2019/8/15, Thu.

 「人間とはなにか?」――古いふるい問いである。人間はいつでも「人間とはなにか?」と問うてきた。だから、「人間とはなにか?」という問いへのもっともシンプルな(?)答えは、「人間とは『人間とは何か?』と問うことをやめない存在である」ということになるかもしれない。(……)
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』東京大学出版会、二〇一八年、74; 小林康夫「「人間とはなにか?」という問い」)

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 対象としての人間がどのようなものであるのかはわかっているとして、その存在にはいったいどのような意味があるのか? ――そう問うことが可能なのは、当然ながら、その問いが言語を通して行われているからである。言語は、対象と意味を分離する。「花」という言葉は、いま、わたしの目の前に咲く具体的で、個別的な一本のチューリップを指示することもできるが、それだけではなく、「花」という言葉が喚起するあらゆるイメージや概念、さらにはそれにまつわる発話者の「思い」までも意味し、含意することができる。実際、それが「なに」を意味するのかはっきりしないまま、われわれはたとえば「秘すれば花[﹅]なり」とまで言うことができるのだ。
 一方に現実的な、具体的な対象としての存在者、他方に、多様な意味。われわれの言語とは、「世界」のなかに、このような分断・分離を導入する根源的なオペレーションである。言語によって、人間は意味へと運命づけられる[﹅7]。極端な言い方をすれば、「意味」へと断罪される。そして、この「意味」が意味するのは、たんなる「語義」や「文意」などではなく、人間が世界に存在しているその「意味」にかかわる。分断・分離が導入された以上は論理的に当然のことかもしれないが、それは、分断・分離されたものが、ふたたび結び合わされること、再結合が起こって、そこに「世界」が取り戻されるという意味での[﹅4]「意味」なのである。
 (75~76; 小林康夫「「人間とはなにか?」という問い」)

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 となれば、これは、通りすがりにほのめかしておくだけだが、「宗教」を意味するラテン語のことば religio の語源のひとつが re-ligio (ふたたび結び合わせる)であることを思い出してもいいかもしれない。つまり、宗教とは、人間に、この世界のなかで、みずからが存在として「ゆるされ」、「意味」をもつことを、言語を超えて[﹅6]、保証する「信」の言説であったのかもしれない。それは、疑いなく、「人間とはなにか?」という問いに対する、人間がこれまでにもちえたもっとも強力な答え方であった。religio は、なんらかの仕方で人間を超越する存在を導入し、それとの根源的な関係を実践的に[﹅4]設定することによって、その問いへの最終的とみなすべき[﹅9]解答を提起する。言い換えれば、「神」という、現実的な存在者なき絶対的「存在」を設定することで、言語の限界線において、言語がもたらす「意味」という分離が引き起こす実存的不安を、確固たる「信」へと転換するわけである。
 だが、言っておかなければならないのは、religio は、けっして言語の論理的な操作からだけ導かれるのではなく、多くの場合は、人間のなかの、選ばれた特別な存在[ひと]による実践的経験に裏打ちされているということ。つまり、「人間」と「人間ならざるもの」との(再-)結合は、言語の一般論の地平ではなく、ひとりの歴史的な[﹅4]「人間」において起こっているのであって、religio の言説は、一個の特異性において普遍性を開く、つまり「全体のための一」、「共同性のための個」という、強いて言えば、「犠牲」の倫理に貫かれているのが一般的である。それは、「人間」の「顔」をもつ。「人間とはなにか?」という問いに、(それがどのように想像されたのだとしても)ひとつの「名」をもったひとつの「顔」が応答している。それこそが、religio の根源なのである。
 (76~77; 小林康夫「「人間とはなにか?」という問い」)


 何と午後三時まで驚異的な、完膚無きまでの寝坊。半日以上を寝床で過ごしたわけだが、これほどまでに起きられなかったのはほとんど初めてではないだろうか。三時に至ったところでようやく身体を起こすと、コンピューターを点けてTwitterやLINEなどを確認した。それから上階に行き、居間でテレビドラマを見ている両親に、おはようではなくておそよう、と告げた。食事はおじやだと言う。テーブルの上に手持ち鍋が置かれてあったので、そこから椀におじやをよそり、台所に行って電子レンジに入れた。料理を温めているあいだに卓に戻り、ピンクグレープフルーツを二切れ食べて、それから加熱が終わったおじやを持ってきて食した。食事を終えると抗鬱薬を服用し、食器を洗うとともに、洗濯物の吊るされている戸口をくぐって風呂場に入り、浴槽を洗った。そうして下階に戻り、コンピューターを再起動させ、それを待っているあいだはルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』を少々読み進めた。コンピューターの準備が整うとEvernoteやらブラウザやらを立ち上げて、Twitterを眺めるとともに、T谷が熱を出しているとのことだったのでLINE上でメッセージを送っておいてから、四時直前に日記を書きはじめた。とりあえずこの日の分をここまで先に綴った。さて、八月一一日以降の日記がまだ記されずに溜まっているのだが、何日のものから取り掛かるのが良いのだろうか。
 Franck Amsallem『Out A Day』を流しながら、ひとまず前日分、八月一三日から一四日の分を完成させた。それからさらに、八月一一日の分に取り掛かったが、一時間三〇分綴って五時半に達したところで疲労感に負けて打鍵を中断した。そうして六時前からベッドに転がって書見に移った。ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』を四〇分ほど読んで六時半に至ったところで、天井が鳴ったのでベッドを下りて部屋を出た。階段を上がっていくと、ジャガイモを持ってきてくれと言うので、階段途中にあったジャガイモの入った袋を持って段を下り、下階の廊下の窓を開けて、その先の物置に保管してあるジャガイモをいくつか袋に入れた。それで上階の台所に行くと、母親はシチューを拵えている途中だった。ジャガイモの皮を剝いて分割し、シチューの鍋のなかに入れると、木べらでもって凍った豚肉の塊を突き崩した。その後、冷凍庫で凍らせてあった牛乳が投入され、煮込まれているあいだ、こちらは大根や玉ねぎをスライサーで下ろしてサラダを拵えた。それで下階に戻り、ふたたび七時半までものを読んだあと、食事を取りに行った。夕食のメニューはシチューやサラダのほか、鮪や鰤などの刺し身がいくらかあった。それらを食べるあいだ、テレビでは火山噴火に際して救出活動に励む自衛隊員の活躍を描いた再現ドラマが放映されており、このドラマVTRがもう物語も物語、隅から隅までお約束と紋切型の印象と既視感しか醸し出さない、最も低劣な類の物語だったのだが、それを見ながら父親がうんうん頷いてちょっと涙を催してもいるのがまた実にみっともない。こうした最大公約数的な物語への弱さというものは、一体何なのだろう。こういう物語のいけ好かないところは、その経済性と効率性、つまりは必要な事柄を最低限にしか描かないという点だ。そうした部分で物語というものは、資本主義と相同的であり、相性が良い。このVTRのなかで唯一見る価値があったのは、実際に火山の噴火に立ち会った人の映した現地の映像のみで、噴煙が朦々と湧き上がりはじめたのを見ても、撮影者や周囲の人々はしばらくのあいだ呆けたように停止して動けず、ちょっと経ってからようやく危機感に突かれて逃げ出すといった様子や、灰色の煙が天空に届かんとする巨大な岩壁のように空間を埋め尽くして聳え立つさまなど、リアルだったと思う。
 物語の魔力に毒されて恥じることのない父親と同じ空間にいるのが居心地悪かったので、さっさと食器を洗い、便所で糞を垂れてから、勘弁、勘弁、と心のなかで思いつつ下着を持って洗面所の扉を閉めた。そうして入浴。雨が途中で激しく降ってきた。出てくるとさっさと下階に戻り、ふたたび一時間ほど日記を書いたのち、それ以上気力が続かなかったので、一〇時二〇分頃から読書に移った。途中で一時間ほど微睡みの時間を挟みつつ、ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』はすべて読み終え、次にプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』を読みだした。それで二時四〇分頃まで読み進めたところで就床。しかし蒸し暑く、パンツから伸びる脚のシーツに触れる部分が汗を帯びて煩わしく、なかなか眠りがやって来なかった。一時間ほど寝床で過ごし、もう起きてしまおうかとも思ったのだったが、身体を起こすのも面倒臭くてそれからも留まっていると、そのうちに眠れたようである。


・作文
 15:57 - 17:28 = 1時間31分
 20:37 - 21:44 = 1時間7分
 計: 2時間38分

・読書
 17:52 - 18:30 = 38分
 18:53 - 19:30 = 37分
 22:17 - 26:37 = (1時間引いて)3時間20分
 計: 4時間35分

・睡眠
 2:20 - 15:00 = 12時間40分

・音楽

  • Franck Amsallem『Out A Day』
  • Brad Mehldau『After Bach』