2019/8/17, Sat.

 充足理由律(Principle of sufficient reason) 「どんな出来事にも原因がある」「どんなことにも、そうであって、別様ではないことの、十分な理由がある」という原理。すなわち、どんな事実であっても、それに対して「なぜ」と問うたなら、必ず「なぜならば」という形の説明があるはずだ、という原理のこと。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』東京大学出版会、二〇一八年、115; 注4)

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 2016年はライプニッツ没後300周年だったわけですけども、300年前にそのライプニッツが、なぜ無ではなくて何かがあるのかという問いを問うていくわけです。そのときに、何かがあるということを一生懸命彼は論じようとして、たとえば充足理由律のようなことを論じていました。しかし、今の素粒子物理学の展開は、なにかもうその先に行っているような気がします。ライプニッツたちの問いのもとで抑圧されていた無というものに迫ろうとする勢いがあるのではないのか。浅井先生が論じられている真空の議論とか、質量の議論を拝見するだけでも、何かがあるということを、別な形で、科学の言語で表現されているのではないかという気がしています。
 その議論の中で特に面白いと思ったのは、力という概念です。たぶんそれには非対称性と傾きという概念も関わっていると思いますが、何かこうモノが一様にあるというだけじゃなくて、そこに何らかの非対称性が出現することによって、ある場が形成されていく、というイメージですね。このイメージは非常に面白いと思います。その際に、深い偶然性の影がここには差しているんじゃないかという気がするんですね。ライプニッツ自身も、この偶然性の問題を、繰り返し、繰り返し考えていて、彼なりに非常に苦しむわけです。彼の場合は、最終的には神を持ち出すことによって、何とかこの偶然性の問題を切(end115)り抜けようとしたと思います。
 最近、科学と哲学の接点で議論をしている人たちが多くいるんですが、ここではメイヤスーという名前を挙げました。カンタン・メイヤスーというフランスの人です。彼はライプニッツのような充足理由律ではなくて、非理由律といった言い方をします。実は理由というのがないかもしれない、この世界がこのような形であることに関しては、ひょっとしたら理由がないのかもしれないということを言いだしているわけです。たとえば、われわれは普段生きているときに、ニュートン的な物理学がある程度機能している世界に住んでいるわけですけども、ひょっとしたらその原理が大きく変容したってかまわないかもしれないと考えます。なぜこの世界とそうじゃない世界があるのか。そのことに関して、偶然性という概念を武器に迫ろうとしているんですが、それはひょっとすると確率論を洗練していくだけではもはや迫れない地点ではないのか。なにか別のアプローチが必要なのではないのか。そんなことが、今や問われているわけです。
 (115~116; 市川裕・浅井祥仁・永井良三・小野塚知二・中島隆博「存在の語り方」)

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 人間原理(anthropic principle) 物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理。
 (117; 注6)


 色々と夢を見たあと、一一時四〇分頃ようやく起床。暑い正午前だった。今日は東京の最高気温は三七度、今夏一の暑さになるという噂だ。部屋を出て上階に行き、母親に挨拶をして、洗面所に入って顔を洗った。それから台所でコップに水を汲んで飲んだが、水が少々温いように感じられた。食事は前日のうどんの残りと、サラダがあると言う。それで冷蔵庫から二品を取り出し、細切りにした大根やら何やらをシーチキンで和えたサラダを皿に移し、椀に麺つゆを用意した。そうして食卓に向かい、新聞から香港情勢の記事を瞥見しながら麺を啜った。うどんをすべて食べてしまうと、豆腐を少しずつ箸で分割して、それも麺つゆに浸けて食った。テレビは『メレンゲの気持ち』を掛けており、鈴木福くんとその弟妹が出演していた。そのほか小籔千豊も招かれていた。食後、彼のトークをちょっと眺め、食器を洗って風呂も洗ったあと、ふたたびテレビをちょっと眺めてから下階に下った。部屋に戻って扇風機とエアコンを点け、コンピューターを起動させる。まもなく母親が、隣室の兄の布団をベランダに干してくれとやって来たので、それを受け取ってベランダの戸口の前に置いた。それからシーツとマットも持ってきて、ベランダに移った母親に受け渡し、そうしてこちらはコンピューターを前にして、ceroの音楽を一、二曲歌った。それで日記に取り掛かったのが一時半前だった。BGMにはMilt Jackson『At The Museum Of Modern Art』を流した。
 大した文章ではないのだがやけに時間が掛かって、三時前になってようやく前日の記事を仕上げた。その後、三時二〇分からインターネットに繰り出し、MさんのブログとSさんのブログを読んだ。それで時刻は四時前、出勤前に腹を満たそうと上階に上がった。上がっていくと、母親が、それ食べちゃ駄目だよと言う。何かと思えば、クッキーの詰め合わせをメルカリに出品したところ、今ちょうど売れたのだということだった。この詰め合わせは仏事のお返しとして父親が貰ったものらしく、全部で四〇個くらい入っている結構大きなものであり、売りなどせずに我が家で食べれば良かったのにとこちらは思ったけれど、母親は、甘いものがたくさんあるからと言うのだった。
 カレーパンがあったので、それを頂くことにした。そのほかにも二品ほど何か食った覚えがあるのだが、それが何だったのか今うまく思い出せない。一つには、昼にも食ったシーチキン和えのサラダが残っていたので、それを食べたのではなかったか。もう一品は完全に忘れてしまった。
 食事を終えて皿を洗うと、米を笊に三合用意した。洗い桶のなかに笊を入れて、流水が上から落ちてくるなか、米を右手でじゃりじゃりと擦って洗った。そうして炊飯器の釜にもう入れて、水も汲んでおき、六時五〇分に炊けるようにセットをしておいた。それから――あるいはこの時ではなくて、食事を取る前だったかもしれないが――ソファの上に乗っていた母親の寝間着などの衣服を畳んで整理した。そうして下階に戻ると、まもなく仕事着に服を着替えた。ワイシャツとスラックスで肌を覆うとさすがに暑いので、室内にはエアコンを掛けていた。そうして四時半前から、家を発つ五時頃までのあいだにと、星浩「「殺されてもいい」小泉首相捨て身の郵政選挙の罪 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(14)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019041100006.html)を読みはじめた。特にメモを取りたいと思う事柄もなく、さらに次の星浩「戦後最年少宰相・安倍氏と常識人・福田首相の挫折 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(15)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019042500008.html)に入って、第一安倍政権が二〇〇六年の九月二六日から始まったこと、続く一〇月八日には「電撃的な」訪中があって首相が胡錦濤国家主席と会談したことなどを手帳にメモし、このコラムを読んでいる途中で五時がやって来たので中断して、上に行った。
 母親にそろそろ行こうと告げた。メルカリの送料支払いをしなければならないので、ついでに送っていってくれるという話だったのだ。室長と教室に差し上げるロシア土産は、クラッチバッグのなかに何とか収まった。室長の方の土産は、グム百貨店の薄黄がかったクリーム色のビニール袋に包んだ。それで出発、こちらは先に出て、母親の車の脇で彼女が出てくるのを待った。林からは蟬の声が降りしきっていた。今日は東京の最高気温は三七度、今夏一番暑いという予報だったが、さすがに五時にもなるといくらか暑気は和らいでいるようだった。
 母親が車を出すと、助手席に乗り込んだ。車内にはAir Supplyの曲が掛かっていた。走っている途中、教室の方に置いておく土産として持ってきたレーズン・クッキーの箱に蓋がないなという事実に思い当たった。包装を取り除いてしまうと、クッキーが剝き出しになってしまうのだった。教室には冷蔵庫などもなく、テーブルの上に置いておくほかはないので、それでは保存に悪かろうということで、コンビニに寄ってラップを買うことにした。それで駅前のコンビニの横で下ろしてもらい、入店すると棚のあいだを巡って、サランラップの大きめのものを発見したのでそれを一つ掴み、レジに向かった。二〇四円の品を五〇〇円玉で精算し、礼を言って退店すると職場に向かった。
 こんにちはと挨拶してなかに入り、靴をスリッパに履き替えると、バッグからビニール袋に包まれた品物を取り出して、ささやかなものですが、ロシア土産ですと言って室長に渡した。それから奥のスペースに向かい、長テーブルの上にもう一つのレーズン・クッキーを、まだ包装を取らないままに置いておき、準備を始めた。珍しく数学に当たっていたので、予習で方程式の利用の問題などに奮闘したのだが、結果、この範囲は今日は扱わなかった。
 授業一コマ目は(……)くん(中三・英語)、(……)さん(高三・英語)。(……)くんは英語は夏期講習用テキストの予定をすべて消化し、今日から学校準拠のワークに戻るとのことだったので、まとめ問題で復習を扱った。わからなかった単語など自ら率先してノートに記してくれ、なかなか良い調子だった。(……)さんは前置詞の単元。しかも群前置詞などの、複数語を合わせて使うものについて学ぶところだったので、ほとんどイディオムのようなものであり、個々に覚えなければならないようなものなので、こちらから手助けできることはあまりなかった。授業中は二人にもクッキーを一枚ずつおすそ分けした。その実、毒見役と言うか、初めに食べてもらって味の感想を聞こうと思っていたのだが、(……)くんは美味くも不味くもないと言い、(……)さんも普通だと言った。しかし彼女はそのあとに続けて、美味しい寄りの普通だ、とフォローしてくれたが。
 二コマ目は(……)さん(中三・英語)と、(……)くん(中三・数学)。(……)さんも(……)くんと同様、学校準拠のワークで復習。前回こちらが当たった時にレッスン四のまとめ問題を扱っていたので、最初にそこをもう一度やらせてみたところ、全問正解することが出来たので良い具合である。しかしその後、レッスン一の方に戻ってまとめを扱うと、こちらの内容はやはり結構忘れてしまったようで誤答が多かったし、和訳の四問など手をつけられずにいたので、それに関しては答え合わせを待たずに一緒に解説しながら解いた。(……)くんは真面目な子で、問題も結構出来るのでやりやすい。今日扱ったのは平面図形の単元で、扇形の弧の長さや面積の求め方などである。特段に問題はなかった。このコマもクッキーを二人に配ろうとしたのだが、(……)さんはいらないと言って固辞した。(……)くんは受け取ってくれ、あとで礼とともに美味しかったとの評価をくれた。
 二コマ目の授業中、既に授業終わりだった(……)先生と(……)先生にもクッキーを勧めた。(……)先生は結構美味しいですよ、レーズンサンドみたいで、と言って食べてくれていたが、(……)先生がどう感じたのかはわからない。授業が終了したあとは、残っていた(……)くんと(……)先生にも、さあ食べてください、と言って半ば無理やりにクッキーを勧めた。その時こちらも、自ら買ってきた品を初めて口にしてみたのだが、やはりまあ不味くもないけれど取り立てて美味くもない、微妙な品だったなと認めざるを得なかった。(……)くんもそのようなことを口にしていたが、(……)先生は無言で二枚食べていた。
 それから片付けをしていた(……)くんに寄って、明日何かあるのと尋ねた。何もないと言うので、それじゃあまた飯に行こうかと誘って了解を得、(……)先生も誘ってみようと言って奥のスペースにいた彼のところに行って、我々、飯食いに行きますけど、(……)先生も行きますかと尋ねると、意外にも――あまりそうした会合に行きたがらなさそうなタイプだと見ていたのだが――行きますと即答があった。どこに行くかと話して、先日行った地ビールの店でも良いのだけれど、西分の途中に新しい焼き鳥屋みたいなのが出来たからそこに行ってみようかという流れに緩く決まった。それで(……)くんは今日は財布を持っているけれど、携帯がないので取ってくると言って、先に教室をあとにした。待ち合わせは、西分の交差点の元交番の前ということになった。それで(……)先生と教室の鍵閉めを済ませ、自転車を引く彼と並んで歩きはじめた。彼は今、大学三年生、学校では数学をやっている。数学と言ってこちらはまったくの門外漢で全然わからない。それでどんなことをやっているのかと訊いても、彼も門外漢に説明するのになかなか苦心していたようだが、分野で言うと幾何学をやっており、より具体的には多様体というものについて勉強しているのだと言う。幾何学って言うと、とこちらは曖昧な記憶を何とか呼び起こし、ユークリッドだっけ、『原論』とかありますよねと話を向けてみたが、彼がやっているのは非ユークリッド幾何学のなかに入る方であるらしかった。理屈は勿論わからないけれど、そうした空間内では、例えば平行でないけれどずっと伸ばしていっても交わることのない二直線、といった関係が成立するのだと彼は言い、感覚的にはおかしいんですけれど、そういう空間があるのだと付け加えた。
 就職活動についても少々尋ねてみると、やはり数学などの知識を活かせるようにということだろう、IT系の、SEなどを狙ってみようかと考えていると言っていた。しかし、大学院に行こうかという気持ちも若干あって、まだ迷っているところなのだと言う。
 元交番の前に着いたところで、幾何学と言って、例えば学んでいる数学者で言うと誰なのかと訊くと、ポアンカレとの名が最初に返った。名前だけは聞いたことはある。しかし、名前以上のことは何も知らないと言って笑うと、ポアンカレ予想というワードが出てきたが、これについてもこちらは良くもわからない。続いて、リーマンの名前が挙がった。ニクラス・リーマンという人が社会学の方にいなかったか、その人のことかと一瞬思ったのだったが、いやあれはルーマンだったかとすぐに思い直した。あとは最後に、一番有名な人として、ガウスの名前が告げられた。有名だからと言ってこちらは彼についても何も知らないわけだが、結構昔の人だったはずだ。
 そうこうしているうちに(……)くんがやって来たので、焼き鳥屋に向かった。彼は走って来たので、汗を搔いており、ワイシャツの首元を前後にぱたぱたとやりながら暑そうにしていた。件の焼き鳥屋は休業だった。それで仕方なく道を戻っていき、地ビールの店に至ったのだが、なかに入ると男性店員が、フードのラストオーダーは一〇時で終わりだと言う。飲み物しか飲めないのもさすがに嫌なので、それじゃあ仕方ないが魚民に行こうかということで、すみませんがまたと店員には告げて、店をあとにし、結局元の駅前に戻ってきた。魚民の前に三人向き合って立ちながら、駅の方にもいくつか店があるようだが、どうするかと訊いた。すぐ脇の魚民の入口を指しながら、安牌を取るか、と口にすると、俺は安牌を取る方ですと(……)くんが言うので、今日は魚民に入るかと固まった。
 それで入店し、木製の靴箱に靴を入れ――こちらの番号は七五番だった――店員に三人と告げてちょっと待った。店内は騒々しかった。入口に一番近い室の客が賑やかに騒ぎ、燥いでおり、その前を通る時になかに日本人に加えて外国人の男女がいるのが目に留まった。切れ切れの、断片的な片言の英語が飛び交っていた。その並びの一番端の個室に通され、こちらは奥の席に就いた。飲み物は二人はビール、こちらはジンジャーエールを注文し、そのほか食事として、枝豆、たこわさ、燻製の魚が乗ったポテトサラダ、餃子、鶏の唐揚げが注文された。それらが食べ尽くされたあとにさらに、鶏の軟骨の唐揚げに海鮮アヒージョ、海鮮モダン焼きが追加で頼まれた。
 交わされた会話は、この夜から二日ほど経ってしまった八月一九日午後七時現在、あまりよく覚えていない。そんなに実のある話も特段なかったのだが、(……)くんが人間をあまり信頼できない、という話が一つにはあった。彼は高校時代の部活動周りや恋愛絡みの人間関係で辛い思いをして、それ以来いくらか人間不信なのだと言う。そうは言っても本当に人間不信だったならば、こちらが誘ったところでこうした食事の席にも顔を出さないだろうし、その話自体を他人にすることもないだろうと思うから、そこまで酷いものではないとは思うが、高校の頃には弓道部の主将を務めていたところ、練習方針を巡って残りの部員全員と対立し、ハブにされた、というような話だった。それに加えて、同じ部活で恋慕していた女子が、自分の友達と付き合っており、彼らがいちゃいちゃと仲良く睦むさまを間近で毎日見せられる、そのような生活が高校生活のあいだずっと続いたと言う。それで一時期は精神的に追い込まれて、学校から帰ってきてはすぐに寝るような生活をしていた頃もあり、体重を減らしもしたと話した。それは鬱症状というやつだね、とこちらは適当な診断を下したのだが、(……)くんは、やっぱりそうですかね、僕も病院に行こうかなとは思ったこともあったんですけど、でも時間が解決してくれましたね、と言いながら、いや、解決……? 解決したのか? と疑問を残していた。
 それ以来彼は恋愛には縁のない身だと言う。(……)先生に振ってみても、彼も恋人が欲しいとはあまり思わないタイプらしく、恋愛には今までとんと縁がなかった人種で、ここの三人皆、女っ気が全然ないなと言って三人で笑った。(……)くんは恋人欲しいんだよねと訊くと、いや彼女が欲しいんじゃないんですよ、結果としてそうなりたいんですよ、というような言が返った。異性の相手と人間的に信頼しあえる関係を築いていったその先に、結果として恋人という関係に至りたい、と言うので、面倒臭いでしょ? と(……)先生相手に茶化してこちらは笑った。しかしまあ言っていることはわからないでもない。こちらも、一般的な結婚という形式に対する願望はないが、人生を共に歩んでいける信頼できるパートナーのような存在は欲しいような気がする。それはでも、極論、男性でもいいわけでしょうと訊くと、男友達ならそういう人間は既にいるという返答があり、だからやはり異性の相手が欲しいのだということだった。
 と言って出会いのきっかけが掴めない。(……)くんは、周りの人間が全然ものを考えず、適当に生きているように見え、自分だけが鬱々と悩んでいるような気がするのだと言った。それをのちには彼は、ハイデガーの用語を使って、皆被投性のなかで生きているんだ、自分の存在を投企していない、などと言い表した。要は、世人は大方、自分が必ず死ぬというその厳然たる事実に真正面から目を向けず、ただこの世界に投げ出されたままの頽落した、受動的な生の段階に留まっており、そこから積極的、能動的に自分を生のなかに投げ込み、自らの生を企て構築していくことをしていない、というような話だろう。ハイデガーを引いてそのような生硬な、堅苦しい言葉を使うので、こちらは、こいつ、だいぶ酔っ払ってきたみたいだななどと(……)先生相手にふたたび茶化して笑った。(……)くんの言うことは多分一面では真実でありつつも、もう一面では当たっていないだろう。確かに世の人間というものは結構皆、図太く、ものを大して考えることもなく日々あくせくと生きていると思う。しかし同時に、考えたくなくても悩みを見つけ、それについてうだうだと思考を費やしてしまう神経症的な性分の人間も一定数存在するものだ。彼の悩みというものも、まあ言ってしまえば青年期にありがちな「理想の相手探し」に類するもので、青臭く未熟な種類のものであり、時とともに解決されるだろうと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、こちらは読書会を例に挙げて多少アドバイスをした。大学を卒業して以来――鬱病に苛まれていた期間は除いて――、毎月一回集まって本について話を交わす相手――Aくん――がこちらにはいる。二〇一二年以来なのでもう七年間も続いていることになる。それは代えがたい、貴重な人間関係なのだが、そのように卒業してからも関係が長きに渡って続いたのも、Aくんが読書会をやりたいとこちらを誘ってくれたからである。それでは彼が何故こちらを誘ってくれたのかと言えば、自分が折に触れて彼に話していたことなどからして、こいつを誘うとなかなか面白そうだと彼が評価してくれたからだと思う。大学当時はまだ文学に出会っていなかったので、大したことは話していなかっただろうし、どんなことを話していたのかもはや覚えてもいないのだが、多分その時々で興味のあることや、考えていることなどを伝えていたはずである。それが読書会に繋がり、今の人間関係にまでずっと繋がっているという一つのこちらの体験を例にして、それに相応しいタイミングを掴んで、折々に自分の能力や自分の個性、存在といったものを開陳する[﹅4]ことをすれば、見る人は見ていてくれるのではないか、と語った。ともかくも大事なのは狭く閉じて行かず、多様な関係に向けて自分の回路をひらいていくことである、と大方そのようなことを述べたのだ。説得力のある話になったかどうか自信はないが、(……)くんは神妙なような表情で頷いていた。
 (……)先生が持っていた数学のテキストを見せてくれた時間もあった。件の「多様体」というものについての本だったのだが、まず目次に書いてあることからして全然理解が出来なかった。(……)先生自身も、これをうんうん言いながら頑張ってゆっくり読み進めていると言い、極端な時には一日で一頁進むのがやっとということもあると言っていた。訳の分からない数式が記された頁をちょっと眺めたあと、本を返したこちらは、素晴らしいね、と口にした。やっぱりこういう何が何だかわからないようなものが世の中には必要なんだ、今は何でも訳の分かるものしか尊重しない世になって来ているでしょう、などと述べた。それで言えば、(……)先生に、文学というものは何が面白いのかと問われた時もあった。こちらはそれに対して、ありがちな言い分ではあるが、自分が持っていないような表現や考え方に出会うとやはり面白いと答え、実にありきたりで月並みな表現を使って、自分の世界が広がっていくことだろうと言った。今、全世界的に人間が狭く閉じ籠もる風潮になってきていると思うのね、安倍晋三なんかを見ていてもそうだし、ドナルド・トランプもそういった類の手合いでしょう、そういう世の中でやっぱり、他者に向けて自分を押し広げていく、他者というものを取り込んで自分自身を広く拡張し、変化させていく、そういったことが大事だと思う、だから文学とか哲学とかいうものが面白いなって思っているんだけれど、と述べ、最後に、まあでも流行らないねと付け加えて笑った。
 零時二〇分かそこらに至っておひらきとなった。(……)くんが手もとのタブレットで一人当たりの金額を計算してくれた。二三〇〇円ほどだったので、じゃあ、千円で、と前回と同じく宣言し、二人からそれぞれ千円札を頂いたのだが、千円で、とこちらが言った時の(……)先生の表情が、何か苦々しいようなものだったので、もしかすると彼は全額奢ってもらえるものだと期待していたのかもしれない、と邪推をした。あるいは、日付が変わるまでの長きに渡って拘束されて、それで千円も払わなければいけないのは割に合わないな、とか思っていたのかもしれない。この日の会は途中から(……)くんの悩み相談みたいな感じになっていたし、(……)先生が楽しめたのかどうか覚束ないのだが、まあ一応店を出たあとは、またやりましょうと言っておいた。
 それで横断歩道を南に渡ったところで二人とは別れ、西へ向かって歩を進めた。文化交流センターの前まで来て横断歩道で立ち止まると、建物の向こうの林から、夜の蟬たちの声が液体のように広がってきた。車の通りがなかったので、歩行者用信号の、動かず静止した人を象る赤いランプの光を見つめながら通りを渡った。歩いて行きながら、俺も随分と社交的になったものだなと心中独りごちた。この日、何故後輩を誘って飯に行く気になどなったのか、自分でも答えがわからなかった。正直なところ、特段に大したことを話すわけでもなし、それほど楽しい時間だとも思えないのだが――別に悪い時間でもないけれど。ただ何となく、人間関係というものを以前よりも気楽に見ていると言うか、相手が良かろうが悪かろうが、その時間が面白かろうがつまらなかろうが、ともかくも同じ時空を共有するということ、それを重ねるだけで良いのではないかと思っている自分がいるようではある。
 夜気が涼しげだと言っても歩いているとやはり蒸し暑く、服の裏はべたべたと湿った。家の間近まで来ると、既に午前一時も近いと言うのに、ふたたび林から夜蟬たちの声が重なり合って湧き出てきて、激しく、騒がしかった。家に入ると居間の明かりはもう消されており、両親は寝室に下がったあとである。ワイシャツを脱いで汗だくの肌を解放して、下階に戻り、気楽な格好に着替えてインターネットをちょっと眺めると風呂に行った。出てきて居室に戻ると既に一時台後半、星浩「戦後最年少宰相・安倍氏と常識人・福田首相の挫折 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(15)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019042500008.html)の続きを読んだ。その後、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』を四時まで読んで就床したが、読書中、終盤は例によって意識を落としていたようだった。


・作文
 13:27 - 14:52 = 1時間25分

・読書
 15:20 - 15:44 = 24分
 16:24 - 16:58 = 34分
 25:45 - 26:08 = 23分
 26:10 - 28:00 = = 1時間50分
 計: 3時間11分

・睡眠
 3:00 - 11:40 = 8時間40分

・音楽