはジョッキー。白いパンツに黒いブーツ、黒ジャケットの、ちょっとSM的な雰囲気も漂う女性たちが鞭を持ちながら踊る。その後、白い斑のついた馬と、同じく白い体に斑模様の入ったダルメシアンが出てきて、舞台上をぐるぐると回る。回っている馬の背中に犬たちが飛び乗ったりする。
 次に印象に残っているのは、ブランコの演技である。中国の拳法家などを意識しているようで、赤くそれっぽい服装の男たちが出てきて、舞台の左右で揺れる大きな足場の上に立つ。それを大きく左右に揺らしながら、なかの一人が高く高くジャンプして、空中で宙返りをしつつもう一方の足場に飛び移るというアクロバティックな演目だ。一歩間違えれば着地を誤って、ことによると頭から足場に追突してしまい、首の骨など折ってしまうのではないかと思われたが、どの演者も危なげなく確かなジャンプをこなしていて見事だった。
 前半の最後ではアフリカの草原にいるような動物たち――キツネザル、猿、シマウマ、騾馬――などが一同に介し、その周囲では綺羅びやかな衣装を身につけた女性たちが、アマゾネスを意識しているらしく、槍を持って佇んでいた。そのほか、熊が一瞬出てきてでんぐり返しを披露した時間もあった。ピエロはたびたび、舞台の設備を入れ替えているあいだの繋ぎとして出てきて、観客を舞台上に呼んで一緒に戯れたりすることもあった。Mちゃんは眠いのか、T子さんや兄が手を取って拍手をさせても、目を瞑ってしまって舞台を見ようとしないのだった。
 演奏は生演奏と音源を併用していたようだ。舞台の上方に楽団が詰めており、その影が見られた。結構質の良い演奏隊だったと言うか、トランペットなどかなりのハイトーンまで難なく出していたし、後半には熱情的なサックスソロや、ベースのソロなども聞かれて演奏面でもなかなか面白かった。
 観客席の通路には赤いベストを着たおばさんが巡回しており、写真が禁止されているにもかかわらずスマートフォンを取り出して舞台に向けている客を見つけると、小型ライトをその人の方に照射して気づかせ、写真は禁止されているとの身振りを取って注意するのだった。
 休憩を挟んで後半の最初は猛獣使いが男女一人ずつ出てきて、チーターや黒豹やライオンや虎を操るのだが、これが結構難しそうで、なかなか動物たちが言うことを聞かない場面もあり、猛獣使いの方に向けて虎などは威嚇するような瞬間もあって、なかなかスリリングだった。動物たちは待機時はそれぞれ台の上に座っているのだが――そこからもたびたび下りてしまうことがあって、猛獣使いはそのたびに鞭を振るって動物を台の上に戻さなくてはならず、常に舞台全体を把握していないといけないような様子だった――その台の上に一匹、糞をしたチーターがいて、その糞は舞台を囲む金網の外から、黒い棒を持った係員が台の上から落として始末していて、これはちょっと面白かった。それで言えば、後半のどのタイミングだったか、多分ハーピーめいた女性が空中ブランコを演じている際に、白い鳩が一緒に放たれたのだったが、その鳩のなかに一匹マイペースなやつがいて、ほかの鳥たちが皆捌けていっても一匹だけ舞台の縁に居残っていたのもちょっと面白かった。サーカスの空間というのは高度に、ほとんど完璧に構築された夢の世界であるわけだけれど、そうした「物語」の時空が、上のようなささやかな細部によって一瞬綻んでいたのだ。それは夢幻的な時空の構築性の観点からすれば一つの瑕疵のようなものでもあり、人によってはそれによって物語への没入から覚まされて幻滅してしまうかもしれないけれど、それによってフィクショナルな空間が瞬間破れ、色気のない散文的な現実味が醸し出されているのがこちらにはむしろ面白かった。
 そのほか、後半にも色々と見せ場はあったのだけれど、これについてはメモを取れておらず、記憶もそれほど整理されて定かに残ってもいないし、それを上手く文章に仕立てる気力もないので、割愛させてもらう。兄のアパートに帰ってからのことも同様。ほか、この日のことで印象に残っているのは、サーカスが終幕して外に出たところ、群衆のなかで光る風船を売り歩いている男たちがいたことで、これも綺羅びやかなサーカスという施設に付随する散文的な現実の一場面であると言うか、端的に言ってここにも人の生活が、人生があるのだなあと思わせるような光景だった。


・作文
 9:53 - 10:34 = 41分
 23:29 - 24:41 = 1時間12分
 計: 1時間53分

・読書
 なし。

・睡眠
 0:30 - 8:30 = 8時間

・音楽

  • Jose James『No Beginning No End』